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徒然のブログ

つれづれの思いなどを

生きる秋と自然の秋

 今年は秋の味覚を食べようと思っていたが、柿を食べて、きのこを食べてみたが、それほどうまくもなかった。
 だけど今のところサツマイモだけはうまい。
 煮たのを食べたら思っていたより甘くてうまかった。甘いものは好きじゃないのにサツマイモの甘さはよかった。
 栗は子供の頃に食べ飽きているけれど、ブドウはすっぱくて嫌いだけれど、今年は一回は食べるつもりだ。

 植物ばかりのことをいっているが、動物だって冬の前に脂肪をたくわえようとしているのだから、脂っぽい味になっているだろうけれど、それがうまいかどうかは今まで意識したことはないけれど、自然の恵みというか旨みというかを摂取しているのだから美味くなっているだろう。だんだん肉類は食べないようになっているが。
 魚介類だって、冬の前に脂肪をたくわえて、旨みもたくわえているだろうから美味しいだろう。
 そういうことが、秋の味覚ということなのだろう。
 それを五十前になって意識して食べようとしているのは、自分が人生の秋になっているのを無意識に思っているからだろう。

検索順位の1ページにきた

 今朝、うちのリフォームのホームページが、「リフォーム 新潟市」というキーワードで、検索エンジンの一ページめに来ていた。
 八月の終わり頃にアップしてから、ちょうど二ヶ月だ。

 一ページめの一番下に出ていた。それぐらいが丁度いい順位だ。うちみたいな個人事業者が、トップの方にいると、かえって胡散臭いと思われるだろう。姑息なSEOだけで上の方にしゃしゃり出ている業者だと思われるだろうから。

 この順位はグーグルダンスでの偶然で一時的なものかもしれないが、初めての一ページめだから嬉しい。
 しかし「リフォーム 新潟市」で検索してくるのは、同業者が競合調査することの方が多いだろう。
 実際に顧客が、本当にリフォーム業者を探そうと思って打ち込むキーワードは、もっと言葉数の多い、たとえば「玄関ドア 塗装 リフォーム 新潟市」とか、「内装 リフォーム 新潟市」とか、「窓 作る リフォーム 新潟市」とか、「外壁 塗り替え 新潟市」とかが多いはずだ。

 だけど、「リフォーム 新潟市」という象徴的なキーワードで上位にいるのは、自己満足だけれど気分がいいのだ。

休息の日

 今までずうっと忙しく、お客さんとの打ち合わせと、職人さんとの打ち合わせと、自分の作業と、リフォームで使うお客さんのところに合う設備や材料を探したり、見積もりや図面書きや工程組みやの事務仕事でバタバタしていて、そして昨日は寒い昼間に風呂掃除をして、カビが多かったから大量のカビキラーを使って、たくさん塩素を吸い込んで、終わって帰ってシャワーを浴びて、リフォームのお客さんのところに行って打ち合わせとリフォーム契約をして、帰ったらもうフラフラで、ちょっとのんで寝て、今朝目が覚めたら体が起きたくないと言っているように動けなかったから、今日はお客さんと約束していることはなかったから、いつでもいいからやってくれと頼まれている作業をしようと思っていたけれど、別の日に延ばして、業者さんとの打ち合わせの約束ものばしてもらって、一日寝ていた。
 夕方起きて少しお酒を飲んでいる。もう少ししたらまたベッドに戻って、本を読みながら眠る。
 明日は元気が戻っているだろう。

初めてのマンションリフォーム

 さっき、リフォームの契約をしてきた。
 マンションのリフォームの仕事を受けるのは初めてだ。お客さんにも初めてですと言って、逆に教えてもらいながら話を進めてきた。職人さんたちからもマンションでのリフォームのことを教えてもらって打ち合わせをした。

 お客さんが他のリフォーム会社より俺を選んでくれたのはどうしてか知らないが、俺を選んでくれたのだから他の会社より良い仕事をして、俺の精一杯の力をそそいで、お客さんを喜ばせるぞ。

 契約のあと、お客さんと一緒に、両どなりの所帯の人と下の階の部屋の人たちへ、リフォームをしますので音や振動が出るかもしれませんが宜しくお願いしますと挨拶にまわった。
 他の部屋の人たちは、何かしらのリフォームをしている所帯ばかりだった。それを見せてくれて、勉強になった。

 ある人のところは風呂場の水栓が新築のときのままで、交換したいけれど合うものがないとあきらめていた。それはお客さんの浴室と同じタイプで、お客さんが、それを今回のリフォームで交換するのだ、このリフォーム屋さんが合う蛇口を見つけてくれたんだとその人に言ったら、「あとで名刺を置いていってね」と言われた。ありがたかった。

一番うまい酒の肴は

 焼酎のレモン水割りという安い酒がおいしいのだが、その酒に合う一番の肴は、お客さんとの打ち合わせ中の書類だ。

 さっきまでリフォームのお客さんと打ち合わせに使っていた図面とか見積書とか工程表とかを眺めながら飲む酒はうまい。

 俺を信頼してくれて、他のリフォーム会社の人間より俺を信頼してくれて、トレパンをはいてエプロンをつけてヨットパーカーをはおってサンダルばきで、乱暴な口調の俺を信頼してくれて、百万円単位の仕事を依頼してくれるお客さんのことを思い出して飲む酒はうまいのだ。
新潟市のリフォーム

今年はじめてのストーブ

 今朝あんまり寒かったから、ガスストーブを箱から出して、ホースをつないで、つけた。
 その寒さは我慢できたのだが、この気温で風邪をひくと仕事に影響が出るとこまるから、暖ったかくしようと思ってストーブを出した。

 今日のお客さんのところでのハウスクリーニングは、激しく動いても汗は出なかった。ちょうどいい温度だった。

 帰ってきても寒かったから、またガスストーブをつけた。
 寒いから風呂に入りたい気持ちになって、寒いと思う夜に風呂に入ったら風邪をひくかなと思ったけれど、熱いお湯に入りたい気持ちのほうが強かったから、浴槽にお湯をためて入った。
 お湯につかりながらシナリオの構成という本を読んで、温まった。
 一時間読んで、お湯につかって汗を流して、それから出てから風邪をひかないようにすぐストーブをつけて、部屋をあたためた。
 もっとあたたまろうと思って、靴下もはいた。

きすという魚

 この頃は魚を食べるのに煮てばかりいる。
 焼くと煙がもうもうと出て部屋が臭くなるし、焼いた後の網を洗うのに手間がかかるから、焼き魚は半年はしていない。
 魚は、煮るか炒めるかで食べている。

 きすという魚を食べるようになった。
 早く煮えるし、淡白な味でいくらでも食べられるし。

 子供の頃、母親が実家に里帰りのときに一緒にいったとき、ゆうげにきすが出た。そのときは魚がきすという名前だとは知らなかったが、いとこが父ちゃんと母ちゃんがキスしてるきすだと嬉しそうに言って、それを聞いて俺は、聞いてはいけないことを聞いてしまった、だけどそういうことを素直に言えるんだなといううらやましい気持ちもするような、ヘンな気持ちが入り混じって、ご飯を食べながらうつむいてしまったのを憶えている。

 それ以来きすは食べないようにしていたのだけれど、二十代後半に酒田に転勤になったとき、よく行っていた飲み屋できすの天ぷらというのを初めて食べて、世の中にこんなにうまいものがあったのかと思うほどおいしくて、その白い葉っぱが開いたような形の天ぷらを、何枚も食べたのだった。
 それからはきすも素直に食べられるようになったし、そのおいしさもわかるようになった。
 魚にしては細長いから、見た目が気持ち悪いと思うのだが、食べれば素直な味だというのを思い出して、スーパーのカゴに入れる。

地デジで地球環境に無駄が増えているぞ

 テレビを捨てるのはリサイクル料金がかかる。
 それは2500円から2900円くらいで特に高いものではないが、捨てる場所に持っていくのに手間がかかって、金がかかる。
 自分で持っていくことができなければ人を頼まなければならない。それが一万円とか二万円とかかかる。
 俺は車に乗せられるから運び賃はタダだが、車がなければ運んでもらう金がかかる。

 そういうときに偶然見つけたHPなのだが、テレビを処分する会社に簡単に梱包して宅配便で送れば、3000円程度で捨てることが出来るらしい。
「テレビ 処分 無料」や「テレビ 処分 格安」でググれば、そういう会社がヒットする。
 あやしそうだが、運ぶことが出来ないときは、頼もうかなと思った。

 しかし、地デジ対応のテレビでないと、BS対応のテレビでも、リサイクルじゃタダでも引き取ってくれない。地デジとは罪作りなことだ。
 ちゃんと映るのに捨てなければならないのは、何かにたいして申し訳ない気持ちがするんだ。だからもらいてを探してしまうんだ。

日本人のコミカルなフィギアの開拓者

 フィギアスケートを観た。昨夜と今夜観た。
 村上桂菜子という選手を初めて見たが、デビュー戦だそうだが、SPの始まりでのあの可愛らしい笑顔で俺はもう、ファンになってしまった。
 今夜のフリーはジャンプの失敗をくりかえしたけれど、失敗してもしても、チャレンジをくりかえす姿勢に感動した!

 話は変わるが、アメリカのレイチェル・フラットは色っぽい体つきだ。18歳と出たが、28歳の間違いだろう。それぐらい色っぽいのだ。

 しかし村上の日本人に見えない手足の長さは武器だ。
 だが村上は、無意識に真央に遠慮してしまったのかもしれない。

グーグルというジェントルを信じるぜ

 三、四日前からヤフーが、グーグルと同じ検索結果になっている。
 良いことだ。俺のHPはヤフーよりグーグルに気に入られていたからさ。
 俺が探し物で検索するときも、グーグルを使っているから、なじみがあるし。

 グーグルはリンクの質と量が勝負らしいが、俺のHPへのリングは質も量も、それだけで順位アップを決められるような力のあるものはない。
 だから被リンクよりも、内的なSEOに力を入れざるをえない。
 俺もそっちの方が性に合っている。

 それにしても、検索がグーグル一社に気に入られなければ生きていけないようになったということは、気を抜けない日々を送らなければならないな。
 だけどグーグルという会社は紳士的なやり方をする会社だと思っているから、卑怯なやり方をしなければ、まあまあ検索順位が出るのだと思うのだが。

久しぶりに働いてくれた人は優秀な人

 ハウスクリーニングと便利屋の仕事で、ハローワークでアルバイトさんを募集したが、思いがけず良い人が来てくれた。
 何年ぶりかで、勤め人で、仕事の出来る男を見た。
 失業中で、俺の出した求人を見てくれて、応募してくれたのだった。

 その人は、俺の考えを、俺がどうしたいかを、先へ先へと考えて実践しようとする人だった。
 年は四十二。背格好は俺と同じくらい。勉強の出来かげんは、中くらいの偏差値の普通高校を卒業。運動神経も良い。性格はすこし頑固だが、他人に合わせようとすることもできる。仕事の全体を見渡して、全体のコストダウンを考えながら作業できる人だ。

 こういう人が失業してしまうという今のご時世を心配してしまう。
 だがこの人には、いずれ良い就職口が見つかるだろう。心ある経営者は、こういう優秀な人を放っておかないだろう。

はくちのテレビは便利なテレビ

 今朝テレビでグーグルテレビのことを教えてくれていた。
 ああいうものが普及すると、書物を読む時間がなくなる。
 なんでもテレビ一つで間に合ってしまう。

 テレビが刹那的な興味と疑問を誘発して、それを瞬間的に解決してしまい、ものを深く考えるとか、生きる中での問いを創るとかということがなくなる。
 といってグーグルテレビを作るなとも言えないし、困る。

 だが考えてみれば、今だって昔だって、ものを深く掘り下げる人間も、自分で自分の人生の問いを見い出す人間も、そういえばほんの一握りだったな。
 ということは、ああいうテレビが出ても、テレビが蔓延しても、今の白雉的な世の中は、昔も今も、そしてこれからも、変わらないということだな。

動作をしながら食事をしたい

 車を運転していて信号待ちをしていたら、歩道をパンか何かを食べながら歩いている若者がいた。
 そういえば俺は歩きながらものを食べないなと思った。
 それは俺が別に行儀がいいわけではない。立って食べることもあるし、テーブルにすわって食べることもある。ツーリングのときはよくコンビニの駐車場のコンクリートにあぐらをかいて弁当を食べた。

 ただ、歩くというような、運動をしながら食べるということがないのだ。
 なんだか血のめぐりが悪いような気がするのかもしれない。食べるということに集中できないと思うのかもしれない。いや本を読みながら食べることもあるしパソコン画面を見ながら食べることもあるから、ただ体を動かしながら食べることが出来ないのだろう。

 生まれて初めて東京の歩行者天国に行ったとき、ここは今日は祭りなのかと思ったが、そういえばホットドッグとかソフトクリームとかを歩きながら食べている人々が大勢いた憶えがある。カッコイイものだとあこがれた憶えもある。
 俺はしてみたいのにそれが出来ないのだ。してみたいのだ。

 忙しいときは車を運転しながらパンを食べることはある。食べたあと、体にわるいと思っている。
 だが本当は、子供のときに、食事のときに、あぐらをかいていると、きちんと座れ! と怒られていたのが、動きながら食べることができない弱虫になったのだと思う。

携帯の電池交換

 一年前に取り替えた携帯電話の充電が、一日もたなくなった。
 一年で電池が弱るように作っているのだろう。
 新しい電池は1500円くらいだそうだ。それが高いのか安いのかわからないが、一年使えるのなら安いのだろう。

 それで今日、ドコモに行って取り替えた。
 ポイントが使えて無料だった。
 しかし俺はポイントなどというわかりにくいやり方は嫌いなのだ。ドコモは、無駄な無料のサービスや過剰な無料のシナモノ交換をしながら、それが付加価値だと思い込んで、そうして料金を高く設定しているのではないかと疑ってしまうのだ。
 必要なものは有料にして、無駄なことをタダでしないで、通話や通信の料金をもっと安くしてほしい。

秋は酒もかえてみたい秋

 半年前に栓を開けて飲んで、それからしまって置いておいた日本酒を、どうしてか飲みたくなってガラスコップについだら黄色っぽかったから、まさかわるくなっているのかと思って、父親に電話して聞いた。
 最近は防腐剤を入れなくなってわるくなることがあるそうで、黄色になったら飲まないほうがいいぞといわれ、そうだなと思って流しに捨てた。
 それでいつものように焼酎のレモン水割りで飲んだ。
 いつもどおりの味でわるくないのだが、あたらしい味を発見したいのが、季節のかわりめの秋なのだ。

クラブのママを尊敬するが

 飲み屋のママや優秀なホステスは、飲んでも理性を失わない。理性を失ったら仕事にならないからだ。
 酒を呑んでも仕事ができるということだ。それも仕事の中で最も難しい、人間相手の、お客を直接相手にして、お客を喜ばすことを、そして店全体の流れを把握しながら、指示を出しながら、それを酒を飲みながら遂行するという難しいことをやっている。尊敬する。

 でも嫁さんにするには、仕事が出来すぎる反面、家庭の中で仕事のストレスを発散させようとするから、妻としては駄目な妻かもしれない。経験はないけれど。
 でも本当は、そういう妻も、良い妻なのだろう。

チチチとリリリのものが欲しくなる

 チリ産の銀鮭というのをスーパーで見つけたから、つい手がのびてカゴに入れていた。
 しょっぱくもなく丁度いい塩味だった。
 テレビでチリチリと言っているのを毎日聞いていると、チリと見ると欲しくなる。
 俺も単純でミーハーだと思った。
 しかし全員助かったのはよかった。

地下のなかの排泄物は? 臭いより嬉しさ

 チリの地下に閉じ込められた人たちの救出は、大事なことで、行為としては尊いことだけれど、ニュースの時間を食いつぶしすぎだ。
 救出を、救出劇に仕立て上げている。押し付けがましい感動劇に仕立て上げられている。
 ニュースは他に流すものがあるはずだ。日本の経済とか、日本の政治とかだ。他国のことで、直接自分たちの生活にかかわらないことに、時間をさきすぎだ。そういうことはワイドショーで流すべきだ。

 そして俺は疑問に思っていたことがあるのだ。
 閉じ込められた人たちの排泄物はどういうふうに処理していたのか。
 テレビでは言わなかった。そういうことは感動物には邪魔な要素だろうが、素朴な疑問を思った。

 そして地上に出てきた人の体臭は、そうとうなものだろう。だが、家族と抱き合ったときに、家族はすこしはそれを感じたかもしれないが、そんなことはどうでもよかっただろう。喜びという感情は、感覚よりも上位のものだろう。

お財布忘れた買い物で、ところてんを食べられた

 さっきちょうど半額の頃の時間だからスーパーに夕飯を買いに行って買い物カゴを手にとって惣菜コーナーに歩き出した瞬間に、財布を忘れたことに気づいた。
 あっと驚いたあと、俺もとうとう脳みその老化がここまできたかと思って落ち込んだが、財布を忘れることは一年に二回ぐらいあったなと思い出して、サザエさんだってそうなのだから陽気に考え直すことにした。

 何も買わずに帰って、今夜はもう出ないで食べようと、きのうつくった鶏肉の煮たののあまりと、納豆に玉ねぎとワカメを多めに入れて、鯖の缶詰をあけて、夏の盛りに買っておいて、どうしてか一パックだけ食べずに残しているところてんのパックをあけて、夕飯にした。

 ありもので食べるのもいいものだ。
 心太の賞味期限は一週間すぎていたが、おいしかった。もう来年の夏まで食べないのだ。

携帯メールが使えなくなることもあるらしい

 今日は携帯メールが使えなくなった。
 朝送信した何人かのお客さんには届かなかったらしく、返信がなかった。
 昼に送信した職人さんへのショートメールも届かなかったみたいで、折り返しの電話がなかった。
 通話は普通にできていたから、メールだけがつながらないとは思わなかったのだ。
 でもおかしいなと思って、夕方、もしかしてメールだけが送られないのかと思って、自分の携帯に送信してみたら来ないから、ドコモに電話した。

 いったん電源を落として、三十秒くらい待ってもう一度入れなおしてみてほしいと言われたから、そうしたら、今までの俺へのメールが一どきにドサッと来た。
 メールの電波だけが届かなくなることがまれにあると言っていたが、まあそういうこともあるだろうと思った。機械モノなのだから怒っても仕方ない。俺も勉強になった。

 そしてドコモの対応は、まあまあ良くなってきている。無駄な過剰な敬語まがいの敬語も使わなくなっているし、おかしな息遣いもしなくなっているし、結論から喋り伝えるようになっているように感じる。たまたま今日そういう人間が当たったのかもしれないが、今まで俺が何十回も怒鳴りつけてやったから、ドコモの人間たちも職業人として成長したのだろう、ハハ。

仕事熱心なめずらしいホームセンターの店員さん

 この間ボールペンの芯を買いにムサシに行った。
 ホームセンターに行くと、ムサシでもコメリでも、やる気のない、自分の仕事の勉強もしない、接客などという言葉も知らない無神経な店員たちに腹が立って、怒鳴りつけることが多いのだが、文房具売り場のショートカットのメガネをかけた俺ぐらいの年のオネエサンは良かった。

 ボールペンの芯というのは、太さと、バネに引っかかる出っ張りの位置が問題で、それが合うならば、メーカーが違っても合うのだと教えてくれた。
 それを参考にして選んで、違うメーカーの芯を買ってボールペンの本体に付けてみたら、まあまあ使えるほどには合った。

 これで書けなくなったボールペンを捨てずにすむし、芯だけを替えれば、一本五十円ぐらいのものだから経済的でもある。
 俺も知識が増えたし、嬉しいのだ。

 尊大不遜な俺はホームセンターの中で久しぶりに敬語を使って、そしてオネエサンを褒めた。俺も嬉しかったが、ショートカットのそばかすのあるオネエサンも、嬉しそうに見えた。その人は美人なのだが、嫁さんに欲しいくらいにいっそう美人に見えた。

床を拭いているダガシ


四つんばいになってフローリングをタオルで拭きあげます。月一回するお宅だから光っています。

秋はひまだから五感と頭をつかう

 芸術の秋というが、秋の夜長ともいうが、秋になると五感がとぎすまされるような気がするからそう思うのだ。
 夏場に精出して働いて、少しすずしくなって刈り取りをして、十五夜を見て、そうすると夜が長くなっているのに気づく。
 そうするとやることがないし、それに夜が長くなっているしで、学問とか宗教とかセクシャルなものとか芸術のようなものに、時間をつぶすことになる。
 秋と冬とにそういうものに時間をつかうと、それをして何年かしたら、そのジャンルでいいところまでいく人間もいる。
 そうするとそのジャンルでひとかどの人物とかと言われ、そのジャンルにあつまる人間も増えて、そのジャンル自体が発展していく。
 それが学問とか宗教とか芸術とかといわれるようになるのだ。

 だから秋になると五感がとぎすまされるような気がして、夜のたのしみとして、目だったら月をみるとか、耳だったら楽器をひくとか唄うとか、鼻だったらお香や花のかおりをたのしむとか、舌だったら食べ物の味をたのしむとか、さわることだったら…セクシャルなことをたのしむのかもしれない。これは真面目なことを言っているのである。
 そういうことが芸術になって、そして脳みそでたのしむなら、それは宗教とか哲学とかというものになっていったのかなと思うのだ。

夏の寒さ暑さと米

 今年の米は夏の暑さで出来が悪いらしい。米の芯が白くなったらしい。
 スーパーで売っている新米を買って食べたが、出来のせいなのか安い米だからなのか、やっぱりそれほどの味ではなかった。

 92年だったか93年だったかの夏の寒さでの不作は憶えていて、その年の秋は売る米がなかったのも憶えている。あのときは藤沢にいて、太平洋側の米の味などそもそも期待していなかったけれど、味よりも食べる量がないというのが生まれて初めてのことで恐ろしかったのも憶えている。
 それに比べれば、食べるだけの量があるのだから、夏が寒いより、夏が暑いぐらいのほうが、生きるのにはましなのだろう。

商売失格のリフォーム屋

 俺の基本はパンクロッカーで、無政府主義とまではいかないが、政府はできるだけ小さくあるべきであって、人々が助け合って出している税金とか公金とかで飯を喰う人間は、オオヤケとして本当に居なければならない自衛隊や警察や消防署や司法の人々に限るべきだと思っている。
 そんな俺は衣食住も気にしない人間だ。
 とくに住まいなど雨露がしのげればそれでいいと思っているところがある。そういう人間がリフォーム屋でございますといっているのだから自己嫌悪になることがある。
 だから俺の目指すリフォーム屋は、システムキッチンや、最新式の便器を売り込むことはしない。シナモノを売り込むことは誰でもできるから、おもしろくないのだ。
 設備のものは、壊れていれば別だが、まだ使えるものなら、できるだけ直して、キレイにして、形を変えたり色を変えたり取り付け場所を換えたりして、新鮮な気持ちで使えるようにしたいと思っている。

 雨露がしのげればいいと思っている人間は、建物という、今ある道具に合わせて生きることを信条としている。弘法は筆を選ばずという言葉が好きだ。どんな住まいでも、そこに合わせて生きることでしあわせに暮らせる人間の力が尊いと思っているのだ。

 システムキッチンとは天板が一枚ものであるということだが、それがどうしたと思っている。天板が分かれていて何が不便なのだ。きちんと掃除をすればいいことじゃないか。
 タンクレスの便器は、水流が弱いことがあるから流れにくいことがあるぞ。便座やフタが自動的に開いたり閉まったりするのは、人間として横着だ。ウォシュレットなど、あっても面倒で使わないぞ。女の人はどうなのか知らないが、男はちゃんと拭けばキレイだぞ。ウォシュレットなどこの十年ぐらいのものだし、こんなものが流行っているのは日本だけだそうじゃないか。
 これは文明を拒否しているみたいだが、俺はそういうところもある。人間としての素朴な力で生きていきたいと思っているところがある。

 暑ければ脱げばいいのだし、寒ければ着ればいいのだ。俺はそうやって暮らしている。世間は電気やガスに生活を依存しすぎている。
 高気密住宅など、カビやウィルスの温床だし、二重窓など掃除がやりにくくてしょうがない。
 高い天井の吹き抜けは暖房費や冷房費がかかるぞ。高いところの掃除ができないぞ。
 和室をフローリングの洋間に変えたいというが、それは根拠のないただの流行りでしかない。俺が畳が好きだからそう思うのだろうか。いやそうじゃない。畳の生活を見直せ。

 まったく今の家というのは、電気とガスと石油に頼るように作られている。
 建物にコストをかけない暮らし方をすれば、文学や音楽にかけるエネルギーが生まれるぜ。そうすると社会の中で犯罪が少なくなると思うが、その根拠はあやふやだが。
 しかしこういうことを言うリフォーム屋は、商売失格かもしれない。
新潟市の内装リフォーム

安い仕事をしない理由

 あるアパートの大家さんから、共用部と部屋の中の一部のリフォームの仕事を受けた。
 うちのホームページを見てくれて頼んでくれたのだ。
 作業は、ところどころ難しく手こずったが、無事すんだ。

 そのアパートの専属の掃除屋が空室清掃をした後を見たが、パッと見はキレイなのだが、やっぱり見えない場所は汚れを取っていないのだった。
 レンジフードの油がたまる縁は手を入れていないで、そこから、下の流し台のステンレスに油がたれていた。
 トイレの壁紙に一面汚れがあったが、ためしに俺がクリーニングしてみたら汚れは落ちた。トイレの床と廊下の間の敷居に、まだら模様があったから、染みだろうかと洗剤拭きしたら取れてキレイになった。

 それを見て大家さんは驚いていたが、一部屋の掃除代金を考えれば、こんな仕上がりになるのは無理もないのだ。その大家さんはアパート掃除の相場を知らないらしいから、自分が不動産屋に支払う原状回復の清掃代金と、掃除屋が受け取る清掃代金の差額も知らないらしい。
 不動産屋は清掃のノウハウもないのに、自分も作業を手伝うわけでもないのに、ただ窓口になっているというだけで、入退居清掃の売上げの五分の一程度で掃除屋に清掃させている。これぞピンハネだ。大幅なピンハネだ。不動産屋のあこぎなやり方に、ますます腹が立った。

 しかし掃除屋も掃除屋なのだ。うちのリフォーム仕事で塗装をしてくれる塗装屋さんが言ったのだが、仕事が取れないから値段を安くして仕事を取って、そして安いからそこそこの仕上がりでいいんだと思ってやっていると、それが癖になって、まともな値段で仕事を受けたときに良い仕上がりの仕事は出来なくなると。
 まったく俺が普段思っていることをそのまま言ったから、さすが俺が見込んだ塗装屋さんだけあるなと思った。

 だから、何かの理由で安く受けてしまった仕事でも、我慢して普段どおりに良い仕上がりにしなければならないんだよ。だけどそんなことばっかりやっていたら、いつも赤字になってしまう。
 だから、良い仕上がりにするためには、安い仕事を受けないようにしなければならないんだよ。だから俺は、賃貸の空き部屋清掃はしないことにしてるんだ。

しょうじきな人はくちづけしたがるのかも

 朝青龍が断髪式をしたそうじゃないか。きのうニュースで観た。元気そうでよかった。朝はあれで引退してよかったのだろう。

 中古のZX10を買ってニンジャのナナハンを出すときに、俺もシートにキスした。いままでありがとうと思って。
ZX10のときは、実家に置いておいたら、俺の知らないうちに家のほうで処分されていたから、さよならはできなかったけれど。

 日本はモンゴルと仲良くすればいいじゃないか。モンゴルの人のほうが、おっかなそうだけど人間が正直な感じがする。

小沢を批判できるのは十万人に一人だけ

 小沢が起訴されるそうだが、起訴されたことで小沢が悪いことをしていたというイメージが強くなるのはよくない。
 小沢を批判できる日本人は、日本の中で十万人に一人ぐらいのものだ。旧新潟市は五十万都市といわれていたから、小沢を批判できる人間は、旧新潟市の中で五人ぐらいだけのものだ。
 自分のおこないの悪さと人間性の汚さをかえりみたら、小沢を悪人呼ばわりできる人間は、日本中に、数えるほどしかいないはずだぜ。もちろんダガシは数える中に入っているがな、ハハ。
 そういう俺でさえ、小沢を罪にとわずに政治で使えばいいと思っているのに、小沢と同じ穴のムジナどもが、小沢は悪い小沢は気に食わないという、他の人間が言っているからという家畜根性で思い込んでいることで、小沢の価値をなくしている。
 家畜根性だけでなく、タカリ根性だらけの日本人が、小沢をどうこう言う権利はないはずなのに。タカリ根性で、ずるく税金や公金からコソ泥しているのは、日本中の99.99パーセントがそうなのだから。

 政治をしていれば、まわりはタカリ根性の人間ばかりなのだから、現金が要るのだよ。
 だから現金を持っていなければ政治は出来ないのだよ。
 なぜなら人間はタカリ根性でコソ泥根性の人間がほとんどなのだから、現金をめぐんでやらなければ動かないからだよ。
 だから善悪を超えて、手元に大量の現金を置いておかなければ政治は出来ないのだよ。でも、だから俺は政治が嫌いだし、軽蔑しているのだがな。とくに多数決主義が大嫌いなのだがな。

 前にも書いたが、小沢を使ってみて、駄目なら辞めさせればいいのだし、駄目でなおかつ税金や公金からコソ泥をしていたら死刑にすればいいだけのことだ。小沢だって国会議員になって税金で飯を喰っているんだから、そして総理大臣になる内輪の党の選挙に出たんだから、そのぐらいの腹はくくっているだろうさ。
 使わないうちに、顔つきが気に喰わないとか態度が生意気だとかで使わないのは、日本国にとって損だぜ。
 それから俺は検察のほとんどの人間など信用していないから。あいつらだって、税金で飯を喰っている、保身が先に立つ、タカリ根性の家畜なのだから。

ネズミの気持ちを知りたい自分の気持ちを知りたい猫

 日曜夕方五時からの、ニャンちゅうワールドという番組をたまに観る。
 たぶん四、五歳児に観せたいと思って作っている番組で、もう何年も続いている。
 司会の女性タレントは一、二年で入れ替わるのだけれど、ニャンちゅうというメインキャラクターはそのままで、番組の中身は何年も同じことをやっている。
 それを、時間があると、観てしまうのだ。
 ニャンちゅうとかけあいをする若い女タレントの一生懸命さが伝わってきて気持ちがよいし、四、五歳の子供が描いた絵を紹介するコーナーがあって、その絵を見るのもおもしろい。
 ニャンちゅうのばかばかしいボケも素朴でよく、偽善的だったり恩着せがましかったり底の浅いものを見ると腹が立つ俺なのに、このニャンちゅうというつまらないものを観ても、ふだんの俺とちがって腹が立たないのだ。
 そしてここ何年か流している、ニャンちゅうのことを歌っている、番組の終わりの歌がよい。
 ねずみの気持ちを知りたいねこ、と歌っている。

死ぬ瞬間にありがとう

 ブログで、感謝などという言葉が出るとげんなりする。
 俺は死んでも感謝などと書かない。
 死ぬときだけ、何かに感謝しながら死にたい。
 そのときまで生きる。
 そのときまでせいいっぱい生きれば、死ぬときに感謝できるのだと思っている。
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