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徒然のブログ

つれづれの思いなどを

ブログは休み

 今年の商売の作業は今日でおわり。

 ブログも来年の三日か四日か、もしかして七日くらいまで休む。

 毎日書いてきたし毎日書きたいのだが、書かないことも大切というか、惰性になってはいないかと思って休む。

 書きたいのに休むのはヘンな気持ちだが、気分転換に休んでみる。

フィギアとオートバイ免許の試験

 フィギアスケートを見ていると、フィギアスケートはバイクの実技試験に似ていると思った。
 バイクの実技試験というのは、あの狭い試験場の中で、いかに交通法規というルールを守りながら、いかに自分がバイクの操作に慣れているかを、上手に試験官に見せることが出来るかだ。
 スポーツのように誰かと競うものではないけれど、その競技のルールを把握する頭脳を、ときに激しく正確に動く運動神経を、緊張感の中で、指先の細部にまで気を遣う精神力を、いかにその場で引き出すか、一発勝負で引き出すかだ。

 俺の場合は何の試験でも一回で受かったことがない。
 バイクも自動車も大学も他の資格試験でも。
 精神力に難があると思っている。
 だけど二回目か三回目で受かるから、それでもいいと思っている。

 フィギアスケートをしたことはないし、スケートも数えるほどしかしたことがない。
 オートバイを激しく乗りこなすのも、もうできないと思う。
 それでいいのだと思っている。人生の別の楽しみをすればいいと思っている。
 そのために何かの試験を、自分で勝手に自分で決めて受ければ、それが自分の人生のおもしろさなのだと思う。

雪おろしの音

 さっきラジオを聴いていたら雷が鳴った。
 ラジオがバチバチッと音を立てた。
 ラジオは乾電池で鳴っている。
 コンセントにつながっていないのに、ラジオから火花が飛んだような気がした。
 雷は一つだけ鳴って、静まった。

砂糖反対! クリスマスケーキ反対!

 魚の煮付けをよくつくるようになった。
 今日は砂糖をいっぱい入れてみた。
 そうしたら、うまいのだ。

 甘い味付けなど馬鹿にしていて砂糖は置かなかったのだが、魚を煮るために買うようになって、そうして今日は多めに入れてみたのだ。
 子どものころ食べた味に似ているし、たまに店で食べる味にも似ている。
 ということは世の中の魚の煮付けは、ものすごく砂糖が入っている煮るやり方なのだろう。

 だが魚を食べた後は、その煮汁は捨てることになるぞ。
 その中に砂糖がいっぱい溶けているぞ。
 それは砂糖を捨てていることになるぞ。

 家では子どものころ、魚の煮付けをした汁に、そのあと野菜を入れて煮て、おかずにしていた。
 それは生臭くて不味かった。
 母親に、そういう料理はしないでくれと言ったのを憶えている。
 だがあの頃は、魚の煮汁も、砂糖も、醤油も、無駄にしないようにしていたのだろう。

 日本で庶民が料理に砂糖というものを使いだしたのは、そう大昔からのことではないだろう。明治になってからのことだろう。戦時中はとくに高級品だっただろうし。
 それを今は俺は、俺だけじゃなく庶民は、何の気なく考えなしにふんだんに、砂糖を振りかけて、どさっと放りこんで、食べているのだ。

 明日からはまた、砂糖を使わない生活に戻そうと思う。
 クリスマスケーキなどというものは砂糖のかたまりのようなものだぞ。
 しかし砂糖は安いのだ。これでいいのか?

俺より完璧主義者は途中で死ぬ恐れがある

『THIS IS IT』をテレビで観ている。
 陳腐なストーリーがないだけ、見られる。

 マイケルは五十を過ぎているのだろうに、あのスタイルと動きは尋常ではない。
 まさか替え玉でもないだろう。

 しかし死んだのは、自分の年波でクリエイトする能力がなくなったのを悲観して、自殺する代わりに医者に薬を盛らせたのもあるのかなと少し思っていたが、映画を見るかぎり積極的に仕事をしている。
 死んだのは自殺ではなかったのだな。

 クリエイトするかぎりにおいて、俺より完璧主義者を見ると嬉しい。
 だけどあまりにも完璧主義すぎると、自殺でも事故でも事件でも、死ぬ恐れがあるな。

ライブカメラは役立つ

 今日は土砂降りになったと思ったら陽が出たりで、晴れまのときにタイミングよく外仕事ができた。
 明日から雪の予報だ。
 雪が降りそうな日は出がけにネットで天気予報を見る。今日の場合は新潟市は一日中弱い雨が続く予報だった。でもはずれてくれて好都合だった。こういうはずれはありがたい。

 出がけにもう一つネットで見るのは、新潟県のライブカメラだ。道路に雪が積もっているとか、渋滞しているとかを見る。
 そして生まれたところの雪の積もりぐあいも見る。

夜中の地震速報と無駄遣い

 昨日の夜中、ラジオで地震の速報が流れて、その後は地震のことだけの放送になった。そして放送の中身は津波に注意しろということだった。
 いつも思うのだが、日本で津波で被害になったことを聞いたことがない。
 放送でも、津波の高さは20センチくらいだと言っていた。海面が20センチ高くなったぐらいで、いつもの放送を中断して、地震速報を二時間も三時間も続けなければならないか、馬鹿馬鹿しい。それもそのときは、津波は太平洋側だけのことであって、こっちには関係ないのだ。しかも放送では、政府が地震対策で担当者が集まったと言っていた、馬鹿馬鹿しい。税金の無駄遣いだ。

 政府も放送局も、やることがないから、作業を増やすことが仕事だと思っている。
 無駄なことをして、それが仕事だと思っている。
 無駄なことをして作業を増やして、それが世間に対して自分は仕事をしているとアピールをしている。

 なぜなら売上げを上げなければならないということもないし、利益を上げなければならないということもない。
 なぜなら、税金や公金でまかなっているからだ。
 だから仕事の結果を出す必要がないから、不効率な方向にばっかりに目が行って、意味のない作業をして、仕事をしている振りをすることが仕事だと思っている。泥棒根性になってしまう。

 だから税金や公金で仕事をしてもいい組織は、自衛隊と警察と消防と司法のいくらかの組織と外交のいくらかの組織ぐらいのものだけにしなければならないのだ。

 地震のことばっかりしか喋らないラジオに嫌気がさして、BSNに替えたら、そういえば3時からは放送をしないでクラシックみたいな音楽を流すだけの時間帯になっていた。
 これはこれで無駄な金を使わないで音を出すことをやっているから、好感を持つのだ。でも、分からない音楽でなくて、俺の知っている楽曲を流してくれよ。

オートバイと創造

 今年の冬は寒いと思っていたが、今日みたいな日があればそうでもないいつもの年なのだ。
 新潟県でも十二月の半ばでも下旬でも、晴れて暖かい日があれば、バイクに乗れる日があったと憶えている。
 そういう日はオーバーコートを着て、今年最後の乗り納めだと思いながらハンドルにつかまっていた。
 湘南にいれば正月三が日でも乗ったのだから。

 オートバイ断ちをしてから何年たっただろう。
 乗りたい気持ちもうすまっているし、あのころのように乗りこなす自信はない。
 それにバイクに乗ると、それだけで気持ちが発散しすぎて、クリエイティブな欲求が消滅してしまうのだ。
 もしバイクに乗ることで創造的な気持ちが起こるのなら乗るが、逆だから乗らない。

 俺はいつもすぐ怒ることで、心を病まないように、発散するようにしているのだが、それはもしかして、不満をためこんで何かを創造する気持ちを捨ててしまっているのかもしれない。
 しかし怒らずにいて、心が病んだら、これ以上病んだら、創造しようとしてもできないと思うのだが。
 やってみないとわからないが、怒らずにいて、病むか、クリエイティブなことができるか、かけか。

 しかしオートバイに乗ることは、心を病まないための一つの方法だから、それは創造の神様とさよならすることになる。
 今日のような日はお客さんのところで、玄関マットを外でパンパンとはたいてホコリを飛ばすことができる。それはよい気分転換になって、創造的な気持ちになる。

通り魔犯人の処し方

 またこの間、通り魔の事件があった。
 自分の人生を終わりにしたかったと言っていたそうだが、自分ひとりで勝手に終わらせればいいものを、人を傷つけてから死にたいという根性は分からない。

 そうなったら俺だったら、自分ひとりで、山に入って、餓死するだろう。
 大切な俺の終わりに、他人など関係してほしくないから。
 俺が一番好きな俺だけで、俺の終わりを楽しみたいから。

 それを、他人を殺して、というか道づれにしたがる気持ちに、大切な自分自身の終わりに、どうでもいい他人をまきこみたがる気持ちに、まるで共感できない。
 依存症なのだろうな。自分以外に依存したいのに、誰からも相手にされない。
 それならば一人で完結する道を探せばいいものを、ワガママだから、能力がないから、出来ないのだろう。

 そういう甘えている人間は、見せしめのために、磔獄門(すごい文字だな、はりつけごくもんというのは)か、ヘリコプターで雪山に下ろして、ロープを切って、そういう奴の嫌いな孤独に餓死する刑に処するしかないな。

眠るときの昔の寒さを思う

 北国の修行僧は冬に眠るときは寒くないのだろうか。
 電気毛布など使っていないだろうし、布団だって一枚だけだろうし。
 あんかぐらいは使っているだろう。湯たんぽかもしれない。いやもしかして何もあたたまるものは身につけないかもしれない。
 年寄りの僧もそうだろうか。そうではないだろう、知らないが。

 大昔の北国の人々は、冬の寝床は何であたたまったんだろう。
 アイヌの人は、冬の寝床に入るときの冷たさは、どうやってあたたまったんだろう。
 俺はガスも石油もどんどん燃やして、電気で暖めて、天国みたいにあったかくして、毎日眠る。毎日眠れる。

民主党は分裂病

 民主党が内側で喧嘩している。小沢の派と小沢を敵だとしている派で分かれて。
 民主党がどうなろうと別にいいのだが、もうちょっと持ってもらわないと自民党などという腐った党に政権がいってしまうのは良くない。
 民主党の功績は政権交代をしたということだが、それは大したことなのだが、それをやったら後は政治は別の党に任せるべきだ。

 しかし民主党は、政権を取ってから、嫌われることばかりしているが、これは政権維持をしようと思っていないのだろう。政権を維持することに媚びないのはあっぱれだが、普通は政党としては政権を維持しようとするのが合理的だろう。
 それをしないのは、できないのは、党を人間としてみたとしたら、分裂病である、いまどきは統合失調症である、というのだろう。

 分裂病は妄想と幻覚だ。
 民主党の妄想は正義は勝つと思っていることであり、民主党の幻覚は人間はほとんどの人がいい人だと思っていることだ。
 つまり責任感がないのだ。ワガママで甘えているのだ。政治や行政に対して当事者意識がないのだ。

 しかしそれはダガシも同じなのだ。
 俺も、最後は正義は勝つと思っているところがある。少なくとも正しいことをしていれば、最後は報われると思いたいと思っている。だが正義とはなんぞやというのは長くなるから書かないが。
 そして俺は、ほとんどの人はいい人だと思いたいのだ。
 それは自分の思い方に甘えているのだし、それは自分の思い通りにならせたいと思っているのだし、ワガママなのだ。
 自分で言うのも何だが、これぐらいの自分を意識していることで、最低限俺は救われているのだと思っているが。

 だけれど民主党は、俺が自分を意識していることぐらいも意識していないのだから、これは病識がないのだ。自分自身を自覚していないのだ。だから分裂病なのだ。
 しかし分裂病になっているのは民主党だけではない。自民党も、他の政党もすべてが病識がないのだ。自覚がないのだ。それは、すべての人間は少なからず分裂病なのであり、その病識がない、自分を自覚しようとしないのと同じなのだが。

 だから、政治や行政に、無目的に自分をまかせるだのは、最後は大変なことになるのだと思わなければならないだろう。

寒い時期はとんこつ

 冬になったと思ったらスーパーで、インスタントのとんこつラーメンを売り出している。
 待っていたのだ。
 見たらすぐにカゴに入れた。

 うまくて、うまくて毎日でも食べたいのだが、朝からでも食べたいのだが、ラーメンを食べるのは一週間に一回以内と決めている。健康のために。
 ラーメンを食べても不健康になるわけでもないだろうが、子供のころにラーメンは食べてはいけないと家の決まりだったから、俺にとってラーメンは食べてはいけない食品なのだ。
 食べてはいけないと言われると、なおさら食べたくなるから困るのだ。
 だが食べてはいけないものをたまに食べる幸福感は、これはやめられないのだ。

 冬の野菜の白菜を入れたり、ほうれん草を入れたりして食べると、いっそう美味さが引き立つ。卵を割りいれると、卵が白いとんこつスープに合う。
 しかし冬になるととんこつラーメンがスーパーに出るのは、寒くなるととんこつを食べたくなるのは、俺だけじゃないのだとわかるのだ。

初雪の朝の写真

 今朝七時前の外。
 まだ完全には明けていない夜と朝の間の空。
 昨日の夜遅くから降って、これだけ積もった。
 今日は降ったりやんだりだった。
 今夜は布団プラス毛布をかけて寝る。

横断歩道の青信号

 今日は昼前から小雪が降った。今年の初雪だ。
 沼垂の交差点で信号待ちをしていると、向こう側の横断歩道を年寄りがひょこひょこと歩いていて、それが斜めになって車のほうに曲がっていった。
 酒を飲んでいるような歩き方で、歩行者用の信号が赤になっても、まだ交差点の真ん中を足を引きずるように歩いている。何かを思い出したみたいに途中で止まったりしている。
 俺は痴呆症の年寄りが徘徊しているのだろうと思いながら、でも交差点の向こう側のことだから車から降りて行くにいけない。向こうの先頭の車が何とかするだろうと見ていた。

 その車から中年の女が降りてきて、フラフラ歩いている年寄りを抱えるようにして向きを変えた。白い杖をついている人だった。
 それなら酔っ払って歩いているように見えたのも、横断歩道をはずれて車道に行ってしまったも仕方ない。

 女の人は白い杖の人を肩を抱きかかえるようにして一緒に歩道にもどった。小雪が舞っている。
 車道の信号は青になっていて、後ろの車が女の人の車を追い越して、行った。次々に後ろの車に追い越された。
 逆方向にいる俺もアクセルを踏んで進んだ。
 女の人の車だけが、雪が舞う中で、交差点の横断歩道の前で停まっている。

食べてはいけないものが入ってないサンドイッチとかハンバーグとか

 三、四年前にパックに入った焼きそばの、その中にある葉っぱに似せた緑色のビニールを飲み込んだことを書いたが、そのときあせって新潟市の救急病院に電話したが、結局飲み込んではいなかったようで何ごともなく次の朝をむかえられた。

 あれはパソコン画面を観ながら箸を動かして食べていたから、食べるものを見ないで食べていたから、食べてはいけないものを食べてしまったのだ。
 普段の食事でそうなることはあるはずがない。人と喋りながら食べていても無意識に箸の先を見ているだろうし、見ようとしなくても食うものは視界のすみに入っているだろう。だから食べてはいけないものは自然とより分けて食べるだろう。

 しかしそれが何かを凝視しながら、食事以外のものに集中しながら食べる行為をすると、食べてはいけないものを口に入れることになる。
 サンドイッチとはイギリスだったかの貴族がトランプ博打をやり続けながら食べることが出来るように作らせたものだと読んだことがあるが、たしかにサンドイッチの中身は食べてはいけないものは入っていない。ハンバーグもそうだ。

 食べるものを見なくても噛りつけることができるのは安全だ。だが食事の行為としては単純すぎる。
 魚の骨をより分けたり、それになによりも食べ物を視覚で楽しむのも人生のおもしろみだろう。
 食い物を見なくて噛りつける喰い方と、たっぷり見ながら時間をかけて手を動かして食するのと、それはTPOで分けるものなのだろう。

 俺は今風呂から上がって一杯やりながら鯖の缶詰を食っている。鯖缶は骨まで食べられるから、食べてはいけないものは入っていないから、パソコン画面だけを観ながら口をモグモグ動かしている。

冷蔵庫を買った

 このあいだ、二十年使っていた一人暮らし用の大きさの冷蔵庫が突然こわれた。突然灯りがつかなくなって、ああ壊れたのだなと思った。
 それにしても、冷蔵庫の中が真っ暗というのは不安になるものだ。

 直すのも金がかかるだろうし、中古の小さいのをヤフオクで探した。相場がわかったから、リサイクルショップに順番に電話をかけて値段を聞いた。
 手ごろな安いものが3000円であったから買いにいった。45リットルのだ。

 俺が冷蔵庫に入れなければならないのは、飲むヨーグルトと、納豆と、少しの魚と少しの肉ぐらいのもので、45リットルで充分なのだ。卵と野菜はそのまま台所に置いておけばいい。
 氷は使わないし、冷凍食品も買わないから、冷凍庫も要らない。そして壊れた冷蔵庫は今から三年前に、冷凍するところが故障して、氷が出来なくなったのだ。それでも支障なく生活してきた。今までの冷蔵庫は120リットルの大きさので、俺一人ならこれでも大きすぎた。

 しかしいつも思っていたのだが、卵をパックで買ってきて冷蔵庫に入れるときに、一個一個パックから出して冷蔵庫の扉の卵入れのくぼみに移すときに、卵はパックに入れたまま冷蔵庫に入れておけばいいじゃないかと。移す動作が無駄なのではないかと。これは卵置き場があるから卵を置くのであって、卵置き場がなければパックのまま入れておくだろうと。
 何かで読んだのだが、卵は殻の中で腐らないようにする作用があって、常温でも一週間か二週間はそのままもつのだと。だからスーパーの売り場では、夏でも卵は外に出して売っているのだと。

 こわれた冷蔵庫を捨てるためには、家電リサイクルで4000円くらいかかるらしい。
 今まで冷蔵庫の上で野菜を切ったりしていたから、それならこのまま調理台として使って、そして電源を入れずに、食料品を入れる収納庫として使えばいいかなと思っている。

日本酒で酔わない不思議ふしぎ

 この冬になって日本酒をすこし飲んでいる。
 たまにしか飲まないのだからすこし高いものを買って飲んでいる。200mlで500円くらいのを。そのくらいの量だと、もっと飲みたいぐらいの気持ちで飲み終える。それが美味いと思える量だ。

 今夜はどうしてかもっと飲みたいと思って、いや前から日本酒をもっと飲んでみたいと思っていて、祖父と父が飲んでいた朝日山の一升瓶を買ってきた。1500円だった。高いものではなかった。

 冷やで飲みはじめた。すいすいいけた。子供のころに祖父から遊びでのまされたときに記憶している味だった。

 途中でさかながなくなったから、自転車でスーパーに行って、半額の刺身を買ってきてまた飲んでいる。

 そしてどうしてか酔わないのだ。飲んでも飲んでも酔わない。
 フィギアスケートのエキシビションを観ながら飲んでいる。その合間合間に仕事の残した用事を思い出して済ませながら飲んでいる。それのせいなのか酔わない。それとも冷やだから酔わないのか、わからない。

 いつのまにか一升瓶の三分の二がなくなっていた。それでも酔わない。
 久しぶりの日本酒、というか、初めて一人で飲む多めの量の日本酒で興奮しているのだろうか。
 このまま飲むと一升瓶をあけてしまう恐れがある。それはよくない。いや一升すんなり飲んでしまおうか。
 だけれど、いつもの焼酎のレモン水割りに切り替えるべきだろう。冷や酒がきいてくるのは時間差というじゃないか。
 それに酒の強さを自慢する年頃でもないし、いくら飲んでも酔わないのは、経済的ではないぞ。
 しかし五十近くなって、また酒が強くなっているのは、嬉しいような馬鹿くさいような、どっちでもいい気分だ。
 そしてなんだかどうしてか、部屋の鍵をかけて、ひさしぶりにギターを弾きたい気分だ。

小沢も信用できなくなった。全員で議員をやれ

 小沢が自分のやったことの弁明で国会に呼び出されるのを嫌がっているそうだが、民主党の代表選挙のときに逃げも隠れもしないと言っていたのと反するから人間として駄目だな。
 国会議員など馬鹿ばっかりなのだから、馬鹿をおちょくって遊ぶぐらいの気持ちで、国会で喋ればいいじゃねえか。
 それをしようとしないのは小沢もさすが議員などやっているだけあって馬鹿だったな。
 もう議員などに信用できる人間はいなくなった。

 国会議員の定数を十万人にして、国民の持ち回りにして、郵便かネットかで投票することにして、今の議員の馬鹿どもだけじゃなくて、広く馬鹿な国民どもにも議員の責任をになわせて、今までの国会議員だけに責任をおっかぶせることをしないようにするべきだ。当事者意識を持つべきだ。
 裁判員制度だってやっているのだから、何年かに一回、国会議員を務めるのも義務にするのもやれる。そうすべきだ。
 義務を果たさない人間は、半年間牢屋に入ってもらうようにすればいい。そうすると牢屋に入りたがる人間もいるだろうから、牢屋がいくらあっても足りなくなるから、その義務を二回果たさなかったら死刑にすればいい。
 自由を勝ち取るのも、新しく良い仕組みを創り上げるのも、そういうことには自分の血も人々の血も流さなければ良いものは出来ない。
 民主主義も、そして俺の嫌いな多数決主義だって、世界の人の大勢の血で創り上げたものだ。それは今までの歴史が教えているぞ。

新潟市では雪かきは仕事でやるものではないな

 便利屋が雪かきを安く受けている。ホームページで出している。
 雪かきを商売でやるには安い値段ではできないぞ。
 雪かきを頼みたい日は雪が降っているのだから、道が渋滞して現場に行くのに何時間もかかるぞ。そして二、三時間やって別の現場に行くのにも、また道が混んでいて時間がかかるぞ。

 そして雪かきは体を使うから大汗をかく。冬に外で汗をかいたら、すぐシャワーを浴びるか、そうでないなら体の汗をタオルですぐ拭きとらないと、風邪を引くぞ。
 だから一つの現場が終わって次の現場に行く前に着替えなければならない。その時間もかかるぞ。
 汗をかいていないのなら体を動かしていないのだから、仕事の結果を出していないということだろう。少なくとも昼休みには暖かい部屋で着替えて休まなければ、雪かき作業はできないだろう。

 だから、作業する時間プラス、移動時間と休憩時間は普段の仕事より必要なのだ。その時間分も経費に見なければならない。
 そして毎日やる仕事ではないのだ。突発的な仕事なのだ。
 そうならば最低一日五万円くらいは請求しなければ、仕事としてはやっていかれないだろう。

 それなのに便利屋は安い値段で雪かきをしますとうたっている。
 勝手にやればいいさ。よっぽどヒマなのだろう。
 二十年前だったか、三十年前だったかはっきりした頃は忘れたが、屋根の雪下ろしの日当は一日一万五千円だと聞いたことがある。あれからずいぶん年月がたっている。であれば最近の雪かきの料金の相場はそれなりに高いだろう。

 そして雪かきは誰でもできそうに思えるが、去年の大雪で新潟市民の雪かきの下手さをはっきりわかった。それは新潟市は雪が降らない土地だから、除雪も下手なのは仕方ないのだが、それにしても頭を使えば雪のけのやり方など想像できると思うのだが、一人として上手にできる人間を見なかった。

 俺はホームページで雪かき作業を受けると出しているが、そして去年は仕事として何回かやったが、問い合わせを受けると高いと言われた。別に安くやるつもりはないから、そうですかと言って電話を切ったことが何回もあった。
 雪かき仕事の金を受け取るときも、客が高いと思いながら支払っているのがミエミエで、嫌な気持ちがした。
 初めの約束どおりの料金で、なおかつ約束以上の仕上がりにしているのだし、そして俺は顔が熱くなって頭から湯気が出るほど汗びっしょりで、シャツもパンツもズボンも汗ぐっしょりで、腰は痛いし明日の仕事に差し支えるだろうぐらいにヘトヘトになっているのに、でも雪かきの客は家の中ですずしい顔で、高いなあみたいな顔で金を出している。頭にきたから、もうこいつからは仕事は受けないと思ったことがあった。

 だから新潟市では仕事としては雪かきはしない方針にするつもりだ。だからなおさら安い料金を出さないつもりだ。
 きちんと正当な料金を気持ちよく払ってくれる人からだけ仕事を受けるか、あるいは、金をからめないで、お得意さんが困っているときに、俺の手があいているときに、ボランティアでやれば、俺も腹が立たないと思う。

冬野菜と冬魚の旬になる

 今朝運転していたら8:45に小さいあられがウィンドウガラスに当たった。
 お客さんのところで観た昼前のテレビニュースで、今シーズンの新潟市の初雪が今日だといっていたが、こまかいあられが降ったぐらいで初雪というのか。初雪というのは本当の雪が降る初めての日を初雪というのじゃないのか。

 今夜、ぶり大根に飽きていたから、ぶりのハーブオイル漬けというのを買って、炒めて食べたがうまかった。
 別の鍋で大根を煮たのを、それをぶりのハーブ漬け炒めと一緒に食べたらおいしかった。
 ぶり大根みたいな理屈なのだろうが、ぶりと大根はどうやって味付けしてもうまいのだな。
 白菜を煮たのも、このぶりと一緒に食べたら、これもうまかった。
 ぶりがこの時期うまいのか、冬の野菜がうまい季節になったのか、俺の体がそれらを求めていたのか、どれもそうなのだろう。

 あられでも空から白いものが降って本当の冬になったから、魚も野菜も旬のものがうまいのだな。
 お客さんにもらった赤いリンゴを食べて、もう冬になったのだな。

ゴミ屋敷から脱するとは新しい出会いへ

 部屋がゴミ屋敷から脱しつつある。だいぶ片付いた。ゴミはまだ出してないのだが、新潟市指定の45リットル袋に五つ、部屋のすみにかさねてある。服と紙類だから、生ゴミじゃないから臭くならないし腐らないからまだ出してない。
 これだけ多いと車で運ぶか、一つずつ持って少しずつ自転車で運ぶかだから、ためている。こないだ45リットル袋を満杯にしたのを一つ、自転車のカゴに乗せながらこいだら何とかいけたから、時間がある朝に自転車で運ぶつもりだ。

 ゴミ屋敷から脱するのは、気合だ。気合というのは具体的にいうと計画だ。計画とは部屋の形の最終形をイメージすることだ。しかしそれが一番難しいのだ。
 なぜならそれは、未来をイメージすることだからだ。それは人生に積極的にならなければできないことだ。鬱や神経症にはできないことだ。俺は鬱にもなりやすいし、元々いろいろな神経症だし、自分の未来のイメージをするのが下手な人間だ。
 ちなみに俺の神経症は、高所恐怖症であり、閉所恐怖症であり、それにどうしてか広い場所もおっかないし、先端恐怖症であり、暗いところがおっかない病だし、オンナギライ病だし、金銭ギライ病だし、他にもいろいろな神経症に悩んでいる。

 だがゴミ屋敷は最初の一回、死ぬ気で自分の部屋をこうしたいという最終形イメージを決めれば、あとは作業するだけなのだから、頭を使わなくてもすむ。淡々と手と足を動かせばいい。作業の途中で新しい最終形のアイディアが出ることもあるが、それはそれでおもしろいことだ。作業のやり方の新しいアイディアも思いつくこともあるし、作業自体も楽しくできるものだ。
 ときどき仕舞っていた古い本や雑誌やもらった手紙を読んでしまったりして時間をつぶすのだが、それは人生なのだから人生を楽しむことなのだから、人生のよいおもしろいことだ。

 最終形を決めたら、計画が決まるから、それにそって、今日はここをこうして、明日はあそこをああしてと、すこしずつ時間を使って作業していけば、少しずつゴミ部屋が片付いて、人をよべる部屋になるぞ。そうすれば新しい出会いがあるかもしれないし、そうすれば新しい人生が見えるかもしれないぞ、と自分に言い聞かせる。

これから海老蔵はコミカルな芸風でいけ

 海老蔵の謝罪会見というか言い訳会見というかビジネス会見というかを見た。
 まるで頭が悪いのはわかった。
 男気がないのもわかった。まだ卑怯な物言いをしている。
 だが可哀想だとは思った。
 だが笑ってしまった。笑わせてくれるとおもった。
 大怪我をして体を張って、日本全国を笑わせてくれている。楽しませてくれている。
 いっそお笑い芸人でやっていけるぞ。
 いや、それじゃ芸人たちに失礼か。
 お笑い芸人の芸は、笑われるのじゃなくて、笑わせるのだそうだからな。
 でも笑われるのも一つの芸だぞ。
 そして俺は、なにごとも謝れば許されると思っている人間だから、海老蔵は、下手な謝り方だけれど謝ったんだから、世間は許してやれよ。
 無期限の謹慎だとかと言っていたが、それはビジネス上の物言いだろう。それがおさまりがいいから。
 海老蔵は肉体的にも精神的にも頭脳的にも弱っちいのがばれたんだから、あらごとなど似合わないんだから、コミカルな芸風でいくのもいいぞ。

着るものが小さくなってGoodbye青春

 正味四時間で六畳間と押入れの中を片付けて掃除した。
 これでゴミ屋敷を脱した。
 足の踏み場が見えた。

 ゴミで多かったのは段ボールと本と服だ。その中でも服が一番多かった。
 押入れに押し込んでいた三十代に着ていたポロシャツやらワイシャツやらブレザーやらGパンやらをゴミ袋に片っ端から放り込んだ。
 スラックスも捨てた。ためしに穿いてみたら腹回りが入らず、けつのあたりで上にあがらないのだった。

 体型が変わった。太った。
 年のせいもあるだろうが、リフォーム仕事をしていると、俺は現場監督で動かないから、でも動かなくても食うから、いや今までよりもっとどうしてか食うから、腹が出た。
 そういう時期なのだと思ってあきらめている。

 Gパンとスラックスのウェスト73センチのを片っぱしから捨てた。全部のベルトも短くなっていたから捨てた。
 大袈裟にいえば青春よさらばと言いながら捨てた。

歌舞伎役者などは表現者ではない。そして税金から泥棒するな

 海老蔵という歌舞伎役者が喧嘩で被害者ヅラしているのがカッコワルイ。
 男同士の喧嘩なのに、警察に被害届けを出したのも、もっとカッコワルイ。

 俺は海老蔵は一般人ではないと思っているから、それは時代遅れのジャンルをやっていても表現者だと思っていたから、そしていくらか知らないが税金から安くもない金をとっているのだから、一般の人間の常識には当てはまらないと思っている。

 ということは、一般の人々より以上に自分をカッコツケルことが必要だぜ。カッコツケルということは、苦しくても、自分の立場を悪くしても、おのれを律するということだぜ。

 喧嘩をしてもいいが、いやどんどん喧嘩をやればいいが、勝ってもらおごらず、いやむやみに勝たないようにして、そして負けたら静かにしている、いや負けても自分が悪かったところを探す。そしてどこまで自分の喧嘩を客観的に見て、考えるか。これが表現者としてとるべき姿だぜ。それが、自分を客観的に見つづけて、考え抜くことが、自分を律するということだぜ。

 それなのに、通り魔みたいに知らない人間に不意打ちをされたわけでもないのに、自分で売ったか買ったか知らないが、男同士の喧嘩なのに、自分の意思でやった喧嘩で命に別状ないぐらいの怪我をしたぐらいで被害届けなんぞ出しやがって、馬鹿が!
 しかも喧嘩の経緯で嘘を言っているらしいなあ、卑怯者が!

 どんどん酒を呑んで、どんどん喧嘩して、どんどん嫌われて、表現者はどんどん人とはなんぞやを知ればいいのだが、いいこぶりっ子をした瞬間に、表現者としては死ぬぜ。

 それからなあ、税金には近づくな! 少しでも税金や公金で飯を食わしてもらった瞬間に、表現者としては死ぬぜ。
 なぜなら税金や公金で儲けると、国家やオオヤケや集団や組織におもねることになる。ということは言わなければならないことが言えなくなるということだ。
 表現者は、いつも一人だけでいなければならないのだよ。

 歌舞伎役者などというものは表現者ではないのだな。であれば、ああいう奴らがカッコつけている時点で、本質としてはカッコワルイのだな。そしてあんなカッコワルイものにピーピーキャーキャー言っている奴らも馬鹿でカッコワルイのだな。

エアコンクリーニングは必要だと再確認したこと

 オイル交換でイエローハットに行ったのだが、接客態度や仕事振りは年々良くなっていて、自分に甘くて人に厳しいダガシでも機嫌よくいられたのだが、待合室の空気が悪かった。
 何だか知らないがクシャミが出て、喉がいがらっぽくなって、風邪でもないのに咳が出て、なんだろうと思って考えたら、暖房のエアコンが怪しいぞと思って、吹き出し口の奥を見たら黒いカビが全体に見えて、これが原因だと思ってスイッチを消した。
 そうしたら喉のヘンな感じもなくなって、咳も出なくなって、ああやっぱりエアコンが原因だったんだなとわかった。
 ということはエアコンはエアコンクリーニングが必要なのだ。

 俺はこのブログで宣伝はしないから別に宣伝で書くわけじゃないが、エアコンの内部の汚れは取っておかなければ、来訪型の施設のエアコンとしては失格だ。
 ということは、普段どんな立派な偉そうなことを言っていても、エアコンクリーニングを、それも昭美堂のエアコンクリーニングをしていなければ、清潔な空気ですだなどと言えないということだと思った。

インターネットのコストを下げるためにインターネットに頑張らせる

 この中古パソコンを買うとき、割高だけどCDを焼けるのを買った。その機能がなくて同じ性能のものは6千円くらい安かった。
 だが今のところCDを焼くことはない。これからもないだろう。ということは要らない機能があるものを買ってしまったということだ。
 機能が増えると部品が増えるのだろうし、それは壊れやすくなるだろう。だからシンプルが一番だ。

 OSもどんどん新しいものが出ているが、要らない機能を増やしているのだろう。だから壊れやすくなっているだろう。といって新しいものを出して、それを売って儲けなければ、ウィンドウズもやっていかれないだろうから仕方ないのだろう。

 でもOSはシンプルにしておいて、インターネット全体に頑張ってもらえば、それを利用すれば、パソコンのコストは安くなっていくのじゃないかと思う。
 パソコンで作曲も編曲も絵を描くこともしない俺は、この性能のパソコンで充分なのだ。

選挙に行く意味

 お客さんと選挙の話になって、こないだの新潟市長選には行かなかったと言ったら、それは間違っていると言われた。
 篠田はもう信用できないし、片っ方の候補者も信用できないし、行くだけ無駄だからと俺が言ったら、現職市長が勝つだろうけれど、お前には白紙委任をしていないぞということを分からせるために、だから対立候補の票を上積みさせるために、相手候補に票を入れるべきなのだ、だから生まれて初めて共産党に入れたよ、とお客さんは笑った。
 なるほど、それは思わなかった。
 そうならば行く意味があった。
 篠田と篠田一派は調子こいている。無駄な建物を作りたがっている。無駄なイベントをしたがっている。だから税金を増やしたがっている。泥棒根性でありタカリ根性だ。さすが新潟市民の代表だ。
 今度は選挙に行こう、と思った。

安売りサービス業の功罪

 安売りのハウスクリーニング屋も、安売りの便利屋も、そのホームページがなくなっている。
 安いことをうたう業者の末路はこうなのだな。
 ハウスクリーニングも便利屋も、そしてリフォーム屋も、底の浅い人間しかいないから、結局そうなるのだろう。

 俺は学校の勉強など勉強しなくても出来て当たり前だと思っている人間だが、その学校の勉強さえも出来ない人間の集まりがハウスクリーニング業界であり、便利屋業界であり、リフォーム業界なのだ。だから喋っていると腹が立つのだ。
 世の中には、学校の勉強などよりよっぽど難しいことがいっぱいある。日々それに直面するのが人生だ。それに比べれば学校の勉強など簡単だ。そして学校の勉強さえ出来ない人間は、無神経な人間が多い。これは事実だ。

 ハウスクリーニングでも便利屋でもリフォームでも、この業界には当事者意識を持とうという人間を見たことがない。
 といって自分の仕事に自分の客と同じくらいに当事者意識を持とうとしている人間は、どんな業界にもいないがな。
 その時のその場の自分の利益さえ得られればいいと思っている人間ばかりだがな。それは政治家も同じだがな。
 だが安売りをするのは当事者意識を持つこととは関係ないし、安売りをすることは考えることを放棄している安易なやり方だがな。

 俺がリフォーム仕事で安さを打ち出しているのは、他所の料金が高すぎるのだと思っているし、今の俺の料金で、俺にとっては利益を得られていると思うから、その料金設定にしているだけのことだ。
 まてよ? であれば安売りをうたっているハウスクリーニング屋も便利屋も、自分じゃ自分の料金設定が、充分な利益を出せると思っていたのだろうか。
 でもそれならばどうして辞めたのだ?

 そういう安売りハウスクリーニング屋も便利屋も、業界の料金設定を荒らしておいて、やっていかれなくなったら辞める。…安易だ。
 他にそんなことをしている業界はないぜ。
 価格破壊という言葉があるが、それだって自分の仕事がやっていかれなくなるほど安くするのは、自分にもお客にも社会にも、結局は迷惑をかけているのだとわからないのだな。それが底の浅い人間だということだ。

 だが本当に画期的なやり方を発明して、ユーザーに安く提供することができれば素晴らしいが、それは難しいが、俺は目指したいと思っている。
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