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徒然のブログ

つれづれの思いなどを

袴腰山のダガシ

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 麦藁帽子の左に洗濯バサミに紐つけて風で飛んでいかないようにしてるんだ。

 今日気付いたんだけど、下田村の車には、もみじマーク貼ってある軽トラックとかクルマが多いんだね。
 運転してる人も、畑たがやしてる人も、カクシャクとしてるし、脚立に登って樹の何かの農作業してるおじいさんもいたよ。
 ヒメサユリの季節は過ぎてたけど、三年ぶりの袴腰山は、また、いろんな発見があったな。

E・A・D・G・B・E

 ギターの弦かえた。
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 六本とって、
 新しい六本いれた。
 四年ぶりくらい。

 新しい弦って指にツルツルして、そうして、音が響くよ。

黒人歌手の「はい」という返事

 さっきテレビ観たら美空ひばりの歌の特集やってたね。
 いい歌だらけで、いろんな歌い手が唄ってて、観て聴いて、得した気分だった。

 そうしたら今年売り出した黒人歌手が出てきて、越後獅子の歌を唄ってたけど、うまいなあ、と聴いたよ。
 でも上手な歌よりももっと、いいなあと思わせてくれたのは、ジェロの、「はい!」という返事だよ。
 もしかしてその返事は彼の、作られた芸風だとしても、それを考えて実行する行動力に、共感するよ。

 この何年か、いや十年以上か、世間の人々の「はい」という返事が、投げ遣りになっているから。
 いや返事さえしようとしない人が増えているから。
 そのたびに僕、そういう人に怒鳴りつけてしまうんだけど、いいかげんツカレルから、返事など期待しなければいいのかな、でもならば、そういう人間には、格差社会の中で最低賃金でしか働かせないぞ、そういう人間に対して社会の格差をもっとつけさせるぞ、とつい思ってしまうんだけどさ、ハハ。

 そういうアキラメと僕自身の投げ遣りな気持ちになってたときに、今日、あの若い黒人歌手の、気持ちいい爽やかな「はい」という返事を聞いて、ああ、俺も明日も頑張ろうか、という気持ちになったよ。
 ちっと、大袈裟かな。

マスクしてるかしてないか分からないマスク、世の中にあってもいいのじゃないかな

 この季節はもうマスクしなくて済むけど、ちょっと前までは、自転車乗るにも歩道あるくにも、外に出るときはマスクして出てたな。

 それで思ったんだけど、マスクって白だから、ひと目でマスクしてるのが分かるけど、マスクが肌色だったら、前から来るあの人はマスクしてるかどうかは、ちょっと見ただけじゃ分からないよね。

 だから僕、マスクは肌色だと、いいんじゃないだろうかと、思いついたんだ。
 それを特許とったら、儲かるかなと思ったけど、それほどそれに熱意ないから、何にも動かなかったけどさ。
 もしかして肌色マスクはもう世の中にあるのかもしれないもんさね。

 誰か、肌色マスク作って売り出してくれないかな。
 そうしたら買うのにさ。

カラスの巣を指差して僕に人生を教えた人

 ハウスクリーニングの仕事を手伝ってくれる人をいつも探してて、今まで何十人も来てもらったけど(雇用したわけじゃなくて日雇いというかたちでお願いしてたけど)、そのうちの二人しか、また頼みたくなる人はいなかった。

 だから、その頃は新潟駅の通路を通るたびに、そこに寝てるホームレスの人を見ると、こういう人はもしかして仕事を教えれば、真面目に一生懸命に仕事に打ち込んでくれるのじゃないだろうか、なんていつも思ってて、すみません私の仕事を手伝っていただくことできないでしょうかと、いつもすきあらば声をかけようとしてたよ。

 でもホームレスの人の仕草をよく見てると、やっぱり新潟市の大概の人々と同じく何となく投げ遣りな感じがして、やっぱり、僕の大切なお客さんのところに、一緒に行ける人じゃないのだろうなあ、客商売であるハウスクリーニングの仕事振りで、ちょっとでも投げ遣りな感じ出してしまえば、お客さんはリピートしてくれなくなって、それは僕自身の首を締めることになるもんなあと思って、ホームレスの人に仕事頼むのを、諦めたことあるよ。

 それがさ、さっき偶然見たブログで、知的障害の人にアパートの空き部屋清掃の仕事を依頼して、知的障害の人は誰が見ていようが見てなかろうが、(誉め言葉じゃなくて、ダガシと同んなじで)限度を知らずに仕事にこだわってクリーニングする姿勢があって好感持てる、と書いていた。
 もしそれが本当なら、僕も、そういう人と一緒に仕事したいなあ、と思ったよ(僕はアパートの空室清掃の仕事は受けないようにしてるけど、もし気持ち良く仕事できるのならば、そういう仕事もドンドン営業して、依頼者にも、障害ある人にも、喜んでもらえるようにしたいな、と思うけどさ)。

 そういえば僕、精神病院に勤めてたとき、ほとんどの患者さんとは仲が良かったけど、その中でも親友といってもいいぐらいにお互いに信頼しあってた、知的障害の人がいたんだ。
 僕と同じぐらいの年で、僕よりももっと正義感の固まりみたいな人で、やっぱり誰が見てようが見てなかろうが、いつもニコニコして他の患者さんを助けて、ゴミが落ちてれば拾って、おはようと誰にでも挨拶して…。

 その病院の庭に一本、背の高い樹があってね、その天辺にカラスが巣を作っててね、その知的障害の人は、お年寄り好きでもあり子供好きでもあって、そして毎日暇ができると僕をその樹のそばに引っ張っていって、カラスの巣を指差して、「あそこにカラスの赤ちゃんがいるがあぜ。可愛いがあぜ」と、毎日毎日同じ言葉を嬉しそうに僕に言ってたっけ。

 あの人となら、僕も一緒に仕事できそうな気がするし、僕のお客さんたちも、あの人ならば僕よりも好感持ってくれる、そんな気がするんだ。

 今度スカウトに、行こうかな。

飛ばないと思ってたもの

 にわとり。
 ゴキブリ。
 ダガシ。
 時間。

死刑のことから考えはじめて、自分は死刑にならないだろな、というヘンな自信まで

 今日、二十年ぐらい前の変態的な事件の犯人が死刑になったんだってね。
 ラジオ聴いてたら突然ニュースで言ってた。
 僕の中では、ああ、昔そんな事件もあったなあ、と思ったぐらいの反応だった。

 僕は基本的に死刑はあるべきだと思ってるし、死刑は沢山あるべきだと、思ってる。
 特に泥棒と詐欺と殺人は、死んで償うべきだと思ってる。
 それは僕が、泥棒と人を騙すことと人を死なせることが、単純に大嫌いだから。
 そういう犯罪の行為は、その行為を自分で選んでやったわけだし、自分がやった事を償うには、自分がやった通りでつぐなうべきと、単純素朴に思うから。

 死刑を含めた刑って、見せしめの役割が沢山在ると思う。
 そして仕返しの役割もとても大切だと、思う。
 この二つは人間が地球上に出てきた大昔からあったものだもんさね。

 事件を犯した人間でも、社会に適応できるように教育してあげることが、刑の役割だとも言うけど、僕は、泥棒に、人様を騙す人間に、全然共感できないんだな。まったく俺と違う星に生まれた生き物みたいに見えてしまうんだ。
 俺はこれから死ぬまで、人のものを盗んだり、人を騙したり、人を死なせたりすることは、絶対ねえだろうな、というヘンな自信あるから。
 だから、残酷なこと言うようだけど、そういう人には、死刑でもいいんじゃねえだろうかな、と思ってしまうダガシは、どこかが欠落してる人間なのかな。

 それと、今日死刑になった人は、やっぱりもっと早く死刑にさせるべきだったのじゃないかと、思う。
 なぜなら、大昔のことを今ごろやったって、僕を含めて世の中の人はもうそんなこと忘れてたからさ。
 それじゃあ、見せしめという抑止力にはならないから。
 死なせられた人にとっても、その家族にとっても、犯人がつかまって二十年も生きていたなんて知ったら、…政府はやること遅いよ、と思うのじゃないのかな、と思う。

 もう一つ、どうしてそういう犯罪が生まれてしまったのか研究するために、犯人を生かせておいていろいろ調べるべきだという考えもあるけど、
 僕は、それは無駄だと思う。お遊びだと、思う。
 なぜなら、そういう人を、そういう事をいろいろ調べたって、人間は、やっちゃいけないと言われたって、やってしまう時には、どうしてもやってしまうんだよさね。…これホントだよねえ。

 僕は自分がオカシイこと小さい頃から自覚してたから、大人になって、精神分析ってなことに一時期こってハマッテ研究したけど、精神分析は、所詮お遊びなんだと今は思ってる。まあ、お遊びの中では複雑でおもしろいオアソビだけどね。
 いくら精神を分析したって、それは起きてしまった事を後から分析するだけのハナシだから(ちょっとぐらいは、これから起きることの役には立つけど)、そういう意味で、お遊びなんだと思ってる(でも精神分析の考え方は、僕にとって精神安定剤の役割はあるけどさ)。

 そうして僕の、これから起こること、自分のやるべき事どうしようかってのの基準は、今この瞬間、やれる事の中で、最善の事をやる、ということだと思ってる。

 その最善の事って、僕の快、不快と、僕の好き嫌いに忠実に生きることだと、思ってる。
 そして人間それぞれの快、不快、好き嫌いの基準は、それぞれの人の生まれつきか、三つ子の魂で決まってくると思ってる。
 だから僕は自信あるよ。
 なぜなら、母さんの子供だし、母さんに育てられたからね、ハハ。

 宮崎って人の死刑で思ったこと書きはじめたら、いろいろ脱線したな。

エアコンクリーニングの写真

エアコンクリーニングの準備したとこらよ。
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一回目の洗浄剤で出た汚れ分がこれ。
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エアコンクリーニング終わって、左のバケツは外のドレンパイプから出た汚れ水。右は室内機の送風ファンからの汚れ水。
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十一年前のエアコンで、煙草汚れもあったから、とっても時間かかったけど、
ぶじ汚れも落ちて、良かった。

嘘をつく医者は、隠す医者は、人間として免許返してもらうぜ

 こないだ患者を死なせた整形外科の医者のことやってるテレビをさっき観た。
 その医者の薄ら笑いの顔。
 次の日の似非涙(泣き顔してるのに涙出てないぜ)。

 そのこと書いてる医者ブログ、ないんだな。
 自分の業界の不始末を何とかしようと発言しないんだから、たいがいの医者って、自分の業界と自分の既得権益を守ろうとすること、土建屋や小役人や政治家やマスコミなんかと一緒なんだなと分かったよ。

 医師免許は国家資格なんだから、ダガシも国民の一人なんだから、国民の一人ということは国家をかたちづくっている要素の一つなんだから、ダガシが、ああいう人間の医者の免許を取り消すよ。

 嘘つきや自分の間違いを隠す人間は、命にかかわる仕事は、させない。

電気バリカンダガシ


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 髪の毛刈る前と刈った後。
 このひと月切るひまなくて伸びてて。
 目を合わせられないのは、
 恥ずかしいのかも。

2008.8.20.

 今日、名古屋で作ってる文房具送ってもらったよ。
 思ってたより少なかったけど、でもありがたいです。 

 僕の好きな人に、僕が尊敬してる人に、
 もらってもらって、使ってもらう、つもりらよ。

 そうして、この文房具で、筋道が通るように、
 道理がとおるように、
 きっかけになると、思ってるよ。

無料通話というのは良くないよ、何の商品でも無料というのは良くないよ

 携帯電話は家族で話すと無料だというのが出てるね。
 ダガシにとってはそれはやめてほしいのだけどな。
 だって僕、大昔から、母さんとも父さんとも電話するのは、一年に数えるぐらいだからね。

 それと家族と(…携帯電話会社は、おもに親子を想定してるんだろけど)ベチャベチャ喋ってるのは、ヒマすぎるのじゃないろうかと、思うんだけどねえ。
 母親と娘の女どうしならまあ、長話喋ってても、しょうがねえなあオンナどもは、とちょっと舌打ちすれば済むけれどさ、男が男どうしで携帯でいつまでもしゃべくってたとすると、そいつは仕事も人生も怠けたがっている奴だと、ダガシは思ってしまうよ。

 もうひとつは、家族だとか社員どうしだとかで、無料のものを沢山作ってしまうと、正規の有料分の料金で沢山の無料分のコストを負担することになって、有料通話料金が割高になるわけだから、その意味でも無料通話は無くしてほしいなと、思うんだ。
 何でも、無料なんてものは、良くないよ。

 そしてまあ、携帯電話ってのは、好きな時に、好きな場所で、何十キロも何百キロも離れてる人と喋ること出来る、魔法みたいな道具なわけだから、それを使う料金が高いのはしょうがないのかも、しれないけどね。

人を死なせるより前のめりでドブに顔突っ込み、そしてまたいつもの新潟市嫌いのことも

 今日、夕方帰ってきて遅い昼ご飯食べてたら、エアコンクリーニングの、値段、の問い合わせ電話が何件も掛かってきたよ。朝早くにも同じ内容の、チラシを見たんですけどエアコンクリーニングいくらですか? という電話がいくつかあったよ。チラシに料金ハッキリ表示してあるのにさ。
 ちゃんと見ろよ! と言いたくなるけどね、ハハ。
 そして僕がクリーニング価格を言うと、電話かけてきた人は「頼むようでしたらまた電話します」と言って、ガチャンと切るんだ。

 昭美堂は、安けりゃいいという人間は、ハナから相手にしてないのになあ。

 だから明日からは、ただ料金を聞いてくる電話には、去年と同じように、
「うちは高いですから、おたくには向いてませんよ。はいサヨーナラ!」とハッキリ言おうと思ってるよ、ハハ(業者の人間の喋り方で、そこの仕事振りを推察する、という目的ならば分かるんだけどさ。僕もいろんな業者さんに電話かけて、その対応の仕方で、その会社のレベルを判断すること多いからね。でもね、昭美堂のチラシに料金は書いてあるんだし、それよりなにより、ダガシはある種の能力で、パッと人の人間が分かってしまうんだよさね。だから今日のような電話掛けてくる人間には、おもにそういう新潟市の人間には、僕は邪険に応対するよ)。

 それで僕が新潟市で商売が立ち行かなくなったら、僕はキッパリ掃除屋さんを辞めて、新潟市から出て行くつもりだから。
 それで何をやるって?
 まあ乞食でもして、日本中を歩こうか。

 それで世の中がイヤになったとしても、こないだの秋葉原の事件みたいなことは僕はしない自信あるから大丈夫だよ。当たり前だよね。
 世の中が心底イヤになったら、人様を死なせる方向じゃなくて、自分が死ぬだろうな。
 フラフラになって歩いていって、もう歩く力もなくなったら、そのまま前のめりにドブの中に顔を突っ込んで、ドブの水を飲みながら窒息死するだろうな。

 そしてそうしてね、この、質はどうでもいいんだ、ただ安けりゃいいんだという人間は、僕の嫌いな大概の新潟市民だけじゃないだろね。
 日本全国、というか世界中にいるだろから、僕の新潟市嫌いの理由にはならないだろけどね、ヘヘ。

 ところで今日、初めて仕事受けたお客さん、この奥さんは新潟市の生まれ育ちじゃないな、とピンときたから、お掃除終わってお金もらって帰るときに恐る恐る聞いてみた。
「奥さんは、新潟市の生まれじゃないでしょ?」と。
「そうですよ。○○で生まれました」と、やっぱりだった。
 だってその人、とても気がつく人だったからね。
 ダガシが「新潟市生まれじゃないでしょ」と言うのは誉め言葉なんだけど、その奥さんはヘンな顔したから怒らせたかなと思ったけど、まあ、これは誉めてるんですと言うとベンチャラになるから、あえてそのまま帰ったよ。

 その奥さんはブログ読まないだろから、怒らせたまんまだろけど、まあ、またいつか縁があったら、またダガシにお掃除頼んでくれると思うよ。…だって今日の仕事の結果も、僕の仕事振りも、僕、自己満足できるくらいの出来栄えだった自信あるからね。
 またダガシの自慢が始まったね、ゴメン。

買い物カゴを動かすひと手間惜しむ、精神的な吝嗇

 スーパーのレジで会計するとき、レジのカウンターに、買った分の買い物カゴを置くスペースは、だいたいカゴ二つ分置けるようになってるよね。
 なぜカゴを二つ置けるようにしてるかというと、会計している次の人が待ってるあいだ、カゴが重くて腕が疲れるだろうから、カウンターの上にカゴを置いてくれという意味だろな。いや一人の客でも沢山買い物してくれ、カゴ二つ分買ってくれ、という意味かな。

 そしてその二つ分のカウンターは、そうだなあ、四年前ぐらいから始まったように思う。
 昔のカウンターは、一つしか置けなかったように憶えてるよ。

 そして、その二つめのカゴを置いている客が会計の順番が回ってきて前に進むと、自分の身体だけ前に進めて、自分の買い物カゴは、そのまま置き去りにしてるんだ。そういう客の顔つきは、とても威張ったような目をしてる。
 そしてレジの人が腰をかがめて手を伸ばして、カゴをヨイショと自分の手元に引き寄せる。

 たしか三年前ぐらいまでは、大概の客が自分で自分のカゴはレジの人のそばに移してたと思うんだけど、おととしぐらいからかな、カゴは店の人間が動かすのが当たり前だというような顔した客がほとんどになってきた。
 そしてそれは最初、若い人間だけかなと思ったけど、見てると高校生ぐらいでも年寄りでも、尊大ぶった目つきで黙っていながら、人がやるのが当たり前だろうなんて顔つきでスマシテる…。
 結局、年関係ないんだなと思ったよ。

 この買い物カゴ動かすこと… …うまく伝わってるかな、…僕もうまく書けてるか自信ないけど、要は客みずからが、自分で出来ることは自分ですれば、何の料金、価格自体も、下げることできる理屈が生まれるのにと、思うんだけどさ。
 いや、それだけじゃなくて、自分が出来る些細なことを自分ですることは、人間として当たり前じゃないだろうかと思うんだけどさ。
 そして、金払ってるんだから(特に安くしろ安くしろ、安ければいいんだ、と言う客に限って)自分がやれる些細なことでも業者がするのは当たり前だというような、そんな尊大な顔つきに、僕は何だか怒りを覚えるんだよさ。

 そうして、自分の買い物カゴをレジの人の方に動かす人は、今まで見た見当で言うと、…そうだなあ、1000人に一人ぐらいの割合かな。ほとんどそういう人は、見ないよ。

 それは新潟市だからかな?
 僕の嫌いな、そこらへんを歩いたりクルマ運転したりしている新潟市民によくいるタイプの、ものごとを一生懸命しようとしないで、いつも怠けたがっていて、何でも自分さえ良ければいいっていう人間が、スーパーで買い物する時でも結局そういうふうにするのかな?
 と思ったけど僕、この二年ぐらい新潟市以外のスーパーで買い物してないから、他の地域の人が買い物カゴをどうしてるかは観察してないけどさ。

 少なくともダガシだけは、自分の買い物カゴは自分で、そしてレジの人がレジ打ちやすいように、カゴをレジの人のそばに移すこと、意地でもしてるよ、ハハ。

ゴミ有料になって初めてのゴミ出し

 六月になって新潟市のゴミ出しが有料になって、専用の黄色い袋じゃなきゃ出せなくなって、それもあってなのか僕、今月初めて燃えるゴミ出すよ。
 六日間ゴミ出さなかった。というかまあ、それほど生活の中でゴミが出るわけじゃないから、市の燃えるゴミの回収は、いま週三回だけど、週二回でもいいかな、とも思ってる。

 その専用のゴミ袋、沢山入れると破けてしまうんじゃないかと心配になるくらい、材質が薄っぺらなんだ。
 だからつい、スーパーの袋にゴミを入れてから、それをくるむように市専用の袋に入れた。二重にしないと破けそうで心配だからさ。

 ということはそれだけ、袋も時間も手間も、無駄が増えるということだよ。
 もし袋が丈夫ならば、そんなことしなくて済むのにさ。
 それともこの袋は弱そうに見えて、本当はしなやかで丈夫なのかもしれない。
 それならそれで、丈夫なんですよと、破れないんですよと、教えてほしいなと思うな。

 そうして燃えるゴミの専用袋は四種類あってね、そのうちの一番小さいのがスーパー袋と同じくらいの大きさで、一枚10円だって。一番大きなのは45リットルで40円だって。
 僕、もっと高いもんだと思ってた。
 袋の値段、もうちょっと高くてもいいかな、一番小さいのでも50円ぐらいでもいいのかな、大きいのは200円ぐらいでもいいのかな、と思いました。
 それをゴミ出し料金にすれば、いいのじゃないのかな、と思いました。

今年のエアコンクリーニングのチラシらよ

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 初めて青インクで刷ったけど、
 明るくはっきりした青色で、良かったケロロッ。

ちょっと上から撮るのが、けっきょく好感得られるのじゃないのかな

 何の商売でも、広告宣伝のホームページで自分の顔写真を出してるその写真で、僕が嫌だと思うのは、腕組みしてる写真、腰に手を当ててる写真、上からこちらを見下ろしてる写真だよ。
 その全部が、威張ってる感じ受けるし、無神経な感じするから(無神経な人間が、仕事が出来るわけもないだろうからね)。
 そして、先生商売のホームページだと、そういう写真が多いんだ(ハウスクリーニング商売でも、多いんだ)。
 そういう写真は全部、下からカメラで撮らせてるんだ。

 僕がこのブログで紹介しているホームページの人たちは、そういう上から目線の写真は、使ってないんだ(僕も自分の写真は、そういう写真は絶対載せないし、撮らないもんさ)。だから僕、その人たちのHPを、紹介してるんだけどね。
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