FC2ブログ

徒然のブログ

つれづれの思いなどを

人をぜんぶ幸せにしたいと思えないダガシは

 僕は世の中の人ぜんぶが幸せになってほしいとは、
 思ってない。
 世の中には好きになれないひとが大勢いるから。
 とくににいがたしにはおおぜいね、ハハ。

 だから俺みたいな人間は政治家には向いてないなと思ってる。
 お医者さんにも、向いてない。
 学校の先生にも俺は向いてないなと。

 誰でもをしあわせにしたいって思う人が成るのだろう、
 そのどの仕事に就くことも俺はできないなと、
 そしてその仕事をする能力も、俺にはないのだろうなと、
 小学六年生のときに、悟ったよさ。

 だから、目の前の人を嫌いにならなくとも済む人にだけ、
 その人にだけ一生懸命になれる仕事が
 今の仕事だと、思ってやってる。

 だからダガシの仕事ってのは、
 そういう意味でプロじゃなくて、アマチュアなんだと、
 自覚してるんだ、ゴメン。

 政治家も、
 お医者も、
 学校の先生も、
 それにおまわりさんも、
 それに公務員もそうだろかな、
 世の中の人ぜんぶを幸せにしたいと思える人が、
 なるべき職だと、僕は勝手に思ってたから、
 俺は成る資格がないと思ってる。

 その職の人たちには、体は休めてほしいけど、
 精神は、休めないでほしいと、
 いや精神もときどきは休養とっても、
 心もちは怠けないで、ほしいなと
 思うダガシは、ワガママだろかな。ワガママだろね。

ブログ消え去り考

 世の中のブログで、何日も何週間も、いや何ヶ月も書いてないブログがいくつもあるね。
 地球のエネルギーの無駄使いだと思ってるけど、まあこれも、ダガシを含めた人間の、生きてるうちは、やらずにいられない無駄遣いなんだろうな。

 ハウスクリーニング業界のブログも、そういうの、ホント数えきれないほど、あるよ。
 僕のこのブログもそうだけど、自分の商売の広告で書き始めたブログなわけだから、定期的に書かないのは、自分の勤勉さを否定することになるのに、それを意識しないのが不思議なんだな。
 自分の勤勉さを大事にするってこと意識してる人だったら、自分のブログ書かないことに、自分の商売の不利益になるオッカナサ感じると思うだろけど、そうじゃない人ばっかりだから、ホッタラカシのブログが世の中にイッパイあるんだろね。

 商売上の広告のブログなんだから、それには自分の住所や自分の顔写真やらを、クリックすれば分かるようにしてるんだから、自分で決めたことをしつづけないっていう、人間として生真面目じゃないと思われるのに、それなのにホッタラカシなんだから、その危機感のなさが、不思議なんだよさ。
 職業人としては、勤勉さが、何よりのアピールだと、ダガシは思うんだけど(いや怠け者のお前が言うなと言われそうだけど、でも僕はホントに仕事の上じゃあ、手間隙惜しまないことが、大事だと思ってるんだよさね)。

 もし僕が、もうブログ書くの嫌になって、これ以上書かないぞと思ったら、「もうこれから書きません」と表明して、その何日かあとにブログを消滅させるだろうな(まあブログ自体を消し去ることは、何年か後に、後回しにするかもしれないけど、必ず、もう書きませんと、書くだろなあ)。
 それが、ブログ会社に対しても、世間に対しても、自分に対しても、礼儀だと、思うからさね。

 そしてね、いつも思ってることは、もし僕が突然、突発的に死んだら、このブログを始末するのは、どうするんだろ? ということさ。

 僕自身は、俺が死んだら俺自身に関する事は、何もかもこの世からキレイサッパリ消滅してほしい、と思って生きてるから、当然このブログも消え去ってもらわなきゃならんのだけど、消え去らせること頼む人が、今のところいないんだよさね。

 ああ、まだ僕は今のところピンピンしてるから、死なないだろうと思い込んでるけど、ダガシだっていつかは死ぬ存在なのは、僕自身わかってるもんね。

 そしてこのFC2は無料で出来るブログだから、書かなくなっても、ホッタラカシでも、そのままこの世に、存在しつづけてしまうんだよ。
 ああ、何でもタダってのも、良し悪しだよねえ。
 有料のサーバーやドメインならば、入金がなくなった時点で、あっさりとサワヤカに、消し去ってくれるからね。

 だから、このブログも消え去らせる方法、FC2さん、考えておいてくれよ。仕事を押し付けるワガママなのは、ゴメンナサイ。
 ダガシは、まだまだピンピンしてるんだけどさ、ハハ。

 まてよ、そしていま思ったけど、他のブログにコメントした分は、その人が削除してくれないかぎり、この世に残ってしまうよね。
 ああ、そういうのも、心残りになるんだろかな。
 まあ、その場その時になったら、そんなことは忘れるだろな。

 死ぬ間際は、いい意味で、もうろうとして、わがままに、なるのだろかな(…こんなことでも言い訳書かなきゃならんけど、直接ひとさまの生き死にに迷惑かけないように死ぬようにしたうえでの、我儘だろけどさ)。
 その我儘を許してもらうためには、日々せいいっぱい、生きる、ことだろかな。
 たいへんな、ことだな。
 こういうことを今まで、いつか、いつかと、ブログに、書きたかったんだよさ。

自殺ってのも安楽死ってのも、マナーと、そして矜持がいるぜ

 さっきNHKで安楽死の事やってて偶然観た。
 僕、安楽死や自殺は、その人の最終的な権利だと思ってる。
 だけどその権利を行使するのは、人様に迷惑を掛けない範囲でで、と思ってる。
 ということは最近世間でやってる人がいる酸性とアルカリ性混ぜて出させるガスで自殺するのは、人間としての生きるエチケットとして、というか死ぬエチケットとして、違反だよ。
 なぜなら、近所にガスが行って、近所の人の健康…というか生き死ににさえ影響させるからね(といって、死ぬ人間に、何言っても聞分け持ってもらえるかというと、難しいだろけどさ。これも困りもんだよ)。

 ところで安楽死には、お医者さんが関わらなけりゃ出来ないものなんだろかな。
 僕がお医者さんなら、人を死なせる手伝いはしたくないよ。いや医者じゃなくても、したくないよ。
 人を生かせること商売にしてる職の医師って人たちが、安楽死を肯定するわけもないと思うしさね。
 だから、安楽死の議論に、お医者さんたちを混ぜても、結論は出ないろうさねね。
 安楽死するのって、お医者さんの手を借りなきゃ出来ないのかな。…そんなことないろう。
 今はインターネットでも何でも、情報はいろいろあるだろからね。

 でも何べんも言うけど、人様に迷惑かけない範囲で、自殺するのが、人間としてのスジミチだよ。
 それは、絶対だよ。
 これは、これから自分で死のうとする人に、言いたい。これはホント、絶対だぜ。人に迷惑は、掛けるな!

 そうして、僕が思ってる人間としての尊厳ある自殺は、餓死、だろうと思う。
 身のまわりを整理したあとで、山奥の誰も来ない場所に行って、岩に座布団か何か敷いて枕にして、そこに寝転んで、食べないで我慢して、飲まないで我慢して、過ごせば、一週間ぐらいで、朦朧として、そのまま朦朧としたまま、死ねるのじゃないのかな、と(やったことないから分からないけど)思うんだよ。

 でも、飲まず喰わずじゃ、苦しいだろな。
 でも、その苦しさを乗り越えられる人だけが、尊厳ある自殺ってのを、できる人なんだろな、と思うよ。
 その苦しさを乗り越えられない人間は、カッコワルクても、カッコワルク生きつづけなきゃ、ならんろうな。

身体変わる実感は花粉症も含めて

 花粉症は、いつのまにか、なくなったよ。
 四月九日に、咳とくしゃみが出て困ったけど、つらかったのはその日だけで、あとはまあ我慢できる日だったな。
 あれから少しのくしゃみ鼻水は、四月の真ん中ぐらいまでだったかと思う。
 もう花粉症の症状も出ないだろうから、花粉症って僕にとっては四月の真ん中ぐらいまでのものなんだろね。
 こないだ花粉症の季節はいつまでだろかと思ったこと書いたから、今日、そのこと思い出して書きました。
 鼻水も咳も、確実に僕の花粉症、かるくなってるよ。
 からだというものって、人生の過程の中で、変わるもんなんだねえ。

ダガシは早●●好き

 まだ掃除屋さんに勤めてたときに、そこの社長と一緒にお昼を食べてた時に、
「ダガシ、お前は食うのが早いねえ。それじゃ駄目だよ。皆と一緒のスピードで、皆ともっと会話しながら食べなきゃ、大人じゃないよ」と言われてさ、それまでも僕は自分で、俺は早食いの大食いだと自覚してたから、それから人とご飯食べるのに何だか躊躇してしまう気持ちになることあったんだ。

 それがきのう、石原慎太郎の『オンリー・イエスタディ』という本読んでね、その本の中で、石原慎太郎が若いころ師匠筋の人に言われた言葉で、
「あなた、そんなにゆっくり食べていて、飯が美味いですか。食事は早く食べないと美味しくないでしょうに」実は私(石原)自身はかなりの早飯なのだが、森さん(ある会社の社長)にいわれて、その通りだと感じいったものだった。…と書いていたな。

 それ読んで僕、早食いでも、いいんだな、早食いのほうが、やっぱり美味く感じるんだよな、と思わせてもらったよ。
 まあ、僕の勝手な言い分とは思ってるけどさ、ハハ。

 世間では、それが善いか悪いかは置いといてさ、早食い、早○○、早●●、…と言うんだから、早いのは、まるっきり悪いことじゃないぞと、思わせてもらったなあ。
 そもそもダガシは、皆と一緒てのが好きじゃないから、つい、早い●●に、なってしまうのかね。

カレーの汗の匂い

 暖かくなって、カレーを食べたくなって作りたくなる陽気だけど、カレーを食べてニ、三日、体からのにおいがカレーの匂いになるのが自分でも分かるからさ、あんまりカレーとか麻婆豆腐とか、匂いのキツイ料理は食べないように、してるんだ(だけどシチューは、汗からシチューの匂いは出ないんだな)。
 そして肉もね、豚肉だとやっぱり肉の匂いがして、最近は鶏肉食べるようにしてるんだ。

 三十代なかばまでは週の半分は餃子食べてても、汗のにおいは餃子の匂いはしなかった気はしてたんだけど(あくまでも自分の嗅覚ではね)、四十の半ばを過ぎたらさ、豚肉やウィンナーや餃子や麻婆豆腐みたいな食べ物は食べた次の、その次の日まで、仕事で作業するとその料理の匂いを思い出させる汗が、僕の体から出ているんだな、ハハ。
 これも新陳代謝が低くなっているんだろけどね。まあ、生き物としての自然の摂理なんだから、しょうがないさね。

 で今日、天気が続いて暖ったかくなって、前から思ってたカレーを食べたいけど、どうすればいいかと思っててさ、…そうだ、カレーにシチューの粉を混ぜて作ったら、カレーの汗の匂いも弱まるんじゃないかなと思ってね、作ってみたよ。
 カレー粉を半分に減らして、減らした分をシチューの粉を混ぜて、鍋に入れて作ってみた。
 味はね、薄っぽくならずに、美味しかったよ。

 僕のカレーの汗のにおいはどうなるか、また思い出したら、書くね。

田植えどき、水仕事どき

 きょうは暖ったかかったね。
 春がいつのまにか、夏の初めに移ってるのかな。
 もうすぐ五月だもんね。

 今日は、たまってた洗濯したよ。
 洗濯機、三回もまわした。
 水しごとが楽しくなる季節だね。

 もう、田んぼに水も張ってるだろな。
 ああ、
 待ってるだろな。

カッパギ久しぶり

 店舗清掃で、剥離っていう、床のワックスを溶かして剥ぎ取る作業の写真らよ。
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 上のは狭い場所だからゴムヘラを直接手で持って、溶けたワックスをかき取ってるとこ。
 下のは広いところでいっぱいワックス混じりの汚水をかき取ってるとこ。

 汚水がまっ白いのは、ワックスが汚れてない証拠なんだ。
 一回一回のワックスがけの時に、毎回汚れをキッチリ取って、ワックス塗ってきたからね。

 じゃあ何故剥離したかというと、そこの社長さんの要望で、最近ワックスの減りが早くなったようだから何とかしてもらえないかと言われてね、僕、減りの耐久性のあるワックスに変えたらさ、塗ったワックスの表面に顔を近づけてよく見ると、小さなブツブツが出るようになって、完全な鏡のようなワックス面にならなくなったんだ(誰かに言われなきゃ分からないぐらいなんだけど、僕、それを自分で見つけてしまってさ)。
 だからワックスを一旦ぜんぶ取り除いてから、もういちど新しく塗ってみようと思ってね、剥離をしてたんだよ。

 僕、剥離作業、三年ぶりなんだ。
 そして写真のここの床は、五年ぶりの剥離だよ(五年ぶりのワックスが、これだけ真っ白というのは、いかに毎回の洗浄をきちんとしてたか、っていう証明なんだよ。…ハハ、自慢です、ゴメン)。

 そしてね、剥離のときの汚水集めは、バキュームは使わないんだ。
 ワックス混じりの汚水を吸い込ませると、バキュームが傷むからさ。
 だから、最後の仕上げの、濯ぎ洗浄で出た水をバキュームで吸うだけで、剥離で出る汚水はゴムべらのカッパギでかき取るんだ。

 でもね、カッパギは、腰に来るんだよ。始終前かがみでかき取るからね。しかも三年ぶりのカッパギだから、なおさらね。いくらカッパギ上手のダガシでも、その夜は湿布薬を貼ったよ。
 そしてこの床の剥離、30坪で、恥ずかしながら13時間も、かかりました、ハハ。

大きいバイク見るとまだにいがたしに居てもいいかな

 バイパス走ってたら、バイクが多いなと思ったら、今日は日曜日だったね。
 僕、クルマ運転しててバイク見ると、寄っていきたくなるし、後ろくっつきたくなる。
 僕も乗ってたときに後ろにくっついてくるクルマが時々あったけど、そのクルマたちもそういう気持ちだったんだろかな、と思うけどどうなのかな。

 そうして僕は、にいがたナンバーのくるまの乗り方に、いつも辟易してるけど、救いなのは、にいがたナンバーでもバイクのにいがたナンバーは、それも大っきいバイクのにいがたナンバーは、スピードは出すけどマナーのスジミチ通しながら走ってるから、よし、俺もまだにいがたしに居ようか、と思わさせてくれるんだ、ハハ。
 そういうことで自動二輪大型免許は特別な運転免許だと、思わせてくれるから。
 ダガシは差別主義者かな。もとからだね。

新潟県にもっと居てほしかったけど新しい出発良かったねアナウンサー

 ずっと前に書いた、僕が好感持ってた新潟NHKの女のアナウンサーが、四月の始めに東京に転勤になってたよ。
 その人、新潟が初めての勤務地で、四年弱も居たんだって。
 その人だけが、それまでの新潟NHK局の中で、笑顔でニュース読んでた人だった。口の両端しをキュッと上げながらね。
 その唇の形は多分意識してやってたと思う。だからにいがた市では珍しいプロ意識を見たから、僕は彼女を応援してたんだ。

 僕がクルマ運転するときに聴くラジオで、彼女がときどき新潟県の天気予報とかニュースを喋ってて、その爽やかな口調を聞いてると、カツゼツはそれほど上手じゃなかったけどさ、一生懸命さと生真面目さ感じられて、僕は気分良く運転できてたなあ。

 彼女には、アナウンサーだけじゃなくて、いろいろなジャンルの仕事しながら、楽しんで生きてってほしいなあと、面識もないのに、そして知らないのに、勝手に思ってるよ。

すぐ思い出せた緑いろの味

 今夜、ピーマンを食べたよ。
 去年の秋から買わなかったから、久しぶり。
 冬はほうれん草で春から秋はピーマンと、
 緑の野菜のスケジュールだ。
 噛むと、
 ほんのり甘くて、
 でも甘みと一緒に苦さが旨みを引き締めてるね。
 お皿の中で緑の色が光るから、
 うまいぞ、うまいぞと僕に呼びかけるんだ。
 卵焼きとカレーに入れて食べました。

ダガシのメールタイトルが長いのは

 僕、メールのやりとりというのはそんなにはしないんだけど、携帯でもパソコンでも、送るメールの書き方で決めてることがあるんだ。
 それはタイトルに僕の名前と何の用件かを書くこと。
 というのは、僕は経験ないんだけど、人によっては迷惑メールというのが沢山送られてきて、受信の画面の中で、迷惑メールと大事なメールの見分けがつかなくなることがある、と聞いたことあるからさ。
 それに迷惑メールの中にはウィルスが入っているのもあって、そのウィルスが入ったメールを開くと、パソコンにウィルスが染るっていうからね。
 アドレス帳に登録しておいた人から来たメールならば、ああ、あの人からだ、見てみよう、と開くけれど、そうじゃない人からのメールだと、それが迷惑メールなのか読むべきメールなのか、タイトルだけじゃ開いてみなきゃ分からんもんね(まあ、だいたいチョウシよすぎる感じのタイトルは、売り込みか何かのメールが多いよ)。

 だから僕、相手がタイトル見ただけで、すぐダガシからのメールだと分かるように、「ダガシです。何日の事、何時に」というようなタイトルで、送るようにしてるんだ。
 これも、ダガシが気短かのせいだろね、ハハ。だから相手も自分と同じく気短かだと勝手に思って、お互いの時間と手間をモッタイナガル気持ちからなんだ(といって自慢してるわけじゃないよ。ただの僕の我儘とセッカチのせいだからさ)。

 これは僕の留守番電話で、最初に「いま留守にしてるダガシです」と言うこととつながってるだろうな、と思うよ。
 ダガシからのメールのタイトルが長い理由は、そういうことなんだ。
 初めて誰かに言ったよ。

払いたくないんなら益を受けない覚悟必要ら

 世間の人は、後期高齢者医療保険ってのの、呼び方をいかんいかんなんて言ってるけど、呼び方なんてどうでもいいじゃないか、と思うんだけどねえ。

 何でもさ、その本質は何か? ということを、まず考えなきゃならんろうにさ。
 その、本質を見極めることをホッタラカシて、目をつぶって、表面のウワッツラの、どうでもいいこと瑣末なことを喋ってる。…ヒマだなあ、と思うよ。
 といって、この保険制度のことだけじゃなくて、世の中の人は、世の中の何にでも、本質を考えることをホッポラカシテおいて、ウワッツラの話しかしないこと多いんだけどね。
 どうしてかというと、そのほうが、簡単でラクだからさね。
 何でも安易にラクを求めようとする。
 ということは世の中の人のほとんどは、ズルくて怠け者だと、いうことらよ。…これ、真理だね(ダガシも含めてね、ハハ)。

 さて、後期高齢者医療制度のことは、こないだ書いたから簡単におさらいすると、医者にかかりたければ金を払え、金を払いたくなければ医者にかかるな、ということだよ。…これも真理だねえ。
 個人にも社会にも国にも、お金がないのに、世の中の人々が、自分は医者にかかりたい、もっと診てもらいたい、もっと治療してもらいたい、いつでもしてもらいたい、もっともっと贅沢な機械あててもらって沢山のクスリ飲みたい、なんて言ってれば…、これじゃあ、もし仮に世の中に、いくらお金が余ってたとしても、お医者さんが余ってたとしても、いつまでたっても足りないろうね。

 じゃあどうすればいいかというと、今みたいに、世の中の人たちが、医者に沢山かからなきゃいいんだよ。
 掛からせないようにするための仕組みは色々あるだろうさ。それを実行すればいい。
 そうして、お医者に掛からずに、人々は、何をどうすればいいか…。自分の生き死に対して、毎日何か考えつづけてれば、何かしらの答えが見つかるろうさ。
 医者に掛かることだけが人生の仕事みたいに生きてる人が多すぎるんだ。自分の病気のことしか頭にない人が。まるで病院に行くのがレジャーみたいな人も、大勢いるよ。

 もちろん、保険料が年金から天引きになってるのなら、年金が少なくて生きるのにやっとの人には、何かで補てんすることは必要だろうけどさ。でも、そういう人も、いっぱい医者通いをするのは控えてもらいたいよ。

 そしてね、サービスを受けたり益を受けたら、その対価を支払うのは人間としてのスジミチだよ。
 それをしないのなら、泥棒だよ。
 だから、保険制度の名前がどうのこうの、呼び方が気にくわないなんて言って、自分と自分のやってることを自分に誤魔化してる人々は、…奴隷か家畜に似てるんじゃないかと、思うんだけどねえ。

 それは医療関係者にも大勢いるよ。
 何かあれば、何とかの一つおぼえみたいに、日本の医療費を増やすべきだと言う人たち。
 それは自分の関わっている事が、医療の業界が、膨らめばそれでいい。それが自分の生きがいだ、やりがいだ。社会がどうの人間としての生き方がどうのなんて二の次だ。俺がいる分野が発展すれば、それでいいんだ、嬉しいんだと。
 そして単なる呼吸を長引かせるというナガイキが、人生の、唯一の、絶対の、幸せなんだ。なぜなら、呼吸するだけなら、考える必要がないからラクだから。っていう怠け者であり自分勝手である自分の中の無意識を、自覚してない医療者たちが大勢ね。

 まてよ、いまテレビで、この後期高齢者…の呼び方がどうのこうのと騒いでるのは、もしかしたら、その中身をはぐらかそうとするために、政府のコズルイ公務員が、姑息に考えついて、テレビにやらせてるのかな、と思ったよ。

 まあ、どっちにしろ、益を受けたら、その対価を払う。
 対価を払いたくなければ益を受けないようにする。
 少なくとも、保険料や税金を払いたくないなら、公的なところからは最低限の益しか受けないぞ、というぐらいの覚悟が、世の中の人々には、必要だと、思うんだけどさねえ。

 追加だけど、そうするためには、公的なところは清潔に、そして最小限の小ささにしておくことが、絶対条件だよ(ブクブクに太って腐ってる公的機関ばっかりだから)。…でもこれも、難しいだろけどねえ。だって人々が奴隷や家畜に似てたら、自分の親方は大きな存在になっててほしがるからねえ。もっと大きく、もっと、もっとと、できるだけ大きな、(人々の幻想の集合体である)親方日の丸に、頼りたがるだろからねえ。

阿川佐和子の気持ち良いワンパターンを楽しむ

 このブログの一つひとつの文の終わりは、よとか、ねとか、さとか、だとかで終わるように書いてるけど、僕の好きな阿川佐和子のエッセイ読んで、あのスッキリ、サッパリした感じの文体で書きたいな、とときどき思うことも、あるんだ。
 といってこのブログは手紙なんだから、たで止めるのはチガウだろうと思うんだけどさ。
 それでもう一つブログ作って、たとか、であるとか、で終わる文で書こうかなと、チラッと思ってみたんだけど、二つも書けるほどエネルギー続かないから、やっぱり新しいの作るのは、やめました。

 それで今日、パソコンの縦書きソフトを使って、阿川佐和子のエッセイを一つまるまる書き写してみたんだ(そのエッセイは、ぜんぶで1600字で、書き写すだけだったら20分で写せたよ)。
 そうしてみたらね、阿川佐和子の文体、(ナイショだけど)単調だと思った(スミマセン、ハハ)。
 それに本の中の一つひとつのエッセイの、構造というか起承転結というかが、ほとんどみんな一緒なんだな。
 書き始めの文章と、それに続く内容と、途中での想いの変化と、それとサッパリとした終わり方。

 といって僕は阿川佐和子の書くものを嫌いになったり軽蔑したりしてるわけじゃあないんだよ。
 そのワンパターンみたいなものが、なんだか心地いい感じ、するんだな。
 それに阿川佐和子のものの考え方、感じ方が、僕に似てるような、気もするしさ。
 おっちょこちょいだけど、曲がったことが嫌いで…。阿川佐和子はそんな人だと、僕は読みながら勝手に思ってるんだ。
 他に僕が好きな人は、田辺聖子だったり曽野綾子だったり白洲正子だったり、他にも名前がすぐ出てこない何人かの女の人の作家がいる。
 その人たちのすべてが、阿川佐和子に似てるし、僕にも似てると、これも勝手に思いながら読んでるんだ、ヘヘ。

 でもさ、阿川佐和子の文章を書き写してみて思ったのは、自分が楽しく読んでいるエッセイの、その文体や構造を分析して、批評してみても、始まらないなあ、と思ったよ。
 だって、単純に、好きなんだもん。
 だから、その気持ちいいワンパターンを、これからももっと、楽しもうかな、と思いました。

煙草やめたら煙草の良いこと思い出せくなったのは身勝手?

 自動販売機で煙草を買うのに、身分証明書みたいなカードが要るようになるんだってね。
 そういえば僕、煙草を吸ってたとき、自動販売機で買うことはなかったな。
 僕の吸ってた煙草は、自動販売機で売ってなかったからね。
 ニコチンとタールが、とても軽い煙草で、その煙草を吸う人は僕以外に見たことなかったから。
 そんな軽い煙草なら吸わなくともいいじゃないかと思うかもしれないけど、やっぱり吸わないと、集中力が落ちてきたり、めまいがしてきたり、イライラしてきたり、仕事でもバイク乗るのでもクルマ運転するのでも、他にもいろいろのことに支障をきたすことになったな。

 僕が煙草やめる何年か前から、世間では嫌煙権とか分煙とか言いだして、煙草吸うことが良くない風潮みたいなのが出てきたね。でも僕は、自分が煙草吸わなきゃ何事もやれない人間だと思ってたし、世間の風潮に安易に屈したくないって思ってたから、だから俺は絶対に煙草をやめないぞ、とずっと思ってた。
 それが、ハウスクリーニング屋さんになって、風呂掃除のカビ取り剤を吸い込んだり他にも強い洗剤のスプレーの霧を吸い込んだりしたのが悪かったのだろうけど、肺を悪くして、煙草吸えなくなったから、やめた。

 それが、やめて良かったと思うことばっかりだよ。
 だって、それから身体の中身が、軽く感じられるもんさ。
 煙草を持って歩くことにも、煙草を吸うこと自体にも、煙草を欲しがる気持ちにも、わずらわされることなくなったし。

 今はもう、そばで煙草吸う人の出す煙を嗅ぐと、気持ち悪くなるぐらい煙草の煙が嫌いになったな(まあ、軽い煙草しか身体が受けつけなかったんだから、もともと僕は肺が弱かったんだろうね)。
 煙草吸う人にはわるいけど、あの煙草というものは、やめてみると、良いことがいっぱいあると、分かると思うんだけどねえ。
 そして今になってみると、煙草には、良いことが何かあったっけかな、と思い出そうとしても、なかなか出てこないくらいなんだけどさ、ハハ。

花粉症激しくなりはじめの日

僕の花粉症は、今年になって今日が一番激しいみたい。
 目がかゆくて涙が出て、鼻水が出っばなしで、くしゃみが一日中止まらなかったよ(今も鼻かみながら書いてる)。

 花粉っていつまで飛んでるだろ、この苦しみはいつまで我慢すればいいんだろ、と毎年思うんだけど、症状が消えてしまうと、そのまま花粉症のこともきれいさっぱり忘れてしまうから、いつまでこの辛さが続くのか、たしか五月の連休は、くしゃみはしてなかったなあ、ぐらいしか憶えてないんだ。

 だからメモ代わりに書いておこう。激しいくしゃみは今日からと。
 くしゃみ止まった日も書こうと思うけど、忘れなきゃいいけど。

 そうして今日四月九日が、今年の新潟市の桜が、満開になった日なんだってね。

鳩を網でとったこと

 二日前、アパートの中に鳩が迷いこんできて、階段の踊り場に羽やウンチを撒き散らしたのがこの写真。
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 鳩が出て行きやすいように窓をいくつも全開にしてるのに、鳩はアパートの居心地がいいのか、階段通路の天井の鉄の棒に、この二日間、スマシタ顔して留まってるんだよ。
 それで今日、僕、鳩を外に逃がそうとして何べんもホウキを振り回したり突っついたりしたんだけど、鳩はおとといと昨日と同じスマシタ顔つきで、ピョンピョン飛び回って逃げるだけなんだ。

 それでこれは何かで捕まえなきゃならんなと思って、そうだ網だ、網で獲ってそのまま外に出そう、と思って100円ショップに行って網を買ってきた。それが写真の黄色いのだよ。
 最初虫捕り用の網にしようと思ったけど、虫捕り用のは網が弱いかなと思い直して魚捕り用のにした。
 そして網の色が青、緑、黄色とあって、なぜ黄色にしたかというと、鳩の色と反対の色なら網に鳩が入ったかどうか分かりやすいかな、と思ってね。

 それで網の棒を竹ホウキの柄にガムテープで付けて長くして、それをそおっと鳩に近づけて、エイッと被せたら、逃げられた。
 でも三回目で網の中に捕まえたよ。
 鳩が網の中に入った瞬間、鳩が逃げようとしてもがく力を、網を通して僕の手に感じたよ。
 大袈裟にいえば、命のもがき、みたいな感じだった。
 僕は魚釣りはしないけど、子供の頃、小川でフナを釣り上げて、竿がしなって、水の中でフナが暴れてる感触を竿を通して分かる、あのドキドキする感じを、ふいに思い出したよ。

 網が浅いから、鳩が飛んで飛び出さないように素早く引っ張って、一旦床に落として一呼吸入れて、そのまま開けておいた窓の外に網を突き出した。
 急に網の中の手応えがなくなって、僕は鳩が心配になって、その窓から外を見たら、鳩はしばらく低空飛行をしたかと思ったら、公園の樹がいっぱいあるほうに高く飛んでったよ。

 その後、この写真を撮って、それから落ちてる羽を掃除しました。

ひとづきあいは難しいということ知る始まり

 こどもの頃はいつも何かしら絵を描いていたなと思い出す。
 絵といっても、チラシの裏に犬とか猫とかぶたとかとりとか描いてた。

 保育所にいく前だから四歳のときだったかな。
 となりと、そのまたとなりの家に一つ下の子がいるというのはどうしてなのか知ってたけど、いっしょに遊ぶことは、これまたどうしてかなかった。

 それがとつぜん、そのとなりの子とそのまたとなりの子が二人して、初めて遊びにきて、そのとき僕はやっぱりチラシの裏に絵を描いてたな。
 紙の真ん中に描いてたのはたしかぶたか猫だった気がする。

 玄関に二人がいるのが見えて、その二人の子も何か描きたいだろうと思って、僕が描いた動物の絵の両脇に、線を引いて彼らのためにスペースを作っていたら、二人は玄関から出ていって道を歩いていくのが見えたよ。

 僕が返事するのが遅くなって、待ちきれなくて、行っちゃったんだろうなと思った。
 そして紙に作ったスペースが、さっきより広くなった気持ちした、憶えがあるよ。

ガソリン値下げで、先の事は誰にも分からないことが分かる

 ガソリンの値段が下がってから何日かたって、誰もそれを言わなくなったから書こうと思うけど、ガソリンの値段も他のものの値段も、値段ってのは人間の幻想で出来てるんだと分からせるよ。

 だって三月の中ごろまではガソリンの値段が下がるなんて、ほとんど誰も予想しなかっただろうし、それが一夜にして十五円ぐらい下がったんだからさ。
 それに世界の石油が急に足りなくなったわけでもないだろうし、明日には、というか来年には中東で石油が出なくなる、なんて事も誰も思ってないんだし、そんなことは(まあ多分)ありえないことなんだからさね。

 それなのに、アメリカとか世界の色んな経済の事情で、というより世界の人々の不安や儲けたいっていう色気とかが、ゴチャゴチャと混ざり合ってさ、ガソリンの値段が上がったり、他にも小麦の値段が上がってパンやラーメンの値段が上がったり、するんだろうだろうね。

 ということは先のことは誰にも分からないし、いや逆に、とっても頭のいい人間がものの値段の上げ下げとか他の色々の事を、どうしようかどうしたら面白いか儲かるか、なんてことを考えてシナリオ書いてるのかもしれないなあ、なんて思ったりしたよ。

 でも、でもまあ、たぶん本当のところは、シナリオなんて書いてる人間はいなくて、いろんなことが複雑に重なって混ざり合って、人々の予測を超えることが生まれるんだろうね。それで皆が騒ぐんだろうね。その方が活気があって、面白いと、思うんだ。

男でも睡眠時間は肌のために大切

 こないだ、ひと月くらい時間の不規則な仕事してたら、ひたいにシワが沢山出た。
 まあ前からひたいにはシワがあったけど、眠る時間が夜四時間夕方一時間とか小間切れになったら、とたんに顔がやつれた感じして、特に額に皺が何本か増えたよ。
 鏡見たら、これ俺か? と思ったぐらいだったな。

 それでその仕事も終わって、夜七時間ぐらいは続けて眠られるようになって何日かして鏡見たら、不思議なことに額のシワが目立たなくなってた。
 そして顔の頬っぺたが丸くなったな。それは単にふとったんだろかな。ならばあんまり良いことじゃないけどね。

 でも女の人がよく言う、よく眠ると化粧ののりが良いということ、それはたぶん男も同んなじなんだろなと(化粧はしないけど)、この年になって初めて実感したよ。

安いものの理由は知っておきたい

 インスタントラーメンはチャルメラをここ何年か食べてたよ。
 ビタミンEとかBとか、カルシウムが入ってるって袋に書いてあったから。
 そして5袋入ったのが258円とか、安いときは198円で売ってたからね。

 それが、この春の値上げでチャルメラも上がってさ、360円くらいになってたな。
 といって1袋にしたら20円ぐらい上がっただけと思えば、そう高くなった気もしないんだけどさ。
 それでも急に100円上がった値札を見ると、買おうとする手も縮こまるよ。

 それがでもね、世の中には安いラーメンもあった。
 こないだ初めて入ってみた大きなショッピングセンターの食品売り場に、そのスーパーの独自ブランドのインスタントラーメンが、5袋で178円だった。
 安いなあと思ったからつい塩味と醤油味を買ったんだ。
 そうしてさっき、塩ラーメンを食べてみた。

 何年もチャルメラ食べてきたからチャルメラの味に慣れてしまったのか、このPB(プライベートブランドといって、醤油とかマヨネーズとかに、もう十年以上前からあるよね)のラーメンの味は、いまいちだなあ、と思ったけど、…まあこれも食べ慣れれば美味しく感じるんだろかね。
 そして安いラーメンは、袋の後ろに書いてある能書き読むと、チャルメラよりもちょっとずつ麺の量もスープの量も少なくなってたな。ビタミンBとカルシウムのことは書いてなかったから入ってないんだろかな。だから安いのかな。

 でもさ、見た目が大体同じようなものが半分の値段で売ること出切るんだから、何かおかしいなと思うんだけど、でもやっぱり何か、大きな違いがあるんだろねえ。

 だって世の中の食べ物にも、偽装ってのが大はやりだし、食料品だけじゃなくて他の製造業でも、ハウスクリーニングのようなサービス業でも、何でもかんでもの商売人は、人の身体や土や空気に良くないものを混ぜこんで水増ししてるか、やるべき事やらないでおいて、それで安くしてるのが相場だからねえ。
 だから、安くなってるなら何故安く出来てるのか、それを知りたいな、と思うよ。

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