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徒然のブログ

つれづれの思いなどを

腕時計いらずのウデ

僕、腕時計って、もう十年以上してないなあ。
 スーパーで精肉売場の担当だった時、一日何回も手を洗うから、腕時計とかの、手に付けるものはしなかったんだ。

 それから介護の仕事しだしても、やっぱり手洗いばっかりしてるし、それに利用者さんのカラダに触るから、腕時計のような硬いものは身に付けられないからね。

 ハウスクリーニングの仕事でも、やっぱり水仕事が多いから、腕時計はジャマなんだ。

 そんなふうに腕時計を見ない生活続けてると、いつのまにか時計見なくても、今何時頃かが大体わかってくるんだね。
 さっきから何分、何時間経ったかということも分かってくるよ。

 まあ、それがどうした、ってほどの事なんだけどさ…ハハ。

僕の部屋から見えた、秋空

20060929122528
さっき撮った空だよ。

 窓から見えた雲が、夏のかたちと違ってた。

 寄せてくる海の波みたいな、白いすじが空にもあるね。

眠い日は

眠くて眠くて、ブログ書く気力が出ない。

 今、昼も夜中も仕事だから、書こうとしても、目がつい眠くなる。

 携帯電話の中には、ブログに書こうと思ってるテーマが30くらいは入ってるんだけど、引き出して書き出すこと出来ないくらいだよ。

 もうちょっとしたら、夜眠れる日が生まれるみたいだから、それまで頑張るつもりらさ。

 今日はとくに眠くて…。

LOHASって名詞が付くと、オシャレ?

 ロハスに関する本読んでみたけど、ブームに乗りたがるミーハーの集まりみたい。
 ロハスという名詞を枕言葉に飾り付ければ何でもOKだと思ってるらしいぜ。笑うよ。
 LOHAS、LOHASと浮かれている奴らの、その自己肯定の凄まじさ…、独善性…、恥ずかしげのなさ…、ムシンケイさ…、それってハニカミが感じられないんだよ。暴力的だよ。
 サステナビリティ? …別に何事も義務的に続けなくてもいいんだよ。どこかで成仏する事が大切なのに。無常って言葉もあるしさ(サステ何とかって、継続とか続けるとかいう意味らしいよ。)。
 ロハスって、哲学なきハヤリモノの流行語になってるな。
 要は、広告宣伝に使われてるみたいら。
 売れー、売れー、ウ・レ・ウ・レー! だね。

 たぶん、アメリカで、この考え方が生まれた時は、もっと純粋なもの持ってたんだろけど、今の、単なるブームではねえ…。

 ロハス、ロハス、などと軽々しく言わないで、自然体で生活したいよ。

携帯のボタン押すと、内容も文体も

毎日書いてるこのブログは、携帯電話のメールで送ってるんだ。

 だから書くこと思いついたら、いつでもケイタイ出して書き始められるんだよ。

 でもね、ケイタイの小さいボタン押して書いてると、難しい言葉を使いたくなくなるんだ。

 だからなのか、突っ込んだ表現したくて硬い言葉使おうとしても、ボタン押してるとね、僕の指は、やっぱり簡単な言葉を打ってるの分かるがあさ。

嗜好品への要求は淡泊

夜中伺ってる利用者さんの、他のヘルパーが倒れたもんだから、実は僕、十日前から毎夜介護の仕事に行ってるんだ。
 昼間のホームヘルプや、僕の本来の仕事、ハウスクリーニングの仕事もしながら徹夜だから、ちょっとだけ大変かな。

 それがこないだ、朝早くからハウスクリーニングの仕事あったから、その前の晩のホームヘルプは休ませてもらったんだ。
 そして寝る前に、十日ぶりにビール飲んだよ。
 だけど、特に特別うまいとは思わなかったなあ。

 どんなかにおいしく感じるものかと期待してたんだけど、それほどでもないもんだね。
 十日間飲まずにいるのも、それほど苦痛じゃないし…。

 タバコやめる時もそうだったけど、もしかしたら酒も、やめようと思えば、あっさりやめられるかもしれないね。

 僕は、嗜好品には、それほどカラダが要求しないのだろかね。
 それは少し、さみしい気もするんだけどさ。

知らずの良さ

ふっととまった時、分かる事あるね。

 その止まったのは止まろうとして止まったのじゃなく、止まらざるをえなく止まったのが、そのお陰で分かるんだね。

 そして止まっていたと思っていたらいつのまにか、知らないうちに、前の場所から進んでいた。

 知らない場所に出たら、知らなかった良さが分かっているんだね。

こうせつ、こうせつ、こうせつ

今朝テレビ見たら、南こうせつのお兄さんが出た番組やってたよ。お兄さんが、自分の家のお寺の住職を継いだ話だった。

 南こうせつって母さんも知ってるろ?あの「神田川」を作曲して歌った人。
 そして、こうせつは僕の神様の一人なんだ。

 お兄さん、こうせつにそっくりだったよ。六十四歳だってさ。似てるのは声もそうだし、驚いたのは、立ち居振る舞いというか、手足の動かし方とかも、似てたなあ。運動神経良さそうな、…あるいはセカセカしてるとも言えるかもしれないけど、スピード感のある所作の人だね。

 そして、やっぱり歌が好きなんだって。お兄さん、大学の時に合唱部に入ってたといってた。
 だからなのか住職になって、「出前歌説法」というのをしてるんだ。
 お寺だけじゃなくて、普通の会社に行って自作の歌をうたったり、一緒に歌って、お坊さんのコンサートみたいだった。僕も聴いてみたいと思ったよ。

 今日、久しぶりに南こうせつ、聴こうかな。

いつのまにかの歳月

新しい総理大臣は52歳だってね。
 僕より八つしか違わない!
 そしてあの若い若いと思ってた村上龍よりも若いんだなあ。

 野球選手も、相撲取りも、テレビのアナウンサーも、学校の先生も、僕より若い人だらけになった…。
 不思議らよ。

酒飲み運転より楽しい事発見

最近日本中で飲酒運転の事故で騒いでるね。
 車体のヘコミぐあいから見ると、相当飲んでたな。

 告白すると、僕も二十九歳まで、酒飲んでクルマ運転した事あった。
 それほど沢山飲んだわけじゃなかったけど、帰りに乗って帰った。転勤で松本に住んでた時が多かった。
 そこ以外の土地じゃ、飲んで運転しなかったよ。岡谷市でも酒田市でも新潟市でも新発田市でも十日町市でも浦和市でも藤沢市の辻堂でも…。
 松本に居た時、たまたま飲酒運転当たり前っていう上司と毎日飲んでたから、僕もついつい飲んで運転して帰った。それも、たった300メートルくらいの距離を。
 300メートルくらいなら歩くか自転車で通えよ、と今でなら思うけど、あの頃は横着してたんだなあ。

 しかも自分じゃ、俺は酒に強いんだ、なんて思ってたし、毎日ビール2本だけしか飲まなくて、それほど酔わなかったしさ(今ならビール1本でも顔が赤くなるよ。弱くなったね)。

 だけどね、転勤で松本離れてからは、一回も飲酒運転しなくなったよ。

 さてそれは、何故飲酒運転しなくなったかといえば、…長野県にいた29の時、バイクの大型免許取ったからなんだ。
 自動二輪大型免許は、その頃は取るの難しくて、本当に貴重な免許だったんだよ。
 僕、バイクの大型取る前は、正直言えば、飲酒運転で捕まっても、まあしょうがないか、また取り直せばいいや、なんて心の底では思ってたと思う。
 スーパーという、店舗に勤めてて、仕事でクルマ運転しなくてもよかったからね。それにバイクの中型免許は、すぐ取れたから。だから運転免許に、あんまり価値を感じてなかったんだ。
 そして、自分は酒に強いし、それほどの量を飲んでるわけじゃない。300メートルくらいの田舎道しか運転しないんだから大丈夫だ。…なんて自分勝手な理屈作ってたんだよ。
 もう一つ、酒飲んで運転しても、俺は運動神経いいんだから事故は起こさない。なんてこれまた勝手な理屈をこねてね。

 それがナナハン乗りだした途端、楽しくて楽しくて…、ああ、この免許を失いたくない! と心底思って、飲んで運転はしなくなったんだ。…まったく自分の都合だけなんだけどさ。

 やっぱり人間、とことん自分勝手なんだろうから、免許を失った後の人生と、免許を持って使っている人生と、その価値の違いが大きければ大きいほど、その違いを天秤にかければ、飲酒運転などできないだろな。
 それでもなおやめられないってのなら、それはもう心の病気だから、治療が必要だろね。

 カンタンに言えば、飲酒運転より、というか酒飲むことより、楽しい事見つければ、酒飲んで運転なんかしてるヒマないぜ、と思うんじゃないろかな。

 えーと、楽しみ見つけられない人のためにはね、酒飲んで運転したら無期懲役、ってくらいにすれば、飲酒運転する前と後の、人生の価値の違いが分かるんじゃないかな。

ペットの鳴き声がセラピー

小鳥を飼うにはどうすればいいのかと思って、本屋で立ち読みしたよ。
 インコの場合は手軽みたいだね。お金はいくら位かかるかというと、一羽2000円くらいだって。それに鳥かごと、エサや水を入れるウツワとか小物をそろえればいいみたい。

 ただ、毎日カゴの下に溜まった糞を、掃除してあげなきゃいけないみたいらな。
 けど、ピーケラ、ピーケラと機嫌良く、可愛く鳴いてくれるなら、飼って世話してみたい気もあるんだけど、…まあ、現実問題無理らけどさ。僕、昼間いないし、誰も居ない部屋で、インコだけがピーピーと鳴いてるのは、ちょっとインコにも幸せかどうか分からんもんね。

 生き物飼いたいなんて思うとは、僕、もしかしてよっぽど淋しく生きてるがあろかな。…なんていうのはホントは、介護サービス使ってる利用者さんや、昼間一人になる母さんとかが、こういう小鳥飼ったらどうかと思ったんだ。
 ああ、母さんのとこには、猫のチロが居たね。

させていただく? しなくていいヨ

させていただく、って言い方が流行りだしたの、ここ五、六年くらいだろかね。
 それ、聞きづらいよ。
 アナウンサーまでが言ってる。まあ、アナウンサーなど、程度が低いんだろからしょうがないけどさ。

 敬語といえば、僕、二十代の頃は、乱暴な尊敬語を使うようにしてたよ。
 社会人になって、仕事で、年上の人ばっかりと付き合ってたから、その人たちと対等に、かつ敬意を表す喋り方を自分なりにあみだしてたんだ。
 だからなのか、その年上の人たちが、その知り合いの人に僕を紹介してくれる時は、
「こいつ、ナマイキだぜえ」と、笑いながら僕を誉めて(?)くれていたんだ。僕も自分のこと、素直な生意気で売ってたからね。

 だからだろけど、させていただく、なんて言葉は(僕も時々は使うこともあるけど)イビツで、そして責任逃れの卑怯なモノ言いに聞こえるんだ。

 堂々と、俺がやるのだ! と、その行為の責任は俺が持つのだ! というものの言い方、したいよ。

大庭みな子の介護日記読んでヨカッタ

『終わりの蜜月』って本を読んだよ。何年か前、作家の大庭みな子が倒れて、大庭の夫の大庭利雄という人が書いた介護日誌だ。

 僕、大庭みな子の小説もエッセイも何作か読んでるんだけど、正直あんまり記憶がないんだ(スイマセン)。大庭みな子が少女時代、新潟県で育ったことを知ってるぐらいなんだけどね。
 だけどこれが、この介護日記は面白かった! 書いたのはご主人だけどさ。
 介護中、妻のみな子を怒鳴ってしまって後で後悔したりとか、大庭夫婦のあいだの清潔なセクシャルな場面とか、勉強に(?)なるところもあったなあ。

 あとがきで大庭利雄が書いて、僕が共感したところを写すよ。…(カタイ内容の話なんだけど)

「失業者を救済するために介護産業を育成する」などという(役人の)言葉も耳に入るが、もってのほかの思い付きである。
 職安から奨められてヘルパーの資格を取る実習に来ましたという熟年男性がわが家にも来たことがある。
 ときどきそういう男性がいるようだが、彼らがヘルパーの仕事を続けているという話は聞かない。

 あとがきのこの後、大庭利雄は、介護の仕事は女性に限ると書いている。母性本能に近いものが必要とされるから、と。…そうじゃなくて僕は、女性男性にかかわらず、向き不向きがあると思うよ。
 ハハオヤがみんな母性本能を持っているかは疑問らもん。だって人間って、ほとんどの本能は、壊れているんだと聞いた事あるよ。

 けど、最後の大庭の、この言葉にはさらにホントに共感したな…
「介護は、見るに見かねて手助けする本能に基づく行為である」って言葉。

 そして僕という男が、介護の仕事に向いている人間なのかどうかは分からない。
 向いてると思う時もあるし、ああ俺は向いてないと思う時もある。
 だけどただ、やってゆきたい、と思っていることは確かだと思ってるよ。

 そしてまた、僕が、福祉とか介護とか医療とかで、思ったり考えたりしてることはあるんだけど、それをブログで書くと、笑い事でなく過激だと思うから書かない。でもね、読んでもらえばスジミチ通ってると分かってもらえると思うんだ。福祉論というより別の事、人生論に近いかもしれない。まだ完全には固まっていないんだけどね。…いつか書きたいと思ってるよ。
◆介護リフォーム新潟市◆

紙風船の一瞬芸

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僕がホームヘルパーで伺ってる利用者さんに見せようと思って、100円ショップで買ったんだ。
 右の方はメロン位の大きさで、左の小さいのは野球ボールくらいだよ。

 こういうの、大きい方をふくらますの、けっこう大変なんだね。息をふいても吹いてもまだ膨らまない、なんて思うほど大きいんだ。

 やっと膨らませて利用者さんの目の前で空中に投げ上げて、何回か下からたたいて遊んだよ。やっぱり動きのある遊び道具はいいね。
 そしたら最初の一回目は面白がって笑ってもらえたけど、でもね、すぐ飽きてしまった。…利用者さんもだし、僕の方もね…ハハ。

 まあ、こういうのは、一回だけ楽しむ、のが良いところなんだろな。一瞬芸で終わらせるのがね。くどくなくて、また今度…って気持ちにさせるもんね。

夜中に起きてるとお腹すくね

介護の利用者さんのところで夜、ずーっと起きてると、腹がグーと鳴る。
 そういう日にかぎって、何も食べるもの持ってきてなかったりするんだ。

 夏場はそんなことなかったのに、食欲の秋かな。

 今度は小さいアンパンひとつ、忘れずに持っていこう。

大丈夫という言葉大丈夫じゃない

大丈夫、なんて言う人間。
 何がダイジョウブなんだろ?
 おまえが大丈夫か大丈夫でないかなんて、今どうでもいい事だぜ。
 何故ならおまえはお客スジじゃないからだよ。
 サービス受ける方が「大丈夫だ」と言うのなら、それはスジミチあるんだけど、奉仕する方がダイジョウブですなんてのは、笑うんだよ。立場をわきまえてくれ。

 最近、「大丈夫です」なんて、誰もが使いだしてるから、いい歳したオバサンまで言ってるから、ツカレルんだ。

 教えてやる。目下の人間が大丈夫という言葉を使う時は、
「大丈夫ですか?」と聞く時しか使えないんだよ。
 相手を気遣って尋ねる時に使う言葉なんだよ。

 それを、「大丈夫です」、なんて言われると、無神経な横柄野郎に見えて腹立つんだ。尊敬語を自分に使っている感じだよ。

 …まあ、これも理屈屋ダガシだからだね。でもこの言葉も、しばらくすると消えてくんだろな。超、とかみたいにさ。

赤瀬川原平、中古良品

きのう昼過ぎにNHK観たら出てたね、赤瀬川原平。
 僕が高校生の頃から赤瀬川原平のエッセイ読んでたよ。それから5、6年して社会人になったら、いつのまにか尾辻克彦で(たしかこの名前だと思ったけど随分前で間違ってるかも)、小説書いて芥川賞だもんね。赤瀬川のも尾辻のもおもしろかったなあ(尾辻克彦って、赤瀬川原平の作家としてのペンネームらよ)。

「中古良品、中古品としての道を歩んでいく」って、好きな中古カメラの例えで自分のこと言ってたな。

 でもテレビじゃあんまり知られてないから、ちょっとシラケタ感じに見えたのはしょうがなかったなあ。
 人間、思春期を過ぎたら中古品ならば、僕もしっかりメンテナンスしながら、中古の中でも良品を目指したいな。

猫は別段考えない

野良猫を話題にした集まりがあるって聞いて行ってみた、けどやっぱりツカレタ。
 甘えてるってか、ナグサメアッテルってか、押しつけてるってか、キタナラシイってか、けがれてるよ。

 オナミダチョウダイって無意識がプンプン臭ってた。

 潔くないんだ。

 死ぬときは死ぬ。泣くのなら泣きたい人だけが泣くのが尊いのじゃないろうか。
 僕は泣きたい時だけ、泣く。泣け、と言われて命令されても泣かないよ。
 ムリヤリ泣いてほしい、泣かないのは優しくない、なんてのは暴力だよ。

 そして、野良猫に手を差し伸べるって、勝手にやってるんだろ? ある種の信仰に似ているよ。押し付けがましい信仰に。だから僕、考えなしの信仰が嫌いなんだ(話ズレルけど、宗教には僕、敬意を持ってるよ。そして宗教と信仰は、厳密にはチガウもんだって思ってる。宗教は、哲学として僕、尊重してるよ。だから、哲学ない宗教、ただの依存するための信仰には、クミシタクナイんだ…いや、困って困って、困ったあげくに神仏にすがりついてもいいんだけどさ…、そういう時は自分だけで完結してくれ。人様に自分の想いを押しつけるな。それがスジだよ)。

 そして、一番の暴力は、考える事しないで流される事らぜ。人の浅はかな想いに、そうだそうだと便乗してラクする事ら(精神的への暴力は、カラダへの暴力よりタチ悪いんだよ)。…そういう見えない暴力者は福祉、といわれる業界にも大勢いる。
 人様に手を差し伸べる事って、カンタンで、ラクで、考えなくてもキモチヨクなれるからね(欲求不満の代償行為かもね)。

 自分のしてること考えない事、あるいは、自分が何もしようとしないこと考えない事(これ、何も意味あるアクションをしようとしない事だよ)、それこそだってが暴力なんだよ。…どっちも、ただ流されてるって事は暴力なんだよ。
 このブログも、押しつけの、暴力かな? …ハハ

 野良猫自身は何考えてるか知らないけどさ(さして考えてないろうけどさ)…。

尿石取り洗剤の小分け販売、ハードル高し

 尿石取りの洗剤を小分けして売る、という事むずかしいみたい。
 まず売るための資格が必要だそう。これは資格取ればいいんだけど、一年一回、八月に試験あるんだって、…来年だね。
 そして、売る場所すなわち店、が必要なんだって。これはちょっとすぐには無理だ。インターネットか、通信販売で出来ないかな、と思ってたから。

 そうして、洗剤が入ってる大きなボトルから小さなビンに詰め替える事にも資格が必要なんだって。これも一年一回の試験らしいよ。
 その詰め替え作業をする場所が、これまた必要なんだって。…まあ、当たり前だよね、強い洗剤をビンからビンに移し替えるわけだから、床に漏れてもいいような設備が必要なんだろうね。
 僕、アパートの部屋の畳の上で、小分けしようと思っていたんだから、笑うろ?

 聞いてみれば、当然なんだけど、案外ハードルが高いもんだ。
 だから、世の中にそういう商売なかったのかな。

 ちょっと気長に攻めてみようかと思ってるよ。気短かダガシには珍しいけどさ。…でも、一番最初に何かやるっては気持ちいいだろうなあ。

尿石取り、普及させられるかな

こないだあるお客さんから相談されたんだけど、トイレ便器の茶色いこびりついたのは、ちょっとやそっとじゃ取れないんだと。
 それ、掃除屋さんは取れにくい事当たり前に知ってるけど、普通の奥さんたちは知らないみたいだね。その取り方も知らないみたいだね。サンポールでも落ちないからね。
 僕だってハウスクリーニング屋さんになる前は知らなかったし、そういう汚れがある事自体興味なかったからね。

 その尿石は、専用の酸性洗剤つけてこすれば落ちるんだけどさ(だけどスポンジの固い方で強くこすると、便器の表面傷めるよ。サンドペーパーなんかもってのほかだよ)。

 そして、きのうパッと思ったんだけど、その専用洗剤、一回使うだけの量で売ってれば買いやすいのじゃないろかな。
 だって、尿石ってそんなに何回も溜まるわけじゃないからさ。…ということは沢山の量いらないもんね。
 ムダに不必要な量買わなくてもいいろうからね。それならば売れるのじゃないろかな。自分でやる尿石取りのお掃除、世の中に広まるのじゃないかな。

 あるいは、僕が小分けして売り出そうか考えてるよ。
 大儲けできるろうかな? …ハハ。

ブログの中身と実生活

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この花、キキョウっていうんだね。秋の花なんだってね。
 青い花だから珍しいね。

 きのう言った、僕のホームヘルパーの給料や、介護サービス受けてる利用者の人たちが生きるお金は、税金から出ているってことを昨日、僕が伺ってるある利用者さんの家族の人に話したよ。
 受け入れられるかどうか、恐る恐るしゃべったよ。

 そして運良く共感してもらえたよ。…税金で生かされてるという意味でも、利用者の人は前向きに生きる事、社会に対して責任があるってことをさ(…本当にナマイキなこと分かってるけどさ)。

 僕、ブログに書いた内容を、その内容を向けた人に対して隠したくなかったから。
 そうしてブログに書いた内容を、実生活でも実行したいからさ。
 桔梗の花と関係ないんだけどさ。

税金で生きてる人の義務

ホームヘルパーの給料のほとんどは、税金から出ている。あるいは介護保険から出ている。
 介護保険も税金みたいなもんだから一緒に言うけど、納税者は当然有効に税金使ってほしいと思ってるだろうさね。当たり前だよね。
 有効に税金使っているといえるカタチは、利用者さんが、楽しく生活できて、生きてて良かった! と思ってもらえた時に、税金が有効活用された事になると思うんだ。

 だから、ただウトウト呼吸していればいい訳じゃないと思うんだ。少なくとも僕が納税者の立場なら、それは望まないよ。

 そして利用者の方だって、ダラダラ生きているだけじゃ、税金が有効に使われてる事にならないんじゃないろうか?
 生きるための生活費に税金が投入されている場合、ああ生きてて良かった! と思ってもらう事、幸せに楽しく生きてもらう事が、税金払っている者の願いらよ。

 そしてできれば、税金で生活してる人は、社会に何か役立つ事してもらえば、いうことないけどさ。…たとえそういう役立つこと出来なくても、機嫌良く生きて、周りの人に思いやり示す事が、税金で生活してる人の義務じゃないろかと思うんだ。もちろん僕もだよ。
 それを、出来るのにしようとしないなら、介護者も、利用者も、税金ドロボウと言われても仕方ないろうと思うんだ。

 これ言うの勇気が要るよ(だから今日は、思う、って言葉を何回も使ってるんだ)…ハハ。

味楽るミミカ…ミラクルって読むんだ

きのう夕方NHKの教育テレビ観たら、料理番組やってたね。小さい女の子が作るのだったよ。味楽るミミカが番組の名前だった。
 十年以上前にもあったよね。舞ちゃんって子供が出てた。だからなのか、舞って名前が流行ったなあ。

 夜の教育テレビで料理番組やってるの、僕、ときどき観るんだ、男のくせにね。
 でも、どうしてか好きなんだよ、料理が出来上がってゆくの見るのがさ。
 きのうの子が作ってたのは、カレーライス・パンだった。パンの中に、カレーとご飯を混ぜたのを詰めて、外側に玉子とパン粉つけて、サラダオイル塗ってオーブントースターで7分焼くんだ。
 その子、おいしそうに食べてたよ。

 味楽るの新しい女の子の名前、よく憶えてないけど、やっぱり可愛らしかったなあ。そして一生懸命に料理作ってるとこが、番組観つづけたいと思ったよ。

三木茂夫、好きなんだ

昔、ある文芸批評家の本で、日本のよい文章家っていうので紹介されてたうちの一人が、三木茂夫だよ。
 他には武田百合子とかさ、いろいろいたな。
 そして三木は、僕の好きな人の一人だ。

 三木茂夫は、お医者さんで、生物学者、解剖学者だよ。もう何年か前に死んでる。
 看護学校の教科書に、三木の文章が載ってるって書いてあったけど、残念ながら僕、そういうこと訊ける看護婦さん知らないから、分からないんだけどね。

 最近、三木の書いたエッセイで、僕の読んでないのがあるのを知ったから、それ読み始めたんだ。
 やっぱり面白いよ。三木はいつも簡単な言葉を使ってむずかしい事書いてるんだ。それになんてったってユーモアがある文体だもんさ。好きだ。

 前に三木の本読んで知ったんだけど、顔の表情動かす筋肉って、内蔵が発達して出来たんだってね。
 僕、思ったんだけど、だから、バイク乗ってる時に方向確認するのに、目玉を動かすのより首を動かす方が速いのは、そういうわけだったのかと思ったよ。首の方は運動する筋肉だからだろかな。…いや、目玉動かす筋肉も運動系だったかな?…忘れた。でも、バイク乗りながら、そんなこと思ったことあるんだよ。

 いま読んでる三木茂夫の本も面白いから、母さんに読んで聞かせるよ。『胎児の世界・人類の生命記憶』って題名らよ。
 では…

 39ページ「味覚の根源」
 玄米の味。それは明らかに一つの味であった。しかしその味は、ふつう食べものを口にしたときにわたしたちの期待する「うまい・まずい」というそれではけっしてない。いってみれば「うまくも、まずくもない。なるほど、こういう味か」というものだ。しかしそれは、食事のたびごとに、じっくり咀嚼をつづけているうちに、いつしか、えもいえぬ味わいをもたらし、やがて、この味への足がかりが一つできてくると、あとは年とともに一歩一歩その味わいを深めていく、そうした性格のものと思われる。この味は、しかし考えてみれば、わたしたちの遠い祖先が稲作の農耕を始めた縄文のむかしから、それも毎日毎日、欠かすことなく噛みしめ、そして味わいつづけてきたものだ。白米への切換えが始められたという元禄以降の歳月は、これにくらべれば、まだ日が浅い。この味は、したがってわたしたち日本人の味覚を奥深くで支えつづけてきた一本の太い柱ということになろう。この味わいが、何か万葉人の世界に通じるものがあったとしても、それはなんら不思議とするに当たらない
。ともに、この国の風土を介して、いわば生命的に結ばれる間柄なのであるから。

 …ちょっとカタかったかな? 子供の頃一時期、玄米食べさせられたの思い出したんだ。…ハハ。
 他にも、お産の現場の描写とか、奥さんのお乳飲んだときの事とか、いろいろ為になる(?)こと書いてる。

 しかし携帯電話のメールで人の文章写したの初めてだよ。ワープロじゃ何遍も書き写すことしたけど、新書の文字を見ながら携帯の小っちゃいボタン打つのは、けっこうたいへんらね。

 三木茂夫、母さんも今度読んでみてください。

おおぜい集まる固まる騒ぐサッカー…

車谷長吉っていう作家が、こないだのワールドカップの前の大会…えーと、日本と韓国のワールドカップが終わった時に書いてたんだけど、「やっとサッカーの大会が終わってくれた。うるさくてしょうがなかった」とね。
 それ読んで、僕もホントその通りだと思ったよ。
 車谷のヘソマガリに、少し憧れたよ。…ハハ。

 ここ何年かは文芸誌も読んでないから、車谷長吉が、また偏屈なカッコイイこと言ってるかは知らないけど、世の中に、サッカー嫌い…じゃなくておおぜい固まるの嫌いな人間がいること、確認したいなあ。

 サッカーも世間でちょっと一休みしたみたいだから書いたがあけど、そして念のために言っとくけど、僕はサッカーというスポーツは好きんがあよ。

端っこの居心地、明るさ

糸魚川に住んでみたい。

 中心から離れれば離れるほど純粋なのじゃないのかなってさ、思うんだ。
 そして、端っこの方がやわらかくて、明るさあるよう。

 空見上げるとさ、雲がある。
 雲、動かないんだけど、しばらくして見上げると、さっきと場所かわってるんだ。
 空、広いね、どこまでも…
 糸魚川にさ。

自分のブログ、文章の英語版見たら

僕のブログを英語で読んだよ。
 ブログを、そのままの形で英語に訳しているサイトを偶然見つけて、それ見たら、この母さんへのブログが、このままのデザインで、文章だけが全部、英語に変わってるんだ(インターネットに詳しい人なら、とっくに知ってるのだろかな)。

 自分の文章が英訳されて、その英語の文読むと、僕じゃない誰かが書いた文章に感じるよ。…不思議な感じら。
 俺、文書くのうまくなったみたい、なんて錯覚しそうなんだ(だって英語読んだって、ほとんど分からないんだもんさ)。

 しかし、自動的に(ああ、自動的にって言葉、宇多田ヒカルより僕の方が早く使ったんだよ…負け惜しみらね。僕、ウタダに嫉妬してるからさ…ハハ)、自動的に日本語を英訳する事できるなんて、すごい世の中になったもんだなあ。…まいった!

変わるから探して

月が見えるとどうしてか安心するよ
 夜
 空を見ると探してる。
 どこに月があるか…

 月は
 かたち変えるから
 つい
 探してる

障害と障がいとオリジナルな楽しみ

新潟日報で、障害という文字を使うのは良くないのじゃないか、なんて記事があった。ある障害者の人のインタビューのかたちだった。
 障害、を障がいと書けばいいと言ってる。

 その考え、違うぜ。
 言い方変えたって、根本が変わらなきゃ同じなんだよ。いや、言い方だけ変えれば済むっていう欺瞞というか、自分を騙す行為は自分にも周りにも良くないよ。

 僕には、その考え、被害妄想に思える。簡単に言えばヒガミッポイよ。

 障害っていう言葉、害っていう文字を使わないことによって、偏見をなくそうっていうんだろうけど、人間って元々、偏見持ってしまう生き物なんだからさ、僕もそうだし、母さんもそうらろ?
 偏見がある事が自然なんだ、ということ認めると、偏見も少なくなるんじゃないろかな。

 言葉ヅラだけ変えて、そっから先は思考停止じゃあ、尚更偏見は社会の無意識の深い場所に降りてくだろな。

 じゃあダガシ、実際どうすればいいんだよ? と聞かれたら、…
 自分自身のオリジナルな楽しみに没頭すればいいのじゃないろうか。
 そのオリジナルな楽しみが、運良く社会に貢献できれば素晴らしいけど、そこまでいかなくとも、他人様に迷惑かけない範囲で、自分の楽しみに打ち込んでいれば、人がどう思おうが、何を言おうが気にならなくなるよ。
 三昧、って言葉があるよ。
 それでも気になってしょうがない、偏見を感じるっていうのなら、それはもう精神のヤマイだから、病院に行ってくれ(僕はバカにしてるわけじゃなくて、事実を言ってるだけらからね)。

 何遍も言う。…自分の楽しみ見つけるんだよ。楽しく生きてないから人の事をああだこうだ言ってしまうんだよ。
 じゃあ、楽しく生きるにはどうすればいいんだ?
 そっから先は僕もよく分からないけど、まあ、他人様に迷惑かけない場所で、極限までワガママになればいいんじゃないろうか。
 要は、発散すればいいんじゃないろうか。…僕だったら、オートバイとか、麻雀とか、音楽とか、たまにスジミチあるところで怒鳴るとか、自分より強い立場の人間に喧嘩ふっかけるとか、あるいは、地道に人の役に立つことするとか、…いろいろあるよ。

 もう一つは、一人で出来る楽しい事を見つけるんだよ。
 一人で機嫌良くしてられない人間が何人集まったって、機嫌良くはならないよ。…これ、僕のオリジナルな言葉らよ。
 一人でいる楽しみ知っている人だけが、一人で自分の独自の楽しみ持っている人だけが、人との健康な交わりできるんだよ。

 僕、その障害者の人を一個の人間として尊重するから、対等にものを言ったよ。ヘンな遠慮もたないようにしたから、強い言葉も書いたよ。
 もし、その人が被害者意識の固まりで、人の意見聞こうとしないで押し通してくるなら、僕はその人を、ただ哀れむ存在としてしか見ないけどね。
 そうなりゃそれが、その人にとってはまた偏見になるんだろな。…いたちごっこらね。
 だからこそ、自分独自の楽しみ見つけるの、大事と思うんだ。

新潟地震の記憶欠片

新潟地震、昭和39年6月だとテレビで言ってたよ。僕、そのとき二歳半だったんだね。
 でも、その瞬間の事、憶えてるよ。

 見ている光景に急にひびが入ったと思ったら、電波の悪いテレビ画面みたいに目の前が揺れて暴れだしたんだ。
 そうしたら父さんが僕をかかえて外に飛び出した。
 じいちゃんもばあちゃんも一緒に外に飛び出たね。
 母さんとカヅ子はどこにいたか分からない。
 家の中だったか外だったか、誰かから誰かに僕がボールみたいに放り投げられたのも憶えてる。

 突然場面が変わったら、揺れがなくなっていて、畑のそばに敷いたムシロの上で、僕とカヅ子とばあちゃんが、のんびりすわっているんだ。
 国道を、でっかいトラックがラクダみたいにのろのろ走ってきて、それを見て、
「あのトラックが地面揺らしたがあろ?」なんて聞いたよ。

 憶えてるのは、そこまで。
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