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徒然のブログ

つれづれの思いなどを

休み休み書いてレベルを見つけようか

 この何ヶ月か毎日書いてたけど、毎日書くのは別に疲れるわけじゃないけど、毎日は書かないでもいいのかな、と思っていたけど書いていた。
 前にここで紹介した仙台のリサイクル屋さんのブログは、毎日書いてて、しかも僕の好きな身のまわりの話を、それも一定のレベルの考えさせるおもしろさで書いてるから、よし俺もと思って毎日書いてきた。

 でも一定のレベルじゃ満足できない思いもする。それは僕自身に向けてのことだけど。
 とびとびに書くと一定のレベルを超えられるかなと思ってもみるけど、別の問題かな。

 休み休み書こうかな。でも休み休み書いて今のレベルを超えられなかったら、意味ないかな。
 でもやってみなけりゃ分からないもんな。

 やって駄目でも、やらないよりいいもんな。
 そういいながら毎日書くかもしれないし、休み休み書くかもしれないし。

 その目指すレベルってのを見つければいいのかな。
 それともレベルじゃなくて違うグラウンドを見つければいいのかな。

ダガシのお客さんは忙しい人がお客さんだから電話は短くなる

 携帯料金は月平均3000円で固定電話料金は平均6000円だ。
 前は逆だったんだけど、携帯料が下がって、固定電話を使う分が上がった。

 携帯電話は掛けると高いから、きょくりょく通話は使わないようにしてるし、掛けてくれる相手にも料金払わせないように、できるだけ話を短く終わらせるようにしてる。
 でも固定電話は安いというイメージあるから、携帯ほど話の長さに気を遣わなくて、ダガシでも長話しになってるかもしれない。だから電話料が高くなるんだろうな。

 それに仕事上の疑問が生じたときに、ある業界の例えば清掃業だったり洗剤メーカーだったり運送業だったり内装業だったり印刷業だったりの業者や会社に問い合わせの電話すると、ほぼ100パーセント受け答えで嫌な思いするから、腹が立って怒りにまかせて、その業界の内にも一人ぐらいは真っ当な人がいるはずだ、探せばいるはずだ、と思い込んで職業別電話帳の目的のカテゴリの、あ、から最後まで順番に掛けまくってみるんだけど、満足な応対する人はいないのがほとんどだよ。

 まず電話に出る最初に、○○です、と名乗らないし、僕の問いをはぐらかすし、答えを数字で表さないで曖昧なままにしておこうとするし、ヘンなところで薄ら笑いをするし、人間としてどうしようもないのばっかりだから、また腹が立って腹が立って、電話切って、次の業者に掛ける、という繰り返し。
 一人ぐらいはまともな人間がいる、いる、いるはずだ、いやいてほしい! と思って意固地になって、まともな人を探すことがそのこと自体が目的になってしまって、電話掛けつづけていくことになる。それが僕の固定電話料金を上げさせている理由なんだというのは分かっているんだけどさ。去年なんか、ある業界で調べ物するために電話してたら、一月二万円なんて月もあった。馬鹿だね、ハハ。

 お得意さんに携帯で、明日行きますという電話するときは、電話の後で喋った時間と料金見ると、16秒で20円というのが多い。
 お客さんへのダガシの喋りはあっさりしすぎてるかなと思うこともあるけど、相手も忙しがってるというか、僕のお得意さんは全部が忙しい人ばっかりだから、そして全部が気短かの人ばっかりだから、ただの連絡は、それでいいのだと思ってる。連絡じゃない話のときは、ちょっと長くなるけどさ。

 もっとお得意さんには、あさって宜しくお願いしますねという携帯メールもよくする。メールは一回5円くらいだから、惜しげもなく何回もできるし、相手の時間を奪わないで済むから、いいなと思ってるよ。

ダガシが突然死んだ時のブログとホームページを消すのをお願いします

 ブログもホームページも管理画面を出すパスワード知ってるのは僕だけだから、僕が突然死んだらそのまま残ってしまうことになる。
 そうならないように、こないだから管理画面はログインしっぱなしにしているよ。

 ダガシが突然死しても、僕のパソコンを起動して「お気に入り」を開いてfc2管理画面を出せばそのままパスワードなしで入れるから、削除ボタンをクリックしてもらえれば、この世から気持ち良く成仏できるんだ。消えてなくなることできるんだ。
 それとシーサーとライブドアのもログインしたままにしてあるから宜しくお願いします。

 ただ自分じゃ出来ないのと他人様に手間かけてしまうのが心残りだけど、それぐらいのわがままは許してもらえると、勝手に思ってるよ。

派遣切りの相談会の偽善と欺瞞とタカリ

 派遣切りで電話相談受け付けなんてのをやってるとテレビで言ってるね。
 それ、本当の相談じゃないだろうにさ。

 少なくとも相談って、解決するための手段を与えるというか教えるというか、相談する人間が独り立ちするための手段の芽を生えさせるものじゃないのかな。

 でもテレビじゃ、相談受ける人間の受け答えは、他人事の喋り方だったし、ただ相手の言ってることをフンフンと聞いてるだけだった。事務的形式的にね。
 ものごとの結果を出そうとしないで愚痴の聞き役だけなら誰でも出来るよ。
 もしかして政府が、何かやってるというパフォーマンスを見せようとしてるだけの目的で、そういうことしてるのかな、と思った。

 そうしてやっと、相談受けている人間が出した答えは、生活保護を受けたらどうだということだったな。
 結局やってることは、一番簡単な、他人の金という税金を当てにするということで、他人の責いにするということで、他人のフトコロから泥棒するタカリするということで、政治家や公務員と同じじゃないか。
 そして他人のフトコロから金を合法的に巻き上げるという資本家や会社経営者と同じじゃないか。
 だったらはじめから公務員になればよかったのに。その公務員が生き甲斐持てる仕事なのかどうかは、税金、保険料、そういう公的のお金、他人のフトコロ、そういうものを当てにして生きてるんだから、少なくとも美しくはないけどな。

 だから他人の金をどうやって分捕ろうかという人間の、自分と同じ穴のムジナの、政府や経営者を責めることは筋違いだろうぜ。
 お前よ、人を感動させる絵を描けとか作曲しろとまでは言わないからさ、事業を自分で経営してみろ! 自分でゼロから商売やってみろ! ドブの中に手を突っ込んでドブ掃除をしてみろ! 一日じゅう断られながら這いつくばって飛び込みセールスやってみろ! と言われたら何と答えるだろうかな、ハハ。

 そして自分で経営しながら、雇っている人を大事にしている経営者がいたら、ダガシも尊敬するけどな。
 でもそんな人あんまり見たことないから、安易にクビを切るなと安易に言いたがる人間は、もし会社を経営してたら、やっぱり自分だって安易に従業員のクビを切るんじゃないのかな。
 ということは、人様のこと言えないんじゃないのかな。
 派遣だろうが何だろうが、すべては自分で選んだ生き方なんだから。

下手な演技でも視聴率には関係ないんだな

 今年の『篤姫』が、ここ何年かで視聴率が一番よかったらしいね。
 僕は一度も見なかった。
 主人公の若いタレントみたいな女優が下手で見てられなかったから。
 他にも下手ばっかりが出てたから。

 ああいう下手な演技を観て、うれしがってチャンネル合わせる気持ちが分からないんだな。
 そして、どこでも篤姫、篤姫と騒いでたのも何だか嫌だったから。

 何年か前の、土佐藩の祖(名前出てこないんだ)のをやった、仲間ゆきえが主人公だったのは、おもしろくて時間あるときは観てた。
 来年は新潟県が舞台だっていうけどさ、下手だったら、とうぜん観ないな。

寿命が縮まる買い物

 スーパーのレジで並んでたら、いい服着てて髪の毛もきちっとしてる僕の前のおばさんが、いつもの新潟市民の例によって自分のカゴを放ったらかして、清算の場所に行く。
 レジの人が腰をかがめて手を伸ばしてカゴを引き寄せてから、そうして一つづつ値段を読み上げてるのをボーッとした顔で聞いてる。

 合計金額を言われて、それからやっと財布から、まずお札を出して、それからのろのろ小銭を取り出す。
 高そうな財布の小銭入れの場所に親指と人差し指を入れてかき混ぜながら、もったいぶってるみたいに一つずつ百円玉、十円玉、五円玉、そして一円玉。それもお札も小銭も、お金を放り投げるように置くんだ。

 金額聞く前に一円玉から順番に清算のお皿に出しとけよ! と僕は心の中で怒鳴りながら、見てる。

 その後おばさんを見たら、買った商品を袋に入れるのに、備え付けのタダの透明袋をダーッと何枚も引き抜いていた。そのスピードは、すさまじかった。
 そういう時だけ、キビキビ動くんだから、見てるとツカレルよ。

 鮮魚売り場で商品棚の刺身のパックを手に取って、しげしげ眺めてから、やっぱりいらね、とパックを戻すのに、憎憎しげにそれもわざとのようにパックを斜めに放り投げるように置く作業服の若い男。刺身がパックの中で跳ねとんで、散らばる。
 精肉コーナーで、やっぱり同じように手に取った豚小間パックを、作為的に斜めにそして乱暴に戻す若い主婦。

 新潟市民の大半が腐っているのか、世代の問題なのか、年代のことなのか(…いや世代でも年代でもないな。だって若い人間も年取った客の大勢も、そういうことしてるんだから)、地理的な問題なのか(今は僕、地理的な責いにしてる。いじめられッ子の神経症のダガシにとって、それは、新潟市民という固まりを攻撃しておけば、個人攻撃にならないから。そして一番無難だから。でもそれも思考停止の考えなのかもしれない)、あるいは学歴のせいか、就いてる職業の違いか、親の経済力の違いか、そういうのもまるっきり関係なく、人間一人ずつの個々の違いなのか、あるいはそれとも、そもそも人間とはそういうものなのか。

 そういうことばっかり考えながら買い物してると、寿命が縮まるんだろなあ、と心配しながら買い物してるよ、ハハ。

ハウスクリーニング業者がヘンな事して逮捕はお客さんにもダガシにも迷惑

 今月の二日に十日町の清掃業者が児童買春で逮捕されたって。
 そのニュースはもう何日も前にインターネットで知ってたんだけど、書くべきか知らんふりするべきかと思ってたけど、書くよ。

 その業者のホームページはずっと前に見たことあって、エコとか福祉とか、聞こえのいいこと書いてるなあ、と思いながら見てた。
 口先だけでそういう耳障りのいいこと言いたがる人間にかぎって、裏側じゃとんでもないことしてるのが多いのかもしれないな。

 その業者のHPの中で、自分が仕事を依頼されてる取引先の会社を紹介してるページがあるけど、紹介されてる会社にとっては迷惑だろうなあ。

 僕が歩道で高校生たちと喧嘩して逮捕されたことも、ネットでニュースになったのかなと一瞬思ったけど、そういうハナシは聞かないけど、ニュースにならなかったのは良かったのか悪かったのか、分からないけどね、ハハ。

 僕は自分の逮捕された内容に、やましい事はしていないと自負してるからブログにも書いてるけど、ヘンな事して、しかも逮捕されたら、これは、自分のお客さん方に迷惑かけてしまうんだな、と当たり前のことをしみじみ思ったよ。

部屋の中で富士山見られる

 仕事に行く前に見るホームページは、猫のブログと、この富士山のだよ。
『富士山』
 ページの右下のリンクの、御殿場からのカメラのが、僕は一番好きな姿だ。

 陽が沈むと見られなくなるけど、僕が見るのは朝だけだから見られる。
 だけど天気がよくないと雲にかくれてる。
 ちゃんと天辺がきれいに見ることできるのは、四日に一回ぐらいかな。

 今日の富士山はどんなかな、と毎日見てしまうんだよさ。

冬至は空の巨人が眠い季節

 いつのまにか冬至が過ぎてたな。
 冬至や夏至とかいうけど、それは。

 おっきなおっきな人が空にいて、
 黒い幕を閉じたり開けたりしてて、
 幕を閉じれば夜、幕を開ければ朝。

 空にいる髭づらの巨人は躁鬱病で、
 それは一年周期の躁鬱病だから、
 なにもしたくなくなって眠くなると冬。

 いつのまにか身体が熱くなってきて、
 だんだん何にでもやる気がでて、
 目が覚めるのが早くなってくると春。そして夏。

 ちょうどいま巨人は、眠くて眠くてたまらない時期なんだ。

ホームレスの人には、二段ベッドか体育館みたいなところで寝袋で一時的に

 派遣の人たちが住むとこなくてホームレスになってるっていってるけど、大地震のときの避難所みたいなところに、一時的に住んでもらったらどうかとおもうけどな。

 もう十五年以上まえに東北一周のツーリングで、たしか釜石だったと思うけど、夕方になって泊まるところ探したけどなくて、そこの役場に行ったんだったか、それとも地元の人と話して宿を探してますと言ったのか、500円で泊まれるところがあるからそこへ行け、と言われてバイクで行った。

 何かの公共の寮だった。
 公民館を大きくしたような建物で、誰もいなくて、電気も点かなくて、お湯も出ないから、薄暗い風呂場で水のシャワーで体を洗った。
 行く途中のコンビニで食料買っていったから、暗い中で寝る前に食べた。
 暗くて誰もいない夜の学校みたいな建物で一人だったから、恐くて恐くて、買ってきたビール飲んで早く寝た。

 寝たのは二段ベッドだ。
 各部屋には二段ベッドがいくつも据えつけられていた。
 目が覚めたとき朝になってて明るくなってて、嬉しかった憶えある。

 派遣をクビになった人たちに、そういう二段ベッドの寮みたいなところに、一時的に住んでもらったらいいのじゃないのかな、と思う。
 二段ベッドがないなら、体育館みたいなところに、自分で寝袋を買ってもらって、そこで寝起きしてもらったらいいのじゃないのかな。

 雨つゆがしのげるだけ、いいのじゃないのかな、と思うよ。
 そうすれば、大勢の人が、外で寝ないで住むのじゃないのかな。

 もし僕がホームレスになったら、そうやってもらいたいな、と思うから。

怒りんぼが子供とふれあうたのしみは少なくなる

 ちょっと前に厚生労働省の官僚を殺した犯人のことニュースで言ってたけど、それ聴いて、僕の顔に似てるなあ、と思った。
 僕も、一歩まちがえたら、誰かに八つ当たりしてしまうのかな、と心配した。

 僕は、仕事を怠けたがる人間とか、ものごとの結果を出そうとしない人間とかによく怒鳴りつけるから、そういう人間たちに、恐い、と言われてるらしいんだけど、僕もあの犯人のように思われてるんじゃなかろうか、と思ってしまうんだよさ。
 そんなこと、そういう人間どもには思われてもいいじゃないか、と思い切れるだけの度胸がダガシにはないのが、俺もまだまだの人間なのかなと、思うんだけどね。

 そういえばニ、三十年ぐらい前かな、幼い女の子を誘拐して殺したとかの事件が続いた頃から、僕、小さい子供に笑いかけることできなくなったもん。
 それまではスーパーとかで、ヨチヨチ歩きの子供とか、お母さんに負ぶさっている赤ちゃんとかに、小さく手を振ったり、誰にも分からないようにあぶぶとかして楽しんでたんだけど、その事件があってから、しないようにしてる。特に女の子に対してはね。

 まったく、小さい子と触れ合う俺の楽しみを奪ったんだから迷惑なんだけど、まあ、それもそういう人間が増えてきてるんだろうから、あきらめなきゃならんろうね。

 だから僕、それからはスーパーとかでお母さんに負ぶさってる赤ちゃんと通り過ぎるときは、ふれあいは、一瞬だけにとどめてるよ。
 そのときの赤ちゃんの、ニコッとしたリアクションが嬉しいんだ。

 そんなことするより、さっさと自分の子供をつくれ、と言われるだろうけど、まあ、僕もこの年だし、どうなるか、…いろんなアキラメも肝心だしさね。

中身から目をそらす、そらせない

 りんごは紅い、中身は白い。
 にんじん赤い、中身も赤い。

 じゃがいも茶色、中身は白い。
 たまねぎ茶色、皮むきゃ白い。

 肌色きれい、傷つきゃ血が出、
 どくどく、たらたら、したたって、

 おっかないから中身は見ない。
 傷ぐちから、つい目をそらす、そらす。

 でも、いつのまにか、見てしまう。
 皮をはぐって、見てしまう。

枯れ葉も虫も僕も地球の生まれ変わり

 一日中庭の落ち葉の片付けの作業して、しながら思ったのは、このトラック一杯ぐらいの落ち葉は燃やすんだろうけど、どうしてか燃やしてしまうのはもったいないなと。
 この落ち葉はもともと、青い葉っぱだったんだな。
 葉っぱは木の枝から出てきた。
 どうして出てきたかというと、木の根っこから土の養分を根が吸って、その養分と太陽の光が混ざり混ざって葉っぱとか実ができた。

 ということは葉っぱは土から出来てるんだ。
 土からできてるということは、土は地球なんだから、葉っぱは地球から出来てるんだ。

 ああ、葉っぱは土が生まれ変わったものなんだ。
 葉っぱは地球が生まれ変わったものなんだ。

 葉っぱだけじゃないんだろうな。
 虫も僕も、植物の葉っぱを食べている。

 ということは虫も僕も、土の生まれ変わりだし、地球のちょっとの一部分が形を変えたのが僕なんだろな、と思った。
 僕もいずれは、もとの地球にかえるんだな。

免許の書き換え、三年で雰囲気変わった

 運転免許の更新に行ってきたよ。
 十五年だか二十年前に、初めて下越の新潟の免許センターに書き換えに行ったとき、まず受け付けの女の横柄さと高飛車な物言いに、驚いた憶えある。
 そしてそのとき僕、トイレに行こうとしてトイレの場所探してたら、制服のオジサンに、「オイ! どこに行くんだ!」と声をかけられたな。
 そんな物言いされたことなくて、最初誰に言ってるんだろうと思ったけど、そのオジサンは僕をにらんでいるから、ああ俺に言ってるんだな、と分かったよ。
 新潟市の公務員って、根拠もなく、いや根拠がないからこそ、自分で何か自分は偉いと思ってるのかもしれないね。…いや、公務員というのは、全国の公務員が、そもそも自分は民間より偉いのだと思ってるのかもしれないな、ニュースなんか観てると。

 それがさ、このたびの免許の書き換えは、それほど嫌な思いはしなかったよ。
 受け付けの女の人は、まあまあ爽やかな笑顔で対応してたし(まあまあね)、男の職員は、どうしてか卑屈なぐらいに低姿勢だった。
 そんなに慇懃だったら、逆に無礼に感じてしまうんだけどな、と思ったよ。普通にしててくれよ、と思った。

 講習に付きものの交通事故の映画も、公務員がよく使いたがる難しそうで月並みな語彙を使わなかったし、それに映像やパソコンの技術が発達したんだろう、全体に今までにないリアルさを感じたよ。

 逆に、更新に来ている人々の方が、その顔つきとか態度とか、職員に対する物言いとかで、何だか権利意識を振り回してるような、横柄にしてるような、そんな雰囲気に見えたのが不思議だったな。

今年は灯油が安くなれば石油ファンヒーターに戻ろうかな

 今年はガソリンが安くなってるね。
 この頃は1リットル108円だ。
 ということは灯油も安くなるのかな。

 四、五年前の灯油は1リットル48円だった。
 灯油のポリタンク一杯買っても千円札でお釣りがきたからね。

 でもね、去年ガスストーブ使ってから、灯油を給油する手間がないのが、とってもラクだというのが分かってしまって、…灯油安くなっても、ポリタンク下げて買いに行きたくないし、給油したくないな、という怠け心が出てしまってるんだ。

 まあ、ガスストーブより安く使えることになったら、また石油ファンヒーターに戻るんだろうな。

クビ切られたなら煙草ぐらいやめろよ

 お客さんとこでお茶とお菓子御馳走になってて、そのとき点いてるテレビで派遣切りのニュースが流れた。
 僕もお客さんも、そのことには触れないようにしてしまったよ。

 お客さんがその時どうして黙ってしまったか分からないけど、僕は、ハウスクリーニングを頼める人が不景気なはずないから、お客さんは派遣の人たちが困ってることに対して、もしかして罪悪感あるのかな、とかいらぬこと考えて、僕、黙ってしまったんだ、ハハ。

 それから、派遣をクビになった人がテレビで、「困りました、もう住むところがありません」と言いながら椅子に足組んですわって煙草ふかしながら言ってた。
 あんまり危機感がないんだな、と思ったよ。

 派遣というのは、もともと使い捨てられるものだと思っていなかったんだろうか、と不思議だよ。
 いや世の中の仕事とは、常に使い捨てられるから潔く一回一回が勝負なんじゃないか。

 使い捨てられる。そのための準備をしなかったんだろうか。煙草なんて吸っている場合じゃないだろうぜ。煙草なんて贅沢だぜ。…と怒鳴りつけたい気持ちになった。
 少なくとも僕は、そういう人間と一緒に仕事したくないし、そういう人間に仕事を依頼したくないけどなあ。
 ダガシは、煙草やめたから言ってるだけかな。

老人ホームは個室をやめるべき

 この不況で老人ホームの利用料が払えない家族がいるとテレビで言ってたのをちょっと見た。

 老人ホームの作りや運営は、贅沢すぎるんだよ。
 広びろした新築の鉄筋コンクリートの建物をおったてて、しかも全員が個室をあてがわれて、そうして朝昼晩と御馳走をならべて、その御馳走は大概食べきれなくてほとんど残して…。

 そういう無駄なことしてるから、コストがかかるんだ。しかもそのコストのほとんどは保険料と税金でまかなわれているんだから。
 タカリ根性のものどもが、どうせ税金で出るんだから申請して見た目いいのを作ろうぜ、年寄りは食べるだけが楽しみだから豪華な食事で年寄りのお客を釣ろうぜ、なんて月並みな決まりきったこと言い並べて、ウワッツラだけ豪勢にして、そしてかかるコストを釣り上げている。
 そうして税金から売上あげながら、自分は奥の部屋でふんぞり返ってスマシテルんだから困りもんだよ。

 じゃあどうすればいいかというと、新築の鉄筋コンクリートの建物などやめればいい。中古の一般住宅を使ってホームをすればいい。コンビニがいくつもつぶれてるんだから、その建物を使ったっていいと思う。
 そうして個室も、無駄だよ。
 だって個室は寝るときだけしか使わなくて、昼間は空いてるんだから。使ってない空間なんだから。
 一部屋に一人しか寝ないというのは無駄だ。一部屋に三人でも四人でも一緒に眠ればいい。

 食事は、毎食御馳走食べるのは普通じゃないよ。僕なんか昼なんて食べないことあるし、食べてもキャベツ飯だけですますことも多いんだから。
 それに入所しているお年寄りだって、それまでの人生で、そんな御馳走は年に一回ぐらいのものだったと思うよ。
 お昼なんか、ふりかけ掛けただけでも、おにぎりだけでも、塩味のおかゆだけだっても、いいじゃないか。
 食べなくて残す量が多いのに料理を作って出すその無駄さを、わきまえるべきと思うよ。

 老人ホームは、もう衣食住にお金かけるのはしないでほしい。そうすれば、もっと安い利用料金でまかなうこと出来ると思う。
 もちろん全額自費で運営してて、それでやっていけるホームならば、どんなに贅沢しても、それはお金出す人の勝手なんだから、やりたいようにやればいいけどさ。
 でも税金と保険料で運営されてる組織は、節約しながら、やってほしい。

 衣食住にほとんどお金かけずに済めば、月額の利用料だって、今の三分の一ぐらいでやっていかれるのじゃないのかなと、思うよ。
 そして無闇に病院にかからないようにすれば、今みたいにお金かかって大変だなんていうふうには、ならないと、思うんだけどなあ。

 だけど、そこで働く人の人件費だけは、タップリと払うようにすれば、今の人間的に駄目な人間のようなの以外の、人間的に優秀な人を雇えると思うんだけど。
 そういう、人間として思いやりもってる人が働いてくれて、お年寄りに接してくれれば、見せかけの衣食住がピカピカしてるより、よっぽど気持ち良く暮らせると、思うんだけど。
 僕がそこで暮らすのなら、そういう方が、いいけどなあ。

総理大臣個人の心配しても、うまくゆかない

 麻生総理の支持率が下がってるっていってるね。
 僕は麻生総理は、あの顔つきとか、ものの言い方とかで好きじゃなかったし、総理大臣になったときの、「人気がある」というのは誰から人気があるのかなと思ってたんだけど、今も基本的に人間として好意をもてないんだけど、でもこれだけ日本じゅうからいじめられるぐらいになってると、俺が助けなきゃ! と思ってしまうから不思議だよ。

 言ってること聞くと、麻生総理は意地悪な人ではないんだろうなと分かるけど、あんまり頭がよくなくて神経が細かくないみたいな感じもするから、首相を張っていくには難しいだろなと思う。
 じゃあどうすればいいかというと、謝ればいいのじゃないのかな、と思う。

 すぐさま衆議院を解散して、まあ負けるだろうから、負けたら、すべて私の責任です、と頭下げて自分の責いにして、その夜議員を引退すれば、すっきりさっぱりした人だと、それ以上責められないと、思うけど…。
 でもそれは、ある意味で卑怯かも、しれないけどね。

 まあ人様の心配してんも、それも総理大臣の心配しても、ダガシがうまく心配できるはずも、ないんだろうけどね。

猫が車道を走って渡る理由は何

 今日クルマを運転してて、猫が僕のクルマの前を全速力で突っ走って横断するのを二回見た。

 一回めは白根の交差点。
 信号待ちしてて、青になったからさあ発進しようとアクセル踏もうとしたら、横断歩道の上を、右から左に茶色い猫が、耳を寝かせながらものすごい勢いで走っていったよ。
 横断歩道を渡ったのは猫は自分で分かって渡っていたのかなと、一瞬だけ思って、分かるわけないだろうから偶然だったのかな、それともいつもそこを渡っているのかな、なんて考えながら、猫が渡り終えたのを見ながらアクセル踏んだ。

 二回めは内野の先の道路で。
 暗くなってきてスモールランプをつけるぐらいの薄暗さで、そこは横断歩道もないし交差点でもない一本道で右から突然出てきて、僕のクルマの前を必死になって走って渡った。

 ああ、ひかなくて済んだと一安心しながら、僕、猫が急いで向こう側に渡らなきゃならない理由は何だったんだろう、と考えながらハンドルにぎってたよ。

薪で沸かした風呂は冷めにくいのかも

 お風呂を薪で沸かしてたのは、たしか小学校五年くらいまでやってたね。

 台所の隅にある風呂のカマドに、まず枝豆を取った後の干したのを五、六本入れておいて、その下に新聞紙をねじったを押し入れて、マッチで火をつける。
 新聞紙の火が枝豆の枯れ茎に移っていって、赤い火がだんだん大きくなってきたら、薪のカゴから細いのをえらんでちょっと大きくなった火の中にくべて、もっと火を大きくして、だんだんひたいと頬っぺたが熱くなるぐらいになったら、太い薪を火の中に置いて、しばらく心配しながら見てると、大丈夫だよと火が大きくなってゆくんだよね。

 いつのまにか太い薪が半分くらいになってるから、火のヘラで一ヶ所にまとめて、またカマドに薪をくべて火を大きくする。
 ときどき尺八みたいな竹の長いのでフーフー息を吹くと、カマドの赤い火が大きくなるのが面白かったな。
 そうして何ぼん薪をくべたか忘れた頃に、お風呂がわいていた。

 いつだったか小さい頃、母さんに髪の毛洗ってもらってるとき、どうしてかおしっこしたくなって、おしっこしたいと言ったら、そこでせ、と言われて洗い場のセメントにおしっこしたのを憶えてる。

納豆ベースのオリジナルの肴

 おいしい酒の肴の一品をひとつ作ったよ。
 ふつうのパックの納豆に、いつもより倍くらいの玉ねぎを粗めにきざんだのをまぜて、ワカメをもどしたのをこれも多めにまぜて、そうすると茶碗一杯ぐらいになるから、それをかるくかき混ぜて、マヨネーズと七味唐辛子をちょっと入れて、胡麻をすったのを沢山入れてから、またかるくかき混ぜたの。

 写真は撮らないよ。
 あんまりキレイな見た目じゃないからね、ハハ。
 でもお金かかってないのに美味しいんだ。

乾いてる塩と湿ってる塩

 三年前に買った粗塩ってのが、やっとなくなりそうだ。

 サラサラしてる塩より健康にいいのかもなんて思って買ってみたけど、湿ってるから袋から出しにくいし、夏場に持っていくジュースのペットボトルの中に塩入れるときも、パラパラと簡単に入れられないから、料理するときだけしか使えなくて、600グラムの袋が三年も、もった。

 だからこないだスーパーで、前に使ってたサラサラタイプの塩を買ってきたよ。
 袋を振ると、中で塩がサラサラかるく動くんだ。

 でもどうして塩の粒が、いつまでも乾いてるのか、不思議だよ。

景気の波が津波になるのは人間だからだろ

 派遣社員がどんどん首切られるっていってるね。
 そんなに急に人余りになるのかな、と不思議なんだ。

 今までさせるべき作業があったのか、本当はもう、今までさせていた作業ってのは、しなくてもいい作業だったのか。
 たぶん、その作業は、してもしなくてもどっちでもよかった作業で、作業してる方も、作業させてる方も、どっちも幻想の中で、自分をだましながら、やってたのかもしれないな。

 ということは、それは、世の中に、あってもなくてもいい仕事であり、それは、あってもなくてもいい人間の欲望であり、ホントは押し売りだったり、ホントは要らないもの買ってたのかもしれないな。

 そして、してもしなくてもいいことを、仕事だと思い込んでいたのじゃないのかな。

 もっと、大勢が、原始的な生活すれば、原始的な欲望のまま生きれば、してもしなくてもいい仕事は無くなって、人々は最低限必要な仕事しかしなくなるのかもしれないけど、人間って欲望が次から次へと湧き上がってしまうから、もっともっと、もっともっとと、してもしなくてもいいことをしたくなるんだろね。
 だって生き物としての本能が、壊れてるらしいからね、人間は。
 そしてそれは僕も、そうだろからね、ハハ。

 だからなんだろけど、だんだん、だんだん、不景気と景気がいいという波の大きさがでっかくなって、だけど景気がいいと感じる人はどうしてか少なくなって、いくんだろなと、思うよ。

 そしてそれは、すべての人間がやってることなんだから善悪じゃなくて、誰もがほぼ100パーセントが、人よりいい暮らししたいと思っているんだから、競争が好きなんだから、嫉妬という気持ちが出てきてしまうんだから、そのことで、景気が悪くなったり良くなったりの波が、津波ぐらいになっていくんだろな。その波でおぼれる人がいっぱい出るんだろな。

 そしてそれだっても、善いことでも悪いことでも、ないんだろな。
 自然のことなんだろな。

ラクに暮らすためには論理的思考は捨てたほうがいいのかな、と思ってたけど、やっぱり持ち続けるべきと再認識した

 夏目漱石はロンドンで疎外感をたっぷり味わったらしいし、坊ちゃんの舞台の四国の町でも、嫌だなあと思ったこといっぱいあって暮らしてたんだろうし、いろんな人がいろんな場所で、何だか俺はここで暮らしていくのに合わねえなあ、と思っているんだろうかな。

 ひさしぶりに加藤典洋という文芸批評家の、『何でも僕に訊いてくれ』という本を読んだら、その中で、二つだけ書いておきたいこと見つけたよ。

「論理的思考は日常生活で役に立つのか?」というページで、加藤がカナダで暮らしてるときに、写真館でパスポート用写真を撮るついでに家族の写真も撮ってもらったら、奥さんと子供の三人を写した写真は、一枚で三人を撮ったんだから、自分一人を写したのの三倍の値段ふっかけられたと書いていた。
 それで、山を写してもホワイトハウスを写しても、一枚は一枚なんだから同じ値段にしろ、しなけりゃ払わない、それが嫌なら警察を呼べ、と言って値段を下げさせたって。

 僕、それ読んで、あはは、と笑ってもっともだと思ったけど、でも少ししてから、三人を撮影するのは、難しいだろうから、三倍とはいわないまでも1、5倍くらいは請求してもいいのじゃないのかな、と思ったよ。
 だけどそれをするのは、撮影前に、お客に「高くなるよ」と言っておいてからじゃなきゃ、詐欺になるだろね。

 そういう、自分とまるで思考というか生き方が違う人々と付きあうことのこと聞くと、なんだ俺だけじゃないんだな、と気がまぎれるような感じするんだ、ハハ。

 もう一つは、「異なる価値観を持つ人を理解するには?」というページだ。
 加藤が書いた部分を書き写すよ(改行は僕が勝手にした)。…

     ※

 そもそも、異なる価値観を持つ人を、理解なんて、しなくたっていいんですよ。
 というか、異なる価値観を持っているという理解がすでに理解なんですよ。
 自分にわからないことをわかろうとするなよ。
 自分にわからないってこと、そのことをわかれよ、っていいたい。

 いやいや、酒を呑んでいるわけではない。
 異なる価値観を持つ人を理解しなくちゃならない、というあなたの価値観が、オレはイヤだぞ、といっているのです。
 オレ? オレは簡単に、ときどき、異なる価値観を持つやつを理解したくなることがある。
 そいつが魅力的に見えるから。
 でもわからないままってこともある。
 それでも仕方ない。
 それがオレの価値観かって思います。
 自分の価値観もてよ。

     ※

 ここも読んで、ちょっと気がまぎれた。
 加藤典洋の本は、むかし、武田百合子や、三木成夫とかを教えてくれたから、ときどき読んでるんだ。

メーカーがバイク作らなくなってる、自分が乗らないのにさびしさ

 ホンダがF1レースをやらなくなるって言ってるね。
 だからホンダのホームページを初めて見てみたよ。

 クルマには興味ないからバイクの方を見た。
 そうしたらバイクのほとんどが生産中止になってた。
 モンキーとかゴリラとかカブ90とか、大きいのも小さいのもいろいろ。
 バイクに乗る人、少なくなってるからね。

 クルマに比べればバイクってそんなに利益出さないから、ホンダにとっちゃバイクが売れようと売れまいとどっちでもいいのかなと思ったけど、売れないのを作りつづけるのは損するからね。

 なくなるバイクだらけで何だかさびしいけど、電気で動くバイクが生まれたら、乗ってみたいかなと一瞬だけ思ったけど、でも音楽みたいなエンジンの唸り声もしないだろし、いい香りのガソリンの匂いもしないだろし、アクセルの開け方で体を持っていかれるような加速感が変わる面白さもないだろし、だからバイクって、ガソリンを燃やす内燃機関ってのを持ってる生き物だから面白いのかな、と思った。
 でも電気で動く二輪も、出来たら出来たで、乗ってみたら楽しいのかもかな、と思ったよ。

携帯電話に転送してたって名乗らないと、ときどき怒る

 仕事で必要なこと依頼したり問い合わせしようとしてタウンページで調べて業者に電話すると、名乗りもしないでただ「はい」と、それもうるさそうに出るのがほとんどだよ。

 業種はたとえば、ハウスクリーニングだったり内装屋だったり印刷屋だったり運送屋だったり、いや新潟市のほとんどの業種で、「はい」とか「もしもし」とか、電話出るのが嫌そうに出る。
 嫌なら出なけりゃいいのに、と思うけどさ。

 僕、そういうのが続くと腹立って、「どうしてあんた名乗らないんだ?」と聞くと、向こうは「携帯に転送になってるから」と、さも当たり前だろう? というふうに答えるんだ。
 転送になってるのなんか、ルルル…という転送音で分かってるんだけど、名乗らないことが転送になってることとは関係ないだろ、とまた腹が立つ。

 携帯電話に転送しているってことは、仕事の電話を自分の携帯電話で受けようとしているってことなんだから、少なくとも仕事で電話受けるときは名乗れよ! と思う。

 僕、それであんまり腹立つと、「おい、お前よお、頭と性格悪いみたいだから教えてやるけどよお、俺がお前だったらこういう時はよお、『(あえて爽やかに)はい! 昭美堂のダガシです!』と電話に出るけどなあ!」と、つい言ってしまうんだよさ、ハハ。
 そう言うと、面倒くさそうに電話出た奴は、どうしてか、ただ黙ってガチャリと、電話切るんだ。

 なぜ自分の会社の電話番号を職業別電話帳に載せてるのに名乗らないかというと、下請け仕事しかしてないからだよ。不特定多数の人から依頼を受けようとしてないからだよ。
 仕事の電話が、自分を知ってるという元請けからしか掛かってこないんなら、「はい」とか「もしもし」としか言わなくても済むもんね。
 あと、面倒臭そうに嫌そうに電話に出るのは、何の業種でも下請け業者は、安い金額で仕事を請けさせられている、という意識があるから、元請け業者を無意識に憎んでいるからだよ。…でもそれなら仕事しなけりゃいいのに、と思うけどなあ。安く請けてるのは、自分なのにさね。

 携帯電話で電話受けるときは、パーソナルな自分宛てに掛けられている、という前提で電話出るから名乗らなくていいのだ、という考えもあるだろうけど、タウンページやホームページで不特定多数から電話受けようと、自分の電話番号を公表してるんだから、それを何の電話で受けるのかは、固定電話で受けようが携帯電話で受けようが、受ける側の都合なんだから、掛ける方には関係ないんだから、「はい○○です」と名乗ってほしいよ、ダガシは。

 だから僕は、僕の携帯電話の番号は、チラシにもホームページにも出してない。
 お客さんになってくれた人にしか、教えてないもんさ。
 といって携帯電話に出るときも、「はい、ダガシです」と言うんだけどね。
(そして僕は自分のとこは、固定電話から携帯電話に転送させてない。だってハウスクリーニングの仕事って、一時間二時間を争うなんていう仕事じゃないし、そもそもそれほど急ぎの仕事は受けられないからね。だから電話に出られない時は、留守番電話で対応してるんだ)

 そして細かいことだけど、固定電話に出るときは、「はい、昭美堂のダガシです」と出るし、携帯のときは「ダガシです」と自分の名前だけ言う。
 それは、固定電話に掛ける人は不特定多数の人が掛けてくるわけだから、社名を名乗るべきだと思うけど、携帯電話に掛ける人は、一回は僕と喋ってる人だけだから、僕のことを知ってる人しか掛けないわけだから、だからダガシのパーソナルな電話機に掛けられている、ということで名前だけを名乗ってるんだ。

 細かいことにこだわり好きなダガシだから、こういう電話の出かたにも、こだわり好きなんだよさ。

思い出は良いも悪いもない

 苦しかったことは悪い思い出で、楽しかったことは良い思い出というんじゃなくて、苦しかった思い出も楽しかった思い出も、ぜんぶの思い出は良い思い出だと今日、思った。

 楽しいこと思い出すのは楽しいから良いよね。
 でも苦しかったのを思い出すのも、何だか楽しいのはどうしてかな。

 そのとき苦しい苦しいと思ってても、それが原因で死ななかったんだから、それほどのものじゃなかったんだろうな、と思う。
 死ぬほどの思い、なんてよく言うけど、結局死ななかったんだもん、それほどのものじゃなかったんだよさね。

 そのときの苦しいことを肥やしにして貯金にして、いま生きているんだろうから、だから苦しかったことも、良い思い出になるんじゃないのかな、と思ったりした。

 そしてそこで本当に死んでいたら、それで思い出もないんだから、良いも悪いもないんだろうから。

インスタントのシチューもカレーも固まってないのを使います

 シチューもカレーも、粉の元を使ってる。
 粉のほうがよく溶けるし、隠し味でちょっとだけ使いたいときにも、ササッとふりかけることできるからね。
 あと、おでんの素も。…あ、元は素と書くのかな。

 でも粉のシチューの素もカレーのもとも、一種類ずつしか売ってないよ。
 まあ、それは安いし美味しいし、満足してるんだけどさ。

 粉ばっかり使ってると、固まってるのはどうしてわざわざ固まらせるのかな、と不思議な気持ちするけど、僕が思いもよらない何か意味が、あるんだろうね。

天気も人生も、事件のほうを、憶えているのかな

 今年の冬の始まりの天気は雨が続くなあと思っても、本当は毎年のその時期、その時期の天気など憶えてないんだよ。
 憶えてるのは、たとえば新発田市に転勤でいたときに休みの日に、十二月中旬なのに暖ったかい日だな、こういう日にはバイク乗ろう、乗れる日に乗っておこう、とオーバー着て7号線を北に走って、山形県に入ったところの魚市場で休憩してポカポカ陽気の中で煙草吸った憶えあるし、辻堂にいたときは十月だったか十一月だったかの突然の大雨で、道の端っこにたまってた落ち葉に雨水がつっかえて、道路じゅう水びたしになって、すねを濡らしながら傘さして夜歩いてアパートに帰った憶えもあるし、家にいたときは、天気がいい日がつづいて今年は雪が降らないんじゃないかと思って、いつスタッドレスタイヤに替えるべきかと悩んだ年もあったな。

 長年生きてきてるけど、季節ごとの気候なんて僕は丸っきり憶えてなくて、生きてきたその年その年に、自分のことの重大事件として記憶に残っている時の天気が、たまたまその季節の気候なんだと、憶えているにすぎないのじゃないのかな、と思ってしまうんだよさね。

 それは野球の、ファインプレーだけを憶えてたり、サヨナラホームランだけを憶えてたりして、試合の途中のこまかいことはすっかり忘れてるみたいなのが、人生の記憶にもあてはまるのかな、なんて思っているんだよさ。

スポンジ代わりの手のひらや指

 ジョイとかいう食器洗剤の宣伝で、フライパンにたまったものすごい白い脂を落とすのに、脂の上にちょっとチュッと注ぎ出して、少しおいておくと、キレイサッパリ落ちてるなんてこと言ってるね。
 そんなわけないのに。いやホントにそうだとしたら、危ない洗剤だよ。
 ちょっとかけてしばらく置いておくと汚れが取れてるなんて、ものすごく強い洗剤だということなのにさね。
 そんな洗剤、業務用だって存在してないもん。

 僕のフライパンの油汚れを取る方法はね、熱いうちに、油が柔らかいうちに、まずトイレットペーパーを折りかさねたのでほとんどの油をこすり取るよ。
 そうしてから、食器洗剤を少しだけたらして、掌や指でこすって柔らかくするんだ。
 そのときのキモはね、爪の間に油が入らないように、爪の背の方向に向かって指を動かして、油をこするんだ。
 そうすれば爪の間もキレイなままだし、スポンジ使わないからスポンジ汚れないからね。
 浮かした油は一旦水で流してから、こんどは少しの洗剤を付けたスポンジで仕上げのこすり洗いして水で洗い流せば、キレイさっぱりのフライパンになるんだよ。

 指は石鹸で洗えば何度でもキレイなままだから、僕の指は、スポンジ代わりの大事な汚れ落としの道具なんだ。
 これ言うのは何だか貧乏臭いかなと思ったけど、書いてしまったよさ、ハハ。
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