ハウスクリーニング屋さんの徒然ブログNiigata

ふだんの近況 つれづれの思いなどを

トクッピは弱者の戦略で行け、GO

 近くのスーパーで、トクッピという新しいフリーペーパーをよくもらってくる。
 フリーペーパーは、とくにクーポン広告をメインにしているフリーペーパーは、中身がないから見たくないのだが、トクッピだけは中身がないのは置いといて、どうしてか見たくなるのだ。
 何が見たくさせるかというと、雑誌のキャラクターの擬人化した犬とスーパー袋を見ていると、なごむのだ。
 馬鹿馬鹿しい雰囲気なのだが、つい見たくなるのだ。
 それに一週間分のテレビの番組表は便利だし、料理だとか風邪予防だとかの豆知識もまあまあ面白い。

 ページをめくると広告は少ない。
 ということは経営的には苦しいだろう。
 この雑誌には頑張ってもらいたい。
 といって俺が広告を出すのは別問題だ。
 俺の商売はまだ黎明期なのだから弱者の戦略でいかなければならない。ということは他人が作っている媒体に広告を出すべきではないのだ。それは独立したばかりの頃、新潟情報にエアコンクリーニングの広告を出したが、まるで効果はなかった。
 そのとき、弱者は見込み客を絞って、直接アタックしかないのだと悟ったのだ。

 トクッピも弱者の戦略で行くべきだろう。
 であれば、顧客を絞りに絞って、徹底した差別化と、自家製造と直接販売がキモだ。
 トクッピに広告は出せないが、少なくとも読者でいたいと思う。

イナカモンは安易にセックス産業の真似をしてヤスイ雑誌をつくる

『美少女図鑑』というのがあって、それは新潟市から生まれたといって、それが町おこしになるといって、最近マスコミで取り上げられている。
 俺は四、五年前から仕事先でときどき読んでいた。

 初めて見たときに思ったのは、こりゃ東京の真似だなということだ。
 読者モデルをファッション雑誌に出して、それを売りにするというのがあの頃流行って、そういうのを真似しているのだろうと思った。
 真似するのは汚らしいのだが、それは田舎者のツネだからしょうがねえなあ、頭が悪いなあ、と思っていた。

 もう一つ汚いと思ったのは、オンナを売り物にしているところだ。
 不潔なんだよ。
 必要以上に脚を出していたり、必要以上に薄着だったり、必要以上に化粧をしていたり、そういうふうに、セックスを必要以上に感じさせる写真を売り物にしているのが、田舎者の安易さを連想させて、汚らしいのだよ。
 これは、頭の悪いオンナと、そういう人種を客層にしている店にしか受けないだろうなと思った。

 そして、頭の悪いオンナを客にしているのは、業種としてやっていけないよ。
 なぜなら、頭の悪いオンナは、そもそも金を持っていないんだから。
 バブルの頃の首都圏だったら、オンナそのものをズバリ売り物にできたけど、今は世間全体が金が回っていないんだから、オンナという商品を買う層というのにも金はないのだから、そういう風俗商品を売るにも買うにも、安くしかならないのだから。

 ただ、田舎で新しいことをしようとする意気込みは買う。
 だけど趣味が悪いよ。
 そんなことで町おこしになるなどと言っているマスコミも無責任だ。まあそもそもマスコミなんていうのは無責任なのだけれどさ。

 かわいそうだけど、断言するけど、美少女図鑑は駄目だろうな。
 もうほとんどの県でフランチャイズみたいに同じような雑誌が出来ているらしいが、イナカモンたちが、頭の悪い人間たちが、浅はかなやり方で儲けようとしてやり始めたのだろうけど、駄目だろうな。

ビートルズは昔

 こないだ夜中にNHKでビートルズをやっていた。
 ひさしぶりに観て聴いて好きだった頃を思い出した。
 それなのにどうしてか気持ちが燃えないのだ。
 それどころかビートルズを幼稚だと思ってしまったのだ。

 昔のものはそういうふうに思ってしまうのだろうか。
 数え切れないぐらいに聴いて観ているから、またかと思うのだろうか。飽きているのだろうか。
 それとも私の感覚が成長したか退行したか、すくなくともあの頃とは別のかたちで世界を見るようになっている。それはどうしてかさびしい気持ちもある。

 そうして観つづけようとしたけれど、眠くなったから消して、ふとんをかぶったのだった。
 だがあの番組を、もういちど昼間に観たい。

みんなの企画部

『みんなの企画部』
 商売上のちょっとしたネタを毎日更新している。だから毎日読んでいる。
 おもしろいし、ためにもなるし、毎日新鮮な気持ちになれるのだ。
 しかし毎日ネタを探すのは大変だろうに。

デフレの克服するには

 テレビでデフレだどうしようと騒いでいる。
 俺が思うに、中国やインドに輸出したり輸入して貿易すれば、日本より経済的に貧しい人と競争することになるわけだから、こっちも貧しくなるだろうさ。
 といって先進国だけじゃもう経済は回っていかれなくなっているんだから、インドや中国と経済でも付き合っていかなけりゃならないとなると、そういうところの暮らしぶりにも否が応でも合わせることになるだろうさね。しょうがないさね。
 そういう経済の向きは俺の商売にとっても困るのだが、しょうがないと思わなければな、ハハ。

 解決策は、インドや中国で出来ないことを商売にするか、経済とは世界を別にする商売、たとえば芸能とかスポーツとか、浮世離れした商売をやるしか、贅沢な暮らしをすることは出来なくなるだろうな。だけどそれもほとんど誰もが出来ないことだろうけど。

人生とは人生を燃やすこと

 今日、作業でラジオを聴いていて、NHKの頭の悪そうなアナウンサーが「たった一つの命、たった一つの命」とくりかえしていたが、なんだか聴いていて腹が立った。
 どうしてだろうとしばらく考えたのだが、命というものに価値をおいていることに、傲慢さと考えの浅さに違和感を持ったのだ。

 命には価値はない。
 価値があるのは、人生なのである。

 だから言うべきことは、「たった一回の人生」ということなのだ。
 人生はいっかいきりなのだから、大事に精一杯一生懸命人生を送るのだ。

 命というものを消えさせないことだけにうつつを抜かしていると、寝たきりの年寄りを生かせ続けることや、生まれてもすぐ死んでしまうことが分かっている赤ちゃんを何ヶ月か何年か生かせることに、そういうことに世間全体のエネルギーを使いすぎて、自分が生きて自分の人生を送っていると意識している人たちの、世の中の人間たちの、そういう人生を送ることが何よりも価値があるのだということを忘れてしまう。

 人生の価値は、長いとか短いとかは関係ないのである。
 命というものだけを思ってしまうと、人生の長さだけが価値だと思い込んでしまう。死なないことが価値だと思ってしまう。

 人生とは、量より質なのである。

 といって、誰もがいつも精一杯一生懸命とならなくてもいいのだが。
 なぜなら生まれつき精一杯生きられない人もいる。
 だから自分なりの精一杯でいいのだ。

 人生で何が価値があるかというと、俺が思うに、人様に迷惑をかけない範囲で、自分の価値観にそって生きるということだと思う。
 それが出来たら、長さより質だなあと思えるのだと思う。

 そういうことに近くて別のことを思い出した。
 俺は人に、「仕事とは結果を出す事だぞ! 結果を出せないのなら辞めろ! 今お前の出すべき結果とは何だ? 答えられないのか? それなら仕事をやる段階にも達してない! 甘えるな! 消えろ! 死ね!」と怒鳴ることが多い。

 仕事とは結果だ。
 だが、人生とはプロセスなのである。
 生きる過程というか道程ということそのものこそが、人生なのだ。

 人生は命を長くすることではないのである。
 人生とは、自分なりの長さの人生を味わいながら、自分自身の人生を燃やすことだ。

 そうして自分の人生の甘みも、塩っからさも、酸っぱさも、苦味も、そういういろんな味をあじわうことだ。
 そうして、頃のいいところで死ねばよいのである。

〜ねという語尾が嫌い

「ですよね」という語尾がブログによくある。疲れるからソッコウで他に画面を移す。
 なぜ疲れるかというと、その物言いは頭が悪くて傲慢だからだ。
 その物言いは人様に自分の意見を強要している。それを自覚もしていないから救いようがない。
「〜ね」というのは、念押しとか命令に通じるのに。
 それと、それは自分の意見を言うのに自信がないみたいだし、自分の意見をぼかしているみたいだし、何かで隠しながら言って、なし崩しで済まそうとする卑怯さを感じるのだ。

 手紙文の中で、その相手がよっぽど親しいならまだいいが、世間一般に向けて書いているらしいブログで、〜ね。〜ね。は駄目だ。
「だよね」というのもあるが、ちょっと前のラップを思い出させて腹が立つ。俺はラップは嫌いなのだ。理由は面倒くさいから書かない。

 〜た。〜た。〜た。と続ける語尾が俺は好きなのだが、それだと殺風景だから、ちょっと他のも使うだけなのだ。
 だが、た。た。た。は、いさぎよくて気持ちよいのだ。

 それなのにうちのホームページは「〜ですね」という語尾を多用している。
 反省している。が広告だから、このまま行く。
 だが、「〜ですよね」は、なんだか馴れ馴れしいから、それは使っていない。

ひじの曲がりぐあいは自然がちょうどいい

 マウスパッドを買った。百円ショップで買うものがあって、そのついでに買った。
 私は畳にあぐらをかいてパソコンを使っている。
 そして畳の上に本を三冊置いて、その上に辞書を置いて、その上でマウスを動かしている。
 その高さがマウスを動かすのにちょうどいいのだ。

 座り机はせまいから、モニターを置いて、キーボードを置いて、食べるものを置くと、マウスを動かすスペースはないのだ。
 それに座卓の上でマウスを動かすのは、腕を上げすぎることになって、ひじがつかれるのだ。
 だから畳の上でマウスを動かすのだが、今度は下すぎてひじを伸ばすことになって、そうすると手首が曲がりすぎて痛いから、丁度いい高さにするために本や辞書を置いたのだった。

 辞書はマウスを動かすしやすいのだが、狭くて画面の中のポインターを動かすのに面積が足りなくて、偶然百円ショップでマウスパッドを見つけて、光学式ボール式共用と書いてあったから買った。
 今のところ具合はいい。ダンボールみたいなのを台にして、その上にパッドを置けば手首も疲れないだろう。

 そういうことがあって思ったのは、何かの作業のときに手を置く丁度いい位置というのは、人間として決まっているのだと思う。
 一番いいのは腹から股にかけての高さに手を置くと、作業がしやすいのだと思う。
 今マウスを置いている位置も、股のあたりだ。
 ギターを弾くのも、手は腹のあたりだ。ピアノのときも手は腹のすぐ上あたり。
 バイオリンは首のあたりだが、それはたぶん、ひじの曲がり具合が自然な角度なのだと思う。
 人間工学という言葉があるが、ひじと手首の自然な曲がり具合が、いい仕事をさせるのだろう。

 そういえば男がおしっこをするときも、ひじは自然な曲がりで自分のものを持つ。生きるうえで大事な行為をするのは、自然のなかでちょうどいい疲れないやり方をしているのだと分かる。

SNS嫌い

 Twitteというのが流行っているそうだが、まるで興味がない。あんな短い文を垂れ流して何かが生まれるわけがない。
 あれは何かを思いついたときに書くメモのつもりなのだろうが、本当はメモにはならない。メモというのは人に見せないから自分の想いだけを書くことができて、それにこそ価値があるのだが、ツィッターは必ず無意識にでも人に見せようとして書く。
 人に見せようと少しでも意識が入ると不要な飾りが付いてしまって、メモとして役立つものにはならない。
 メモは手帳に書くほうが、いいメモになる。

 メモではなくつぶやきを聞かせたいと思っているのならば、お前のようなどうでもいい人間の、どうでもいい内容のつぶやきなど聞きたくないといいたい。

 そしてあれだけの短い文では、論理的に考えて構成することができないし、そういう能力はみがかれない。俺自身は構成力がないのが悩みだが、なんとか文章全体を構成できるようになりたいと思っている。
 だがツィッターを書きたがるような人間は、もともとそういうことを目指していないだろうし、そういう人間の呟きなど、ひらめきもないだろうし、読む価値はないということだ。

 ちょっと前はMixiというのが流行っていた。あれも嫌いだった。
 ミクシィは紹介で仲間内に入って、日常のことを書くものらしいが、内輪受けそのものでいやらしい。
 正々堂々としていないというか、陰でコソコソしている感じが好きになれない。

 そうして最近はフェイスブックというのがあるらしい。実名と顔写真を出したミクシィというものだろうか。
 本名と顔を出すのはすがすがしいが、そこらへんにいる人間が名前と顔を出しても、それがどうしたと思うし、そもそもそこらへんにいる人間の書くものに興味がないから、フェースブックというのもどうでもいい。

 俺は今のところブログで手一杯だし、ブログは長いものも書けるし短いものも書けるのがいい。誰かに頭を下げて紹介してもらって仲間内に入って書くこともないし、実名や顔を出したいなら出せるし、出したくないなら出さなければいいし、そういうところがいい(ミクシィはずいぶん前に紹介制をしなくなったらしいが、中の雰囲気はそういうもので、内輪受け楽屋受けの雰囲気だろう。そういう内向きなところが嫌いなのだ)。
 そしてブログは長いものは全体を構成するということを意識するし、短いものは感覚で書く。そういうところがいい。

食料品の値段、去年と今年

 ちょうど去年の今ごろだったろうか、食べるものが値上がりしたのは。
 ラーメン5袋198円だったのが、298円、348円になっていった。
 餃子一袋も198円のが、238円、258円になった。
 野菜も値上がった。ジャガイモ、ニンジン、玉ねぎが1,5倍くらいになった。

 あれから野菜は値下がりすることもあったが、ラーメンや餃子は高いままだった。
 だがPB商品が多く出て、ジャスコや原信でラーメン5袋で198円のも売り出していた。

 魚は季節で安くなったり高くなったりしているが、それは毎年のサイクルを同じようにきざんでいるだけのようだ。
 肉はどういうわけか去年より安くなっている。鶏の胸肉はふだん100g58円で、売り出しで38円のときもある。もも肉はブラジル産だと58円のも売っている。豚も牛も高くはない。

 一部の食料品が高くなるのは悪いことではない。
 加工の具合で、手間のかかり具合で、値段が高くなることは自然なことだ。大袈裟に言えば付加価値があるものは高いのが当たり前だ。
 そしてPBのように安いものもあるのだから、選択肢があるのだし。

 私の場合は酢はNBを買うし、ラーメンはPBを買っている。それぞれで、買いわけている。

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