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徒然のブログ

つれづれの思いなどを

便利屋の最低限守るべき仁義は?1

僕、お客さんの事と、お客さんから依頼された仕事内容の事、言わないようにしてる。 母さんへの手紙だけじゃなくて、お客さんの前で他のお客さんの事も言わない。当たり前だよね。 僕のお客さん方は、他のお客さんの事を僕に聞く人いないし、僕も言わない。商売しているお客さんとの世間話でその業界の話題になっても、同じ業界で別のお客さんの話はしない。それが仁義らと思ってる。
ヒト月位前、たぶん僕の便利屋の方見て、尾行の問合わせの電話あった。僕、出来ませんゴメンナサイお役に立てなくてスミマセンと断った。けっこう若い娘さんの声だった…ツヅク

便利屋…僕は便利屋に向いてる?2

その人からの問い合わせ内容は書かないけど、単純に断った事、後悔してるが。 その女性、困ってたみたいんがあね(そんな口調だったように思う)。僕、後で思い返して、何とかしてあげらんねかったろうかと、また自分を責めてるが。 もっと喋って話し相手くらいになった方がよかったろか? いや深く事情聞くのは僕にもその人にも良くないのじゃないかとか考えたりする。 その時はそういう仕事は単にオッカナイから請けたくなかったが。請けないのであればネホリハホリ聞くの失礼だと思って、詳しい事情、聞かないようにしたんだ。でもそれってナゲヤリ…ツヅク

便利屋の最低限の仁義、守るよ…3

ナゲヤリで、相手を傷付けたんじゃないかと後悔してるんだ。 どうすれば良かったか、未だに分からない。
便利屋さんをすると、こんなふうに悩む事あるんだろうな。どうすれば相手の身になって行動できるか、どう考えれば相手が喜ぶか、未だ僕には、便利屋さんとしての確固とした考えがないから、テキパキした行為ができないし、行為の後で悩んでしまうがあろうね。 でも今、一つだけ言える事。お客さんの事をベラベラ喋らないって事、肝に銘じてる。 守秘義務という言葉あるけど、ハウスクリーニングの仕事でも便利屋さんの仕事でも、最低限それだけはやるよ。

昭美堂の蛙の、1らよ

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カエルの喉をクスグッテルところらよ。笑ってる。

ハウスクリーニング屋さん家の蛙、2らよ

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 カエル嬉しがってコロゲテル!

便利屋さん家の蛙でもある、3らよ

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 転げ回って逆さになってしまったて。

カエルが…、え? 4ら

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 増えた!

新潟市で育って増えてく蛙らよ。5

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 裏も見せるよ。
 春が来たら、この蛙たちと一緒に外へ出て、どこに遊びに行こうかな。
 ああ、楽しみら!

縦書きと、ついコンテンポラリーな事と・1

ブログ始める時、縦書きがいいなあと思って探したが。でも無かったがあね。一つだけ検索で見つけたけど、それは見本で、実際のサービスはまだやってなかった。 僕みたいな活字中毒者は縦書きに慣れきってるから、いや縦書きじゃないと読みたくないなんて考えるから、そして母さんに送る、手紙のブログには、やっぱり縦書きだろうと思ったんだ。 でもやり始めたらヨコ書きに慣れたんだろか、そんなに違和感ないみたい。むしろ書く中身が重要なんだろなと再認識したが。
話変わるけどフィギアスケートのエキシビション見たら、バイオリンの演出にはド肝ヌカレタ。あの…ツヅク

縦書きと、ついコンテンポラリーな事と・2

あのバイオリニストの目付き、表情、動作、…何年振りかのいいもの見せてもらったと思ったよ。
 あのもの悲しい震えるような、そして情熱こもった音色に合わせた、スルツカヤの演技を見たかったな。タブン彼女が金とってればあそこで踊ってみせてくれたんだろな。
 バイオリンのネイロと、スルツカヤの今までの人生みたいなものを想像させる何かが合わさった、世界観を感じられたんじゃないのかな、と思うんだ。もちろん日本の荒川が勝った事ウレシイしキレイだったトオモウノト別の事らよ(コンナイイワケしなきゃナラナイのもブログだからカナ)。 僕、時事的な事は書カナイことに決めてたけどツイ書イテシマッタ。

マスクのダガシ・1

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まだ時々クシャミ出るからマスクしてる。人混みの中に行くときは特にらね。すぐダガシと分かるかな。

マスク下ろしたダガシ・2

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 上の写真じゃ誰らか分からないかもしれないっけ(そんなことないか、マサカネ)マスク下ろしてみたよ。僕の写真送るの久しぶりだね、またね。

死んだ作家への礼儀は、呼び捨て

 今日はハウスクリーニングとも何とも関係ない事書くね。昨今(十年くらい前からかな)、何にでも「作家」という呼び名がアタリマエになってる。
 作家という言葉の定義、知ってるだろうに。作家って、ソノヒトしか作れないもの創る人、芸術カノ事だ。職人でない人の事だ(僕、前は職人って言葉さえ、宮大工くらいの人しか使えないと思ってた)。
 みんなサッカって言葉使いたいがろか。カルガルシイ思う。文を書く人が全部、作家じゃないのに。
 あと、サッカサンなんて…。作家はサッカ。呼び捨てが正しいんだ。死んだ作家ノ名前もヨビステ、それがシンダサッカにタイスル礼儀らぜ。僕、ハウスクリーニングの事書イテナイナ。

インターネットを体で覚える事デキル?…1

 インターネットがどうして遠い外国の人が書いたことでも見られるのかが分からないが。
 テレビがどうして映るかはアタマで分かるし、電波というものがあるっていうのもラジオの向きで音が大きくなったり聞こえなくなったりするからカラダで分かる。携帯電話もそれで理解できる。
 クルマやバイクがどうして走れるかは、エンジンや車体の理屈も少しは知ってるし、乗り方は体が覚えてる。
 エアコンが何故涼しくしてくれたり暖ったかくしてくれる知識も、仕事で知った。
 飛行機がどうして空飛べるか、実感はないけど理屈は少しは分かる。翼のカタチらろ?
 蛍光灯が…ツヅク

夜空の星を体で覚える事デキル?…2

何で光るのか、昔習ったから(詳しい事は忘れたけど)まあ分かる。…いろんな機械がどういう理屈で動いているかダイタイ分かるし実感あるから、使う度に一々ギモン持たずにすむ。安心して使う事できるんだ。
 だけどインターネットって、体の実感でも頭のリクツでも、納得できてないがあね。
 インターネット、よくクモの巣に例えられるろ? でも僕時々思うんだけど、インターネットは夜空みたいだと思うんだ。
 あの数えきれない星の一つひとつが僕らのパソコンでありホームページであり、星から出ている光でホームページのそれぞれが、地上にいる僕たちが見ることできる、なんてクダラナイ事…ツヅク

ギリシャ神話を体で覚える事デキル?・3

考えるがあさ。宇宙の事よく分からないから、インターネットも宇宙みたいなもんかなあなんて思うが。
 インターネットなんてまるで興味なかったし、今でもほとんど無いけど僕、星が好きだから(小学一年の時ギリシャ神話読んでからで、スキの中身は科学的な興味じゃないけどね)だっけインターネットを星になぞらえたのかな。
 素朴な疑問…遠い外国のホームページ見る事できるエネルギーはどこから出てるんだろか。電気代は誰が払ってるんだろか…もしかしてデンキ使わないのかな?
 そんなふうにインターネットの事考えてると、知らず知らずに僕、興味わいてるがあかも。ソレコソ、カラダでオボエタイナ。

去年配った全部手書きのチラシ・1

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左上のタイトルの場所に描いた僕です。
 このチラシと別に、独立した時、初めて作った手書きのチラシもあるんだけど、そのチラシだけ、イラスト描く人に絵だけ描いてもらった事あったが。
 でもやっぱりヘタでも自分が描いた方が俺らしいかなと思って、絵も全部僕が描くようになったがあね。…ツヅク

去年配った全部手書きのチラシ・2

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 これは、アクセントにわざと隙間作って描いた僕です。
 この人差し指出してるカッコはイラストの人のオリジナルのカッコです。真似っこさせてもらいましたスミマセン、そして、ありがとう。また一緒に仕事できたらいいな…。

去年配った全部手書きのチラシ・3

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エアコンの分解図。ちょっとゴチャゴチャしたかな…
見えない右側にはエアコンクリーニングの手順を書いてるが。そこには、うちの売りの除菌剤と錆び止め剤も書いてあるよ。スミマセン、これ宣伝にナッタネ。だってチラシの写真だもん。モチロン全部僕描イタヨ。

ケイタイで送る良さとカタカナが多いリユウ1

 母さんへのこの手紙、ほとんど携帯で書いてるけど、時々書きづらいなと思うこともある。ずっとワープロやってきたから両手でボタンを打つ方に慣れてて、考えるスピードに携帯電話のボタン押す速さが追い付かないがあね。
 あと僕の携帯は、一回でメール250文字しか送れないし受けられないが。だからこの手紙1ページがその分量なんだ。
 そしてブログって、何ページかを送ると、先に送ったページは下に出るがあね。日にちが先というか昔に送ったのも、下に表示されるろ? だから僕、何ページかに分けて書いた手紙は、全部書いてから、題名に1、2、3、と番号付けて…ツヅク

ケイタイで送る良さとカタカナが多いリユウ2

数字の多い番号の方から送るがあね。
 そうするとパソコンで見た時に、書いた順番通りに読めるがあさ。スゴイデショ…なんて、こんなの誰でもできるさね。
 ダカラ今書きたい事はイッパイあるけど、携帯だと書きづらいなと感じてる…でもこれは贅沢らね。携帯電話があるだけでも、ありがたいと思ってるもん。 携帯で写真も送れるしさ(文と一緒に送ると文の方が送れない事あるがあけど、そういう時はパソコン借りられる所に行って書き足します)、今は、この状態に満足してるよ。 携帯で書く良い事もあるがあよ。それは、一回250文字と決まってて、その分量…ツヅク

ケイタイで送る良さとカタカナが多いリユウ3

その分量の枠の中でデカセヨウとするから、果てしなく続くってことがないし、一定の量の中で考える能力、というほどオオゲサじゃないけど、癖がつくのがいいなと思った。
だからこの手紙、カタカナが多いし(カタカナの文字は平仮名の2倍多く書く事デキルガ)特にページの最後の方になると、書ける字の量が、思ってたよりナクナッテルッケ、余計カタカナが多くなるがあさ。
 最近、携帯電話の充電が早く無くなってしまうようになったがあね。聞いたら電池変えるのと機種変えるのと値段アンマリ変わらないっけ、どうしようか考えてる。最近のは一回で、沢山字送れるがってさ。今度ハ書キスギルカナ?

自然って何? 自然の方がイイの?…1

今、花のない時期だから言おうと思ってた事書きます。ガーデニングの事です。 これでもかって花で飾りたてるの、どうかって思うんだ。庭の隅から隅まで手を入れて、自分の撒いた種以外は咲かせないぞ、植えた苗以外は育っちゃ駄目と見張ってるような…。
だから雑草なんて生えてくると許さない。自分のデザインを譲らない。そんな了見の狭さを感じてしまうんだ。 その狭さは、お前の事だと僕が僕を責めるから、そう思ってしまうんだ。自分の意図で埋め尽そうとしてるふうに見えてしまう。そういうのって、落語家が、小指の先まで気を遣っているの…ツヅク

自然って何? 自然の方がイイの?…2

と違ってると思うんだ。
 それは、それだけで先へ進もうとしないというか、それだけでマトマッテシマッテルというか、人を楽しませているように見えても本当は自己満足のキワミのイヤラシサが透けて見えるというか… というか、もっと見ろもっと見ろ、見て見て、見てくれなきゃイヤ! というふうに見えてしまう。それが、あまりに作為的なガーデニングには、感じてしまう。自然のものなのに自然じゃないように思えてしまうんだ(ソレトモ最初からシゼンデハナイノダと思えばいいのかな)。 でも、登山道の脇にそっと咲いているチイサイ花の方がスキだなんていうのも、僕の狭さとヘンケンカモシレナイナ

自分ダケ苦シガッテルッテ、傲慢かもね

 純粋って事は良いか悪いかは分からないけど、少なくとも、純粋だから良いのだとはいえないさね。僕自身は自分を、ジュンスイじゃないかと恐れてる。純粋っていうことが、中学校の頃の僕みたいに良いモノだと思いこんでる人が、まだいるみたいんが。
金子みすゞの詩に、やっと頼って生きてた奴…僕
ダカラ僕、みすゞって名前言う事恥ずかしくて誰にも言えなかった。他にも言えない名前、沢山ある。あるけど僕も俺、オジチャンだと自覚する練習し始めたから、言う場所探してた。純粋さとは何ぞや?
持ちながら生きてく苦シサは、傲慢かもね。みすゞは死ンダケド僕、シンデナイヨ。

嫁の来手ナイノハ自分をゴマカシテルカラ?・1

フライパンに人参の薄切りと麻婆豆腐の素を入れて火を点けます。豆腐をサイノメに切って入れ、葱を切って、キャベツを切って、一緒に小間切れ肉を少し入れ、ホウレンソウを切って入れ、…その頃には全部が煮えてるから、片栗粉を溶き入れて一煮たちさせると出来上がりだ。
僕のよく作る麻婆豆腐、誰にも食べさせた事ないんだよ。
父さんは僕が台所やるのをあんまり嬉しがらなかったけど、母さんは僕に包丁持たせて教えてくれたね。お陰なのか今、簡単な料理作るのは苦じゃないよ。洗濯もアタリマエニやるし、服のほころびだって針持って縫うよ。みんな母さんが教えてくれた…

嫁の来手ナイノハ自分をゴマカシテルカラ?・2

お陰様でみんな自分でできるから、嫁さん欲しいと思わんがあさ。 なんていうのはウソ! 家事と嫁さんは別らよ。家事なんて分担すればいいがあさ。
 大切なのは、その人を尊敬できることだ。でも、一番ムズカシイかもしれないな。それが嫁の来手がない一番の理由かも…
 ただ最近は、アキラメも大事だと思うようになった。相手だって僕にアキラメルカモしれないんだから…といって結婚バナシなんてないがあけどさ。 結婚に向いてる性格ってあるがろかね。あったら知りたいな。それは母さん教えてくれなかったね。未だ僕、イロンナ事をコマッテナイノカナ。ソレトモ自分をゴマカシテルダケカナ。

僕マサカ否定してたイエヤス的考えに…1

米や灯油を買って、階段を上ってゆく時、いつも思う事がある。 この10キロの米を、重い重いと思いながら階段上って、部屋に持っていって、そこで食べて食べつくして、いつのまにか米、無くなっている。 これ全部、知らず知らずのうちに僕の体の中に入っていく。米の袋、空っぽになったらまた買ってくる。…そのくりかえし。
 今、この両手にズッシリきてる米、その米を一歩一歩階段登って持ち上げて、毎日食べてると、日にちが経つと、無くなっている。くりかえし…。 灯油も、買ってきて一段一段階段登って、部屋でストーブの中で燃やして、いつの間に…ツヅク

僕マサカ否定してたイエヤス的考えに…2

いつの間にか灯油も、無くなってる。燃えて、無くなってる。 無くなったらまた、ポリタンク持って買いにいく。くりかえしら。
虚しいって訳じゃないんだけど、もう嫌だっていうんじゃないんだけど、ああ、この重さの固りを持ち上げて、運び上げて、人間が使って、食べて、燃やして、知らないうちに無くなっている。 それみんな、どこへ行ってるんだろう、って思うんだ。だって無くなっている時、実際、無いんだもん。 僕という人間が生きていく事で、この10キロの米や、18リットルの灯油や、他のいろいろなものを部屋に運んで、そこで僕が生きていくうちに…ツヅク

僕マサカ否定してたイエヤス的考えに…3

僕が生きていくうちに、いろんなもの、無くなっているがあね。僕がそれを食べて、使って、燃やして… なんでこんな事思うのかね、僕。別に、よく言われる、ジブンハ、イカサレテイル…なんて事は言うつもりないけど、(正直僕、生かされている、という言葉に実感持てないんだ。そういうふうに感じてみたいといつも思うけど、まだできない。いつか多分…) 自分でも知らないうちに、虚しくなってるのかな。それとも頭良くなって、考える範囲が広がったかな? ヘヘヘ… ただ、重い荷物を背負って登ってゆく事、その繰り返しを僕、当たり前なんだと思い始めてる。徳川家康?
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