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徒然のブログ

つれづれの思いなどを

手段と目的 わからなくてもいい

 オートバイに乗るのは音楽を楽しむためでもある。
 何のことでも何かの手段なのだ。
 手段のことにこだわるのは滑稽だ。
 生きることも何かの手段なのだろう。
 死ぬことも何かの手段なのだろう。
 すべてのことがそれ以外の手段なのだ。
 そこまで行ったら、目的はわかってもいいしわからなくてもいい。

カタツムリの腹

 雨が続くと、小学生のときの登校の道々で、あじさいの大きな葉っぱをめくって、葉の裏側にニ、三匹カタツムリがくっついていたのを、毎日探したことを思い出す。

 玉子の白身とか、納豆とか、一日じゅう祖父が咳をするたびに吐き出す痰とか、カエルを裏返したときの白い腹とか、ナメクジとか、そういうヌルヌルしたものがおっかないし気持ち悪いと思っていた私でも、カタツムリは背中に背負っているカラがあるから、いくらか乾いた感じがして、おっかなびっくりでも手を伸ばして触れることができたのである。

 ヌルついた身にさわらないように、カラを持って葉からそっと引っ張ると、指先に伝わる一瞬の手応えのあとカタツムリは空中に浮き上がり、その腹を見せるのだ。

 でもカタツムリの腹がどんなだったか、遠い昔だから、忘れている。

空がいないいないばあ

 降ったりやんだり、降ったりやんだり

 わがままな太陽がむずがっているのを
 雲が両手を広げて遊んであげて、あやしている

 地上の俺からは、雲の手の形が変わるとき
 太陽の笑った顔がチラッと見えるのだ

梅雨はキュウリを塩で

 このところ毎日きゅうりを食べている。
 夕食に一本、塩だけで。

 洗剤をつけて指でこすって洗って、流水をかけながら手の平でこすってよくすすいだあと、包丁で適当に切ったのを塩を振りながら、コーヒーカップに入れる。
 食器がないから朝使ったコーヒーカップで代用する。
 キュウリ一本分の量に丁度いいのだ。

 湿気が多い季節は、キュウリにマヨネーズは要らない。
 塩だけが合う。さっぱりして合う気がする。

善悪ではないということをまた改めて思った瞬間

 今日、クルマを運転していて信号待ちをしていたら、左側の歩道に、大きな青いランドセルのような学校カバンを背負った、たぶん中学生だろう女子生徒がうつむいてぼんやり立っているのを見た。
 彼女は太りぎみで、そして世の中に何も面白いことはないというような顔で、自分の足元を見つめていた。
 そしてたぶん、彼女はこれからもそういう人生を過ごしてゆくのだろうと、どうしてか思った。
 もしかして彼女は、自分の人生が面白くないから、自分に近しい人をいじめることで、ウサを晴らすような人間になるかもしれない。

 瞬間、思った。
 もしかしてそうなったとしても、それが人生というものだ。
 不幸せになることも、意地悪になることも、無神経になることも、それも人生なのだ。
 それが良いだとか悪いだとか、安易に断じることは出来ないのだ。
 自分が不幸になることも、誰かを不幸におとしめてしまうことも、それも仕方ない、善悪でははかれない、そうなってしまうことも、死ぬまで生きる、それが人生なのだ。
 彼女も俺も、そういうことで、人生を歩んでいくという同じ人間なのだ。
 意地悪な人間も俺も、同じ人間なのだ。
 ということは、俺も意地悪な人間なのだ、と思った。

 意地悪だとかというのも、無神経だとかというのも、それは生き物は自分以外を食って生きてきたのだから当たり前だし、生まれるときも、自分という存在を決定するときも、自分以外を蹴落として、誰よりも早く卵子に突っ込んだことで、自分というものを生まれさせたのだ。
 卵子は、自分以外を蹴落としながら一番に自分に入ってきた精子を肯定して受け入れる存在なのだ。

 そして生まれるときだけじゃなく、生きてきた過程でそうなってしまったどうしようもない原因があって、それはすべてが仕方がないことなのだ、誰の責いでもないことなのだ、自然にそうなってしまうこともあるのだ、それが自然なことなのだ、そしてそれは善悪ではかれることではないのだ、と瞬間思った。。
 留置場に入れられた夜に感じた感覚を思い出した。あの時の感覚から、更にバージョンアップした感覚を覚えた。

 花を見るといい気持ちになるのは人間だけだろうか。
 花は人間に見せようとして咲いているわけじゃない。
 なのに花を見たいし、さわりたいし、匂いをかぎたい。

 犬や猫は花を見たがるだろうか。
 犬は花を見たいとは思わないだろう。
 猫は咲いてる花より、草の葉のほうが大事だろう。

 猿は花を好きだろうか。
 猿は花よりも実のほうが好きだろう。
 哺乳類でも、花を好きなのは人間だけかもしれない。

 鳥たちは、目がいいから花が好きだろう。
 花に鳥は合う。
 それは人間が決めたのだろうか。そうでもないだろう。

 爬虫類は、花にも草にも興味はないだろう。
 虫は、花を好きかもしれない。
 いや虫は花の中の蜜が好きなのだな。

 男より女のほうが花が好きだというが、本当だろうか。
 そうならばそれは何故なのだろうか。
 僕は花も女も、嫌いで好きだ。

野菜の名前は

 大根は大きい根っこ。
 白菜は白い菜っ葉。
 玉ねぎは丸い葱。
 ここまでは分かる。
 でも葱はどうして葱なのか。
 人参は? ほうれん草は? 生姜は? 豆は?

 人参も豆も、誰が最初に呼んだのか。
 名前を言ってみると、みんな実物は呼び名に似ているようだ。

風は息をしていて

 今日は風と雨が強かった。
 台風みたいだった。いや台風より強かった。
 風は息をしているみたいに強い弱いの波がある。
 クルマを運転していると分かる。
 風の咳か、くしゃみなのか、一瞬の突風が吹くとクルマが片方に流された。
 隣の車にぶつかる!
 息が止まった。血圧が上がった。体温が上がった。目がくらんだ。
 そのとき手だけがとっさにハンドルを引き戻した。
 息をついたら、ひざから下が、氷みたいに冷えてるのが分かった。

 雨風の中でライトを点けたオートバイが走っているのとすれ違った。
 後ろに大きな荷物をくくりつけていたからツーリングだ。
 そういえば今年は、今日から連休なのだな。

土から生える旬の色

 思い出す春の色の記憶は
 畑いっぱいに咲いていた菜の花の黄色。
 そして苺の赤。

 季節の色は、植物の色。
 ベースは茎と葉の緑。
 その下の土の色。

 野菜も果物も旬がある。
 知らない人が増えている。
 近くに畑がある幸せ。

 桜ももうすぐ咲く。

冬に死んだ命を思うと、もっとうれしい匂い

 今日、夕方、空気の匂いがかわった。
 生きるのが楽しい、嬉しい、気持ち、思い出した。

 何の根拠もないのに、自分は誰にでも愛されていると、錯覚してしまう気持ち。
 自分は何でもできると、自分ほどのものはいないと、自分好きの気持ちがいっぱいあふれて、体の奥がむずむずして、部屋の外に出たくなる。

 ふっとした瞬間に、この季節に毎年感じるこの気持ち。
 土が、あたたかくなったのだ。

 何かのクスリを飲んだら、こういう気持ちになるのだろう。
 だけどクスリごときに自分自身をのっとられるのが嫌だから、今まで飲んだことはないし、これからもないだろう。

 この匂いは、土の中から何かの芽が吹き出る瞬間の匂いだ。
 目を覚まして、嬉しくて両手をいっぱいに広げたときに、出す匂いだ。

 冬のおわりに死んだ命があるからこそ、この喜びの匂いが嬉しいんだろう。
 冬に死んだいのちを思うと、ことさらこの匂いが、何かを始めるご飯になる。

 書かないと書いたのに書きたくなったのは、春臭さのせいだ。
 今年は、この匂いを嗅ぐのが、はやかったな。

殺す夢、殺される夢

 人生の節目節目で、夢の中で殺された。
 夢で俺を殺してきたのは村上龍だ。
 いつも鉄砲で撃たれてきた。

 大学をやめるとき。
 職の業界を変わるとき。
 いままで、四回。

 それが母親が死んでも、殺される夢は見ていない。
 そろそろ見てもいいのにと思うが、毎日ぐっすり眠れる。

 人を殺した夢は見たことがない。
 別に俺が優しい人間だからというわけじゃない。
 こわがりなだけのことだ。

 殺される夢を見るのを、俺は忘れてしまったのだろうか。
 そうすると今度は、誰かを殺す夢を見るのだろうか。
 その誰かは、俺自身だろうと、ひそかに期待している。

雑音まじりのジャズは、いいもの

 ラジオを聴いてると、ジャズが流れてきた。

 シンバルをこするような音と、ウッドベースの弦が、人間が咳してるみたいに不規則に、そして誰かが泣いてるときの、呼吸音のような音を聴いてると、聴覚だけなのが、良いなあと思う。

 たぶん人間が楽器を弾いてるのを見ると、これほど、音に入れ込めないんだろうな。

 僕はジャズが嫌いだったけど、どうしてか咳のようなつらそうな音が、身に染みる。
 ボーカルがないのも、いいよ。

 ラジオは雑音が混じってるから、それもいいのだろかな。

視覚が退屈するときは早寝かな

 テレビを観ないと、部屋の中で目のやりばに困るというか、動くものがないから視覚が退屈する。
 瞳を動かしても、どれも見飽きたものばっかりなのがつまらなくなるんだ。

 誰か僕以外の人がいれば、それか猫でもハムスターでもいいんだけど、僕の意思におさまらないで動くものがいれば、視線はおさまるところに、おさまるんだろうけどさ。

 といってテレビをつけても僕の視線は楽しまなそうだし、活字だけ追うのはちょっと疲れたし、そういうときは誰か、僕の視覚を嬉しがらせながら楽しませながら疲れを取ってくれる、僕より髪の長いいい匂いの誰かが部屋の中に居てくれるのがいいのだろうけど…、ハハ、そういう人はいまのところ居ないから、早寝して、夢の中で会うことを願うことにしようかな。

思い出は良いも悪いもない

 苦しかったことは悪い思い出で、楽しかったことは良い思い出というんじゃなくて、苦しかった思い出も楽しかった思い出も、ぜんぶの思い出は良い思い出だと今日、思った。

 楽しいこと思い出すのは楽しいから良いよね。
 でも苦しかったのを思い出すのも、何だか楽しいのはどうしてかな。

 そのとき苦しい苦しいと思ってても、それが原因で死ななかったんだから、それほどのものじゃなかったんだろうな、と思う。
 死ぬほどの思い、なんてよく言うけど、結局死ななかったんだもん、それほどのものじゃなかったんだよさね。

 そのときの苦しいことを肥やしにして貯金にして、いま生きているんだろうから、だから苦しかったことも、良い思い出になるんじゃないのかな、と思ったりした。

 そしてそこで本当に死んでいたら、それで思い出もないんだから、良いも悪いもないんだろうから。

ぜんぶ知ってる白い月

 陽の暮れるのが早くなって、
 一番星を見つけられるし、
 お月さんも早めに顔だす季節だね。

 今夜は透き通るような、
 大きくてまん丸の月だね。

 きょうはもしかして、
 十五夜からの、ひとめぐり、ふためぐりの日かな。

 僕の考えてることなんか、
 上のほうから、
 ぜんぶ知ってるみたいな顔してる、お月さまだよ。

カレンダーあと二枚はさびしさか、どうか

 きのう夜、カレンダーめくって破ったら
 今年はあと二枚だなと気づいた。

 そういうとき母さんは寂しさかんじるのかなと
 ふと思った。

 でも、それを聴くのが恐いよ。

 小学四年生のカンカン照りの夏の日に
 ギラギラ太陽に照り付けられてる庭から
 真っ暗くみえる家の茶の間を見えた。

 真っ暗のなかで、ばあちゃんとじいちゃんが
 にこにこして僕を見てた。
 その上で柱時計が動いてた。

 とつぜん、死を思ったんだ。
 どうしてか、恐くて、こわくて、ふるえた。

 こんど会ったとき
 さびしいか、こわいか、
 聴くかもしれないよ。

夢の効用

 テレビもラジオも本もCDもカセットも飽きてしまって、何にも観たくないし聴きたくなくなったときは、すべてを消して、静かになると、思い出すのは見た夢だ。
 眠って見た夢。

 といって細部まで憶えているわけじゃないけれど、ところどころの断片が映像になって、僕の頭の中をよぎるんだ。
 そのカケラを頭の後ろ側の自分の中のテレビジョンで観ていると、なんとなくおだやかな気分になるから不思議だよ。

 夢って、自分の人生の、澱みたいなものを洗い流してくれるものかもしれないな。
 夢の中で見たことの、忘れなきゃいけないところを忘れさせてくれるから、それ以上思い出させなくさせてくれるから、いいのかな。
 夢って、動物は、見ないのかな。

鳴き声は鳥の決意のあらわれ

 またこの時期に、鳥の声が聞こえるようになったね。
 近くで鳴く声じゃなくて、空の上で聞こえる鳥の声が。

 旅に出るのか、ここに渡ってきたのか、何羽かで鳴きかわしている声。
 それもどうしてんか夕方にしか聞こえないんだな。

 暮れ方になって旅立つのかな。
 そんなことないよね。
 空を羽ばたく鳥ならば、出発するのは朝だろね。

 鳥は、ダガシみたいにどこかから新潟市に来たのかな。 
 あの鳥にとって新潟市は暮らしやすいかな。

 行く鳥も来る鳥も、これからの自分の暮らしを思いながら、空を羽ばたいてるんだろな。
 鳴き声は、鳥の、決意表明だろうかな。

お彼岸にはどうして甘いもの食べるのかな

 さっきスーパーに買い物に寄ったら、おはぎが売ってたよ。
 おはぎって春のお彼岸だけかと思ってたら秋もなんだろかね。
 それとも秋だけだったかな。

 まあどっちでもいいかと思って買って帰った。
 おいしいのだけど、やっぱりにがい。
 僕は小さい頃から黒餡子食べると、甘く感じるより苦さを覚えるんだ。

 舌の両脇が痺れるような感覚が走って、びりびりベロが震えるような感じなんだな。
 気持ち悪い甘さであり苦さなんだ。

 それが白餡ならば、丁度良くおいしく甘く感じながら、食べられるんだけどね。
 不思議なんだけどな。

 子供の頃は、あんこ餅あんこ餅と言ってたね。といって腹いっぱい食べた記憶もないけどね。
 やっぱりあんこ餅は、それほどうまいと思わなかったからかな。

 いつも思うんだけど、どうして彼岸って、春も秋も、甘いもの食べることになってるのかな。

 はなしズレルけど、新暦の春分の日と秋分の日は、昔のお彼岸と同じ日だったのかな。

遠くで聞こえる自分の内側

 陽が落ちると、あいかわらず虫の音がする。
 ためしにテレビを消してみると、もっとはっきり聞こえるな。

 そういえばきのうからかな、
 遠くを走る列車の音も聞こえるようになったよ。

 夜の色が、だんだん深くなっていく。
 遠くで聞こえる音が、からだの中でも同じように聞こえるみたい。

 自分のからだのうちがわで、
 何かあたらしいものが動きだしてるのも、わかるみたい。
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