新潟のハウスクリーニング屋さんが出す母への手紙

新潟市のハウスクリーニング屋さんが、ちょっと遠くに住む母親に送る近況報告と、つれづれの思いなど

知らないうちに稲刈りは

 新潟市にもすこしは田んぼがあるんだけど、
 ふだん田んぼの道は通らないから、
 田んぼのこと忘れてるけどさ。

 きょう、田んぼが見える道とおったらね、
 とっくに稲刈りも終わっててさ、
 終わってるよね、
 もう十月おわるんだからね。

 いつのまにか田植えが終わってて、
 たっぷりと水が張ってたんだろうな、
 青々としてさ。
 そうして暑いさなかに穂は実ってさ。
 何回か台風も来てたようだ。

 そうしたら
 ああ、稲刈りも終わってた。

 いつのまにか
 おわってた。

 おれのしらないうちに
 おわってたな。

小松秀樹『医療崩壊』読んだらさ

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 今年の三月十五日に書いたエントリーの炎上したコメント欄で教えられた、小松秀樹というお医者さんが書いた『医療崩壊』という本、あのとき僕、読むと書いたから、こないだ読んだよ。
 あれからすぐ新潟市立図書館に予約したんだけど、待ってる人が何人もいたみたいで、予約から半年たって「予約の本来ました」と留守番電話に入ってた。

 結論から言うと僕、この小松って人の言うことのほとんどに、共感するよ。
 ただねえ、…長いんだ。
 たぶん本全部で(当てずっぽうだけど)原稿用紙で千五百枚くらいだと思うよ。
 それに字が細かいんだよ。この小さい字は、母さんじゃあ読めないよ、ハハ。
 それにね、中身が退屈なんだ。医療のことが味も素っ気もなくズラズラ書いてある感じ。
 この小松という人は、一般の普通の人に読ませようとして書いてはないな、と思ったよ。
 とするといったい誰に読ませたいと思って書いたんだろ?…うーん、お医者たちは忙しがってるだろし、厚生省の役人は本など読まないだろしさ、まさか自己満足?
 この人の言いたいことは、この量の十分の一で書くことできただろうし、その短さの方が良く伝わると思うけどねえ。

 それと前半は、ぜんぜん面白くないんだ。読んでて苦痛だった。
 ただ事実だけを延々と、どっかから書き写してる感じで退屈だし、そうして「患者の立場」という言葉を、医者の立場と対立してる意味で使ってるように書いてあって、前半は僕、この小松って奴はロクデモナイ人間だなと、思って読んでたよ、ハハ。

 それが真ん中ぐらいの「立ち去り型サボタージュ」という章になってやっと、ちょっと面白くなってきて(ビジネス書にも前の半分は全然つまらない本もいくつもあるけど、それってどうしてなのかといつも思ってたけど、もしかしてつまらない部分は、本にするには量が足りないから後から書いて、前半にくっつけるんだろかな、と勘ぐってるんだけどね、ハハ)、この本も同じかな、と思ったよ。

 そして読んでて嫌で、著者に好意を持てない理由は、「俺ならこうするぜ」という案を書かないからさ。これは何の文章読んでもそうだけどさ。

 だけどね、最後の章「医療の崩壊を防ぐために」というところ読んだら、俺ならこうするぜというのが書いてあって、それもいっぱい書いてあってさ、…だからそれ読んで僕、一遍で小松秀樹というお医者さんを好きになりました。

 でもさ、もっと厳しく言うと、僕にとっちゃ当たり前のことしか書いてないんだけどね。ただ、その当たり前の事も医療の世界はやってないのか、と思ったよ。どうなってんだ! とまた憤ってしまったさ(目からウロコが落ちるような、新しい発見というのも無かったな。でも小松という人は芸術家じゃないんだから、そこまで要求するのは酷だろね。それに今は、当たり前の事を言えることだけでも、立派だもんね)。

 内容で残念だと思ったことは、この人がマスコミに対して書いていた部分で、マスコミ人は自分を自己正当化しすぎるという意味のこと書いてたけど、僕は小松というお医者さんに、自分自身への自己批判、医者自身への自己批判を、もっと書いてほしかったな、と思った。…そうすればこの小松という人を、もっと信じられるんだけどな、と思ったよ(世の中のお医者のブログを読むと、自己正当化が氾濫してるからさ。そういうの読んでてヘドが出るからさ(ときどき僕はそういうブログにコメントで喧嘩ふっかけるんだけどね、ハハ)。自分自身に自己批判の心を持って書いてるお医者さんは、僕が見るところ今のところ、三、四人しかいないんだもんさ。…それ誰かを言うと、ダガシが誉めることによって、そのお医者さんに迷惑が掛かるかもしれないから内緒だよ)。

 そうしてね僕、この小松という人を厚生労働大臣になってもらったらいいんじゃないかと思ったけど、…でもこういう人はリーダーになってバリバリやるタイプじゃないのかもしれないし、医者という存在が行政やるのは、どうしても医者の立場につきすぎることになると思うから(この人も医療費を下げちゃ良くないと言ってるからさ)、ますぞえ(漢字が分からない)大臣に助言したり補佐する仕事をしてくれないかな、と思ったよ。

 そうして、日本の医療を良くしてもらいたいな、と思ったよ(間違われると困るから言うけど、僕は日本の医療の質が世界一であるべきとは思ってないから。トータルで、この時代だけじゃなく歴史という時間軸から見て、良いものになってほしい、と思ってるんだ)。
 だからもちろん僕だって、つまらない事ですぐお医者さんに掛かるようなことはしないし、そういうことを時々は喋るようにするつもりだよ。
 しかし僕も、小松という人のこと言えないくらい長く書いてしまったね、ゴメン。

今日の去年、逮捕された日で別段…ちょっと電話で喧嘩になったぐらい

 もう二回も書いては消えて…。
 今夜はFc2のサーバーが調子悪いみたい。
 三回目を書く気力は無くなった。
 から簡潔に書く。

 今日十月二十八日は去年、逮捕された日だ。
 何事もないように過ごそうと思ったけど、どこかのアパートの大家と電話で喧嘩した。
 僕が夕方、無断でそのアパートのポストにチラシ入れたから(賃貸の集合住宅にはチラシ入れても無駄だと思ってるから配らないようにしてるけど、何だか今日は気まぐれで配ってしまったんだ…)、その大家から電話来てさ。
 その大家(自分のことオーナーと言ってたな)、決まりきった分かりきった事を、あんまり得意げに高みから喋るから、
 僕、謝った後、
「もうお宅にチラシ配らないように行かないから、あんたのアパートはどこですか? 僕はダガシというけど(もちろん本名で言ったけど)」と聞いても相手は話を反らして自分のことを言わないから、僕頭に来て、口喧嘩になったよ。

 それぐらいで十月二十八日は過ぎそうだ。
 早く明日になれ。

捨てようと思ってもまだ捨てられないバイク雑誌

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モーターサイクリストという雑誌らよ。
 これは2000年7月号。
 もう七年前のだね。
 この頃のモーターサイクリスト、二十冊以上あって部屋の場所塞ぎだから捨てようと思って。

 でも、さっきページ開いてちょっと読んでたらさ、…捨てるのは、また今度にしようかな。

白いシチューの中、ほうれん草の色

 ちょっと寒くなったなというこの時期、
 またシチューつくりだしたよ。

 肉いれなくて野菜だけでつくってみた。
 煮るとき水は最低限でフタして蒸すって感じで。

 10分くらい弱火でことことして、
 にんじんとじゃがいもが煮えたかな、
 と思ったところでシチューの粉入れて、箸で溶かしたよ。

 それから
 ほうれん草も入れてひと煮立ちさせたら、
 緑色がきれいだった。

オンナギライが共感する女の人のブログは

 偶然見つけて、ずいぶん前から読んでるブログがこれだよ。
遺言』というブログ。
 読んでると、どんどんビンビン共感するんだ(でもこの女の人もやっぱりオンナだから時々はオンナ臭いこと書くことあって、そういうときは僕、ああまた無神経で自分勝手なこと書いてやがるなあ、と思うんだけどさ、ハハ)。
 でもこの人が何者の人かは知らないけど、あえて知ろうとしないで読んでるけど、僕、その自分勝手さも、この人の自分勝手さなら、何だか可愛らしいような気分で、読めるんだよ(だからここで紹介するんだろけどさ)。

 しかしダガシはオンナギライのくせに、どうしてなのか女の人のブログばかりを読みたがるんだよね。
 これまたどうしてなのか、こういう頭良い女の人の、ものの感じ方に、共感してしまうのさよ。
 ということは僕の中には、普通より女の部分がいっぱいあるんだろうな、と思うよ(でもいつも言うけど、僕はノーマルな人間だからね、ハハ)。
 あ、だから、オンナギライになるのかな。

三十年以上前の辞典が現役選手で複雑

 ブログ書くときとか時々、分からない漢字書こうとすると、国語辞典を引くことあるよ。
 その今使ってる国語辞典、カヅ子が中学に入ったとき買ったのを、カヅ子からもらって、使ってるんだ(自分のはどこかで無くしてしまったからね)。
 もう、三十年以上前のだね。

 僕が中学入ったときも、同じのだったな。小学館のだ。
 学校指定の辞書だったからね、中学に入学すると、注文書が回ってきて、名前書いて先生に出すんだ。

 国語の授業だったかな、新しい辞典が来て、一人ひとりに渡されていって、ピカピカして、箱のカバーに入ってて(その箱カバーはもうないけどさ)、箱から出すと白いビニールの表紙でね、赤い文字で『新選 国語辞典 新版』とあってさ、金田一京助、佐伯梅友、大石初太郎、編 と書いてある。
 国語の先生が、この辞典はいいですよ、と辞典を誉めてたのも憶えてるよ。

 兄ちゃんか姉ちゃんのお下がりの、他の出版社の辞典を使ってる同級生もいて、小学館じゃないその辞書見せてもらったら、どこの出版社かは忘れたけど、その濃い緑色のカバーの辞書は、とっても硬い感じの言葉遣いで言葉の意味を表してるなあ、と思ったのも憶えてるよ。
 小学館の辞典は、柔らかくて簡単な、幼いぐらいの言葉を使ってるんだな、とあのとき思ったな。

 この三十年以上前の辞典、今あらためて見ると、白かった表紙は僕の手垢でグレーになってるし、背表紙の反対側(腹表紙とは言わないんだろけど)は茶色くなってる。でもまだまだがっしりしてるし使いつづけられる感じするよ。
 そして内側の紙は薄いのに、丈夫なんだろね、破れもなくて、まだツルツルして腰があって滑らかだよ。

 高校生になって買った漢和辞典とか和英辞典とか英和辞典とか英英辞典とかは、まるで使わなくて(ぜんぜん勉強しなかったからね。大学に入ってからも、辞書なんか開いた憶えないもんさ、ハハ、ごめんなさい)、だから辞典類は、新品のままダンボールに入れて家の押入れに入ってるよ。

 でもまさか、この辞典だけ、中学生のときの、この国語辞典だけ、こんなにずっと使いつづけるとは思わなかったな。

 本自体は壊れないし、日本語がまるっきり変わるわけじゃないし、使えなくなるわけじゃないんだけどさ。…でもね、うーん、この気持ち、どういう気持ちか、自分でも分からないよ、ハハ。

docomoが嫌だったけど珍しく電話応対で見直した事

 僕は時々、寝る前にベッドの中で、携帯電話で麻雀ゲームをしてから眠るんだよ。
 それがね、こないだ新しいケイタイに替えたら、その麻雀ゲームが新しい機種に移ってなかったんだ。
 そういえば、前にケイタイ替えたときもそうだったな。
 それでゲームの移し方というか、新しいケイタイでも麻雀ゲームできるようにするにはどうすればいいか、きのうドコモに問い合わせたんだ。

 でも、ドコモに電話するとね、いつもいつも、いつも、怒ってしまうことになるんだよ。
 いやドコモだけじゃないんだ。NTTも、もっとそうなんだ。
 電話会社の人間と喋ると、いつもいつも、いつも、人間らしい会話が出来ないんだよ(いや本当は電話会社だけじゃないんだな。世の中の会社、店、病院とか、ほとんどの人間の対応が投げ遣りになってるみたい。…二十年前は、そんなこと無かったと、思うんだけどねえ)。
 それは田舎のヤス公務員と喋ってるみたいな感じなんだな(でも公務員もドコモ社員も給料は安くないだろけどさ)。

 じゃあドコモなんか止めてauかソフトバンクにしたらどうだと言われるだろけど、auやソフトバンクは、もっとアタマハタキたくなる対応なんだから、しょうがなく消極的にドコモにしてる、ということなんだけどさ、ハハ。

 それがね、きのうドコモの電話出た人、ドコモで初めて(電話会社で初めて)、まあまあ怒らなくても済む対応の人だったよ。
 対応って何だ? と言われると、ただ単に、喋り方の息遣いのことが一番なんだよ。
 言葉の抑揚とか、声の高さ低さとか、まろやかさとか、相槌の的確さとか(当たり前だけど、ただ頻繁にハイと言えばいいわけじゃないよ)。
 他には「あ、ハイ」の「あ」を言わないとか、厭そうに返事しないとか、喜んで電話受けてる感じさせるとか(芝居でもいいんだよ。電話切るまでその芝居を続けられる根性を見せてほしいんだよ。僕はいつもそういう根性見せようとしてるけどね)。他には同じ言葉を安易に続けて使わないとかさ。
 要は、気を遣ってる気配を見せてくれてるかどうか、それだけなんだよね。
 だって彼らは、電話で応対する商売なんだから。それが仕事なんだからさ。

 そして、自分だったらこうする、という親身さを出してくれること。
 知らない事は、正直に知らないと言うこと(そして「明日まで調べて勉強しておきます」と言うこと。当然次の日まで調べておいて、知識を得ておくこと。それを人に伝えられるようにしておくこと。…僕はいつもそれをしているけどね)。
 都合が悪くなると返事しなかったり、はぐらかしたりしないこと。
 知ったかぶりはしないこと。
 企業秘密でない事以外は出し惜しみしないこと。
 そういうこと、簡単なことでしょ? 別に頭使わなくともいいんだから。何のクリエイティブなことでもないんだから。ただ正直に対応してくれればいいだけなんだからさ。

 そしてそういう気遣いできる人が、きのう初めて、ドコモで応対してくれたんだ(東京のドコモの人だよ。何故なら僕、もう新潟市のドコモの人間と喋りたくないから、東京のドコモに電話するようにしてるからさ、ハハ)。

 その丁寧かつ親身な対応してくれた人に嬉しくなって、つい僕、その人に、
「あなたは、どこのご出身ですか? そしていくつくらいの方ですか? お差し支えなければ教えて頂けませんか? というのは私、ドコモの人たちの対応に幻滅しているんです。でもあなたは違った。あなたは初めてドコモで気持ち良い応対してくれた人ですから」と訊いたんだ。
 そうしたらその男の人、「東京出身で三十五です」と言ったよ(後から考えたら、東京出身で三十五っていうのは、あまりにも平均的だから、その人とっさにデマカセ言ったのかもしれないけど、たとえそうだったとしてもそれは頭良いなあ、と思ったよ)。

 だから僕、しばらくはドコモを使おうと思ってるし、そういう人に電話でも巡りあえたことが嬉しくて、つい長々と書いてしまいました。

秋の芋づくしで美味し美味し

 ダガシの今日の夕飯は、秋の味覚でそろえて食べました。
 スーパーで買ってきたのがまず、秋の味覚弁当で、その中には栗ご飯と、きのこご飯の二種類入ってて、おかずはかぼちゃの天ぷらとか椎茸の煮物とか。
 そして僕の嫌いだった里芋の煮物と、そうしてさつまいもの天ぷら。
 りんごとかぼちゃのサラダ。
 そしてきんぴらごぼう。

 自分で作ったのは、じゃがいもとにんじんと一緒の卵焼き。
 この卵焼きは明日の朝も半分食べるように卵二個使って多めに作ったよ。

 しかしさ、里芋、じゃがいも、さつまいも…と(それに栗もかぼちゃも芋の仲間だと思うし)、芋づくしだね。
 いもは好きだけど、今まで里芋だけが、ぬるぬるして嫌いだった。のがさ、最近好きになって、特に今日の鶏そぼろ肉と一緒の煮物の惣菜は、ピリ辛あじで美味しかったな。

 僕、この何年か、どうしてなのか嫌いな味が少なくなってるみたいな気がするよ。
 里芋も、チーズも、セロリも、納豆も、牛乳も…、食べられたり飲んだりできるようになってるもんさ。
 好き嫌いも、ちっとはあるのが、人間らしいろけどねえ。

新しい上杉謙信創ったガクトは自信持っても…

 ガクトって歌手、僕は嫌いだったんだけど、今年の大河ドラマ観てて、まだまだ演技は下手だけど、それでもテレビドラマの中で観る分にはまあまあかな、歌手じゃ駄目でも俳優として、観られるかな、と生意気ダガシは思ったよ(でも母さん、ガクトなんて知らないよね)。

 だけどそれも、僕が上杉謙信狂いだから、そう思えるだけかもしれないけどさ。
 小さい頃から上杉謙信にどうしてか狂ってるダガシだから、良くないことはしちゃいけない、弱きを助け強きをくじく、なんていつも思い込んでる馬鹿ダガシだからね、ハハ。

 その上杉謙信を、新しい上杉謙信を、ガクトが創ってるんだから(いや演出家がかもしれないけど、いやストーリーがかもしれないけど、…まあ演るのはガクトだからさ)、凄いぜ、と思ってるんだ。
 ガクト、もしかしたら俳優の才能あるのかも、とね(ガクトの音楽方面は僕、聴きたくなかったけどさ)。

 栃尾も高田も、米沢の上杉神社も、そして高野山の墓場の奥の奥の謙信の墓にも行くほどの謙信バカのダガシが、ガクトの新しい謙信もいいなあ、と思ってるんだから、…ガクト、自信持ってもいいぜ? !

携帯電話の買い物で怒らずにすんで、接客見習おうかな

 今日、携帯電話を換えました。
 今までのの電池が弱くなってきて、充電したのが一日しか持たなくたってきて、さて電池だけ替えようか、と思ったんだけど、買った時からこのケイタイ、大きさの幅が厚すぎるな、ポケットに入れるとポケットが膨らみすぎるな、とずっと思ってて、だからそれもあって、電池だけ替えるより本体ごと換えようか、と思ったがあさ。

 それにこれからは、タダとか何千円とかでケイタイ売るのが無くなるってニュースで言ってたようだから、それもあって、安いうちにケイタイごと換えとくかな、と思ったんだ。

 いつものことで、新潟市のケイタイ屋さんに電話かけまくって、電話対応のまあまあのところをメモして、そこに行ったよ。

 そうして店員の態度に怒らなくて済んだところで、買いました。
 それがその店、前のケイタイを買った店だったよ。

 伝統を受け継ぐ、良い雰囲気を受け継いでゆく、というのは店の方針も、あるのかな、と携帯電話の買い物して、見習いたいと思ったよ。

丸山健二『生きるなんて』…読んでさ。自営業のことでさ

 丸山健二は、この人も僕が勝手に思ってる僕の先生…、というか丸山の場合はもう先生というより僕の同士、かな。
 作家なのに東京じゃなくて長野県に住んでる変わり者だよ(当然誉め言葉だよ)。
 丸山、それほど売れてもないのにさ、この本でじゃないけど昔、…自分の本はこれでもまだ売れすぎてる、自分の書くことは、世の中にそんなに理解されないはずなのに、なんて意味のこと書いてるんだからさ、ハハ。

 93ページからちょっと書き写すよ…。
 勝手に改行したり行空けしたりと、カッコの中は僕が書き加えたよ。

        ※

 当然ながら、あなた自身が全責任を負わなくてはならないこの道は、片時も気を緩めることができない、険路です(この道っていうのは丸山は、自営業の道のことを言ってるんだ)。
 しかし、この世界に首を突っ込んだときから、一日一日二十四時間が、一年三百六十五日が、そして一生涯がまるまるあなたのものとなります。
 あなたはもう誰からもつべこべ言われず、指図もされない、わが人生ここに在りとしみじみ実感できる道へ出たのです。

 もしその仕事が食べるためにしぶしぶ始めたことでなければ、かなり気に入ってやっている仕事であるならば、どんなに忙しく、どんなに気苦労が多くても、あなたは間違いなくめくるめく自由のなかに生きていることになります。

 自営業において最も大切なことは、ひとえに自立した人間像に向かって邁進できるかどうかです。
 勤め人の世界においては却って妨げとなったそれが強く求められるようになるのです。

(だから)迷いに迷ったあげくに、自分よりももっと力のありそうな者にすがりつこうとしたり、業界の力を頼みにしようと考えたりしたら、もう先が見えています。

 不幸にして軽蔑の対象と出会ったときにはその者を冷笑したり罵倒したりする前に、彼を反面教師にすることをしかと肝に銘じてください(…この文が今、僕には一番勉強になったよ。そして今、出来ないことだよ。僕のお客さんじゃないけどその軽蔑してしまう人間に僕は、変わらせよう…なんてお節介が出てしまって、つい怒鳴ってしまうことあるんだ。いや只、八つ当たりしてるだけなのかもしれないけどさ…)。

 あなたはいかなる事態においても、あなたの魂はむろんのこと、あなたの精神も切り売りしてはなりません
 売っていいのは、自営業者であるあなたが扱う商品や、製品や、サービスや、技術や、作品のみに限ります(いつも僕は仕事で僕の魂を切って売っている。いや良い意味で仕事で、僕の魂を売ろうとしているんだけどさ…。そしてそれが、それこそが仕事なんだ、なんて思っているとこあるんだよ)。

 魂や精神まで売って成功した者に待ち構えているのは、大きな裏切りや途方もない大失敗です。そして、拭いきれないほどの深い挫折感と、心に負った深手ばかりでしょう(そして今のところ、(成功もしてないけど)これも丸山の言う通りなんだけどさ…ハハ。でもこういうこと言えるということは、丸山も、そういう経験あるんだろな)。

        ※

 読まなきゃよかったというか、読んでよかったというか、ハハ分からないよ。

        ※

 次の日十月二十日に書き足すけど、魂を売ってとか精神を切り売りしてとか、これは、丸山が言うのと僕が思うのとは違うんだろな、とも思ったよ。
 丸山健二が言う魂を売る、というのは、不正をしてまでも利益を追求すること、組織を守ろうとすること、そういうことを魂を売る、精神を切り売りしてると言うんだろうな、とね。
 それならまあ、分かるんだよ。安心するんだけどさ。

 でも、それで安心してしまうことが、何だか鈍感に思えてしまう僕は、もうある意味病気なんだろね、ハハ。
 自分のしていることに、いつも批判精神持って生きることが、大事だと思い込んでいる人間は、…ちっと生きづらいんだけど、…まあ、鈍感よりは無神経よりは、いいのじゃないか、と思うこともまた、…考えすぎなんだろな。…こういう風に考え出すと、無間地獄にはまるんだけどさ。
 そして丸山は、僕の思いもよらない深くて広いことを含んで、魂を売る、という言葉を使ったんではないか、とかね。そういうこと考えてしまうんだよ、ハハ。

 後で僕の嫌いな中村天風でも読むかな。それともジョギングでもしたほうがいいかな。

毛布出したけど、昼間はまだ短パンなんだ

 いま夜の八時過ぎで部屋の温度は十六度だよ。
 見えるところに温度計おいてるから分かるんだ。
 夏場の頃はあの赤い棒、三十の数字より高いところまで伸びてたのにさ。

 さっきテレビが言ってたけど、明日の朝の気温十度だってね。
 だから押入れから毛布出したよ。

 それなのに昼間は動くと暑いんだ。
 だからお客さんのとこに行くのは僕、まだ短パンなんだよ。

 でも夜はやっぱり冷えるんだな。
 だからなんだろね、この時間になると、さっきもね、遠くを走る汽車の音が、よく聞こえるんだ。

家事代行さしすせそ色々

 さいきん家事代行、というサービスを考えていて、家事代行の仕事の中には、裁縫、躾、炊事、洗濯、掃除、と僕が子供のころ習ったというか、聞いたことある女の人の仕事の、さしすせそ、なんだな、と思ったよ。

 そしてその中で、僕が出来ることは、…えーとまず、掃除だろ?
 そして洗濯か。(…でも僕が女の人の着たもの洗うのは、お客さんがいやがるだろね)。
 でも裁縫は、僕には出来ないなあ(だけどボタンつけくらいなら自分のはやってるし、家庭の中で裁縫というのも、今はもうボタンつけくらいしかないのじゃないのかな。それにミシンというのもあるから、普通の人の裁縫の技術も無くなってるかもね)。
 あ、炊事というのも僕にはできないな。野菜炒めやインスタントの粉使ったカレーぐらいしか出来ないしさ。

 それから何だっけ…、躾か。子供いないダガシにはこれも無理だろと思うし、それに僕みたいなのが人様に躾をする、なんて思うとオコガマシクて、笑いそうだしさ。
 でも、叔父さんっていう立場での付き合いなら、できるかもしれないなあ…なんて思ったりするけどね。世の中には叔父さんが不足してるみたいだから、俺の出番もあるかな、なんて勝手なこと思ったりするけどさ、ハハ。

 まあ、やっぱり家事代行の仕事は、昭美堂の場合、お掃除代行で行くのが、いいのかな、と思ってます。僕がお客さんだとしたら、やってほしいと思う家事代行サービスも、やっぱりお掃除だと思うしさ。

 さて、ところで、全然関係ないけど話ズレルけど、介護保険での介護サービスで、料理つくりがあるよね。
 僕はそれ、無駄の固まりだと思ってるんだ。
 一人暮らしの介護サービス利用者さんのところに行って、料理を作るのには(通常のやり方で)二食分作って後片付けして、大体一時間弱くらいかな。それだと今、約4000円弱ぐらいだろかな(保険から介護サービス会社に支払われる料金がね。すなわち介護会社の売上だ)。
 ということは一食分の材料費抜きの手間賃が、2000円弱だよ。
 これは高すぎるよ。
 弁当にしたら、一食分600円くらいで出来るんだからさ。

 そりゃ利用者さんも毎日毎食弁当じゃ、飽きるしイヤだろけど、毎日毎食、スーパーの惣菜だったり、コンビニ弁当だったり、宅配弁当だったりする人だって多いんだから。
 毎食弁当が厭なら、週に一回か二回、特別料理を配食して、その料理を自宅のお皿に移し替えて食べるのは、どうだろかな。

 だから僕改めて思ったのは、料理って、とってもコストがかかるもんなんだな、贅沢なもんなんだな、ということだよ。
 特定の誰かのために、献立を考えて、材料を調達して、それを作る道具を揃えて、そしてその料理を作る知識技術を持ってなきゃならんもんね。
 何十人分の料理を一度きに作るのなら、流れ作業で作れるだろからコストダウンできるろうけど、一人か二人のためだけに、手をかけて料理を作るというのは、これは贅沢なことなんだなあ、と思ったよ。
 だから、家庭料理というのが、ダガシにとっての、ある意味の憧れなんだろな、と思うんだ。

 だからこれは、公共のお金を使ってやるべきことじゃ、ないのじゃないのかな、とね。

 そして、さしすせそ、の中で大量に流れ作業で出来ないサービスは何だろかな…と考えたら。
 躾と、掃除かな、と思ったよ。
 それ以外の、着るもの作ったり直したり繕ったりするのは外注で流れ作業でもできるし、食べる物も家の外で大量に一度きに作ったのを持ってくればいいわけだし、洗濯も世の中にはもう、宅配クリーニングというのがあるもんね。

 さて、じゃあ、公的サービスの中で、掃除はと言えば、掃除だけをするサービスは介護保険に入ってない。
 そして僕は、掃除を介護保険には入れるべきじゃないと思うんだ。
 間違ってもらうと困るから、もう一度言うけど、僕は、掃除を介護保険でやっちゃいけない、と思うんだ。
 理由は簡単なことだよ。掃除しなくたっても、人は死なないからね。それに今のホームヘルプ業務の中に、日常の簡単な掃除は含まれてるからね(世の中のハウスクリーニング会社は、自分の業務が保険適用になれば、仕事が拡大するし儲かると思ってるし、実際そう言ってる人だらけだけどさ)
 でもそれは公共のお金を喰い物にすることだよ。

 介護保険という公的なお金は、本当に本当に、最低限最低限必要なサービスに限ってやらないと、そこには不正がまかり通ることになりやすいしさ。
 それに介護サービス受けてなくて、保険料だけ出す方は、やっぱり素朴に、最低限必要なものだけに使ってくれ、そうして保険料を節約してくれ、と思うだろさね。…これは何の公的なお金でも同じだろさね。税金でも医療保険でもね。
 家事代行サービスという事をいろいろ考えてたら、そういう風なことにも思いが行ったんだ。

 ちなみに僕が今、家事代行(お掃除代行)で伺っているお客さんは、すべての人が自分の財布からお金を出して、僕に支払ってくれるひとだけだよ(正確に言うと、個人の財布でなくて、会社の経費で落としてる場合もあるよ。でもね、その場合は、個人商店や会社の、そこの社長さんや奥さんが、ヘトヘトになって、クタクタになって、切り盛りしてる会社ばっかりだよ。だから僕も、その人たちを、それ以上ヘトヘトにならせないための僕の仕事、に対するお金だと思ってるんだ)。
 そういう、僕が受け取るそのお金は、そのお客さんが、必死に(精神的にも)汗水流して稼いだお金ばっかりだから、だから僕も、あだやおろそかには受け取れないし、その人を喜ばそうと必死に一生懸命になるがあさ。

 はなし戻って、さしすせその話だけど、さしすせその二番目の、躾、というものも、これは本物の躾ということになると、さしすせその中でも、一番贅沢なことなんだな、と思うよ。

最初のブログの目的は忘れてるなあ

 昭美堂のホームページは毎日は更新しないけど、毎日自分で開いて見てるんだ。
 だってあのホームページって昭美堂の、ネオン看板みたいなもんだと思ってるからね。
 光や色の出かたとか汚れとか、どこかおかしくなって壊れてるとこないかとか、チェックの意味でもさ。

 昭美堂のホームページ、一週間か十日に一遍くらいしか書き足さないけど、時々読み返して、文章の、てにをはのヘンな場所さがして、そこだけ書き直すことは、やってるんだ。
 細かいこと気にしてるみたいだけど、やっぱり大事な看板だからね。

 そしてこのダガシブログもね、テニヲハおかしいところ沢山あるから、後から書き直すこともあるんだよ。
 昔の記事読むのなんか、書いてる本人だけだろけどね、ハハ。

 このブログは最初は宣伝の目的も合ったけど、今はもう、書いてる時は仕事のことは忘れてるなあ。
 そして書きながら気をつけてることはね、乱暴な言葉遣いになることはあっても、卑怯なことはしないように書かないようにと、気をつけてる。
 逃げないように、はぐらかさないように、弱いものいじめはしないように、とかね(いや僕だっても、知らず知らずにやってるのかもしれないけどね、…怖いよ)。
 あと、自分を笑って、自分にも攻撃するのも、忘れないようにしてるんさね。 

チラシ配り中のダガシ

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夕方、住宅街の坂を歩きながら配ってる僕です。
 あんまり外を歩くことないから知らなかったけど、陽が短くなって低い場所に太陽があるから、前向いて歩いてると光が直接目に入って、まぶしいんだね。しかしこの写真、目の開き方、左右で違って見えるけど、まあそういうときもあるかもね。
 生きてるからね。

珍しい礼儀正しさで心クリーニング

 十月になってから、頼んでもいない新聞がポストに入るようになって、それも普通の新聞じゃなくて建設関係の業界紙で、見本、と書いてあって郵送されてくるんだ。
 たぶん見本を読ませて興味があれば注文してもらおう、てことなんだろうけど、僕は建設関係と不動産関係の業界が嫌いだし、中身チラッと見たら箱モノ公共投資の事ばっかりが書いてあって、ますます嫌になって、封も切らないで机に積んでおいてたんだ。
 でも読まないのに、送ってもらうのはお互いに無駄だろうと思って、それにそんなことはないだろうけど後からヘンに請求されでもしたらイヤだし、長々と期待持たせるのも向こうに迷惑かなと思って、こないだ電話したんだ。

 京王の昭美堂といいますけど、新聞送っていただいてますけど、スミマセン読まないので送らないでいただけますでしょうか、とね。とてもシタテに、丁寧にね。
 そうしたら電話に出た女の人、新潟市の人じゃないみたいなこと言ったよ。
「そうですか。ご迷惑かけて申し訳ありませんでした」と。
 僕、こっちが恐縮してしまって、つい、注文します、なんて言いそうになったぐらいだもんさ。

 人に厳しいダガシが新潟市の人を誉めるのは珍しいから、その会社の名前いうと、
 新潟建設新聞という新聞だよ。

 内容は別にして(ダガシには必要じゃないだけだから)、あの電話対応してくれた女の人の(まだ若い、二十代前半くらいの女の人の声だったよ)礼儀正しさに、心がクリーニングされました。
 僕はあなたに惚れそうになった。

海に腐りの蜜柑…いや才能足らず

 きのう
 母さんのとこから帰ってくるとき
 海沿いの道走ってきて
 ちょうど陽沈む時刻。

 いつも思う
 新潟の海に沈む陽は
 腐りかけた蜜柑が
 海に溶けてゆく。

 あの蜜柑は僕か
 明日また


 だめだ。納得いかない。きのう海岸線運転しながら、ラジオの第二放送で李白と杜甫のこと言ってたの聴きながら夕陽見ながら、運転してて。
 だから杜甫みたいにスタイリッシュなの書いてみようと思って、でもうまくかけないね。
 足りないのは修行かな。いや才能だろね。

ダガシの生まれ故郷の職業人に、尊敬と感謝だ!

 きょう母さんに顔見せに行った帰り道で、ガソリン少なくなってて、新潟市まではギリギリ持つだろかな、でも何があるか分からないから入れとくかな、と思って、生まれ故郷の地元のガソリンスタンドで入れたんだ。

 入れる前は僕、世の中のガソリンスタンドの、いや特に新潟市のガソリンスタンドの店員の態度に幻滅してるから、セルフサービスの所でしか入れないから、ここでは5リットルくらいにしておこうと思いながらクルマでスタンドに入っていったんだ。

 そうしたらけっこう混んでいる店で(今、どこのガソリンスタンドも、セルフサービスの店に押されてヒマなんだよ)、若い男の店員が他のクルマにガソリン入れてる最中で、彼と僕と目が合って、どこにクルマ停めればいいか僕、目と手を動かして訊いたんだ。

 そうしたらその彼、僕が十年振りくらいに見る爽やかな笑顔で、あの場所にどうぞ! というしぐさを手と身振りでしたんだよ。この人は何か良い事あったんだろか、と思うぐらいの笑顔でね。
 お、この男は只者ではないぞ! と思いながら僕、彼の指示するスペースにクルマを滑り込ませたよ。

 彼、ひざまずいて挨拶したけど、それはヤリスギだと思ったけど、それ以外の彼の顔つき、態度、手振り身振り、テキパキしてて、かつ丁寧な所作、…人に厳しいダガシでも、もしかして俺よりウワテかも、と思ってしまう仕事振りだったよ。
 だから5リットルだけにしておこうと思ってたのが思わず、「満タンで」と言ってしまったんだ。

 そして何よりスゴイ! と思ったのは、作業中いつも、笑顔を絶やさないんだな。嬉しそうに仕事をするんだよ。
 これは、並みの人間じゃあ、出来ないもんね。
 笑顔、ってのはまあ、新潟市のそこらへんの店員は、作り笑いはする事あるけど、それはかえって嫌味に見えるけど、その彼の笑顔は、自然なんだ。
 見習いたいな、と僕、思ったよ。
 だから僕、思わず訊いてしまったんだ。
「あなた若そうですけど、いくつくらいの人なんですか?」とね(乱暴者のダガシでも、そういう時は、丁寧に喋ること出来るんだよ、ヘヘ)。
 そうしたら、「19です」とまたテキパキしてあっさりしたダガシ好みの答え方で喋ってくれた。
 僕、男に惚れそうになったよ。

 その後ほかの車が入ってきたから(田舎の店なのに繁盛してるんだな)、彼は僕のガソリン入れに一段落すると向こうに行ってしまったけど、ガソリン入れ終わってちょっと待ってると、今度は若い女の人が勘定に来たんだ。

 そしてその女の人も、やっぱり始終、爽やかな笑顔なんだよ(そんなに美人じゃないんだけど、その笑顔で美人に見えるし、ダガシにとっては美人なんだよ)。
 僕、ますます、この店は只者じゃないぞ! とまた思って、店の看板を確認して、会社名を心に記憶させたよ(今度、母さんに直接教えるね)。

 それから、僕ぐらいの年恰好の店の責任者みたいな男が(…その男はイカツイ感じなんだ)、他のクルマの洗車してたんだけど、偶然僕と目が合ったら、イカツイ顔くずして、そして爽やかに、「ありがとうございます」と僕に挨拶したんだ(しゃがれ声なんだけど爽やかだった!)。(今日はビックリマークを使いすぎてるね!)
 この店は、ますます只者じゃあ、ないぜ! と僕はオッカナクなったぐらいなんだ。

 ふだん新潟市の、いろんな店や会社の、やる気なさそうに、めんどくさそうに、イヤイヤやってる、仕事してる振りしてる、店員や会社員に幻滅しているダガシにとって、今日のガソリンスタンドの人たちの仕事振りは、ホント十年ぶりくらいの衝撃だったよ。
 しかも僕の生まれ故郷の人たちだから、なおさらなんだ。
「やっぱり俺の生まれ育った所は、違うぜ!」と改めて良い気持ちになったよ。
 そしてどうしてか懐かしい気持ちに、なったんだな。

 だからね、僕は今まで新潟市で、俺は異邦人で、俺の方が変わってて(まあ変わってるのは間違いないけどさ、ハハ)、俺の方が悪くて、俺の方が改めなきゃならんのかな、と悩んでたけど、今日の僕の生まれ故郷のガソリンスタンドの店員さんの仕事振り見て、俺は間違ってないぞ! と自信持ちました。
 あそこで生まれ育ったことに誇りを持てるよ。嬉しいよ。

 そして万が一、新潟市で僕の仕事振りが受け入れられなくとも、万が一世の中で僕の仕事に対する姿勢が受け入れられなくとも、…俺は悲観しなくて済むな、俺は自分に卑下しなくとも済むな、と思ったよ。

 あのガソリンスタンドの人たちにホント、感謝だよ。
 ありがとう!

新しいお客さん、いい人で良かった

 新しいお客さんのとこにハウスクリーニングに行ったよ。
 初めてのお宅のお掃除で、普段からキレイにされてるんだけど、勝手が分からなくて慣れないせいもあって、契約の時間で終わらなくて大幅に時間オーバーしました。
 お客さんに、あと1時間かかります、とケイタイメールして待ってもらったり、さらにまた30分余計にかかりますゴメンナサイ、とメールして、注文された場所をお掃除しました。
 終わるのが遅くなってしまって迷惑かけたけど、自己満足できるレベルで出来たよ。
 今日でちょっと慣れたから、次からは少し早く出来ると思うんだ。

 それに、お客さん、いい人で良かった。
 こないだ名刺もらったけど、僕名刺持ち歩かないから渡せなかったんだ。
 これから末永く付き合ってもらう人だと思うから、今日、名刺渡しました。

オンナでない女の人が、ダガシ好み

 僕は子供の時から、「みんな」という言葉が嫌いなんだ。
 みんなしているから、みんながやってるから、みんなそう思ってるから、みんなが、みんなが、みんなが…。

「みんな」という言葉使うのは、多勢に無勢の、多勢の方につきたがる、そして多勢に付けばラクだから、という目先のラク求める根性で、汚らしいんだな。

 その「みんな根性」持ちやすいのは、おもにオンナなんだけど(僕のオンナギライの大きな理由の一つだけど)、その根性は、女だけじゃないんだよ。

 大事な場所に、付いてるものが付いてても、「みんな」なんて言いたがる男も、大勢なんだよ。
 そういう奴には僕、「お前、それでもキンタマ付いてるのか!」と怒鳴りつけたくなるけど、そういう男は世の中に多いし、そういう男はもう、オンナだと僕は思ってる。

 だから、付いてるものが付いていたってもさ、そういう奴はオンナなんだと僕、ずっと昔から思ってるんだ。
 そしてどういう男がオンナかは、学歴や職業には、ぜんぜん関係ないのが、ダガシの経験上、分かってきたことだけどね。

 逆に付いてるものが付いてなくても、この人は男だ! と思える女の人もいるんだよ。
 そういう女の人が、ダガシの好きな、女の人、なんだよ。

 とっても世の中には、少ないけどね、ハハ。

ダガシがプーと音出した時は、どうしようか

 十年だか二十年だか前に田辺聖子が、男はオッサンになるとやかましくなる、というの書いてたの読んで僕、なるほどなあ、と納得したの憶えてるよ。

 年取ってくると男は、あちこちゆるんできて(いや女だってそうだろけど)、お尻からプー、口からゲップ、それとアーアとアクビ、ちょっと疲れたらまたアーアと溜め息、喉がいがらっぽくなるのか、むやみやたらに咳払い、そうして力入れるときはヨイショ! とね(あと、ちょっとズレルけど涙もろくなるしさね)。

 それ読んだあの頃は、そんなことあるのかな、まあ、あるのだろな、人間だもんな…、と思ってたけど、…僕も実は今、みんな当てはまってるんだよね、ハハ。

 だって小学校の時、教頭先生が放課後よく僕らに、登り棒や跳び箱を、指導してくれたというか一緒に遊んでくれたというかの時、教頭先生、登り棒のぼってた時とか、跳び箱飛ぶ踏み切りの時とか、よくプープーしてたのを憶えてるもん(たぶん教頭先生、今の僕ぐらいの年格好だと思うよ)。

 あの頃は僕、たまたま教頭先生は、お腹の調子が良くないんだろなと、ただ思ってただけなんだけど、大人になって、田辺聖子の本読んで、教頭先生のプープーを思い出したんだ。…田辺聖子の言う事は本当だ、とね(でも教頭先生は、プーと音したのを普通の顔して済ましてたけどさ。僕らもその事、言っちゃいけないもんだと、どうしてか思ってたよ)。

 だから僕ね、自分はお客さんとこ行った時は、音させたり、プーと出ないようにしようと、意識しながら仕事してるんだよ、ヘヘ。

 まあ、プーもゲップもアクビも溜め息も、これは仕事中にする訳ないけど(いやプーは、いつかするかもしれないと恐れてるんだけどさ)、でも重い物持ち上げる時、「ヨイショ」は言わないぞ、と自分で自分をイマシメテますよ。

 でもただね、一生懸命作業してれば、もしかしたら、ヨイショもプーも、出るかもしれないから、…そういう時は、…教頭先生みたいに知らん振りするか、ゴメンナサイと言うか、…それを今から悩んでます。

ハウスクリーニング作業の好き嫌い、ダガシの場合

ハウスクリーニングで僕、どこの場所をお掃除するかの、好き嫌いがあるんだよ。
 一番好きになれないのが、お風呂場だ。
 お風呂場のお掃除って、洗剤を塗って、こすって、水流せばいいだけだから、特に頭も知識も要らないから、体力勝負ってお掃除場所なんだな。
 まあ、汚れがカルシウムなんかのミネラルと一緒になって、石みたいになってる汚れ落としとかは知識要るけど、これも一遍覚えたら、後は応用すればいいだけだし、蛇口とかのメッキの金物やプラスチックには強く擦らないようにとか、…そのくらいの知識だから、あとはもう、浴室じゅう、天井から、壁、浴槽、床と…、カビがひどいときはカビ取り剤を、水垢がある時は水垢取り洗剤を、と順番に塗りまくって、スポンジとブラシで擦りまくって、あとは風呂場じゅう水かければ、OKなんだよね。
 アタマは使わないけど、体力はたっぷり使うし、アルカリ性のカビ取り剤や、ミネラル汚れ落としの酸性洗剤使うから、肺にはものすごく悪いだろうと思うよ(…怖いです)。
 だから僕、浴室クリーニングは、カンタンなのに、ぐったり疲れるし、体に良くなさそうだから、あんまりやりたくないというのもあって、今16500円で受けているんだ。

 反対に好きなのは、床のワックスクリーニングだな。
 これは知識と技術が要るよ。…だから好きなんだ。
 特にフローリングの汚れを落とすのは、そこらへんの掃除屋さんは、できないもんさね。
 フローリングの古いワックスを剥離するのなんて、極端に言えば、上手にできるのは、日本中でも、そう何人もいないと思うよ。
 だって、フローリングの表面って、1ミリあるかないかぐらいの薄い膜で出来てるんだから、強いアルカリ性の剥離剤で、その表面をガサガサにしないで、板自体を反らさないで、板と板の隙間に水気を入れさせないで、なおかつ完璧に古いワックス分を取り除くなんて、…まあ、知識だけじゃ出来なくて、手指の動かし方も、難しいんだよ(…あ、ジマンかな、ゴメン)。
 いや僕だって、僕の知識技術なんて、まだまだだと思うしさ。だから、いつも勉強だよ。
 それだから、難しいだから、フローリングのクリーニングはおもしろいと思うんだ。

 そして今、昭美堂のフローリングワックスクリーニングの料金は、一畳当りで2800円だけど、世間のお掃除屋さんはだいたい1500円くらいなんだ。
 フローリングを洗って汚れを落として、ワックスを塗るとすると、僕の場合、畳一枚あたりで、だいたい1時間弱かかるよ。
 そうすると1500円じゃ受けられないもん。
 いったい他の掃除屋さんは、どうやって1500円でやれるのか不思議なんだけどね。

 他には、キッチンの換気扇とかはこれは、地道な作業だよ。
 油汚れに洗剤つけて、落ちるまで何べんも拭き取る作業。…僕は好きでも嫌いでも、ないかな。
 トイレも地道な作業で、同じだね。どっちかというと僕、トイレ掃除のほうが、好きだな。

 エアコンクリーニングは、ハウスクリーニングに比べれば作業自体は単純なんだ(だからエアコンクリーニングやる業者が全国にいっぱいあるんだろうね)。
 でも単純でも、きちんと汚れを落としたか落とさなかったかは、外側からは分からないから、正直にエアコンの中の全部の汚れを落とすには、時間と手間がかかるんだ。
 そして脚立に登ったり降りたりするのや、脚立の上で腰を反らしながら二時間以上、気持ちを集中して作業するのは、…けっこう辛いもんだよ。
 だからエアコンクリーニングも、それほど好きというわけじゃないかな(でも得意だけどね。あ、またジマンかな、シツレイ)。

 そういえばガラス拭きは、好きじゃないなあ。
 これは一等単純だから。
 アタマも使わないし、体力も、それほど使わないから、半日もやると、飽きてくるというのが、正直なところかな。
 それにサッシのレールの溝汚れ取るのは、単調だけど時間かかるからね。

 ということで、ハウスクリーニングの作業の種類っていうと、大まかに分けると、これくらいかな。
 ああ、そうだ、掃除機をかける事だって、簡単なようで、けっこう知識と技術が要るんだよ。長くなるから言わないけどさ。

 そして僕、フローリングのクリーニングが好きだということは、考えてみると、僕は難しいことが、好きなんだな、ということだろね。誰にもあんまり出来ないことをやるのがね。
 …まあ、自己満足なんだろうけどさ。

 でもその自己満足で、お客さんが喜んでくれるのなら、自己満足も、良しと考えようか。
 そうだ、そうだよ。何の種類のハウスクリーニングの作業でも、お客さんが喜んでくれると、その喜んでくれること自体が、僕の喜びなんだって、分かるんだな。
 これだね。
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