FC2ブログ

徒然のブログ

つれづれの思いなどを

バイクの運転、すこし上手になった

 ときどき小雨が降ったが、昨日と今日、時間をとってバイクに乗った。少しずつ勘を取り戻している。加速のギクシャクも、スムーズになってきた。
 それは4000回転以下はエンジンの力がまるでなくて、それを超えたら急に馬力が出て、急加速して、ギクシャクしていたのだった。
 750ニンジャやZX10のときは、トップギアでも2500回転からスムーズに加速したから、その感覚があって、早め早めにシフトアップしていたのが、ギクシャクしていた原因だった。こういうのは、やっぱり非力な250ccのオートバイだったということだ。

 だから、1速で4000以上に引っ張ってから2速に入れればいい。
 6000まで回転を上げてからシフトアップすると、加速が気持ちいい。このエンジンは、最大トルクは6000回転で出るらしい。
 そういうふうに走るようにしたら、全部の回転域でスムーズに走れるようになった。

 だが相変わらず速度感覚が追いつかない。やっと60キロまで出せた。
 70キロも一瞬だけ出した。でも怖い。
 いまのところ時速40キロで走っていれば、充分楽しい。
 これでは周りの車には邪魔になって迷惑だろうな。

 加速がスムーズに走れるようになったし、走っていたらエンジンも調子がよくなっているようだから、プラグを替えようと思っていたが、替えなくてもいいみたいだ。
 でも今日ムサシで、私のバイクの純正の番手のを安く見つけたから、2本買った。1本385円だった。他にもバイク用品が安かった。オイル交換用に、ラチェットハンドルとソケットレンチも買った。
 コメリにも行ったのだが、私が探していたプラグの番手はなかった。バイク屋さんにもバイク用品店にも、この番手は普段置いてない。だからムサシには頑張って置きつづけてもらいたい。

 いまタンクに入っているガソリンは、いつ入れたかわからないものだから、早く消費してカラにしたいのだが、なかなか減らない。燃費がいい。ネットで読んだのは、リッターあたり平均30キロだそうだ。
 早くタンクをカラにして、新しいガソリンを入れて、新鮮なガソリンでの乗り味をたしかめたい。
 そうしてから水抜き剤を入れて、タンクの中をキレイにしたい。
 でも燃費が良すぎて、水抜き剤を入れるのが、いつになるかわからない。
 だから運転の練習のためにも、たくさん乗ろう。

大きいペットボトルは冷やして売るな

 スーパーの大瓶のペットボトルが何百本も冷蔵庫に入って売っているが、無駄だ。
 大瓶は買ってすぐ飲むわけではないのだから。
 買って帰って、家の冷蔵庫に入れて冷やしてから飲むのだから。
 500mlのだって、コンビニならすぐ飲むかもしれないが、スーパーで買うのは、これも買って帰って、あとから飲むのだ。
 だからスーパーで冷やしたって温めたって、意味がないのだ。
 冷やしていますよ、すぐ飲めますよ、だから買ってください、という販促のためなのだろうが、これだけ電気を使いすぎるのは、世界のためにならない。
 節電するなら、あの冷蔵庫もやめろ。

久しぶりの久しぶりでバイク乗る

 今日、バイクが届いた。
バイクにカバーかけてまたがった
 ナンバーを付けてからエンジンをかけてみた。セルを5回くらい回してもかからない。
 そういえばチョークというものがあったなと思い出して、引いてセルを回したが、やっぱりかからない。
 バッテリーに気を遣いながら休み休み5回くらいまわしたら、やっと力弱い音でエンジンがかかった。
 でもすぐ止まった。また同じことを5回やって、回転数をアクセルで調節していると、アイドリングが安定してきた。

 マフラーにさわってみた。一本が冷たいままだ。
 プラグが悪いのか、プラグコードが悪いのか、他の原因か。オオゴトでなければよいが。

 とりあえずオイル交換をしたほうがいいと思って、最初はプロにやってもらおうと思って、自賠責をかけたバイク屋さんに乗っていくことにした。
 オイル交換のついでに、死んでいる気筒の対処の仕方を聞こうと思った。

 またがって、発進しようとする。8年ぶりに乗る。怖い。発進するのさえ怖い。怖くてクラッチをつなぐことができない。2階から飛び降りるぐらいの恐怖感だ。
 仕方ないからエンジンを切って、バイクに慣れるために駐車場を押して歩いた。
 8の字を5回押した。体があたたまってきて、何だか恐怖感もどこかに消えているように感じた。
 今のうちだと思って、またがって、エンジンをかけて、えいやっ、と気合を入れて走り出した。

 バイク屋さんに着いて、マフラーをさわってみたら、2本とも熱くなっていて、エンジンはいくらか正常になっていた。安心した。

 オイル交換をしてもらってから、近くを走った。
 速い。40キロでも速く感じて、情けないが、それ以上は怖くてスピードを出せない。40キロでも充分なスピード感だ。メーターが壊れているように感じる。針は40を指しているのに、体感速度は時速100キロくらいなのだ。だけど周りの車は私より速い。ああ、40キロというのは何と速い速度なのか。それとも遅いのか。だから街なかでは250ccは、充分な排気量だとわかる。
 だが二気筒のせいなのか他の何かのせいなのか、加速がギクシャクして乗りにくい。このエンジンに慣れるまでは、ゆっくり走らなければならない。

 今日は20キロ走って満腹した。100キロも走りこんだ気分だ。疲れた。使わない筋肉を使っているから、明日か明後日は筋肉痛だろう。

バイクにカバーかけて、またがるところ後ろ姿
 セルフタイマーで撮ったから、いちばん上の写真は顔が切れているし、これはタイマーの秒数を間違えて、早くシャッターが下りたのだ。

 駐車するときは、地震で倒れないように、フレームの右下にジャッキをかました。
バイクの右側の下にジャッキをかます
前輪に輪とめ
 そしてギアを入れて、後輪に車輪とめをはさんでおいた。

 久しぶりのオートバイだから、気をつけながら乗って、少しずつ慣れていこうと思う。
 走行距離はメーター上で34400キロだった。

6、7年ぶりのラジカセ

小型ラジカセ
 小型のステレオのラジカセだ。
 これをウェストバッグに入れて、バイクに乗りながらカセットやラジオを聴くために買った。ネット通販で。
 送料と代引き手数料込みで4820円だった。

 最初はポータブルのCDプレイヤーを買おうと思っていたのだが、CDよりカセットテープがいっぱいあって、走りながらラジオも聴きたいと思ったのだ。

 スイッチを入れたら、いい音がした。
 ああ、カセットテープを捨てなくてよかった。
 また聴くことができる。

 小さくてもステレオは、モノラルとはぜんぜん音が違う。
 あとは振動に強いかどうかだ。
 振動に耐えられないなら、ふだんのカセットを聴く用に使う。

 これで一旦、バイク用品の通販買いは終わった。
 バイク本体が来たら、必要なものが出たら、またネットで探す。

日本酒用添加剤

 レモンウォーターが売るようになったら、また焼酎を飲みはじめた。
 だからワインも梅酒も、本当は飲みたくなかったのだとわかる。
 日本酒だけは飲みたいと思うのだが、日本酒はレモンや酢を入れて飲むことがないから、栄養がないから、飲みたくないのだ。

 それに日本酒は、飲んでも飲んでも酔った気分にならないから、酒としてのコストパフォーマンスは低い。
 ご飯を噛まないで飲んでいるようで、飲むこと自体が、経済的にも時間的にも、もったいない。

 だが冬場の日本酒だけは、どうしてかうまいような気がする。
 今度の冬になっても生きていたら、また日本酒を飲むことにする。

 日本酒に、レモンや酢を入れて飲んだら、うまければ、夏も飲むかもしれない。
 こんど実験してみる。

バイクのナンバーをとった

250ccバイクのナンバー
 軽自動車協会というところにバイクの登録に行った。
 軽自動車の車検場と同じ建物だった。

 かかったお金は680円。
 用紙代が40円で、ナンバー代が640円。
 建物にいた時間は15分くらいだった。
 書類を書くのに3分、待っている時間が10分。
 簡単にすんだ。

 ナンバーを付けるボルトもくれた。
 ボルトは自前で買わなければならないと思っていた。
 肝心のバイクは、あと5、6日で着くそうだ。

自分を助けるために人を助ける

 福島県というのは広いから、海岸のほうと中陸のほうでは人間の性質は違うだろう。
 それは新潟県を見ても、海がわと内陸がわでは人間がちがうのと同じだろう。

 新潟市を中心とした下越の人間は、コズルイのが多いが、それは海の近くに育つとそうなるようだ。
 港町の酒田に転勤で住んだときはそれほどそうは思わなかったけれど、新潟市に住んでみると、商売ッ気が強すぎる人間ばかりで、近場の利益を追い求める人間ばかりで、不正直な人間ばかりで、うんざりしている。

 福島県も、そうだと思う。
 私の好きな会津の人たちは、武士の気持ちの人が多い。私と気が合うひとが、多い。
 でも海側の人間たちは、新潟市と同じようなコズルイ商売ッ気の強すぎる人間が多いのだろう。それは権利意識と消費者意識を前面に押し出すような、自分勝手な人間だろう。そして目先の利益が多ければ嬉しがる、浅はかな人間が多いのだろう。

 そういう人間は苦しめばいいと思う。だが。
 といって困っているのに手を差しのべないのは、私が私を嫌いになってしまうから、困るのである。

 だから、私の心の解決策として、私が私自身を助けるために人を助けるのだと思えば、恩着せがましくもならずに、押し付けがましくもならずに、人を助けることができるかもしれない、と思っている。

地震で倒れるバイクと心配性

 大きな地震がおきたらバイクは倒れるのじゃないかと心配だ。
 その心配は、近くの車や物や塀に倒れて壊してしまうのが怖いのだ。
 高いものなら百万円単位で弁償しなければならないだろうから。

 それでググってみたら、倒れにくいのはセンタースタンドよりサイドスタンドだそうだ。
 逆かと思っていたが考えてみれば、地面の接地点の三角形の大きさは、センスタよりサイドの方が大きいから、安定するのだろう。
 それにセンスタは、バイクが前方向に動いたら、簡単にスタンドがはずれてしまう。

 他の対策として、ギアを入れておく、前ブレーキをしばるかしておいて、ブレーキをかけた状態にしておく、と書いてあった。そうすれば前後のタイヤは動かないから、もっと安定する。
 でもギアを入れておくのはよいのだが、ブレーキをかけっぱなしにするのは、ブレーキ系統を傷めてしまうのじゃないかと思う。
 だからもっと良い方法がないかと考えてみた。

 前輪の前にブロックを置いて動かないようにしたらどうか?
 でも大地震ではブロックも動いてしまうだろうから、意味がない。

 ようは前タイヤを前方向に動かなくすればいいのだから、前輪を鉄柱か何かにバイクロックでとめておく。
 あるいは、バイクを停めるときに、地面にくっついているもの、すなわち塀や、建物やに、前輪を押し付けながら停めればいいのだ。
 タイヤの汚れで、前タイヤをくっつけておく相手を汚さないように、何かをはさんでおく必要がある。

 もう一つ、サイドスタンドの反対側に倒れないような対策は、使わない捨ててもいいような古いジャッキを、右側のどこかにかませておけば、まあ完璧に近くなるだろう。

 そして震度6強の地震がくれば、塀や建物自体が倒れるのだから、バイクも倒れるのだから、あきらめられる。
 そのときは私も建物の下じきになっているわけだから、バイクが倒れる心配も、そしてバイクがよその物に倒れて弁償しなければならないというようなことも、そのときは私は心配しなくてもいいのだと思ったら、ようやく安心できた。
 死ぬことで心配しなくてもよくなって、それでようやく安心できるというのは、私はなんという心配性なのだ。

桜は気狂いの時期

 さっき外に出たら、ちょうど桜が満開だった。
 重たそうな花びらをいっぱいつけて、樹ぜんたいが、こぼれそうに膨らんでいた。
 桜が狂うように咲きこぼれるこの時期は、人間も狂う時期だ。

 きっかけは大地震だが、俺もバイクにまた乗ろうなんて思ったのは、狂った証拠だ。
 満開になった桜の花を見て、夜に嬉しがっているのは、狂っているのがつづいている証拠だ。

 ああ、桜がちったら俺の狂いも、おさまるだろう。
 そうしたら、そのころにバイクに乗り出せば、心も体も危なくなくて、ちょうどいいだろう。

 恋も、気狂いがもたらすものだろう。
 桜の花があるうちに、だろうか。

原発がすこしおさまったら、また9月頃に総選挙

 テレビニュースで、管総理が福島県の避難所に視察に行ったときの映像を観た。
 被災者からいやみを言われていた。

 管は好きではないのだが、偉そうにしていなかったのは、頭を下げて対応していたのは、立派だった。
 これが自民党議員だったら、嫌そうな顔をして、上から目線で見下ろしながら、ふてくされた顔をしながら帰っただろう。

 そもそも原発をこういうふうに野放しにしてきたのは自民党なのに。
 そして自民党に政権を持たせていたのは私たちなのに。
 それを忘れたのか、忘れているふりをしているのか、民主党にばかり怒っても、それは筋違いだろう。
 でも原発事故の民主党の対応も、まるでなっていないが。

 といって、原発事故の対応を、的確にテキパキと働いて、結果を出せる人間は、日本にはいないだろう。

 管さんはそれほど悪い人ではないことは、映像を観てわかったから、だから管首相は、あと半年もしたら総選挙をして、もっと良い政治をする人たちに政権を渡せ。

いつ死ぬかわからないのだから、金は世間のまわりもの

 先月の大地震があってから、自分はいつ死ぬかわからないと思っていて、バイクの自賠責に入るのに、2年のものに入るときに考えたのは、2年後には俺は死んでいるのではないかと思って、だから2年の保険に入るのはもったいないと思って、1年のものでいいのじゃないかと思った。

 でもよく考えてみれば、死んでしまえば、もったいないとかもったいなくないとかは関係ないのだから、2年のものに入ればいいのだと思って、2年のものに入ることにした。

 だけれど何でも無駄な贅沢をしたいわけじゃない。
 節約する中で、考えても無駄なことは、どうせいつ死ぬかわからないのだから、もったいないかもしれないけれど、払った金は世間を回るのだと思えば、それでいいと思うことにした。

 そして2年間の保険に入るのは、2年後にも生きていたいと、無意識の中で願っているのだろう。

通信販売の配送料と、通信料

 最近、バイク用品や部品をヤフオクやネット通販で買っているが、関西や九州から送ってもらうのだが、配送料というのは思っていたより高いものだ。
 でも、自分で取りに行くと列車代金は何万円もかかるわけだから、すこし考えれば宅配便は安いものなのだとわかる。

 だが、400円の部品を買うのに、配送料が1000円、代引き手数料が400円で、全部で1800円になって、なんだか運送屋を儲けさせるために買い物をしているような気がするのだ。
 しかし1000円で、太平洋側から日本海側に品物を運んでくれるのだから、安いものだと思わなければならないのだろう。

 そう考えると、ハガキや手紙という郵便は、安いものなのだ。
 そしてメールは、もっと安いものだ。というかパソコンから送ればタダなのだから。
 でも、パソコン代とプロバイダー代がかかるが。
 ということは、元を取るために、もっとメールを活用したほうがいいのかな。

ひさしぶりのバイク決めた

 買うバイクを決めて、発注して、今日、お金を振り込んだ。
 ニーハンにした。
 8年間バイクに乗っていなかったから、やっぱりゴヒャク以上にいきなり乗るのは怖い。
 嬉しいのか悲しいのかわからないが、そういう理性が私にあったのは、俺もオトナになったのだと思って、悲しかった。

 ヘルメットはネット通販で買って、今日届いた。最近のメットは軽いのだなあ。届いた段ボール箱を両手で持ち上げたら、ひょいっと胸まで持ち上がった。
 靴は、ワークマンで安全靴を買った。前から思っていたのだが、バイクに乗るための靴は安全靴でよいのだ。買ったのは、暑苦しくて嫌だったくるぶしまである靴だ。これも、年をとったから、運動神経が鈍っている自覚があるから、安全ということにこだわって、安全靴にした。前は、ゴムゾウリでリッターバイクに乗ることもあったのに。
 グローブもワークマンで皮製の安いのを買った。500円くらいのものだった。それで充分なのだ。バイク用品店に並んでいるのは、皮製のだと5000円以上もする。

 だいたい私は、なにごとにも、これ見よがしなことが嫌いだから、そういうのはカッコワルイと思っているから、そしてギャップのある見た目なのがカッコイイと思っているから、工夫することがカッコイイと思っているから、バイクに乗るためにバイク用品を使うのはカッコワルイと思っている。
 山登りのときも、いかにも山屋だというふうなのは、ダサい。
 文学だって、いかにも文学臭いのは、いかにも芸術臭いのは、違うと思う。
 だから私は、掃除屋らしくない掃除屋でありたいし、リフォーム屋らしくないリフォーム屋でありたいのだ。

 初めてネットでバイクを買ったから、騙されるかもしれないという不安はある。
 でも、値段は安いものを買ったから、万が一だまされて、調子の悪いのを送りつけられても、あきらめられると覚悟して買ったし、買ったからには、たとえダメなバイクだったとしても、俺が良くして可愛がって乗ろうと、今は思っている。
 十日くらいしたら、配送されるらしい。

おねはブスだったという仮説

 豊臣秀吉の正室おねは、顔つきは見られない顔だったのだと思う。
 今日2011年4月17日の大河ドラマの放送を観たら、そう思った。
 大河ドラマを馬鹿にしているし、とくに今年のは馬鹿馬鹿しいのだが、まだ観ている。
 馬鹿馬鹿しさが臨界点を超えたら、観なくなる。

 秀吉とおねの関係は、秀吉が、ブスのおねを、出世の踏み切り板として使ったのだろう。
 おねも、自分の顔の醜さと、つりあいのとれたサルといっしょになることで、そして自分の美しくない顔で、まわりに安心感を与えていたのだろう。そうやって自分をいかすことを模索したのだろう。
 それは秀吉も、おねも、どちらもお互いに利用しあったのだろう。
 とくに戦国時代は、そういう時代だったのだろう。

 いやまてよ、互いに利用しあうのは、時代は関係なかった。

一人花見酒は危ない

 桜は、昨日までつぼみだったのに、今朝いっきに膨らんで、ひらいていた。
 樹ぜんたいが明るい肌色につつまれて、数えきれない花びらをつけた細い枝が、ぶらんぶらんと重そうに風にゆれていた。

 今年は開花が遅い。
 大震災があったからだろうか。
 わけもないのに、関係あるように思えてしまう。

 今年は桜の時期なのに、寒い。
 今日も肌寒かった。

 花見というのは昼間に桜を見ながら酒を呑むことだろうが、私は花を見ながら酒を飲んだことがない。
 明るいうちに酒を飲むのはよくあるが、とくに冬場はよくあるが、昼間、外で飲んだことがない。
 テレビでは、花見といって昼日中から酔っ払っている人間たちが大勢映されているが、そういうことをしたことがない。
 あれは東京だから、やれることなのだろう。経済でも、人の心でも、いろんなところに余裕がある東京だから、昼日中から桜の下で酒盛りができるのだろう。

 だが私は、やってみたいとは思わない。
 もともと大勢で酒を飲むことが嫌いだから、その他大勢や有象無象が嫌いだから、そういう無神経なのと一緒に酒を飲んだら、私が暴れそうで自分が怖い。
 やっぱり昼の外で飲む酒は、人柄を知っている人と飲むのでなければ、危ない。

 ひとりで、花見酒を飲むのはいいものだろう。飲んでみたい。
 でも、桜の樹の下で一人で酒を飲んでいたら、別の意味で危ない人だと思われそうだ。
 やっぱりしないようにしよう。

バイク選びを迷うのは、結婚相手を迷うよう

 ヤフオクで、ひそかにこれはと思っていたバイクが、何台か売れてしまっていた。
 もたもたして入札しないからだ。

 それもこれも、本当に乗りたいバイクがないからだ。
 今まで乗ってきたバイクは、乗りたくて買ったものだった。
 乗りたいバイクに乗るために、バイクを買ってきた。
 だから、買うときに迷うことはなかった。

 でも今は、ああ、あれに乗りたいんだ、というバイクが見あたらないのだ。
 だから、どれでもいいや、と思っていると、買おうかな、でも他のも見て、よく考えてから決めよう、などと思っていると、どんどん売れていってしまう。
 私が興味のないバイクは売れ残っているが、これはと思うのは、ぼやぼやしていると先に売れてしまうから、私が欲しいと思うのは、やっぱり誰もが欲しがっているようだ。

 今のこういうバイク選びは、結婚するために結婚するようで、不順なやりかたみたいで嫌なのだけれど、バイクに乗りたい気持ちがあるうちに、バイクを買ってしまおうと思っている。
 だから毎日、ネットで探している。

 まてよ? ということは、世の中の人々は、結婚したいと思っていたから結婚しているのだろうか。
 まず、結婚しようという目的があって、その結婚しようという目的のために結婚したのだろうか。
 好きな人がいるから結婚しよう、ということではなかったのだろうか。
 結婚するために、結婚しているのだろうか。

 そういうことを考えるのは、子どもだな。
 この年になってそういうことを考えているのは、やっぱり大人ではないようだ。

原発事故の責任者は、ほとんどの日本人

 管首相と東京電力の社長が世の中の悪者になっている。日本中から責められている。
 なんだか可哀想になる。あんなに嫌いだったのに。

 原発事故は日本で初めてのことなのだから、その対応も誰もが初めてするわけだから、管総理ばかりを責めても仕方ないだろうに。
 だったらお前の方が上手にやれるのか? と聞かれたら、そうだと言える人間はほとんどいないだろうに。
 なにごとにも生意気な私だって、その自信はない。
 ならば管首相を責める資格がある人間は、そうそういないだろうに。

 東電の社長は、あの顔つきと喋り方で、ろくでもない人間だとわかって、かばう気持ちになれない。
 もっと苦しめと思う、ハハ。

 だが、東京電力を責める資格がある人間も、これまた少ないぞ。
 なぜなら、原発反対と世間に叫び続けた人だけが、東電を責める資格がある。

 原発反対派の議員に投票した人でも、投票などは簡単すぎる行為なのだから、甘い。
 その中でも、できるだけ電気を使わない生活をしてきた人だけが、東電を責める資格を持っている。

 原発推進派の首長や議員に投票してきた人間は、自業自得だと思わなければならないだろう。
 投票もしなかった人間も、自業自得だ。私がそうだ。
 原発は、いや形あるものはすべて、いつか壊れるのだから。地球も、太陽も。
 私を含めて、それを想像しないで、思考停止してきた人間たちに、そのツケが回ってきただけなのだから。

 原発事故を想像して、それでも、事故が起きて、放射能で死んでもいいのだ、世界中に迷惑をかけてもいいのだと、開き直っていた人間は、そういう馬鹿者には、言う言葉がないし、そういう馬鹿者が、一番強いのだろう。
 だが世界に迷惑をかけてもいいと開き直っていた人間は、死刑に値するが。

バイク探し

 このごろバイクを探している。
 中古の手ごろなのを。
 ヤフオクとかで。

 ヤフオクを見ると、高い。
 だから入札しているのが、ほとんどない。
 1000件に1件くらいだ。

 ネットを見れば、業者の売価の相場がわかるのに、そして自分で調べれば買取値の相場もわかるのに、だから適正な個人売買の値段もわかるのに、誰も買わない値段を平気でつける根性は、どういうつもりなのだろう。
 思い出受験という言葉があるが、自分がこのバイクに乗っていたという思い出をネット上に出したくて、ヤフオクに出品しているのだろうか。
 だからあえて、誰にも買われないような高い値段で出しているのだろうか。

 ニーハンか、ゴヒャクくらいのバイクを探している。
 車検があるバイクは、ヨンヒャクもナナハンも維持費はそれほど変わらないから、ナナハンかゴヒャクのクラスがいい。ゴヒャククラスは軽いから乗りやすそうだ。
 ヨンヒャクは値段が高いし、せっかく大型バイク免許を持っているのだから、ヨンヒャクより大きいバイクに乗りたい。
 自己満足と見栄だ。

 そしてリッタークラスはもう私には重いから、操るというほど扱えないだろうから、乗って楽しくないだろうから、選択肢にはない。
 安いニーハンがあれば、気軽に乗れるだろうと思うと、250ccもいいと思う。

 そしてまだ、これはと思うものがない。
 気長に探す。

ロボットの無責任な笑みをする人間ばかり

 原発事故の解説をしている人間の顔は、笑っている。それはロボットみたいな顔だ。それか精神分裂病みたいだ。
 なぜ笑っているのかというと、他人事だからだ。だが、いくら他人の不幸を喋っているとしても、オオヤケの場所で喋っているのだから、可哀想にという顔をするのが社会人としての物言いだろうし、オオヤケで喋るときは社会人として振舞うのが、本人にとっても合理的だろうけれど、それをしないのが分裂病みたいなのだ(といって私は、可哀想にという顔をするのが善いのだとは思っていない。善悪の話をしているのではない)。

 あいつらは、笑みをうかべながら、口角を広げ上げながら喋ると、それがウケがいいと言われて思って、そういう顔造りを、若いときから日夜鍛錬して、そうしてできあがった顔なのだろう。

 だが、それはロボットの動作だ。
 その場その場で考えることを放棄していることだ。
 決まったことしかできないから。臨機応変ということをできないから。
 だから忌みのときでも、無責任で無自覚な笑みを浮かべる。
 無自覚なことが、悪なのだ。

 あいつらは、原稿を朗読しているだけなのだが、あいつらの奥に、原稿を書いている人間がいる。
 その原稿を書いた人間を、テレビの前に引っ張り出せ。
 そいつに、じかに喋らせろ。
 そうして、朗読するしか能のないやつは、現場で単純作業を、もくもくとさせろ。嫌なら辞めさせろ。

 そしてすぐに、原稿を書いた人間を、いやシナリオを書いている人間を、表に引っ張り出せ! そいつに責任を取らせろ!
 責任とは何ぞや?
 聞くと怖いぞ。

一ヶ月おきの地震

 先月の大地震からちょうど一ヶ月たった今日も、また大きな地震があった。
 夕方お客さんのところで、お客さんと喋っていたら、「ゆれてる!」と言ったから、私も、ああ揺れているなあと思ったぐらいの、ゆったりとした揺れ方だった。
 先月みたいに長いあいだ揺れていた。
 お客さんがテレビをつけたら、茨城沖が震源地だといっていた。

 その後は、おたがいに仕事の話をする気にならなくなったみたいに、話を切り上げて、私は挨拶をして帰った。
 帰ってからテレビをつけて、事務仕事をしていたら、テレビがまた地震が来ますと言って、二十秒くらい待っていたら揺れだしたのだった。
 正確な地震速報だと思った。

 そうしたらまたさっき九時前に、テレビからチャイムみたいな音がして、地震が来ると字幕が出た。
 そのあと二十秒ほどしたら揺れだした。

 地震速報はありがたい。
 心の準備ができるから。

 夕方帰ってきたときに、またどこにも携帯電話はつながらなかったから、固定電話から父親の固定電話に電話したら、「ああ、地震があったそうだな。風呂に入っていたからわからなかったよ」とのんきに言った。
 幸せな入浴なのだ。

これからも投票するかもうしないか

 このあいだ電話で怒鳴った候補者に一票入れてきた。
 怒鳴ったおわびで。
 私はもう政治家などに期待しないし、政治家になろうなどという人間も信用していないから、何かを期待してとか、世の中のためになってほしいとかで投票したわけではない。

 だいたい世の中の人間は、政治や行政に期待しすぎる。
 福島県の原発被災者の人たちの物言いを聞いていると、何かというと、政府の発表があいまいだとか、政府はもっとはっきりしたことを言ってほしいだとか、政府はもっと早く判断して実行してほしいとか言う。

 もともと政府ごときがそんなことができるわけがないじゃないか。
 ものごとをはぐらかすことが上手な人間たちが、政府という組織の中で偉くなって、そこにいるだけのことなのだから。
 そういう人間に、ものごとの結果を出せるわけがない。
 なぜなら、自分が何かの責任を持って、ものごとの実行にあたろうなどという人間はいないのだから。
 そういう場所に、当事者意識がある人間などいないのだから。

 そして、被災者の人たち自身が、その人自分ひとりひとりが、ものごとに対してはぐらかさずに、責任を持って、当事者意識を持って(実際に被災している当事者のわけだから当事者意識は持っているだろうが)、このたびの事だけでなく、今までも、そしてこれからも、ことに当たることをしてきたか? これからしていくか?

 この問いに、答えられる人は、一万人に一人いるかいないかだろう。

 自分にできないことを、他人に期待しすぎる。
 政治家に期待しすぎる。
 行政や政府に期待しすぎる。

 政府や行政が言うことなど、全部を信用しないことが大切なことなのに。
 それが、自分を助けることになるのに。

 なぜなら、政府や役場の人間は、心の中では、大事な情報は世の中に知らしめるな、と思っているのだから。
 なぜなら世の中では、情報というものが一番価値があって、情報というもので世の中を支配しているのだから。
 政治家や官僚が、そのカードというか武器を、簡単に手ばなすわけがないじゃないか。
 そういうやり方は、どんな小さな組織の中でも、やっていることじゃないか。たとえば家族でも。夫婦でも。

 だから、自分で考えて、自分で決めて、その責任を自分自身で負いながら、まずは自分一人で実行しようとしない人間たちは、いつまでたっても泥棒根性の政治家や役人の言いなりになるだろう。
 他人が決めてくれるのが一番ラクだと思っていて、自分は考えずに、リスクを負わずに、ラクなほうを取るのは泥棒根性だ。
 世の中の人々が助け合いの精神で出し合っているお金である税金や公金を、いかに自分のほうに引っ張ってこようかということに一生懸命になるのは泥棒根性だ。
 だから、同じ泥棒根性なのだから、同じ穴のむじななのだから、そういう人たちは、政治家や役人を批判する資格はないというべきだろう。行政の言いなりになって不幸になるのは、仕方ないというべきだろう。

 もう、私はもうこれからは、また昔のように、投票には行かないかもしれない。今日が最後の投票かもしれない。

究極の節電は延命処置をしないこと

 スーパーに納豆がなくなってから少し日にちがたったら、今まで見たことがない会社の納豆が並ぶようになった。
 納豆の本場の茨城のは少ない。栃木の会社もある。新潟市の納豆はあいかわらずある。魚沼の雪国まいたけの会社の納豆もあった。
 何だかおもしろいから、1パックずつ買った。そして食べくらべてみた。
 味はそれぞれ少しずつ違うものだった。豆の大きさも、豆自体の味も、そしてタレの味が違った。
 1パック98円と今までより高いのだが、商品が少ないのだから高くなるのは仕方ないだろう。

 しかしテレビでいっていたが、納豆をつくるのさえ電気がいるのだと。
 醗酵させるのも、そしてパックを作るのも、薄いビニールフィルムを作るのも、すべて電気で作っているのだと。
 そういえばそうだ。すべての製品は、電気で動いている機械で作られているのだから。
 ヨーグルトもそうだといっていた。だから売り場にないのだと。

 ということは、電気がなければ、ヨーグルトも、納豆も、他の食品も、手に入らなくなるのだな。
 電気というものは、現代人にとって、水や空気と同じくらいなレベルになっているようだ。
 それは困ったことになっている。電気がなければ暮らしていけないのだから。
 ということは、原発も、必要なのだということだな。
 でも、ああ、原発で電気を起こすのを取るか、たまに起きる原発事故で放射能が出て、それで死ぬのを取るか、どっちも取りたくないけれど、仕方がない。

 もう一つの選択肢は、今の生活のレベルを、ぐうっと下げるかだ。
 エアコンは夏場の一週間くらいだけ、冷蔵庫は小さいものだけ、コタツは豆炭、照明は太陽が沈んでから、テレビはNHKと民放で4局だけ、それは私が子どもの頃の暮らし方だった。いやエアコンなどはなかった。それが当たり前だと思っていた。私は今でもそう思っているところがある。

 そして節電を突き詰めると、今のようにジャブジャブと延命処置に電気を使うこともできなくなる。
 究極の節電は、無駄な長生きをしなくなることである。
 自然の寿命で死ぬことが、あたりまえになることだ。
 これを受け入れたら、ずいぶんと電気は使わなくなるから、原発は要らなくなるだろう。
 日々を無駄遣いせぬよう精一杯工夫しながら、命を燃やして暮らして、最後は静かにあきらめ、自然に帰る。そうすると、世の中は、今より明るくなるだろう。

 だが、寝たきりになったらすぐに死ぬのを受け入れたら、逆にピンピンしているうちは電気を使い放題に使いたくなるかもしれない。どうなるかわからないが。

塀は不要

 塀というものがあるが、いらないものだと思っている。
 地震があってから、なおさらそう思う。

 コンクリートの板のかたまりが倒れてきたら、と思うと怖い。
 狭い道を歩いていて、その両側が塀だったら、逃げ場がない。

 そんなに境界をつくりたいのか。
 境い目にこだわるのは、何かやましいことがあるのではないか。
 あるいは目隠しをしたいのか。
 見せたくないものが多いのか。

 そういうものが欲しいなら、塀じゃなくて、生け垣にしてほしい。

安くてもワインでも梅酒でもうまくなる

 ビタミンウォーターというペットボトルのレモン水が売り切れが続いている。というかペットボトル類は、お茶しか売っていない。
 だから焼酎が飲めない。

 それで梅酒とワインを買ってきて飲んでみた。どっちもゴミ出しがしやすいように、紙パックのだ。

 うまくない。
 とくにワインは、酢の味がする赤い水というだけのもので、目をつぶって飲むと、トイレ用洗剤のにおいがした。
 アクエリアスの買い置きがあったから、それで薄めてみたら、なんとか飲めた。

 梅酒は、ただ甘くて飲みづらくて、次の日も自分の体が梅のにおいがする。
 これもアクエリアスでうめて、すこし飲みやすくなった。
 レモン水の製造と流通が元通りになるのを祈る。

 飲むヨーグルトも売り切れが続いている。
 しかたなく、ピルクルとかいう乳酸菌の飲み物を買って飲んでいる。甘ったるくて、そして栄養もないと思うが、これも仕方がない。飲めるだけありがたいと思わねば。

 酒だって、ワインでも梅酒でも、飲めるだけ幸せなのだと思えば、ああ、そう思ったら、うまいと思った。単純なものだ。
 だから、私には高い酒はいらないのだった。

原発は関東でつくれ

 日本の大半の人が、原発の事故があっても、原発は必要だというらしいが、とくに反対はしない。
 もっともっと安全にそなえて作ればいいし、それで事故が起こったら、仕方ないと思わなければならないだろう。

 だが、つくる場所は、関東にしろ。
 千葉県に一つ、神奈川県に一つ、東京に二つ、と四つ作れば、まあまあこれからも電力はまかなえるのではないか。

 電気を使う人が住んでいるところで、それをまかなうのがスジミチだ。
 それにもう、東京の人間が使う電気を、東北や北陸で原発で作らせてくれといっても、地元の誰もうんと言わないだろう。

 私は今は人間がウジャウジャいるところに住みたくないから、だから東京に住みたくないから、東京に原発が何個あろうが、関係ないのである。

デブもヤセも嘘つき

 八百長をしていたという相撲取りたちが引退したらしいが、やっていないと言っていて、だから引退などしないと言っていたのに、あっさり引退届けを出したのはカッコワルイ。

 相撲の八百長は善いも悪いもないのだから、はじめから、ああ俺は八百長をしているよ、八百長をして何が悪いんだ? と言えばよかったものを、やっていませんと言っておきながら、引退届けを出すのは、やっていたと認めることなのに、馬鹿な人間たちだ。

 その、嘘をついたことがダメだし、嘘をついたことを隠そうとして、でも隠しきれないダメさが、二重にダメだ。頭が悪い。
 そして、自分から引退すれば退職金が出るそうだが、だから引退届けを出したのだろうが、目先の金のために、口ではしていないと言いながら、行動では嘘をついていたと、簡単に見え透いたことをする浅ましさ。三重にダメだ。ダメな人間たちだ。

 それならば、嘘をつかないように、はじめから正々堂々と、八百長をしたと言えばよかったのだ。
 嘘をついて、その言動が二転三転する人間は、もう信用されなくなるのに。

 もし、ちゃんこ屋をやったとしても、そういう嘘吐き人間がつくっている料理など、安心して食えない。
 プロレスに入ったらどうか。プロレスは、はじめから八百長で成り立っているのだから。
 でもプロレスも不景気だから、ダメだろうな。
 だが、世の中ぜんぶが嘘つきなのだから、嘘吐きどうしで付き合えば、そう心配することもないかもしれないぞ。

立候補するための資格は誰が持っているのか

 四月十日に市会議員と県会議員の選挙があるが、入れたい人間がいないのだが、一人だけ、これはと思う人がいたから、どういう人間なのかと知りたくて、公表している電話番号にかけてみた。

 ダメだった。
「~しているつもり」という言葉を使った。
 私は、「いちおう」とか「つもり」とかいう言葉を無神経に使う人間を信用していない。
 やはり政治家に立候補などする人間はイナカモノだった。

 生活費を稼ぐために政治家になるという根性なのだろう。
 税金を、自分の資産に泥棒するために立候補する、つもりなのだろう。
 それは意識していなくても、無意識のレベルでそうなのだろう。

 また前のように、選挙に行きたくなくなっている。
 そうしないためのスジミチは、私自身がが立候補するべきなのだろうが、私は日本人の大半をしめるイナカモノどもが幸せになってほしくないのだから、私のようなものは政治家になるべき人間ではない。
 いったい、どうすればいいのだ。

 つもり、と言った人に、突然電話をかけて怒鳴りつけたおわびと、それから他の候補者よりはまだましだと思うから、一票入れようかと思っている。
 そういえば前回のときも、その人に入れたのだった。

バイクと嫁さん

 一週間前の三月二十七日から、早起きできるようになって、体が春向きのからだになってきたのがわかって、そうして三月三十一日はちょっと激しく体を動かしたのだけれど、腰も大丈夫でそれほど痛くなかったし、それから朝は六時に起きられるようになってきて、先週も今日もNHK教育の短歌と俳句の番組を観られて、うれしかったのだ。

 あこがれの躁鬱病にはなりきれないが、似たふうにはなっているようで、冬場は自分の運動神経の衰えで鬱々としていたのが、こないだからはバイクに乗りたくなって、うずうずしている。

 だが、乗りたいバイクがないのだ。
 ハーレーのスポーツタイプには乗りたい気持ちはあるのだが、それほど乗っておもしろくもなさそうだし、カワサキのZZR系はもう重くてだめだし、足が着かないのはそもそも乗れないし、このあいだまで250がちょうどいいと思っていたのに、躁になったとたんに、ヨンヒャクもニーハンもオモチャみたいだと思うようになっているし、ナナハンくらいがいいかなと思って、その中じゃゼファーナナハンなら大きくないし足も届くしいいかな、と思ったりするのだが、お前は時代遅れのバイクに乗って楽しいかと自分に問えば、楽しくもないと自分が答えるし、でも最近のバイクも、チャチな素材で安く作っていて、そして全体がケイハクな感じで嫌だなと思っていて、そう思うと、だから乗りたいオートバイがないのである。困っているのである。

 買ってみてダメなら買い換えればいいというほど金があまっているわけじゃないから、考えて考えて、さらに考えてから、自分に合った良いバイクを決めたいと思っている自分を見ると、ああ、だから俺は結婚できない男なのだと、自分でわかった。

被災者だってワガママ人間も多い

 ネットの新潟日報の、新潟県に避難している人たちの声、というのを読んだり、テレビに出る被災者の人の物言いを観ると、人間の浅ましさが見えて、自分の浅ましさを思い出して、こういう浅ましい奴らはどうとでもなれと思ってしまって、そしてそう思ってしまう自分にも嫌気がさして、疲れてしまうのだ。

 被災した人たちの中にも、スジミチをわからずに生きてきた、ワガママな人間が多い。
 権利意識というか、消費者意識というか、根拠もないのに自分は客なのだという意識というか、何の根拠もないのに偉ぶっている、弱者だから偉いんだという意識、乞食根性、泥棒根性、イナカモノ根性という意識、自己責任というものが、まるでない意識、依存症で、卑怯な責任転嫁症。そういうのは汚らしい、と思う。
 それは、読めばわかるし、観ればわかる。

 そういうワガママな声は、年寄りになればなるほど厚かましくなる。
 被災者の声に、その人間の年齢が出ているから、わかるのだ。
 やっぱり、死ぬ時期が来たら、人間も他の生き物と同様に、自然に逆らわず死ぬべきなのだとわかる。

 いや間違った。歳に関係なかった。さっき観たテレビニュースで喋っていた人間は、若かった。
 最近テレビに出ている、無責任な原発の学者どもの物言いに似ている。政治家どもの、物言いに似ている。テレビに出ている人間どもの物言いに、似ている。
 自分で考えて、自分で行動して、自分で責任を取る、ということを放棄している、自分以外に責任転嫁をするばかりの、奴隷根性の乞食根性の泥棒根性の人間ばかりだ。

 そうしてだから、俺はそういう人間を助けたいとは、思えなくなる。
 といって俺が直接助けているわけではないが。

 そして、そういうワガママな人間は、誰もがそうなのだろう、俺自身もそうなのだろう。
 だがせめて、それを自覚している人と、接したいのだ。

もう一、二年もすれば、ただの人になる人

 民主党の悪口を書こうと思うといつもタイミングが悪くて、このたびの大地震と原発事故もあって、政府を今責めるのは良くないと思ったりして、民主党の馬鹿野郎と書けないことが続いている。
 でも、今日は書く。

 民主党は、東北の大震災の復興のための、大臣や副大臣を増やしたいなどと言っているらしいが、大臣の名前だけ増やしても、結果はついてこないぜ。
 結局は、やるかやらないか、仕事の結果を出すか出さないかなのだから。
 ポストを増やせば仕事の結果を出せるわけではないぞ。

 民主党は、自民党と同じく、税金を無駄遣いすることを目指している。泥棒根性の人間の集まりだ。
 大臣という役職を増やすことを目的にしている。
 政治家になろうなどという人間は、大臣などになりたがる、浅ましい人間だからだ。

 菅も小沢一郎も、他の議員も、民主党の人間は、喋るときはいつも、選挙演説の口調になる。
 それを自覚していないのが、底が浅い人間だなあと、疲れる。
 次の総選挙で民主党は消滅するだろうが、他に日本をしょって立つ政党がいないのが、日本のダメなところだ。
 そしてテレビに出る民主党議員は、どうしてかいつも、誰もが得意げなのだが、もう一、二年もすれば、自分がただの人になるのを想像しないのだろうかと、その頭の悪さにげんなりする。

 やはり、国会議員も地方議員も、その議員仕事を、国民全員が回り持ちにすべきなのだ。
 そうしなければ、国民全員の一人一人が、なにごとにも当事者意識を持てないからだ。そうしなければ、社会に対して、責任を持とうとしないからだ。
 政治というものも、裁判員制度のようにすべきなのだ。

 しかし、民主党が政権を取った前後に、民主党にくらがえした議員は、どんな顔をして、今度の選挙に出るのだろう。
 そういう腰が軽くて、目先のことしか考えない、信念のない小ずるい人間は、自分さえ良ければいいという無責任な人間は、次の選挙ではまた党を変えたいと思っているはずだろう。
 でもそれをしたら、今度こそ、選挙民から愛想をつかされるのもわかっているだろう。
 そういう人間が、どう動くか、見ているのもおもしろい。

 だから民主党の人間と利害関係がなくて良かった。
 もし私が民主党の人間にいくらかでも貸しがあったら、これは総選挙が終われば取り返せないのだから、怒鳴り込みに行くだろう。そして体で払わせるだろう。
<<