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徒然のブログ

つれづれの思いなどを

税金公金ということから見える泥棒根性

 大村大次郎という人の本を最近読んだ。
 はじめは確定申告の方法の案内書として見つけて読んだのだが、この著者の本のすべては、税金とは、いや税から見る社会のありかたとは、ということを論じている書だった。

 著者は国税局の元公務員で、私が勝手に思ったのは、私と同じ方向の考え方をしているようだ。
 それは、税金とは助け合いの精神で出し合っているものだということであり、世の中とはスジミチの通った格差と、そして同時に、公平な平等があるべきだということであるということだ。
 元公務員だからか、公務員が税金を無駄遣いする気持ちと仕組みも、分かりやすく書いている。

 本に書いてあることは私がいつも思っていることだったから、すらすら読めた。ふだん自分が思っていることを再認識するための読書ということになるからストレスもない。簡単な言葉で書いてあるから、全部の本が一冊一時間もかからないで読み終わる。
 だから、このあいだ図書館から、この人の本を何冊も借りて、一気に読んだ。

 ほとんどの人間にとって、税金は、収入の40%にもなるそうだ。
 こういう高い税率は、世界でも珍しいらしい。
 ということは、日本の40%の人間が税金で暮らしているということだ。
 ということは、そういう人間は、他人様の金で暮らしているということだ。
 ということは、そういう人間は泥棒ということだ。
 私がいつもいっている、日本人は泥棒根性の人間ばかりだということだ。
 税金だけでなく、公的健康保険料のような税金に準ずる公金も、水道光熱費のような公共料金も、日本は世界でもトップレベルで高いらしい。

 今の日本はとくに、金持ちには金が集まり、貧乏な人はそこから脱出できない、そういう税法になっているそうだ。
 社会のスジミチの通った格差はあるべきだが、卑怯な決め事はなくすべきだ。

 それを変えるには、法律を変えなければならない。
 そうするためには、政治家を変えなければならない。
 そのためには、清廉な政治家を選ばなければならない。
 そのためには、良い政治家が出てくる土壌を作らなければならない。
 そのためには、私をふくめて、自分の泥棒根性、タカリ根性を変えるのだと決めなければならない。決意しなければならない。
 そう自分に対して決めなければ、つい自分に有利なことを言っている政治家に投票してしまう。自分が有利になるように、自分と同じ泥棒根性の人間に投票してしまうことになる。

 でも、泥棒根性は、生き物のDNAに組み込まれているのだから、出来ないだろうな、と思うのだ。
 そう出来る人は、突然変異の人間だけだろうな、と思うのだ。

健康食品

 風邪をひいていたときは焼酎のレモン水割りを二杯飲めば酔った。
 治ったらまた酔わなくなった。
 いくらでも呑める、というわけでもないがまた元の量にもどった。ブログでは量を書かないが。

 女職人さんから教えてもらった健康食品を買った。
 その人は、周りが風邪をひいていても涼しい顔で作業をしているから、あなただけは風邪をひかないですね、と聞いた。
 そうしたら、これこれこういうのを毎日飲んでいるから風邪をひかないのだ、と教えてくれた。

 それを今夜から飲んでみる。
 もうこれから暖かくなるのだから、風邪もひくわけもないのだけれど、もっと健康になると思えば飲んでみる価値はあるかなと思ったのだ。
 私には価値があるかどうかわからないから商品名は出さない。個人差があるだろうから。価値があったら誉めることを書く。

スマートフォンで嬉しがるのは滑稽

 アイフォンだったかスマートフォンだったかという、本体のほとんどがディスプレイの携帯電話が一部で流行っているが、あれは昔のテレビゲーム世代が買っているのだろう。
 子どもの頃にテレビゲームにはまった年格好の人間は、画面のゲームに夢中になる。
 画面のゲームなど怠慢なものなのに。
 なぜなら画面を見つめるだけなのだから、目と指先しか使わない。それで済んでいる。
 そして一番怠慢なのは、受身の遊びだということだ。
 自分でルールを創りだすものではないのだ。
 与えられた品物や、与えられた決まりの中で遊ぶことなど、誰でも出来る。

 スマートフォンというのは、アプリケーションをいろいろダウンロードして遊ぶらしいが、それだって、アプリケーションの言いなりで、アプリケーションの内側の中で、遊ぶしかないのだ。
 携帯電話で遊ぶより、哲学書を読めよ、と思う。
 バイクを乗りこなせよ、と思う。
 せめて楽器を弾いて作曲しろよ、と思う。
 そうでなけりゃ、せめてアプリケーションを創れよ、と思う。

 だからスマートフォンを持っていることを嬉しがっている人間を見ると、近くに寄りたくない気持ちがするのだ。テレビゲーム世代の、子ども時代にゲームしか熱中しなかった人間には特に。

地震を見てのあきらめ

 ニュージーランドで大地震があったが、テレビで見る映像は映画でものがたりを観るような気分で、痛みや臭いや振動を感じるわけもないから、災害の実感がないのだ。
 冬でも毎日ぬくぬくと暖かく暮らしている私は、絵本の中のお話にしか感じられないのだ。
 そういう冷酷な気持ちしか持てない私は、人としてどうなのだろうかと自分でも思うのだ。

 だがこういう私でも、中越地震で小千谷の信濃川沿いの道で、ガレキの中から子どもが助けられた映像で涙がとまらなかったのに、同じ困りごとなのに国が違うと気持ちが冷めているのはどうしてだ。

 でも早く助かってほしいと思う気持ちはある。
 いつも偽悪のスタンスで生きようとしている私でも、助かれ助かれと思うと書くのは嘘ではない。偽善ではない。

 もし私がガレキの中に閉じ込められたら、あきらめのいい私は、ありがとう、とつぶやいてあきらめるだろうと思うが、人様にあきらめろとも言えないし、助かってくれと思うし、そうなると俺もそうなったらあきらめないで生き続けようとするだろうかと、もう一度私の俺に聞いたら、自分の返事は、生まれたことにお礼を言って、今まで生きてきたことにお礼を言って、気持ちよくあきらめるだろうと聞こえた。

三月の花を待つ

 このところ晴れて暖ったかくてもう春かと間違えるけれど、まだ二月なのだった。
 どうりでどこにも花は咲いていない。

 先月新津のお客さんのところにいったついでに、新津の道の駅の植物園に入ったら、冬なのに花満開で季節を間違えたようだった。
 でも花を見る人は厚手のコートを着ていて、ああ今は冬なのだったと思い出した。

 二月いっぱいは冬だよと自分に言い聞かせて、あんまり薄着にならないように気をつけよう。
 また風邪をひいたら、今度は本当の馬鹿だ。

 月がかわったら、季節もかわるだろう。
 季節がかわったら、花も咲くぞ。

いい気持ちで税金を払うことができた

 今日、確定申告をした。
 今年になって税務署に仕分けのことで質問するときは、埼玉の税務署に聞くようにした。
 新潟税務署の怠け者の職員に聞くと、まともな会話にならずに怒鳴ってしまうからだ。
 新潟税務署の電話番号にかけると、質問を受け付ける番号があり、それを押すと埼玉にかかるようになっている。
 埼玉の人だと、ダメな人間も多いのだが、ダメな人間の割合は新潟市よりぐっと少ないし、たまに優秀な人がいて、その人と喋ると、その爽やかさや理解力や伝達力に満足して、気持ちよく会話ができるのだ。

 今日、新潟税務署に行く前に、電話して少し質問をしたのだが、そもそも新潟市の人間は、人と会話をしようという気持ちがないのだろう、こっちが言うことをまるで理解しないし、合間合間に誤魔化すように薄笑いをするし、それを指摘すると返事をしようともしないしで、まともな社会人としての会話が出来ないのだ。だからまた怒鳴ってしまった。
 その一回の電話の簡単な質問で、三人も変わって答えて、やっとその三人目の人が少しまともな人で、私も疑問を解決できたのだった。それは納税の方法のちょっとした質問だけだったのに。

 そうして行って、確定申告の後、その場で税金を払った。
 今の時期は税務署員は忙しいと思うのだが、見ていると、ほとんどがのんべんだらりとして、私語が多いし、靴底を引きずって歩いて、仕事に対する緊張感など感じさせなかった。
 また腹が立ったが、もう怒鳴りたくなかったから抑えて、手続きを待っていた。

 それがなぜか、私の担当になった男の職員は、まともな対応をした。
 返事もはきはきしていたし、歩き方も早足で素早く動いた。私が書いた書類の疑問点も、私にテキパキと質問してくれた。私もすぐさま答えた。

 いつものうるさい奴が来たからと、演技をしたのかもしれない。
 だが演技でもいいのだ。最後までその演技をし通せば本気になるのだから。
 私はその男のおかげで、本当に少ない額だが、いい気持ちで国にお金を払うことができた。

風邪ひきは風邪ひきを見つける

 ちょっと前まで日本酒を飲んでいたのが、風邪をひいた原因かもしれない。
 日本酒はビタミンは入っていないだろうし、アルコール度数が強いからそんなに量は飲めないから、水分補給ということではダメだし、そしてもともと日本酒が嫌いなのに飲むわけだし。

 焼酎は、レモン水で割って、それに酢をちょっと入れて飲むのだから、ビタミンがいっぱいとれて、水分がとれて、焼酎というのも健康的な感じがするしで、体に良さそうだ。少なくとも日本酒よりはヘルシーってやつだろう。
 焼酎は健康に良いのだという、そういう気分も大事だろう。
 だから日本酒は当分飲まないことにした。

 そうして風邪は今、流行っていたのがわかった。
 自分はもうだいぶ治って、今日はマスクをして午後から外に出たら、リフォームの職人さんも風邪をひいている人がいたし、スーパーのレジの女の人もマスクをして咳をしている人がいた。
 二日ぶりに外に出たら、マスクをしている人間が大勢増えている。
 自分が風邪をひいたら、風邪をひいた人間をみつけやすくなる。

風邪で読める本

 昨日の続きで一日寝ていた。
 今回の風邪は、咳もクシャミも出ないのに、一日中ずっと胃が痛かった。
 だが、それもだいぶ良くなったようだ。

 今日は眠ったり起きたりしながら、読めなかった読むのに面倒臭い本を、やっと読み終えた。二ヶ月かかった。
 風邪で寝込むのもわるくもないものだ。
 本を読まない時間に、メールと電話で、お客さんと職人さんと打ち合わせをした。
 明日もう一日寝るか、体を動かすかは、明日の朝の体に聞いて決めよう。

風邪をひいたかも

 今朝起きたら体のふしぶしが痛い。
 昨日の作業で重いものを運んだのが原因かと思ったが、体じゅうがだるいから、もしかして風邪かもと思い、一日安静にしていた。

 だが夜になっても肩こりのような痛みは取れない。ふくらはぎにもまだ痛みが残っている。
 そういえば昨日の朝、鏡の中の私の顔は、へんに赤かった。気にしないでいたら元にもどったのだが。
 そういえば一昨日外で作業したのが悪かったか。
 咳やクシャミは出ないのだが、さっき体温計で測ったら37.5度だった。私はふだん体温は低いから、本当に風邪なのだろう。

 明後日に伺うお客さんは、年のいったご夫婦のところだ。
 風邪をうつしたら良くない。
 いつも作業に行く日の連絡をしているご夫婦の子どもさんに、風邪をひいてしまったので、お父様とお母様にうつすとわるいので、明後日は伺いません、ごめんなさい、完全に治るまで一週間ぐらいは伺わないほうがいいと思いますとメールした。

 まわりで風邪など流行っていないのに、前にひいたのは何年ぶりかなのに、困る。
 高齢の人がいる家でなければ、マスクをして仕事に行こうとは思う。
 そして早く治そうと思う。

日本酒比べ

 日本酒を飲むようになって、うまい酒はないかと飲みくらべていた。
 結論からいうと、フジミスーパーや原信で売っているcgc純米酒が一番うまい。
 その次は、阿賀野市にある酒会社の、白鳥蔵と書いてはくちょうぐらと読む酒だ。
 他のは、甘すぎたり辛すぎたり味がなかったりで、金を払う価値がない。

 飲み比べたのは、紙パックの酒だ。
 ガラス瓶の酒は、飲み終わってビンを捨てるのが手間なのだ。一升瓶などはかさばって困る。
 だから紙パックから選ぶことになる。紙パックの酒は高いものがないのもいい。

 CGCの酒は、はやりのプライベートブランドだ。販売コストを削って売っているから、値段のわりにうまいのだろう。ほのかな甘みがあって、飲みやすい。
 白鳥蔵のほうは、無色透明で見た目は水そのもので、甘みはなくすっきりしている。だけれど、口にふくんだときに、私でもわかるぐらいの旨みを感じることができる。

 CGC純米酒のほうは朝日山に似ていて、白鳥蔵は吉野川に似ている。そして白鳥蔵は、吉野川よりうまい。
 冬場はCGCの純米酒で、夏場は白鳥蔵がいいと思う。
 ちなみに私は燗では飲まない。もともと日本酒が嫌いだったし、燗をすると嫌な臭いが出てくるから、冷やで飲む。

猫のプライド

 毎日見る猫ブログに出ている写真はほとんどが太っている。その半分以上はノラ猫だが、それでも肉付きがいい。
 ブログでは、ふくよかな猫を載せようとしているのだろう。世の中の猫は、あそこに出ている写真ほど丸い猫だけではないかもしれない。
 まん丸いノラ猫は、どこかの家でエサをもらっているのだろう。ノラにエサをやりたい人間が多いのだろう。私もやりたいが、新潟市ではノラ猫を見ないからやらないだけである。

 子どもの頃に見た猫は、飼い猫でもノラ猫でも太っている猫はいなかった。
 中肉中背の猫だけだった。
 家で飼っていた猫は、昼間は外に行っていて、歩き回っていただろう。それは猫にとって適度な運動になっていただろう。
 ときどきネズミを取ってきて、まだ息をしてまだ生きて動いているネズミを、前足でボールを転がすように追い立てるようにして、人間に見せびらかすようにネズミで遊んでいたのを憶えている。
 食べるものは、人間の残り飯に味噌汁をかけたのがエサだった。たまにかつお節か魚の骨を放り込んでやると、うまそうに食べていた。

 それが今の猫はどうだ。
 でっぷりと贅肉がついて、猫科の動物としての精悍さがまるでない。
 今の家にネズミなどいないにしても、動くものにたいする野生の本能は、今の猫の目の中には見えない。

 猫とは、ある種の貴族的な誇りのようなものを持っているべきであって、いざとなればいさぎよく死ぬのだと、無駄な長生きなど放棄しているのだと、だからこそ普段は何にも媚びへつらわないという高貴なプライドを感じさせる生き物なのだ。
 ふわふわした、さらさらした暖かい毛の奥底に、一瞬の冷たさみたいなものを感じたいのだ。

 それが今の猫は犬みたいになっていやがる。媚びていやがる。
 犬のような猫など好きになれない。
 が、本当はどんな猫を見ても可愛いと思ってしまう、つい頬の肉がゆるんでしまう私は、猫にとってはあしらいやすい、そして思っていることと実際の行動が逆になってしまうダメな人間なのである。

東京の地理のテレビ、ぶら

 ブラタモリをよく観ている。木曜夜十時からだ。今夜もこれからある。
 東京の地理をめぐるという趣旨だが、地理だけでとめて、人間とか、人間の精神とかに物言いをしないところが、さっぱりしていていい。それが、ぬちゃぬちゃしているものをあえて表面に出さないタモリらしいのだ。

 タモリは、曲がっている道や、高くなったり低くなったりする道が好きらしいが、それはバイク乗りの好きな道だ。自転車乗りも好きだろう。
 番組の中で、ときおり古い建物の話題になるが、それはたかだか明治ぐらいのもので、江戸時代の建物ではない。
 道だけが、江戸時代の面影を想像させる。その曲がりや、高低差が。

 川がそのまま道になったのも、番組でよく取り上げる。
 江戸時代の川の流れの曲がりが、そのまま現代の道の曲がりになっているのを、今の人間が確認する。タモリが代表して確認してくれる。
 今夜は横浜を取り上げるらしいが、首都圏だけじゃなくて、日本のあちこちを紹介して、見せてほしいと思う。

※追記
 今夜のは再放送だった。前に観たおぼえがある。
 それでも何回観てもおもしろい。
 揚水の歌は、高度に馬鹿馬鹿しくていい。

寝ながらパソコン

 冬場は布団にくるまってパソコンをする。
 ベッドのすぐ右にある台にノートパソコンを置いて、横向きになって左手でキーを押す。
 とくに朝は寒くて布団から出たくないから、起きてすぐストーブをつけて、おしっこをして水を飲んで、そしてまたベッドに戻って、そのあいだにパソコンを起動させておくから、布団に入ったときにはパソコンは動きだしているのだ。

 三十分くらいネットを見ていると、そのあいだに部屋も暖まっているから本当に起きだして、そうしてご飯を食べるのだ。
 朝から本を読めるほど頭は働かないから、ネットを見るのは受身だから、パソコンはだんだんと目を覚ますのに丁度いい。
 目に光を当てることにもなるから、目もよく覚めると思うのだ。
 テレビを観ると馬鹿馬鹿しくて腹が立つから、朝はとくにテレビは時計代わりにつけているだけだ。

あんか

冬のはじめに電気あんかを買って何日か使ってみたが、最弱にしても足が熱すぎるから使わなくなり、押し入れに押し込んだままになっている。
それからは毛布と布団だけで寝ているが、寒くはない。
夜中になっても、部屋全体も、それほど寒くない。
アパートだから、下の階の部屋の熱が上がってくるのだろう。
集合住宅とはいいものだ。

一年で一番寒い季節はもうすぐ終わる。
二月の下旬になれば、そこから気温も上がっていく。
せっかく買ったけれど、もうあんかは使わないだろう。

携帯電話のバックアップは予定の管理

 データのバックアップということに目覚めて、パソコンの中のものは大丈夫なようにしてあるつもりだ。
 だが携帯の中のものはバックアップしてない。

 携帯電話で大事なものといえば、予定表だ。
 お得意さんの連絡先は紙のメモにとってあるからいいのだが、何日の何時に、あのお客さんのところに行くとか、何日の何時に、このお客さんに何のことでメールするとか、何日の何時に、あのお客さんに電話するとか、お客さんとの約束をすべてケイタイのスケジュールに書き込んでいる。
 これがなくなると、お客さんとの約束を破ることになる。

 独立したばかりの頃は、予定をメモ帳に書いていたが、携帯電話を買ってからは機械に頼りっぱなしだ。
 今はもう、文字を書くということが、とても面倒に感じている。仕事以外にふとしたことでメモを取るときも、携帯電話のスケジュールに書きこんでいる。
 そして手帳を出して、ペンで書くという行為は、はたから見ると何かヘンな感じがするのではないかと、書くほうが感じてしまっている。いまどき街中で手帳にペンで書いている人を見たことがないから。

 二十代の広告営業の頃は毎年手帳を買って、そこに予定を書いていたが、営業から離れたらルーチン作業が多くなり、予定表は要らなくなった。
 それは相手のある仕事ではないというか、他者に向かって仕事するのではないということだ(他者とは自分の価値観の通じない相手という意味だ)。
 それはビジネスマンとしてはクリエイティブな仕事ではなくなったということだろう。

 今の私は携帯電話が突然壊れたら、予定していた行動がとれなくなる。
 データのバックアップとして、下手な字でもいいから、仕事の予定を紙に書いておくことは、やっておくべきと思った。

温泉に日本酒にセールスに

 あいかわらず風呂に入っていない。毎日シャワーだけだ。
 冬だからじっくりお湯につかりたい気持ちはあるのだけれど、じっくりとした時間がとれない。
 春、夏、秋よりは商売は暇なのだが、商売じゃないほうの仕事をしようとすると、じっくりと風呂に入っている暇もなくなる。

 もうすぐ商売のほうで時間をとられる季節になる。そのきざしが出てきている。
 商売が暇な時期にやるべきことはあるのに、それをしないことに危機感を感じている。商売よりもっと大事なことなのに。

 時間をかけて風呂につかりたいし、そのときに酒を飲みながらお湯に入っていてみたい。
 テレビで見たことがあるが本当にやっている人がいるのかどうか知らないが、お湯におちょうしとさかずきをのせたお盆を浮かべ、そのさかずきで日本酒をちびりちびりとやる。
 それをしてみたいのだが、温泉場なら絵になるし美味しく感じるのだろうけれど、狭いアパートのユニットバスで日本酒を飲んでも美味くはないだろう。
 ひざも伸ばせないプラスティックの長細い湯船で、すぐそばに便器があるベージュ色のグラスファイバーで囲われた空間で、ぬるいお湯につかりながら日本酒を飲んでも悪酔いするだけだろう。

 温泉場に旅行しなければいけないのかもしれない。でも温泉に旅行するほどの金はないし、でも旅館にアルバイトする時間もないし、ならば温泉旅館に仕事のセールスに行こうかと突然思った。
 独立したときに新潟市の奥座敷といわれる温泉場でセールスをやってみたのだが、それはやるだけ無駄だったのだが、今度は商売のためでなく、精神の修行というか、それほど大袈裟でなくても気分転換に温泉旅館に、セールス出張みたいなのをしてみようかと思っている。

生姜をPOPで買う

 スーパーで生姜の大きいのがいくつも入った袋が安く売っていたから買った。
 中国産だろうけれど、たいがい火を通して食べるし、とても安かったから買った。

 このごろは生姜をよく食べている。
 魚の煮付けの中に薄くスライスしたのを入れたり、塩鮭を焼くかわりにフライパンで炒めるときに一緒に炒めたり、細かくきざんでオムレツにしたり、包丁で叩いてもっと細かくして納豆にまぜたりして食べている。
 それほど美味いとも思わないのだが、風邪の予防だと思って食べている。

 インフルエンザが流行っているらしいが、ぜんぜんまわりで聞かないが、そういえばスーパーのPOPにも、「インフルエンザ予防に生姜をどうぞ」と書いてあって、つられてつい手がのびてカゴに入れたのだ。

 もう何年も風邪をひいていないが、まわりも風邪ひきを見ない。
 その人も生姜を食べているからか、気が張っているからか。

やっと東京に雪

 東京でも雪が降った。テレビで見た。
 うれしい!
 積もったのは5センチだそうだが、もっと降ってもっと積もれ。
 50センチは積もれ。たまには雪で困れ。
 しかし雪が降る東京の景色はきれいだ。

画質や音質などつまらないもの

 テレビやオーディオのことで、画質が良いとか音質が良いとかいうが、一般の人間が画質だの音質だのがわかっているのかと、疑問だ。
 俺は画質のことはよくわからないが、音質ならわかる。

 音質が良いということは、音楽でいえば、それぞれの楽器がよく聞き分けられて、そのそれぞれの楽器の出す音の、一つ一つの音階の、音の粒が聞き分けられるということだ。

 しかしその大前提として、楽曲の中で、一つ一つの楽器の音を聞き分ける能力がなければ、そもそも音質が良いなどということはわからないぞ。

 そして楽曲の中で、楽器の音のそれぞれを聞き分けられる人は、一般の人間の中で、いくらもいないぞ。一万人に一人もいないだろう。
 俺だって高校までは出来なかった。というか耳コピをしなければ、楽器別の音を聞き分ける必要がなかった。

 歌謡曲を聴いていても、それは聴いているのはボーカルだけだった。
 伴奏の音は、全部が一緒にどがちゃがになって聞こえているぐらいのものだった。でもそれでよかったのだ。俺は生意気にそのレベルで、このラジカセの音質が良いだとか悪いだとかを喋っていたのだ。
 だから俺は、十八歳過ぎて音質がどうのこうのと言っている人間を、信用しないことにしている。

 そうして、音楽とは、音質とは関係ないところにあるものだ。
 聴いている音の高い低いや、音の揺れや、音の切れ切れや、音の記憶やを、自分の心の中でふくらませて、自分の心の中で、自分だけの音楽を創るってことが、音楽を聴くということだ。琴線に触れる、という言葉もあるぜ。
 だからオーディオで音質がどうのと言う人間は、つまらないことを言っているなあと思う。

 昔、ミュージシャンの誰だったかがラジオで言っていたが、ラジカセやステレオの音質にはまるでこだわらないと。
 俺と同じことを思っているなあと思ったことを憶えている。

 それは画質のことでも同じだろう。
 自分の心の中で、自分だけの感動できる絵を描けるかにかかっているのだろう。
 自分の外っかわの、ハードという機械や仕組みみたいなものにうつつをぬかしているのは、大切なものを見失っていることになるだろう。

docomo嫌い、NTT嫌い

 五年前に携帯電話を買うときに、どの会社がいいかと全部の会社に問い合わせの電話をしてみたら、全部の会社の対応がダメだった。
 その中でもソフトバンクは一番ダメで、その次にダメなのはauだった。docomoが良かったわけではない。docomoもダメだったのだが、他の二社より少しだけましだったからドコモにしただけだ。
 だからときどきドコモに問い合わせをすると、いつもその不誠実な対応に腹が立って怒鳴りつけてしまうのだ。
 ちなみにNTTも、いつも不誠実でダメな対応だ。親方日の丸体質が染み付いているのだ。

 俺が仕事で電話を受けるために使っているフリーコールの会社は、ソフトバンクがやっている。
 前はテレコムという会社で、その前はJR系列の会社で、どちらもそのフリーコールの会社を経営できなくなって、今はソフトバンクが引き受けたようだ。
 そしてこのあいだフリーコールの銀行引き落としのことで何年かぶりにソフトバンクに電話したら、素晴らしい電話対応だった。自分に甘くて他人に厳しい俺でも尊敬してしまうぐらいの喋り方だった。
 いったいどうしたんだと思った。テレビで白い犬の広告をしているが、ああいうふうに宣伝に大金をかけて、そして宣伝だけでなく優秀な人間を雇うことにも金をかけて、そうしてそういう人間を金をかけて教育しているのだろうか。

 だが俺が電話したソフトバンクは東京だ。
 新潟市のソフトバンクの店は、あいかわらずダメだろう。イナカモノがノンキに無神経にやっているだろう。

 田舎に住んでいることの一番のデメリットは、イナカモノと接しなければならないことだ。
 それで不愉快になることだ。

 何べんも言っているが、俺が言うイナカモノとは地理的なことを言うのではない。精神的なことをいうのだが、それにしても地理的な田舎にイナカモノがかたまってよどんでしまうのはどうしてだろうと思うのだが、そしてその答えは持っているのだが、それを書くとイナカモノに可哀想だから書かない。

 なぜ俺がdocomoを使っているかというと、初めてのお客さんと携帯メールするときに、ショートメールで俺のメールアドレスを送るのに簡単だからだ。
 まだまだドコモを使っている人が多いから、それで仕事上仕方なく、俺もドコモを使っているだけなのだ。
 ショートメールが携帯会社をまたいで送れるようになれば、すぐさまドコモなどから出て行く。

キーボードで書くか、手で書くか

 経理ソフトへの入力は順調にやっている。初めてのことだから面白いから毎日やれているのだろう。
 自分で電卓を使わないで、ソフトが勝手に計算してくれるから、簡単だから、それも毎日やれる理由だけれど、リアルの紙の帳面に手で文字を書くのだったら、やらなかっただろう。キーボードとマウスで記帳できるから、精神的な負担がないのだろう。

 手で文字を書くことが、めっきり減っている。字も下手になった。もともと上手な字じゃないし、すぐつづけ字になるし、とくにこの十年は私の字は、どこかの未開の民族の文字みたいに判読できないレベルになっている。
 メモなどは後で読もうと思っても、書いた本人でも時間がたつと読むことができない字になっている。

 気短かのせいか、頭から出てくる言葉を次から次に紙に写そうとすると、文字を書く手がおっつかなくて、つづけ字になって文字がつながってしまうのだ。
 つづけ字でも、ちゃんとした字を書く基礎があればいいのだろうが、そういう素養もないから、どこの国の文字なのかわからなくなる。

 この頃ではついに、ペンの持ち方も忘れた。
 自分が変な指づかいでボールペンを握って文字を書いているのを発見することもある。
 その指の形を見てしまうと、情けなくなって、ますます字を書きたくなくなるのだ。

 パソコンで記帳すると、そういう気持ちにならずにすむ。
 ペンで書くよりも、数倍早く文字を打ち込むことができる。
 いいことだらけだ。

 だがパソコンで文字を書くには、両手の指十本を使う。
 もし何かの事故で何本か指がなくなったとしたら、何本か指が動かなくなったとしたら、キーボードは打てなくなるなと思って不安になる。
 だけれど、そうなったらそうなったで仕方ないのだと思うようにしている。
 ときどき筆ペンで文字を書くことを、気分転換になるからしている。

ツイッターもコンサルも蛸

 ツイッターだのというものは馬鹿馬鹿しくて近寄らないようにしているが、一人だけその人のツイッターを読んでいたものがあった。経営コンサルタントという人種のものだ。潔い人だと思っていたからだ。
 だがその人間は元々底が浅くて、最近のそのツイッターも人間性が表面に出てきて、読むのが無駄なものになっているから、もう読まないことにする。

 前にも書いたが、ツイッターなどという怠け者の集まりのものに価値はないのに、簡単さを追い求める怠け者どもが集まってきて、世間ではツイッターが流行っているなどと嘘を言いつのって、底の浅いものを書き散らかしている。
 特に経営コンサルタントとか名乗っている頭の悪い人種、インターネットだのホームページ作りだのSEOだのを教えると言っている人種、そういう浅はかな人間どもだ。
 あいつらが生意気に教えるなどと言っていることなど、簡単で誰にでも出来ることなのに。
 しかも自分たちは実際の実務者ではないのに。プレイヤーではないのに。ただの解説者か評論家でしかないのに。安全地帯から無責任なことを喋っているだけなのに。
 だからあいつらは、世間の寄生虫なのだ。

 寄生虫にたかられて嬉しがっている人間もどうしようもない。
 寄生して寄生されて、共依存で双方が嬉しがっているのだから、私が横から文句を言う筋合いではないのだが、いい気持ちはしない。
 蛸が自分の足を喰うように、コンサルタントなどという吸血人種と、コンサルタントなどに頼っている馬鹿どもは、自分の足を喰っていき、足から体を食っていき、胴体も手も頭も、もう何も実体がなくなっていくだろう。
 まだ税金を食い物にしていないだけ罪ではないが、これが人々が助け合いの精神で出し合っている税金や公金にまで触手を伸ばしてきたら、俺は黙っていないよ。

走っているバイクを見て楽しむ冬

 晴れた今日の昼過ぎに温度計を見たら11℃だった。二月初めのこの時期に、この暖かさはめずらしい。だからなのかバイパスに、何台もバイクが走っていた。
 そういえば今日は日曜だった。

 そして今日見たどのバイクも新車だった。
 嬉しくて、乗りたくて、たまらなくて、乗ったのだろう。

 車の私は、バイクの後ろを走ったり、横を走ったりして、見て楽しんだ。

ねもよねも無神経なイナカモノの物言い

 テレビでもホームページでも「~よね」という物言いが多い。
 鼻に付く。自分の価値観を考えなしに押し付けている。
「~ね」も馴れ馴れしくて嫌いなのに、「~よね」は馴れ馴れしさに押し付けがましさが加算されて、傲慢で頭が悪い極地の喋り方だ。それは世の中のホームページでも頻繁に書かれているから、喋るだけじゃなくて書くときも、傲慢さと無神経さが垂れ流されている。

 事実を述べるのであれば、断定形で言い切ればいいのだ。
 断定形で言い切るのは、自分の物言いに対して責任を持つことだ。
 だから潔くて聞いていて読んでいて、すがすがしくて気持ちがいいのだ。信用できるのだ。
「ね」や「よね」で言葉尻を濁す人間は、卑怯な物言いで信用できない。

 何につけ、事実を述べるときでも、「~と思います」という言葉で責任逃れをしている人間も多い。
 伝える言葉の文章の、文章の最後の述語まで喋らずに、途中で言葉を切る人間も新潟市には大勢いる。そういう人間は怠け心が透けて見えて、仕事を任せられない。
 仕事での電話対応の喋りで、そういう卑怯な物言いをする人間は、返事をしない人間が多い。
 そうして、声の質も、息継ぎも、喋りでは大事な要素だ。
 そういう細部に気を遣わない人間はイナカモノだ。少なくとも、細部を意識しない人間はイナカモノだ。

 接客の仕事で、特に電話での喋りで、そういうことに意識をしないイナカモノは、クビにしたい。
 そうすると日本人は、ほとんどがクビ対象になる。

 自分の貧しい経験の中でしかものごとを考えられず改善せず、自分と自分に関係している人間の益だけを追い求めている人間は、住んでいる場所に関係なくイナカモノなのだ。
 イナカモノとは、地理的なことを言うのではないのだ。その人間の精神のことをいうのだ。
 だから東京にもイナカモノがうじゃうじゃいる。国会議事堂の中にも霞ヶ関にもウジャウジャいる。役所とか役場とかいう建物にウジャウジャいる。
 自分の益に反しても、もっと大きく広い益を考えて行動する人間を、イナカモノはそれまで見たことも想像したこともないから、宇宙人を見るように見て排除しようとする。まったく救いようがない。

冬の海に大群のいわしを思う

 昨日いわしを煮付けたのだが、丸々と太ったいわしをさわると手に脂がついて、下ごしらえのときに流しのステンレスにも白い脂がついて、頭を落としたり腹を割いたりした包丁にも脂がべとついて切れ味が悪くなって、ねっとりした身におどろいて、いわしの旬はいつなのかとググってみたら、夏だというサイトもあり、冬だと語っているブログもあり、ということは年がら年中がいわしの旬なのだろう。
 だけれど節分にいわしが関連づけられているということは、この頃がいわしの旬なのかもしれない。

 金子みすずの詩に出てくる大羽いわしというのは、ずっと大羽という種類のいわしだと思っていたが、いわしの旬を調べにググッたら、大羽というのは大きいいわしの呼び方だと知った。これだけでもいわしを食べてコンピュータを買ったかいがあったというものだ。
 そうして脂がのっているいわしは、いわしのにおいも大いにあって、今朝起きたら体がいわしになったみたいにいわしの臭いがした。

 脂でねっとりとした身の大羽いわしより、中ぶりのいわしのほうが爽やかな風味でうまいと思う。
 缶詰めのいわしなどは、身ぶりがちょうどいいのか、味付けがいいのか、たまに食べるとうまい。

相撲は八百長も含めてあり

 相撲が八百長で騒いでいるが、大昔から八百長はやっていただろう。
 人間がやることなのだから、手加減とか匙加減はあっただろう。

 たぶん江戸時代の相撲は、今のプロレスみたいに、ショーの要素が多かっただろう。
 お祭りに来るサーカスとか、お化け屋敷とか、手品とか、首が伸びる女とかの、見世物としての面白さもたくさん持っていただろう。相撲取りは、今でいう芸能人だっただろう。
 芸能人なら、ヤクザとも付き合いはあっただろう。
 そういうことも引っくるめて、人々は相撲を楽しんでいただろう。

 大昔は相撲取りは、当たり前だが公務員ではなかったから、税金の優遇というか年貢の免除などなかったから、いやそもそも相撲取りから年貢を取ろうなどという気持ちもなかったろうし、相撲取りはオオヤケの責任も負っていなかったから、相撲取りはただ相撲をとって客を楽しませれば、それでよかったのだろう。

 今は政府から税金を負けてもらって、他にもいろいろオオヤケに優遇されているから、それを失いたくないと思って、でも良いめも見たいし、悪さもしたいしで、隠れて八百長しているのだろう。
 税金のエコヒイキをされているから、世間の目も厳しい。

 だから税金の優遇を含めて、オオヤケのメリットを放棄すればいいのだ。
 あれも欲しいし、これも欲しいし、でも悪さもしたいじゃ、生き方として矛盾している。
 正々堂々と、誰にも迷惑をかけずに悪さをすればいいのだ。
 いさぎよく政府の管轄下から出ればいいのだ。一から始めればいいのだ。
 そうすれば、明るい相撲の未来がひらけるぞ。
 いまどき政府にペコペコしながらやっているスポーツとか興行は、流行らないぞ。

新しいパソコン買った


 写真の右のだ。ノートパソコンだ。左のは普段使っているデスクトップ型のだ。
 最初に買ったノートパソコンは動きが遅くて、でも買ったときはこれが普通だと思っていたのに、パソコンを使うことだけで嬉しかったのに、それなのに性能のいいものをいじっていると、古くて遅いのは嫌になるのは、やっぱり俺は我儘なのだとわかる。

 それに最初のパソコンは、遅いのにくわえて、最近うまく動かなくなったのだ。
 オープンオフィスとか、他のいろいろなソフトをバージョンアップしたら、動かないソフトも出てきた。
 OSがWindows2000だし、メモリはたったの64MBなのだから、それも仕方ないのだ。
 だからあきらめて、新しいノートパソコンを買うことにして、いつもの価格ドットコムで探して、買った。

 日立の2006年製のだ。11000円だった。OSはXPだ。XPで十分だ。HDDは40GB。メモリは2000円割り増しで少し増やしてもらって768MB。そういえば2006年は、俺がこのブログを始めた年だ。
 送料と代引き手数料込みで、全部で14300円だ。買い得だと思う。
 四年前に初めて買った中古のパソコンは、ノート型で、二万円以上した。その半分くらいの値段でこの性能のものが買える。日本の中でパソコンは余っているのだろう。

 これは岐阜のパソコン屋さんから買ったのだが、昨日の夕方に発送したとメールがあって、今日は来ないだろうと思っていたら昼に来た。日本は狭い。

 夕方帰ってきてから、まず初めに、フリーのアンチウィルスソフトを入れて、それから必要なソフトをダウンロードしていった。
 最後にフラッシュプレイヤーを入れようとしたら、ダウンロードはできるのに、インストールができない。
 四時間くらい迷いながら、同じところを行ったり来たりして、いろんなサイトをググッて見ても同じことしか書いていなくて、何べんもそこに書いてあることをやってみるけれど、また堂々巡りなのだった。

 腹が減ったから夕飯にしようと思って、食べながら飲みながらインストールの続きを始めた。
 それが、焼酎を一杯飲んだらインストールできた。
 何のことはない、インストール画面の、同意する、にチェックを入れなくて、それが原因だった。
 やっぱり俺はまったくの馬鹿だ。
 しかし、焼酎はこういうときにも役に立つものだ。

 このパソコンは、世間の中では安いものだとしても、俺にとって14300円は高い買い物だ。
 これを無駄にしないように、使いこなす。

市橋は泥棒根性ではなさそうだ

 何日か前、運転中のラジオが喋っていたのだが、去年の生活保護の数は、一時期前の二倍になっていると。
 五体満足で生活保護を受けるのは泥棒だぞ。
 いくら不景気だといっても、働き場所は、選ばなければ、あるのだから。
 汚いところを掃除する仕事、単純作業、力仕事、そういう仕事をねらって何十件も応募すれば、仕事を得られるチャンスはいっぱいある。
 ようは楽して儲けたいと思っているから、泥棒になるのだ。

 市橋という犯罪者の手記が売り出されたそうだが、テレビでちょっと観たが、あの生きるか死ぬかというような沖縄の孤島のサバイバルの生活を知ったら、手足が付いて普通に動いている人間が生活保護を受けるなどといっているのを聞くと、怒鳴りつけたくなる。市橋の、生き抜く根性を見習え!

 市橋が描いたという逃亡生活の絵を見ると、あいつは頭のいい男なのだとわかる。
 ああ俺は人殺しをほめてしまっている。
 なぜそういう人間が人を殺したのかはわからない。事故だったわけではないだろう。正当防衛でもなかっただろう。それだったら逃げはしないだろう。

 殺してしまった外人の女性がどういう性格の人だったのかは知らないが、殺さなければならないほどの人間ではなかっただろう。ただの、オンナなのだから。たかがオンナごときを、殺すほどのエネルギーを使わなくともよかったのに。よっぽど腹が立ったら、無視するか、何かをされて本当に仕返ししたかったら、横っ面を平手で引っぱたくかでよかったのに。
 あいつがなぜオンナごときを殺したのか、知りたい気持ちはある。

 ニュースを観るたびに、生き抜く根性のある市橋を憎めなくて、満足に体が動くのに生活保護を受けている人間どもを憎む俺は、世の中の泥棒根性の人間を嫌う俺は、心がどこかおかしいのだろう。

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