フローリングのワックスクリーニングでの写真だよ。
上の写真は、洗剤で洗って汚れを取った後のフローリング。
汚れが無くなってるでしょ?

下の写真はその後ワックスを塗って乾かした時の。

今、写真見たら、キレイだね。新品みたい。
でも言っとくけど新品じゃないよ。目を床に近づけてよく見ると、傷もあるんだ。
でも、我ながらまた…。ハハ、これ以上は言いません。
フローリングを洗って汚れ落としするの、これものすごく手間掛かるんだ。知識も技術も要るんだよ。
ワックスクリーニングのキモはね、ワックスの塗り方じゃあないんだよ。
いかに床フローリングの汚れを取り去るか、に尽きるんだ。
こちらのお宅のお掃除も僕、一生懸命したから、やっぱり我ながら、うまくいったなあと思ってます。…やっぱり言ってしまった。
今日は自慢こきのダガシだね、ゴメン。
今月のはじめだったかに書いたけどまた、カレンダーの紙やぶる日が来たね。
今朝、五月の紙やぶって六月の月出したよ。
何日か前から新潟市も暑っつくなって、夏の服着るようになった。
季節が移って、ゆくんだねえ。
季節が変わってゆく、移ってゆく、また移ってゆく…。
だんだん季節のかわりめが、はっきり分かるようになったのは、歳とっていって、敏感になっているのだろかね。
それとも、時間をもったいないと思ってるがろか。
きのうは今年初めて、体動かさないでも汗がでたよ。
クルマ運転してるだけで、背中から汗が出た。
暑かったからね。
だから昼からお客さんのとこに打ち合わせに行くとき、今年初めて短パンはいて行きました。
サンダルも新しいの買おうかな。
きのう美容室の店舗清掃してる時のことなんだけど、
床を洗って、ひと月ぶんの表面の汚れを取りさって、
それでも取り切れないで床にこびり付いてる汚れを、
いつものように手作業で、這いつくばって取っていたときのことなんだけど。
お店の前の通りを歩いてきた、若い女の人のグループの一人が店の中を見て、言ったんだ。
「わあー、キレイ!」って。
僕、その声聞いても、知らん振りして床の汚れを取ってたよ。
でも思ったさ。「やったぜ!」とね。
ときどきあるんだ。
通りを歩きながら店の中をみて、こう言ってくれる人が。
そのうちの一人のひとでも、このお店に、来てくれるきっかけになってくれればいいなあ、と思うんだよ。
そのためにも僕、店舗や医院のワックスクリーニングしてるときはいつも、お店の入り口のドアと窓のカーテン、大きく開けっ放しにしてやってるんだ。

きのう、エアコンクリーニングしてるとこだよ。
また取り外してあるエアコンのお掃除だったんだ。
壁からはずしてあるエアコン清掃も、お陰さまで上手になったみたい。
この写真は、僕が作業してるところに、知ってる人がたまたま来てさ、だからいいところに来てくれたと、僕のケイタイで撮ってもらったんだ。
この時は丁度、洗い終わって、エアーコンプレッサーの圧縮空気を噴射させて、エアコンの中に溜まってる水気を吹き飛ばしてる工程です。
僕の頭に乗っかってるのは、ゴーグルだよ。
ずーっとしゃがみっぱなしだったから、膝がちょっとギシギシいってたよ。
プロという言葉、プロフェッショナルという言葉、僕は自分には一遍も使ったことないんだ。
掃除、ハウスクリーニングの業界で、広告のチラシでもホームページでも、プロにおまかせ! とよく書いてある。
でも、プロプロと言う人に限って、仕事できない人が多いように思うよ。
そしてプロということって、儲けに走りすぎてる人が多いようにも思うんだ。だって、プロと言う人って、仕上がりの品質より、お客さんに満足してもらうことより、掛かる時間とか掛ける経費を抑えることにばっかり気持ちが行ってて、それがプロだと思ってるみたいに聞こえるんだもんさ。
だから僕、自分の広告やホームページでは、僕のことをプロとは一言も言わないんだよ。
そして僕は実は、いい意味のアマチュアリズムということを実は、大切にしたいと思ってる人間なんだもん。
それはまあ、初心忘れるべからず、ということに通ずるとも、思ってるんだけどさ。
それだけど、仕事は、お客さんに楽しんでもらうことは、プロと自称してる人には絶対に負けない自信はあるから、大丈夫だよ。自分で言ってるね、へへ。
僕、ある一部の医者には幻滅してるよ。
さっき、あるどうしようもない人間性の医者の書いてるブログに何回かコメントしたけど、僕の書いたコメント表示しないようにしてるみたい。
まあ、僕の書いたのは、そのブログ書いてる人に、批判というか非難というか、喧嘩売ってるような内容だったからね、ハハ。
それにしてもそのブログの中身見ると、これで人間として良いのか? と思うような内容なんだ。自己保身と自己弁護と仲間内の馴れ合いの傷の舐めあい誉め合いとか、そういう欺瞞に満ち満ちてる。
そこにコメントしている人間たち(お医者たち)の書いてるコメントも、読んでると腹立ってくる内容なんだよ。
人間として、職業人として、誠実さのかけらもない内容なんだな。
その内容は、ここでは書きません。ブログの題名も出しません。そういう人たちと僕が、同類になるような気がするから。でもあんまり内容がひどくなるようなら、もしかしたら紹介するかもしれないけど、その前に、そういうお医者さんは医者を辞めてほしいと願うくらいな内容なんだよ。
そういう内容のお医者のブログ、いくつもあるみたいなんだな、悲しい事に。
しかし、誰もが見られるブログで、コソコソした卑劣な内容のこと書くことできる、その神経というかセンスを疑うんだけどさ。まあ、匿名で書いてるからなんだろけど、それでも、お医者さんというイメージを大幅にダウンさせてしまうという事、それによって自分も仕事しづらくなってしまうこと、そういうこと想像できないのかな、と思うんだけど、出来ないから、無神経に、自己弁護だけのことで盛り上がる内容を書いてるんだろなあ。
自己批判とか、自分のいる業界への批判とかという視点が無いんだ(もちろん自分のことを自戒を込めて、自省を持って書いてるお医者さんのブログもあるんだけどさ。そういう人、そういうお医者さんは僕、尊敬するんだけどさ)。
もう、お医者だからといって、尊敬とか信頼とか親しみとか、そんなイメージ持つこと自体、できない世の中なのかもしれないな。
もちろん、尊敬できるお医者さんも、何人もいるんだけど、僕も尊敬しているお医者さんも何人もいるんだけど、インターネットで遊んでいる医者の中には、ヘンな人が多いかもしれないなと思ったよ。
まあ、そんな人はそのうち淘汰されてゆくだろと思うから、お医者さんが増えてくれれば、そういう人は医者として、というか人間として、いつかボロが出るだろから、早く、お医者さんを増やすように、僕らが声を出してゆかんばならんなあと、思いました。
僕、広告代理店に勤めてたとき、たしか建設業界に、ある新聞の名前だけの広告(名刺広告っていうんだけど)の集まりの枠で、そのセールスで、本社からは、案内書を郵送して、その後実際に行って、話してセールスせよと指示されてたんだけど(僕そのとき、その広告会社の支店にいたんだけどさ)、郵送するのは切手代がもったいないし、ほとんどの建設会社はその枠に毎年出してるし、毎年のいつものことなんだからコストは節約するべきだろと、僕、案内書をファックスで送ったんだ。
顧客リストでその会社のFAX番号探して、分からなけりゃ直接その会社に電話して、こういう広告会社ですが、これこれこういうことで案内書を送りますのでファックス番号を教えてもらえますかと言って、案内書を次々ファックスしたよ。
ファックスしてから届いたかなというころ見計らって電話して、セールスした。
わかりました、と簡単に言われてどんどんどんどん次々と、契約もらっていったよ。電話のその場で原稿の内容を決めてもらって、次々原稿作ってった。
本社に全部の原稿を送って、これは簡単だなあと思ってたら、本社の部長から、なぜこんなに早く原稿送ってこれたか聞かれて、これこれこういう訳で出来ましたと報告したら、馬鹿野郎! と怒鳴られて、ちゃんと行って案内しなけりゃ駄目だろう! と叱られたんだ、ハハ。
僕としては、こちらの手間も、お客さんの手間も、節約できたんだから、両方にとって良い事したと思ってたんだけどさ。
まあ、もう二十年も前のことで、あの頃は、セールスも何かしら手間を掛ける事が優先されてた時代だったのかもしれないし、今はもしかしたらもっとドライにセールスするのが流行りかもしれないけどさ、ホントのところは分からないけどさ。
逆の立場で、僕がセールスの案内書をファックスで送られて、あの時の僕のように電話だけでセールスされたとしたら…、まあ必要だと思って広告出そうと思ったら、すんなり出すだろし、出す必要なしと思ったら単純に出さないだろと、思うよ。
費用対効果のことをまず考えるだろな。
僕は自分じゃウェットな人間と思ってるけど、そういう、ドライな(…合理的と言いたいけど自分じゃ分からないけどさ)そういう面もあるんだ。
それはもったいながりだと、自分じゃ思ってるんだけどね、ハハ。
きのう朝、大庭みな子が死んだってね。
夕方アクセス解析見たら、「大庭みな子」で検索されてるのが何件もあったから、どうしてかなあと思ってたんだ。
夜、ニュース観てたら大庭みな子が今朝死去、と言ってたよ。
去年何回か、大庭みな子のことで書いたから、それで検索して読みに来てくれたのだろかね。
作家で、もう何年も書いてなくて、雑誌にも顔出してない人いる。
安岡章太郎という人。この人、僕が太宰の次にキチになった人だよ。もう80くらいなんだろな。
もう一人は野坂昭如。テレビにも雑誌にも書いてない。
僕はもう今、文芸雑誌読んでないから、もしかして二人が書いてるかどうかは分からないけどたぶん書いてないだろな。
それとももう、死んでるのだろか。死んでいて、僕がニュース見てないから知らないだけなんだろか。
ずーっと、思ってて、図書館行くと時々、図書館のパソコンでできる本の検索で、作家名「安岡章太郎」「野坂昭如」と入れて検索しても、新しい本出てないんだ。
でも、死んでてもいいんだよ。書いてたもの、必死になって僕、読んで読んで読んでたから。
僕の中で生きてるから。
大庭みな子も僕、また読んでみるよ。
きのう工藤が勝ったってね。
プロ野球だよ。
ピッチャーの44歳の、工藤のこと。僕のひとつ下なんだね。
やっと勝ってくれて僕も嬉しい、待って待って待ってたから。
きのうテレビで観た工藤の顔、若いもんの顔じゃなくなってたな。
前の顔とどこがどう変わってたかはうまく言えないけどさ。
工藤って子供顔というか童顔だから、目が大っきくてほっぺたふっくらしてたけど、きのうのテレビで観た工藤は、頬がこけて顔にしわがあったよ。
でも僕、その皺は、カッコイイと思ったよ。僕の好きな顔だ。
そして投球の瞬間、顔から汗がほとばしってたね。
若者の顔じゃなくなった工藤も僕も(僕を工藤と比べるのはオコガマシイだろけどさ)、汗かいて、汗かいて、一生懸命。
エアコンクリーニングで取り外してあるエアコンのクリーニングをしたよ。
そういう外したままするエアコンクリーニングって僕、初めてしたんだ。
お客さんは今、家をリフォーム中で、庭も大工道具とかがいっぱい置いてあって、ならばじゃあ、僕が持って帰ってうちでしようということになったんだ。
上の写真は、こんな感じでクリーニングしようかと試行錯誤して置いてみたところ。
僕のクルマの駐車場で、押し入れ収納ボックスの上で、したんだよ。

下の写真は電装部品と全体をマスキングしたところ。

最初、マスキングするのは電気が通る基盤だけにして、全体はビニールで養生しないで、エアコンクリーニングした時に出る汚れ水を、地面にそのまま流れさせようかと思ったんだけど、いや、それは地面を汚すことになるから良くないなと思って、汚れ水はバケツに溜めるために、それで上の写真のような感じでやろうと考えたんだ。
でも、この押入れ収納ボックスにエアコンを置いてクリーニングすると、エアコンの風の吹き出し口がボックスで塞がれて開かないから、洗剤を吹き出し口の中に吹き込めないんだよ。
だから最初、熱交換器を洗って、その後、吹き出し口の奥の送風ファンや内部を洗ったんだ。
内部を洗うときはね、エアコンを縦に起こして片手で支えながら洗剤を吹き付けたんだよ。
その後はエアコンを裏返してすすぎ水を吹き付けた。それも片手で支えながらね。
そういうの、工夫しながらだったから、大変だったけど結構楽しかったな。
縦にしたりひっくり返したりしながら、エアーコンプレッサーで洗剤と水をジャブジャブ掛けて洗ったから、電装部品に水かかってないかヒヤヒヤしながらやってたけど、洗い終わってマスキング取ったら、電装部品は濡れてませんでした。
クリーニング終わって、お客さんのところに持っていって、電源入れて、お客さんと一緒に作動テストしたら、うまく動いてくれたから、ああ、良かったなと思ったよ。
エアコンの内部に水気がまだちょっと残ってるから、お客さんのところでも押し入れ収納ボックスの上に置いてもらって、30分くらい送風運転してくださいとお願いして帰りました。
僕、取り外したまんまのエアコンクリーニングも出来るようになったから、また勉強になりました。
お客さんに感謝だね。
衣替えはあと一週間くらいだけど、部屋を見渡してみるとまだカーディガンがハンガーにかかってて、でもその横の横にもう短パンが出してあるんだ。
さすがにこないだ、コートはしまったよ。
五月のうちに冬物は、しまおうと思います。
きのうリフォーム中のお客さんのところに仕事で行ったら、門を通るときに僕の手にぽたんと雨粒みたいなのがひとつ落ちて、何だかなと思って自分の手を見たら透明な水が付いてて、雨でもないのにまた何だかなと思って上見たら、門に松の木がおおいかぶさるように枝が伸びてるのを切ったばっかりみたいで、その切り口からしずくが落ちてきた。
手についた(滴)しずくの匂いを思わずかいだら、それほどにおわないけど、かすかに木のいいにおいがしたよ。
それだけのことなんだけど、発見かな、と思ったんだ。
芋たこなんきんの最終回観られなかったから観たかったなと思ってて、でも観られなかったのもそれがまた何だか僕にとって味があるんだろなと思ってたらきのう観られたよ。
きのう日曜日で家にいてちょっとテレビ点けたら偶然芋たこなんきんのスペシャル番組やってててそれ観たら、最終回で実際の田辺聖子がドラマの中に出てたんだね。
田辺聖子のエッセイこないだまた一冊読んでたら、そうしたらきのう芋たこなんきんの番組観られたんだから本読んでたからかな、よかったなと思ったよ。
田辺聖子、元気だね。瀬戸内寂聴もそうだし。死ぬなんて気配ないね、ハハ。
そういう人見られるだけで、そういう人の書くもの読むだけで、こっちも元気もらえるのだろなと思って、またうれしくなりました。
させられる、という言葉が嫌いだ。
〜させられたとか、〜させられてるとか、自発的な能動的な言い方じゃない言い方のこと(させていただくっていう、謙譲の言い方じゃあないよ。でも僕、させてもらう、を連発するのも嫌なんだけどさ)。
させられてるって、
命令されて、脅かされて、仕方なくしている…って感じ。
それならやらなきゃいいのに、と思う。
そういう言い方、精神病院の患者さんたちが、よく言ってたな。
いや、そこの病院の看護婦さんもお医者さんも、よく言ってたな。
介護や福祉の業界の人たちも、させられてるって、よく言ってたな。
普通の会社の人たちも、まあ、言ってるな。
そしてね、
〜させる、とか、〜させてる…という言い方も僕、嫌いなんだ。
大きめな会社に勤めたら、初めて聞いた。
下の人も、自分より下の立場の人間に、よく言ってたな。
偉そうだなと、思ったな。
単純に、する、とか、しよう、とかが、いいなと思うよ。
小さいころに言われたこと。
落ちたまんまつぶ拾って食うがあろ。
茶碗についたまんまつぶみんなとって食うがあろ。
まんま食う時はあぐらは駄目!
父ちゃんもじいちゃんもあぐらかいてるろ。
おとなはいいが! 汝(なー)は子供らろ。
ひじつくな!
ほかには、見てねのにテレビつけてるとボーンと爆発するろ、とか。
たいがい、ばあちゃんが言ってくれてたな。
その頃はそういうもんだと思ってたし、今でもどこかで、やっぱりそういうもんだと思ってるよ。
かすりの模様というのがあるね。あったね、というべきなのかもしれないけどさ。
僕の子供の頃、母さんたちがはいてたもんぺの模様。
あのかすりの模様、今、なくなったね。
僕、好きなんだ。
復活させたいと思うんだ。
たとえばハンカチとかバンダナとかに。
男のパンツにも、いいなあと思うよ。
医療のこと書いたら、お医者さんというような、人から嫌がらせのコメントされるようになったよ。
その人たちのうち、この人はお医者さんじゃないな、と分かる人もいるんだ(何故それ分かるかというのは秘密)。
だからお医者さんの振りしてコメント書いてる人は恥ずかしがるだろうかなと思うんだけど、そういう人はそういう人なんだから、元から自分のしてる事なんて恥ずかしがることもないだろね。
僕の仕事、法人のお客さん(個人の人でないという意味で、お店とか、それこそお医者さんとかのお客さんのことだよ)からも、一般個人のお客さんからも、電話もらってリピートしてもらってるけど、逆に、このブログのコメントで、さっき言ったような嫌がらせのコメントされるから人間にも色んな人いるなあと、思ってる。
あたりまえだったね。
僕のお客さんたちは、そんなコメントなんて笑い飛ばしてくれる人ばっかりだから、僕は僕のお客さんのこと信頼してるし尊敬してるし、ありがたくて嬉しくて、また(キレイゴトじゃなくて)さらに一生懸命しよう! と思ってるんだよ、ホント。
嫌がらせされたら、逆に僕、ヨシまた頑張るぞ! と思いました。
ただね、あと思ったのは、そういうコメントする人、自分が説教好きだと自覚してないんだろな、という事だよ(そして人にチョッカイ出すのが好きな人って、いる。そのチョッカイって、自分より弱いと自分から見えた相手に、どうでもいいことで馬鹿にしたように説教がましくチョッカイ出すんだ。僕、精神病院で看護助手で勤めた時、そういう患者さん、何人も見たし、そういう人って、患者さんだけじゃなくて看護する側の人間にも何人も見た。老人ホームでも見たし、他の介護の現場でも何人も見た。そういう業界って、そういう事、ありがちだと思ったよ。
そしてそういう自分より弱いと見た人間に対してチョッカイ出して下品に喜ぶ性質とか、多勢に無勢で多勢の方について、数が少ない方に高みから物を言うとか、…人間誰でも僕でも、持ってるんだろなあと、その時から思ってるんだ。
だけどね、相手を誉めてやる気を出させるような励ましや冗談は、チョッカイとは違うと思ってるよ)。
僕は自分が、説教好きだし、自慢好きだし、喧嘩っ早いしと、自覚はうーんとしてるんだ。
だから、説教するときは、自慢するときは、喧嘩するときは(人に批判するとき含めてさ)、自覚してるつもりだし、少なくとも自覚しながらやりたいという気持ちはあるよ。
でも多くの人様は(大昔から思ってたけど)、自慢するのも説教するのも人のアラ捜しするのも、無意識に嬉しがってるように見えるんだ。酔っ払ってるように見えるんだ。…そう見える僕は、イヤラシイ人間なんだろなと、これまた自覚してるんだけどさ。
ああ、そういう自分のこといやらしいと自覚してる人と、人間の自覚といういやらしさについて、思いっきり話ししてみたいよ。
こんなコメントがありました。
こないだの僕の写真のエントリーに。
書いた記事にコメントするのなら、まあ分かるが、
そうでない全然関係ないエントリーの場所にコメントする。
そしてその内容も、僕の書いたものを読んでないようだ。
まるで頭が悪いなあ、このjasperて奴は!
jasperとやら、お前、それ単なる嫌がらせだぞ。半端野郎が!
それなら名前を出してから言ってみろ!
俺の前に来てから、それを言ってみろ!
この中途半端なクズ野郎が!
僕もたまには言葉が荒くなります。
関係ない場所に書かれたコメントだから削除します。
ですが黙って消すのはダガシの主義に反するから、
半日くらい、僕のためにもjasperのためにも、この下で公開します。
そして半日くらいしたら、これも消します。
いや、当分消さないかもしれない。
※※※
『
To lower crust』
医者たたきの不愉快なブログだ。
あなたの家族,妻,子供,両親は病気になって
病院のお世話になることはないのか?
インテリジェンスの低い,お掃除おやじに
僕らの仕事を批判される筋合いはない。
お前は足りない頭をこんな無駄なブログ制作に
費やすのではなく,ただひたすら床を磨け!!
お前の仕事は床を磨くことだ。
医者の仕事に口出しするな。
それから,
その間抜けツラを公にさらすな。
きもいぞ。
2007/05/16(水) 16:36:09 | URL | jasper
※※※
こいつの言ってることには反論することも疲れるからしない。
この半端な馬鹿が!
自分のやってる事を恥ずかしがれ!
このjasperっていう奴のIPアドレスっていうのを公開しようかとチラッと考えてしまったけど、そうすると俺もこいつと同類かなあと思って当たり前だけどやめた。
jasper、お前は医者をやめろ! お前は医者に向いてない。
お前に向いてる仕事があるかどうかは知らないが。
そしてこれだけはハッキリしてるぞ。
お前が医者をすることは社会の害悪だ!
…こんな人間がお医者をしてると思うと、悲しいよ。
今思ったんだけど、こいつはお医者さんじゃあないのかもしれないなあ。
納豆の味が、僕の子供の頃から変わったような気がするよ。
味が、薄くなったようだ。
といって、まずくなったわけじゃなくて、おいしくなったわけでもないな。
味が薄くなって、食べやすい味になったと思うけどさ。
きのう酒の肴に、試しにかき混ぜないでマヨネーズたらして、食べてみた。
不思議に美味しかったです。

また一ヶ月、いや二ヶ月くらいかけて読んだ本だよ。
V.E.フランクルっていう、太平洋戦争のとき、ユダヤ人虐殺の収容所にいれられてた心理学の精神科のお医者さん。
その人の精神分析学というか、思想というかを解説してる本だよ。
斉藤啓一という人が書いた『フランクルに学ぶ』という本だ。
僕、大昔にフランクルの本読んで(『夜と霧』とか他いろいろね)、そしていろんな人が書いてる、フランクルの精神分析のことの本何冊も読んで、…でもね、いまいちフランクルの考え方、うまく腹に収まらなかったんだ。
フランクルの言う態度価値っていったって(簡単に言うと立派な態度をしつづけるってことみたい)、そういう、報酬のない絶対的な自己犠牲みたいなもの僕は、俺は本当にできるのだろかと僕自身を信じられなかったもん。
そして仮に僕がそういうふうに出来たとしたってさ、周りの人間がそうじゃあないんだから、たぶん僕は周りの人間がラクしてると思ってしまって、その人たちに、ラクしやがってと嫉妬みたいな気持ちが出てきてしまって、結局バカバカしくなって、態度価値なんて自己満足だよとやめてしまうんでないろかな、と思ってたんだ。
でも、一ヶ月以上かかって、またつッかえつっかえしながらこの本読み終えてね、フランクルの言いたいこと、何となく少し分かった気がしたよ(といって、この本に100パーセント共感してるわけじゃないよ。ただ、僕の目を少し、別の方向に開かせてくれたとは思ってるよ)。
そうして態度価値って、仏教でいう、三昧のことだろなあと思った。
人が見ていようといまいと、自分がそれをやってる事を自分で意識しようが意識しまいが、もう、自分がそれをやってることの自覚もわすれてしまってて、周りのことも自分のことも、もう忘れてしまってて、今、自分はこれをやってるんだということも忘れてしまってて、…そういうことが、態度価値ってことなんだろかなあ、と思ったよ。
であれば、人から誉めてもらわなくとも、報酬があろうがなかろうが、自分で自分のやってることの使命感を持とうが持ちまいが(フランクルは、使命感は、たまには自覚するのはいいけれど、その、使命感を持ちつづけるというか必要以上に意識しすぎるってことは、いいことではないというか本物ではない、と言ってるらしいね)。
…だから、ただ、やるだけ。
単純に気持ち良いから、ただ、やるだけ、って境地かなあ。
そして自分が気持ちいいことさえも、その時は忘れてるだろね。
そういう境地、なるには難しいのだろうけど、時々は、いってみたいよ。

ちょっと前に、人に写真送るために撮った僕です。
そのとき髪の毛グチャだったから毛糸の帽子かぶったんだ。
ばあちゃんの顔、おもいだしたよ。
煮干というのが昔あったね。
今だってあるんだろけど、最近、煮干の香りの味噌汁って、あんまり無いような気がするよ。
あるとすれば、一部のラーメン屋さんに、煮干の匂いのスープの店があるね。
小学校の中学年くらいまでだったか僕、煮干をそのままボリボリとかじってオヤツにしてたなあ。
朝の味噌汁で出汁取って余った生煮えの煮干も、僕、食べてたねえ。
歯ごたえが無くて、でも噛み切れない、不思議な食感だったの憶えてるよ、ハハ。
あの頃の煮干のお陰かどうかな、僕の骨はたぶん、丈夫だと思うよ。
玄関のインターホンって(あのピンポーンだよ)、汚れてること多いんだ。
でも大概、その汚れは放っておかれてること多いんだ。
僕が仕事で伺ったおうちのインターホンが汚れてたら、黙って拭いてキレイにしてるけどさ。
部屋にあるファンヒーターの中に、まだ灯油が入ってるんだ。
たぶんあと三時間くらいつけることできる分、入ってるかな。
最近きゅうに暖かくなったから、ファンヒーターつけることなくなって、そして灯油使い切る事しそびれたけど、きのう、強い夕立がザアッと降ったとき、涼しいというかちょっと寒いくらいだったな。
ということは、これからストーブつけることもあるだろかと思って、なんだか安心したのです。
長野に転勤で居たときは、梅雨になると、コタツ出す家もあるって聞いたし、たしかに梅雨ざむという寒さもあったなと思い出したよ。
でも新潟市はそれほどじゃあないからね。ただ単にまた、僕の不精のことを書いてるだけだろね。
すみません、もうすぐ灯油使い切って、片付けます。
僕は自慢するのが好きだけど、いろんな人の自慢話を聞くのも好きなんだ。
だって、自慢できる事があるって、素晴らしいもんね。
でもね、自慢って、今現在の事でなけりゃ、あんまり自慢してもカッコワルイだろね。
昔のことの自慢話しか出来ないのは、ナサケナイことかもしれないな。
ダガシは昔の自慢話はいっぱい出来るけど、今の自慢は…うーん、まあ、何事にも一生懸命に取り組もうとすることだけは、自分で言うのも何だけど、まあ自慢できるだろか、それくらいだろかね。そしてそんなこと自分で言うんだから馬鹿だね、ハハ。
でもさ、自慢話を聞かせてもらえる、あるいは読ませてもらえるのも、嬉しいことだよ。
だって、僕にとって新しい発見できるもんさね。発見できたら、どうしてか嬉しいし楽しいもんね。
だけど自慢話を聞かせた後、相手が嬉しいなあと思ってもらえる話し方が、たぶん難しいんだろうね。
こんなに暖ったかくなるとやっぱり、ヨットパーカー着ることになるね。
それは、コートに、形が似てるからだと思うよ。
寒い時期から急に気温上がって、Tシャツで外歩くのもどうなんだろか、見た人があの人何だかいろいろ早いのじゃないかないんて無意識に違和感感じさせるのもよくないのだろかと、思ってさ。
だから、僕、ヨットパーカーはおって、外に出るのです。
それなのにきのうスーパーで、Tシャツで買い物してる人いたよ。
うらやましかった。
「あの谷の向こう側にたしかに美しい花が咲いていると信じ得た人だけが、何の躊躇もなく藤蔓にすがって向こう側に渡って行きます」
太宰治の『お伽草子』、『浦島太郎』の亀が言ったセリフだね。
チャレンジってことかな。
お前がやろうとしてる事は、誰もやったことないんだよ、とか、
お前がやろうとしてる事は、もうみんながやり尽くしてるんだよ、とか言われても、
谷の向こう側の花を見てみたいと思って、細いつるに、えいっとしがみつくんだろね。
だって亀でもね、チャレンジが大切だと言ってるもんね。
今年の三月十五日に書いた分「
勤めを辞める権利と辞める義務」というのに、全国のお医者さんからいっぱい批判のコメントもらった。
小児科のお医者が寝る時間ないほど忙しくて、鬱になって自殺したニュース見て僕、「自殺するくらいなら辞めればいいのに」と書いたんだけどさ。
もう今ではお医者さん達からのコメントもなくなって、ある意味ホッとしてる気持ちもあるんです、…へへ。
でもね、あれから僕、医療崩壊ということ初めて聞いて、少し真剣に考えるようになったんだ。
そしてこの何日か、僕の他にも自分のブログに沢山お医者さんから批判コメント受けてるブログがあるだろかなと(そういう、いっぱい批判コメントされるのを、ブログ炎上、というんだけどさ。炎上なんて言葉、俺には関係ないと思ってたんだけどね、ハハ)、検索して探して、いくつか読んでみたよ。
思ったのは、お医者さんたちの、忙しがって苦しい気持ちも分かるんだけど、だったらどうすべきかということ、お医者さんたち、あんまり書いてないんだ。
お医者さんが書いてるブログもいくつか読んだけど、自分ならこうすればいいと思う、という事ほとんどの人が書いてないんだな。(また、お医者さんから批判コメントいっぱいくるだろかな)。でも一人だけ、自分はこうしたらいいと思う、自分はこうしてる、と書いてるお医者さんいたよ。僕、嬉しかったな。
まだまだそういうお医者さん、もっといるだろね。いてほしいね。
そして僕の思ってる、日本の全体の医療費を今より少なくするにはどうすればいいか…という事、お医者さん達って、医療費をもっと増やせと言ってる人が多いみたい。…それには僕、あんまりいい気持ちしなかったよ。
中で一人だけ書いていた人のブログで、「今より一人ひとりの医療費の単価を上げれば、全体の医療費は下がる…」という意味のことを。
それ読んで僕、はじめ逆じゃないろうかと思った。
でも一人一人に掛かる医療の費用が少なけりゃ、まあ人々は、お医者に行きたがるだろうねえ(医者には、よっぽどの事じゃなけりゃ掛からないぞなんて思ってる馬鹿は、ダガシだけらろうからね。でもそれは、今よっぽどの事がないだけで、そういう僕は幸せなんだと思うけどさ。
そしてなぜ僕がそういう事思うようになったかというと、ずっと前の大昔、ある作家の(純文学作家の)エッセイに、「昔は、芸者を揚げるという言葉があったし、医者を揚げるという言葉もあった。それだけ医者に掛かるということは、贅沢なのである(揚げるという字はこれでいいか自信なしです)」というの読んでね、それから僕、病院がオッカナイというのもあるし、安易に医者に掛かるのはいいことではないんじゃないかと思うようになったんだ。僕は馬鹿です)。
だからそして、風邪とかのちょっとしたことでも、すぐに医者に掛かりたがる人々ばっかりだったら、日本全体の医療費は、膨らむばっかりだろうからね(そうしないためには、病院に行かなくとも少しくらいの事だったら自分で何とか出来る知識や、自分で何とかしようとする事がカッコイイという価値観や、普段から健康に気をつける生活することとか…大勢の人がすることが前提だけどさ)。
そうして僕が思っている、延命だけを目的にした治療を受けて、ただ単に長生きをする事が良いことだという価値観を捨てて、生きてるうちに何かに精一杯ヘトヘトになって打ち込んで、悔いなく生きれば…という価値観広がれば、もうすぐ確実に死ぬと分かってる人に、いっぱい色んな(無駄とはいわないけど)いっぱいお金かかる医療の事することなくなるんじゃないろうか、と思うんだ(ああ、またダガシは暴言言ってるろうか? でもそういう時、そういう治療受ける人は、本当にそういう治療受けたいと思ってるだろかな?)。
そして、毎日の瞬間瞬間をヘトヘトに充実して生きようとする人が増えれば、何でもない風邪ぐらいな病気の時に、すぐ医者や病院や薬に掛かることも減るのじゃないろうかな、と思ってたんだけど…(今日は「そして」という言葉使いすぎてるなあ)。
でもさっき思ったんだけど、そんなこと言ったって、当たり前だけど世間の人がそんなふうに思うこと、あんまりないろうなあとね、…ハハ。そんなこと言うのは僕の自己満足なんだろな、ともね。僕だって瞬間瞬間をいつも、ヘトヘトになってるわけじゃないからね。
そして医療費のことは、僕は一人一人にかかる医療費は低くしておいて、でも社会の人は普段はそんなにお医者に掛からないようにしていて(例えば今の五分の一くらいかな)、そして本当に必要な時(交通事故とか盲腸とか突発的な病気とか何かの怪我とか、そしてお産とか、あと僕の思いもよらない事とかさ)に全体の医療費は取って置きたいと思うんだけど。
でもやっぱり、病気にかかる一人一人にかかるお金が安かったら、風邪でも何でも、鼻水が出るからちょっと医者に行ってくるよとか、風邪ひいたか早く医者に行け、とか皆言うだろうね、…ハハ。
そして全体の医療費は減るどころか膨らむろうね。
ということは、そのお医者の言う通り、一人一人に掛かる医療費は上げるべきなんだろか? とも、思ったんだ。
でもそうすると、貧乏な人は、本当にお医者に掛からなきゃならん時に、お金の事で掛かれないことが出てくるかもしれない。これは良くないろうと、思うんだ。
あれこれ考えてて、僕、正直よく分からなくなったよ。
僕はいつも、代換案のない反対意見は、あんまり上等なものじゃないと思ってる。
だけど僕自身、医療崩壊をどうなくすか、そうして今より、患者さんも、お医者さんも、医療の業界で働いている他の人達も、そして社会全体も、良い方向に行かせるためにはどうすればいいのだろか、…僕もすぐには分からんよ。もしかして一生、分からないかもしれない。
でもね、分からん分からんと言うだけじゃ申し訳ないと思うんだ。誰に申し訳ないのかは分からないけどさ。
だから、考えつづけてゆこうと、思っています。
そうして答えが出たら…。
家でラーメンを買い置きするようになったのは、僕が小学校の高学年になってからだろかね。
ラーメンは食べては駄目と言われて育ったダガシは、今ではこころおきなくインスタントラーメンを食べられるんだけど、でもあんまり食べてないんだけどさ。
この頃みたいに暑くなったら食べたくなるのは味噌ラーメンだよ。
どうしてなのか分からないけど、上着一枚着なくなる頃になると、インスタントラーメンの味は、味噌を買うようになるなあ(ちなみに普段は塩ラーメン食べてて、冬場はとんこつラーメンだ)。
そうしてね、小学校の四年くらいだったけど、同級生の女の子の家に遊びに行って、夕方になった頃、その子がつくってくれたインスタントラーメン、おいしかったこと憶えてるよ。
どんぶりにラーメンの麺だけを入れて、その上からヤカンの沸かしたお湯をかけて、丼の蓋をかぶせて、三分待った。
僕、その頃は未だインスタントラーメンの作り方知らなかったから、そういうものだと思ったけど、たぶんあの時のラーメンは普通のインスタントラーメンだったから、チキンラーメンとか今のカップラーメンのような三分待つ作り方じゃ、あんまりやわらかくならなかったのも憶えてる。
でもね僕、ラーメンってそういうものなんだろと思って、「ああ、おいしい、おいしい…」って美味しくいただきました。
その子も僕も、そのときとっても嬉しかったからね。
暖かかったので、衣替えのようなことしました。
といっても、冬物からぜんぶ春物に替えたわけじゃないんだけどね。
出しっぱなしにしてて洗濯しなかった、厚手の服を洗濯して干しただけなんです…へへ。
きのうは買い物するの、半袖ででもいいなあと思ったんだけど、それじゃあんまりだろかなと思って、薄いヨットパーカー羽織ってスーパーに行ったよ。
ゴールデンウィークというといつも、バイク雑誌を買えるのが早くなるのを思い出すよ。
毎月二日に、『オートバイ』、『モーターサイクリスト』を買うんだけど(本当は毎月一日発売なんだけど、関東でないと遅れて二日の日に本屋に並ぶんだ。そしてそれは雑誌と言う雑誌の、全部の雑誌がそうなんだけどさ)、何年に一回か、五月一日発売のが四月二十九日に新潟県の本屋さんに並んでたことあるよ。
そしてそれは、それだけのことなんだけどさ、ハハ。
今はもう僕、バイク雑誌も買わなくなったから、というより本屋さんに行くのも一週間に一回くらいかな。五月になってから本屋さんには行ってないんだよ。
これって悲しい、と思うのか、いや思わなくなったな。
でも本買わなくなったけど、図書館で借りて読んでるから、そして読む種類の本ももっと硬い感じのになったしさ。
今読んでるのだっても、カタすぎるというかメンドウすぎるというかで、またつっかえつっかえしながらだから、読むスピードとっても遅くなってるよ。
一回、五月の連休でツーリング先でバイク雑誌買った事あった。どこだったか忘れたけど、バッグの中に雑誌押し込んで、泊まった健康ランドでビール飲みながらページめくってたなあ。
きのう、お風呂に入りました。
とお風呂に入ったとわざわざ言うほど僕は、お風呂に入らないんだよ。
湯船につかるのは、一年に数えるほどなんだ。
それでもね、独立してからはお風呂に入るの増えた。
それは多分、お風呂に入って気分転換したい、と思ってだと思う。
やっぱり独立して、ストレスってのが増えたんだろね。
だって、独立する前は、年に五、六回も入ればいいほうだったもんさ。
湯船につかってると、時間もったいないなんていつもの貧乏性が出て、早くあがろうと思うんだよね。
でもシャワーは、一日三回も浴びるときもあるんだよ。朝、夕方、寝る前とね。
だからお湯にただ入っているのが、申し訳ないというかもったいないというか…、それは神経病んでるのかなあと思うときもあるんだけど、ハハ。
でも神経疲れたときに、お風呂入って、湯船に長くつかろうとするんだから、不思議というか、僕も馬鹿だねえ、…へへ。
お風呂はやっぱり気持ちいいなあと思えること、お風呂って俺には今、贅沢だなあと思えること、これって僕にとって良い事か悪いことかどうか…、まあ一年に十何回かのお風呂だけで幸せになれるんだから、いいことだと思うよ。
スーパーに、だいこん菜が売ってたから珍しいなと思って買って、餃子と一緒に炒めて食べました。
ちょっと苦いところがまた美味しかったな。
みどり色の葉っぱの野菜は炒め物に入れると、色味もいいし味もいいね。
一束100円でした。
いつのまにか陽が長くなっていて、朝が早くなっていたんだね。
新潟市から見えるずうっと向こうの東の山から陽が出るのは、五時前だよ。
四時半だともう、うっすらと窓が明るくなっているね。
『限りなく透明に近いブルー』初めて読んだのは中学の時だったな。
国語の時間で先生が、「新しい小説家が出ました!」…なんて騒いでたし、世間もテレビなんかでいっぱい騒いでたし、だから僕騒いでるものをすぐ読みたくない…なんて思って一年くらいあえてわざと読みたいのに読まないでいたな(僕のそういう性格って、やっぱり大昔からなんだねえ)。
だから中学卒業する頃にやっと初めて、読んでみたんだな。
今日はたまたま明け方起きていて、もうすぐ陽がのぼる時間です。
窓開けて今、外を見ながら書いてるけど、そういえばちょうど、さっきまで濃い群青色だった空が、急に色薄くなった。
そして高校の時にも、大学の時にも、年をおいて何度か『ブルー…』を読んで、そうしてたしか十代の終わりだったかな、朝の空の色って本当に透明な青なんだろかと思って、明け方窓開けて外見たこと何回もあったんだけど、ただ群青色の空間が広がっているばっかりで、透明な感じはしないなあ…なんていつも思ってたこと思い出したよ、ハハ。
あ、目そらした瞬間にまた、さっきより空が明るくなってきたよ、空が見えてきたよ。
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