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徒然のブログ

つれづれの思いなどを

平野の雪は少なめ、山場の雪は多め

 今年は、そもそも雪が降る地の南魚沼とか、妙高とか、入広瀬は、もともと降る雪が降っている。
 そういう地は、去年より雪が降っているそうだ。

 今年は山雪なのだろう。
 だから新潟市は、毎日少しずつ降ってはいるが、それほどでもない。
 夜中に除雪車が来る音は聞こえない。
 車道は昼になると雪は溶けて、黒い路面が見える。

 それでも今年は、日本としては去年と同じで大雪の冬だ。
 暑い夏も、寒くて大雪の冬も、一年では終わらないのだろう。
 そうすると来年の夏も、暑くなるかもしれない。

 暑すぎる日は屋外に出ないようにしているし、大雪の日も用がなければ外に出ないようにしている。私はインドア派の人間だ。
 だから暑いからや寒いからでは、金を使わない人間だ。
 だけれど、夏は暑くて冬は寒いと、人々は金を使うらしい。そうならばそうなってほしい。
 明日からしばらく、雪はやむらしい。

動きも顔も名前も良いサッカー選手

 アジアカップという大会など知らなかった。
 いつもはサッカーなど見たくないと思っているが、国際試合は見たい。
 無意識に戦争をやりたがっているのかもしれない。戦争はしないほうがいい。

 今までサッカー選手に入れ込んだこともなかった。誰のファンでもなかった。
 だが長友選手には、目が付いていった。

 コマネズミみたいな動きという言葉がある。
 あの走る走る、そして点を入れた場面のパス、あの愛嬌のある可愛らしくて、でも迫力ある顔、小さな頑丈な体、キビキビした動き、見ていて気持ちがいいのだ。
 長友祐都という名前もカッコイイ。

 大会の最優秀選手賞は本田らしいが、長友にやりたい。
 そして今日は日本中のブログがサッカーのことを書いているだろうから書きたくないのだが、つい書いてしまった。

年をとったら雪下ろしをしない生活を

 屋根の雪下ろしで、落ちて死んだというニュースを観たが、同情できない。
 なぜならば、七十四歳だとか、八十四歳だとかの人が、屋根に上るということは、自分の運動神経が落ちているのを自覚していないのだから、それは自業自得だろう。

 映像で映っていた家は、立派な家だった。お金があるんだろう。
 であれば業者に雪下ろしを頼めばよかったのに。それくらいの金はあっただろうに。
 それを惜しんだから、死んだのだ。

 現金がなかったら、極論だが、家を売ればよかったじゃないか。
 すぐは売れないにしても、冬場のことを考えれば、そういう年恰好になったら、自分の財布の中身を考えて、そういう一軒屋に住むのは考え物だと思わなければならないだろう。これも自業自得だ。

 父親に聞いたら、おととい屋根の雪下ろしを、人に頼んでやってもらったと言っていた。私の父親は七十代の半ばで一人暮らしだが、前から、これからは俺は、町場の一間のアパートに住むべきだろうなと自分で言っている。
 自分の年恰好と、経済力と、家族の人数や家族のかかわりかたで、住まいは、変えていくべきだろうに。年に合わせて住まいは小さくしていくべきだろうに。それを考えずに実行を怠たると、こういうことになるのだろう。
 極論は、何とかして雪の積もらない場所に引っ越すか、それをしないか。その選択肢から、自分で選んだ結果なのだから、誰のせいでもない。
 今夜から大雪が降るといっている。
 ※
「追記」
 二月四日のニュースで、大雪の地域に学生たちがボランティアで雪かきに来たというのを観た。
 嬉しい気持ちがした。ありがたかった。俺がお礼を言いたい気持ちがした。

 だが俺のいつものあまのじゃくの気持ちで、学生たちの交通費や滞在費の経費は、税金から出ているのじゃないかと思ったが、たとえ税金から出ていても、学生たちに人助けの気持ちを持ってもらうことのコストは、一生懸命やって雪かきの結果を出してくれれば、少しくらいなら税金から出してもいいなと思った。

車の鍵を閉じ込めた

 一年くらい前から、車のそばにいたり、乗り込んだりしたときに、リモコンをさわっていなくても、ガチャッと音がして、ドアの鍵がかかることが時々あった。
 今日はいつものようにリモコンキーでドアの鍵を開けて、鍵をダッシュボードに置いて、それからウィンドウガラスの雪をかき落として、そうして乗り込もうとしたらドアが開かなかった。
 一瞬まだドアの鍵を開けていなかったかなと思ったが、鍵は中のダッシュボードの上にある。頭がこんがらがったが、落ち着いて考えてみたら、鍵を閉じ込めたのだと、頭のどこかで、わかったような、わかりたくないような、へんな気持ちがしたのだった。

 念のため全部のドアを開けようとしたけれど、開かない。
 またリモコンキーが何かの拍子に働いて、ドアを閉めてしまったのだった。

 JAFに電話をかけた。
 12500円です、と言われた。高いなと思ったが、事前に素早く料金を提示するすがすがしさには嬉しく思って、来てくださいと頼んだ。頼まなければ、車に乗れないのだから。アパートの部屋の鍵も車のキーと一緒のキーホルダーに付けているから、部屋にも入れないのだから。

 JAFの鍵開け作業は、正味十秒くらいで終わった。
 伝票を書いて、領収書をもらって、JAFが帰るまでは五分もかからなかっただろう。
 これで12500円か。いい商売だ。

 だがJAFの男は、作業の初めから最後まで爽やかな笑顔を通して、その物言いも上手な敬語を使って、きびきび動いて、見ていて気持ちがよかった。それを見せてくれたのだから、その見物料込みだと思えば、12500円は妥当な値段かもしれないと思った。いや思い込もうとした。

 JAFの男が説明してくれたのだが、JAF会員になっていれば、このぐらいのものは無料でするのだそうだ。
 会員になるための料金は、入会金が2000円、年会費が4000円で、この仕事を依頼するより安い。
 年で4000円なら、一ヶ月で333円だ。
 入っておこうと思った。

 それからもう、リモコンキーは使わないことに決めた。
 だから車のキーホルダーからはずして、事務机の引き出しの奥に押しこんだ。

言葉やばい

 やばいなどという言葉がやばいほど使われているが、やばいというのは良い意味の言葉ではないのに、美味いとか凄いとか素敵だとかという意味でこの頃使われている。
 言葉ははやりすたりがあって、何年か前に誰もが使っていた言葉は今では使うと格好悪いものがある。
 やばいもそういう言葉だと思いたい。
 だからはやりの言葉を使うのは格好悪いと思っている。
 自分だけのはやりの言葉を使うのが格好いいと思っている。
 それは誰かにすぐ伝わらないから、やばいかもしれない。

苗字の言葉

 私ダガシの苗字はタカハシだが、子どもの頃からずっと、タカハシという言葉の意味は何なのか知りたかった。
 田中なら田んぼの中の集落に住んでいる人という想像ができる。小林なら小さい林のそばに住んでいる人で、杉山なら杉の山の近くに住んでいる人で、木村なら木がいっぱい生えている村の人ということだろうか。
 苗字の漢字で、その苗字のいわれをすぐ想像できるのは納得できるが、たかはしという言葉なんて、たかいはしって何だ? と思うだけだ。

 それがパソコンがあって、検索エンジンがあれば、タカハシという言葉の意味が分かる。
 ググれば分かることだからここでは書かないが、なるほどそうかと思う。パソコンと検索の仕組みは、知らなかったことを知ってしまわせる。
 五十嵐という苗字は下田村の五十嵐神社の由来らしいが、そのもっと奥の意味はこれもググればわかるから書かないが、いからしとかいがらしとかいう言葉の響きは心地よいと思う。

 長年知りたいと悩んできた自分の苗字の言葉の意味が、あっさり分かってしまうのは何だか淋しい気持ちもある。
 でも簡単に意味を想像できてしまう苗字の人は、それはそれで、自分の苗字を面白くないと思うのだろう。
 だが私の場合、そういうことに思いをはせるのは、十年か二十年に一回のことだから、普段は苗字など記号でしかないと思っているから、発声しやすい音の苗字がいいな、いや唇と舌で言いにくい苗字も覚えやすくていいな、と同時に思っている。

仕事の料金を上げさせてもらった

 定期的に家事代行の掃除に行っているお客さんから、今年から値段を上げてくださいと言われた。
 今の金額じゃ安すぎるから、申し訳ないから、と。

 俺はそれほど安くしているつもりはないのだ。
 そのお客さんの仕事は、家事代行だけじゃなくて、お客さんの商売の施設の清掃も受けているから、全体として俺にとっては赤字の仕事じゃないし、それより何より、そのお客さんはもう、俺にとって家族同然と思っているお客さんだから、金の問題で仕事をしているわけじゃないのだ。好きでやっているのだから、仕事の料金が上がろうが下がろうが、やりたくてやっているのだ。まるっきり赤字じゃやらないだろうが。

 今どきのこの不景気のご時世で、お客さんの方から値段を上げろと言うのも珍しいし、俺はいったん固辞したが、上げろ上げろと言ってくれたから、ありがたく上げさせてもらった。それも大幅に上げさせてもらった。
 だからこそまた、より一層仕事に打ち込む。自分の家をメンテナンスするのだと思って、作業する。

 だからこそ、俺はいつも意味なく安く仕事はしないことにしている。
 それだから、俺が発注側になるときも、俺はむやみに意味なく負けろ負けろとは言わない。
 だから俺はいつも、仕事の結果を出すつもりだし、仕事の結果を出す人としか付き合わないことにしている。

火の用心さっしゃりませー

 火の用ー心、火の用ー心、カチ、カチ、と子供の頃に家の周りを歩いた記憶がある。
 遊びでやったのではないと憶えている。子ども何人かでやったと思う。なぜそれをしたのかは忘れたが、学校でやると決めたのか、自発的にやったのか、それは忘れたけれど、拍子木を叩いて、火の用心と叫んで歩いたことは憶えている。

 今は、夜になると、カランカランとサイレンを鳴らして、消防車が回ってくる。防火に気をつけてくださいだったか、スピーカーでそういう言葉を流しながら回ってくる。

 それもいいのだけれど、子どもの甲高い声で、火のよーじん、と叫んでもらいたい気持ちもある。
 地域の小学校で、集団登校のグループでも、有志の子どものまとまりでも、冬場にちょっと回ってもらいたい気持ちがある。
 ただ単に、子どもが頑張っているのを感じたいだけなのだけれど。

障害者がつくる笑い

 昨日の一月二十二日土曜日の夜中、テレビで障害者のお笑い番組を観た。
 ネットで面白かったといわれていた番組だった。
 そろそろ寝ようかと思ってテレビを消そうとしたら始まって、そうして二時間観つづけたのだ。
 これは笑った。
 人が一生懸命になっている姿は、気持ちのいい笑いを生まれさせる。
 だが、解説者というかゲストの人間たちは、同情なのか偽善なのか、面白くないところも面白いとお世辞を言っていたのが鼻に付いた。かわいそうだとか、同情だとかは、かえって対象に失礼なのに。
 それは障害者本人たちも同じで、面白くない場面でも、頑張っていることで許されたい、面白いと思い込みたい、と思っているところがあって、世間にも自分自身にも、甘えているなあと思った。そういうところで甘えている限り、心のバリアフリーなど生まれないぜ。

 障害者に笑わせてもらうことは、健全なことだ。少なくとも、人間として自然なことだ。
 人は、自分と違うものに違和感を覚える。違和感が、笑いを生みだす。自分との共通点と違和感のバランスが、自然な笑いを生み出す。

 番組に出ていた障害者は、全員が身体障害者だった。知能の障害者も、精神の障害者もいなかった。
 知能障害と精神障害の人も、健全で自然な笑いを創るのは、ある。
 精神病院に勤めていたときに、それを知った。
 むしろ計算が少ない分だけ、生き物としての自然な笑いを生み出すことはある。

データのバックアップ

 経理のデータをバックアップするためにUSBメモリーを買った。千円もしなかった。
 バックアップには何が良いかと調べたり考えたりしたが、USBが費用対効果で一番いいだろうと思ったのだ。

 USBメモリーの説明書を流し読みしたら、抜くときはパソコン画面の右下のなんたらかんたらをクリックして、安全にしてから抜けということが書いてあって、そこが目に入って良かった、読まなかったらそのまま引っこ抜いて傷めていただろう。

 経理ソフトに数字を入力して、保存して、それをUSBメモリーにコピーして、それをもう一つのノートパソコンに入れた。
 記帳したら、これをくり返せばいいのだな。
 だけど面倒だから、記帳してUSBメモリーにコピーするのは毎回やるが、もう一つのパソコンに入れるのは一週間に一回でいいだろう。

 そうしてそれから、初めて表計算をやってみた。
 世の中の税理士さんのHPには、エクセルで使う経理の帳面のテンプレートを、無料でダウンロードさせてくれるものがある。その中から、売掛け帳のテンプレートをダウンロードして、自分のオープンオフィスで使ってみた。
 パソコンオンチで数字オンチの俺でも使えるとわかった。
 これも記帳するたびに、USBメモリーに入れて、それをもう一つのパソコンにコピーしようと思う。

 俺は今まで、バックアップのことなど考えたこともなかった。
 パソコンの中で絶対に必要なデータはホームページのファイルぐらいのもので、それはレンタルサーバーのHPのファイルマネージャーでも編集できるし、そこからコピーもできるから、もしパソコンが急に壊れても、何とでもなると思っていたのだ。

 だが、自分の経理の数字は、自分のパソコンの中にしか置いてないから、これは無くすわけにはいかない。
 まさか経理の数字までクラウドで管理するわけにもいかないだろう。
 だから今まではどうでもいいと思っていたバックアップも、やらなければならないと思ったのである。
 普段使うデスクトップのパソコンと、USBメモリーと、ノートパソコンの、この三つの中にデータを置いておけば、どれかが壊れたとしても、どれかから元に戻すことはできる。
 パソコン嫌いの俺も、だんだんパソコンが上手になってきているみたいだと、自分で思い込もうとしているのである。

青色申告が分かってきた

 このところ毎日、時間をとって青色申告のソフトをいじっている。
 売上げや、仕事で買い物したのを、入力している。入金伝票と出金伝票は、リアルの紙のものに記帳している。
 そうしたら、あれほど嫌だった経理の仕事も、まあまあ嫌いじゃなくなっている。
 少なくとも、縦横に数字が並んでいるのを見ても、経理の用語が詰まっている表や文を読んでも、腹が立たなくなっている。自分でも驚いている。

 経理アレルギーが治ったのは、経理ということを少しは理解したからだと思う。そして新しいことを覚えようとしているからだと思う。
 新しいことを覚えるのは楽しいことだ。中学のとき、ギターを覚えたり、バイクの操作を覚えるのは楽しかった。それと同じような気持ちだ。

 貸借対照表の理屈も、自分なりに理解した。一番納得できなかった、借方と貸方という言葉も、分かったと思った。
 キャッチボールをイメージして、理解したのだ。左手にグローブをはめて玉を取って、それを右手で投げる。それをくり返すというふうに。
 左側の借方は左手のグローブで取る方、右側の貸方は右手で投げる方、そういうふうに体を動かすことでイメージして、納得した(追記・後日加藤かんたん会計ソフトのマニュアルを読んだら、税理士さんの作者も、携帯電話を買ったときの仕分けの例えで、借方の左手で携帯電話を持ち、貸方の右手で現金を支払う、と書いていた。俺と同じようにイメージしていたのかと驚いて、そして嬉しかった)。
 細かい理屈や、仕分けの用語は、それぞれの経理用語をググって調べて、理解した。

 今まで俺は、経理というものを、何が何だか分からずに、この世のものではない、お化けみたいなものに見えて怖かった。
 だけど今、青色申告の経理の流れも分かった。分からなかったものが分かるようになると、怖くなくなって、楽しくなるものだと知った。
 これでもう、青色申告のことで不安になったり、経理仕事にアレルギーを持ったり、俺にはできないのじゃないかと、俺には経理の能力がないのだろうかと、俺は人間としてダメなんだろうかと、怖れと心配でドキドキすることもなくなった。
 あとは記帳を怠けないで継続することだが、それが一番不安だ。
 でも、経理というお化けが怖くなくなったのだから、経理作業をやりとげることだって、なんとかなるだろうと思っている。
※追記・リナックスにWineを入れて、加藤かんたん会計をインストールできて使えた。下記の記事を参照。
Linuxで加藤かんたん会計が使えた。http://shoubido.blog44.fc2.com/blog-entry-2819.html

つらら

 子どもの頃は、つららをよく見た。どの家の軒先からも、学校の屋根の軒からも、まるで恐竜のキバみたいなのや、マンモスのキバみたいなのが、何本も何本も生えていた。
 学校の帰り道に、その太いキバを、傘の先で叩いて音を楽しんだり、強く叩いて落としたりして遊んだ。
 つららの下に入るなと親から言われていたから、注意しながらキバで遊んでいた。
 学校の授業中に、ときどき外でガラスが割れるような音が聞こえて、ああ、大きなつららが落ちたのだなと思ったりした。
 つららは大人になってからは見ない。
 去年の大雪のときでも見なかった。新潟市だから、それほど冷えないから、つららが生えないのかもしれない。
 魚沼とか妙高とかの雪国なら、毎年大きなつららが生えるのかもしれない。
 つららを折って、なめてみると、どうしてかおいしい味がしたと思う。

公務員とオンナは減らさなければならない

 青色申告の手続きに新潟税務署に行った。職員がこれほどダラけているとは思わなかった。
 税務署の人間というのは、税金を取る仕事のわけだから、国民に対して、申し訳ないというか、そういう気持ちで、他の公務員より、おのれを律しているのかと思っていたが、他の公務員と同じだった。いや他の公務員と同じで、泥棒根性の怠け根性の人間ばかりだった。
 今まで確定申告に行っていたときも、仕事の出来なさそうな人間を多く見たが、職員と喋る機会はそれほどなかったから、怒ることもそれほどなかった。

 今日は怒った。
 番号札を渡されて待っていた。
 一人目の職員が呼びに来た。番号を言っているようだった。モゴモゴした面倒臭そうな喋り方で聞き取れない。俺の番号ではなさそうだ。他の人間を呼んだのだった。
 二人目の職員が来て、これも同じような聞き取れない喋り方だった。やはり他の人間を呼んでいた。
 三人目の職員が来た。この人間も、わざと聞き取れないような発声の仕方で、何番を言っているのか分からなかった。
 職員は五回ぐらい小さい声で呼んだ。
 もしかして俺なのかなと思って、俺の番号札を上げたら、怒ったような顔をしながら俺の方に近寄ってきた。

 俺は怒鳴りつけていた。
「もっとはっきりした声で喋れ! お前は仕事中だろうが? 遊びじゃないんだぞ!」
 職員は何を言われたのか分からないような、びっくりした顔で俺を見つめた。何も声を発しなかった。返事は、なかった。

 手続き中でも、職員は面倒臭そうに返事をしない。
 新潟市の人間は、仕事中でも返事をしないのが多いのだが、それで俺はいつも怒鳴りつけるのだが、こいつもそうだった。
 おれが大声で怒鳴ったら、税務署のフロアーがしんとした。
 年取った職員が、何かあった? と言いながらのんきな顔で歩いてきた。
 俺は、ダラけたことをさせないでください! と年寄りの職員にも平等に怒鳴りつけた。

 俺はいつも、怒鳴るだけじゃなくて、俺が怒鳴ることによって、相手がきちんと仕事をし出したら、普通の社会人としての物言いに戻る。そうならば丁寧な標準語を喋りながら、頭も下げながら礼儀をつくす。もちろんものごとのスジミチを通しながらだ。
 だが相手がまた油断して、仕事を全うしなくなったら、また怒鳴りつける。

 税務署の職員の仕事振りを見て、税務署の職員というのは、税金徴収という、金を取る仕事だから、職員の心というのは、それは泥棒に通じているのかと思った。
 泥棒根性は、公務員の本質だから、そうなのだろう。
 いや、これは公務員に失礼かな。泥棒根性は、公務員に限らず、ほとんどの人間の本質だからな。

 税務署で怒鳴ったから、帰ってきて、住んでいるアパートの駐車場の雪かきをして、大袈裟だが人のために何かしようとした。
 だが、一階のクリーニング屋のオンナ店員が、俺が雪かきをしているのを、そのオンナのいつもの、上から見下ろすように壁にもたれて、チンピラ風な格好で煙草を吸いながら、あいつは何を張り切っているんだというように、俺がヘトヘトになって雪かきをしているのを眺めていた。

 俺はそれを見て、あいつが女でなかったら、飛びかかっていって怪我をさせていたかもしれない。
 だが、今まで、男というものは、俺が何かをヘトヘトになって頑張っているときに、俺をそういう目つきで見た男はいない。女だから、無神経に、人を、無神経な目つきで見るのだ。だから俺は頭の悪い女が嫌いなのだ。
 俺は、女を、殴る代わりに怒鳴りつけた。
 何と怒鳴ったかは、面倒だから書かない。
 もちろん最初は、丁寧な物言いから始めたが。

 こういうことから分かるように、公務員もオンナも、世の中から減らさなければならない。そうしなければ、まともな社会が創れないぞ。

青色申告のフリーソフト

 今年から青色申告にしようと思っている。だが青色申告をするには七種類の帳簿をつけなければならないそうじゃないか。とてもじゃないが俺はできそうもない。今までの白色申告だって、三月に入ってから、一年分ためていた領収書を引っぱり出して、かき集めて、仕分けして、経費別に足し算して、経費を出して、領収書の金額を足し算して売上げを出して、それを表に書いて、税務署に持っていっていたのだ。
 毎日でなくても、週に一回でも、いや一月に一回でも、いやいや半年に一回でも、領収書を整理して記帳すればいいのに、それもしないのだから、青色申告など夢のまた夢だと思っていた。
 だが青色申告は節税できる金額が沢山あるらしいから、やったほうがいいなと思うのだ。

 パソコンでやればいいと思うのだが、俺はエクセルなどやったことがないし、計算が嫌いだし、数字を見続けていると腹が立つ人間だし、パソコン画面をにらみつけるのも嫌いだし、パソコンで帳簿をつけるなどできそうもない。
 だが電卓を叩いて紙の帳簿をつけるのはもっと手間がかかるだろうから、やっぱりパソコンでやるしかないだろう。

 青色申告のソフトは高い。フリーソフトがないかとググッたら、『加藤かんたん青色申告ソフト』というのを見つけた。作者は税理士さんだという。評判は良いみたいだ。
 ダウンロードしてみた。
 インストールがうまくいかない。
 パソコン嫌いの俺は、すぐ嫌になってアンインストールした。
 だが二、三日して、もう一回やってみようと思い直してダウンロードしたが、うまくソフトが現れない。

 ダウンロードページにソフトの作者のホームページがリンクされていたから、そこから連絡先を見て電話してみた。
 俺は税理士さんの仕事中に電話をかけるのは迷惑だろうと思って、相手の時間を取らせないように、素早く用件を終わらせようと早口で喋った。作者は、そんなに早く喋らなくてもいいと言ってくれて、簡単にソフトの実行のやり方を教えてくれた。いま言ったことはYouTubeでみんな出しているから見てみてください、と言われた。俺はユーチューブを見て自分で調べなかったことを恐縮して、ますます早口になって、お礼を言った。
 作者とは一分くらい喋っただろうか。最後に俺に、頑張ってくださいと言ってくれて、電話が終わった。

 このソフトを本当に俺が使いこなせるかどうかは分からない。
 だがやってみる価値はあると思うし、作者はいい人みたいだから、このソフトを使わせてもらいたいと思っている。
 俺は数字嫌いで計算嫌いで、いまだに貸借対照表の理屈も理解できないし、経理の用語を聞くと頭が痛くなってくる人間だ。
 そして株式が上ったり下がったりするのがなぜ世の中の役に立つのかも理解できないし、保険という商売がなぜ儲かるのかも理解できない経済オンチの俺が、経理仕事など出来るのかどうか知らないが、まあやってみようと思っている。
『ソフト説明のYouTube』はここ。
青色申告用フリーソフト加藤かんたん会計』からダウンロードも出来る。もう電話はしないほうがいい。
※追記・リナックスにWineを入れて、加藤かんたん会計をインストールできて使えた。下記の記事を参照。
Linuxで加藤かんたん会計が使えた。http://shoubido.blog44.fc2.com/blog-entry-2819.html

あくね気に入らない

 九州の南の市の長が選挙に落ちた。
 いったい住民たちは何を考えているのだ。
 ラクしてうまい汁を吸おうとすることだけを考えているのだな。

 また泥棒根性とタカリ根性の人間たちが勝ってしまった。
 今までどおりがいいと思っている怠け根性の人間が勝ってしまった。

 ニュースで得票数を見たら、それほど違いはなかった。
 だからこそ悔しい気持ちだ。

 落ちても気にするな。
 別の活躍する場所があるから。

雪白雪

 おとといから昨日と今日と、雪だ。
 新潟市はまだ雪掘りをするほどではない量だが、明日も降ると、やらなければならないだろう。
 去年のことを思えば、まだまだ少ないのだが、やっぱり大雪は嫌だ。

 去年は二回、人の車がスタックしたのを助けた。二人とも雪を甘く見ているオンナだった。
 後ろから押してもらうときは、ドアのガラスを一センチぐらい開けておけばいいのに、ぴったりと閉めているから、こっちの声が聞こえずに、車体を押すタイミングとアクセルを踏むタイミングが合わない。
 ガラスを開けて! と何度も吹雪の中で怒鳴ったおぼえがある。

 明日も雪の予報だし、明後日も次明後日も雪らしい。
 雪白雪白、白白雪雪

家電も家具も小さいものがいい

 中古で買った小さい冷蔵庫の具合はいい。45リットルの大きさは嵩ばらなくていい。
 中に入っているのは納豆とヨーグルトと鶏肉のパックぐらいのものだから、空間があまって冷えがいい。

 部屋の中の物は小さいのがいい。
 テレビも14型のもので、これで充分だ。音量を大きくして観るのは下品だと思っているし、大きな画面に目を釘付けにして見入るのも下品だと思っているから、この大きさのものがいい。

 何年か前に、あるエリートといわれる職種の転勤族の人から引っ越し清掃の仕事を受けた。
 その人は新潟市に単身赴任だった。
 2DKの部屋にテレビは一つで、それもノートの大きさのテレビが、書棚の上に置いてあるだけだった。寝室にはテレビはなかった。
 そのかわりに本が、文庫本と単行本が寝室に何十冊も重ねてあった。小説もビジネス書も思想書も満遍なく読む人のようだった。

 お金がないから小さいテレビしかないのではなかった。その人の駐車場には、最新式の銀色の大きいベンツがあった。仕事机の上にはパソコンが二台あった。
 小さいものはテレビだけではなくて、冷蔵庫も洗濯機もベッドも、家電や家具は小さくて趣味の良いものを置いていた。
 キッチンには色んな種類の調味料が並んでいて、男の一人暮らしでも、料理をする人のようだった。
 2DK全体が片付いていて、掃除もまめにしていて、風呂にもカビは生えていなかった。

 そういう人は大型のテレビを置く趣味がないのだと思った。
 テレビは、朝の時間の時計代わりだけのものだと言っていた。

 いま、有線テレビに加入している人ならば、地デジ用テレビを買う必要はないのだから、今までのテレビで観られるのだから、今までのテレビを買いたいだろうけれど、売られているテレビはもう全部が地デジ対応だろう。これは無駄だのに。
 ヤフオクで出品されているかと調べたが、なかった。
 家電リサイクルのゴミ処分場には、新しそうなテレビが何百台も山積みになっているのに。
 家電や家具だけじゃなくて、車も、住むところも、小さくて俊敏そうなものがいい。

大臣になりたいタカリ病

 君死にたもうことなかれの歌人の孫を、民主党が大臣にしたが、民主党も馬鹿だが孫も馬鹿だ。
 軽蔑されると思わなかったのかと思うのだが、思わなかったからこういうことをするのだから本当に頭が悪いのだろう。
 人から軽蔑されても、スジミチを踏みにじっても、自分がうまいエサを喰らう方を選んだな。

 民主党は議員の数も公務員の数も減らすと言っていながら実行していないし、孫は民主党に反対していたのに、それに孫は自分の選挙区で落ちて自民党の名前でやっと当選していながら、自分勝手に離党を繰り返して、無断で議員生活を泳いでいる。
 だから民主党も孫も、嘘をついている。
 民主党もあの孫も、税金を増やしたがっているばかりで、それは政府の側にいる人間が人々から金を巻き上げることであって、それは政治をやる人間として一番簡単なことで、だから民主党や孫は口先だけ上手なことを言っていて体も心も遣わず簡単なことに逃げているだけの人間なのだ。

 嘘吐きどもが議員だということは昔からだが、テレビで見える嘘をついているのは子どもの教育のためにならないぞ。
 まあ日本の人間のほぼ全員が嘘吐きでタカリで生活しているのだから、その代表というものが議員なのだから、議員も嘘吐きでタカリだというのは、真実の理屈だ。
 ますます国会議員というものは、数十人だけで一、二年ごとだけでやらせるか、あるいは国民全員の持ち回りでやるか、どちらかにすべきだ。
 死にたもうことなかれの詩も、あれは権威主義に満ちているようで、嫌いになってきている。

あんかは足にさわる温かみ

 電気あんかを買った。リサイクルショップで500円だった。
 電気毛布を使うほどじゃないからあんかでいいのだ。いや、あんかのほうがよく眠れる気がするのだ。

 電気の毛布は体ぜんたいがあったまって何だか気持ちわるいのだが、あんかは足先だけがぬくもりにさわって、布団の中で、俺の好きな誰かのあったかい足に触ったような気がして、それで安心したような気持ちになるのだ。
 俺も馬鹿なのだ。

 あんかは行火という字を書くらしいが、子どもの頃に見たようなおぼえがあるようなないような文字だ。

虎だ、虎だ、お前は虎になるのだ

 ニュース番組で伊達直人からの寄付のことを観ると、いい気持ちになって、俺の顔が知らないうちに笑っていて、そうして涙が出てくるのだ。
 観るたびに聴くたびに、いつも泣いている。
 泣くなよと自分に言うのだが、泣いてしまう。
 だけど、こういうことで泣くのは、どうしてか気持ちがいいのだ。

 子どもの頃、タイガーマスクのテレビに夢中になっていた。
 小学校の授業で、チビクロサンボのお話を絵に描くことになって、樹の周りを回って最後にバターになるヒョウを、先生に虎に替えて描いてもいいかと聞いて、先生はへんな顔をしたけれど、けっきょく俺はヒョウの代わりに虎を描いたぐらいタイガーマスクに入れ込んでいた。
 授業中でもノートの端に、タイガーマスクの顔を描いていた。家に帰ってからも、チラシの裏に虎の顔をいくつもいくつも描いて遊んでいた。
 そういう思い出とかさなって、自分の中のスイッチが入って、泣いてしまうのだろう。

 小千谷市で一万円入りの封筒が市役所に郵送されたニュースを聴いて、たった一万円かと思ったし、それは遊び半分じゃないのかと思ったのだが、考えてみれば小額の寄付を誰でもするのはカッコイイことだし、遊び半分だとしても、他人様に身元を隠してお金を送るのは、自分に世俗的な益がないのに人を助けるのは、尊いことだろう。
 それに、一万円を送った人は、一万円でも五千円でもいいじゃないか、大勢で送ろうぜ、それぞれが自分のできることをしようぜ、と見本を見せようとしたのだろうかと思った。
 それより何より、俺はどこにも何の寄付もしていないのだから、そんなケチな俺が、人様が送った一万円を、たったと言う資格はなかった。
 いつか俺も、伊達直人になってみたいと思うのだ。

正月にブログを書かなかった気持ち

 年末と正月に六日間ブログを書くのを休んだ。
 とってもラクだった。
 毎日ブログを書くのは、意識していなくても、自分で知らないところでエネルギーを使うのだなと認識したのだった。
 でも、これでいいのかという、あせりというか恐怖というか、そして怒りみたいな感情も覚えた。
 ラクでいいやと思う反面、ラクでもなかった。

 一月四日から、また毎日書いているが、毎日書かなくてもいいのに書いているのは、書きたいことがあることのほかに、書かないと気持ち悪いから書いているだけなのだ。
 それは習慣になっているというか、もう中毒になっているのだろう。
 そういうふうに商売も思えればいいのだが、なぜかこれほど気持ち悪くなるほど毎日やりたいとは思わないし、商売のほかの仕事も毎日やればいいのだけれど、ブログほどには書く気持ちがおきない。

 煙草をやめてから今のところ、中毒になっているのは、毎日の少しの酒と、ブログか。
 神様が、お前は酒とブログをやめたら、お前の夢をかなえてやろうと言ったら、私はすぐ酒もブログも商売もやめるのだが、神様を信じていないから、自分しか信じていないから、やめることは当分できそうもない。

 今度は一ヶ月ぐらいブログを書かないでみたら、気分転換になるだろうが、禁断症状が出て、当たりかまわず八つ当たりで怒鳴りちらすかもしれないから、突然すぐやめることはできないだろう。
 やめなくても別の気分転換があって、気分転換を探しながら、いや探して得られる気分転換は気分転換にならないだろうから、私が思いもよらないことが起こって、それが本当の気分転換になって、新しい私を発見するのだろう。

ピザの値段と味

 宅配のピザは美味しいものがない。
 チーズの量がたりないし、土台が粉っぽい。
 値段も高い。一枚千円以上する。おいそれと食べられない。

 スーパーで売っているピザも不味い。
 チーズは少ないしベースは練れていない。
 冷凍品はもっとよくない。

 社会人になって通っていた店で食べていたピザは、台を練って、それをオーブンで焼いていた。
 学生のときにアルバイトをしていた喫茶店のピザも、台を練って、それをオーブンで焼いていた。
 だからなのか、どちらもベースがやわらかくて、でもねばりがあって、味も濃かった。
 土台を手で練るから美味いとは限らないだろうが、少なくとも粉っぽくはなかったし、固くはなかった。

 チーズも自分で気が済むまでベースに散らばらせた。それが味の決めてにもなっただろう。
 ピザソースやハムは、昔と今でも、たぶんそれほど変わらないと思う。
 ピーマンとかの野菜が、生で新鮮かどうかが決めてだと思う。

 もっともっとお金を出せば美味しいピザも食べられるのだろうが、二十五年くらい前のあの頃の値段は一枚300円くらいのものだった。それを思い出すと今の1000円とか2000円とかのピザを食べる気にならない。
 食べたい味のピザを、相応のお金で食べたければ、それは自分で作らなければならないということなのだろう。

深夜のラジオを聴くと

 夜中に目を覚ますとラジオのスイッチを入れる。
 定年したかするくらいの年の、長年聴きなれた声のNHKのアナウンサーの声が聞こえてくる。
 その年格好で、こんな真夜中に仕事をしているのか、体は大丈夫か、とつい思う。

 だが聴いているリスナーは、もっと年寄りがほとんどだ。
 夜中の巡回オムツ交換の仕事をしていたときに、いつもラジオを聴いているおばあさんがいた。「寝られないのよ」といいながら、足を開いて俺にまかせていた。

 ラジオのDJは体力を使う仕事ではないから、それに本人は長年やってきた仕事なのだから、老年アナウンサーでも深夜勤務ができるのだろう。
 俺もその年になったとして深夜DJをするだろうかと思ったが、俺は自分を棚に上げて深夜ラジオをありがたがって聴く人間が嫌いだから、DJなどやらないだろう。テレビやラジオや新聞やらのマスコミは、偽善で成り立っているのだから、それは気持ち悪いのだ。
 だがもしかして、年をとったらやりたくなるかもしれないという怖い気持ちもある。

 そしていつも思うのは、深夜放送を聴きながら思うのは、この真夜中の時間でも、真剣に気を張って仕事をしている人がいるのだということだ。
 俺は布団の中で寝転びながら思うのだ。

ブログとキーワードのこと

 このダガシブログを書くときは、検索キーワードのことは意識していない。ものごとの理解力のない人間や、スジミチを知ろうとしない人間からは、検索してもらいたくないと思っているし。有象無象に読まれたくないと思っているし。

 だけれど広告宣伝でやっているブログの方は、一字一句、検索にかかるように細心の注意を払いながら、キーワードを意識しながら書いている。
 想定しているキーワード関連の言葉を、いろんな語彙を使って書いている。もちろんホームページもそうだ。

 商売でやるネットなら、SEOをしながら作るのなど当たり前だし、そうならば検索キーワードを意識しながら書くのも当たり前だ。それを自然に書くのも当たり前のことだ。
 だけれどその反動なのだろう、このブログは、検索されたくない、人目につきたくない、世の中のタカリ根性の人間どもには読まれたくない、と願いながら書いている。

 このブログは別に、人に読ませたいと思って書いているわけじゃないのだから。
 俺の思ったことを忘れないようにメモ代わりに書いているのだから。
 そうして、タイピングを忘れないように、指先の鍛錬のために書いているのだから。

自分で作って自分で直接売るべき

 この正月に集団クーポンとおせち料理の詐欺があったが、食い物商売は作るところを見せなければ信用が得られないのだと改めてわかる。
 だからどこの店でも、そば屋でもすし屋でも居酒屋でも喫茶店でも、カウンターキッチンというものがあるのだろう。

 大昔の金持ちは、店屋物など汚らしいものだとして、自分の台所で作ったものしか信用しなかったらしいが、たしかに食い物商売の人間は信用できないのが多い。
 私が店舗清掃の営業に飲食業の店に行くと、厨房の人間は特に、そしてそこの経営者も、卑怯なチンピラが多い。
 だから今では清掃の営業はしなくなっているが、それは私は無神経で自分さえ良ければいいというチンピラを見ると怒鳴りつけたくなって喧嘩になるからだが、だから飲食業の人間とは付き合わないようしにている。いや飲食業だけではないのだ。美容業、理容業、他のサービス業も、そして物販業も、新潟市のほとんど全ての業の人間がチンピラだから、近寄りたくないのだ。ブログに書くと気持ち悪くなるようなことをいろいろされたから、これは事実だ。

 グルーポンの広告を見ると半額が当たり前で、それは買う方にしてみても胡散臭いと思わないのだろうか。
 思わないからああいう事件が起こるのだけれど、それは買う方もチンピラであるということだ。

 商売は、物販業でもサービス業でも、自家製造で直接販売でなければ、そして製造現場を見せなければ、信用ならないと思うべきだろう。

本屋の行く末

 付録本が売れているそうだ。
 電子本もこれから先売れるらしい。
 ということは普通の本は売れなくなるし出せなくなるだろう。

 これは私が勝手に思っていることだが、本屋は紙の本を売る場所でなく、付録という品物と一緒に品物の説明書を売る店になるだろう。
 文章を売るのは、ネットになるだろう。

 といって私は、金を払って電子本に中身をダウンロードする仕組みを知らない。
 でもそれは利口な人がうまいシステムを作っているのだろう。

 文章を読むのは、紙で読むより電子本で読むほうが読みやすいそうだ。
 文字が大きくなるからで、画面が明るいからだそうだ。
 だが画面が明るいのは眼球に悪いといわれているが、電子本を見たことがないからわからない。
 私がパソコンで自分だけのための文を書くときは、深緑色の地にグレーの文字で書いている。それが眼に疲れない。

 電子本ばかりになると、ネットにつながることができない人間は新刊本を読むことができなくなる。
 図書館というものがあるが、図書館は紙の本を貸し出すだけの仕組みだ。
 借りたい人間の全員に電子本を貸し出させるほど、自治体に無駄遣いはさせたくない。

 電子本のハードを、十台くらい少量の台数を用意して、遅くなるのを当たり前のこととして貸し出すか、出版社が少量の紙の本を、一冊あたりの値段は高くなっても印刷し発行して、公的な図書館は今より大幅に数を少なくして、紙の本を借りたい人間は何ヶ月待ちになるのを我慢して借りる、そういう仕組みにするほかないだろう。

 これからの本屋は雑貨店になって、その雑貨と説明書を売る店になって、そうして食堂だったり、自分で料理をしたり、カルチャーセンターのようになるのだろう。

都に大雪よ降れ

 今年の正月は珍しく山陰で大雪が降ったが、そして今のところ新潟県は雪が少ないが、よかった。
 何がよかったかといえば、新潟県以外の地域も大雪の苦労をわかっただろうということが良かった。
 東京にも大雪が降ればいいのだ。

 そういえば関東地方には、大火事も大地震も大水害もない。
 地震を防ぐことはできないが、大火災や水害は人工的に防ぐことはできるだろう。東京はそういうふうに都市をつくっているのだろう。
 人口密度が高いから、効率よく金が集まるから、たくさん金を使って街づくりができるのだろう。

 田舎は人間が少ないから、経済が不効率で、だからまた人間が集まらないのだけれど、それは仕方がないのだから、大災害を防ぎきれないのも仕方ないだろう。
 田舎が嫌だったら都会に行けばいいのだから。
 田舎には、空気がきれいだったり、静かだったりの、田舎のいいところがある。人間は汚いのが多いが。

 今年の大雪で人死には出ていないようだから言えるのだが、死人が出ないくらいには東京でも大雪が降ればいい。たまにはそうして困ればいい。
 そうすれば私は、ざま見ろと良い気持ちになるだろう。

私で書くこと

 これから私は私という一人称で書こうと思う。
 今まで俺で書いてきた。その前は僕で書いた。
 気分転換に人称を変える。

 だがいつも私で書くのも飽きるだろう。
 私と俺と僕とダガシもてきとうに混ぜて書けばいいだろう。

 私で書くと堅苦しい感じがするような気がする。
 私は今まで俺と書いて暴力的なというか直接的な雰囲気を出しながら書いてきた。だけれど私で書けば一歩引いた感触でものを考えて書くだろう。自分の中では堅い雰囲気もあり、そしてくだけた考え方も、両方持っていたい。
 私は私と書くと、私は私が自分ではないような気がするのだが、書いていくうちに慣れるだろう。

 毎日書くのもよそうかと思っている。
 てきとうに休みながら書くのがいいと思っている。
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