新潟のハウスクリーニング屋さんが出す母への手紙

新潟市のハウスクリーニング屋さんが、ちょっと遠くに住む母親に送る近況報告と、つれづれの思いなど

刺身がまずいのは、地球が変わってしまったのかもさ、怖い

 この五年くらいの刺身は、うまくなくなったね。
 刺身といっても僕は、スーパーで売ってるもので、しかも三割引きとか半額になったのしか買わないから、それで刺身はまずいのかなと思うけど、でも違うみたいなんだな。
 きょう夕方、別のスーパーで、値引きされてない普通の値段の刺身買って食べたけど、やっぱり美味しくないんだよ。

 さかなの味自体が、しないんだ。
 生臭くさえも、ないんだ。
 味が何にもないフニャフニャした物体を噛んでる、そういう感覚なんだよ。
 魚の味の代わりに、かすかにクスリ臭い味が、するみたいなんだ。

 魚が、変わってしまったんだろか。
 それとも海が、おかしくなってしまったんだろか。

 刺身がおいしくなくなったことは、
 何だか何かが、どうしてか心配になる気が、するんだよさ。

機械を交換するというと、調子が戻ることも、あるね

 もう全然インターネットに繋がらなくなったから、きのうプロバイダー会社に(強い言葉使って)問い合わせたらね、繋げるためにパソコンに接続する機械が壊れてるか調子わるいかしてるらしくて、繋がらないらしいと言ったよ。
 だから新しい機械(モデムっての)を送ってくれると言ってた。
 プロバイダーの方でも、これから回線の調整する、と言ってた。
 そしたらそれがね、今日になったら順調に繋がるようになったんだ。

 ホントものごとってさ、そういうもんかも、しれないねえ。

あたたかくて雪すぐ消えたよ

インターネットが繋がらないから携帯電話から書くけど、きのう今日と、それほど寒い寒いというほどじゃないね。
 ストーブも点けたり消したりできるぐらいになった。

 おととい降った雪も、ぜんぶ消えたよ。

 パソコンから書けないから、生きてますというの見てもらおうとして、書きました、ハハ。

インターネット繋がらずが、本読むことにつながるかな

 最近、というか二月になってずっと、インターネットをつなぐ回線の調子が悪いみたい。
 今は何とかたまたま繋がっててブログ書いてるけど、朝でも昼でも夜でも、ブログ書こうとしても、人のブログ読もうとしても、調べものでホームページ見ようとしても、インターネットに繋がらないんだから、パソコン持つ意味がないんだよね。メールも繋がらないし。

 それでプロバイダーという会社に電話して聞いてみたら、またいつもの世の中の大半の人のように、結果を出そうとしない物言いでハグラカサレテ、…だから喋ってると疲れてしまって、原因も分からないし、対策も立てられないし、まったく困ります。

 プロバイダー会社には、もう、回線を使う料金を振り込んでるんだから、仕事をしてない業者に料金払ってることになってて、…もう今までのダガシだったら、そういう無責任な対応だったら、電話の途中で、あるいは近い場所なら行って、「社長出せ!」、と怒鳴り込んでたろうけどさ、ハハ。

 でもこのことが、パソコン見る時間を減らして本を読めよ、ということになるのならば、いいことなのかも、なんて思うんだけどさ。

リサイクルの事と、文体のこと

 去年の秋ぐらいに偶然見つけたブログで、
リサイクル親父日記
 という仙台市のリサイクルショップの経営者の人が書いてるブログらよ。

 リサイクルという商売のこと読むのも面白いんだけど、それよりもさ、この人の文体で読みたいと思う、ブログなんだな。

 文体って、やっぱり、良い意味で自分に調子に乗ってるところもあり、そしてまた、自分の悪や闇への自己自省が入ってる…、そういうことってことなんだなと、僕がいつも読んでる色んなブログ読むと、そう思うよ。

自衛隊というのを考えてみたら、オアソビ集団なのか人助け組織なのか

 自衛隊の船と漁船が衝突して、漁船に乗ってた二人が死んだってね。
 自衛隊の船のほうが悪いと、テレビで言ってたね。
 自衛隊の乗組員には緊張感が欠けている、と。

 僕いつもブログで、公務員はナッチョランと言ってきてるけどさ、自衛隊の人たちをナッチョランと言うのは何だかスジミチ違うような気がするんだよ。
 といって、自衛隊の人たちの肩持つわけじゃないんだ。むしろ逆なんだけどさ。

 だって自衛隊って、はじめからゴッコ遊びの組織だと僕は思ってるから。
 それは、日本の人々は、戦争なんてものを、もうしないよ、日本が戦争するなんていうなら、戦争すること知らせないでくれよ、本当に戦争するのなら、そのあいだ黙って死ぬよ、というぐらいに戦争というのを意識のうちから占め出して生きているだろから、だから日本の人々も、自衛隊に勤めてる人たちも、自衛隊はホントは戦争する軍隊だと思ってないだろうと思うんだ。
 だから自衛隊ってのは、軍隊のくせに、戦わないのだから、それは、あってないもので、だからゴッコ遊びだと、僕は思うんだな。

 それに日本を守るのだ、なんてタテマエは言ったとしても、日本の誰も、そして言ってる本人も、戦争なんて起きっこないんだと、意識無意識に思ってるわけだから、だからそういう意味でも存在意義ってのが、オアソビなんだと、思うんだ。

 そしてもちろん、僕だって戦争は起こってほしくないよ。
 一本気ダガシだって、戦争起きるぐらいなら、国どうしで姑息なこと、コズルイことやってもしょうがないかなと、思ってるもん。

 だからね、自衛隊ってのは始めからオアソビの組織なんだから、その組織に緊張感を持て、なんてこと言っても始まらないだろな、と思ってるだけのことなんだ。
 自衛隊自体が、虚業というか幻想の中で生きてるというかね(もちろんこのたびのような事故を起こして良いわけじゃないよ。そういう意味では、血のションベン出るくらいに緊張感を持て、とい言いたいよ)。
 でも、しかしというか、だからというか、そういう組織に、生活感の中のリアルな緊張感を持った意識を持て、と言ってもハンブン夢の中で生きてるような人々だろうと、思ってるんだけどさ(ある意味でダガシみたいな奴らかもね、ハハ)。

 だけどね、日本の中で震災とかで、復旧とか炊き出しとかで頑張ってくれてる姿見るときは、ああ、自衛隊があってくれて、ありがたいなあ、とは思うんだけどさ。
 そういう時の自衛隊の人たちには僕、共感するんだ。自衛隊、頑張れ、とね。
 そういう時の自衛隊の人たち自身も、ああ俺はリアルに、直接人々の役に立ってるなあ、嬉しいなあ、と感じてるのじゃないだろうかと思うんだけどね。

傷って穴より線のほうが目立つ

こないだ、フローリングに付いた傷の補修を依頼されて直してきたよ。20080220190405
 ボールペン横の白い傷だけじゃなくて、この線の周りに、浅いけれど何本も細かい傷が付いてて、直すの大変でした。200802201904052

 ごく浅い傷は専用埋め込み剤が接着しないし、完璧に同じ色を塗るのも難しいんだ。
 だから色を塗ったほうが余計にヘンに目立つから、僕のだったら塗らないなと思って、お客さんにそう言って、目立つ傷だけ塞いだり塗ったりして直しました。

 傷って、穴の傷より、線の傷のほうが、目立つんだ。仕方ないね。

星の場所も変わるから

 だいぶ陽が長くなったし、
 夜おそくに、真上に見える星座も、かわったね。
 夜と昼、
 来月は、また陽のあるほうが、いっぱいになるんだね。

医者を増やすより医者に掛からなくすれば、医師不足は解消するこんぽん

 医者不足医師不足と世間で言われてるけど、じゃあ、医師を増やせば事足りるというわけじゃあないんだと思うよ。
 だって、いくらお医者さんを増やしてもさ、それ以上に人々が医者に掛かりたがれば、お医者さんがいくら増えても増えても、もっともっとと言うだろうさね。
 人間って欲望って、もっともっとと、いつも言うもんねえ。

 じゃあどうすればいいかというと、簡単なことだよ。
 医者に掛かるのを減らせばいいのだよさ。
 よっぽどの事でなけりゃ、医者や病院に行くなんてことは、しないことにすれば、お医者のほうも診てもらうほうも、すんなりうまくいくだろうにさね。

 僕、小学校四年生だったかな、冬、風邪ひいて、どうしてかその年の風邪は熱が出てさ、おかしいなおかしいな苦しいな苦しいな、頭がボーっとするな、初めての感覚だなと思って、夕方だったかな、学校から帰ってきて、普段使わない体温計なんてものを薬箱から引っぱり出してわきの下にはさんだ。
 しばらくしてもういいだろうと思って見てみたら、あれ、いつもより体温計の赤い棒がやけに長いな、と思いながらよく見たら、赤い先端が39と40の目盛りのあいだにあったのをよく憶えてるよ。

 どこかで聞いたことはあったけど、ああ体温ってのは39度までも上がるものなんだなあ、僕の体もそうだったんだなあ…、とボウッとしながら自分の身体を珍しいもののように何故か嬉しく思ったのを、これまたよく憶えてるよ、ハハ。

 そんな熱でも、お医者に行こうとはどうしてか思わなかったな。
 医者に行くということ自体、僕の考えの中に、あの頃からなかったからだろね。それだけ医者に掛かるという事がよっぽどの時のことだけだと、無意識に思ってたんだろな。

 それとさ、風邪に効く薬は世界中さがしても無いんだということ、その頃読んでた小学生向けの雑誌の付録本に書いてあったのも憶えてる。
 風邪に効く薬を開発したらば、それは水虫を治したり禿げ頭に髪の毛生やしたりできるぐらいな、ノーベル賞ものだと書いてあったな。
 だから風邪ぐらいじゃあ、お医者に行っても治らないんだ、寝てれば治るんだと書いてあったし、僕もそう思ってたから行かなかったんだけどね。

 そうしてさ、あの高い熱出してもそれでも今でもちゃんと、生きてるしさ、それにさ、死ぬときは死ぬのだから、生き死にの事で人間がジタバタするのは、何かわからないけど高くて大きなものに対して、不遜なことなのじゃないのかな、と思うのだけどね(長いものには巻かれたくないダガシなのに、そういうことだけは、思うんだな、ハハ)。

 だからね、医者を増やすのももちろんいいことだろうけど、こんぽんの根本は、医者にかかるという事を、安易にはしない、ということを人々がわきまえることが大事だろうなと、思うんだ。

 そうして、超未熟児で産まれたり、植物人間のようになった時や、もうたすからない病気や怪我の時は、寿命だと、いい意味であきらめするのも、大切じゃないかと、思うんだよさ。

 いい気持ちになってあきらめられるためには、日々何かに打ち込んでいることが、大事じゃないかな、と思うんだけどね。
 最後の最後だけヘンにチカラコブ入れて、「出来るだけのことをしたい、してやりたい」なんて言うのは、日々のことに投げ遣りになってるスリカエじゃないのかな、と思うんだけどね。
 何でも最後は、あっさり系が、カッコイイなあ、と思うんだけどね。

 こんなこと考えるということは、もしかしたら、あの小学生のときに40度近い熱が出たせいで、あれからダガシは頭がおかしくなったのかもしれないねえ、ハハ。

人間のしょっぱさは美味しい

 人間の皮を舐めても、
 そして鼻から出る水も、
 目から出る水も、
 どこかを切ったところから出る血も、
 そういう皮の内側からしみ出る液を舐めると
 しょっぱいんだね。

 だから人間は、
 しおみずで出来てるのだと
 分かるんだよね。

 その人間のしおみずは、
 海の水と
 同じしょっぱさだというね。

 それが
 どうしてなのか、
 おいしいんだ。

ゆきおろし鳴るかな

今夜から明日あさってと、とっても寒くなるんだってね。雪もいっぱい降るらしいね。
 さっき台所の窓を見たら、ガラスの外側に氷の粒がたくさん着いてたよ。
 こんなに冷えるのは今年になって初めてだ。
 そういえば雪が降る前触れの、雪おろしっていったっけ、あの冬の夜中の雷も、今年は聞いてないな。
 もしかしたら今夜は、カミナリ鳴るかな。
 あの音で目が覚めるかな。

よってたかってって美しくない、僕ももしかして

 ラジオの深夜放送で若い女の歌手が、妊娠にまつわることで、「腐る」と言ったら騒ぎになったそうだね。
 また始まったか、と思ったよ。
 大勢での一人をいじめを、さ。

 体のことをよく知らなかったんだろうか、いや、それともこんな極端なこと言うわけだから大袈裟な冗談だと思うのだけど。
 そしてタレントや歌手がラジオの深夜放送で喋ることに、いちいち腹立てなくともいいと思うし、それがどうした、というか、そんなの別にいいじゃないかと思うんだけどねえ。
 それほど彼女が悪意を持って喋ったわけじゃないだろうしさ。
 あれだけの表現者が、人を誰かを苦しめてやれなんてミミッチイことを思うとは、思わないけどね(といって僕は彼女の歌い方を好きではないんだけどさ。でも人のやってないことやってるんだから、そういう意味で表現者だろうしさね)。

 それに人間は、生きてるうちは、ちょっとした間違いは、たまにはあるよ。
 そして終わったことをいつまでも根に持ってさ。…サッパリしてねえなあ!

 それをよってたかって、そして匿名で、一人を攻撃する、そのミニクサ…。

 このことによって、人間ってのは、全部の人間が同じような美しさを持っているわけじゃないな、と分からせてくれたし、世の中には醜い人間はいるし、その醜い人間は本当に大勢いるんだな、そしてそういう人間も普段は、というかそういう人間こそが普段は、善人の顔をしながらノホホンと生きているんだな、と分からせてくれたよ(僕は醜い人間は世の中に居ない、というか居るべきじゃない、と思い込んで生きてきたから…その勘違いのせいで、苦しい苦しいと思いながら生きてきた。だって醜い人間は居ない、居るべきじゃない、というのは勘違いどころか、事実じゃないんだから、その事実でないことを信じ込もうと思ってきたんだから、苦しいのは当たり前だったよね、バカだねダガシは、ハハ)。

 でもふだん醜くない人間もさ、いつかどこかで、ひょいっと、何かの拍子に、醜くなることもあるんだろうな、と思うな、僕も含めてね。…それも自然なことなんだろな。

河合隼雄『紫マンダラ』読んで

紫式部の『源氏物語』の僕にとっての新しい解釈を、河合隼雄が書いてたのを読んだ。
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時間かかったけど、やっと読んだよ。

 源氏物語の登場人物の女たちは、その全部の女たちは、紫式部の分身であり、紫式部は源氏の女たちを描くことによって式部自身、自分自身を表現しているのである、って河合は書いてたな。

 そうして、物語の女たちの生き方を、光源氏という一人の男を通して見ることによって、女たちを、いや紫式部自分自身を、表現していたんだ、という解釈。

 それはもしかして河合だけが言っていたのじゃないのかもしれないけど、でも今までの作家たちは言わなかったことだと思うんだけどさ。
 それもダガシのモノシラズのことかも、しれないけどさ。

 でも僕にとっての新しい見方おしえてくれたから、とってもおもしろく読んだんだけど…、でもそれが読むの難しいから、またつっかえつっかえしながら、進んだよ。

 古文の点数赤点だった僕は源氏物語の原文は読めないから、現代語訳の源氏をいつか、読んでみようかなと、思いました。

在るべき姿はそれぞれ

 在るべき姿ってのを今まで、ほとんどの人と共有できなかった。

 それが今日、その在るべき姿ってのは幻想だってことを分かったというか思った。

 だから人が持ってる在るべき姿は、僕の持ってる在るべき姿と違っていても、それは当たり前というか自然なことなんだということ、それを分かるまで長い時間だったね。

 笑い話にならないんだけど、遅くなったけど、それを思えただけ、ありがたい。

 人間はそれぞれ一人ひとり、持ってる在るべき姿は違うのが自然だということ。

 僕の在るべき姿を、僕以外の人に押し付けようとするのは、自然じゃないということ。

 三日間、引きこもって、きょう長湯して、覚悟しました。

 それがわかることできた今日二月三日は、節分だったな。

バナナ

 そういえばさいきんバナナを食べてないなと思っているとそういえばバナナを食べるのはいつも夏だと思い出したらああ今は冬だったと改めて分かって何故バナナを食べたくなるのは夏なんだろ冬じゃないんだろとしばらく瞑想したらばバナナというものは夏のというか暑い土地でそうだよ東南アジアだとかで生えるものだよと分かったような分からんようなこと考えてだから僕も今はバナナ食べたくならないんだろかな、と思いました。

 バナナチップなんて薄切りバナナの油でフライのようなのなのかそれとも薄切りでただ乾燥させたのなのだろか知らんけれどもあの曲がりながら薄い黄色いきゅうりの薄切りのような見た目のくせになのにほろ甘くて硬い食感のヘンな食べ物もちょっと凝って食べてた時期もあるなあ、と思い出します。

 バナナというもの昼飯にはもってこいのものだと思うのは、夏場のダガシだよ。
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