FC2ブログ

徒然のブログ

つれづれの思いなどを

僕が幸せが一番

 母さんと別れるというのに、

 思ってたより恐くないし、悲しくないのは不思議だよ。

 ふっとしたときに、涙がでるけどさ。

 母さんは前から、おまえが幸せになることが一番、と言ってたもんね。

 僕が幸せだということが、母さんも幸せなんだと思ってる。

流星

 カレンダーに絵はなくていいな。
 どんなに心をうつデザインでも、僕が必要なのは日付けがすぐ分かるのだ。
 数字と曜日の文字が大きくて、今年は昭和でいうと何年なのか、とかがすぐ分かるのがいいな。

 ひと月分だけのが丁度いい。
 カレンダーめくる愉しみがあるから。

 日にちはめぐってめぐって、
 何十万年かして、
 僕と母さんは流れ星としてすれ違ったら、挨拶しあおうよ。

どーもマスクのダガシ

20090129192054
マスクするときは、息でメガネがくもらないように、上側をテープで貼ってるんだ。
ひたいのおできは治りかけてるよ。

教えられるだいじなこと

 じゅうぶんいきたすけ、

 という母さんは、

 おっかながりの僕に、

 死ぬということは恐くないんだよ、と教えてくれてるんだね。

 実際に、死んでみせてくれるんだね。

 ありがとう。

 母さんは観音様みたいに、きれいだよ。

しょうがのおかげか咳なし

 生姜をよく食べてるよ。
 だからなのか、正月三が日だけ気を抜いたのか軽い咳が出て喉がいがらっぽかったけど、そのあとは風邪らしい風邪はひいてない。

 ただね、この冬は鶏肉を食べると、ときどき風邪みたいに喉がかゆくなったり、だるくなったりするんんだな。
 それってもしかして鳥インフルエンザ? とか思ってみたりするけど、生で食べるわけじゃないからそんなわけないだろさね。
 玉子だってもう何年も生で食べてない。

 だから豚肉をまた食べるようにしてる。
 でも去年ぐらいから、どうしてか鶏肉のほうが美味しく感じてるんだ。

 鶏でも豚でも、そして魚のときも、寒くなったから、生姜はいっしょに多めに食べるようにしてるよ。

たらにつけのあじつけ、むずかし

 たらの煮たのをつくったけど、前のより少しおいしくなってるかなと思った。
 味付けを濃くするのがミソかもしれない。
 僕はつい、塩とか醤油を少なめにするからね。

 バイク乗ってた頃の富山に入ってすぐの、名物だっていう八号線沿いの鱈煮付け専門店に何回か入ったけど、うまいと思ったことない。
 いつも夏だったから、暑い季節だったから、だから鱈の煮付けは美味く感じなかったんだろと思う。
 今ごろ行ったら、うまい! と叫んでるかもね。
 でも雪降ってる冬はバイクで遠出できないから、あそこまでは行けないもん。

 みりんもお酒も、そして醤油を多めに入れて煮たら、まあまあ食べられるような味のような気がするけど、でも子供の頃食べた味とは違うんだ。
 また考えて、味付けします。

障子紙の色とお化けの話はリンク

 障子紙というのは白いもんだと思ってたけど、去年、紙買うときに、灰色の障子紙を見たよ。
 灰色のところどころに、桃色の小さな花と、緑の細い葉っぱががちりばめてあった。

 そのとき思ったんだけど、もしかして昔は、灰色の紙が、障子紙だったのじゃないのかな。
 だって今みたいな漂白されたような白さの紙は、世の中になかっただろうし、あったとしても、庶民の障子に貼るための膨大な量の紙が、雪みたいに白かったとは思えないから。

 ということは部屋の中の明るさは、今から思うよりはずっと、昼間でもいつも、夕方みたいな色だったかもしれないな。
 だから、昔話とかお化けの話とかが、リアルに感じられて、想像できたのじゃないのかな。

陽の長い短いが分かるのも人生の知識

 冬至から一ヶ月ぐらいたったけど、朝、障子が明るくなるのがちょっと早くなってるのが分かる。
 そういえば、季節によって陽が長くなったり短くなったりするのを実感したのは、介護の仕事してるときだよ。
 病院の準夜勤で夕方五時に病棟に行って、患者さんに挨拶するのに、夏場のまだ明るいときだと「今晩は」というのが、何だかおかしいなと思った憶えある。
 そして夜中の巡回オムツ交換の仕事のときは、四月後半になると、もう朝方五時過ぎたら明るくなるんだな、と東の空見て思ったな。

 それまで夜は寝るものだと思っていたし、朝目覚めたときは季節関係なくいつも太陽は昇っていたし、仕事終わって会社から出るときはいつも夜だったから、季節の陽の時間の差なんてのは、意識しなかった。
 そういうことが分かったのが三十半ば過ぎなんだから、遅いよね。

レジ袋をもらわないようにするのも気を遣うよさ

 スーパーで買い物したあとクルマに乗ってドア閉めた瞬間、あれ胡麻買ってないのを思い出したから、また引き返して胡麻一袋買った。

 そういうときはレジでいつものように、
「このままもらっていきます」と言うとレジの人は、
「それならテープを貼りますね」と袋にスーパーのマークが印刷してあるテープを貼る。
 僕はお金を払うと、
「今、ポケットに入れますよ」とあえて大きな声で言いながら、コートのポケットに押し込むように入れる。
 レジの人はそれを見ている。
 僕の後にレジについてる人も見ている。
 僕は見てもらうようにわざと大きめの声で言って、ちょっと大袈裟なアクションでしてるんだから。

 裸の商品を持って店を出たら、万引きと間違われないようにしたいから、お金を払ったらポケットに入れて、店を出たいんだ。

オバマ嫌いは減ったけど

 オバマの大統領就任演説をニュースでチラッと見たけど、前に僕が書いたオバマの演説はあごを上げすぎて威張って見える、というのがなくなったね。
 どうしてなのかオバマのあごが目立たなくなってる。
 いつのまにか、あごを引き気味にしながら喋ってる。

 そうならば、喋る中身は日本語訳を読むともっともなこと言ってるんだから、嫌いになることもなくなるけどさ。

 でもね、オバマの演説聞いてるアメリカ人の、陶酔しきってるような、酔っ払って泣いてるような、もうあなたに私のすべてお任せしますというような顔つき見ると、おい大丈夫か? と聞きたくなるんだけどさ。

自分に似てるを、つい応援してしまう

 クルマの中でラジオから聴こえていた、白鵬が日馬富士に負けたのと、朝青龍が今日も勝ったのを憶えてて、帰ってからテレビのニュースで観た。
 相撲とプロレスはシナリオがある見世物だと思ってたけど、番付が上のほうの相撲は真剣勝負だね。
 だから自分のことを忘れて見入ってしまうんだな。

 白鵬より、朝青龍を応援してしまうのはどうしてなんだろう。
 いろんなところが、僕に似てるからだろうか。

雑音まじりのジャズは、いいもの

 ラジオを聴いてると、ジャズが流れてきた。

 シンバルをこするような音と、ウッドベースの弦が、人間が咳してるみたいに不規則に、そして誰かが泣いてるときの、呼吸音のような音を聴いてると、聴覚だけなのが、良いなあと思う。

 たぶん人間が楽器を弾いてるのを見ると、これほど、音に入れ込めないんだろうな。

 僕はジャズが嫌いだったけど、どうしてか咳のようなつらそうな音が、身に染みる。
 ボーカルがないのも、いいよ。

 ラジオは雑音が混じってるから、それもいいのだろかな。

大河でテレビ観ないで済むきっかけ進んだ

 今年の大河ドラマ三回観たけど、もう観なくてもいいやと思った。
 先週までの子役のは、ところどころちょっと泣いたけど、でも五歳の子供が真冬の夜中に、雪の中を歩いて家に帰るシーンにはリアルさが吹き飛んで、まるで白けてバカバカしくなったし、泣いた俺は何だったんだと思って腹立ったよ。

 そして大人の役者になってからは、その役者の芝居が下手なのはしょうがないとして、そして演出がマンガみたいなのもしょうがないとしても、主人公のキャラクター自体に共感できないんだから、観ててまた腹が立つ。
 あのドラマの兼続という人物像は、ただの出しゃばりだ。
 自分の思いを吐き出すために、TPOをわきまえずに、俺が俺がと出しゃばる人間に描かれてる。
 それはたぶん僕が、かねつぐ的な出しゃばり人間だから、自分の醜さを見つけて不愉快になってるからだろけどさ、ハハ。

 僕はこの原作を読んでないし、原作がそういう描き方なのかどうかは知らないけど、大衆小説とかエンターテイメントとかいわれる小説は僕、三行も読むと、その無神経な文体に疲れてしまって読みたくなくなるから読まないようにしてるから、(それは昔、大衆小説の文学賞に名前がある、大家といわれる小説家のを何人も読んでみたけど、三行でもう読みたくなくなったから)、この原作も時間の無駄だから読まない。

 この時間は、また元の美術の番組を観ようかな。
 それとももう、はっきりもうテレビは観なくてもいいのだということを、知らせてくれてるのかな、と思ったよ。

介護は税金でやってやるんだから質が低くてもしょうがないというスジミチはダガシ、お前が言ってきたことなんだから悲しむな! でも…

 派遣切られた人たちのためにという名目で、介護資格を取る費用を税金で出すっていってるね。
 ああ、学校商売と資格商売が潤うだけのことになるのにさ。

 そして派遣でお気楽にやってた人間が、介護の現場に入ることになると、ああ、また今よりもっと介護業界の人間の質が、下がる!

 でもね、書きながら思ったけど、介護のお金の原資は税金なんだから、もともと介護の質が良くなるわけもないし、税金で高い質のサービスが受けられるというのも矛盾してるんだから、と思い直したよ。

 もうすぐ死ぬジジババの世話は、税金でやってやってるんだから、ありがたいと思え! だからそのかわりに、投げ遣りなやり方でやることは、スジミチにのっとっているんだ! と覚醒したよ。悟ったよ。
 だって税金だもんね、節約しなきゃならんもんね。いつもダガシ自身が言ってることだもんね、ハハ。

 質の高いサービス受けたかったら、税金じゃなくて、自分の財布から出したお金で雇った人間に、自分の介護の仕事させるべきだろうからね。

 ああ、といって今よりもっとひどい人間たちが現場にどんどん入ってくることを覚悟するのなら、僕はもう、自分は介護サービスを受けたくないと、思い始めてるし、なんだか何かが違うと思ってるけど、うまく言えない。

 最低限の救いは、今の福祉の業界の無神経な福祉バカどもが、業界外部の人間たちが大勢入ってくることで、変わる可能性があるのかな、とふと思ってみたけど、…僕も含めて馬鹿は死ななきゃ変わらないだろうな。

ハコより琴線が大事

 テレビって、ただのハコなんだよね、番組を映す道具。
 だからテレビという機械がいくら性能が良くても、映る番組が僕にとっておもしろくなけりゃ、テレビは要らないものなんだよね。

 そうして世間の人々が、この番組は面白いぞといくら言っても、僕にとってその番組がおもしろくなけりゃ、映ってる番組も要らないんだな。
 番組が要らなけりゃ、番組を映してるテレビも要らない。

 ということは僕が、番組を楽しめるかどうかが、一番の問題なんだな。
 それは、その番組を楽しめる心が僕にあるかどうかも問題なんだな。
 そして僕の心が楽しめる番組をやってるかどうかが、僕にとって一番の問題なんだ。

 それから僕は昔から、テレビの画質とかオーディオの音質とかに、まったく興味がない。
 それって、音楽でも、絵でも、小説でも、何でも、音質とか画質とか本の造りとかに関係なくて、中身が重要なんだし、その中身を楽しめる心を持っているかが、一番重要なんだと思ってるから。

 ウォークマンの小さいヘッドフォンからでも個々の楽器の音を聴き分けることだって出来るんだし、雑音混じりでガーガーいってるラジオから、流れてきた楽曲のメロディや歌声に感動することだってあるんだからさ。
 心の琴線っていうのが、心の中にはじめからある人だけが、いいものの本質を楽しめて、おもしろがれるんだろうな。

 だから、機械や書物や、そして人間の中身から出る本質と、その本質を感じ取れる琴線を持っていることが、大事なことなんだろと、思うよ。

枕元の懐中電灯の備えも、あきらめの前の備え

 夜中に地震とか何かがあったときのために、枕元に100円ショップで買った小さい懐中電灯を置いてるよ。
 災害の備えは、それだけなんだ。
 携帯電話も手を伸ばせばとどくところに置いてるけど、もし大地震がきたらそんなの吹っ飛ぶだろうな。
 頭の上の懐中電灯だって吹っ飛ぶだろうし、枕の横に置いてる眼鏡だってどこかに吹き飛ばされるだろうし、そうしたら、まあ、体が動くならば、恐る恐る、少しずつ、暗がりの中で避難できるものなら避難するかな。

 体が動かないならば、それはもう、あきらめなきゃならんろうね。
 それより建物が崩れたら、眠ってるまになんだからさね。

 最近は、テレビはあえて消すようにして、ラジオをつけてるんだけど、さっきラジオで地震のこと言ってたから、そんなことふと思ったんだ。
 懐中電灯や携帯電話や眼鏡が吹っ飛んでも、よくあきらめられるように、いつもいつも、精一杯のことかな。

 だからというかそういえば、枕元の懐中電灯は、停電の時の備えなんだというのも、思い出したよ。

遅刻してしまった。駄目なダガシ

 今日、初めてお客さんのところに行く時間に遅刻してしまった。
 雪が積もってて、でもそれほどじゃないだろうと思ってたんだけど、道が進まなくて、ふだん三十分で行けるのが一時間四十分もかかった。
 でもそれも言い訳なんだよね。
 もっともっと早く出ていればいいだけなんだもんね。

 お得意さんのところだから、なおさら申し訳ない気持ちなんだ。
 ごめんなさい。

人参ニ袋買った成人の日

 今日は夕方に祭日だったとつい忘れてジャスコに買い物行ったら道が混んでて、そうだ今日は成人の日なんだ、だから人が来てるんだな、と後悔したよ。
 必要最小限のものだけ買って、僕だけしか知らない道を通って渋滞をかわして帰った。

 人が多すぎて嫌になって人参買うの忘れたから、近所のスーパーで買った。
 人参の季節なのか取れすぎなのか、ジャスコより半分くらい安い一袋98円で売ってたから得した気分だったからニ袋買ったよ(いま鶏肉と人参二本入れたトマト煮を食べながら書いてる)。

 今年の成人は平成生まれなんだってね。
 そういえば去年の領収証には、平成20年と書いたな。

 平成、と筆で書いた紙を、黒ぶちめがねで持ってた人(ああ、また名前出てこない…、群馬県選出の議員、首相になった人)がテレビの中で困ったように、そして誇らしくもありそうな顔で喋ってたのを思い出すな。

 あのとき僕、酒田市のアパートで、雪の降る中で、そのテレビを観てたな。

電気毛布の出番なしよし

 今年はそれほど寒くないみたい。
 電気毛布は使ってない。
 煙草やめた年の冬も使わなかった。

 冬が暖かくなってるのか、
 僕の体が温かくなってるのか、
 どっちだろ。

 寒さはこれから本番だけどさ、
 もしかしたら電気毛布は出番なしかもね。
 それは何かいいことだろと思うけどさ。

これからは税金は、教育業界に使うことにダガシは決めた!

 100年に一度の未曾有の不景気だとかといってるけど、それは日本にとってチャンスだよ。
 明治維新に日本の仕組みがひっくりがえったし、昭和二十年の敗戦でもひっくりがえった。
 五、六十年ぐらいおきに、ひっくりがえると、良くなるみたいだから、チャンスだ。

 これまで税金は、道路に金そそげとか、医療に金そそげとか、介護に金そそげとか、雇用に金そそげとか言ってるけど、それみんな、間違いだ。

 金そそぐべきところは、教育だよ。

 教育といっても、校舎を耐震設備するとかじゃないよ。

 先生を増やして給料を上げて、そうして小学校と中学校を、ひと学級ニ十人くらいにして、良い先生から児童を学ばせることに税金を使うことにする。
 ダガシが決めた。

 といって今の先生の給料を上げるわけじゃないよ。

 今の先生の水準は、駄目だ。

 前にも書いたけど、介護業界を建て直すために金そそぐべきだけど、今の介護業界の人間は駄目な人間だらけだから、介護業界で働いている人間たちを総入れ替えしてから、給料を高めて、優秀な人間を呼び込む仕組みを作る。

 それと同じで、教育業界も、総入れ替えして、先生を募集する。
 先生の給料を高くして、人数を増やす。

 道路やハコモノ造るより、そして議員や公務員を減らせば、今の仕組みより、よっぽどコストは減らせる。

 もうすぐ死んでゆく人々や、もう要らない道や建物や、無駄に金喰う議員や公務員に税金は使わないで、これからの日本人をクリエイトするために、税金を使うことにダガシは決めた!
 もうすぐ死にゆく人々は、その中で心ある人々は、これからの世の中をしょって立つ人間を創るために、自分のことはいいいから、そっちの方に金を使ってくれ、と思うのじゃないのかな。
 僕だったら、そうしてくれと、思うから。

 そしてそのための細かい仕組みを、これから考えるよ。

 そりゃもちろん、学校教育より、学校に上がる前の育ちの方が大事だろうけどさ。
 でも育ちは、基本的人権に関することだから。
 育て方が悪い人間は子を産むな、と言えない辛さがあるからねえ。困りもんだよさ。

 そして、そういう困りもんの人間ほど、夜の台所に出る虫みたいに子を繁殖してるみたいだから、だから税金が無駄になるんだろうと、思うよ。

 でも教育業界がうまくいって、そうして日本が、暮らしやすく、良い意味の競争と協調がある世の中になれば、虫は、減るのだと、思うけどな。

テレビは身体をこわすもと

 年末と正月にテレビを観ないで、そうしてまたちょっと観だしたら、腹が立つ。
 朝は僕、テレビ朝日系のを観てるんだけど、出演者は、どうしようもないのばっかりだ。
 6時台のは、もう司会者も出演者も、被害者意識にこりかたまって、自分から何かを生み出そうという人間は、いなくなってる。オウムの時によく出てた女の元新聞記者も、駄目になりかけてる。

 8時台で救いだった鳥越は、去年の秋頃から自分以外の責いにする物言いをしだしてるし、日テレ系に出てるテリー伊藤も同じくだし、駄目だ。

 一人だけ最後の救いは、女の人の(名前出ないけど)競輪だったか競馬だったかの選手と結婚したノンフィクション作家だけが、自己責任のスジミチ通した物言いしてるんだけど、その人だけが共感できること言ってるけど、後は駄目人間ばっかりだ。
 テレビに出てる全員が、怠け者のコズルイ視聴者に媚売ることばっかり言って、スマシテル。

 たぶんテレビは去年から、広告減で利益がものすごく減ってるんだろうな。稼ぎがなくなって、しかも頭が悪い人間ばっかりだから、だから姑息に守ろうとする姿勢でしか、ものごとに対処できないんだろうな。
 そういう人間しか居ない業界になってるんだろうと思うよ。

 そして晩は、NHKの9時からのニュース番組の司会者の男。これも駄目だ。
 上から目線で、しかも月並みなことしか言えない人間だ。
 こいつは上にはヘツラッて、下には説教がましいこと言って嬉しがってるんだろうというのがビンビン分かる。たいはんの新潟市民みたいな感じがするよ。だって大組織で上にあがるのは、そういう人間じゃなきゃ上がれないからね。
 だから9時ニュースも、反吐が出るから観ないことにしてる。

 僕はテレビを観ると、怒りっぽくなるのかもしれないよ。
 だからテレビは、観るべきものしか観ないようにしないと、身体をこわすもとになるかもしれないな、ハハ。

布団干しの季節はあべこべ

 さっきテレビで天気予報聞いてたら、新潟市地方で乾燥注意報出てるってね。
 冬に空気が乾くのは太平洋側だけだと思ってたら、こっちもそうなんだな。
 そういえば新潟市は何日も雨らしい雨降らないし、雪なんかいつ降ったか忘れるぐらい降らないよ。

 十五年ぐらい前に浦和に住んでた年、十二月と一月と、まるまる完璧に晴れてたことあった。
 まいにち青空で気持ちよかったけど、関東に住んでるとそれが当たり前だと思うけど、新潟じゃ雪降ってるんだろうな、雪かきしてるんだろうな、とちらっと思った憶えあるな。
 布団干しという季語は冬のものだと昔読んだけど、そのとき実感した。

 でもさ、雪が降る季節は雪が降るほうが、いろんな意味でいいのだろうと、思うのだけどね。

りんご酢を飲む節約と贅沢でヘンな心配

 去年の秋から酢も値段が上がったね。
 あの頃まではずうっと一本98円だったけど、今138円。
 ジャスコで下段のミツカンの500mlの138円のを見て、しょうがないか買うか、と思いながらふと目の高さに見える段に、りんご酢が目に入った。
 PB商品で198円。
 138円と198円、それほど変わらないかと思ったんだ。

 酢は、朝起きたときに水に混ぜて飲むのと、作業のときに持っていくレモン水の中に、塩とそれから酢を入れるのに使うのと、漂白剤とかカビ取り剤とかを使って、それが手に付いたときにヌルヌルを取るために、手にニ滴ぐらいたらして洗うのに使ってる。
 そうして一番使うのは、焼酎に混ぜて飲むためだから、りんご酢は、普通の酢より美味しいのじゃないのかな、とふと思ったんだ。

 買ってきて、今飲んでるけど、さっぱりして味が爽やかな感じするよ。
 しかし98円とか138円とか198円とか、そういうレベルで節約してるんだから、ダガシは贅沢も好きだけど、節約もそもそも好きなんだろうな、となんだかヘンだけど心配してます。
    ※
 追記するけど、何日か飲んでみて、あんまり美味しくないの分かった。
 僕だけの好みかもしれないけど、酢どくとくのピリッとした感じがしないし、りんごのおいしさ甘さも、それほど感じられないんだ。
 それはPB商品だからなのか、りんご酢だからなのか分からないけど、この商品は次は買わないな、と思った。これは正直な感想だよ。

半分眠りながら聴いた吉本隆明のテレビ

 最近インターネットで、ラジオもテレビも番組表をチェックして、本当に観たいとか聴きたいのだけスイッチ入れるようにしてる。
 そしたらきのうの夜、教育テレビで吉本隆明の講演番組あるって出てたから、ベッドに横になりながら観た。

 初めて吉本の声を聞いたけど、まあこういう声なんだろうなと思うぐらいの感想だけど、八十三といってたけど、腰がまがっているな、と思ったぐらいだった。たしか十年ぐらい前だったか、海でおぼれたというニュースがスポーツ新聞に出てたのを憶えてるな。

 しかし吉本、言ってることが同じところを巡ってばっかりで、だから僕、もう眠くなって、ほとんどうとうとしながら目をつむって聴いてたよ。

 ところどころハッと耳に打ち込まれるような言葉が出ると、その瞬間だけ目を開いて首を曲げて画面を見た。
 吉本が手をヒラヒラ振りながら、口の端をつばで濡らしながら懸命に喋ってた。

 しかし講演聞きに来てた人で、女子大生みたいな人が多かったのは、女子大でやったからだろうな。吉本隆明をオンナが、それも若い女が読むはずもないだろからね。
 それとも娘の小説から来たのかな。

 番組の最後で、吉本が腰をかがめて自分ちの廊下を向こう側に歩いていって角を曲がって見えなくなったら、ひょいっとすれ違いに、番組の最初に吉本の家の玄関にいた白い猫が歩いてきて、部屋の入り口で立ちどまって口をもぐもぐさせてから、そうしてカメラの中から出ていって番組が終わって、それが一番印象に残ってるよ。

視覚が退屈するときは早寝かな

 テレビを観ないと、部屋の中で目のやりばに困るというか、動くものがないから視覚が退屈する。
 瞳を動かしても、どれも見飽きたものばっかりなのがつまらなくなるんだ。

 誰か僕以外の人がいれば、それか猫でもハムスターでもいいんだけど、僕の意思におさまらないで動くものがいれば、視線はおさまるところに、おさまるんだろうけどさ。

 といってテレビをつけても僕の視線は楽しまなそうだし、活字だけ追うのはちょっと疲れたし、そういうときは誰か、僕の視覚を嬉しがらせながら楽しませながら疲れを取ってくれる、僕より髪の長いいい匂いの誰かが部屋の中に居てくれるのがいいのだろうけど…、ハハ、そういう人はいまのところ居ないから、早寝して、夢の中で会うことを願うことにしようかな。

『貞心尼』自然と涙が出た

 ののはら ゆみ、という人が書いた『貞心尼』という小説。
 偶然見つけて、読んだ。
20090102121929
 傑作だ。
 何十年に一遍の傑作だよ。
 二日かけて読んで、読みながら十二、三回は涙が出た。

 僕が子供の頃のばあちゃんたちが喋ってた言葉が、そのまま使われてるから懐かしいんだ。
 そして地の文のリアルさは、まぎれもなく純文学だよ。

 疑問に思ったのは、あちこちに挟めた良寛と貞心尼の歌は、本当にこんなに残っているのかな。
 僕が知らないだけで、良寛の歌も貞心尼の歌も、貞心尼が残していたのかな。
 それとももしかしてこの歌は、ほとんどが、ののはらゆみが創作した歌なんじゃないのかな、と思いながら読んだ。
 著者は阿賀野市生まれと奥付ページに書いてあったけど、中越地方の方言書くのが上手なことも不思議だったな。

 そうしてね、良寛と貞心尼のことは、わいせつな感じが少しもしないで、どことなくユーモラスなところもあって、なんだか、きよらかな清潔な水で洗われているみたいな、そんな気持ちになるんだよ。
 だから僕も、いっぱい涙が出たんだろうな。

 この『貞心尼』を読んでいたら、『限りなく透明に近いブルー』と『楢山節考』を思い出させた。
 セックスを、わいせつさからとき離して、それでも性というか、生というものを、体に直接感じさせる文体。
 細部のリアルな表現。
 自利と他利の絶妙な配分。
 実験的なクライマックスの場面の描写。
 ところどころに挟みこむ歌。
 そうして何度も何度も自然に出た僕の涙。

 これは読むべき小説だよ。

久しぶりのラジオの音

 さっき三日ぶりにラジオを聴いたよ。
 内田樹という思想家というような人が喋ったNHKの第一放送。夜七時二十分からやってた。

 ひさしぶりに聴いてみると、ラジオから出る声というのは、強いもんだね。張り上げてない普通の喋り方というか、ぼそぼそした声なのに鼓膜を強く打たれるような気がしたな。

 番組の構成も、ところどころに音楽やニュースや天気予報や交通情報なんかをおりまぜて、二時間ちょっとなのに飽きさせないんだ。交通情報のあいだにトイレとか行けるし、お茶なんかも飲めるし、上手だなと思った。

 でも出演者の多くが、底の浅いこと言ってた。特に初めから三人目までは、被害者意識で自分以外の責いにしたがる物言いで、聴いてて疲れたよ。

 内田だけが、僕には共感できた。
 内田樹はうちだたつると読むんだって。実はもう十年ぐらい前から内田の本を読んでて、一時期ハマッて集中的に読んでたから、だからダガシの価値観の百万分の一ぐらいは内田の思想で出来てるから、だから内田樹の言うことに、もっともだと思うんだろな。

 そしてちょっと前から内田樹のブログを見つけて、読んでるんだ。
 そのブログで、元旦の夜に自分が出るラジオ番組があると書いていたから、それで聴いてみたんだ。
 どんな声なのか知りたいなんていうミーハーな気持ちもあったからね、ハハ。

 内田のブログはここで紹介のリンクは、しない。
 僕は一般の人の、読んでおもしろく考えさせるブログしか紹介しないと決めてるから。それに僕は内田樹の書いていることを好きじゃないから。書いているものだけで判断すると、内田樹の人間性は、自分勝手な無責任な人間だと思うから。

 そうしてね、番組が終わって別の番組になって、それ聴きながらこれ書こうとしたら、音が、邪魔なんだ。
 ガチャガチャうるさいという感じじゃなくて、ラジオからの人間の声が、耳に突き刺さるような感じで、その声が考えるのを邪魔してるような感覚。
 だから今、無音の中で書いてます。

テレビを観ない生活のほうが贅沢な生活

 テレビを観ないでいるとイライラしたり自己嫌悪になることがなくなった。
 30日、31日、元旦と、もう三日もテレビを観ていないし、ラジオも聴いてない。
 そうすると、自分のことが嫌になったり、あああの時はこうしておけばよかったと悔やんだりする気持ちが出てこない。不思議だよ。
 この気持ちは、小学生ぐらいのときの気持ちに似ているなと思う。

 大晦日の晩の、除夜の鐘の音がはっきり聞こえたよ。
 昼間、近所の公園であそぶ子供の声や、朝夕の鳥の鳴き声もよく聞こえる。
 テレビもラジオもなかったころは、そういう音にかこまれていたんだろうね。

 今のテレビはもう朝から晩まで、がちゃがちゃした番組ばっかりだから、観てると心が干からびていくのかもしれないな。
 テレビをつけないから、ひさしぶりに集中して本を読めてる。
 もうこれからテレビは観なくてもいいかな、と思いはじめてるよ。
<<