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徒然のブログ

つれづれの思いなどを

アメリカさまのご機嫌を取らなければ日本は生きていけないのだよ

 社会党、ではなく社民党が民主党とさよならしたそうだが、鳩山総理も、福島という社民党の女党首も、いい人のようだが頭は悪いみたいだ。
 総理大臣は頭が悪くてもいいのだが、党首が頭が悪くちゃ党がやっていけないぜ。

 沖縄問題は、日本としては抑止力という問題じゃないんだよ。
 アメリカさまのご機嫌を取って生きていかなきゃ、日本は今の贅沢ができないんだよ。

 アメリカさまを怒らせたら、貿易もできなくなるし、石油も売ってもらえなくなるし、他の国からいじめられるし、日本が一人で生きていけるほど世界は甘くはないんだよ。

 だから、アメリカさまの世界でのメンツを立てるお手伝いをするためにも、沖縄に基地をおいておかなきゃならないのだよ。
 それにアメリカさまは軍隊が大きな産業なんだから、その手助けをしなけりゃご機嫌を取れないんだよ。

 アメリカに出ていけと言うのなら、今の贅沢はあきらめるという覚悟がいるぜ。
 その覚悟もないくせに、口先だけのキレイゴトを言っているのは、嘘吐きだよ。

 それに日本は沖縄にだけアメリカ軍隊の基地があるわけじゃない。
 日本全国に、いっぱいあるんだよ。首都である東京にもある。でも他の地域の人は、アメリカ出ていけと言わないじゃないか。

 沖縄問題で鳩山総理が辞めるというのは良くない。
 鳩山という人が総理として有能というわけじゃないが、沖縄と基地との問題は、今回のやり方で良かったのである。

陽のながさの減りふえ

 ずいぶん陽が長くなっていて、七時をすぎても明るいのだ。
 七時を針がまわってまわって、いつまで明るいままなのか明るいのだ。
 このときの空を見ていると、じわじわ、じわじわと光の量が減っていく。

 あと一ヶ月もすると夏至だ。
 それからは明るい時間が減っていくのだな。
 それを考えると今からもう、どうしてかさびしい気持ちがしてしまうのだ。

 だけどふと思ったのだが、暗くなってからも、暗い中での楽しみはあるのだと。
 そうしたらきゅうに心のなかが光るのだ。

殺処分と隔離

 牛が疫病になって殺処分になる。豚も感染すると処理される。
 人間は流行りやまいになって、昔は山奥か海辺のサナトリウムに入院する。瀬戸内海の小島の隔離病院に入院させられる。
 今は上手な隔離。人間でよかった。

警察は太っているか

 そういえば警察官は、やせてるひとは少ない。だいたい小太りだ。
 さっき思ったのだが服の下に防弾チョッキを着込んでいるのだろうかと。でもピストルを持つ習慣のない日本で、わざわざ暑くなるような着方はしないだろう。ということは太っているのだろう。

 おまわりさんというのは日々格闘技を鍛錬しているのだと思っているのだが、そうであれば太っているヒマなどないはずなのに、実際太っているのは、動いていないのだろうか。案外喧嘩したら勝てるかもしれないぞ。でも喧嘩したら公務執行妨害だったかで逮捕されるかな、ハハ。
 刑事さんはやせてる人が多いように思うが、動いているのか、ストレスがある仕事なのか、本当はデブの刑事も多いのかは知らない。

コシヒカリのブランドを高める

 新潟県のコシヒカリが売れなくなっているらしい。
 米を食べる人が少なくなっているのだからそうだろうな。若い人はとくにハンバーガーとかラーメンとかが日常になっている人もいるみたいだし、不景気で高い米を買える人も少なくなっているだろうし。

 コシヒカリはブランド米なのだから、安売りをしたら命取りだ。
 ということは、食味という品質を上げることは当然だが、売り方をもう一歩改革するのが必要だろう。
 どうすればいいかというのは今は分からないが、新潟県のコシヒカリというブランド価値を、もっともっと上げることだろう。
 そのための具体論を書ければいいのだが、分からなくて書けないのが恥ずかしい。
 ブランド戦略ではないが、小学生の頃から米飯給食をもっと広めるとかしたらどうだろう。

 ブランドを高めるなら、新潟県という価値を高めて、そっちの方向から新潟県の米コシヒカリのブランド価値を高めたらどうだろう。とくに魚沼から中越地方の文化を。

背が縮むけれど行為は上等に

 年を取ってくると背が縮む。鍵をかけようと高いところに手を伸ばしたら届くはずの釘に引っかからないで、あれっと思って背伸びをしだしたのは六年前の四十二の頃からで、男の厄年は四十二だが、本当にその頃に体が変わるのだなと思ったのだった。

 あれほど自分でも持てあましていた性欲も、その頃からあれは忘れものをしたようなのだ。
 女嫌いはもっと前からだったけれど、その頃から女の好みが変わったように思う。
 女の価値は、見た目ではなくて、その女の行動だと思っている。
 そして人間の価値も、行動であり、その人の行為だと思っている。

 背を伸ばしても届くか届かないような場所に鍵を引っ掛けることを、上手にできたときに、嬉しい。

食べ物がうまい理由は体のせいか

 今年初めて枝豆を買って食べた。うまい。茶碗一杯半の量で198円だった。またたくまに平らげた。
 しかしこの時期にどこで採れたのだろう。去年の冷凍だろうか。そんな味ではなかった。

 うまかったのは、枝豆の品種がいいのか、ゆで方が上手だったのか、ほとんど一年ぶりだからうまく感じたのか、腹が減っていたからか、そのどれもだろう。

 ぶりのあらを煮たのを作って一緒に食べたが、これもうまかった。
 もしかしてどれもうまいと感じたのは体調のせいかもしれない。

今年は背の高さがキャスティングの決めてか

 今年のNHKのドラマは背の高い主人公になっている。ゲゲゲとか坂本竜馬とか。
 竜馬が背が高かったとは知らなかったが、男というもののある一部分は、金を持っていることと背が高いことで優越感を得て自信とやる気がでる生き物だから、竜馬がそういうもので勘違いしてはしゃいで生きて、歴史の中で線香花火みたいな火花を散らしたのだろう。俺はもともと坂本竜馬が嫌いなのだ。ドラマは当然観ない。

 ゲゲゲは毎日観るようにしている。面白いから。朝から涙さえ流している。
 その主人公の女優も背が高い。

 どっちの主人公も史実が背が高かったから、それぞれの役者が選ばれたのだろう。演技のうまさで抜擢されたわけじゃないだろう。
 だがゲゲゲは、演出がいいのかシナリオがおもしろいのか放送の時間帯がいいのか、観たくなる。だから観ている。
 特にゲゲゲの女房の、あの気短かな、そしてだからこそ正義感を持っている、あの父親の人物像が好きなのだ。
 お客さんのところに行くために出るギリギリの時刻に終わるから観られる。明日も観る。

宮崎の牛は別に可哀想ではない

 宮崎の高級食肉牛が疫病で全滅しそうだというらしいが、別に全滅しても日本としては体勢に影響はない。
 他の国産牛を食べればいいのだし、高級和牛の産地は他にもあるし、高級和牛の需要がどれだけあるかといえば、テレビで騒ぐほどのことではない。

 宮崎の知事が泣きながらの記者会見や、宮崎の畜産農家のしおたれた物言いを、テレビは牛が可哀想だという方向に持っていこうとしているようだし、世間の浅はかなオンナドモも、牛さん可哀想と言っている。

 牛は食べられるために育てられているのであるから、大きくなれば食肉用に出荷するのだ。
 出荷すれば、食肉にするために殺すのだ。

 あの疫病にかかって殺処分にされる牛たちは、処分で殺されるか、出荷してとさつされるかの違いだけなのに。
 牛が可哀想だというならば、出荷するのも可哀想だと言えばいいし、食べるのも可哀想だと言えばいいし、寿命が来るまで畜産農家に飼ってほしいと言えばいいのだ。

 だいたい畜産農家だって、宮崎の知事だって、困った顔をしている理由は牛が可哀想なわけではなく、儲からなくなるから困っているのだ。
 儲からなくなるのが困るのは人間として自然な想いだ。その想いをすりかえるのは不自然だ。

棘抜きを買った

 こないだまた指に棘が刺さった。こんどは木のささくれだ。グサッと深く入り込んだけど、どうしてか、それほど痛くはなかった。
 皮膚から出ている部分は爪でつまんで取れたが、途中で折れて、中に入っているのはそのままになった。
 木材を切る作業が終わり、帰り道に100円ショップに寄って、今度こそ刺抜きを買って帰った。

 部屋に戻ってシャワーを浴びて、頭を乾かしてから、また縫い針で、痛て痛てと言いながらチクチクとほじくって、棘の頭をちょっと出してから、刺抜きで引っこ抜く。
 慣れてないから上手に抜けない。刺抜きの先で何回かつまんで、やっと抜けたのだった。
 深く入っていたからか、少し血が出た。でもすぐ止まった。

 棘が刺さったのは右手の親指だから左手で抜いたのだが、思うようにできなかった。これが右腕のひじに棘が刺さったら、自分ではできない。困るだろうなと思った。
 背中に刺さったらどうするのだろう。一人暮らしは、そういうときはあきらめが必要なのだな、と思った。

この頃の車はGTがなくなっている

 私が中学生ころまでの車は、最高グレードはGTといっていた。それはグランドツーリスモとかグランドツーリングとかいうらしいが、ジーティー、ジーティーといえば早い車なのだと思われていた。
 GTの下はSTというのが多かった。
 三菱にはGTOというのもあってGTより上のイメージを思わせていた。

 絶版になっていたスカイラインGTRという車が、早い車のブランド王者だった。箱型のだ。4ドアより2ドアの方がカッコイイし速いのだった。
 その2ドアGTRを車好きの年上のいとこが乗っていて、中学のときに初めて聞いたその排気音がブロロロ、ブロロロと気持ち悪かったのを憶えている。そのいとこはバイク好きでもあって、ずっとZ2で、今はBMWだそうだ。大型のカウル付きで風が当たらなくて楽だそうだ。そういう年頃なのだろう。私も今は乗り物は楽なほうがいい。
 そして私はバイクの興味がほとんどなくなっている。250の2ストには乗りたいかな、と思っているぐらいだ。

 いつから車にGTがなくなったか知らない。
 そういえば車にスポーツ性を求める人がほとんどいなくなった気がする。
 私は基本的には車は仕事用か旅行用のものだと思っている。人や物を運ぶものだと思っている。だからスポーツカーはお金が余っている人が二台めに乗る道楽のものだと思っている。GTはとくにそう思う。

 中学生のとき、箱スカGTRの次にカッコイイのは、サバンナGTだと思っていた。

民主党が勝つには税金を減らすこと

 去年民主党が勝ってから、一年間は政策の批判はブログでしないと書いた。でもそうすると、参議院選挙の後になってしまうから、選挙の前に一つ書く。

 いくつか言うが、まず国会議員を減らせ。地方の議員もだ。
 それから公務員を減らせ。これも地方公務員もだ。
 公務員とは、自衛隊と警察と消防と司法関係と外交官ぐらいでいいのだ。
 他にも税金で暮らしている人間を減らせ。

 それからそうして、税金を減らせ。
 これをしたら、選挙に勝つぜ。

検索順位が上がると困るブログ

 このブログは検索エンジンの表示順位は低くなるようにしていたのだが、最近グーグルで上位に来ている。困っている。

 ここはときどき過激なことを書いている。
 俺をよく知っているお得意さんには見られてもいいのだが、見込み顧客には見られたくない。
 だが順位が上になると見られることもあるだろう。商売としては困る。

 といって無難な良い人ぶったことを書きたくない。
 だってこのブログは商売を離れて書いているのだから。こういうことを書きたくて書いているのだから。
 でもSEOのためのブログとしての役割も持たせているから、そのさじ加減が難しいのだ。

 商売のことは忘れて、別の世界も持っていたい。
 だから偽善や嘘や汚いことは書きたくない。
 それこそ良い人ぶったことを言うようだが、俺は正直さだけが取柄なのだから。

 正直を言うことで商売に不利益があったとしても、それでいいやと思っている。
 それでも頼んでくれるお客さんだけに、心底打ち込みたいから。それが気持ちいいから。
 そうじゃなかったら、はじめから独立などしていない。

だが、だけど、だけれど、だけれども、喧嘩コメント我慢してみる時期

 このごろ喧嘩コメントをしなくなっている。
 実生活で、特に仕事で嫌なことがあったとき、誰かに八つ当たりしたくなって、たとえば医者のお客から嘘を吐かれたり威張られたり金払いが悪かったりで喧嘩した日は医者ブログに喧嘩コメントを飛ばすし、ハウスクリーニングの仕事で、お客から同じように嘘を吐かれたり卑怯なことをされたりした日は、誰かに八つ当たりしたくなって、世の中の掃除屋ブログで偽善的にいい人ぶったことを書いているところに喧嘩を売る。

 だが、俺も最近、我慢をするのも人生のスパイスかなと思って、八つ当たりをしないで我慢をしてみようと思って、喧嘩コメントを控えている。
 だけど、実生活での卑怯な客、ズルく立ち回る人間には、喧嘩する。実生活でとことん追い込む。泣き寝入りはしない。

 だけれど、今は、直接の利害関係がない人間のブログに喧嘩コメントするのはやめとこうかな、と思っている。
 だけれども、我慢してばっかりじゃ新しい何かを生み出すことの障害になるのかと怖いのだが、今は試験的にやっている。

よく見る新潟市民のイナカモノタイプの女がテレビドラマに出ていた夜11:00。そしていつか疎開する

 こないだの日曜の夜に「女帝薫子」というのを観た。
 テレビドラマなんかを観ると、その馬鹿馬鹿しさに腹が立ってテレビをぶん殴りたくなるから観ないようにしているのだが、偶然観てしまったのだ。
 そうしたら、おもしろかった。

 演技もストーリーも下手で陳腐なのだが、若い女優の、ホステスが高校生ぐらいに見える主人公の一生懸命さと、かすかな正義感で、不覚にも涙が出た。
 そういうドラマのお決まりの、まわりの意地悪なオンナたちが、たいがいの新潟市民に似ていた。新潟市に住んでいるとよく見る、自分さえ良ければいいというイナカモノの無神経なタイプだ。だからこそ俺は、そういう奴らに負けないで頑張る姿に、身につまされて泣けたのだろうか、ハハ。

 今日イナカモノの女から仕事の予約をキャンセルされた。
「うちは他所より高いですよ。他所の業者さんにも問い合わせてから決めてください。急がないですから」とあれだけ最初の電話で念を押していたのに。
「ぜひ頼みます、お願いします、日にちはいついつがいいです」と一方的な電話だった。それが直前になって、「キャンセルしたいんです」と言いやがった。「安い値段の業者から声をかけられたので。よく考えたら安いほうがいいなと思って」だと。
 こっちは予定を組んで材料と道具を買って用意しているんだぜ。これは人様の時間と、用意したものを、泥棒していることだぜ! 新潟市民というのは泥棒が多い。とくに下越の女はズルイ泥棒根性で嘘吐きが多い。これからは今までよりもっと、女からの依頼の電話は半分嘘だと思いながら聞くことになる。ああオンナは嫌だ。

 こういう自分勝手な奴が時々あるから、俺はホームページでは、「キャンセル料は100パーセントいただきます」と書いているのだ。このたびのクズオンナはチラシを見て電話してきたから、チラシじゃキャンセル料金のことは書いてないから強く言えなかった。
 そして俺は汚らしい人間を見たくないし、そういう汚い人間を目の前にしたら引っぱたきたくなるかもしれないから、キャンセル料の金を取りに行く代わりに、今回は電話でガンガン怒鳴りつけて許してやった。謝る声に少しだけ誠実さみたいなのが見えたから、「お前みたいな人間は生きてる価値がないから、ベロ噛んでとっとと死ね!」という言葉は言わなかったが、ああいうタイプはたぶん地方公務員だろう。
 また新潟市から避難したくなった。新潟市から疎開したい。いつかする。

贅沢しないと覚悟すればアメリカ軍に出ていってもらえるかも

 沖縄問題とは抑止力の問題ではない。経済の問題だ。それを世界中の誰も言わない。
 暑くてもエアコンを使えなくなる、マグロを食べられなくなる、肉も食べられなくなる、テレビチャンネルは国営と民放一社だけになる、そういうことを覚悟すればアメリカに出ていけと言えるが、俺は言いたくない。
 北朝鮮はそれを覚悟して行動している。

暑くなって辛味と苦味を思い出して思ったことの羅列

 昨日まで寒くて寒くてストーブを出したいと思っていたのに、今日になったら暑いぐらいの陽気だ。
 陽気がへんだ。

 今夜は朝まで暑いままだろう。
 眠っているうちに布団をはいで、かえって風邪でもひかないように気をつけなくては。

 暑いからビールを買ってきて飲んでみた。
 たいしてうまくもない。
 飲みなれている焼酎のほうがうまい。
 なんでも慣れているほうがいいのかもしれない。

 刺身の半額になったのも買ってきて食べているが、ここ何年か、わさびはあんまりつけずに食べるようになった。
 魚のじかのうまみを味わいたいと思っている。
 中学生の頃は、どれだけ辛味を我慢できるかが大人だと思っていて、わさびとか唐辛子とかをなんにでもむやみにかけて食べていた。

 コーヒーを砂糖を入れずに飲むようになったのもその頃からだ。
 苦いのを我慢するのが大人なのだと思ったのだ。
 これはおかげで砂糖なしのコーヒーを飲めるのは、コーヒー本来の味を分かることができるし、砂糖を切らしていてもコーヒーが飲めるから調法だ。

 それからブログでツイッターの真似をしてつぶやくように書いてみようかと思っている。
 いままで詩のまねごとのようなものはときどき書いているが、つぶやきは書いたことがない。
 このブログの役割の一つに、商売用のホームページへのリンクを増やすというSEOの目的があるが、無料ブログのメニュー部分からのリンクではSEOにはならないという説もあるが、ないよりはましだろうと思って書いてもいる。

 ツイッターぐらいのテキスト量では、SEOに役立つページとしては検索エンジンからは認めてもらえないらしいし、だから短いのはSEOのためのページにはならないという説もあるから、それもあってそういうのは書きたくないし、ツイッター自体も嫌いだしやりたくないから、ときどき遊びでここで140文字だったかのそういうのを書こうかなと思いはじめている。

 SEOのためのリンクは本文からがいいらしいが、このブログは宣伝臭くしたくないから、本文からHPへのリンクはしたくない。
 それに商売のためだけにブログを書いているわけじゃないから。宣伝用ブログはSeesaaとLivedoorでやっているから、こっちのブログは商売とは離れて書きたい。

 今日は一貫性のない、思ったことの断片を羅列した日記風ブログになったなあ。
 ページタイトルを付けるのにちょっと苦労する。

春が寒いのは初めて

 五月のなかばなのに寒い。
 天気がいいのに温度が上がらないのだ。

 作業で体を動かしているときは暑いから上着を脱ぐ。
 手をとめて一息入れると上着を着たくなる。
 動きだすと暑くなって脱ぐ。面倒だ。

 92年だったか93年だったかの寒くて米が不作の年を思い出すけれど、あのときは夏の気温が上がらなかったのであって、春がどうだったかは忘れた。

 朝晩はストーブがほしいぐらいだけど、ストーブはしまったから、出したくないから、一枚よけいに着ている。
 寝るときは毛布と布団をかけている。
 テレビは明日から暖かくなると言っているが、それほど暑くなってもらいたくもないのだ。

毛が刺さるから刺抜きをまた買う

 さっき風呂に入りながら髭を剃っていたら、指先に髭のとげが刺さっていた。
 痛くもないのだが、ふと左手の中指を見たら黒い細いものがくっついていて、ぬぐっても取れないから、また毛が刺さったんだなとわかったのだ。
 そう思ったとたんにちくりと痛くなったから、何べんも右手の親指と人差し指の爪で抜き取ろうとしたが、うまく取れない。
 このまま毛が埋まってしまって、それが血管に入って、どんどん体の真ん中に向かっていって、そうしてしまいには心臓に突き刺さって死ぬのだろうかと怖くなった。
 とげが刺さると、いつもそういうふうに考えてしまって恐ろしくなるのだ。
 心臓に行かなくても肉の中に埋まったままならば、そこで化膿するだろうから良いことじゃない。

 急いで上がり湯を浴びて体を拭いてドライヤーで髪の毛を乾かして、それから縫い針で刺して抜こうとしたら、とげは見えなくなっていた。
 もう痛くもないし、自然に抜けたのだろうと思ったが、念のために針で突っついてみたら、さっきの髭の黒い先っぽが見えた。
 針で何回か刺してほじくって、やっとのことで取り出したが、この作業が痛いのだ。だけど不思議とこの作業で血が出たことはない。毛細血管が通ってない場所に刺さるのだろうか。

 自分で髪の毛を刈るときにも、年に一回ぐらい、同じように毛の先が指先に刺さる。足の裏にも刺さることがある。
 そのたびに針でほじくることになるのだ。

 刺抜きなら簡単に抜けるのだろうが、そして買った憶えはあるのだが、どこにしまったか忘れているのだ。
 薬も体温計も置かないから、薬箱というのものもないから、刺抜きがどこにあるのかわからなくなっている。
 だからいつも痛い思いをして縫い針で突つくことになる。

 探せばどこかにあるだろう刺抜きを、また買うのはもったいないから買わないのだが、今度買って、そうして縫い針と一緒にしまっておけばいいな。

春のぶりあら

 季節はずれかもしれないぶりのあら煮を作ったらおいしかった。

 美味くないだろうと思ったから、少量パックを買った。

 いつものように下処理をしてから、煮た。

 味付けは、砂糖、塩、醤油、酒、少しの酢、少しのケチャップ。

 かぶがあったから大根の代わりに入れてみたら、いい味だった。

 かぶは早く煮えるから、さっと火をとおすぐらいのタイミングで入れた。

 ぶりの煮たのが美味いのは冬だけじゃないのがわかったから、これからも作る。

 だが今年の春は寒いから、ぶりの煮たのを食べたくなったのだろう。寒いから美味しかったのだろう。

喧嘩コメントのコツ

 やましいセールス電話をかけるときは自分の社名を言いたくないのだろう、そういう電話を取ると自己紹介の口上は、早口で聞き取れないのだ。

 自分の身元を明らかにする言葉が聞き取れない物言いになるのは、それは詐欺的商売をしているからだろう。
 そういう人間でも、ほんのわずかの良心があるのか、あるいは自分が誰かという痕跡を残さないようにする悪意なのか、だが社名をはっきり言わないのは後ろ暗い雰囲気が伝わるのだから、こういうところに依頼してはいけないと思われるだろうから、営業としては失格だろうに。

 身元をはっきり出すのはリスクがある。
 俺の数少ない自慢は、喧嘩コメントするときは必ず、身元を明らかにして書き込むことだ。
 喧嘩コメントといっても、俺の美学として、中身のないことは書かない。もちろん単なる嫌がらせをすることなどは、自己嫌悪で死にたくなるから書くわけがない。

 喧嘩コメントのコツを書く。
一つ、自分がどこの誰なのかを分かるようにして書き込む。
一つ、必ず事実に基づいて書く。
一つ、喧嘩コメントの内容は、絶対に人真似はしない。
一つ、相手が謝ったら即座に和解する。
   だが相手が自分の誤りを認めないなら、
   姑息に嘘を言い続けるなら、
   地獄の底まで追い詰める。
   もちろんこちらも相手とともに地獄に落ちるリスクを負う。
   そして自分も相手と一緒に地獄の火に焼け死ぬことを覚悟しておく。
一つ、だれかれと節操もなく喧嘩を売らない。
一つ、一番大事なことは、喧嘩を売るということは、自分のイライラを解消するための八つ当たりでもあるのだと、それを自覚しながら行為する。

 だから、威張れたことではないのだ。

Twitterがはやるのは今だけ

 前にも断言したが、ツイッターなどというものは、もうすぐすたれる。
 一日に何回もツイッターに書き込むなどというのは、暇人じゃなければできない。
 そうして他人のツイッターを何べんも見るのも、暇なことだ。

 暇人は、ちゃんとした仕事に就いていないから、お金はそれほど持っていないし、頭が悪い人間がほとんどだから、その生き方は他人の後追いだ。
 そういう人間たちが自分の人生から逃避する手段の一つとしてやっているツイッターなどというものが、世間の真っ当な生き方をしている人たちに浸透するわけがない。

 mixiだってあれほど流行っていたのが、すぐ廃れたじゃないか。Twitterも同じだ。
 ビジネスに有効だとかと言っているのは、インターネット業界の人間だけだ。それは自分の業界のことなのだから、入れ込むのは、世間に広まってほしいのは、業界の人間がそう思うのは当たり前だ。
 だが朝から夜まで必死になって働いている一般の人たちが、ツイッターがどうのこうのとか、つぶやきをしたいとか、他人のつぶやきを読みたいとか、そんなにヒマじゃないのだよ。

 しかも世の中のツイッターというのをいくつか見てみたが、馬鹿馬鹿しいのばっかりだ。
 おはようとか、どこそこに行ったとか、何を食べたとか、ブログをアップしましたとか(そのブログも、Twitterをアップしましたと書いていて、蛇が自分の尻尾を喰っているようなことになっている)、今なにをしてるの? さっき起きたんだとか、それと幼稚で浅はかなアフォリズムもどきだったり、そういうのばっかりだ。それは世界のインターネットを維持するための電気代の、エネルギーの無駄遣いだぜ。

 だけど、三つだけだが、俺も読んでいるTwitterがある。それはその人の業界の話を読もうとしているわけじゃない。読んでいて、生きるということの新しい発見があるからだ。
 やっぱり、ツイッターでも、ブログでも、何でも、十万人に一人ぐらいの人だけが、表現としての価値あることをやっているのだろう。

松井に頑張れというのは自分に頑張れといっている

 松井が1500打点をマークしたらしいが、俺が独立したのと松井がメジャーリーグに行ったのと同じ年で、松井がヤンキースのユニフォームを着ているポスターを見ると、あの頃はいつも体じゅうが熱くなったのだった。

 だが昔から松井がテレビで喋っているのを聞いていると、良くも悪くも自分勝手で、その人間としての性格は好きになれなかったのだ。だが勝負で飯を食っている人だから、そういう性格なのは当然なのだろう。それだからこそやってこれているのだろう。

 だから俺はいつも、松井の真似をして自分勝手になろうとするのだが、なりきれない情けない俺をわかってしまうのだ。これはいい人ぶっているわけじゃない。本当のことだ。
 だから、それだから仕事でも何ごとでも突き抜けないのだろうかなと思っている。
 でもそれでいいのだと、そのほうがいいのだと、思っている俺もいるのだ。
 俺は勝負ごとを仕事にしていないし、運動選手ほど体を使うことを仕事にしていない。

 だけど俺は、松井には出来ない仕事をしている。それは松井にさえも誇れることだと思っている。
 だからだろう、松井が野球の仕事をしているのをテレビで観ると、俺は自分自身に言うように、頑張れと思うのだ。

自分と同じタイプがお客になる

 人間は、自分を基準にして、他人を見る。
 ということは、途中経過を素っ飛ばして結論から言うと、商売人は、自分と同じタイプの人間しかお客にできない。

 質はどうでもいいから安いものしか買いたくないと思っている業者には、安ければいいというお客しか寄ってこない。

 ズルイ心の商売人には、ズルイ客しか寄ってこない。

 自分がお客になったときに、安くしろ安くしろとしか言わない商売人は、安くしろと連呼される。

 俺は何年か前に言われたことがある。
 ダガシよ、ハウスクリーニングを商売にするのなら、金持ちの気持ちが分からなければ駄目だと。
 自分でも金を使う行動をしなければ、客の立場になれないと。客の心理は知れないと。
 貧乏くさい心の人間には、ハウスクリーニングなど商売に出来ないぞと。

 といってそれは浪費をしろというわけではないだろう。
 年収の高い人は、節約することも知っている。
 良いものを買うときには、お金を惜しまない人が多いということだろう。
 そういう人は、仕事というときは、いつも費用対効果を考えていて、自分の仕事でも、依頼した仕事でも、その仕事の結果を必ず求める人だろう。
 そうであれば、俺もそういう人間だ。

携帯電話用パーソナルアンテナ特許取得したい

 巻機山で五人が遭難したと朝のニュースでいっていた。
 携帯電話を持っているが通じないといっていた。
 登山で携帯電話が通じたら、登山は楽しくないだろう。
 でもこういうことがあったとき、携帯が通じたら便利だろう。

 ヘリコプターで捜索しているニュース映像を観ながら思いついたのだが、ヘリに携帯電話のアンテナを付けて飛ばしたら、平地の電波がヘリのアンテナに届いて、そこから遭難者の携帯電話に届いて、家族からや警察からの電話がつながるのじゃないかと。
 ヘリ一台でつながらないなら、二台か三台飛ばして、電波を経由させるとか。

 登山道のあちこちにアンテナを付けるのはコストがかかるだろうし、なにしろそんなものがあると無粋だ。
 こういう緊急のときだけ、ヘリコプターに電波増幅器みたいなものとアンテナを積み込んで、捜索したらいいのじゃないかな。
 技術が発達すればできるのじゃないかな。

 それと夕方思いついたのだが、家の部屋の中でも、携帯がつながるところとつながりにくい場所がある。そういう場所のための、パーソナル携帯電話用アンテナみたいなのを作ったら売れるかなと。
 テレビは、一つの家に一本のアンテナで受信している。衛星テレビの丸いアンテナも、一世帯で一つをつけている。
 携帯がつながりにくい家は、自分でそういうのを買って付けたらいいのじゃないかな。
 これも今の携帯電話業界のすさまじい進歩なら、作れるだろう。
 一つ二万円くらいなら売れるのじゃないだろうか。

 そういうのを作ることができて、携帯電話用パーソナルアンテナが世の中で沢山売れたら、そして遭難者捜索用のヘリコプター取り付け用アンテナが人命救助に役立ったら、俺にアイディア料として五百万円くらいくれ。
 そうして遭難した五人は、無事救助されたそうだ。

横書き文学読んでみたい気する

 電子書籍というものが流行ると聞いている。
 それはアメリカから始まったのだから、横書きだ。
 日本の文章は縦書きだ。
 電子書籍が普通になったら、日本語も横書きが普通になるのだろうか。それとも画面上で縦書きが残るだろうか。どっちも使えて、選んで見られるのだろうか。そうならば、どっちが多く見られるのだろうか。

 私は横書きが多くなるような気がする。
 そうすると、エッセイも小説も、横書きになるのだろう。
 もともとホームページやブログは横書きだ。
 ブログを始めるときに縦書き用のブログを探して、一つ見つけたのだが、試験運用で一般利用者は使えないということだったから、あきらめたことがある。
 それからは横書きで書いてきた。

 昔、ワープロで縦書きでキーボードを打っていたことはあるが、もう縦書きでまとまったものは十年打ってない。
 手書きならなおさらで、原稿用紙で縦に書いたのは、十五年間ない。
 何かのメモを取るのも、全部横書きだ。

 今は毎日ブログで、横書きで日本語を書いている。
 横書きで書くのも、読むのも、慣れたかもしれない。
 漱石や芥川や太宰を、横書きで読んでみたい気もする。

ガスストーブの借りは返す

 今年の春は天気が悪くて寒くて、五月になってもストーブを出していた。
 それが五月の三日からだろうか、急に陽気が暖かくなって、カーディガンも脱いで、ストーブもつけなくなった。今日は最高気温が三十度近くなったのだ。明日の朝は十八度だと天気予報で言っていた。夏になったみたいだ。

 連休最後の子供の日の、朝早くに突然電話がかかってきたのだが、「ガスショップですが、ストーブを取替えに行きたいのですが」と言った。
 タダでストーブを替えてもらえるなんて、どう考えても常識で考えても、おかしい。タダより怖いものはないのだから。俺は用心して聞いた。
「おたくは本当に北陸ガスですか? いたずらじゃないのですか?」
「本当ですよ、うちの電話番号を言いましょうか?」
 電話番号を言われても、それがいたずらかどうかは証明できないし、電話の向こうで聞こえる声は本当らしい響きだから本当なのだろうと、いったん信用することにした。
「あと三十分だけいるから来てもいいけど、その後は出ますよ」と答えたら、「これから行きます」と言った。

 こんど新潟市はガスの種類が変わるらしく、去年の年末だったか、この冬の終わりごろだったか、北陸ガスの職員がガス器具の点検に来て、新しいガスの種類に合わない器具は、無償で合うように修理すると言っていたのだった。

 電話を切って、歯を磨いたりシャワーを浴びたりしていると、俺よりいくつか上の年恰好の男が、新しいガスストーブの箱を抱えてやってきた。
 俺は本当だったのだなと思いながら、電話で言われていた印鑑を用意しながら聞いた。
「この経費は、どこから出るのですか? 税金ですか?」
「北陸ガスが出しているんですよ」と男は得意げに言った。
 俺は恩着せがましい男の物言いがシャクにさわって、「ということは元々は、私を含めた、人々が払ったガス代から出ているんですね」と言ってやった。
 男は急に黙って、横を向いた。また新潟市民のレベルの低さを見たと思った。

 それでも北陸ガスの社員では初めて見たぐらいのテキパキさで、男は箱からストーブを出して、ガスのホースをつなぐと、カチッカチッとスイッチを回して火がつくかどうか確かめてから、決まりなのか、その状態の写真をデジカメで撮って、俺に押印を求めて、素早く帰っていった。
 それは単に、男はこの仕事を早く終わらせたいと思ってのことだったかもしれない。

 新品に替えてくれたのは、修理するコストより、新しいものに替えるほうが安く済むのだろう。だから、ことさら俺がありがたがることもないのかなと思ったが、でも新しくしてもらったのだからお礼を言おうと思って、帰る男に「ありがとうございました」と言ったら、男のほうも「ありがとうございました」と返した。

 替えてくれたストーブはメーカーの中で一番グレードの低いタイプだったが、新潟市民に借りを作った気がした。いつもより善いことをして、返す。

自転車オイルは誰かと一緒に使うべきもの

 連休中は、いつもより人間が多くなっているような街なかや、田植えをしている田んぼのそばの道を、自転車で少し走ってみた。
 三年は乗っている自転車だ。
 つくりが安いのか、チェーンやギアのところから、ガラガラとかギーギーとか音が鳴るようになっていた。

 この春に引っ越し清掃を受けたお客さんから、自転車のチェーンの油が欲しいんだと聞いて、ムサシに自分の仕事道具を買いに行くついでに、自転車売り場に行って、専用オイルを買ってきて、お客さんに渡したのだった。

 お客さんは、198円のものを恐縮がって、200円を俺にくれた。
 俺はこのぐらいのことで金をもらおうと思っていなかったが、俺と同じで何ごともきっちりすることが好きな人みたいだったから、あえてもらった。

 それがあって、俺も自分の自転車がいやな音がするようになっていたのを思い出して、またムサシに行ったときにオイルを買って、自分の自転車のチェーンや変速ギアに差した。
 そうしたら、まるで音がしなくなったのだ。新品に乗っているみたいな感触なのだ。

 そういえば俺の車のドアも、運転席側のドアだけが、開け閉めのたびにギーギーいうようになっていたのを思い出し、買ってきた自転車用オイルを差した。
 そうしたら車のドアも、いやな音がしなくなって、新車に乗っていると間違えるようになった。

 自転車用のオイルは粘度が低いから、車のドアの蝶番に塗るのは良くないかもしれない。専用グリスのほうがいいのだろう。
 だけど、ほんの二滴ぐらいを差しただけで見違えるようになったのだから、これは効果があると思った。

 それに100ccで198円だ。安いものだ。
 この量なら五十回以上は持つだろう。一年で二回油を差すとしても、二十五年は持つ計算だ。俺が生きている限り使える量だろう。それでも余る量だろう。
 だから誰かとシェアしたいのだ。

清掃仕事の自信を持つには、決心

 掃除の会社に勤めていたとき、アパートの空室清掃の一つ一つの作業に、時間がかかって、時間がかかって、まるで終わらなかった。
 特に風呂の掃除は一日やっても終わらなかった。
 最後にすすぎの意味で浴室全体にシャワーで水をかけるのだが、天井に水をかけると、上から水がたれてきて、頭から背中からビショビショになった。
 今では、やり方のコツを覚えたから、体が濡れることもなくなったが、初めての浴室清掃は、作業着がグッショリ重くなるほど水をかぶって、帰りの車のシートを濡らして、社長にあきれられたのだった(独立してからは、最後にスクイージーというゴムワイパーで天井の水気を取っている)。

 窓掃除でも、特にサッシの溝の汚れを取るのは時間がかかった。
 これもコツを覚えれば、それほど時間はかからずにキレイになるのだが、やり方を知らないうちは、一日かかっても終わらなかった。

 先輩は、「自信を持てば出来るようになる」と言った。「十回くらい一人でやれば覚える」とも言った。
 先輩が作業しているところを横目で見ながら、ポイントを盗もうとした。
 だが自信を持つためにはどうすればいいのかは、誰も教えてくれなかった。

 今なら分かっている。
 仕事の自信を持つためには、自分の商品に自信を持つことができればいいのだ。
 自分の商品とは何か。
 空き部屋掃除なら、汚れ落としの知識と技術と仕上がりだ。

 その汚れ落としの知識と技術は、どうしたら身に付けることができるのか。
 それは、化学の知識を得ることだ。
 化学といっても別に大したことでもない。アルカリ性と酸性の関係とか、還元とか、その程度のことだ。他に、界面活性剤とか、アルコールとか、石油系溶剤の知識とかだ。
 あと、プラスティック、樹脂、金属、ガラス、瀬戸物、木、そういう素材が、アルカリに弱いのか、酸に弱いのか、それもどの程度弱いのか、それぞれの素材の硬さ、傷つきやすさ、そういうことを知れば済む。

 それから道具の使いかた。
 ブラシの動かし方、スポンジの動かし方。手首や指先の動かし方。体の動かし方を、人間工学というところから考える必要もある。

 汚れている部分の見た目と触りぐあいと、汚れを落とした後の見た目と触りぐあいの違いを知ること。

 その汚れは何で出来ているのか。それが分かったら、何の洗剤を使えばいいのか。どのくらいの温度で作業すればいいのか。何の道具を使えばいいのか。そういうことの知識を貯めること。

 その作業はどのくらいの時間がかかるのかを把握すること。
 時間のことでいうならば、作業別の段取りを組むこと。
 そのためには、いくつかの作業を同時進行する。
 例えばトイレと風呂に、洗剤を塗っておいて、中途半端にしながら、あっちに行ったりこっちに行ったりしながら、一緒に作業する。
 風呂だとかトイレだとかキッチンだとかの、一箇所だけにつかまって、風呂が終わったらトイレ、トイレが終わったらキッチンというやり方は、簡単だが、効率が悪く、銭取り仕事にはならない。せめて洗剤を塗っておいて、洗剤が効いてくる時間を、別の作業に充てなければ、プロではない。

 そのためには、一つの場所だけに神経を集中しないことが必要だ。全体が見えなくなるから。強い洗剤を塗っておいたのを忘れて、素材を傷めることがあるし、汚れが洗剤で溶けたタイミングで落としておかないと、洗剤で溶けた汚れが乾いて、また固まって、初めからやり直しになる。溶けた汚れが、周りに広がったり、素材に染み込んだりすることもある。
 そうしないためには、汚い場所と汚れが少ない場所を、セットにして一緒に作業すると、それぞれの場所に目配りがしやすく、効率がいい。

 この、いくつかの作業を同時進行することで、在宅ハウスクリーニングの、セットメニューの割引価格ができるのである。
 セットメニューとは、単なる値引き商品ではないのである。

 そうして一番大事なことは、汚れを探す探究心、その汚れを落とそうとする決心、その二つをいつも持つ。

 清掃会社に勤めていた最後の頃は、こういうことが空室掃除のポイントだと分かってきた。

 だが在宅ハウスクリーニングの場合は、作業の知識技術だけでは仕事にならない。
 作業など、できていて当たり前。いつまでも作業のことを話題にしているようじゃ、自己満足のところで止まっていることになる。お客さんのことを考えられなくなる。
 だから、むしろ作業より接客のほうが大事と思うぐらいの方が丁度いい。マーケティングのことだって、セールスのことだって、考えなければならない。

 在宅の商品は、作業の知識技術ではなく、仕上がりでもなく、自分という人間が一番の商品だと心得る。
 そして仕事は、そこに住むお客さんを幸せにするぞという決心から始まる。
 これは、空き部屋掃除をやっている業者には出来ない決心だ。

てにをはでブログを見てみると

 ブログも業界によって書き方が違う。
 内容は別にして、文体も置いておいて、誤字脱字と「てにをは」に神経を使っているかどうかで見てみる。

 医者ブログに喧嘩コメントをふっかけてきて、だから読んできたが、お医者さんのブログには誤字脱字はまったくなかった。てにをはがおかしいのもなかった。
 さすが頭がいいのと、お医者になって注意深さが鍛えられたからだろう。だから自分の書いたものを何べんも読み返して推敲しているのだろう。それは努力家だからでもあるのだろう。
 ストーリーというか内容の理屈も、整合性のないものはない。やっぱり医学部に入るだけの、もともとの頭の良さがあるんだな。

 ハウスクリーニング屋のブログは、まるで駄目だ。
 内容は置いておくと言ったが、内容などない、底の浅いものばかり。
 誤字脱字も頻繁にあるし、てにをはなどまるで関係なし。
 内容がないのに、理屈が合わないことをのんきに書いてスマシテいる。
 そして偽善的な、一生懸命やっていますとか、うちは安いですとか、素晴らしい仕上がりですとか、お客さんに喜ばれましたとか、クサイことを平気で書いている。
 やっぱり、まともな会社に勤められない人間が、掃除だったら誰でもできそうだから、俺もしょうがないから掃除屋にでもなるか、となった人だらけなんだな、と分かる。
 誤字脱字、てにをは、内容の整合を合わせる、そういうことに手を抜いている。怠け者なんだな。
 しかも、自分の宣伝用ホームページのSEOのために、自サイトにリンクさせているのだから、名前も住所も分かるのに、そういう頭の悪い怠け者だと思わせるブログを書いている無神経さにあきれるのだ。

 経営コンサルタントのブログも読むのだが、これも掃除屋ほどじゃないが誤字脱字が多いし、てにをはにも気を遣っていない。中身は、誰でも知っている当たり前のことを、得意げに書いているだけ。
 この人種も、頭の程度や仕事振りは、察せられる。

 SEO業者のブログを最近読んでいるが、この業界のブログは掃除屋ブログに匹敵するほど、というかそれ以上に駄目ブログばかりだ。
 まず、内容など、まるでない。
 SEOのキーワードを入れ込んだエントリーを量産するためのブログ。
 誤字脱字は当たり前。てにをはは、実験小説を書いているみたいに抜けていたり飛んでいたり別の助詞を当てはめていたりする。そういうのは逆に面白いこともあるが。
 考えてみれば、SEO業界の人間も、まともな会社に勤められないから、SEO会社にでも勤めようか、今流行っているみたいだし、横文字商売でカッコイイし、いくらでも客に料金をふっかけられて儲かりそうだし、ということでやっているのだろう。だが実態は詐欺的商売の集団だ。
 そのブログに自分の写真を出しているのも多いのだが、これも頭の悪そうな、そして威張っていそうな、腕を組んでいたり、下側から撮って見下ろすようにして偉そうにしてみたりと、いかにもセンセイと思わせようとしている撮り方だ。馬鹿な社長やセンセイ商売の写真の出し方だ。そういうのは信用ならないのに。

 そうしてみると、お医者さんのブログを読むと、内容は医療費を増やせというのがほとんどでゲンナリするのだが、文章を読むと、気を遣っていて、ほっとする気持ちになる。少なくとも、まだ世の中には、まともな文章を書く人がいるのだな、と思えるのだ。

 だけど俺が本当に読みたいブログは、業界の話のことじゃなく、その人の日常のことを書いていて、その日常の中の、俺の知らない発見を教えてくれるブログだ。
 そういうブログは誤字脱字もないし、てにをはの間違いもないのだけれど、でもたまに、俺を驚かす助詞の使い方をするのだ。そういうのを読むと嬉しいのだ。
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