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徒然のブログ

つれづれの思いなどを

フィギアで日本らしさを出すには

 さっきフィギアのエキシビションを、生まれて初めてまじまじ観たが、よかった。
 プルシェンコと真央とキムヨナを集中的に見た。
 さすが世界一のレベルの人たちだ。
 この人たちには、世界中の人たちがお金を差し出すだろうな。

 前から思っていたのだが、日本人選手は、音楽に童謡や日本民謡を使って滑ってみてもらいたい。
 そしてひらひらしすぎるかもしれないが、何とか上手に工夫して着物を衣装に使ってみてもらいたい。
 それから、ペアでは、心中ものの八百屋お七をモチーフにして演技を構成してみてもらいたい。
 日本の芸能は激しい動きがないものが多いが、歌舞伎はその中でも派手さを持っているから、そういうところから、色気と動きを引っぱってきて、フィギアスケートを作ってみてもらいたい。

 私は十代の頃、桜を、ハードロックやメタルロックやパンクロックにアレンジして唄ってみたいと思った。
 だが私の声質はロックには遠く軽い、どちらかといえばフォークソング向きの声だから、ロックには、あこがれとコンプレックスを持っていた。
 だからロックの中でも重たいものが好きになったのだろう。
 重たいロックで日本のおっとりしたかるい歌を唄ってみたいと思ったのだろう。

 フィギアスケートというものはそもそもが欧米のものなのだから、その中で日本人の顔つき体つきで表現するには、日本らしさを出すのも、たまにはいいと思うのだ。

猫の食べ物

 猫は魚が好きだと思っているが、よく考えたら猫が海や川で魚を捕るのを見たことはないし、ペットになる前の猫も、魚を狩ることはなかっただろう。
 浜辺に住んで海を泳ぐ猫はいないし、近くの小川に飛び込んで、爪で魚を引っかきあげる猫もいない。

 大昔の大昔の猫は、野ねずみやモグラやカエルや小さいヘビや虫を食べて生きていただろう。
 そしてたまに苦い草を食べて、からだの中をととのえていただろう。

 日本人が魚をよく食べるから、飼い猫にも魚をやって、それで猫は魚好きだと思いこんでいるのだろう。
 猫が金魚ばちに手を突っ込むのは、あれは動くものに興味があるだけなのだろう。

言い訳をしないで自己責任を追求する女スケート選手

 浅田真央がキムヨナに負けたが、真央はショートもフリーもどっちも、手足の伸びが縮こまっていて、体の動きがピッチャーがボールを置きにいっているような、そんなふうに見えた。
 テレビに映っていた本番前の顔つきも、演技グループの中では、一番緊張しているように見えた。腹の底からの自信を持っていないように見えた。自分の中のどこかで自分でも知らない不安があるように見えた。体調がよくなかったのだろうか。それとも真央より俺のほうが緊張していたのだろうか。

 小説でいえば、真央の演技は純文学で、キムヨナのはエンターテイメントのように見える。
 良くも悪くも真央は甘やかされた中での仕事で、キムヨナはハングリーな感じがする。
 だが俺はいつも、甘いかもしれないが損得を考えないアマチュアリズムが好きだし、俺は心が狭いからピュアな感じが好きだから、真央の演技の感じのほうが好きなのだが、それは同じ国の選手だから好きなだけかもしれない。


 演技の後のインタビューでの、真央のくやしそうな顔つきと涙は、むしろすがすがしい。
 ミスをした自分に腹が立っていたのだろう。
 悔いが残っているときに悔いはありませんなどと自分と周囲を誤魔化そうとしないのがいさぎよいし、くやしさにゆがんだ顔は、美しいと思った。

 でも精一杯やったんだから、これはこれでいいじゃないか。なあ、真央。

 浅田真央がどうすれば四年後に金メダルを取れるかなど俺にはわからないし、そして彼女のためになるのかどうかわからないが、俺のわがままだろうが、またこれからも競技としてのフィギアスケートをストイックに頑張りつづけてほしい。

 そうして真央もキムヨナもどっちの人も、俺の好きな、スジミチをわきまえて自己責任を追及しようとする人のように見える。

雪は消したいが残したい気持ちも

 歩道に積もっている雪は少なくなっているが、まだまだ布団を折りたたんで並べたぐらいの量はある。
 そういうのは晴れた日にシャベルで車道に散らばらせれば、通る車のタイヤがつぶしてくれて、二、三時間で溶けてなくなるだろうに。
 だが新潟市の人は、雪を積み上げるばかりで、溶かそうということを考えない。
 だから道路の端に雪がじゃまなまま残っているし、無責任で公徳心のない人間が多いから、自分が直接困らなければどうでもいいやと雪をそのままにしておく。
 十五分でもいいから、仕事から帰ってきたときに、家の前の雪と、その近くの歩道の雪を、車道にばらまけば、消えるのに。

 でももうすぐ春だというこの時期は、なんだか雪を残しておきたいような気持ちになっているのが自分でもヘンだ。

自然な躁

 昨日と今日は晴れて暖かかった。
 これから春になるのだな。

 お客さんのところに行く前に布団を干して出た。
 昨日は敷き布団、今日は掛け布団と。
 前に干したのは、たしか去年の十二月の中旬だ。

 とりこんで布団にもぐりこんでみたら、あったかい匂いがして、窓の外が明るくて、部屋の中も明るくて、何だかわからないがうれしいような楽しいような、何もかもがうまくいくような不思議な気持ちになった。
 躁鬱病の人が、鬱から躁に変わるときはこんな感覚なのかもしれないなと思った。

チンピラボードマーケティング

 国母というのはプロで、けっこう稼いでいるらしいな。
 プロと聞いて最初はテレビタレントみたいなものかと思ったが、ゴルフやテニスのようにスポンサーが金を出す大会があって、それに出て、順位によって賞金が出るらしいな。

 ということは、なぜ国母が会見で下手な謝罪をしてでもオリンピックに出たのか、ふっと分かった。
 日本でのスノーボード人気を上げるためだ。

 人気が上がれば競技人口も増えるし、プロトーナメントの大会の賞金金額も上がる。
 ということは国母の獲得賞金も増える、という算段なのだな。

 だからああいうふうに目立とうとして、マーケティング活動をしたのだな。
 きっちり考えているじゃないか。
 あいつだけの知恵じゃないな。

 ああいう不遜な態度で通したのは、性格上もあるだろうが、ランチェスター戦略だ。
 ボードを好きになりそうな品行方正でないほうの人間に、オツムの弱い流されやすい人間に向けての、差別化した弱者の戦略だ。
 そうやって、スノーボードをやろうとする見込み顧客に向けてのアピールだったのだろう。

 しかしこないだここで、ハーフパイプという競技も見ればおもしろいと書いたが、よく考えたら、おもしろかったのはあの金メダリストの演技だけで、他の選手は同じことを同じようにやっているだけなのだから、退屈でつまらなかった。

 それと国母の言い草で、「応援してくれた人には感謝します」と言っていたが、応援してくれた人に感謝するのは当たり前じゃないか。馬鹿か。
 じゃあ応援しなかった人は、どうでもいいということか? 何べんも言いたくないが、それは全部の経費を自費で出してから言うべき言葉だぜ。
 だがそれも、徹底して見込み顧客の客層を絞って、その中で一番を目指すというのなら、弱者の戦略として整合性があるなあ。そして公金を使って自分の商売の宣伝をしてるのだから、経済的で合理的だぜ、ハハ。泥棒根性。

 しかし応援してくれなかった人にも感謝してこそ、いや感謝しないまでも、応援してくれなかった人たちを応援してくれるようにしてこそ、あのアメリカ人の金メダリストみたいな、誰の真似もしていない表現者だよ。
 いやまあ国母は表現などとは考えていないだろうがな。世の中のランチェスター信望者のように、金儲けの手段がスノーボードってことだろうがな。

毛の伸びと白黒

 四十四すぎたあたりから眉毛が伸びるのが異常に早くなっている。だけれど全部の毛が均一に伸びるのじゃなくて、眉毛の中のところどころの七、八本だけが伸びるのだ。それも二週間で一センチも伸びるのである。
 いま私は頭の毛を二週間に一回のペースで自分で刈るから、ついでに眉毛も電気バリカンで刈る。そのたびに眉毛がなくなって、昔の不良の顔つきになるのが困るのだ。
 でも一週間もたつとまたもじゃもじゃと黒くなるし、ところどころがピンピンと毛がはねて怒ったような顔つきに見えるのが、これも困るのである。

 そういえばちょっと前の社会党なのに首相になった人、村山といったか、あのおじいさんも眉毛が長くてすごかったし、年取れば眉毛が長くなるのだろう。
 だが村山首相だって一ヶ月に一回は床屋に行っただろうに、そこで眉毛も切るだろうにと思っていたが、私の眉毛の伸び方のペースから考えると、一ヶ月もたつと二センチくらいは伸びるだろう。だから切るのに間に合わないのだろう。そうすると、もういいやと思って伸ばしっぱなしになって、眉毛が伸びているのが自分でも普通の顔になって、それがそのまま、普段の顔になっていくのだろう。

 そういえば今現在、頭の毛と鼻毛は白髪が多いのだが、眉毛やすね毛やわきの毛や下の毛は黒いままなのだが、毛とはそういうものなのだろうか。

検索順位は正直さが一番になるか

 ヤフーが二、三日前から検索順位を変えている。
 このたびの順位変更は、何の業種でも、今までブログとかで大きな口をたたいていた業者のホームページが大幅に落ちている。
 そういう業者のブログやHPを見ると、根拠のない自慢だらけだし、自分に都合の良いことしか書いてないし、うそ臭さがプンプンにおうのばっかりなのだ。
 だからそういう業者は、性格上スパムまがいのことをして順位をたもってきたのだろうし、だからヤフーに見破られて落とされたのだろう。

 だが俺も、SEOのことじゃないけれど別の意味でそいつらには負けないくらい生意気だから、スパムはしていなくてもちょっと落としてやれと思われるかもしれないな、ハハ。
 まあそうなったらそうなったで仕方ない。
 それが続いて、戻らなくなったならば、また一からサイトを作るだけだ。

 でももしかしたらだけれど、ずっと先は、検索順位は、正直な人間が、ためになる本当のことを、そして本当の中の最先端のことを書いているホームページが、上になるようになると、期待する。
 それが検索エンジンの、生きる道だろう。

風邪をひかない理由

 もう六、七年風邪をひいていない。
 独立してからだ。
 気が張っているのだろう。
 煙草を喫わないせいもあるだろう。

 冬場、作業で大汗をかいたら、できるだけ早く下着を着替えるからだろう。
 勤めていたときは、周りの人間に遠慮して、着替えることはできなかった。
 だからそのまま濡れた下着をきていると、体が冷えて、次の日に風邪をひくパターンだった。
 かといって、汗をかかないで済ますわけにはいかない。
 汗をかくほど激しく動かなくては、そうやってスピードを上げて結果を出さなくては、安くはない料金には見合わない。

 食べるものにも気をつけているからだろう。
 ニンジンと生姜をよく食べるようにしている。

年がたっても紙は減らない

 新聞をとっていなくても、捨てるべき紙が増えて増えて困る。
 一番多いのは、新潟情報とかトクッピとかのフリーペーパーだ。
 次は町内会の回覧紙。
 それから、電気、ガス、電話、携帯電話の請求書の封筒だ。

 要らないから入れるなと言えるのは、フリーペーパーぐらいで、他のは地域に住んでいれば入ってくるか、自分でもらってくるものだから仕方ない。

 それに他にも、何だかわからない紙類がいっぱいある。
 それはもったいないと思うのだ。

 昔と比べても、紙の量は減っていないと思う。
 特に広告やお知らせの紙類が。

 いくら裏が白いのがあっても、書ききれない。

アウトサイダーは生き死にのこと以外は税金に近づかないように

 昨日書いたボード選手が8位だったそうだが、あれからまた考えたことを書くが、なぜ俺があんな奴にこんなに腹が立ったのか。たぶん近親憎悪なのだろう。

 ああいう態度をするのなら、自分はアウトサイダーだと気取っているんだろう?
 アウトサイダーだったら、記者会見などで謝ったりして、安易に世間に迎合するな。
 そして世間に溶け込もうとしないなら、仁義として、世間の人々が助けあって出している税金でやっているものに近づくな。
 オリンピックなどという精神的に健康的な、堅気のもよおしには、斜にかまえている人間は近づく資格はないのだ。
 そんな簡単なことは、パンクロッカーならば十五、六ぐらいになれば分かるものだ。
 それをあいつはのんきに無神経にやったから、俺は腹が立ったのだろう。

 帰ったら会見は開かなければならないぜ。
 何故なら、公金で遊んできたのだから、国民に報告する義務があるよ。
 その会見を観てまた、俺を含めた国民は、楽しむのだな。

 しかしハーフパイプの金メダリストは、芸術家だ。新しい技を次々と生み出しているそうじゃないか。誰の真似もしていない。
 ああいう大芸術家なら不遜な態度をしても許されるのだろうし、滑り終えたときに、「ユーエスエイ!」と叫んでいたが、アメリカ人は小さい頃からの躾で、愛国心があるのだな。

 そしてスノーボード競技というのも、見ればおもしろいものだなと思わせてくれたのは、ありがたいと思った。

中途半端なオリンピック選手

 黒人の真似をした格好のスノーボードの選手が不謹慎だと言われているらしいが、あんな人間に国家の金を使わせるなよ。
 どんな服の着方をしようが髪型をしようが、チッ、うるせーなと言おうが、そいつの勝手なんだけど、そういうことをするなら、全部の経費を自分でまかなってから物を言えよ。なあ?

 他人様の金で遊んでいるんだから、他人様の意向にそうのは当たり前。
 それが嫌なら、他人様から、びた一文世話にならないことだ。甘えんな!

 そして、黒人の真似をするとか、誰かの真似をするとかが格好いいと思っているのだろうが、そしてそれが個性的なのだと自分で思っているのだろうが、真似をすることが個性的だとか格好いいだとか、とんでもない。馬鹿げている。

 それと、そういう不遜な態度をとるのなら、覚悟を持ってやっているんだろう?
 俺は中途半端なチンピラが死ぬほど嫌いなんだけど、あの猿真似馬鹿も中途半端だ。
「チッ、うるせーな」と言うんなら、次の日の記者会見は、
「おお上等だよ。そういうコうるさいことを言いやがるんなら、俺はこんなもんに出なくてもいいんだよ。帰るぜ。じゃーな!」
 と席を立てば、俺も、この人は中途半端なことをしない、自分のポリシーをやり通す人だ、カッコイイ、と尊敬したかもしれないがな、ハハ。

 だけど結局、目先の世俗的な小さな自分の幸福ってやつのために、世間の言いなりになったじゃないか。ハンパなんだよ! カッコワルイんだよ! 卑屈なんだよ! 口先だけで卑怯なんだよ!
 あんなハンパチンピラは、本番で失敗すればいいと思うほどだ。
 そうしたら、どんな顔して帰ってくるか、見ものだ。

 そして世間の馬鹿どもも、メダルを取ればいいのだとか、勝てば官軍だみたいなことを言っているが、メダルを取ることと、中途半端なことをするのは別問題だぜ。
 それから日本中の馬鹿どもが、このことを服装問題などと言っているが、服はどうでもいいんだよ。態度が問題なんだよ。その態度を起こさせる意識の問題なんだよ。
 馬鹿がそろっているぜ。
 だからオリンピックなど馬鹿げているのだ。

現代の体に入る良くないものも仕方ない

 去年のいまごろ母が死んで、それからときどき心臓のあたりに痛みが走るようになって、それで血の流れをよくしようと思っていたところに、ちょうど玉ねぎが安く売っていて、まとめ買いして食べだした。

 みじん切りしたのを納豆に混ぜて、朝に一パック、夜に一パックと食べてきた。夜は戻しワカメも混ぜて食べてきた。そして必ず百円ショップの胡麻すり器で胡麻をすってかけて食べてきた。

 それはおいしいし、体に良いと思っているのだが、納豆は三パックで68円ととても安いもので、それはたぶんどこかのヘンな大豆を使って非衛生的な製造方法で作られたものだろうし、戻しワカメも堂々と中国産と書いてあって、これはもっと非衛生的なものだろうと思う。

 しかし安さにひかれてそれを食べてきたのだ。
 体にはヘンなものが蓄積しているのかもしれないが、分かって買って食べていたのだから、自分の責任だから、仕方ないな。

 米だって、土壌には分からないものが溶け込んでいるのだから、たとえば下越の福島県に近い地域の米にカドミウムが混ざっていたと何年かおきにニュースになるし、だからそういうものが体に入るのは、今の世の中を生きているのだから、とうぜんに入るだろう。

 水だって消毒のクスリが入っているのだし、それが体にいいわけがない。
 それにそもそも空気だって、江戸時代に比べたら、自動車の排気ガスは混じっているし、工場の煙突の煙は混じっているし、エアコンや風呂場のカビが混じっているし、壁紙や建材の接着剤から出るガスが混じっているし、それに暖房に使う灯油やガスの燃える煙が混じっているし、確実に汚れた空気を呼吸しているのだ。
 だから体に悪いものを食べたり吸ったりするのは、もう仕方ないのだとあきらめている。
 あきらめて、そういうものだと思っていたほうが、体にも心にもいいような気がする。

自分でやることしか興味なし

 朝のニュースがオリンピックのことばかりになってて困る。
 世の中の、自分に関係ありそうな出来事を知るためにニュースを観ているのに。

 だいたい俺はオリンピックなどに興味がない。
 人のやっていることを見ておもしろがれないから。
 自分でやることでしかおもしろがれないのだ。

 今回のオリンピックで見たいと思うのは、浅田真央とキムヨナの勝負ぐらいのものだ。
 朝のニュースでオリンピックをくどくど流さない局はないかな。
 教育テレビだろうけれど、あそこは平日の朝は語学番組と子供番組だ。

 相撲だって、朝青龍がいたから興味があっただけだ。
 サッカーも、ワールドカップにもそれほど興味はない。
 他人がやっているのをおもしろがるほど、精神的に暇じゃないから。

猫は実存主義

 新潟市には野良猫は見ない。
 どうしてかは知らない。
 たぶん猫を飼う人が少ないのだろうし、猫が野良で生きていけるほど街に余裕がないのだろう。

 だけれど野良猫もたまには見たい。
 いやそういえばこないだも雪が降ったのに、夜中に窓の下で猫がサカッてうるさかった。
 春になればまた窓の下で、夜の猫のセクシャルな声が響くし、夏をすぎて秋のとま口でもその声は響くし、もしかしたら猫というのは人間と同じで、一年中サカる生き物なのだろうか。
 あの顔つきを見ると、そうじゃないかとかんぐる。

 そういうことを思うと、猫は実存主義だと思うのだ。
 実存主義とはどういうことかというと、俺が思うに、自分に正直になることだ。
 正直になって、その正直に生きたことで生じる不利益を、受けとめて背負って生きてゆくことが、実存主義なのだ。
 猫は。猫も。

朝の短歌俳句

 日曜日の朝は、テレビで短歌と俳句を楽しむ。
 教育テレビでやっている。
 七時から短歌、七時半から俳句だ。

 とくに俳句の番組には、俺の好きな女のアナウンサーが司会してるから、観ていて気持ちいいのだ。
 オンナギライのダガシでも、好きな女のタイプはある。
 それはむやみに媚を売っていない女だ。
 だがそれは、女によくあるタイプの、威張っている女でもないし、自分以外の人間を攻撃する女でもない。

 二十代の女アナウンサーは視聴者に媚を売っていて気持ち悪いのだが、俳句番組の司会者は、たぶん俺と同じ世代だろう、さわやかに気持ちよく喋ってくれるのだ。そのさわやかさがセクシーなのだ。
 出るゲストも、いろんな業界の人が出て、いろんな角度からの話をする。

 短歌も俳句も、世の中ではすたれているジャンルで、だから視聴率は取れないだろうから日曜日の朝にやるのだろうが、俺にとっては観ればおもしろくて有難いのだ。
 ということは、観ながら俺だけが貸りきっているみたいに思うのだけれど、番組に自作を投稿する人が大勢いて、その人たちはどういう気持ちで観ているのか、そういうことを聞きたい気持ちがある。

 短歌も俳句も自分ではつくらないが、読むのは好きだ。
 テレビでパネルに書いてあるのを見ると、漢字に趣向をこらしてあるのが多くて、詩と同じで、短歌と俳句は、読むのを前提としているのと、聞かせるためのと、両方あるみたいだ。
 今は作者も選者も、文字で読ませるのに重きをおいているようにみえる。

 朝7:30からの「がっちりマンデー」はおととしぐらいから面白くなくなっていて観なくなっていて、だから日曜の朝は、ご飯を食べた後、コーヒーを飲んだり、体操をしたりしながら、短歌と俳句を楽しんでいる。

新潟市役所は街づくりのやり方を間違っている

 新潟市は古町のために税金を使おうとしているが馬鹿だ。
 古町に人を呼ぶことは、街づくりとして間違っている。

 前にも書いたが、田舎は自動車が一番の移動手段なのだ。
 それは人間が密集して住んでいないから、鉄道やバスを走らせても採算が採れないからだ。

 ということは橋でしか行けなく、そして道が細く、そして駐車場が少ない新潟島は、わざわざ行こうとは思わない場所なのだ。

 コンテンツが良ければ人は集まるなどと言っている田舎者がいるが、新潟市の大部分の頭の悪いイナカモノにコンテンツなど創れるわけがないじゃないか。笑わせるな。

 古町は年寄りが多いらしいが、年寄りに引っ越せとは、金の面でも精神的なことでも言えないから、年寄り相手の商売屋がやりやすいようにだけすればいいのであって、若い者を無理やり来させようとするのは不自然なのだ。

 不自然なことをやろうとすれば、コストが膨大にかかるのは当たり前だ。
 そしてそのために、無駄な公金ばかりが垂れ流されることになる。

 新潟市を発展させるためには、別に古町を栄えさせる必要はないのである。
 古町以外の場所を活性化させて、それで新潟市が発展すればいいだけのことなのだから。

 変化することを拒むのは、無様に死に絶えることに通じるのに。
 変わることが出来るから、機嫌よく生き延びられるのに。

 卑怯者が多い新潟市が嫌いなダガシでも、新潟市が発展するのは悪いことじゃないと思っている。
 だが、発展というのは人口が増えることでもないし、ビルが建つことでもないし、乗り物を走らせることでもないし、イベントを公金でやることでもない。

 そして大事なことは、古町のために新潟市があるのではないのだ。
 古町を昔の賑わいに戻すことが新潟市の役割ではないのだ。
 すたれる場所はすたれればいいし、にぎわうところはもっと人を集めればいいだけのことだ。

 古町再生などといっているのは自己満足であり、何かの利権をたくらんでいるのであり、タカリ根性であり、新潟島以外の納税者から泥棒しているのだから、すぐさまやめないと、怒るぞ。

 だから女池あたりに商業施設をつくりやすいような施策をしろ。
 出来なければ能力がないのだから辞めろ。
 海老ヶ瀬インターの南側あたりでもいい。

スズキとサンヨー頑張れ!

 トヨタがプリウスのブレーキのリコールのことでマスコミに叩かれているが、もっともだろう。
 客がどうなろうと儲けりゃいいという根性がミエミエの会社なのだから。
 あの、減税・補助金をこれでもかと打ち出すテレビ広告は、浅ましくて、見ると反吐が出るほどだ。こそ泥みたいに公金をかっさらうのが当然というタカリ根性。

 他のメーカーはいいかというと、これも駄目なのだ。
 私は今ホンダに乗っているが、メーカーに三回問い合わせをしたが、どうしようもない対応だった。銀行に匹敵するほど汚らしい不誠実な対応なのだ。
 だからもうホンダには二度と乗らないし買わないと誓っている。
 いま本田宗一郎が生きていたら、自分のところの従業員に、死ね! と怒鳴りつけていただろう。代わりに私が怒鳴らせていただいているが。

 家電メーカーにもときどき問い合わせをするが、そのどれもが不誠実で嘘吐きで、人間として駄目な対応だ。
 特に松下パナソニックが駄目だ。次は東芝が嘘吐きだ。シャープは根性が汚い。NECは怠け者だ。三菱は恥知らずだ。
 それがSONYだけは誠実な対応なのだ。今までラジカセとか電話機とかで使い方の問い合わせをしたことがあったのだが、本当に正直な話しぶりだった。喋り方も卑怯な感じがしなくて気持ちがいいのだ。
 だが私は今、SONY製品を使っていない。SONYは黒物家電だけだから、私のハウスクリーニングの仕事では関係がないし、だから仕事での問い合わせはしないし、個人的にはテレビもラジカセも電話も、値段の高めなSONYブランドは、今は部屋の中には存在していない。
 だが今度何かのAV製品を買うときは、またSONYがいいなと思っている。いや、ソニーも駄目だった。ソニーこそが嘘吐きで卑怯な物言いだった。ソニーは絶対に買わない。しかし、買いたくないメーカーばかりなのは、メーカーがおかしいのか俺がおかしいのか、不思議だよ。

 さて、その駄目な中でもましなところはないかというと、自動車メーカーではスズキであり、家電メーカーではサンヨーに興味がある。
 スズキは会社の会長がときどきテレビに出ていて、言うことはまともだし、可愛げのあるキャラクターだし、バイクを作っているメーカーだから職人気質もあるだろうし、と期待を持っている。それにサンパチに乗っていたダガシには、お馴染みの会社でもあるのだ。
 ホンダもバイクを作っているが、あそこはもう創業の頃の気持ちはなくなっている。

 家電ではSANYOに問い合わせたことがあるのだが、頭が悪い無神経な対応だったが、他の家電メーカーもそうなのだから仕方ない。
 だが、ノーリツだったかな、サンヨーの製品を自社ブランドで売っているエアコンのことでノーリツに問い合わせたときは、その誠実な対応に驚いた。そのこともあって、サンヨーは、少しだけだが、ましなのかな、と淡い期待をしているのだ。

 だからそのとき思ったのは、家電メーカー以外の電気製品の会社はまともなのだということだ。
 ちょっと電気製品から離れるが、クリナップの電話対応は良かった。電動噴霧器の工進という会社も良かった。
 しかし同じ類でマキタは嘘吐きで駄目な会社だ。日立も駄目だ。ダイキンも駄目だ。それらの従業員は嘘吐きだらけだ。もう絶対に買わないと決めている。

 たぶん、その業界業界でのトップの会社は、傲慢になっているのだろう。
 儲けりゃいい、儲けることが正義で、儲けたならば何でも許されると思っているのだろう。

 そしてものづくりの業界で、特に家電メーカーは駄目な人間が集まっている。
 組織としても嘘吐きだ。
 私は家電メーカーを、もう信用していないというぐらいに、汚らしいと思っている。

 ものづくりの会社として、スズキとサンヨーに期待したいのだが、いかんせん、製品のデザインがダサいのが、とくにスズキはデザインが下手なのが、難点なんだなよあ。

公務員に雪かきをさせろ!

 大きな通りから一つ枝道に入ると、十センチくらいの圧雪になっている。
 そして車輪のわだちの中の、ところどころに、大きな穴が沢山あいている。走りにくいったらない。
 たぶん下手な奴が、発進のときにやみくもにアクセルを吹かして、駆動輪で雪を掘ったのだろう。

 昨日の朝も今朝も大渋滞で、そういう下手運転の車だらけだった。
 といってもまあ、ふだん雪が積もらない新潟市の人間だから仕方がないかな、とこればかりは新潟市嫌いのダガシも思ってはいるが。

 昨日でも今日でも、小路の雪は溶けていない。たぶん四、五日はこのままだろう。
 こういう十年に一遍くらいの時は、除雪費用を節約するためにも、市役所や県庁で椅子に座って、ぬくぬくと暖房にあたっている人間どもに、自前のシャベルを一本ずつ持たせて、新潟市のあちこちの小路に散らばらせて、雪のけをさせたい。
 市長や知事はそれを命じろよ! そして自分から率先してな。

 それから自衛隊の人たちも、除雪をしてもらいたい。
 たぶんもうすでに、やってくれていると思っているが、やっていなかったら、怒鳴りつけるよ。
 

昔の日本人は、いい人

逝きし世の面影
『逝きし世の面影』渡辺京二
 江戸時代の終わりから明治初期にかけて、日本に滞在していた西洋人が日本人を、おもに町人を、どんなふうに見ていたかというのを書いている。
 そのころの日本の人というのは、男でも女でも年寄りでも子供でも、ほがらかで親切だったのだなと分かる。今と大違いだ。

 朝、道を歩いていると、人家からちょうど出てきた町娘が、見知らぬ西洋人の自分に、笑顔で「オハイオ」と呼びかけたというくだりは、何のことだろうと思って読みすすむと、おはようと挨拶したのだなと分かる。そんな説明は書いてないところがまた考えオチでなおさら良い。
 日本人を誉めたおしているぐらいの書き方なのだが、読んでいて自分が褒められているようで、気持ちいいのだ。

 櫻井よしこの本で紹介されていたから読んだのだが、読んでよかった。ああおもしろかった。

雪捨ての商売を思いついた

 昨日の夜中に、あのプープーという音がして除雪車が来たのが分かって、窓を開けて見たら、土木作業のショベルカーで道の雪を削って持ち上げて、トラックの荷台に積んでいた。
 面白そうだから外に見に出た。

 トラックが出ていって、ショベルカーを停めて、作業員たちは休憩していた。
「雪はどこに捨てるんですか?」
「ここらの雪は鳥屋野公園にだよ。古町のあたりのは海とか、場所場所で違うところだな」
 作業員たちは厚いオーバーを着込んで毛糸の帽子をかぶって手袋をしているから寒くはないみたいだが、私はパジャマの上にカーディガンを着て、そしてコートをはおっただけの格好だったから、しばらくしたら体が震えてきて、「寒いから入ります。お疲れ様です」といって部屋に戻って寝た。

 今日、栗の木バイパスを運転していてふと思いついたのだが、万代橋でも昭和大橋でも千歳大橋でも、橋に雪を運んで、橋の真ん中から信濃川に落とせばいいのじゃないかなと思った。
 夜中でもいいし、昼間なら往復で全部で四車線のうち、どっちかの方を一車線つぶして、それを雪捨てのための車線にする。

 そして、個人での雪捨ての方法として、普通のトラックか、軽トラックでもいいから、その荷台に雪を積んで、橋から捨てるとか、公共の公園に捨てるのはどうかと思った。
 トラックにシャベルで積み上げるのは大変だが、こんな大雪は十年でも何回もあるわけじゃないからやるしかないし、作業のときにトラックの荷台にスコップの先を当てることになるから、あらかじめ荷台にコンパネみたいな板を敷いておいて、荷台を養生する。

 そうすれば、トラックを持っている会社や個人は、雪捨ての商売が出来る。料金は軽トラ一荷台で一万円ぐらいかな。
 しかしよく考えたら、橋から手作業で雪を捨てるのは危なすぎるな。もし作業中に川に落ちたら、この季節じゃ確実に死ぬな。
 そして次の日の朝、テレビのニュースで新潟市の大雪のことをやっていて、そこで軽トラに雪を積んでいるところが映っていた。
 私の考えることなどはもう、誰かがやっているのだろうな。

二度めはないこと

 去年の今は母親がいつ死ぬかと毎日が不安だった。

 今年は、みじかに死にそうな人がいないから楽な日々だ。

 母親が死ぬというような初めてのことは、やっぱり怖いのだな。

 もう経験したから今度は安心だと思ったが、二度はないのだった、ハハ。

大雪のときにすべきこと

 また大雪になったが、朝、雪かきをしていると、バス停にバス会社の人が何かの貼り紙をしていて、それは今日はこの路線のバスは通らないよという知らせ紙だった。
 こういうときは道をふさいでしまうバスは走らないのは良いことだ。のろのろがもっと遅くなる。こんな日は経済活動は、よっぽどの緊急のこと以外は休むのが良いのだ。

 火事があって、雪で消防車が入れなくて、消火栓も雪に埋もれて、火を消すのが遅れたとテレビで言っていたが、こういうときは仕方ないじゃないか。
 消防を批判するみたいなことを言っている新潟市の馬鹿な人間が画面に映っていたが、何でもかんでも行政に頼るというのは税金が高くなるのだぜ。
 そういうことが、回りまわって積もり積もって国債をいっぱい出すことになって、それが卑怯なやり方で、帳消しになるのは気分が悪い。
 国債が棒引きになることや、税金や健康保険という公金を喰い物にすることやは、卑怯な人間や泥棒根性の医療者が、うまく立ち回って得をすることになって、そういうのは、大概のズルイ新潟市民を見るようで気分が悪い。

 大雪のときは、本当に出なきゃならない用だけ以外は、家で、詩や純文学を読む時間にしろよ。

横綱よ横綱よ、また来いよ

 朝青龍の引退の記者会見をラジオで聴いた。途中からだったが、ああ、可哀想にと思った。
 じゃっかん二十九歳と言っていたが、じゃっかんという意味はそれは違うよと笑ったけれど、日本人でも知らない人間だらけだし、朝青龍はモンゴル人なんだから仕方ないよな。それなのに日本語が上手だよ。よく喋ることができるよ。頭がいいんだろうな。
 そして引退を速攻で決めたのは、さすがスピード感あるよ。

 しかし、朝青龍に、人間としてこいつは殴らなければならないと思わせた馬鹿チンピラと、面白半分に朝青龍をいじめるみたいに攻撃していたマスコミと評論家と、月並みなコ理屈で朝青龍を高みから断罪していた、ものを考えない小市民たちを憎むよ。

 ドルジよ、お前は相撲をやめても、お前なら何をやっても、どこへ行っても、お前がやることをものにできる人間だよ。
 モンゴルに帰ってもときどきは日本に来て、機嫌よく遊んでほしいが、その気持ちになるのは年月がかかるかな。でもいつか来いよ。

特殊清掃のブログ

 以前ここにリンクを載せていたが、商売ブログなのに更新をしないし、内容が自己満足ばかりになっていて、だから信用できないからリンクを外した。

雪が降ると秩父

 今朝、この冬一番寒かった。昨日ベッドに入るときに、もういつもの気温ではなかった。布団の上にもう一枚薄い布団をかけた。
 寒いせいなのか夜中に一度も起きず、目が覚めて枕元の時計を見たら、五時半だった。

 昨夜は東京に雪が降ったとニュースで言っていたが、東京に雪が降ると、どうしてか秩父を思いだす。
 浦和に住んでいたときに、バイクで秩父に行ったことがあるのだ。
 いくつかの山を越えて、川を越えて、関東平野にもこんなに山があるのかと思いながら走っていったら、大きな峠を超えたとたん、ひょいと川沿いの一本道に出て、その低い山に囲まれた道に小さな店や旅館がはりつくようにあって、そこが秩父だった。
 もっと奥に行くと、道の突き当たりのへんに、公園があったように思う。
 道沿いのバス停が目立っていて、それに秩父、と書いてあったのを憶えている。
 栃尾を広くしたような街だった。

 秩父は雪が降ると大雪になるような気がする。だから思い出した。
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