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徒然のブログ

つれづれの思いなどを

痛風になったら健康になって、よかった

 先月の5月1日から玉子を一日一個食べるようにしたら、そのせいかどうかわからないが、筋肉がついてきた。その前はもやしっ子の体になってしまって、腹に力を入れても腹筋の幅が5センチしかなかったのが、6月に入ったら10センチの幅になった。太ももや腕の筋肉も、昔ほどではないけれど、太くなってきた。
 体脂肪率は、先月5月の初旬が20台だったのが、下旬になって19台になり、今月6月になったら18台になった。6月の中旬には17台の日もあったが、今月は18台で安定している。太ももや腕や腹を触ると、前より筋肉が増えている実感がある。
 6月1日の体重と今朝22日の体重は同じだ。6月になって体重は減らなくなっている。BMIは20台で減りも増えもしない。
 体重は同じで体脂肪率が減っているということは、筋肉の量が増えて、脂肪は減っているはずだ。
 でも、5月までは、修行中の釈迦の像みたいに、やせて、あばら骨が一本一本浮き出ていたのが、今はあばら骨が見えなくなっている。骨の上にかぶさっている脂肪が増えたのだと思うけれど、脂肪が増えれば、体脂肪率の数字が上がるか、体重が増えるかするだろうが、体重と体脂肪率の数字を見ると、脂肪の量は減っているわけだから、あばら骨が見えなくなったのはどうしてなのかはわからない。あばら骨の上の薄い脂肪はちょっと増えて、でも見えないどこかの脂肪がそれ以上に燃焼されたのかもしれない。
 顔の年寄りっぽさも減った気がする。あいかわらず、ひたいのシワとほうれい線は深いのだが、ほっぺたのたるみが少なくなった、ような気がする。鏡の中の自分の顔を見慣れただけかもしれないが。
 最近、ベッドの中で腹筋と背筋の簡単な筋トレをしている。朝目覚めたときと夜寝る前に、仰向けで、頭と背中を3センチだけ浮き上がらせて、十かぞえる。それを10回やる。そしてそのまま仰向けで、ひざを少し曲げてから、腰を3センチ浮かせて、十かぞえる。それも10回やる。
 座椅子に座っているときに、両足を伸ばして、片足を5センチ持ち上げて、十かぞえる。それを5回やる。片方も同じことをする。
 そのときに腹や尻や太ももの筋肉を触わってみると、固くなっているのがわかる。だから力は入っているのだし、運動になっているのだと思う。運動になっていれば、筋肉は鍛えられて、少しずつでも増えていくはずだ。
 何年か前から、坐骨神経痛で、腰から尻を通って太ももの裏側が痛かったのが、この春になって痛くなくなっている。暖かくなって血のめぐりが良くなったせいもあるだろうが、腹が凹っこんで、腰のS字カーブが正常になったからというのもあると思う。尿酸値が下がったのも効いているかもしれない。
 それもこれも去年の夏にひどい痛風になって、それから酒を止めて、肉と魚もほとんど食べず、野菜中心の食事で暮らしてきて、やせたおかげだろう。水も一日4、5リットル飲んで、おしっこを沢山して、たまっていた尿酸を体の外に出している。
 ということはひどい痛風が、健康にさせてくれたということだ。実際、今年の1月に受けた健康診断では、全部の数値は、健康体の範囲だった。その前は健康診断は受けなかったから、その時の数値はわからないが、それまでは肉や魚を毎日食べたいだけ食べ、酒も飲みたいだけ飲み、運動もしない生活をしていた。腹も出ていた。顔のシワはないかわりに、脂肪が体の表面にも、身体の内部の奥の奥にも、全身にこびりついていた。だから肝臓も血管も悪くなっていただろうし、尿酸値が上がって、尿酸結晶も体中の関節にたまっていた。
 痛風にならずに、自覚症状がなく、肉食とアルコールにひたる生活をそのまましていたら、何か痛風よりもっと悪い病気になっていただろうし、若くして突然死ということもあったかもしれない。それを考えれば、ひどい痛風になってよかったと思う。
 何より良かったのは、毎日酒を飲むのをやめた意志の力が、自分にそなわっていたのがわかったことだ。自分に自信がついたことだ。自分を肯定できる一つを見つけたことだ。

二日続けて酒を飲んでも痛風にならなかった

 今年の春に親戚のおじさんが死んで、コロナの騒ぎがあるから大がかりの葬式はしないと喪主が言ったから私も行かなかった。
 その代わりということでもないが、このあいだ四十九日の納骨の法要があって、行った。久しぶりに人間の骨を見た。そして、骨を手づかみで墓に入れた。
 その後、親戚と、お寺さんとで料理を食べた。昼食だったから私は飲まなかった。昼間から飲むと、夜に眠るタイミングがずれるから。それで仕出し料理の余ったのを家にもって帰って、その日の夜に、自分の家で焼酎を飲んだ。純アルコールで80グラム。日本酒換算で4合だ。たくさん飲んだ。
 次の日は実家の背の高い庭木を4本、電気チェーンソーで切り倒した。脚立に上ってチェーンソーを使って、一回だけ自分の太ももを切りそうになった以外は、安全に上手に切り倒した。充実感と達成感があった。だからだろう、酒を飲みたくなって、飲んだ。純アルコールで90グラム。日本酒換算で4.5合を飲んだ。
 二日目は飲みすぎて、何時に寝たか、また記憶がなくなった。だが翌日は、少し頭がボーッとするくらいで、二日酔いにはならなかった。
 去年の夏にひどい痛風になってから、初めて二日連続で飲んだが、体のどこも痛くならなかった。痛風は良くなっているんだという自信が着いた。
 だけれど良くないことは、三日目も飲みたくなったことだ。これはやっぱり酒を飲むことは、癖なのだと思った。癖を直すのは強い心が必要だ。

酒を沢山飲んでも痛風にならない自信がついた

 今日の昼に図書館から予約の本が用意できたというメールが来て、読んだら、明日から五月十日まで休むと書いてあった。コロナウイルスの緊急事態宣言が出たからだそうだ。明日から休むということは、今日は混雑してるだろうから、ウイルスが怖いから、本を取りに行かないことにした。手持ちの本を読んでいることにする。

 十日くらい前に、居酒屋に焼き鳥と串かつを持ち帰りで買ってきて、焼酎のつまみにした。新しく作ったクレジットカードの期間限定ポイントで、それは居酒屋しか使えないポイントで、でもコロナが怖いから居酒屋で飲み食いしたくないし、そのポイントをどう使おうかと思って考えて、そうだ、料理を持ち帰りで買えばいいと思い、居酒屋に電話して聞いたら、OKだというから頼んだ。
 夕方四時半に取りに行ったが、まだ時間が早いせいで客はいなかった。中年の女の店員はマスクをして出てきた。ちょっと安心した。もちろん私も花粉症の時期だからマスクをしている。イスに座って待っていてくださいと言われたが、ウイルスがイスに付いているのが怖いから、立って待った。一分くらいして奥から入れ物を持ってきて、渡してくれた。長居したくないから、すぐに店を出た。
 アパートに帰って、渡された入れ物を流しに置いて、手を洗うついでに、入れ物の外側に水をかけて、付いているかもしれないウイルスを洗い落とした。そして入れ物を開けて、焼き鳥と串かつを串から外して、どんぶりに移して、電子レンジにかけた。ウイルスは電子レンジにかければすぐに死滅するとネットに書いてあったから。念の為に二分くらいかけた。
 いつものように多めの人参やキャベツを電子レンジで蒸して食べて、ビタミン補給をして、そして尿酸を体の外に出しやすくするように、おしっこをアルカリ性にした。

 焼酎は沢山飲んだ。380ccも飲んだ。純アルコールで100g分だ。日本酒になおせば五合だ。ビールならば2.5リットルだ。焼き鳥にはレバーもあった。串かつにはエビもあった。レバーもエビもプリン体のかたまりだ。初めて痛風になってから食べないようにしてきたが、何年かぶりに食べた。プリン体が多い食べ物は、とても美味いものだったのだと思い出した。翌日は痛風にはならなかった。自信がついた。

 その翌週、このあいだだが、また焼酎を沢山飲んだ。420cc、純アルコール分で110gも飲んだ。日本酒なら五合半、ビールなら2.7リットルだ。つまみは鮭を二切れ、野菜と一緒に電子レンジで蒸した。これも美味しかった。他に、おでんと、レンコンの野菜天ぷらを買ってきて食べた。
 今度は飲みすぎたのだろう、次の日の朝、少し二日酔いになった。頭がぼーっとしている。何年ぶりかに二日酔いの感覚を味わった。
 でもこの間もその前も、沢山飲んだのに、飲み終わったときはあまり酔わずに、もっと飲みたいと思ったくらいだった。だけど飲み過ぎは痛風がぶり返すと思い、我慢してやめたのだ。
 この間飲んだ次の日の午前中に背中の左側、脇腹の近くが痛くなった。その日の夜には痛みは消えたが、たぶん軽い痛風だったのだろう。
 だけれど、このくらいの量は、去年までは毎日ふつうに飲んでいたのだ。つまみもいっぱい食べていたのだ。それがひどい痛風になった原因なのだが。

 二週つづけて沢山飲んで、沢山飲んでも一日だけならひどい痛風にならない自信がついた。親戚の葬式や法事に呼ばれても、酔わずに沢山飲める体に戻った自信もついた。でも最近はコロナウイルスのことで葬式も法事もしないか、しても長い時間の会食はしないだろう。
 そして、二週つづけて沢山飲んだから、次に飲むときは少なめに飲むことにする。

夜中に何度も目覚めておしっこをしている

 今朝起きたら左のひざが痛くなっていた。ぶつけたわけでもないから、痛風かもしれない。初めて痛む場所だ。だが昨夜は酒を飲んでいないし、プリン体が多いものも食べていない。ちょっと仕事で大きいストレスがあったから、精神的な原因で痛風になったかもしれない。お客さんの外壁工事の足場組み立ての時に、隣の家の人との関係でトラブルがあったのだ。それとも前日の夜にインスタント塩ラーメンを食べたからかもしれない。
 ※翌日に追記
 左ひざの痛みは当日の夕方には少なくなって、杖なしでも歩けるようになった。でも曲げたり伸ばしたりすると痛んだ。眠って、夜中でもかすかに痛んだ。翌日の朝起きたら痛みはなくなっていた。
 ※

 去年の夏にひどい痛風になってから、夜中におしっこをするために何度も起きる生活をしている。一時間半か二時間おきに尿意で目覚めてトイレに行く。おしっこをするたびにコップいっぱいの水を飲む。出した分だけ体に入れるという感じだ。
 尿酸を体の外に出すために、水をたくさん飲んで、おしっこを何回もしているの。眠る前にも水を飲むから、夜中に目を覚ましておしっこをする。
 夜中におしっこをするのは面倒くさい。冬の寒い時期は夜中にズボンとパンツをおろして便器にすわるのは、お尻とももが冷たくて寒い。体もとても寒い。夜中に何度も起きるからぐっすり眠ることができない。
 眠る2時間くらい前からは水を飲まなければ夜中におしっこは出ないだろう。でもそうすると夜中の尿酸値が高くなる。
 夜中におしっこをしないで楽をすることと、尿酸値が高くなって、また痛風のリスクをかかえるのと、どっちを取るかだ。
 尿酸値が高くなるのは困る。だから我慢して、夜中に何度も起きておしっこをするほうを取る。
 1月下旬に受けた健康診断の尿酸値は5.0だったから、このペースで行けば来年の年末には体の中の尿酸結晶は溶けて無くなっていると思う。あと一年と九ヶ月だ。
 赤ちゃんを産んだばかりのお母さんもそんな感じだったのだろうかと思う。
 でも赤ちゃんが夜中に泣いてお乳をせがむのはいつ頃までなのかネットで調べたら、七、八ヶ月くらいまでだそうだ。でもそれを過ぎても、赤ちゃんは夜中にオムツを濡らして泣いたりするだろうから、お母さんは起きてオムツ換えをするだろう。
 赤ちゃんを産むお母さんは若いだろうから夜中は眠いだろうけれど、私はもう年だから夜中に目覚めやすいのもある。
 夏場の暑い時期は扇風機の2時間タイマーが止まるたびに暑さで目覚めてタイマーをセットした。そのことを思ったら夜中に何度も目覚めるのはいつものことかもしれないと思った。

尿酸値が5.0だった。

 先月の下旬に、個人事業主が500円でやってもらえる新潟市の健康診断を受けて、採血されて尿酸値を測ってもらっていた。それが今日、結果が郵送された。恐る恐る、でも期待もこめて健康診査結果の紙の、尿酸値の行を見たら、5.0と書いてあった。低すぎる。書き間違いじゃないかと思った。ネットで痛風のブログをいくつも読んでいたが、すべてのブログ主の、痛風の三、四ヶ月後の尿酸値は6台だった。尿酸値を下げる薬を飲んでいてもだ(そしてその人たちは全員酒をやめなかった)。7以上の人もいた。5台になったという人はいなかった。だから私も、自分の尿酸値は6台の後半だろうと思っていた。
 でも、去年の夏のひどい痛風から、徹底した節制をしてきたから、5.0という数値も妥当な数値なのだと思い直した。他のいろいろな検査数値も正常の範囲内だった。だって痛風後は酒はピタッとやめたし、野菜がほとんどの食生活で、アルカリ性食品をたくさん食べているし、それも強いアルカリ性食品のこんにゃくを毎日食べているし、ご飯も昔の半分くらいしか食べてないし、豚肉はあれから食べていない。鶏肉も牛肉もだ。魚もほとんど食べない。肉類は毎日ウインナー2本だけだ。あとはたっぷりの人参、大根、キャベツ、玉ねぎ、ジャガイモ、ピーマン、小松菜、ワカメ、とろろ昆布、そしてバナナだ。低脂肪牛乳を一日朝晩で合計400cc飲み、そして一日4リットルから5リットルの水を飲み、おしっこを沢山出してきた。これを四ヶ月間つづけたのだから、体の中の尿酸も減ったのだろう(水を一日5リットルは飲み過ぎだろうし、おしっこも出しすぎだろうから、これからは一日3リットルくらいにする。夏場は汗で水分が出るから、また5リットルくらいに戻すかもしれない)。
 酒は先月から一週間に一度だけ、一回に純アルコール量で25グラムくらいだけ飲んでいる。焼酎で120ccだ。飲んだ翌日と翌々日は少し腰が重だるくなる。左足の土踏まずがチクチクすることもある。だからまだ体の中には尿酸が沢山残っているのだろう。関節や筋肉にたまっている尿酸結晶を溶かしているのだろう。
 それから尿酸値が落ちた理由は、やせたのが良かったのだろう。体重計を買ったのが去年の11月だから痛風前の体重はわからないけれど、11月から二ヶ月間で4キロ減っている。痛風前からなら10キロは減っているだろう。腹が減っこんで、ベルトの穴が10センチくらい短くなった。
 しかし尿酸値が5.0ということは嬉しい。痛風になった時の尿酸値を測っていないからそのときの数値はわからないが、確実に治ってきている感じはする。体が軽くなった感じもする。体の中がさわやかになった感じが、自分でわかる。
 そして、薬を飲まないで、食生活だけで、尿酸値が5.0になっているのは、自分でも自分は頑張ったなと思う。

 去年の梅雨から夏は親戚に葬式が重なって、本家の法事もあって、そのたびに酒をいっぱい飲んで、おいしいものをたくさん食べて、ビールも何本ももらって、アパートに持ってきて飲んで、自分でも発泡酒を買って毎日飲んで、肉も豚肉も鶏肉も牛肉も毎日沢山食べて、そうしたら夏の終わりの9月8日のまだ暑さが残る、眠りながら汗をかいていた夜中に、右ひざにガツンと痛風が来たのだ。そうして右半身全体が痛くなって、動けなくなって、一週間くらい寝込んだのだ。
 その激痛と苦しみが、四ヶ月間の節制をさせた。今の食生活を、2020年、2021年と二年間続ければ、体の中にたまっている尿酸塩結晶を全部溶かして、痛風とおさらばできるだろう。そうしたら、焼肉を沢山と、ビールを3リットルくらい飲みたい。
 でもその頃は酒は弱くなっているだろうし、沢山の肉は体が受け付けなくなっているだろう。今だって焼酎120ccを飲んだだけで顔が赤くなるようになったのだから。

眠るときも手袋をしている

 今年の冬は部屋にいるときは手袋をしている。軍手だ。パソコンのキーボードを打つ時は指無しのをする。軍手の暖かさに慣れてしまうと、指無し手袋の第二関節から先が出ていると寒い。でも軍手の指は自分の指の長さよ7ミリくらい長いから、指先の布があまって、そこがキーを打つときに邪魔になって二つ一緒に打ってしまうのだ。だから指無しを使うことになる。ギターを弾くときも指無しを使う。バレーコードをすると弦に手袋が当たるけれど、気にしない。携帯電話を使うときは軍手の親指だけ脱いでボタンを押す。

 今年の冬は雪も降らないし、生まれてから今まで初めての暖かさなのだけれど、人生の中で一番手足や指先が寒い冬だ。それは去年の秋に痛風で一週間寝込んで、体の筋肉が落ちてしまったからだろう。だから体温が低くなったのだと思う。痛風発作が治ってシャワーを浴びたときに、自分のももやふくらはぎを見たらとても細くなっていて、いびつに見えたのを思い出す。
 今は少しは足の太さは戻ったけれど、運動をしているわけではないから筋肉量はそれほど増えてない。それに痛風は激しい運動はいけないらしい。筋肉を激しく動かすと尿酸がたくさん出るからだそうだ。プリン体を摂取しないように肉も魚も食べないようにしている。タンパク質をほとんど取らないのだから、筋肉はつかない。仕方がない。

 この間久しぶりにカツオの刺身を食べたら軽い痛風になった。酒も飲んでいないのに。
 小さい柵を買ってきて、それでも食べすぎないように120グラムだけ切って食べたら、翌日の昼過ぎに右足の外側、土踏まずの反対側が痛んだ。そこは初めて痛む箇所だった。そのうちかかとまで痛みが広がって、歩きづらくなった。それから首の後ろの骨の尖ったところが少し痛んだ。左肩の骨の尖ったところも痛んだ。尻の右側の骨の尖ったところも痛んだ。痛みは二日間でおさまったのだが、酒を飲んだり刺身を食べると、翌日から翌々日に軽い痛風が来る。
 カツオはプリン体が多いから痛風には良くないといわれているけれど、でもカツオには尿酸を体から排出させやすくする成分が最近見つかって、その成分を使ったサプリメントが売っているとネットで出ていたから、実験の意味でも食べてみたのだ。
 もしかしてカツオを食べたせいで尿酸値が下がって、だから関節の中の尿酸結晶が溶けようとして剥がれかけて、そのはがれた結晶に白血球が反応して、軽い痛風になったのかもしれないが、逆にカツオを食べて尿酸値が上がり、尿酸結晶が増えて、軽い痛風になったのかもしれないし、本当のことはわからない。

 これを書いているのも指無し手袋をはめてキーボードを打っている。ネットで調べたら、キーボードを打つときに使う、電気で手の甲を温める指無し手袋というのを見つけた。でも小さめで女の人用らしいから買わなかった。
 そして眠るときも軍手をはめて寝ている。暖かい。もう手袋をしないで眠ることはできなくなった。それに今年はあんかと一緒に十年ぶりに電気毛布も使っている。

毎日体重を測っている

 昨夜十日ぶりに日本酒を飲んだ。先回より多くて500cc飲んだ。
 そうしたら今日の昼間、右の足首が少し痛んだ。右ひざの下の出っ張りもチクチク痛みを感じた。また痛風がぶりかえしたのじゃないかと心配したが、夜には痛みは無くなったから、ホッとした。

 そして昨日からこんにゃくを食べている。アルカリ性食品を食べて、おしっこをアルカリ性にして、尿酸をおしっこに溶かしやすくして、体の外に出すためだ。アルカリ性食品は痛風になってからは意識してたくさん食べている。それが一昨日ふと、こんにゃくはアルカリ性食品だよなと思って、ネットで調べたが、こんにゃくはアルカリ性食品らしいけれど、断言しているサイトは無い。アルカリ性食品は野菜ばかりが載っている。もしこんにゃくのアルカリ性食品の度数がとても低くても、痩せるために食べ物のかさを増してご飯の量を減らせるだろうから、悪くないだろう。
 だからこれから、こんにゃくを一日半分ずつ食べようと思う。板こんにゃくを八つに切って、電子レンジで3分間下ゆでして、お湯を捨てて、めんつゆをかけてまた3分間温めて、昨夜はそれを酒の肴にした。これからそれを朝食に二切れ、夕食に二切れ食べることにする。

 先月に中古の体重計を買って、毎日測っている。それをパソコンの日記に記録している。太り気味だが体脂肪率もBMIも何とか正常値に収まっている。あと数字が0.2上がると肥満体の数値になるギリギリのところだ。
  買った中古の体重計は、体脂肪率もBMIもはかることができる。BMIとは何だろうと思ってネットで調べて知った。
 九月に痛風になった後に禁酒しているから、ずいぶん腹がへっこんで、体重も体脂肪率も減っているのは確かだ。だがその頃は体重計など持っていなかったし、それほど痩せることにも興味はなかった。でも痩せなければまた痛風になる可能性が高いのだから、それで体重計を買って、毎日測って、記録して、今のところどんどんとは痩せないけれど体重は増えないでいるから、それを楽しみに、あまり沢山食べないようにして太らないようにしている。今のところそれは順調にいっている。

二ヶ月半ぶりに酒を飲んだ

 痛風になってから二ヶ月半禁酒していたが、昨夜日本酒を飲んだ。
 酒を飲まないことに慣れてしまって、それほど飲みたいとも思っていなかったのだが、痛風になる前の夏に買っていた日本酒のパックが、封を開けないままあって、捨てるのももったいないから飲んだのだ。
 そして一昨日冬タイヤに交換し終わって、当分重いものを持つ予定がないから、酒を飲んでまた痛風になっても仕方がないと思ったのだ。
 200ccのマグカップに日本酒を六割入れて、水を四割入れて、フタをして電子レンジでお燗して飲んだ。それを三杯飲んだ。酒は120ccかける3で360cc、二合分だ。
 一杯目を飲んだときに、早くも少し酔った、ほろ酔いの気分を思い出した。いい気分になった。二杯目もいい気分は続いた。でも三杯飲んだら、どうしてなのか酔いは冷めていた。二杯で止めておいたほうがよかったと思った。
 禁酒する前は、そこから五、六杯は飲んでいたのだが、それ以上飲まなかったのは、自分でもいい子になったなと思った。でもそのとき飲まないという気持ちになれたのは、単にそのとき酔いが冷めたからだと思う。
 日本酒を飲むからと、ブリとマグロの刺身を買ってきた。三ヶ月ぶりの刺身だ。まあまあ美味しかったが、100グラム398円の安くはないブリはまだ脂は乗っていないように感じた。もっと寒くなったら、もっとうまくなるのだろう。
 翌朝に足が痛くなって歩けなくなってもいいように、ベッド脇に杖とギターの台を置いて寝た。
 夜中の一時過ぎにおしっこにトイレに行った時は痛くなかった。
 今朝目が覚めたときも足は痛くなかった。普通に歩いてトイレに行けた。それほどの量は飲まなかったからだろうし、二ヶ月半も飲まなかったのだから、ちょっと飲んだからといって急に痛風にはならないのだと安心した。
 痛風がぶり返さないように、酒を飲む前に、飲むヨーグルトを200ccと、水を沢山飲んでおいた。酒を飲んだ後も飲むヨーグルト100ccと水を沢山飲んだ。それも良かったのだろう。水と飲むヨーグルトとコーヒー牛乳は毎日沢山飲んでいる。牛乳の中のカゼインというたんぱく質の一種が、体から尿酸を排出するのに良いのだそうだ。水は一日2、3リットル飲むから、おしっこも何回もしている。尿をアルカリ性にするために野菜をたっぷり食べている。ワカメも毎日食べている。
 次に酒を飲むのは年末か正月にする。

内臓脂肪が減っている

 今夜サンマを焼いて食べた。美味しかった。前はサンマを食べる時は二匹食べていた。でも痛風になってからは一匹だけにしている。それでもやっぱりうまい。
 二ヶ月間粗食の少食で過ごしてきたから、サンマ一匹でも満足できるようになった。でも焼く手間は一匹でも二匹でもそれほど変わらないのだが、一人で生きているから一匹だけ焼くことになるのは仕方がない。
 さっきサンマのカロリーをネットで調べてみたら、一匹で350キロカロリーもあるそうだ。それを、食べる時は二匹も食べていたのだから700キロカロリーだ。サンマ二匹で足りずに他にも何か食べて、毎日そういう食事に、ビールや焼酎をたくさん飲んで、そのカロリーが加わるのだから、太ったわけだ。
 それなら痛風になるのも当然だ。でも世の中を見ると、私よりもっと太っている男はいっぱいいる。いかにも大酒を飲んでいそうな男もよく見る。でもしかめ面をしながら足を引きずっている男は見ない。まあ痛風発作のときに外を歩かないだろうけれど。
 私のズボンのベルトの穴は、二ヶ月前より7センチ短いところになった。仰向けになると、若い時のように腹がへこむ。内臓脂肪が少なくなっているのだろう。うれしいことだ。この調子で年末まで禁酒と粗食少食でいく。

痛風になって酒を断っている

 9月8日にひざの痛風になってから酒を飲んでない。もう一ヶ月半、アルコールを体に入れていない。
 飲みたいと思わなくなったのを自分で驚いている。だがときどき夕方になると、俺の人生は酒を飲まない人生でいいのかと自分に問いかけることもある。それでいいと思うときもあるし、飲みたいと思う夕暮れもある。
 だけど酒の味はもう忘れたような気がする。ほろ酔いの気分は思い出せる。ふらふらになるほど酔っ払うということは若い時に何度かあっただけだった。もともと酒に強い体質だからいくらでも飲めたのが痛風になった理由だろう。それに四十代から五十代後半の今まで、食べたいものは肉でも魚でも食べたいだけ食べてきたのも悪かった。腹いっぱいになったから飲むのと食べるのをやめる、その時点まで飲み、食べる、ということを毎夜くり返してきた。それじゃあ痛風にもなるだろう。
 それは自分の体が、もうこのままの生活では私の身体は持ちません、と悲鳴を上げたのだろう。このままの生き方ではお前は死ぬぞ、と警告したのだろう。もうお前は若くはないのだよ、と教えてくれたのだろう。痛風になったことは、あなたはこれからは生活を、いや生き方を変えなさい、と導いてくれているのだろう。

 ひざが痛くて寝たきりになっていたときに、痛風のことをネットで勉強した。長くなるし、ネットで調べればわかることだからここでは詳しく書かないが、痛風という病気は完治しないそうで、それは尿酸値が高くなるのは遺伝的な体質が関係しているからで、それでも痛風を治すためには、尿酸値を下げる薬を飲んで、酒はアルコール摂取量で一日20g以内(日本酒なら一合以内)にして、休肝日を週二日以上作り、、肉や魚は控えめにして、特にレバーなんかのプリン体が多い食べ物はできるだけ食べないようにして、野菜をたっぷり食べてアルカリ性の食品を摂って、水を一日2リットル以上飲んでおしっこをたくさん出して、ということだそうだ。
 そうして痛風の薬を飲みつづけて尿酸値を5.0mg/dl台におさえながら、節制した食生活をすれば、体中の関節にたまった尿酸結晶は2年くらいで溶けて無くなるそうだ。だけれど、私は薬は飲みたくないから飲まない。注射が死ぬほど嫌だから血液検査はしない。だから自分の尿酸値はわからないが、たぶん今は下がっているだろう。この生活を続ければ、2年したら私の関節の中にたまっている尿酸結晶は無くなっているだろう。

 酒を飲まないだけでなく、食べるものも粗食になった。朝はご飯と納豆と大根の浅漬けで今までとそれほど変わらないが、昼はバナナ2本と塩とヨーグルトかコーヒー牛乳、夜はご飯と、たっぷりの野菜を電子レンジで蒸したのと親指大のウインナー2本だけだ。乳製品にはカゼインというたんぱく質があって、それが尿酸をおしっこに出しやすくするそうだし、バナナと野菜はおしっこをアルカリ性にするそうで、おしっこがアルカリ性になると血液の中の尿酸が、腎臓でおしっこに溶けやすくなって、体の外に排出しやすくなるそうだ。昆布もアルカリ性で良いそうで、とろろ昆布を毎日少しずつ食べている。だが昆布を沢山食べすぎると甲状腺の病気になりやすくなって体に良くないらしい。そしておしっこの量を多くするために毎日2リットルから3リットルの水を飲んでいる。一日何回もおしっこをしている。
 食生活だけでなく、生きるということの考え方も、今までのような突っ走るだけでないやり方に変えていこうと思っている。
 でも年末と正月には、脂の乗ったブリの刺身と日本酒を楽しみたいとたくらんでもいる。豚肉とキャベツとニンニクの炒めたのと第三のビールや焼酎も飲みたいと思っている。そのときは、肉も魚も酒も、量は少しだけにするつもりだけれど。

ひざの痛風になった2019年9月

 9月8日に、五年ぶりに痛風になった。もうならないと思っていたが油断していた。
 前日の7日の夜に豚肉を400g、長ネギと炒めて一気に食べて、濃い焼酎のレモンジュース割りを5杯飲んだのが引き金だった。そして夜中じゅう扇風機の風がひざに当たっていたのが悪かった。
 だから痛風が初めてひざに来た。右ひざの周りがふくらんだ。立てないし、あるけないから、食事と排泄以外は寝たきりになった。前は四、五日もしたら痛みはなくなったのだが、今回は痛みが引くのに十一日間かかった。
 痛風発作の前兆の、鼻の両脇や耳の後ろ、金玉、おしっこが酸っぱ臭くなることはなかった。だから肉をたくさん食べて酒もたくさん飲んでいた。

 米と野菜がなくなったが、外に出られないから部屋にある缶詰やレトルトおかゆやうどんの乾麺で食いつないだ。
 やっと19日に買い物に出て、米と野菜をたくさん買ってリュックサックと肩かけバッグに入れて、杖をついて運んだ。
 まだ右ひさは少し傷むが、杖を使えば歩けるようになった。
 酒は十五日間飲んでいない。二十代真ん中で酒を飲み始めてから初めての長期禁酒だ。
 痛風はもうこりごりだ。だから今までのたくさん食べて、たくさん飲む生活をやめる。休肝日も作る。肉は少なめにする。

右の手の指が動くようになった

 動かなかった右手の指が動くようになったからキーボードを打ってみる。
 まだ痛いが、右の手首もひじも肩も普段の五割くらいは動くようになった。
 指だけは痛くないし、普段の八割くらい動くようになった。
 右ひじは九十度も曲がらないから、手で箸を持っても口まで届かない。手首も満足に動かないから、なおさら箸の先は口の方向に来ない。
 でも今夜は痛いながら手首とひじをむりやり曲げて、首を突き出して、箸を口に届かせて食べた。今日の昼食までは左手で食べていた。
 医者からもらった薬を飲んでいるから酒を飲んでいない。薬のせいなのか飲まないでも眠れる。

 昨日の十一日は車を運転できた。だからゆっくり走ってお客さんの家に打ち合わせに行った。作業はまだ当分できそうにない。

首の右側が痛くて曲がらなくなったこと

 昨日5月30日の昼過ぎから焼酎を飲んで早めに寝たら、今朝起きたら首の右側が痛くて曲がらなかった。
 寝すぎなのだろう。右を下に寝たままの姿勢で寝すぎたからだと思う。
 痛いけれど自分の代わりもいないし仕方がないから作業に行って、痛いまま体を動かしていて、何度か横になって体を休めながら仕事をした。
 帰ってシャワーを浴びてビールを飲んでいるが、首の右側が痛いのはそのままだ。
 そういえば昨夜は急に暑くなって布団をやめて毛布だけにした。それも夜中に肌寒くなったのが体に悪かったのかもしれないが、暑い夜で布団だと、布団をはだけてかえって寝冷えするだろう。だから毛布のほうがいいだろうと思う。そして今夜も毛布だけで寝る。
 でもたぶん首が痛いのは、このごろ体を無理に動かす仕事をしているからだと思う。昼間でも何回か休憩をとって横になることが大事だと思う。

 ※6月3日に追記
 6月1日と2日に作業をしたから、いや業者さんの作業の現場監督をしたのだけれど、でもつい手を出して重いものを運んだり、手を動かしたりした。だから首の痛みは治らなかった。
 6月3日は買い物やちょっとした作業に行こうかと思ったが、首を休めるために一日休んだ。
 ベッドで横になっていた。小さい頃から右を下にして横向きに寝ることがおおかったが、そうすると首の右側が痛いのがさらに痛い。ベッドの横に置いているパソコンのモニターを見ながら寝るのだけれど、とうぜん左向きに寝るとモニターは見られない。右向きに寝るのが95パーセントだ。それが首の右側の痛みの原因だと思うが、右手や右肩や腰の悪いことが首の右側に出たのだろうとも思う。
 今日一日ベッドに横になっていたから、だいぶ首の右の痛みは減った。明日晴れるようだからオートバイに乗りたいのだが、乗っても2時間くらいにしておく。

また坐骨神経痛になった2017年5月と子連れ狼

 また坐骨神経痛になってしまった。
 五月七日の日曜日にオートバイで8の字を三時間も回ったからだ。馬韓なことをしたものだ。なぜ三時間も8の字を走ったかは話せば長くなるから書かないが、根本は私の決めたらとことんやってしまうという性格のせいだ。馬鹿な性格に生まれついたものだ。
 次の日から尻にかすかな痛みがあって、我慢しながら、だましだまし生活していた。そして一週間後の五月十四日の日曜日に、朝からパソコンで事務作業をして、午後三時ころから子連れ狼の動画を見た。夜寝るまで焼酎を飲みながら見続けた。胡坐をかいて酒を飲んで座った姿勢のままで見続けた。
 翌日目が覚めたら尻がビリビリ痛かった。体温も上がっていた。計ったら37.5度だった。
 それから月曜日、火曜日と尻がもげるほど痛みにうずいた。左の尻のほうが痛かった。去年の年末のときは両方の尻は同じくらい痛かったのだが、今回は左側が8、右側が2の割合で痛んだ。
 酒を飲むのは痛みには悪いだろうと思い、月曜日と火曜日は飲まなかった。水曜日の朝は痛いけれど何とか歩けるようになった。それでお客さんのところに作業に行った。業者さんと打ち合わせもした。それで嬉しくなって夜焼酎を飲んで寝た。
 今日木曜日の朝は、痛かったけれど歩けないほどではなかった。午前中、事務仕事で半日胡坐をかいてパソコンを使った。昼から仕事のお使いに外に出た。杖を持って出た。杖をついて歩くのは面倒くさい。杖を持っているのを忘れて、つい痛いのに小走りになることも多い。それで左の尻に痛みがビリッと走って、ああ杖を持ってきたんだ、杖をつこうと思い出した。
 今夜、また子連れ狼を見ながら刺身を食べながら日本酒を飲んでいる。明日、もっと良くなっていればいいが。

 子連れ狼を初めて観ている。昔からほとんどテレビを見ない生活をしてきたからだ。そして拝一刀の思いに共感する。拝一刀は俺だというくらいに思ってしまう。拝一刀は私と同じ一匹狼だからだ。そして自分を厳しく律しているからだ。
 子連れ狼のドラマは人気があったらしいが、世間の人間たちは長いものに巻かれる人間がほとんどだから拝一刀の心境がわかるわけがないのに、子連れ狼が人気があったのは解せない。そして拝一刀は、約束を守るということを自分の思想の根本の一つにしている。世間の人間たちは心の底で、嘘をつくことも仕方がないと思っていて、約束を守ることなどほとんどないのに。
 人間というのは普段はちゃらんぽらんに自分勝手に生きているが、無意識の中に芥子粒くらいの大きさで、約束を守りたいとか、一人だけでものごとを成し遂げたいというような願望があるのかもしれない。その一人ひとりの目に見えないほどの小さい願望が子連れ狼の人気をささえていたのかもしれない。
 私は子連れ狼を観ているときは、坐骨神経痛の痛みは忘れている。

 ※五月二十日(土)に追記
 五月十八日の朝目覚めたら尻の痛みは感じなかった。うれしくなって作業と打ち合わせに行ったら、夕方にはまた痛くなった。でも焼酎を飲みながら子連れ狼を二回観て寝た。
 次の日十九日の朝も尻の痛みは感じなかった。仕事の約束はなかったから昼からパソコンで事務仕事をして座りっぱなしだった。夕方からまた焼酎を飲みながら子連れ狼を三回観て寝た。尻を圧迫してしまったから明日の朝が怖かった。
 二十日の朝は尻の痛みはほとんど感じなかった。そろそろいいだろうと思ってオートバイに乗った。昼前から一時間と、昼過ぎから四時間乗った。それでビールを飲みながら書いている。バイクから降りたときは尻はすこし痛かったけれど、胡坐をかいている今は痛くない。これから子連れ狼を二回観て、ラジオを聴いて、寝ようと思う。
 明日の朝痛くなかったら、バイクで遠出する。

 二十一日にバイクに乗ったら、次の日の朝、すこしだけ尻は痛かったが、昼になったころは痛みは消えていた。
 二十二日、二十三日は、尻のことを思い出すとかすかに痛みを覚えただけだった。
 二十四日にはもう尻が痛んだということも忘れていた。

 今回の坐骨神経痛は、七日(日)のバイクの無理な乗り方でなった。それから一週間はチクチクとした痛みだけだったが、それが痛みのピークは十五日(月)に来た。十五日(日)に一日中あぐらをかいてパソコンを見ていたからだろう。それで尻を圧迫してしまったからだろう。十五日、十六日、十七日の三日間は歩けないほど痛んだが、十八日からは痛みは減ってきた。それで二十二日(月)にはほとんど治った。
 歩けないほどの痛みは三、四日間だけだった。その後三、四日間も少し痛んだが、それで痛みは感じなくなった。
 そういえば十五日(月)から二十日(土)まで、毎日尻に使い捨てカイロを貼って過ごした。お灸のつもりだった。それも効いたと思う。血行が良くなるのだから。そうして暖かい日がつづいて体の中の血流も良くなっていたから、治るのが早かったのだろう。

 これからはもう体の無理はしないことに決めた。
 それで五十を過ぎているのに、青春が終わったと思った。

尻の痛み

 先月坐骨神経痛というのになりそうになったが、二ヶ月間自己治療して少し良くなった。
 去年十二月の初旬に尻の穴の周りがチクチク痛くなった。火傷したみたいな痛みで、その何日か前に実家に行ったときにホットカーペットに座っていて尻の穴まわりを火傷したのだろうと思った。
 でも鏡でそこを見ても赤くなっていない。そして一週間くらいしてまた実家に行ったら、尾てい骨が猛烈に痛くなった。立っていられないくらい痛いから、家の中の片付けも掃除もしないでベッドで半日横になっていた。ベッドマットが固めなのだが、仰向けに寝ていると尾てい骨が痛くて、横に向いて寝ていた。それまではベッドマットの固さは丁度良かったのに。
 一日たつと尾てい骨の痛みはおさまったから、少し物を片付けて、新潟市に戻った。そうしたらその夜また尻が痛みだした。尻の肉がというより尻の筋肉が痛みだして、立っていられないくらいに痛くなった。
 ネットで調べたら坐骨神経痛というのがあって、それは治らない病気というか怪我で、上手に付き合っていかなければならないらしい。一番に思ったのは、これでもうオートバイに乗れないのかということだった。
 尻を着いていると痛いから胡坐をかけないし、椅子に座れないから、朝食を食べるときはキッチンの流しで毎日立って食べた。食べおわったらすぐにベッドに横になってじっとしていた。一月は仕事は少ないからよかった。
 立っているときは尻はあまり痛くない。でも寝転ぶと痛いのだ。そして息を吸うときに尻に痛みが走る。呼吸をしないわけにはいかないから、できるだけ力を入れないで息を吸うようにした。
 三日くらいそうやって横になっていたら尻の痛みは減った。一月は仕事は少ないけれど、予約を受けている仕事もあるから、お客さんのところに行った。作業のときは気が張っているから痛みはそれほど感じないが、帰りの車から降りると、とたんに尻の肉が痛んだ。
 実家にまた行く用事があって行ったら、その夜に激しく尻が痛んだ。それでわかった。二時間も運転してシートに尻を圧迫しているから尻が痛くなるのだと。寒さと圧迫で尻の筋肉の血の巡りが悪くなって、尻が痛くなるのだろうと。
 次に実家に行くときに、尻の両側と腰に使い捨てカイロを貼って暖めて、信号で止まるたびに腰と足と上半身を動かして血行を良くした。足元に温風を出して足から暖めた。それまでは日本酒やジュースを助手席の床に置いて運転していたから、それらが温まらないように温風は出さないで走っていたのだ。でも坐骨神経痛にはかえられない、酒もジュースもすこしぐらい温まっても仕方がない、ヒーターを一番熱くして温風を足元に出しながら走った。
 そうしたら二時間車で走って実家に行っても、尻は痛くならなかった。やっぱり冷えと尻の圧迫が悪かったのだ。その前に、列車に乗って眠るときに使う首まわりに巻く枕を百円ショップで買って、シートに置いて、その上にクッションを置いて座って運転した。U字型の枕のUの上の切れ目を尾てい骨の下にするようにして、尾てい骨に圧迫しないようにして運転した。それも良かったのだろう。クッションは低反発のだが、低反発は皮膚を圧迫すると思うから血行には良くないと思うが根拠はない。
 それから毎日朝起きたら昨日の使い捨てカイロは冷えているから、新しい使い捨てカイロを腰に二つ貼って過ごしている。そうしたら尻はあまり痛くなくなった。右の尻だけときどき少しだけ痛いときもあるが、我慢できる痛みだ。
 このまま養生していけば、春になったらオートバイに乗れると思う。安心した。
 今日、お客さんに尻の痛みのことを言って、尻に貼ったカイロに手を触らせた。おばあさんのお客は笑った。

 追記。二月二日に書いている。
 一月二十九日(日)には右の尻の痛みもなくなった。一日座っていても尻は痛くなくなっている。坐骨神経痛も治ったらしい。このまま養生していけば、春になったらオートバイに乗れるだろう。安心している。
 それでもずっと尻と腰の間くらいの位置に使い捨てカイロを貼って過ごしている。春になる暖かくなるまで念のためにカイロは毎日貼りつづける。いや春を過ぎてもカイロは貼りつづけたほうがいいと思っている。だから使い捨てカイロを買っておこうと思っている。

窓を閉めたか、火を消したか、このごろ強迫神経症になっている

 この二ヶ月くらい、お客さんの家から帰って、窓を閉めないで雨が吹き込んだのじゃないかとか、水道の蛇口を閉めないで水を出しっぱなしにしているのじゃないかとか、ガスレンジの火を消さないでお客さんの家を火事にしたのじゃないかとか、夜も眠られないで過ごしていた。
 リフォーム現場や空き家管理での窓の閉め忘れや蛇口の閉め忘れ、家事代行の家のガスレンジの火の消し忘れ、そういうことを心配しながら毎日、夜をもんもんと過ごしていた。
 それは、自分を信じられなくなっているのだろう。今まで若くて頭も切れて、弁も達って、運動神経も鋭くて、細かいことに気を配れていたのが、年を取った自分を自覚して、喋ろうとしてもいつもどもってしまって言葉が出なくなり、忘れっぽくなって今まで何をしていたのかわからなくなることがあって唖然としてしまうことがあり、いつも腰やひじや腕や足の付け根が痛くて、瞬発力もなくなっているし、長い時間体を動かすのがいやになっているし、もともとのド近眼にくわえて近くのものが見えなくなっているし、動体視力も弱くなっている、そういう自分を自分でわかっていて、自分を信じられなくなっているのだろう。それは強迫神経症というものだろう。おれは高所恐怖症だし、暗いところが怖い症候群だし、病的な完ぺき主義者だし、病的に喧嘩好きだし、絶対に争いには負けないと自分に誓っているし、そういう意味で何かの神経症だろうと自分を自分で思っているし、だからおれは自分は神経症のデパートだと思っているから、いまさら驚かないのだが、強迫神経症だけは格好悪いと思っていて、なおさら自信喪失になっていた。
 遠くの町の空き家管理の家にたびたび行って窓を閉めていたか見に行ったり、家事代行の家に、炊飯器に残っていたご飯を冷蔵庫に入れたのを奥さんに言わないで帰ったのを報告に行くことを口実に、報告しなかったお詫びのしるしだとスーパーで98円の桃ゼリーを買って持って行って謝って、そのついでにガスレンジを見ようと思うのだが、何故だかお宅に入るのが失礼だと思って入れずに玄関で桃ゼリーを奥さんに渡して、結局ガスレンジの火を確認することはしないで帰って、また夜を眠れないでもんもんと過ごして朝をむかえることになっていた。
 二日たってインターネットの新潟市の消防情報を見てもその家の住所の火災情報がないからガスレンジは消して帰ったのだと思う。火を消さないで帰ったとしたら苦情というか文句の電話が来ているだろうけれどそういう連絡もない。だから根拠のない心配をしていただけだったのだ。
 遠い町の空き家管理の家にも、窓を閉めないで雨が吹き込んだのじゃないかと心配で、このあいだ車をとばして行って、中に入って家中の窓を調べたが、閉まっていた。
 リフォーム中のマンションの窓を閉めないで帰って雨が吹き込んでいるのじゃないかと心配で見に行ったが、ちゃんと窓は閉まっていた。
 おれはやるべきことはやっていた。きちんとした仕事をしていた。ということは自分を信じてもいいのだと思った。
 それで安心して今ブログを書いている。四月から休みらしい休みを取っていないから、体も頭も心も、自分の全部が疲れているのかもしれない。といって旅行をしてもおもしろくないし、二日酔いするほど酒を飲んでも次の日が苦しいだけだから深酒はしたくないし、セクシャルな遊びをしたいとも思わないし、ギャンブルは嫌いだし、マージャンだけは好きだったが十年以上していないから勝てないだろうし、ということはやってもおもしろくないだろうし、歌をうたうのも何だかおもしろくなくなっているし、オートバイに乗るのも飽きているところがあるし、山に登るのは毎日体を使っているのだから、いまさら疲れることはしたくなくて、山登りというのは仕事で体を使わないデスクワークの会社員が、週末に体を疲れさせるという目的で坂道を歩くのだろうと思っているところがあるから、毎日体を使っているおれは今さら山登りをしなくてもいいと思ってしまうし、むしろ休みの日は体を休めたい。
 ということは今のおれには、気晴らしというか気分転換というものが、なにもない。
 今思ったが、部屋を片付けて掃除したら気分転換になるだろうか。それとも実家の畑で何か作物をつくったらおもしろいだろうか。
 でも昨夜、真夜中に目を覚ましたとき、何ヶ月ぶりに本を読んだ。すこし気分転換になった。
 いつもなら書いたあと何回も推敲するのだが、これは思ったことを吐き出すように書いた。そして書きっぱなしにする。

春先の風邪を引いたかもしれない

 四月末ごろから朝が寒くて外に出たくない日が続いた。体もだるかった。四月の中旬は、朝は暖かくて体はよく動いたのに。
 今日は暖かくなると天気予報で言っていたからバイクに乗ろうと思っていたが、今朝も寒くて体ももっとだるくて、額に手の甲を当ててみたら熱っぽかったから、風邪かもしれないと思って、朝ごはんを食べてからもう一度布団にもぐりこんだ。これが風邪だったら、いつぶりかは忘れた。冬に引かなかったのに春先に引くのはどういうことだろう。
 今年の花粉症は軽かった。くしゃみも目のかゆみも少なかった。そしていつもの年ならゴールデンウィークが終わる頃に花粉症も終わる。今年は四月末ごろからくしゃみをしなくなった。だから安心していた。それが四月末ごろから、花粉症の代わりに、本当の風邪みたいな症状が出た。だけど今日も咳もくしゃみも出ないのだ。風邪じゃなくて、なにか別の、たとえば精神的なことが体に何かをおよぼしたのかもしれない。最近リフォームの仕事で、お客さんとも、職人さんたちとも、資材屋さんとも、運送業者さんとも、すこし言い合いをしたから、そのせいで精神的にまいっていたからかもしれない。

 ベッドに入っても眠れないけれど昼過ぎまで横になっていたら体もやすまるだろうし、気温も上がるだろうし、午後はバイクに乗れると思って、我慢して布団にくるまっていた。たが昼を過ぎてもまだ肌寒かったから、あんかのスイッチを入れて足元を温めて、夕方まで布団から出たり入ったりした。すこしだけ小間切れに眠った。五月になって暖房器具を入れたのは今年が初めてだ。今日も何日か前からも、電子カーペットを入れていたのだ。
 夕方起きて窓の外を見たら、空は灰色だった。天気予報は晴なのに。
 腹が減ったから麻婆豆腐を作ろうと思って豆腐を買っておいたのだけれど、流し台の収納庫を見たら、かんじんの麻婆豆腐の素が切れていた。買いに行こうと思ったが体を休めるほうが大事だと思って、麻婆豆腐と同じ材料を電子レンジで煮て、豚肉を入れてまた煮て、味付けは和風のだしの素を入れて食べた。不味くもなかったが、うまくもなかった。かぼちゃを電子レンジで煮たのと、かぶの漬けたのと、りんごの缶詰めを一緒に食べた。いつものように焼酎のレモン水割りも飲んだ。
 明日の天気予報は晴れてもっと気温が上がるらしいから、体も回復しているだろうし、バイクに乗ろうと思う。
 このごろ読めなかった図書館から早く返せとメールが来ている吉田知子の本を、今日はベッドの中で少し読めた。

2015年から2016年にかけて痛風にはなっていない

 昨日で日本酒のパックを飲み終わったから今シーズンの日本酒はおしまいにした。今夜の肴は蛍イカとにしんの煮たのにしたから今日も日本酒を飲みたいなと思ったけれど買わなかった。それで焼酎のレモン水割りにした。
 おととしの秋に痛風になってから今までなってない。去年の三月に父親が死んだときに葬式の騒ぎで十日間酒を飲まなくて、いったん体から酒気をなくしたのが痛風にはよかったのだろう。そうしてそれからは酒を飲むのは一日一回だけにしたのもよかったのだろう。ひどい時には朝、昼、晩、と飲んでいたのだから体にいいわけがなかった。
 この一年ときどきは尿酸がたまったしるしの金玉が酸っぱ臭くなることはあったが、一年で三回だけ一日ずつ酒を休んだだけで毎日酒を飲んでいた。それでも痛風にならないで乗り切れた。先月の父親の命日の頃に三日間くらい酒を休もうかなと思ったけれど、思っただけで毎日飲んだ。
 それでも四、五年前よりはアルコールの量は半分くらいになっている。年で酒が弱くなったから、飲む量も減って、それでアルコール摂取量も減って、それで体にたまる尿酸も減って、痛風にならなくなったということだろう。酒が弱くなるのも悪いことではない。ということは年を取るのもわるくはないのだろう。
 四月十四日に追記するが、また2リットルパックの日本酒を買った。刺身を食べたくなって、刺身を買ったから、日本酒も飲みたくなって、日本酒を買ったのだ。

痛風に一年ならなかった

 今年一年間、足がもげるほどの痛風にならなかった。びくびくしながら一年すごしたけれど、なんとか去年の十一月から、ひどい痛風発作は来なかった。
 ときどきは左足のくるぶしの下がチクチクしたが、そういうときはいつもよりもっと水を飲んで、おしっこを出すようにした。それで尿酸を溶かして体の外に出した。
 一年間何が一番よかったかというと、三月の父親の葬式とその後の十日間酒を飲まなかったことだろう。それで体の中のアルコール毒素と尿酸をほとんど外に出せたのだろう。
 それからこの一年は、毎日酒をひかえながら飲んだのがよかっただろう。目覚めて朝から飲む日は三日ぐらしかなかった。昼から飲むのは十日間ぐらいだった。夕方早くから飲むのは二十日間くらいだった。そのどれも酒を飲むのは一日一回だけにした。朝飲んで寝て、夕方起きてまた飲むということはしなかった。いや二、三回ぐらいはしたかもしれないが、よくおぼえていない。おぼえていないくらいしか飲まなかったのが良かったのだろう。
 一年間、水も意識してたくさん飲んだ。おしっこを我慢することはしなかった。お客さんのところに行っても、遠慮しないでトイレを借りた。
 だけれど先月十一月は、くるぶしの下のチクチクが何回もあった。寒くなって日本酒を飲みだしたからだろう。そして寒くなって汗をかかなくなって、水を飲む量が減ったからだろう。それでも寒くても我慢して、できるだけ水を飲むようにした。意識しておしっこも出した。一年間痛風にならない自分の記録をつくろうとして、先月下旬に二日間酒を飲まなかった。そうしたら、その後てきめんにくるぶしのチクチクは消えた。
 痛風にならないという自信が、少しだけついた。でもこれからはもっと、アルコールはほどほどにするとか、水をたくさん飲むとか、いもや海草をいっぱい食べるとか、気にしないですむ悩みは気にしないようにしてストレスをためないとか、そういう養生をすることをつづけていくようにするつもりだ。

あと二ヶ月で痛風のない一年

 今年は今のところ痛風になっていない。夏は毎日ビールをたくさん飲んだ。本当のビールも、第三のビールも、いっぱい飲んだ。それなのに痛風にならないのだ。
 ひと月に一回くらい左の土踏まずがチクチクして、痛風の前触れがきたと思うと、一日アルコールを飲むのを休んだ。それから、毎日水を多めに飲んで、おしっこを出しているのが痛風の予防になっているのだろう。いや、三月に父が死んで葬式のときの十日間、ぜんぜん酒類を飲まなかったのが一番効果があったかもしれない。あの十日間でほとんどの尿酸結晶を体の外に出したのかもしれない。十日間酒を飲まないでそうなるのかはわからないが。
 去年十一月に痛風発作があって、あと二ヶ月で一年だ。だけどときどきどうしてか、あの足がもげるような痛みもなつかしいと思ってしまうのだ。女の人が子供を産むときの痛みもそういうものかもしれないと思っている。
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