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徒然のブログ

つれづれの思いなどを

十年たって生き返る

 ブログで書かなくともいいのだが、この十年間封印していたことを来年やる。
 やっと十年たった。というか、ああ、もう十年たったか。
 頭の中のナイフの刃は、にぶっているか、いないか。

 いったん死んで、それから生き返らねば、十年間の休みを清算できないだろう。
 うまく死ねるかは今のところわからない。うまく生き返るかもわからない。

 死ぬといってもあたりまえだが象徴的にだ。
 確実に死ぬためにも、今まで疑問に思っていながら惰性でやっていた人間関係を、こないだ殺した。

 こういうことは他人に聞かせるものではない。
 が自分の決意表明として自分のために書く。
 だからこのエントリーは何日か何ヶ月かしたら消す。

新潟市は女池でいけ

 市役所は古町を再開発しようと金を使っているが、無駄だ。
 田舎は車に乗って移動することで成り立つしかないのだ。
 なぜなら人口が少なくて、それも分散して住んでいるのだから、鉄道や地下鉄を造るのは効率が合わない。新潟市の隅々に線路を通すことなど出来るわけがないのだから。
 そして新潟市の田舎者の頭の悪い奴らが言っている新潟駅から一本だけ路面電車みたいなのを通しても、意味がないのだ。他の場所に住んでいる人間には役に立たないのだから。
 だから公共の交通は、いいとこ縦横無尽に走れる小さい路線バスぐらいしか成り立たないのだ。

 そしてモノを購買したがるという若いものは、通勤でも何でもマイカーを持つしかない。ということは橋を渡って、ごみごみした道をとおっていかなければならない古町には、気軽に行こうという気持ちは起きない。

 田舎は車社会なのだから、車で行きにくいところが寂れて、広い道路が交わって便利なところが流行るのは仕方ないのだ。
 そういう道が便利なところは新潟市でどこかというと、女池だ。

 女池インターの南側のあたりを商業地域にすればいい。
 今は田んぼが広がっているが、あそこは新新バイパスのインターがあるのだし、高速道路から降りてすぐのところだし、8号線の黒崎白根方面からの入り口だし、千歳大橋からは新潟島と西区から来ることができるし、南からは亀田新津方面から来られる。
 遠くは新発田市からもバイパスに乗ればすぐだ。
 たぶん十年ぐらいしたら、あそこあたりは大きな店がいくつも建っているだろう。

 新潟市の商業の顔は女池にして、古町西掘は、そこに住んでる年寄りが買い物する場所として残せばいい。だから意味のない税金は、古町には使うな。

魔の四十代

 俺が勤めていたいくつも掃除屋の社長たちは、四十代中頃から後半にかけて、階段から滑って落ちて足を折ったり、胃と腸の病気で口と肛門から血を出して入院したり、ガンになって長期入院したりと、そこから今までの作業がまともにできなくなったのを見てきている。
 そのことが元なのか他の理由なのか、そのどれもの会社の業績は下向きになっていった。

 その社長たちは、性格が新潟市民の典型で、底意地が悪く、傲慢で、平気で嘘をついて、自分さえ良ければいいと立ち回って、従業員は使い捨てるのがモットーで、頭も悪い人間ばっかりだった。
 だからそいつらは、そういう病気や怪我をしたのだろうと思っている。

 俺もそういう年頃になっている。そして俺はあいつらよりももっと傲慢で、生意気に生きている。
 だからなおさら気をつけて、作業前には柔軟体操をするし、誰かに作業を任せるときは偉ぶらないように気をつけるし、これ以上頭が悪くならないように、きちんと御飯を食べて夜はよく眠るようにしているのだ。四十になったときに肺をこわしてタバコを吸えなくなったのはラッキーだった。

 四十後半で大病や大怪我になった人は、俺の親戚にはいない。
 だから俺も大丈夫だとは思うのだが、慎重に生きるようにはしている。
 それでもしそうなったら、それはそれで、やるべきことをしてそうなったのだから仕方ない、と思うように覚悟はしているのだ。

Jリーグは欺瞞

 サッカーのアルビレックスが何億円も赤字になっているらしいが、やっぱりJリーグなどそれほどのものなのだ。
 なにごとも身の丈以上のことをしようとすれば、最後は泥棒をするしかないのだから。
 その泥棒とは、他人様の金や、手間や、時間を、かすめとることだ。

 アルビレックスも、新潟という田舎でJ1チームを維持しようなどという大それたことをやっているのだから赤字になるのは当たり前だ。
 観客が大勢入っていると自慢しているが、それなんてタダで来させているのばっかりじゃないか。姑息なんだよ。卑怯なんだよ。
 だが、税金を使っていないのだろうから、社会から泥棒してないから、勝手にやってくれと思うだけだ。
 これが公金を投入などということを言い出したら、怒るからな。あんなに無駄なサッカー場を作ったり、野球場を作ったりして、社会から泥棒してるんだから。

 J1チームなどというのは、日本では、10チームぐらいが限度なのだ。サッカーよりも人気がある野球さえも、プロは12チームしかないのだから。
 Jリーグというのは、新幹線や高速道路みたいに、俺のところにも寄こせといっている泥棒根性タカリ根性が出ているだけなのだ。

アナウンサーの発音が聞き取れない

 新潟のテレビのアナウンサーの発音が聞きづらい。
 とくにBSNだ。その次に駄目なのはNT21。田舎のテレビ局などはキー局に落ちた人間がやっとのことで入ったのだから、そういう落ちこぼれが、やる気なく日々をこなすように作業しているだけなのだから、期待する方が間違っているのだけれど、県内ニュースでも新潟県の天気予報でも、あまりにも聞き取れないから困るのだ。
 顔を見ればもう三十過ぎている顔で、お前いったい何年その商売やってきたんだと聞きたくなるのだ。

 そしてそれは、田舎のテレビ局だけではないのだ。
 東京キー局のアナウンサーでも、聞き取れないことはよくあるのだ。
 それは今の五十歳以下だと、駄目なのが急に増える。
 世代で何かの断裂があるのだろう。

 だが驚くことに、コマーシャルだと、よく聞き取れるのだ。
 たぶん、大金がかかっているから、そして直接クライアントから監視されているから、いいものを作らざるをえないのだろう。
 単に危機意識があって、仕事のやる気があるということなのだろう。放送局業界の人間には、それがないということなのだろう。金を出しているお客様から直接怒られることがないから、なまけているのだろう。

 発音のコツは、アイウエオを意識してはっきり発声することと、カ行とタ行とサ行は意識して力を込めて息を出すことなのだ。実はこれは私が歌を唄うときにやっていることだ。
 テレビ広告に出ているタレントたちは、それをやっているように見えるし聞こえる。自分の商売に必死なのだろう。
 それからNHKラジオのアナウンサーは、少しは聞き取りやすく喋っているようだ。

雪かき代行、そして便利屋の料金は高いもの

 こないだの大雪で、除雪作業の問い合わせは一件あった。新潟市のある店の車の出入りのための雪掘りでいくらかかるかというのだった。
 十万円くらいだと答えたが、その後電話はかかってこないから、高いと思われたのだろうか。
 だが先方からの話を聞くと、三人工は要ると思ったし、突然やれという仕事なのだから、人を手配することが一番の仕事だろうから、最低でもそのくらいの金額はかかる。

 だいたい便利屋系の料金とは、高いものであると私は思っている。突発的な依頼をこなすのだし、それもたいがい一回こっきりの単発の仕事なのだから。

 雪下ろしは、私は高所恐怖症だから、やらないことにしている。下請けに丸投げをするということは嫌いなのだが、自分に出来ない作業は、自分は儲けないで、信頼できる人に頼むことはしている。
 そして突発的な仕事は留守番電話だと受注できにくいのだが、それもしょうがないのだと思っている。

ジジイと言われて思うこと

 こないだお客さんのところに行くときに栗の木バイパスを走っていて、まだ雪が残っていて、車は渋滞していたのだった。私は三車線の真ん中を走っていて、馬越の信号で止まっていた。
 信号は青なのだが、信号の先の車は動かないから、私は交差点の中に入らないでいた。
 待っているうちに前の車が動き出して、私の車が入れるスペースが空いたから、そろそろと前に出た。
 そうしたら右車線から白い車が交差点の中で、前に進んでいる私の車の前にサッと車すれすれに割り込んできて、私が行こうとしたスペースにちゃっかり入った。私はその車にぶつからないように急ブレーキをかけて、交差点の中で止まったのだった。

 この出がけに、ある事で知らない人間から迷惑をかけられて、その相手が挨拶もなしに立ち去ってしまったことがあってイライラしていた私は、瞬間腹が立って、それでもう素早く昔の私になってしまって、クラクションをうるさく鳴らしたり、その車の後ろをギリギリに詰めて蛇行運転したり、ライトをハイビームにしてパッパッパッパとパッシングして脅しつけたりして、前の車を追いかけた。
 その車は私を避けるように前に急ごうとしたが、渋滞しているから私からは逃げ切れない。先の信号が赤になってその車は止まったから、私もその後ろにつけて、ドアを開けて出て、前の車に走っていって、ガラスをこぶしでどんどんと叩いて怒鳴りつけた(どう怒鳴ったかは、ブログでは書けない)。

 相手は三十歳ぐらいの新潟市によくいるタイプのチャラけた男だった。
 男はドアを開けて、俺にくってかかってきた。
 一分くらい怒鳴りあって、その男が言ったのは、
「うるせえ、ジジイ!」という言葉だった。
 私はそのセリフでハッと我に帰って、あ、俺はジジイだったのか、と思って、そして渋滞しているまわりの車の人間たちが面白そうに俺を見ているのだな、というところにも神経がいって、チャラチャラしていて、そして絶対に自分の行為を省みることをしない、自分に非があっても絶対に謝るということをしない、そういうイナカモノと闘うことの戦意を失ってしまったのだった。俺を見ている人間たちも、そういうイナカモノたちなんだな、そういうイナカモノに俺は囲まれて、生きているんだな、それは、善いとか悪いとかじゃなくて、もうどうしようもないことなんだな、と思ったのだった。

 そのあと自分の車に帰って、走りながら思ったのは、俺は若いつもりで生きているけれど、白髪は多いし、顔の皮膚はたるんでいるし、まわりからはもう、ジジイといわれる年恰好になっているのだろうな。いつまでも自分は若いと思い込んでいるのは、ある種の傲慢なのだろうかな、と思った。
 それを分からせてくれたアイツは、もしかしたら俺にとって菩薩なのかもしれないな、と思ったのだった。

 そのあとお客さんのところでの作業は、ちょっと不可抗力みたいなことが起こって手間取ったのだけれど、お客さんとは初めて会ったのだけれど、仕事振りではいつも通り少しは楽しんでもらえたと思った。

 気が短くて喧嘩っ早いのは、そして喧嘩では死んでも負けないと思っていた自分を、自分をジジイと認識してもそうであり続けられるのか、それをこれから日にちをかけて、そういう行動をたまにでもしながら、少し考察してみようと思っている。

冬至の夜のテールランプ

 日暮れてから小一時間たって、空港通りから栗の木バイパスに曲がって駅南に向っていたら、車の流れが動かないのだった。
 三車線のまっすぐな道だから、暗い中ではるか向こうまで、数え切れないほどのテールランプが、動かずに光っているのが見えるばかりだった。
 らちがあかないから、東跨線橋を通るか、もっと走って天神町の踏み切りを渡るかしようと思って、途中の信号で沼垂通りへ右折した。
 そうしたらすいすい走れたのだった。
 だが東跨線橋に向ってみたら、遠くに見える橋は、やっぱり赤いテールランプが向こうからこっちに規則的に並んで動かなかったから、対向車線がすいた瞬間にUターンして、東の踏切を目指した。
 こっちの道は車は少なくて、もっとすいすい走った。
 踏み切りを渡ろうとしたら警笛がカンカン鳴って、踏み切りの信号が赤く点滅したから、ひと電車を通りやって、駅南に出た。
 笹出線はたぶん混んでるだろうと思って、もっと南に走って紫鳥線を目指した。
 笹出線を超えるときに左右を見ると、案の定やっぱり赤いテールランプが動かずに並んでいて、はるか先にはもっと赤くみえるランプが、いくつかせわしなく回っているのが見えた。どこかで事故があったのだろう。
 紫鳥線から弁天線を通って、無事に帰った。
 アパートの近くの細い道には、枕を二つ重ねたくらいの大きな固まりの雪が、いくつもいくつも凍って道に貼り付いていて、それをタイヤで踏んで通ると、倒れそうなくらい車が大きく傾いた。

ステーキの焼き方

 今教育テレビの料理番組でビーフステーキの焼き方をやっていた。
 初めて知ったことが多かった。

 強火で短時間で焼く。
 ひっくり返すのは一回。
 表側を先に焼く。これは魚と同じだ。
 表側を焼くのは一分半くらいだった。
 ひっくり返して裏側は三十秒くらいだった。
 薄い肉だったからかもしれない。ロゼといっていて中身は生焼けのピンク色だった。
 皿に移したら、肉の中の旨みを閉じ込めるために、暖かいところで五分以上冷ます。肉汁を閉じ込めるためだそうだ。そうすると切ったときに肉汁が出てこないのだそうだ。
 そして肉を焼くときは、肉とフライパンの間には、いつも脂をいれておく。だからせっかちにガタガタとフライパンを動かさない。その理由は言わなかった。

 その後ポークソテーの焼き方もやっていた。
 焼いているときに肉のまわりの脂をスプーンで肉にかけながら焼いていた。意味があるのだそうだ。
 やっぱりビーフと同じで、ひっくり返すのは一回ですますそうだ。その理由は言わなかった。

 ステーキはもう何ヶ月も食べていない。
 牛と豚の肉は食べないようにしているから。
 こんど、翌日にお客さんのところに行かない夜に、焼いて食べてみようか。

上の人だから呼んでくれる坊

 私は子供の頃、ダガ坊と呼ばれていた。
 いまではそう呼んでくれる人も少なくなったが、たまに会う親戚の叔父さんや伯母さんや、いとこのお兄さんお姉さんは、もうすぐ五十にもなる私に、親しみを込めてダガ坊と呼んでくれるのだ。
 ダガちゃんと呼ばれることもある。そう呼ばれるのも好きなのだ。

 そして、ダガ坊、と呼ばれると、あの頃に帰ったような心もちになって、根拠もないのだけれど一瞬だけだけれど、甘い甘い万能の感覚にひたることができるのだ。
 私より目上の人がいなくなれば、私をダガ坊と呼んでくれる人はいなくなる。

道の番号のこと

 国道の番号の順番は、道の重要度の順番で付けたのだろう。
 東海道が一番というわけだ。
 新潟県は七号線と八号線がある。この七と八は、北の方を若い番号にしただけだろう。なぜなら東北の日本海側の道より、北陸から滋賀県への道の方が往来は多いだろうから。

 子供の頃に地図を見て疑問に思ったのは、日本列島を縦にのびる道は、とくに海岸線を走る道は、一桁の番号が付いていて、列島を横にきざむ道は十番代以上のが付けられている。新潟県と東京を結ぶ道は国道十七号線だ。私の思い出がいっぱい詰まった道。

 一桁代の番号が付いているということは、やっぱり日本を縦に走る道の方が重要なのだろう。遠くと遠くを結ぶから。

 日本の縦の道には長いトンネルはない。横をつなぐ道は高い山をくぐるからトンネルが多い。

大雪と地震で謙虚になるかも

 昨日十七日の雪は新潟市で十二月じゃ二十年ぶりくらいの大雪だったらしい。
 朝起きて障子を開けたら窓が全部白くて驚いたのだ。
 駐車場から車を出すのに、まず雪かきをして、道に出てものろのろとしか動かないから、お客さんのところに行くのに二時間遅れた。途中で何度も携帯電話で今走っている場所を言って謝った。道のあちこちで、救急車の音が響いていた。
 作業の終了時間は、途中の昼休憩を十分くらいで済ませて後は激しく動きっぱなしでやって、予定より一時間遅れで終わった。帰ってからシャワーを浴びて腰と肩と腕にサロンパスの類をたっぷり貼った。

 新潟市の道には消雪パイプがないし、明け方の除雪車も少ないから、大雪になると車道に雪が積もって、その雪が凍って、車での身動きが取れなくなる。
 だがこれほどの量の雪は十年単位でしかないのだから、そういう設備を作るのは無駄だろう。だからこれでいいのだししょうがないと思うしかないだろう。

 車がない頃までの世の中は、雪の季節になれば冬ごもりという言葉があるくらいだから、庶民は雪が降れば出歩かないようにしたろうし、歩く速度と歩いて行ける範囲でしか生活しなかっただろう。
 今は、車が走る速度と、車で行ける範囲でなければ、いやそれ以上を求めて経済活動をしている。そうしなければ暮らしが出来ない。ほとんどの仕事が、速く遠くに移動することで、仕事になっているのだから。

 今日も昨日と同じくらいは降ったが、昨日ほど道は混まなかった。雪に慣れたのだろう。
 明日も雪が続くらしい。
 そういえば伊豆地方に震度五とか四の大きな地震が続いているとテレビで言っている。
 この冬は、自然に対して少し神妙にすごそうかと思う。

からだのきれいなところの順番

 人間の体の中で一番キレイにしておきたい場所は、目だろう。
 目を拭くときはキレイな布で拭くし、一枚しかティッシュがなくて顔を拭くときは、まず目から拭く。これは本能的なものだろう。

 顔の中では、目を拭いたら次は、口のまわりかな。
 それから頬っぺたとかひたいとか。
 それから鼻の脂をぬぐって、それから最後に鼻の中をほじくる。
 顔の中の汚れの汚さの順番は、こういうことになっている。

 体じゅうの汚れをぬぐう順番は、もっとある。
 最後の方をいうと、腋の下、それから男ならおちんちん、それから足の指の間、それからお尻の穴。
 これが人間が思う自分の体のキレイさ汚さの順位だ。少なくともダガシの思う順番だ。

 といって、それらはみんな自分の体の中から出る分泌物のことなのだ。本当はキレイもキタナイもないのだ。
 俺は自分の便器の中になら、素手を突っ込んでペーパーでぬぐう。だって自分の出したものが付着しているだけだから。

新潟高校の生徒を引っぱたくことはないだろうと安心している

 新潟高校は県高というらしいが、新潟市以外で生まれ育ったダガシは、中学のときにその呼び名を聞いたときは、新潟県を代表している高等学校なんだろうなと思って、すごい人々が通学している学校なのだろうと思った。
 だが県高はケンコウだと思っていたが、ケンタカだそうだな。

 その呼び名の理由は何のことはない、昔新潟市立の新潟高校というのがあって(それは今の南高校だと聞いたが)、その高校と区別するために、新潟市にある県立の新潟高校ということを強調するためだけに、ケンリツニイガタコウコウというのを略して、さらに工業高校とも区別するために、工はコウだから、ケンコウというと工業高校なのか普通高校なのか分からないから、普通高校の高をタカと言って、ケンタカと言ったらしいじゃないか。
 だから別に新潟県の高校を代表していて、県高といっているわけじゃないんだな。

 ただ、仕事で新潟高校のあたりをたまに通るのだが、そこの生徒たちは、歩いていても自転車に乗っていても、たいがい一列に走っているし、そうでなくてもむやみに広がって歩いていないし、大勢でかたまってゲタゲタと下品に大声でふざけていない。彼ら彼女らは、人様に迷惑をかけないようにしているように見える。
 顔つきも卑屈じゃなくて、すがすがしい感じがする。何だか信用できる顔つきに見えるのだ。

 俺は学歴というものを信用していないし、くやしいのだが、新潟高校の生徒たちの歩き方や自転車の乗り方や顔つきを見ていると、やっぱり学校の勉強ができる人間は、人間としても優秀な人間が多いのかなと思うのだ。
 だがそれは、本当は表面的なことだろう。学校の勉強が出来た人間たちがやっていることで今の世の中の困ったことが沢山あるのだから。

 でもだが、学校の勉強さえ出来なかった人間が、世の中のためになる考えを持って、自分を捨てて行動することは、ほとんどないだろう。
 だがたぶん、学校の勉強が出来る出来ないは、世の中のために行動することとは、やっぱり関係ないだろう。その根拠はないが、なぜかそう思いたいのだ。

 しかし新潟高校の生徒たちの道の歩き方や自転車の乗り方や顔つきは、俺にとっては好ましいのだ。
 少なくとも学校町のあたりの道を通るとき、俺は彼らと喧嘩することはないだろうし、彼らを引っぱたいて逮捕されるということはないだろうと、安心しているのだ、ハハ。

ときどき高い場所や速い動きのことを思い出す

 もう十年くらいも前の、妙高山の頂上から下を見たときの海岸線の眺めをときどき思い出すのだ。
 海から何十キロも離れている場所から、そしてあんな高い場所から、海が、海と地面の境い目が、ひろびろと見られるとは思わなかったのだ。
 あれは方角からいうと直江津ではないだろう。柿崎あたりか、それとも鵜の浜海岸かな。

 海に近い米山からも、名前に海がついている八海山からも、海は見えない。
 そういえば八海山の八峰に登るのは危なかった。高所恐怖症だから、もうこの年では登る気になれない。

 中越から南東方面にはもう何年も出ない生活を送っているが、ときどき思い出したように、鳥海山の頂上のことや、富士山の五合目のことやらの高い場所に行ったときのことをふいと思いだす。
 バイクで危ない乗り方をしている瞬間のことも、トイレに入っているときなんかに、ふいに思いだす。

ブログも10000人に一人

 世の中のブログは99.99パーセントは読むにたえないのだが、その中でもアメーバブログと、ヤフーブログと、楽天ブログで書いているのはどうしようもない。
 ヤプログというのはそれ以上に考えなしの人間が加入して集まっている。

 ブログ会社で、そのエントリーの毛色が違うのだ。
 fc2とSeesaaは、少しだけだが客観的な人間が少しいる。

 プロフィールの欄の、名前は知らないが自分に似せているらしい顔の、ああ思い出したアバターというやつを使うブログ会社が、アメブロやヤフーや楽天なのだが、そのアバターってのも馬鹿馬鹿しい。
 たぶんそういう、中身以外のもので誤魔化そうとしているものが、読むと腹が立つのだろう。そしてそういうアバターみたいなのは、日本以外ではやっていないだろう。欧米は基本的に実名主義だろうから。

 このfc2も、訪問者リストなどという差し出がましいセールスがましい自分のブログを読め読めという機能があるが、俺は絶対それをクリックしない。
 ブログを始めた頃は開いて読んでみたのだが、人生のスジミチを考えたこともない、考えようともしない人間が書いているブログばかりで驚いたから、それからはクリックしないのだ。
 そのへんのブログを読んでも時間の無駄だし、それよりも読んでしまったら、馬鹿馬鹿しくて無神経で自分勝手なのを見てしまって、腹が立つから。

 定期的に読んでいる数少ないブログ以外は、読めるブログを見つけられるのは、半年に一つあるかないかぐらいだ。
 だが俺は、人間とは一万人に一人ぐらいが、やっときちんと話すことができる人なのだと思っているから、ブログもそのぐらいの割合いなのだと思っている。

ぶり大根はアラよし

 寒くなってからぶり大根をよくつくって食べる。
 とても簡単だし。

 手間がかかるのは煮る前にぶりの下ごしらえだけだから。
 私がやっている方法は、まず、ぶりに塩をふっておいて十五分くらい置いておく。
 そのあいだに大根を一口大に切ったのを米をといだ汁で十五分くらい煮る。
 頃のよいところで、ぶりに水道の水をかけながら、指でこすり洗いして、塩でさそわれて出てきた魚の生臭さを洗い流す。
 それから大根を煮ていた熱い汁をぶりにかけて、さらに臭みを取る。

 その鍋に何回か水を入れ替えて米糠を取るために大根を洗い、その水でさらにぶりを洗う。
 きれいに白く煮えた大根が入っている鍋に、新しい水と醤油とみりんと酒を入れて溶かしながら火にかけ、しょうがのスライスを放り込んで、煮立ったら大根の上に霜降りにしたぶりを並べる。
 十五分くらい煮る。

 そうしたら火を止め、ぶりにも大根にも味を染みこませるために、そのまま三十分、できれば半日おいておく。
 食べる直前にガスにかけてあたためてから皿に盛ると、おいしいぶり大根だ。

 ニンジンと一緒に煮ても、たまねぎのスライスをそえてもうまい。
 ぶりは、しっかりした切り身より、アラの方が味が良いのは、何故なのかは分からないのだ。

人間関係とはキレイゴトではないことを教えてくれる書物

 また古事記の現代語訳を読んだ。

 人間関係とは、性欲と腕力と計略と約束と裏切りで成り立っていることを素朴に教えてくれる。
 善悪などという時代によって変わる価値観を置き去りにして、人間の単純に深いところを見せてくれる。

 ときどき、古事記を読む。

半年に一回の買い物

 ちょうど暮れと盆にトイレットペーパーがなくなる。
 一人で暮らして半年で12ロール使う。

 醤油も半年に500ml。

 レンジまわりも半年に一回の掃除する。

 それから半年に一回は車のオイル交換。

 酢と胡麻だけは、一ヶ月に何べんも、よく買う。

チャラチャラしたお掃除教室など俺には向いていないし、土地建物関係の人間と会うのも向いてない

 先月十一月、全国のいろんな掃除屋がお掃除教室みたいなのをやっているのを知って、そういうのは嫌いだったのだが、どういうマのわけか俺もやってみようと思って、掃除は家に関することだから、それならばハウスメーカーのモデルハウスでやったらどうかと思って、タイアップというか場所を貸してくれというような話をしに、近くのモデルハウスが集まって建っているところに行った。

 昼時だった。閑散としていた。
 駐車場に建築会社の車が何台か停めてあって、その中には昼寝中なのか、土建屋や大工のいつのもパターンで、シートを寝かせて、ハンドルの上やダッシュボードの上に、汚い靴下の足を投げ出して、携帯電話をいじっているか、漫画本を読んでいるか、眠っているかのダラケタ格好の人間たちがいた。
 モデルハウスの中には、ここもやっぱりまるっきり緊張感のない雰囲気でタバコをすっていたり、馬鹿げた顔つきで無駄話をしながらはしゃいでいたりする人間たちがいた。
 俺はこういう奴らとかかわりたくないと思ったから、別の場所に行った。

 タマホームというのが最近テレビでよく宣伝しているから、赤道のそこに行ってみた。
 そこにはもっと馬鹿ヅラの男と女の社員がいた。
 その者どもは、俺が掃除をしたいのだと言うと、まるっきり人をさげすんだ顔つきになって俺を見た。
 そいつらの責任感のなさそうな意地悪そうなヘラヘラした喋り方が気持ち悪かったし、腹が立った。
 聞いたら、新潟市で生まれ育ったと言っていた。大学も出ていると言っていた。ろくでもない学校だろうが。

 マンションメーカーに行って、同じことを言ってみた。
 アパという会社に行ったが、タマホームと同じ対応だった。
 他にも、エイルマンションというところも同じだった。
 他にもほとんど行ったのだが、留守で誰もいなかった。ドアが開いているのに留守というか担当者が誰も出てこないというのもおかしいのだが、どうなっているのだろう。担当者を呼び出すベルを押しても誰も来ない。

 まったくやる気がないし、無神経だし、そういう人間がいる業界なのだなと嫌気がさして、この業界の人間とかかわることをやめた。
 俺が嫌っているズルイ土地建物関係の、その建物を作る業者なのだから、そういう人間たちと会うと腹が立つのは当たり前だった。

 このことがあってから、弱者はやっぱり、自分でエンドユーザーに近づいて、直接に会って、販売しなければならないんだな、と改めて思った。
 人のふんどしをあてにしては駄目なんだなあということを、また悟った。
 下請けしたり代理店頼みじゃ駄目なんだ。直接販売でなけりゃ駄目なんだ。
 弱者の販売促進は、自前のものでなければならないんだ。
 それをふっと忘れた俺は、まだまだ甘え根性なのだなあ。

切り身では何の魚か分からないから買い食べる

 スーパーで、かすべという魚の切り身を売っていて、聞いたことがあるようなないような名前で、食べてみたいと思ったのだがうまいのかどうか分からないから、その冷蔵ケースの前を何度も行ったり来たりして迷ってから、やっとカゴに入れた。

 普段どおり、醤油と酒とみりんで煮付けた。
 半透明になった骨が透けて見えるほど、ずいぶん身が減っていた。

 溶けかかっているほど少なくなった身を食べるとき、骨が歯にあたって、まちがって噛んだら噛み切れた。
 あれ、と思ってもう一度噛んだら、コリコリと歯でくだけたのだ。

 身の味はそれほどしない。
 軟骨の骨も味はない。

 かすべとは何の魚なのだろうとググッてみたら、エイなのだった。
 秋田あたりでは冬になると、よく食べているという。美味いという。

 また買って食べるかというと、ハハ、分からない。

空中で包丁を使うカッコヨサ

 ちょっと前に百円ショップで小ぶりの出刃包丁を買ったが、魚や肉を切ることが少ないせいもあるが、今までのぺティナイフのほうをよく使っている。
 まな板もあんまり使わない。空中で野菜を切っている。

 何故まな板を使わないかというと、昔テレビで観たのだが、アメリカだかイタリアだかフランスだかの人が、フライパンの上で、ピーマンとかトマトとかを空中で器用に小さい包丁で切って、そのまま切ったのをフライパンに落下させていたのを観て、カッコいいなあ、合理的だなあ、と思って、それで真似したのだ。
 みじん切りなら、まな板を使うしかないが、そうでないなら、チャッと洗ってサッと空中で切れば済むのだから、いいと思うのだ。
 そして今は、練習して、少量の玉ねぎのみじん切りならば、フライパンの上で空中で切っている。ほうれん草ならば、包丁さえ使わずに手でちぎる。

 まな板の上では押し切りで、空中では引き切りなのだが、包丁の刃にも、そういうことが関係しているのかもしれない。

SEOより実際のことが大事

 SEOというものがある。もちろん私もやっている。商売でホームページを作っているならば、していないほうがどうかしている。
 そしてSEOは、男が入れ込むものだろう。それは競争だから。あいつより俺の方が上になっている、とそれを競うものだから。
 ホームページの中身より、検索順位を争う方が大事になっているものも多い。

 私の場合、SEOは基本的なことはやっているのだが、完全ではない。
 独自ドメイン。別のIPの外部リンクの被リンクを、数多く獲得すること。キーワードを適正な密度で配置すること。html言語の完璧さ。…そういうことは、きわのきわまでは、やってない。
 それはどうしてかSEOに入れ込むことを、あんまりやりたくなくて、それにSEOの理論というのは、全部のことが受け売りだから、ほんとうは話題にもしたくないのだ。
 だから自分のオリジナルでない受け売りのことは、熱が入らないし、コウシャクになるから書きたくないのだ。

 うちのホームページのレベルは、清掃業界では、まあまあ新潟県の中では上のレベルになっている。だからこのぐらいでいいのだろうと思っている。
 私自身は自分のホームページが一番好きだ。自分の好みの感じに合わせて作ったのだから当然だが。

 SEOにうつつを抜かしているより、サイトの内容の方に力を入れたいし、何よりも、実際のお客さんへの対応に打ち込むことが絶対重要だ。

ひき肉は、割安の肉ではない

 こないだ久しぶりにハンバーグを食べたくなったから作った。
 だけどアブラ臭かった。
 豚肉のひき肉を買ったのだが、豚肉を食べるのが久しぶりだったし、ひき肉はもう何ヶ月ぶりぐらいのものだった。
 だんだんひき肉を食べるのがいやになる。

 スーパーの肉売り場に勤めていたとき、毎日夕方になると明日売る分のひき肉を作るのだが、ミンチの機械に入れるのは、ステーキとかトンカツ用の肉を切ったときに出るあぶら肉やすじ肉を、機械の中に放り込むのだ。
 プラスティックが溶けかかったような白いブヨブヨした場所と、噛んでも噛んでも噛み切れないような繊維だけで出来ているスジのところが八割ぐらいで、それ以外はステーキやトンカツとか、他に焼肉やスライス肉を切った余った場所というか端っこの肉を、ミキサーの穴の中に無造作に入れ込むのだ。その部分の肉でやっと肉の赤い色が出るのだ。だからひき肉というのは、脂身とスジと端肉で出来ているのだ。だから安いのだが。

 練り物を作る工場に勤めた人は、蒲鉾とか竹輪とかナルトとかは、不衛生で雑多なものが入っているのを見てしまっているから食べられなくなってしまうそうだが、ひき肉も同じようなものかもしれない。
 ただ、本当にときどきは、ハンバーグも食べたいし、そういうものが原料だと分かっていても、ひき肉を買ってしまうのだ。

武術の方法はバイク乗りに似ているのかも

 昨日書いた甲野善紀という人は、自分の武術をF1ドライバーやオートバイライダーの、両手両足を同時に動かすようなものだと言っている。

 そういえばバイクでのコーナリング前の動作は、シフトダウンしながらブレーキングする。
 それはこれから突っ込むカーブとの距離を目視で測り、一番適切なタイミングを取って右手でブレーキレバーをやわらかくかつしっかり握りながら、それより一瞬早く右足のつま先でブレーキレバーを踏みこむ。
 身体の右の動作と同時に反対側では左手でクラッチレバーを握り、左足の先端でギアレバーを蹴ってギアを落とし、同時にブレーキレバーを握っている右手で瞬間的にアクセルを適度に開け、速度とギアがマッチするエンジンの回転数に合わせながら左手を放してクラッチをつなぎギアを入れる。そしてそのままブレーキをかけたまま素早くシフトダウンをくりかえすのだ。
 その動作をしながら足の裏の土踏まずあたりでフットバーを踏みしめながら、特にコーナーの外側の足を踏んばりながら、腰を曲がりの方向に微妙にずらして重心を移動させ、コーナリングの準備をする。
 そのときカーブの外側のタンクをこころもち太ももで押さえこんで、バイクを暴れさせないようにする。
 ハンドルを持つ手には、バイクが自分で自然な舵が切れるにまかせるために、力は入れない。手を添えてささえるぐらいにする。
 そうしながら身体は斜めになっているが、両目を水平に保つために首をコーナーとは逆の方向に曲げ、頭は垂直に立てている。それは両の眼の視線が水平からずれないように、平衡感覚のバランスを保つために。
 この今まで一連の動作を瞬時に流れるようにおこなうのである。

 そのためには背筋も腹筋も腕の筋肉も脚の筋肉も首の筋肉も強くなければならないし、それぞれの関節もやわらかくなければならない。動体視力も良くなければならない。耳も鼻の感覚も不測の事態に備えるために鋭敏でなければならない。そして危険を予知するために、第六感みたいなものも、すぐれていなければならない。

 ここまで書いてふと思ったが、身体の同じ側で、ギアチェンジとかブレーキングという同じ作用の動作をするのは、ナンバ歩きにも通ずるのかもしれない。
 バイクをあやつることを例えにすれば、甲野という人が言わんとしていることは、私には何となく分かるのだ。

からだ全部を使うと次の日いい感じ

 いま、甲野善紀という人の本を何冊か読んでいる。
 二年くらい前に教育テレビの介護技術の番組を観ていたら、この人が出ていて、人の身体を、さっさっと力を入れないふうなのに簡単に動かしているのを観て、それで興味を持ったのだ。それを憶えていて、そしてこないだまで読んでいたある著者の本の中で甲野善紀が紹介されていて、それで思い出して、探して読んだのだ。それは対談の本や、いろんな業界の人が甲野善紀のことを書いた本も多い。

 マスコミは古武術というふれこみだが、甲野という人自身は自分では古武術ではないと言っている。創作武術というようなもので、身体全体を総動員して使うのがキモだと言っている。
 だが本の中で、準備運動をしなくても身体が素早く動くレベルになるべきだということを書いていたが、それはちょっと信じられない。
 武術なのだから、いつ敵が襲ってくるか分からないのだから、そのときに準備運動をしている暇はないし、敵に、準備体操をするから少し待ってくれとは言えないのだということで、それもそうなのだが、私のように普段は低血圧で体が固い人間からすると、本当かなあと思うのだ。

 私は作業の前に柔軟体操をしないと満足に体が動かない。
 それは筋肉をならすためもあるが、関節をやわらかくすることと、なにより血のめぐりをよくするためにやる。体がうっすらと汗ばんだぐらいのときが一番、からだの外側も内側もほぐれているのが分かるのだ。

 そして私は一ヶ月おきぐらいにドブ掃除の仕事をするのだが、何ヶ月か前の作業の時、体調のせいか何なのか、その後、ひじと手首が一週間くらい痛みが続いたことがあった。
 それは多分その日、腕だけでコンクリートの重いフタを持ち上げたからだと思う。何十枚ものフタを、腕だけで持ち上げれば、それは肘も手首も傷めるだろう。

 それがこないだの時は、意識して身体全体を使って、おもにひざと足首を使うことを意識して、それと頭の後ろ側を自分で上に引っ張り上げるような感覚をイメージして作業してみたら、次の日はそれほど手首も腕も肩も痛くならなかったのだ。
 甲野善紀はそんな単純なことを言っているのではないのだろうが、少し自分なりに開眼したような気がしたのだった。

 ためしに甲野善紀とググッてみたら、YouTubeでも甲野の動画が沢山アップされていたのを見つけた。
 それは演出が過度な感じなのが多かったが、読むことと観ることと一緒にしてみたら、より分かるような気がした。

 それからもう一つ思ったのは、甲野善紀という人は、武術研究家というよりも、表現者なのだ、芸術家なのだな、と思った。

新潟市に来てから電話機が壊れる

 お客さんと電話で喋って受話器を置くときは、フックを指でそっと押して、相手の耳にガチャンと音がしないようにする。
 もちろん相手様が受話器を置くまで、俺は待って、それでも念のため相手の耳に騒さくならないようにフックをそっと押してから、完全に電話が切れてから、受話器を置く。

 だが喋り方がなってない無神経な人間との電話を切るときは、腹が立って腹が立って、こっちから先に、思いっきり受話器を叩きつけるのだ。

 それでこないだ電話機が壊れた。
 全部壊れたわけじゃないのだが、電源が入ったり入らなかったりするようになったから、留守番電話が使えなくなったのだ。

 留守になることが多い俺には留守番電話が絶対に必要だから、昔使っていたマイクロカセットテープ式のを引っ張り出した。
 このカセットテープ式のは、通話中にガーガーと雑音が入るようになってしまって、それで今の新しいのに替えたのだが、万一新しいのが壊れたときの替えにするように取っておいたのだ。

 取っておいて良かった。
 久しぶりのテープ式だが、まあまあ使える。

 また電話機を買い替えるのはもったいないから、もう受話器で電話機を叩かないようにしようと自分に言い聞かせているのだけれど、怒って受話器を叩きつけるようになったのは、新潟市に来てからなのだ。

仕事で方言を使う

 俺はお客さんと喋るときでも新潟県の方言を使うようにしている。
 関西の芸人はテレビでもラジオでも関西弁を使っているじゃないか。
 俺も負けずにいっぱい使うぞ。

 だが方言には敬語がほとんどないから、仕事で使うには難しいのだが、それも仕事のうちだと思って工夫して使うのだ。

gooはNTTの中にあっても、良い会社か

 メールは、自分のパソコンのメールソフトは使わないで、gooを使っている。
 パソコンのは家でしか使えないから。インターネット上のならば、どこのパソコンでも使えるから。
 それと、gooのはメール受信したら携帯電話に受信通知のメールが来るようにできる。他のフリーメールも出来るのだが、msnやgoogleやyahooのは、受信した内容全部が携帯にメールしてしまって、長い中身のだとパケット代がかかるから使いたくないのだ。

 だが、ふと思ったが、パケット代といっても何円のものだろうから、内容全部を携帯に送ってもらった方がいいのかな、と思い直した。
 何故それがいけないと考えたのだろう。意味があったのだろうが、忘れた。

 しかしgooメールは管理画面が使いやすいのもいいのだ。
 画面上の文字が大きくて、文字と文字の隙間が適度に開いているのがいいし、なんだか機能が分かりやすいのだ。

 他のは多分、アメリカ本社の画面をそのまま真似しているのだと思う。
 gooは日本向けに作っているのだと思う。
 だから見やすいのだろう。

 だがgooはNTTの子会社だというではないか。
 俺はNTTの対応も、その子会社のドコモも、その対応が大嫌いなのだが、gooには問い合わせをしたことはないからgooの対応が良いのか悪いのか分からないが、使い勝手はgooは使いやすい。だからgooを使っている。

 同じグループ会社でも、インターネットとそれ以外は、中にいる人間の質がまるっきり違っているのかもしれない。
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