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徒然のブログ

つれづれの思いなどを

携帯を新しくした

 二年前に買った携帯電話の電池が半日で切れるようになったから、電池を替えようと思って値段を調べた。そうしたら通話料が新しい料金体系になっていて、それは同じプランが一ヶ月千円くらい安くなっているのが分かった。
 だが今までの携帯を新しい電池に交換しただけでは、新しい料金プランには移れないらしい。新しく高い金額で、携帯端末を買い替えることで安いプランになるらしいのだ。

 考えたのだが、新しい携帯は当然新しい電池だから、その電池がまた二年もつとして、安くなった千円の二年分で、二万四千円で新しい携帯を買うことができる。
 端末の料金を分割で支払って、安くなったプランと一緒にすると、毎月今までと同じくらいの支払い額で、新しい携帯に替えることが出来る。

 それで今買える中で一番安いのを調べたら、NECのが9800円で売っていた。それにした。思ったより安かったから一括で支払うことにした。
 今日、それを買ったのだ。

 知らないうちにドコモのポイントとかクーポンとかがたまっていて、結局払ったのは3500円だけだった。
 得だった。

 だが一番得したと思ったのは、そこの女の店員さんが、新潟市では珍しく気持ちの良い対応だったことだ。
 俺の嫌いな、可愛く見せようとしてわざとらしく舌っ足らずで喋ったり(そういうオンナはかえって可愛く見えない)、書類に書くのが丸文字だったり、質問をはぐらかしたり、そういうことがなかったのだ。
 一を聞いて十を知るとまではいかないが、七くらいは知って、それをすぐ行動に移せる女性だった。
 チップをあげたくなったぐらいなのだ。
 そしてそれは仕事上の演技だったとしても、その芝居をやり遂げたということが素晴らしいと思わせてくれたのだった。

 それともう一つ思ったのは、電池がなくなっただけで、壊れてもいない携帯を使わなくして新しいのに買い換えるのは、俺は無駄なことをしているなあということだ。
 だから前の携帯を大事に取っておいて、万が一新しい方のが壊れたら、前のに新しい電池を入れて使おうと思う。

この世に要らない自民党を残すのは膨大なコストがかかる

 自民党の親方とその周りが決まったが、さもしい保身主義者ばっかりだったな。
 河野太郎は総裁選挙ではちょっと根性見せてくれたけど、それでも安全地帯からの物言いだったな。

  俺は政治家に知り合いはいないから、しがらみなく言えるけど、自民党は無くなるんだよ。
 それは善い悪いじゃなくて、何のサービスでも、この世に要らないものが無くなることは当たり前のことなんだよ。自然の掟なんだよ。

 逆にこの世に要らないものを残すことは大変な無駄なコストが要るよ。
 そのコストを個人の財布から出すのならばその人の勝手だけど、税金から出すというのはスジミチから外れるよ。

店がつぶれてアパートが建っている

 俺が住んでいるまわりの店がバタバタとつぶれている。
 食品スーパー、八百屋、飲み屋、小さい薬屋、ガソリンスタンド、喫茶店、美容院、服屋、どれもまた来たいと思わない、ダラケた店員がいる店だった。

 その跡地に建ったのは、ほとんどがアパートだ。
 アパートだけは、土地を使う商売として無難なのだろう。

 だが近くの前からあるアパートは、住んでいた人間が出て、新しいアパートに移っているらしい。
 家賃はそれほど変わらないのに、新しくてキレイだから。

 古くからのアパートは、入居してもらおうと家賃を下げる。
 新しいアパートも負けじと下げる。

 入ろうとする人間はいいが、アパートで食っている不動産屋や掃除屋や内装屋などは、仕事は減る、単価は下がると、アップアップしているようだ。
 俺はアパートマンションの空室清掃は受けないことにしているから関係ないし、土地建物関係のズルイ奴らが困るのは嬉しいのだ。

 多分これは全国的なことだろう。
 仕事がないから簡単そうだから掃除屋にでもなろうかと思う人間も多いだろうが、完璧主義者のダガシでも、仕上がりでも接客でも、まだまだだと思っているのに、よそで使えないような人間が、掃除という商売が出来るわけがないし、そういう浅はかな人間は、空室清掃業界は仕事が減っていて、しかも不動産屋の下請けなのだから単価が下がってダンピング合戦で、やっていかれなくなってすぐ廃業して元手を損するだろう。
 よそで使い物にならない人間だから、そういうことが予測できないのだろう。

 しかし、地面を活用するのに、アパートや駐車場しか思い浮かばないというのも、能が無いなあと思うのだ。

一生懸命の中での失敗

 お客さんからある仕事を受けて、私で出来ない部分を大工さんや電気屋さんに頼んだ。
 その中で、電気屋さんが一つミスをしてしまった。
 お客さんから苦情が来た。

 その電気屋さんは、がさつな人ではないし、ものごとを一生懸命やる人だ。大工さんも注意深い人だ。
 電気屋さんもわざとやったミスではないし、一生懸命仕事をする人だから、私は電気屋さんを責めるlことはできない。

 それが、かえって辛いのだと知ったのだ。
 誰かを怒ったりすることも出来ない、誰も責めることが出来ないということは、悪い人間が居ないということは、かえってつらいのだということを。

 私以外の誰かじゃなく、自分自身がミスをしたほうが、どれほどラクな気持ちになるだろうかとも思った。
 そういうときの自分の攻撃目標は、はっきりと自分だけになって、精神の持ち方がカンタンなのにな、と思った。

 やる気がなかったり、投げやりだったり、不貞腐れていたり、うまく立ち回ろうとするだけだったり、意地悪だったりする人間だったら、私は思い切り怒鳴りつけるのだが、一生懸命やろうとする人がたまたま失敗しても、それは私の中ではしょうがないものと思っている。
 なぜなら人間というものは、どんなに注意深くいても、ときどきは失敗する存在だと思うからだ。

 だからこそ、誰も責めることが出来ないからこそ、困っているのである。
 困った。
 ミスしたところを、弁償しなくてもいいと言われている。それもある意味でかえって辛い。
 この仕事全体の総責任者は私だ。だから私がお客さんに、責任と誠意をもって、ひたすら謝る。

虫たちは一晩中鳴く

 夜中に何回か目が覚める。
 そのたびに虫の音が聞こえる。
 一晩中鳴いているのだな。

 虫たちは声をからして鳴いている。
 俺は眠っている。
 せいいっぱい羽をふるわせて鳴いている。
 俺はときどき目を覚まして、それを聞く。

 だけど太陽が顔を出す頃には聞こえなくなるのだ。
 夜を鳴き明かして、さすがに疲れて眠るのだろうな。
 そうして眠っていた俺は、完全に目を覚ます。

オバマと原爆ドーム

 国連での鳩山首相の核廃絶の演説を聞いているオバマ大統領のしんみょうな顔つきをテレビで観ていたら、今年オバマは広島にやってくるぞ、長崎にも来るぞ、と思った。

 鳩山首相は浮世離れしている人だと見えるが、オバマももしかしたらいろいろな浮世のしがらみに苦しんできた人で、いい意味で現実感覚からジャンプできているのかもしれない。
 原爆ドームの前で目を閉じて、ちいさく祈りをささげるかもしれない。

 そうしたらオバマは世界のヒーローになるだろう。
 そのくらいの演出はできる人間だろう。

ひさしぶりにバイクのことを思う

 この九月の連休は、どうしてなのかバイクが走っているのをよく見た。
 それをクルマを運転しながら見ていたら、急にバイクに乗りたくなった。
 興味が薄れて十年くらい。そのきっかけはホームヘルパー2級の資格を取りに新潟市にバイクで通ったことだ。
 毎日仕事がらみのためにバイクで通うのは、いつもの非日常性を追求するための行為とは逆で、バイクに乗ることが世俗的な目的の手段になり下がっていくのを感じながら、ハンドルを握っていたのを憶えている。
 それがあって、バイクのあの体が引っ張られるような急加速を感じても、その感覚が、普段の日常の垢みたいなものに、ステンレスにこびりついている水垢みたいなものに、まみれてしまって、かがやかなくなったように感じたのだった。
 年を取って、バイクを操るための反射神経が鈍くなったり、筋肉がおとろえて、大型バイクをささえることが怖くなったりしたのもあるだろう。

 それがこの間、中古バイクの販売サイトを眺めてみた。
 懐かしいバイクたちの写真を見たら、少しだけ乗りたくなった。
 今はバイクを維持する経済的な余裕はないが、どれがいいかなとかの妄想みたいなものが頭をよぎった。
 もう1000ccクラスは重くて乗れないだろうな。ナナハンもまだ重いだろうし、400でさえ重く感じるだろう。250くらいが丁度いいかもしれない。軽くて瞬発力がある2ストがいいな。ヤマハには乗ったことがないから、R1-Zなんかはいいなあ、と少しだけ頭の中で、しばらくの非日常を楽しんだ。

 だが私がバイクに乗らない一番の理由は、普段生きている中で生まれる、世の中に対してや自分に対しての批評精神や、精神的な飢餓感みたいなものが、そういう足りないものに新しい何かを造ってそれで埋めようとする精神が、バイクに乗ることで無条件で楽しくて、あっという間に空気中に蒸発してしまって、満足してしまって、世の中にない何かを創りだそうという気概みたいなものがなくなってしまうことが怖いのだ。
 バイクで楽しむことは、何かをあきらめることになるのじゃないかと恐れているのだ。

 だけれど、今度オートバイ屋に行って、バイクにさわってこようかと思っている。
 そのときどういう気持ちになるのかという自分自身に興味はある。

ダムを造る造らないは日本中で決めることだ

 国土交通大臣が八ッ場ダムを造るのをやめるために現地に視察に行ったというが、前原は頭が悪すぎる。
 テレビでちらっと観たが、大型バスに乗ってニヤケた顔で手を振っていたのが映っていた。

 教えてやる。そういうときは、一人で行け。
 そして孤独に腰を低くして頭を下げながら挨拶してまわれば、また違った印象を与えることもできただろうに。
 SPが付くのはしょうがないが、意味のない役人だの関係者だのを引き連れて、大名行列みたいに繰り込むのは偉そうに見えて反感を買うだけなのに。

 のんきに大勢に守られているのは弱っちく卑怯に見えるし、こいつには覚悟がないなと思われてしまうんだよ。
 たった一人で切り込んでくる人間には凄みと責任感を感じるんだよ。
 そういう演出も出来ないのならば、政治家として無能だ。
 そういうところに気を遣えない無神経さの頭の悪さは、やっぱり前原も政治屋でしかないのだなあ。

 しかし現地の人間も人間だ。
 住民の代表といって、建設中止反対と言ってテレビに映っているが、それはもしかして土建屋じゃないのか? ダム建設で飯を食っているからじゃないのか?
 それと、建設のために住居を移した人間も建設中止を批判していたが、世の中の色々なことは時代時代で変わるに決まっているじゃないか。未来永劫同じ方針で行くわけがないだろうに。
 ならばお前は子供の頃から同じ考えで生きてきたか?

 それに建設費用は税金だぜ。
 造る造らない、やめるか続けるかは、全国民で決めることだ。
 そんなに造りたかったら、自分の財布から出せ。

 しかし八ッ場と書いてやんばと読むのは面白くて、何のいわれか知りたいものだ。

Yahooは駄目な検索エンジンになってしまった

 ヤフーの、この九月中旬に検索順位を変えたのは、駄目なやりかただった。
 何が駄目だといって、昭美堂の順位が下がったのだ。
 それはたまにはしょうがないのだが、本当に駄目なのは、工事中のホームページが上位に来たり、何年も更新されてなくて情報が古く信用できないホームページが上位に来たり、一年も前に削除されていて、この世に存在しないアドレスが上位に来たり、業界だけの作為的な業者紹介の、そしてそれは紹介料や掲載料金をピンハネする目的で作ったサイトが上位に来たり、そういうふうに検索の精度が使い物にならなくなっている。

 それにヤフーは一年くらい前から、広告スポンサーのサイトを画面の上に載せていて、そのサイトたちがあたかも検索順位が上位であるかのように表示している。そういう見せかけでユーザーをだますようなことをしているのも駄目だ。
 検索エンジンとしての本来の仕事を怠けて、姑息で安易なやり方で儲けようとしている。こういうことをしていると、検索エンジンを使うユーザーたちから見放されるだろう。
 誰も見にこないサイトになってしまえば、そもそも広告を出そうとする人間もいなくなるのに。
 頭の悪い人間しか見ないサイトへは、高額商品の広告を出す会社はなくなるだろうに。

 一ヶ月前にちょっとヤフーを誉めたのだが、誉めたらこれだ。
 それを取り消す。
 仕事は結果がすべてだからな。

 また俺が使う検索はグーグルだけになってしまう。それは選択肢が狭まるのだから良くないのだが、駄目なものは使いたくないからしょうがないのだ。

安くて美味い弁当を食べて思う

 姥ヶ山のムサシに、ときどき仕事の材料や道具を買いにいくのだが、何ヶ月前からか、食品売り場で250円の弁当を売っている。
 それが不味くないのだ。うまいのだ。
 おかずは、鯖や鮭の焼いたのや、サンマの竜田揚げとか、肉は鶏の唐揚げとか、麻婆豆腐や酢豚もある。それに何種類かの漬物と煮豆と簡単な少量のマカロニサラダが付いていて、ご飯は茶碗に盛ってみたら大盛り一膳の量だ。
 これで250円は安い。
 だが、住宅街でないせいか、安くて美味い弁当があると知られてないせいか、午後三時を過ぎて行っても楽に買える。

 この弁当を一つ買って、もう一品何かを買うか作るかして、それに焼酎があれば夕食になってしまうのだから、安くて手軽でよい。
 こういう弁当をもっと大量生産してコストを下げて、それを炊事できなくなった人に配達するのは、悪いことではないと思ったのだった。

空気に季節の匂いがする

 何日か前から稲刈りのシーズンだ。
 弁天線にいると稲の香りがプンとする。
 駅に近づくとしなくなるのだ。そして街に入ってしまうと、稲だとか農業だとかは忘れてしまう。

 秋に稲の匂いがするのは悪くない。
 春には土の匂いがするのも良いものだ。
 それは都会にくらべて生活するのに不便でも、不便なことを差し引いても、悪くない。

蚊と蛍、すみわけ

 庭に草木があるお宅で窓掃除をしていると、夕方に蚊が入ってくる。
 サッシの溝の汚れを取っていると、顔のまわりに蚊が飛んでいる音が聞こえる。ほっぺたがチクッとさされるのがわかる。
 またチクッとさされる。そうしてまた続けてチクリとくる。
 ほっぺたの何ヶ所かがふくれてくるのがわかる。
 痛がゆいのだが、さすったりかいたりするのは時間がもったいないし、手も汚れているから顔にさわりたくない。
 しばらくすると、すねとふくらはぎにも蚊が食いついているのがわかる。かゆいし、そこがいくらか膨らんでいるのもわかる。短パンだからだろう。
 手や腕は動かしているからなのか、刺されない。かゆいのはひざから下だ。

 子供の頃に暗くなると家の庭で蛍を見たが、蛍は夏の虫だろうに、そのときは蚊に刺された憶えはないのだ。
 蛍と蚊は、別々に住んでいるのだろうか。
 それとも出る時間帯が違うのだろう。

のりピーは健康保険を使ってはならない

 酒井法子が留置場から保釈されて、入院したらしいが、その費用はまさか国民健康保険から出さないだろうな。まさかとは思うが。
 好きでやって体を壊したのだから、その後始末で体や精神を治すのだから、全額自費でやれよ。税金や公金を使うなよ。
 金がないというのなら、国家から貸すのはやぶさかではないが、健康保険から一円でも出すのは駄目だぜ。それは泥棒だからな。借りて、後から返せよ。

 死刑にしろと言いたいが、俺が言うだけじゃ死刑にはならないのだから、貴重な医療資源を使って入院することは許してやる。だから治せ。
 次やったら死刑だぜ。
 屑どもに刑務所でのうのうと飯を食わしておくために俺は税金を払っているわけじゃないぜ。

かぼちゃの旬で美味し

 この頃はかぼちゃをよく食べている。八月の暑い時期から食べだした。
 夏に家に帰ったとき父親からかぼちゃの旬は今頃なのだと聞いたのだが、かぼちゃは秋の食べ物だと思っていたし、現にハロウィーンは十月末だし、ああいうホクホクした野菜は秋に採れると思っていたのがググッてみると、六月から九月が旬と書いてあった。
 かぼちゃは夏の野菜なのだと初めて知ったのだ。

 料理などといえないくらい簡単に、ざく切りにして醤油味で煮て、食べる。
 素朴な味でうまいのである。
 夏場は三日は持たないようだ。
 だから四分の一を買って、二日で食べきるようにしている。

 いつもつい煮すぎてしまって歯ごたえがなくなるから、こんどは固くてもいいと思って、火から早く上げるつもりだ。

女大臣いない。良し!

 大臣に女が二人しかいなかったから鳩山総理は考えの落ち着いた人なのだと思った。
 一人は社民党の党首だから入れないわけにはいかないし、もう一人はどういう人だか知らないが、民主党からのオンナ大臣は一人だけだ。いいことだ。
 軽薄なウケをねらわないようだったのも、いいことだ。

 しかし小沢一郎はまた不機嫌な顔でテレビに映されていたが、あれは意識したツンデレというものなのか、ワガママで無神経なのか、それはどっちもなのだろうな。
 権力の二重構造だとテレビで騒いでいるが、二重構造で何が悪いのか。
 過半数を取った功労者は小沢一郎なのだから、しょうがないじゃないか。誰も出来ないことをやったのだから、誰も文句言えないじゃないか。生意気ダガシだって今のところ、文句言えない。

涼しくなったからお湯に入る

 九月は台風が来る月なのに今年は来ない。
 そのかわり毎日朝方に小雨が降る。
 起きて窓を開けると地面のコンクリが黒くなっていて、ああ、今日も降ったんだなとわかる。

 短パンももうすぐはかなくなる。
 長袖を出しておこう。
 今夜はシャワーをやめて、久しぶりに風呂に入った。
 あったまったからパンツ一丁で書いている。

自分の席は自分で奪い取るのがスジミチ

 自民党の落選した若手の議員が、比例で受かった年寄りの議員は自分たち若いものに席を譲るべきで、自分の方から比例席順を下げるべきだったという意味のことを言っていた。
 何という甘えた根性だ。
 席が欲しかったら自分で勝ち取れよ。
 誰かが譲ってくれるなどということは、この世ではありえないのに。
 自分で闘って奪い取ることでしか、自分の居場所は得られないのに。
 そういう怠け根性というかタカリ根性というか乞食根性が気持ち悪い。

 そう言った落ちた議員は、たしか二世だ。
 世襲で、甘えた根性で、スジミチ知らずで、そういうところは自民党の年寄り議員と同じ体質じゃないか。

 自分の居場所を得る手段は、その場所で闘って奪い取るか、その場所を出て、新しい場所を苦労して自分で創りあげるかの二つしかないのだから。
 どっちもしようとしないで、ただ、たなボタみたいにもらえるのを待っているのは怠けているのだ。

 それと世間では、二大政党制になるためには自民党がしっかりしなければいけないと言っているが、別に二大政党制にするのに自民党という政党でなければならないというわけではない。
 民主党と逆の、小さな政府を目指す主義の政党であればいいのだから。
 そして今、小さな政府を目指す主義の人間は、自民党議員には居ない。
 バラマキをすればいいと思っている人間ばかりだし、その前に、主義主張というものを持っている人間は自民党にはいないからだ。

 民主党のバラマキにはうんざりするが、新しいことをやろうとする根性と、闘って自分の席を勝ち取った根性には、拍手を送るつもりだ。

タバコのオマケ

 いつ頃だったか十年ちょっと前ぐらいだったか、タバコにも賞味期限が書かれるようになった。
 まだタバコを吸っているときのことだが、ときどき買う自動販売機で一箱買うと、それが賞味期限切れだった。
 店の年とったおばちゃんに替えてくれと言ったら、ヘンな顔をした。
 それまでタバコに賞味期限などなかったし、それまで誰もそんなことを言わなかったのだろう。
 結局しぶしぶ取り替えてくれたのだが、今から思うと自動販売機なら期限切れのを入れておいても、誰も何も言わずに買っていくだろうと、あえて入れていたとしたら、いい気持ちはしない。

 今、タバコを吸う人が少なくなっているのだから、世の中には賞味期限切れのタバコは沢山あるだろう。
 その使い道を思いついたのだが、コンビニで一本づつバラでトレイに盛っておいて、缶コーヒーを買ってくれた人とかでタバコを吸う人に、オマケで持っていってもらうとかはどうだろう。
 あるいはスーパーの試食みたいに、いくつかの種類のタバコを試し吸いしてもらうように置いておくとか。

 ただ捨てるよりは商売に役立つのではと思うのだが。だがタバコを吸わなくなって、タバコの煙が大嫌いになっているのに、ちょっとでも煙のにおいがすると腹が立つのに、こんな事を思いつくのは不思議なのだが。

昔だれかがいて、これから先もだれかがいるくりかえす

 何十年かすると俺はいなくなる。
 何十万年か何百万年かすると地球は太陽に吸い込まれて燃えつきる。
 人間というものもこの世にいなくなる。

 宇宙には、何千年か何億年か前には地球みたいな星もあったろう。
 人間みたいな生物体もいただろう。
 いや今も宇宙のどこかに生き物がいる星もあるだろう。

 そしてビッグバンの前にも、ビッグバンの前にあった宇宙はあったろう。
 その中でどこかに地球のような星はあって、そこで生物体はいただろう。

 その生物体は今は星ごとなくなっている。
 でも。そういう生きて考えていた存在がいただろうということは思いえがくことができる。
 今いなくなっている生物体もまた、今俺が考えているようなことは昔に考えていただろう。

 この宇宙が爆発するか収縮するかしてなくなった後は、また新しい宇宙が生まれるだろう。
 その新しい宇宙の中でまた生物体が生まれるだろう。
 その生物体もまた俺みたいに、おおむかしはどこかに生き物がいて、自分みたいに自分がいることを想像していたと思いえがくだろう。
 これからはるか先も誰かがこういうことを想像するだろう。
 そしてそれはくりかえすだろう。

マヨネーズものぐさ

 俺がマヨネーズを馬鹿にしているのは伊丹十三に影響されている。
 昔読んだ伊丹十三のエッセイに、マヨネーズを使う女房はいけないと書いてあったのだ。
 ドレッシングは自分で作らなければならないと。

 他にも、スポーツカーに乗るのならば、ゆっくり鷹揚に走らなければいけないとか、酒に酔わずに丸二日間飲み続け、その間ほろ酔いかげんでつまみを作りながら客をもてなすのがカッコヨイのだとか、伊丹十三のエッセイでの主張は沢山いろいろあるのだ。

 そういえば岸田秀は、伊丹十三を読んで知ったのだった。
 伊丹十三は自殺したけれど、俺は自分で死ぬほどの才はなさそうなのだが、それが良いのか悪いのか分からない。

 このごろマヨネーズをよく買うのだ。
 ものぐさになっているのだろう。いや、もともとものぐさなのさ。
 でもマヨネーズを買うたびに、伊丹十三に怒られるみたいな罪悪感を覚えるのだ。

ケーブルテレビを観て自分の好きなものを作るという楽しさ思い描いたのを忘れないように書こと

 アパートにケーブルテレビが入って放送大学のチェンネルが映るようになってときどき観るのだが、まるでおもしろくない。
 二十年くらい前に長野県に転勤で住んでいたときに、あそこはそのころからケーブルテレビがあって、たしか9チャンネルといっていたが、やっぱり放送大学も映って、よく観ていたのだ。
 その頃の放送大学はもっと硬い雰囲気で、哲学とか経済学とか文学とか、生活するのに役に立たないものが多くて、それが気分転換になっていた。
 今の放送大学は、映像が多くて、喋り方も何だか視聴者に媚びているようだ。それが気持ち悪くて観るのにツカレルのだ。
 他にはテレビショッピングのチャンネルが二つあるが、売ろうとする気概を感じられなくて観たくない。
 そしてケーブルテレビの独自製作のチャンネルは、田舎テレビ局の無神経な田舎アナウンサーばかりが、楽屋受けばかりの演出でやっていて、これも観られたものじゃない。

 そういえばケーブルテレビの会社の「NCV」という会社も、駄目な会社だ。
 インターネットをするのが安いと広告しているが、本当は安くもない。嘘をついている。

 アパートに工事に来たときの作業員の目つきは、例によってチンピラの目つきで、作業員どうしの話は無神経な大声で、挨拶などなしで、ドカドカ音を立ててアパート内を歩き回って、俺の部屋に入るときは外廊下からズックを脱いで、その汚い靴下のまま入り込んでくるのだった。
 そして事前に俺が問い合わせをしたときの、責任感のない応対と、新潟市民特有の嘘をつく応対、その人間性に我慢できずに、また怒鳴ってしまった。
 どれもこれも、なってない人間がやっている会社だった。

 そういえば地デジになることで、地デジを映させるために、ケーブルテレビにする工事に税金が出ているらしいじゃないか。
 税金や公金から売り上げを上げている人間は、結局こうなってしまうんだぜ。恥を知れよ。
 NCVは山形に本社があるらしいが、山形の本社に問い合わせても、やっぱり同じく駄目な嘘吐き対応だった。

 ふと思ったのだが、俺が番組を作ったら、自分で言うのも何だがおもしろいのが出来ると思った。
 そしてその俺がおもしろいと思うものを追求したら何かが生まれるのじゃないかと思って、そのおもしろいものを作るということ自体を、その瞬間の楽しさを感じたことを忘れないように、今日は書いたのだった。

マイクロソフトはアメリカ製だと分かること

 毎日のようにWindows.XPのアップデートがある。手間がかかるからいっぺんにやってほしい。
 小出しにするのは訳があるのだろう。
 マイクロソフトは、WindowsというOSを使っているということを忘れさせないために、そしてウィンドウズというOSを飽きさせないために、アップデートをしているのだろう。クルマのマイナーチェンジと同じ手法だろう。
 もうXPのバックアップは終わっているらしいから、さっさとアップデートも一回で終わらせてほしい。

 こないだサービスパック2にアップデートされたら、それまで「まる」と打つと大きな黒い丸が出たのが小さい丸になった。米印もキレイに出ていたのが、SP2になったとたん※は歪んで画面に出るようになった。SP3になっても同じように歪んでいる。ホームページを書き直さなければならない(これはブラウザがアップデートされたからかもしれない)。

 Windowsのアップデートというのは、あってもなくてもいいような不要なものを盛り込んで、新しげに見せかけているのだろう。
 要らないものが貼りついて、動きが鈍くなっているのだ。
 アメリカのクルマみたいだ。

麦焼酎は良い香り

 お得意さんから焼酎をもらった。
 前に、焼酎を飲んでいると言ったことがあって、それを憶えていてくれて、九州の旅行のおみやげにもらったのだ。

 高級な箱入りで、その箱のふたをあけただけで、いつも飲んでいる安焼酎のアルコールだけのにおいではない、本物の焼酎の香りがただよってきたのには驚いた。
 いい酒を飲むのだからと、思い立ってスーパーに行って、まぐろの刺身とかつおのたたきを買ってきて、飲んだ。

 いつもならレモンジュースと酢水で割るのだが、高い焼酎だからジュース割りにしたら味が分からなくなるだろうと、グラスについだのをそのまま口に含んだ。いきなり舌の先から頭に刺激がきた。あまりの酒の強さに目が一瞬さえたような気がしたほどだった。

 これはこのまま飲めないと思い、水で割った。普段と同じぐらいの割合いで割っても強かった。
 ラベルをよく見たら40度と書いてあった。
 このまま飲みつづけたら胃に穴があくかもしれないと思って、あわててさらに水を足した。

 麦焼酎というのをはじめて飲んだのだが、昔聞いたほどの臭さではなくて、いい匂いの酒だ。
 バーボンだってビールだって、はじめて飲むときは何だかくさいと思うものだし、麦焼酎はそれほどの臭みはなかった。料理と一緒に食べ、飲みするにはちょうどいい香りだと思った。
 ストレートや少ない水で割る飲み方よりも、水五倍くらいの割り方のほうが麦の良い香りが分かるように思う。
 塩をつけただけのキュウリも一緒に食べたのだが、こういうさっぱりしたつまみも合うものだ。

 40度の焼酎は普段飲んでいるものの倍の度数で、強すぎて沢山飲めないから、このビンは長持ちしそうだ。

頑張れと国民が言う権利

 俺は昔から頑張れと言われるのが嫌いだった。
 こんなに頑張っているのに、まだ俺の頑張りは足りないのかと思ってしまうのだ。

 だから俺は人にも頑張れとは言わないようにしているが、何かのひょうしに頑張ってくださいと言ってしまうことはある。
 言ってしまってシマッタ、ワルカッタ、と思うのだ。

 鳩山代表が街なかで人々から「頑張ってください」と声をかけられているニュースを観た。
 美容室から出てきたところで。居酒屋で飲んでいるところで、街を歩いているところで。

 ふと思ったのだが、仕事を依頼している立場は、「頑張れ」と言う権利があるのだと思った。
 金を出して仕事を依頼しているのだから、結果を出させる権利がある。
 仕事の結果を出させるためには、頑張れと言うことも、支払う料金の一部なのだ。

 国民は税金という料金を支払っているのだから、日本の行政の一番の責任者である総理大臣には、頑張れと言う権利は国民だったら持っているだろう。
 だから総理大臣に限らず、税金でメシを食っている人間は、いや職業人はすべて、依頼者からは「頑張れ」と言われるのを受け入れなければならないのである。

 俺も、頑張れと言われたくないなどといっていられないのだな、と覚悟したのだ、ハハ。

一万円札が諭吉のわけ

20090906192241
 図書館で偶然目にとまったから借りて読んだ
『福翁百話』。
 短く言うと福澤諭吉という人は、差別主義者で権威主義者でソクブツ的な人だと思った。底が浅いと思った。

 俺も人に負けないくらい差別主義の人間だが、権威主義者ではない。権威の臭いが少しでもすると辟易する。
 そして世俗的なしあわせってものをどこかで軽蔑している。
 同時に、自分が差別主義な人間だということを、浮世離れしていることを、これでいいのだろうかといつも恐れている。グズグズ悩んでいる。

 これを読んで、俺と福澤諭吉はまるで違うなあ、福澤諭吉は悩みがなくていいなあ、でも世間の人は人生ってのを福澤諭吉みたいに考えているんだろうなあ、と思った。
 福澤諭吉は、出世とか金が儲かるとかいうことに、生きる価値をおいていた人なんだなあと思った。
 だから一万札に載ってるんだろなあと思った。

 だけど百話のうち四つくらいは、とくに終わり頃の章は、なるほど福澤諭吉も偉いなあ、と俺にとってためになる話もあった。
 そしてこの厚い本は、9800円もするのだ。

何か急いでいる月

 今夜は低い位置に月があった。
 その月は赤かった。

 一時間たって窓を見た。
 ずいぶん上に動いていた。

 化粧したように色白になっている。
 すまして俺を見ているようだ。
 
 月が歩くのは太陽より早いんだな。
 いそいでいるんだろうか。

パンクロッカーにとっての格差と政治

 この何年か、小泉改革は駄目だった、悪いものだった、小泉のおかげで景気が悪くなった、格差が広がった、と世間で言いだしている。
 何を言ってるんだ。

 小泉改革のおかげで、あの頃の最悪の景気が何とか今の状態に持ちこたえているのだ。
 それを何も知らないお調子者の世の中の評論家ども、政治屋どもが、何か話を作ればそれが自分の儲け口になると思って、その場その場で調子いいことを言っているのだ。

 特に郵政民営化は素晴らしいことだった。
 民営化以前の郵便局の、あのやる気のない職員どもに俺は何度怒鳴りつけたことか。
 それが民営化したら、ちょっとはまともな対応をするようになった。
 国鉄だってJRになったから良くなったのだ。

 すべて完璧な改革などあるわけがないじゃないか。
 お前は出来てないじゃないかと他人に言うのだったら、てめえが出来てから言え。それがスジミチだ。
 郵便局の奴らが働くようになっただけでも、それをさせた小泉はたいしたもんだ。
 だってそれは素朴に気持ちがいいじゃないか。
 次は役場だ。図書館だ。シルバー人材センターの職員の奴らだ。
 要らない組織はつぶして、徹底的に人数を減らせ。仕事してる振りをして公金から給料をむさぼっている奴らの息の根を止めろ。

 パンクロッカーである俺は、無政府主義とまではいわないが、政府も地方行政も小さく小さくあるべきだと思っている。そして格差というものは、ある程度は世の中に必要だと思っている。
 世俗的な成功を目指したい人間は目指せばいいし、そういう幸せを目指さない人間もいる。
 どっちの幸せもあっていいと思うし、というかあるべきだし、単純な世俗的幸福が多いか少ないかを格差というのなら、そんな幸福は少なくてもいいと思っている人間にとって、格差はあるべきだと思っている、というかそんなのは格差でもなんでもないぜ、と思うのだ。

 それと世の中のほとんどの人間は、あいつと俺は同じくらい幸せであるべきだ、と何の根拠もなしに思っている。
 幸せの種類とか量などは一人一人違うものなのに、同じでなければならないと思い込んでいる。
 そして幸せというのは、カネの量だったり、名誉だったり、子孫や家族のあるなしだったり、健康だったり、長く生きることだったり、そういう世俗的なことだと思い込んでいる。
 そんなことは一人一人違うのが当たり前なのに。違うから面白いのに、楽しいのに。
 だから格差、格差と騒いでいる人間を見ると、アホかと思うのだ。

 だから俺は選挙では、比例は、行政の無駄遣いをなくすと言っている「みんなの党」に入れようと思っていた。
 いざ投票用紙に書こうと目の前の各政党の名前が書いてある紙を見たら、みんなの党がないのだった。新潟県のはいっているブロックには、みんなの党の立候補者がいなかったのだろうな。

 そのとき、何日か前にラジオで田中康夫が身軽な政府にしたいというようなことを言っていたのを思い出し、代わりに日本新党と書いた。
 だが日本新党には、郵政民営化に反対した元自民党議員もいたように思ったが、他に入れたい政党がなかったから仕方なく書いたのだった。

 大きめな政府を作ろうとしているように見える民主党は、税金の無駄遣いを、ちゃんとやめさせられるのか不安だが、そうなりそうになったら、また逆の風が吹くだろう。

テレビリモコンの内部クリーニング

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 地デジの関係で住んでるアパートに有線テレビが入って、チャンネル設定しなおさなければならないのだが、リモコンがこわれていて設定できなかった。

 もしかして中を掃除したら直るだろうかとふと思い、金ヘラでこじ開けた。
 何かわからない湿った茶色いホコリが中身のあちこちにたまっていた。
 それを中性洗剤をつけたブラシでこすり洗いした。

 ドライヤーで乾かして組み立てたら、まるで動かなかったチャンネル設定は、しぶしぶながらの感じだが設定できるようになった。

民主党とランチェスター

 ランチャスター戦略というものがある。俺も商売や俺自身の人生に取り入れている。というかランチェスターを知る前から、そういう生き方をしてきたと思っている。

 この選挙の民主党もランチェスターの弱者の戦略だったな。
 その戦略の大きいものは三つある。

 一つめは、地域を区切っても小さくしても、営業時間でも、業種でも、客層でも、自分が一番になれる場所を探す。
 そういう場所は大概ヘンピな場所であり、それは誰も営業してない時間であり、誰もやってない業種であり、誰もターゲットにしていない客であり、そういうところから始めることになる。
 そしてそこに戦力を一点集中させて勝負する。
 そこで一番を取ったら、別の場所でも小さく区切って一番を取る。それを繰り返す。

 二つめは、客とは直接触れ合う。代理店などは通さない。
 地べたを這いずり回ってゲリラ的に行動し、じかに客の手を握る。

 三つめは、徹底的に他社と差別化する。他人がやってないやり方を追求する。
 そして自分の商品を磨き抜く。知識と技術と人間そのものを深める。

 民主党もそうやっていたようだ。自分の商品と自分自身の人間を磨いたかどうかはわからないが、そうやって二番手から一番になった。
 小沢一郎は商売人だぜ。

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