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徒然のブログ

つれづれの思いなどを

夜中に目が覚めたときはラジオ

 新しいラジオを買った。ポケットに入れられる大きさのだ。作業中に腰袋に入れて、小さく鳴らして聴いている。そうすれば大きな音でなくても聞こえるから、集合住宅の共用部や外で仕事をするときも、まわりに迷惑にならずに聴くことができる。

 季節の変わりめで夜中に目が覚めることがある。そういうとき、テレビをつけると急に明るい画面を見てまぶしくてクラクラするのだけれど、ラジオなら暗いままで音を楽しめる。
 枕元に置いておいて、目が覚めたら、小さく聞こえるか聞こえないかぐらいの音にして、そのまま眠る。

地震速報を聞いた人間と聞かなかった人間

 夕方、あるアパートの共用階段を、塗装と清掃とコーキングのリフォームをしていたら、ラジオと携帯が同時にヘンな音を立てた。
 ヘンなところからのヘンなメールが来たのかと思って、そして偶然ラジオが壊れたのだと思った。
 そうしたらラジオが、地震がありますだったか、地震が来ますと言った。同時に携帯を開いたら「緊急地震速報、福島県で地震発生。強い揺れに備えて下さい(気象庁)」という画面が出た。
 あわてて道具をすみにおいて外に出た。
 道路の真ん中に立った。そこが安全だろうと思ったのだ。車は走ってこない。そして地面は揺れていない。

 隣の家を見ると、そこの奥さんが、のんびりと玄関のまわりを掃いている。向かいの奥さんも自分の家の塀のわきを掃いている。大地震がきたらあの塀は崩れて奥さんは下敷きになる。一瞬そう思ったが、揺れが来る気配もない。奥さんは携帯電話など持たずに、そしてラジオなど聴いてない。大地震が来ることも知らない。のんきに掃除をしている。
 俺は奥さんに声をかけようかどうしようか迷ったが、地震が来るならもうとっくに来ているはずだろうが、揺れないのだから、福島県の地震はこっちには来なかったのだろうと思いなおして、アパートの中に戻った。
 ラジオは福島のある場所が震度4だと喋っていた。下越は震度1だったそうだ。
 しかし地震というものは地震速報と同時くらいに来るものじゃないだろうか。だけどこういう地震の知らせは、しないよりはしてくれたほうがいい。

手と足の指の数

 五本指の靴下を何足か買った。
 去年一足だけ買ってみて、はいているとまあまあ気持ちがよいから今年も買った。

 五本指の靴下は、はくのに時間がかかる。
 靴下の指の筒一本一本に、足の指を入れていく。
 足の指は感覚がにぶくて、動きもにぶくて、うまく入らない。

 それでも手の指を使って、やっとこさっとこ足の指を入れていると、片足で五回、両足で十回かかる。そうすると足の指は五本なのだと実感して、手の指も五本で、手と足の指は同じ五本で、どうして同じ五本なのだろうと思った。

すこし秋になっている

 おでんを煮た。
 カーディガンを洗濯して着た。
 サンダルをしまって厚手のスリッポンを履いた。
 短パンを洗濯してしまって、長いトレパンを穿いた。

 かけ布団はまだ出してない。
 ストーブもまだ出してない。
 熱燗はそもそも呑まない。
 夜は、月が星がひかりをつよくするから、寒くなる。

おせっかいで心臓の痛み

 このあいだ突然心臓がチクチク痛くなった。精神的なことではない。肉体というか心臓の肉そのものが痛くなったのだ。生まれて初めて心臓には肉があると意識した。
 どうしてだろう。
 たしか父方の巻きは心臓が悪いそうだが、俺は今まで心臓が痛いなどということはなかったし、運動は得意なほうで、まあまあ持久力もあるほうだと思ってきた。

 何か悪いものを食ったか? 酒を飲みすぎたか?
 いや、食生活は普段どおりだ。

 急に寒くなって風邪をひいたか?
 別に寒気もしない。だるさもない。食欲もある。
 どうしてこうなったか、思い当たることがないのだ。

 だが一つだけ、あった。
 その前日、自転車で弁天線を走っていたら、向こうから高校生らしい男子が自転車を勢いよくというか必死でこいできた。その後ろから警察官が「まてー!」と叫びながら、その男子を追いかけてきたのだ。
 俺はその若い男が引ったくりかなにかをやって警察に追いかけられているのだろうと思って、警察は自分の足で走っているのだし、男は自転車なのだから、自転車に乗っている俺が追いかけなければならないと思って、Uターンして男を追いかけはじめた。

 男との距離は50メートルくらいだ。途中の信号が赤だったが男は信号無視をして道の向こう側に行ったが、俺は後ろから警察官がいるのを思い出して、一旦止まって、警官が来たのを確認してその警察官に、「おまわりだろ、信号を無視しろ。行け!」と指示した。
 警官は俺のほうをにらむようにチラッと見てから、片手を上げて車を制して向こう側に走った。俺もその後を続いて、それから警官を追い抜いて自転車をこいだ。

 男との距離は80メートルぐらいになっている。男はときどき後ろを振り返っている。男は駅のほうに向かっているようだ。俺は男に追いつこうと、追いつけるだろうと、全身の力をペダルにこめて自転車をこいだ。

 だが追いつけないのだ。なぜだろうと不思議だったが、俺は運動が得意だなどとうぬぼれているけれど、五十近いオジサンが必死になってペダルをこいでも、若い男の体力には負けるのだろうなと思った。そうしたら足の力が一瞬ひるんだが、そう思いながらでもまた力をこめなおして、ペダルをこぎつづけた。

 男は紫鳥線の先の小路を左に曲がった。俺もその細い道に入った。そうしたら男は見えなくなっていた。その小路から何本もさらに細い道が左右に分かれていて、男がどこの道に行ったか分からない。俺は一本の道に根拠もなく入っていってしばらく走ったけれど、男は見えなかった。
 引き返して別の道に入ってみたが、いなかった。
 男は俺の知らない道を通って、知らない場所に逃げたのだった。
 俺は自転車をとめて、三秒くらいいろいろなことを考えたけれど、あきらめて、引き換えした。そのとき考えたいろいろなことは、どうしてか思い出せない。

 2キロくらいは全力疾走で走っただろう。こんなに思い切りペダルをこぎ続けたのは生まれて初めての経験だ。

 俺は帰り道をゆっくりと歩道を走っていくと、向こうに二人の警察官が歩いていて、俺は追いついて、チリンチリンとベルを鳴らしてから横に並んだ。
「すいません、見失いました」と言おうとしたら、うまく声が出ずに、のどの奥が紙やすりでこすられているように痛かった。息をするたびに、おれの胸の内側から、俺とは別の生き物が、狂ったように俺の胸を叩いているのがわかった。
「あ、さっきの。ありがとうございました」
「あいつは何をしたんですか」
「とくに何をしたわけじゃないんです。声をかけたら黙って逃げたから、何かあると思って追いかけたんです」

 俺はいい運動をしたと思って、さよならと挨拶して走った。後ろから、おまわり、信号無視しろと俺が命令した若い警官が、「ありがとうございました!」と大声で俺に挨拶した。

 その次の日の夕方に、心臓が痛くなったのだ。
 痛みはときどきチクチクと二日間続いて、その後はなんともない。
 たぶんそれは、急に全力疾走して、心臓と肺と、全身の筋肉を使って、2キロもダッシュを繰り返したようなもので、だから心臓の筋肉が、軽い肉離れになったようなものかなと思ったのだ。

 それからは、年をかんがえて、急に激しい運動はしないようにしようと決めた。
 それと、へんな正義感は、おせっかいだと再認識した。したが、そういうおせっかいは全部やめようとは思っていない。

結婚したいと思わせたゲゲゲ

 朝、出がけにもう一度顔を洗う理由はゲゲゲの女房だ。
 毎朝涙が出るから、顔を洗って出るのだ。

 今日最終回だった。
 ほとんど毎日観ていた。
 仕事で観られなかったのは三、四回だった。
 8:15に終わるから、そこから出れば九時前にお客さんの家に着くから、観られた。

 ゲゲゲの女房なら、女房が欲しいと思った。

海の広さを泥棒されるのか?

 同じ中国タヌキでもオザワよりセンゴクが嫌いだ。センゴクは好きになれない。チュウゴクいまに見ておれ。四千年の歴史の中の思想は好きだし尊敬しているが、今のチュウゴクはボウリョクダンでイナカモノの集まり。だけど七十年くらい前までは日本もやってたことだが。

彼岸のかわりめで体から頭

 夏の終わりにも大雨が降ったし、きのうからも大雨が降っている。
 そうしたら突然冷えて、体が驚いているぐらいだ。

 今年の暑かった夏の分、そのぶん秋と冬は冷えるだろうか。

 今日の秋分の日で、明日からだんだん陽がみじかくなると思うと、さびしくもあるけれど、体をやすめて頭を使うほうにする季節になると思えば嬉しいと思う。

去年を思いださせる出ない月

 今日九月二十二日が、今年の中秋の名月だそうだ。
 でも雨降りだ。月は見えない。

 たしか去年は名月のことを書いた。
 そのときはまん丸い月のことを書いて、そして今もそのとき見た月の形と色を憶えている。
 十五夜お月様は今日出ない。

何十年ぶりに果物を食べたいと思う秋

 今年の秋はくだものを食べたい。普段くだものなど嫌いだし興味もないのだけれど、今年の夏が暑かったせいなのか、食べたいなどと思ったのだ。

 何が食べたいかというと、何でも食べたい。
 梨も、柿も、葡萄も。葡萄などすっぱくて嫌いだったのだが、食べたい。

 桃は甘さがべたべたして気持ち悪くて食べたくなかった。今年の夏も食べなかった。スイカは二、三回、少量を食べた。
 夏はそのくらいだった。

 葡萄を口に入れて、ああやっぱり酸っぱいなと後悔するかもしれないが、今年は食べたい。

松浜橋と湖

 仕事で松浜橋を渡ることが多かった時期があって、阿賀野川は広いのだなと思った。
 橋を渡っていると、川ではなく湖に似ていると思った。
 向こう岸が遠いのだ。
 琵琶湖とか、諏訪湖とか、猪苗代湖とかを思い出した。
 川だから、それほどの距離が向こう岸まであるわけもないのだが、遠くに松林が島みたいに見えて、湖みたいに思ったのだ。
 車の距離計で橋の長さを測ったら、1、1キロだった。
 松浜橋は、橋の真ん中で、橋の歩道から釣りをしている人が多い。

眠りのバイオリズムは季節に合わせる

 夜中に目が覚めるようになった。
 季節の変わりめだからだろう。
 それは涼しくなって体が驚いているからだろうか、それとも体が体の奥のほうで毎年の季節の時間の流れを覚えているからだろうか、それは両方だろうが、季節は時間通り来ているから、どちらなのかは証明できないが。

 九月、十一月、一月、三月、五月、七月と、奇数月に眠りの波が崩れるようだ。いや崩れるわけではなくて、季節が変わるときに、眠りも季節の変わりに合わせるのだろう。
 もうすこししたらまた、ぐっすり眠れるようになるだろう。

皆さんへのブログなど書かない

 俺のブログは、皆さん、などと死んでも書かない。
 俺のブログは俺の独り言だからだ。

 母親が死ぬまでは、母への手紙としての二人称だったが、今は一人称だ。いや俺の独り言なのだからゼロ人称だ。

 皆さんなどと呼びかけているブログを見ると反吐が出る。その商売ッ気が汚らしい。それでいて、どうでもいいことを「皆様」に向けて書いているのだから笑うのだが。

 よくホームページやブログは、あなたと呼びかけろといわれるが、それも商売ッ気がミエミエで疲れるのだ。「~ですね」という「ね」も、あざとい。

 かんがえてみれば日記ブログに敬語を使って書くのはおかしいじゃないか。日記は自分しか読まないものだ。自分しか見ないものに丁寧な言葉遣いをするのはヘンだ。そして誰かに向けての日記というのも矛盾している。それを考えて考えて考え抜いたうえで、自分の結論を出して、丁寧語を使って、皆さん、と呼びかけるのならばいいのだが、何も考えずに皆さんと書くのだから腹が立つのだ。

 ブログとは人目に触れさせようと書くものだ。俺が書いているこれもそうだ。
 だからブログで日記を書くという矛盾を自覚しているかどうかと、その矛盾を楽しむものだ。

 日記の体裁でないブログなら、それはどう書こうが勝手だ。宣伝目的のホームページとしてのブログなら、皆さんと呼びかければいい。それが効果があるかどうかは知らないが。

世間になじむための仕事のスジミチ

 ときどき思うのだが俺の人生は、俺のような世間になじめない人間が、どれくらい世間に溶け込むのか溶け込めないのか、実験の人生なのかなと思うことがある。

 世間でいう善人にもなれないし、悪人にもなりきれない中途半端な人間が俺だが、まるで世間の水に溶けないわけじゃないのは、自分で商売をしているところがそうだろう。

 金がもうかるとか、明るい家庭をほしいとかいう、世俗的な価値観に興味がないのだから、世間的な商売をする資格はないのだろうかとときどき思うのだが、それがそうならば仕方がない。

 一点信じようと思うのは、俺を信じてくれて頼んでくれる人を、必死になって幸せにして、そうしたら、その幸せの分量の対価として、その人から、幸せの分量分のお金をもらえる資格があるのだということだ。

 それならそれは、世間の善悪ではなくて、筋道だから。

塩を減らしていく季節

 今年の夏はしょっぱい味に慣れてしまった。
 塩分補給だとか塩っ気を取れと連呼されてその気になって、げんに汗をかくから塩は取らなければならないと、うす味がすきなのに、我慢してしょっぱい味付けにしてきたのだ。

 それに残った料理を食べるときのにおいが、今年は傷んだような危ないにおいが多い気がしたから、塩や醤油を多めに入れて料理していたのだ。

 だがもう濃いめの塩分はいらない季節だ。気をつけねば。

救急車は呼ばないという暗黙のルールがあったのかもしれない

 押尾という元タレントの裁判のことだが、争点は、女を救急車で運んでいたら命が助かったかどうかということらしいが、死にそうな人間を見たら救急車を呼ぶのは当たり前だと思うのだが、それを誰も言わないのが恐ろしい。

 たしかに救急車を呼ぶか呼ばないかは、そばにいる人間の勝手で、そばにいる人間にそこまで期待するのは甘えているのかもしれないが、それぐらいは甘えたい。

 それを押尾に甘えるなと言われたら、たしかにスジミチはそれはそうだから、それならば、麻薬を持っていて、それを飲む罪を死刑にすればいい。

 俺は死ぬまで自分から麻薬は飲まない自信がある。これは断言できる。なぜならば俺の意識や理性が、麻薬なんかで変わってしまうのが嫌だから。俺は自分の理性に自信と誇りを持っている。俺は思い切り人を怒鳴りつけるときでも、大声で興奮してブルブル手を震わせながら、演技として、理性を持って冷静に怒鳴りつけることができるのだから。
 だから麻薬に縁のない俺にとって、麻薬の罰則が全部死刑になっても、俺にはどうということもないのだ。

 それと、死んだ女の人は、死んだということは可哀想だが、押尾がそういう場面でも救急車を呼ばないような人間で、どんな場面でも自分のことしか考えない人間だとわかって付き合っていたのだろうし、しかもそういう人間とセックスまでして、しかも麻薬を使ってセックスしているのだから、これは自業自得だろう。

 あいつらには、自分が死にそうになったとしても救命処置はしてもらえなくて結構、相手がそういうことになったとしても助けない、という暗黙のルールが、お互いにあったのかもしれない。

 もしそうだったとしたら、他人が口をはさむことではないかもしれない。

家畜なのか? 太らせられて喰われるのを待っているのか?

 菅が再選されて気分が悪い。
 菅首相個人に恨みはないが、これで菅を含めて日本国中がオンナコドモだらけだと分かったことが、気分が悪い。
 自分が家畜だと分かっていない家畜根性の日本人が、またもっと嫌いになった。
 それならこんどは民主党を倒す。今までも投票所で民主党などと書いたことはなかったけれど。だからといって自民党は駄目だが。

カエルにペンキ

青蛙おのれもペンキぬりたてか
 芥川龍之介

 詩とか俳句とかの知られたものを集めた本に載っていたから写した。そしてホームページに借りた。

オンナコドモに支配される国になるのか?

 菅は人間として小さいし、底が浅い。オンナコドモのたぐいだ。
 ものごとに対して責任を取らない。というよりも、責任が要る場所に行かないようにする人間だ。
 それは喋る中身と顔つきを見れば分かる。

 首相になる前は、政治家としてはまあまあだと思っていたが、駄目だった。
 菅は与党の政治家としては無能だ。総理大臣などをやらせておくのは日本にとって良くないぞ。

 菅の今の支持率が悪くないのと、小沢よりその数値が高いのは、支持率調査が、昼間家にいるオンナコドモに聞いているから、そういう数字になっているだけだ。
 タカリ根性のオンナコドモは責任を取らないし、取ろうとしないのだから、自分の仲間である菅を支持しているだけなのに。

 といって小沢がとっても良いわけじゃない。中国にすりよっているのは気持ち悪いし、危ない。
 だが、菅よりは何倍も良い。
 小沢に総理大臣をやらせてみて、もし駄目だったら辞めさせればいいのだし、税金から個人資産を作っていたとかという何か悪いことをしていたら死刑にするか、すくなくとも個人資産は没収して牢屋に入れればいいのだ。

 菅が再選されたら、日本はオンナコドモが支配する国に成り下がるぞ。
 もしそうなって、泥棒根性の公務員天国の仕組みがもっと強まっても、愚痴を言うなよ。

ももに当たる紙の感触で季節を思い出す

 夏場には冬の寒さを思い出すし、冬には夏のジトジト暑いときを思い出すのだが、今年の夏は暑すぎて、冬を思い出すヒマはなかった。

 とくにパンツいっちょうでいるときに(部屋では冬以外はいつもパンツいっちょうだが)、あぐらをかいて、雑誌をひらいて、ももに置くときに、ももが冷たいか、汗で雑誌の紙がひっつくかで、季節を感じるのだ。

 コーティングされていない紙ならば、気温によって熱い冷たいはないのだが、ツルツルした紙は、寒くなるとてきめんに氷みたいに感じるし、夏場にはフィルムみたいに気持ち悪く皮膚にくっつくのだ。

 もう三日間エアコンはつけていない。秋になったのだろう。これから台風が来る。

リフォームホームページの検索順位が下がった

 想定しているキーワードでの検索順位が大幅に落ちた。
 このあいだまで14位から18位の間でいったりきたりしていたのが、昨日、いっきに30位になった。
 この順位が、サイトとしての今の実力なのだろう。

 出来上がって12、3日なのだから、そんなに早く順番が上がったら、グーグルだって困るだろうし、俺だってまた根拠のない生意気さがせり上がってしまう。

 少しずつ更新して、外部リンクもちょっとずつ増やしていけば、1ページめに行くだろうと思っている。

熊も鮭をたべているだろう

 秋鮭を買ってきて、シチューに入れたのと、フライパンで炒めたのを食べた。
 どっちもうまかったが、ただ塩味で炒めたののほうがうまかった。
 しょうゆをちょっとたらしてみたら、もっといい味がした。

 生の鮭は皮がかたいけれど、煮たり焼いたりするとやわらかくなって味が出るのだな。

 この鮭は海で捕れたのだろうが、食べながらふと、どこかの川の上流で、手づかみで鮭を捕る熊のことを思った。

塩化ナトリウムを作れるかもしれない体

 塩分補給、塩分補給と言われた今年の夏だったが、塩は人体に害悪だと言われ続けていたのに、一日7グラム以下にしましょうと言われていたのに、今年の夏は、塩飴だとか、初めて聞く品物を知った。

 馬やハムスターは、体のつくりの関係で、運動しつづけて、すなわち走り続けていかなくてはならない、という生き物らしいが、塩分補給はどうやっているのだろう。
 ハムスターは知らないが、馬は大量に汗をかくのは知っている。
 ということは馬は汗といっしょに塩分を排出しているだろう。
 ということは塩を摂取しなければ生きてはいられないだろう。

 あいつらは草を食っている。
 草には塩っ気はないぞ。
 どこかで水は飲めても、いや水だってあいつらにとっては貴重品だろうが、塩よりは手に入りやすいだろうが、その大事な塩をあいつらはどこで手に入れるのだろう。
 草に塩味はしないぞ。

 ということは、汗でも尿でも、塩を出さない体の仕組みになっているのだろうか。
 そうでなければおかしい。
 そうでなければ、もしかして、塩を体の中で作り出すことができるんだろうか。

秋のおそい気配

 今日は久しぶりに雨が降って気温が下がった。
 だから水風呂に入ろうとしたが寒そうで、お湯をはって入った。
 台風が来るといっているが、いちどきに降らないで、十時、昼どき、三時、夕方五時、夜十時と、こまかく分けてシャワーみたいに降ってくれれば、土にも家にも水がかかって、それが蒸発して、温度が下がるのになあ、と思うのだがそううまくはいかないだろう、自然が相手だから。

 暖かいお湯につかって、上がってからも扇風機を回さない夜は、梅雨明けいらいの夜だ。
 窓の外でうれしそうに虫が鳴いている。

漱石のエッセイ

 漱石のエッセイ集を読んだ。
 小説は、誰もが知っている「猫」と「坊ちゃん」の二つしか読んでない。
 他のを読もうとしたけれど、なんべんも読もうとしたけれど、つまらなくて二、三行でやめたのだ。
 猫と坊ちゃんは数え切れないほど読んでいる。といって「猫」はまともに読んだのは前半だけで、後の方はつまらなくなって本を閉じていた。井戸だったかに飛び込んで死んだのを、あいまいに憶えているぐらいだ。

 こないだ漱石の入門本みたいなのを読んで、漱石は小説よりもエッセイのほうがおもしろいと書いてあったから、エッセイ集を読んだのだ。
 おもしろかった。読んでよかった。
 漱石は、俺と同じで、ヘンな人間だとわかった。几帳面であり、でもズボラでもあり、スジミチを通すことが趣味みたいなところもあり、だが俺と違うのは、俺より世間になじむことをなんとも思っていないところがある人間のようだ。
 だから国費で留学したり、国立大学の教授になったり、髭をはやした顔の写真をのこしたり、したのだろう。それは封建主義が残っていた社会に育ったから、仕方なかったのだろう。自分を特権階級の人間だと思い込んでいただろう。
 特権階級というのは、今の時代でも、ほとんどの人間が手に入れたいものだ。それはどの時代でもそうだろう。
 そしてその考え方は、宗教とか哲学とか芸術を手に入れた、動物ではなくたった人間としては、二流のものだろう。
 ということは漱石は、小説家としては並みの人間だったということだろう。
 だから俺は、漱石の小説を二つしか読みたくないのだろう。
 でも、この漱石のエッセイ集は、読んでよかった。

小沢は演説上手

 小沢一郎の街頭演説をテレビニュースでちょっと観たが、上手だった。
 そういえば小沢の演説を初めて観たのだ。
 田中角栄のを一回だけ見たことがあるが、それに匹敵するぐらい説得力があった。
 やればできるじゃないか。

図書館は喫茶店ではない!

 今朝のNHKのニュースのコーナーで、長野県のどこだったかの図書館が、ガキやオンナを来させるようにして、去年の三割り増しだか三倍だかの人間を来させたと自慢していた。
 そういうふうに、そこの館長が馬鹿面で得意げに喋っていた。

 どういうつもりだ?
 図書館という場所は、本を読むか本を選ぶ場所だぜ。
 ということは、静かでなければならないんだよ。
 そして本を読むことに関係ない人間が来る場所じゃないんだよ。

 その本質がまるで分かっていない。

 図書館に来る人間が多ければ良いのだと思いこんでいるのだろうが、図書館に来るべき人間は本を読む人間なのだから、そもそも世の中で、その人数は多くないんだよ! ガキが来るべき場所じゃないんだよ!

 あの馬鹿館長は、図書館を喫茶店と間違えていやがる。
 図書館に来る人間を増やすことが良い事で、それが仕事だと思っていやがる。
 馬鹿め!
 館長のあの得意げな顔つきを観て、腹が立ってぶん殴ってやりたかった。

 図書館がやるべき仕事は、そこらへんの本屋で売っていない本で、かつ一定以上の人間が読む本を揃えることであり、一生まともな本を読むことなどないオンナコドモが来ないように、厳粛な雰囲気を作ることであり、要らないエアコンや要らない贅沢な設備を付けないことであり、仕事の出来ない司書はクビにしてコストダウンをはかることであり、そういうことだ。
 なぜなら、税金でまかなわれているからだ。

 お前がやりたいような図書館を作りたかったら、お前が金を出すか、自分で金を調達してやれよ。
 税金にたかるなよ。
 なぜ税金で喫茶店みたいな図書館を作ってはいけないかという根拠はあるのだが、長くなるから書かない。

 それからいちおう教えてやるが、オンナコドモとは、またぐらに付いているものが付いていたとしても、実生活の中で、まともな本も読まずに、論理的な思考が出来ず、客観性を持てない、すなわちスジミチを通すことが出来ない、自分さえ良ければいいというイナカモノ、そういう人間のことだ。

 だからオンナコドモどもは、図書館などに来ずに、そこらへんのスーパーにあるイートインだったか? そういう安く集まれるところか、パチンコ屋でも行って涼んでいろ!

 それからな、本を読む習慣が出来るかどうかは、図書館に行くかどうかと関係ないぞ。
 親が普段からまともな本を読んでいるかどうかだ。
 あるいは三歳ぐらいから本を読みはじめるかどうかだ。
 あるいは、小学校低学年のころから、自分は他の人間とは何かが違うのじゃないかと、不安で不安で、何かの答えを見つけようとして、本を読み始めるかだ。

リフォームHPは、SEO以外のことがキモ

 新しく作ったリフォームのホームページの検索順位が、思ったよりもいい位置にいる。
 それは想定しているキーワードの、一つだけのものでの順位で、しかもグーグルだけの順位だが、まあまあだ。
 でも出来たばかりのHPは、グーグルからの御祝儀みたいなことで、実力以上の順番になるらしい。
 だから今の順番に甘えないように怠けないように、良いも悪いもだが、SEOの作業は続けなければならない。

 だけどホームページの本当の目的は、自分の商売に役立たせることだ。
 それは検索順位を上げることじゃない。

 商売の目的とは、なんだ?
 露骨な言い方だが、利益を出すことだ。

 HPの目的は、そのための最低限のこととして、問い合わせをしてもらうきっかけになることだ。
 だからSEO以外に、ホームページを見てもらう手段を、いっぱいしなけりゃならないんだよ。

稲刈りは暑さに負けるな

 夏休みが終わったすぐの頃に稲刈りがあったと、子供の頃はそうだったと憶えているのだが、ちょうど今頃だ。
 だが今年の暑さは殺人的な空気の温度で、この気温の中で田んぼで働いたら、死ぬぞ。
 といって稲の実がみのったら、刈らなければならないし、今年は困るだろうな。

 九月に入っても35度が当たり前の今年は、田んぼの中にいると、高校生のピッチャーが甲子園のマウンドで投げているぐらいの暑さを感じるだろう。
 いや高校球児は若いし鍛えているからへっちゃらだろうが、百姓の人々は若くはないのだ。体もそれほど鍛えているわけじゃないのだ。

 クーラー付きの服を着て(たしかそういうものがあったと思うが)、水と塩っ気をいっぱい取って、ゆっくり仕事してくれ。

地球はバランスをとって暑くして寒くするだろう

 九月になっているらしいが、外にいると真夏の気分で、今日は八月一日じゃないかと間違うのだ。
 上を見上げると空は雲などないピーカンという青さで、その青が頭の上の上のどこまでも突き抜けていて、黙ってじっとしていてもすぐに汗がにじんでくる、今日も夏の日なのだ。

 去年の冬は大雪だった、それが関係しているのかどうかは知らないが、地球に去年の冬の分の仕返しをされているのだろう。

 今年の南半球の季節はどうなのか、何のニュースもないから分からないが、大雪じゃないのか?
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