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徒然のブログ

つれづれの思いなどを

エンジン音に慣れてもらったこと

 オートバイを買って一ヶ月たった頃、乗る前に暖気運転をしているとき、同じアパートに住んでいる人から、それも二人の人から、声をかけられた。
「前よりもエンジンが静かになったね」
 バイクのエンジンのために特別何かをしたわけではない。だからエンジン音が静かになるわけがない。
 でも静かになったと聞こえたのは、単にバイクのエンジン音に慣れたのだろう。
 ということは初めの頃は、うるさがられていたのだろう。

 バイクに乗るときは音楽を聴きながら乗るから、バイクはできるだけ静かであってほしいと思っている。
 だからエンジンもマフラーもいじる趣味はないし、そもそも250ccのバイクだから音は静かだ。これも音に関してはよかったのだろう。

 アパートで自分の仕事の電話でときどき大声で怒鳴っても、ああまたダガシの口喧嘩が始まったと思われても、少なくとも同じアパートの人から声をかけられなくなるほど嫌われていないのだと、安心した。

政治を観るのは祭りの舞台じゃない

 昨日、つい政治むきのことを書いたが、それはブログというものに媚を売っているのだろう。自分に恥ずかしい。
 四十になる前は、総理大臣に誰がなるとかそういうことは興味がなかったのに、この十年くらいは政治がどうしたとか言いたがっている。自分でもカッコワルイ。

 政治に興味が出てきたというのは、自分の損得に興味が出てきたということなのだろう。
 損になるか得になるか、政治に頼ることになるかといえば、よく考えればこの世のほとんどの人間の損得など、政治に関係ないところで決まるだろう。政治とは、昔なら宗教みたいな、現代風にいえば芸能界みたいなものだろう。
 そう考えれば、馬鹿が総理大臣でござい、大臣でござい、事務次官でござい、知事でござい、議員でございと得意がっているのは、それを見てコウシャクをたれるのもうさばらしだと思えば、祭りで舞台を観て楽しむのと同じことだろう。
 でもその経費は莫大で、庶民の生活の重い負担になっているのは、これは何とかしたい。

はやく総選挙にならないかな

 民主党の代表が決まったが、増税をするとか、大連立をしたいとか言っている人間が代表になったが、これで官僚のあやつり人形が総理大臣になるのか。
 政治の世界も泥棒ばかりで嫌になる。

 演説がじょうずと言われているらしいが、下手じゃないか。
 もっともらしい月並みなことを得意げに喋っているのが頭が悪くて、げんなりする。
 日本人の大勢と同じ、誰かからの借り物の教科書がなければものごとを実行できない人間。

なでしこの化粧しない色気

 なでしこジャパンが中国の空港に降りたニュースを観たが、その化粧っけのなさにドキッとした。
 着ているものも、ただの開襟シャツだ。

 誰のコーディネイトか知らないが、これはわざと女っけをなくしているに違いない。
 女を前面に出さない格好は俺は好きなのだ。
 俺みたいな変態をねらって、ああいう飾らない外みにしているのだろう。

 前に澤を嫁に欲しいと書いたが、冗談が本気になりそうな気持ちだ。

驚いて共感すると笑う

 このあいだ、しんすけとかいう関西の芸能人が引退するといってテレビが騒いでいたが、あいつの何が面白かったのかさっぱりわからない。
 権威主義で多数を頼んで目下の人間をあざ笑う芸風が面白いのかどうか、あいつを面白がれる世間の風潮になじめない。
 しかもその芸はいつも想定の範囲内で、予定調和で終わるのだから頭が悪い。あいつを頭が良いなどと言っている人間も多いが、そんなことを言うことが頭が悪い。

 このあいだ管も辞職すると言ったから民主党が代表選挙を始めた。
 これも権威主義で形式的な多数決に依存して、そして嘘吐き大会で、他からの問いかけにははぐらかして、予定調和にしようとしている。

 どっちも笑えないのだ。気持ちよく笑えないのだ。

 今日、車を運転して思ったのだが、笑いとは、予定外のことに遭遇して、驚いて、そして同時にその予想しなかったことに、驚きとともに共感したときに、笑うのだろう。
 驚きと共感がセットになると、気持ちいい笑いになるのだ。

 あのヤクザみたいな芸能人と、中身はヤクザみたいな政治家どもも、やっていることは、ああまたかと予定調和ばかりで新鮮な驚きもないし、その言動に共感もしないから、つまらないのだ。つまらないから見ていたくないし、そういう共感できない人間に自分の大事なことを頼みたくないのだ。

 東北の震災のすぐ後に、江頭何時だったかという芸人が個人で自腹で内緒で物資を運んだそうだが、それが事実なら、驚いて、そして共感して、笑うのだ。気持ちよく笑わせてもらったのだ。普段のその人の芸風に合致しているから、首尾一貫しているから、本当にやったのだなと、事実だなと、信じられるし。

商売なら予備パソコン

 ブログで、パソコンが壊れたからブログを休むとかいうことを書いているのがあるが、それは商売でブログをやっているのに、パソコンを一台しか持っていないとは無責任だ。

 パソコンとは不意に壊れるものだそうだ。ということは予備のパソコンを持っておく必要があるということだ。中古の安いものなら1万円くらいで買えるのだから。

 それさえ怠っているのに、商売していますというのは危機感がなさすぎる。責任感もなさすぎる。そういう業者から、商品やサービスを買おうとは思えない。

 そういう逆効果の宣伝を、無自覚に大っぴらにネットでやっているのだから頭が悪い。頭の悪い人間に、仕事を依頼しようなどとは思えないのだから。

スケートリンクは自分で作れ、明和義人は嘘だ

 スケートリンクを新潟市役所が作るそうだが、また新潟市の泥棒が始まった。
 そういうことに税金を使うなよ。
 スケートリンクを作りたかったら自分で金を工面しろよ。
 せめて市が金を貸すという形でやれよ。
 このことで新潟市民というのは、ほとんどが泥棒だということがわかる。
 これで本当にスケートリンクを新潟市の公金で作ったら、俺はもう新潟市を見限る。

 今日のニュースで知ったのだが、このことを今日まで知らなかったのだが、テレビや新聞は何をしていたんだと怒鳴っても仕方がないだろう。テレビ局も新聞社も税金をたっぷり吸って生きている泥棒なのだから、市役所にも県庁にも頭が上がらないだろう。
 そういうときに信じられるのが地元発の民間のニュースペーパーなのだが、新潟市にそういうものはない。
 これも仕方ないのだ。税金と公金に浸かりたい人間ばかりの泥棒根性の人間ばかりがウジャウジャ住んでいるのが新潟市なのだから。

 江戸時代の新潟市には明和義人というものがあったらしいが、それだって自分が儲かるために起こしたものだろうが、少なくともその当時の新潟市にはオオヤケを正す気概があった人間がいたのに、今その祭りをノンキに偽善的にやっている新潟市民の神経を疑う。
 そういう気概を持って生きて祭りをしているのかと、聞いてみたい。
 そう聞いてもいつものように、コズルくはぐらかすだけだろうけれど。

電気料金を上げろ、ヘルツを変えろ

 原発事故の後、日本の電気のヘルツの統合をすべきだという意見があったのに、いつの間にか消えている。利権がからんでいるのだろう。
 大きな工場の機械がヘルツを変えるのに金がかかるから、大口需要者の意向に逆らえないというのだろうが、それならいつまでたっても変わらないぞ。
 外圧なら変わるくせに、内部からは変化しないという内弁慶の日本人の卑怯さ馬鹿さが出ている。

 今年の冬場の電気料金を値上げしろ。
 そうすればエアコン暖房をもっとひかえるだろう。
 来年の夏前に、もっと値上げしろ。
 そうすれば夏場の冷房電気使用をひかえるだろう。

 だが、基本料金は大幅に下げろ。100円くらいにしろ。これが大事だ。
 そうすれば、電気を使いたい人間は、自分のポリシーのもとに、もっと金を払って使えばいいのだし、節約したい人は電気を使わないメリットが増える。
 それこそが、公正ということだ。
 日本の馬鹿馬鹿しい公平や平等というものなぞ、特権者が自分の特権を維持するために作ったキレイゴトなのだから、クソ食らえだ。

スポーツで女と勝負できないなら、どうする

 男だけのスポーツはマラソンとサッカーだと思っていたが、高橋尚子が金メダルをとったときに、マラソンは女もやるのかと失望したし、なでしこが女子ワールドカップで優勝して、サッカーも女に侵略されたと思って悲しかった。

 いつも女どもができないことをやりたいと思っているのだが、スポーツや運動で男だけのものはあるのかと思ったら、思い浮かばない。
 困る。

 体を使うことで女に差別化するのは、もうできないのかもしれない。
 ということは頭で勝負か。
 それもできそうもない。

 体と頭で勝負できないなら、勝負することをしなければいいのか。
 女ははじめから、男と勝負するつもりはなさそうだ。
 女は女と、勝負しているようだ。男もそのようだ。
 男が女と勝負するのは、何だ。

放送大学というのは社会の無駄

 放送大学をときどき観るのだが、まるでおもしろくない。
 先生の喋る内容は、どうでもいいことを覇気なくしゃべっている。その目つき顔つき喋り方で、その中身も信用できない。

 二十年前にときどき観ていた放送大学はおもしろかった憶えがある。あれから何が変わったのだろう。
 俺の知識が大幅に増えて、俺の見識が高みに達しているのだろうと、それぐらい勘違いするほど、今の放送大学は馬鹿馬鹿しいことを喋っている。

 放送大学は文科系の科目ばかりだが、文科系の学問というのは、もう発展するものはないのだろう。
 毎年同じことを喋っていれば済むから、毎年同じことを暗記すれば済むから、その学問をしている人間は、だんだん小者になっていくのだろう。
 しかし文科系のそれを、学問といえるのかどうかも疑問なのだが。

 年々発展していく学問というのは、工学系ぐらいしかないのかもしれない。
 でも大学の工学部というのは、頭が良いとは思えないイメージなのだが。

るろうにで自分を変えたい

 ある人から読んでみよといわれた本を図書館で借りて読み始めたのだが、その世界に入り込めなくて一章だけ読んで表紙をとじた。
 それを原作にしたアニメをネットで観てみたが、それも観つづけられなかった。

 その後ふと思い出したのだが、十年ちょっと前にテレビで何回か観たことがあるアニメの、『るろうに剣心』をなぜか観てみたくなって、ネットで探した。

 るろうにのほうは最後まで観た。
 主人公に自分がなりきることができた。それにすべての登場人物が、いいこぶりっ子でないから、それぞれに共感できたのだ。
 このアニメがすごいと思ったのは、敵方の悪役にも、その悪になってしまった経緯を描いて、その悪役の人間を憎みきれないように感じさせるところだ。敵対する登場人物の人間性も、きちんと描いているところだ。悪も善も、それを誰にも安易にジャッジすることなどできないのだとわからせている。
 最後の最後の章の剣心が死ぬところで泣いた。アニメで泣いたことなど初めてだ。

 この原作の漫画を読んだことはないが、ネットで調べたらこの漫画家は新潟県の中越地方で育った人だという。
 しかも二十代前半でこんなすごいものを創ったのだから、どういう頭の構造なのか知りたいぐらいだ。

 剣心を真似て生きてみようと一瞬思った。けれどその後すぐに何かで怒ってしまって、自分の心持ちなど簡単に変えられないのだと思った。

 るろうにで一つ変わったことがある。
 中学生の頃から今まで、テレビかラジオをつけておかないと、なんだか怖くていられなかったのが、とくに今年の3.11以降は放送局の電波を受信していないと不安だったのが、るろうに剣心を観るためにテレビもラジオも消した。
 それで怖いことはなかった。るろうにの世界に入りきって、安心できた。ラジオかテレビをつけておく癖を変えることができた。

ネットは不要な機能を排除せよ

 ネットの住宅地図はgooを使っているのだが、すこし前から複雑なものに変わった。だから使いづらくて仕方がない。
 gooはメールもrssリーダーも、要らない機能を入れ込んで、そうしてダメになっていく。
 結局gooのメールは機能の少ない形に戻ったし、不要な機能で膨らんだrssリーダーは消滅した。

 いろいろな機能が付くと重いのだ。その機能は使わないのだから、重くなる原因だと思うと腹が立つのだ。
 開発者の自己満足で役に立たないものを使えと言われれば、ユーザーは馬鹿野郎と怒鳴りつけたくなる。

 だがネット住宅地図の中で、重くなったといってもまだやっぱりgooのものが一番軽い。だから今もgooを使うのだが、腹が立ちながら見るのは気持ちが良くない。

 軽く使える地図や、rssリーダーや、そういう他のものを出せば、必ず使いたがるユーザーはいる。私がそうだからだ。そしてそういう人間は大勢いるはずだ。なぜならお客とは、気短かでワガママなのだから。早く結果を出すことを欲するのだ。そういう人間はシンプルなものが好きなのだ。
 そういうものを出せば、そこに広告は沢山つくぞ。

エアコンクリーニングは必要だが

 今年はエアコンは夜中に三日使った。窓用エアコンだからまたしまう。陽の光りを入れるのに邪魔だし、換気するにも窓を全開にできないから。

 自分の宣伝ではないが、エアコンはクリーニングというのが必要だ。
 7年くらいも使っていると、風を送るためのファンがホコリとカビで目詰まりして風量がなくなってくる。
 風を送ろうとして電力を使っても、ファンの羽が空気をとらえないから、無駄に電気をくうだけで風が出ない。

 エアコンクリーニングは、作業するのに暑くて面倒臭くて、それでいて仕事に見合った料金ではないから、私はもうやりたくなくなっている。
 何年もやって同じことをしているから、仕事としておもしろいと思うこともなくなっているから。

 よく聞かれることは、省エネタイプのエアコンに買い換えた方がいいでしょうかと。
 買い換えるのは無駄だ。無駄なことをするのだから、それこそ省エネではない。
 省エネ省エネと、確かな根拠もなく言っている電機メーカーは信用するべきでない。
 新潟県の一般家庭でエアコンを使うのは冷房のためがほとんどだ。ということは一年間でエアコンを使うことは何時間もないはずだ。ということは省エネだろうがそうでなかろうが、壊れるまで、いや壊れても直しながら使い続けるのが経済的だ。
 その間に4年おきくらいにエアコンクリーニングをすれば、本当の省エネになるだろう。

 宣伝で書いているのではない。
 なぜなら私は、前からそうだがこの頃はとくに、お客を選んでいるから。理不尽なことをするイナカモノの人間が近づくと、怒鳴りつけるから。そういう私が、エアコンクリーニングのことだって、宣伝で書くわけがないから。
 大部分の新潟市民と同じように、エアコンクリーニング業者も、卑怯で悪徳な商売をしている。どっちもどっちなのだ。

福島の子供を来させろ

 昨日17日に、福島の子供たちが官僚に疎開させてほしいと要望を出したというニュースを読み、その画像を見た。
 福島原発の近くの子供たちは全員疎開していると思っていたが、そうではなかったのか。
 それに福島県の子供の半数は内部被爆しているそうじゃないか。
 その内部被爆の量が将来の健康に影響があるのかないのかわからないが、子供だけでも新潟県に移せよ。

 原発事故の後すぐは、福島の人たちは新潟市の体育館に避難していたが、今はどこかに行って体育館はからだ。自宅に帰ったのか。仮設住宅に移ったのか。

 昨日のニュースの官僚の、子供相手に無責任で無慈悲な態度に腹ワタが煮えくり返った。
 原発を推進してきた官僚と政治家は業務上過失致死罪にならないのか?
 東京電力とその社員も業務上過失致死罪にならないのか?
 官僚と政治家は、せめて十年間は報酬50パーセントカットが妥当だ。
 東電の役員や従業員を牢屋に入れて、東電を解体して、それでもってやっと、原発事故の賠償に税金を使うという大義名分が立つ。

 今の税金や公金というのは、公務員を食わせるために税金を払っているのだから、新潟県の地方公務員の報酬も30パーセントカットして、その金を足しにして福島の子供をこっちに来させろ。
 公共投資も5年間は止めて、その金も足しにしろ。

水戸黄門を存続せよ

 水戸黄門の番組が終わるそうだが、終わらせないようにするにはどうするか。
 弱者の戦略から考えてみると、水戸黄門を観たいと思う人たちを探すことだ。その中で一番の視聴率になることだ。
 水戸黄門を観たい人は、自分の価値観を正義感だと思い込んでいる人間だろう。私自身をみればわかる。自分勝手で少々頭が悪いのだ。そして単純なのだ。
 そういう人間が欲しがる品物やサービス商品を探して、その会社をスポンサーにして番組を作ればいい。それが一番難しいのだが。

 今たしかな会社は思いつかないが、わかることは、今のスポンサーが払っているお金の千分の一か万分の一になるだろう。
 ということは、制作費も千分の一か万分の一になるだろう。

 シナリオはワンパターンなのだからスタッフ費は抑えられるだろう。
 全国を漫遊をするときに、その地方の自治体から広告費をもらう交渉をすればいい。私はそういうことに税金を使うのは泥棒だと思っているが、水戸黄門だったら仕方がないと思う。
※追記 でもやっぱり自治体から金をもらう泥棒行為はしてはならない。
 ならばその地域の会社から広告費をもらうのはどうだろう。

 番組の監督と主役級の役者には、払うものは払わないと良いものはできないから、その費用だけはケチらないようにしなければならない。

 テレビという料金の高い媒体を使うことも、製作料を抑えるためには考え直さなければならない。インターネットを使うことも考慮しなければならないだろう。
 年寄りたちはネットになじみがないというが、新しい水戸黄門を創り出すためには、テレビと年寄りとは、さよならしなければならないかもしれない。

 視聴者から直接、観る料金をとる仕組みを考えることも、やるべきだろう。
 本当に観たいと思えば、視聴価格より観る価値が高ければ、金を払うだろう。
 そうすれば、製作料を抑えておさえて、おさえながら、これからの水戸黄門をつくることができるかもしれない。

キュウリの三五八

 今年は三五八漬けをしているからキュウリを買うようになった。
 だいたいいつも、三本で158円だ。高いと思うが漬物にするとうまいから買ってしまう。
 暑いからそのまま置いておくとすぐにしなびるから、スーパーの袋から出したらそのまま洗って漬ける。

 明日の朝に食べる分は縦に細く切る。
 明日の夜に食べる分は、それより太く切る。
 その次に食べる分は、半分に輪切りにして、包丁で縦に切れ目を入れる。
 その次に食べるのは、ただ半分に切る。
 三五八のタッパに詰める。

 ニンジンも漬けているから一緒に食べると、キュウリ三本は二日で食べる。
 ナスは三五八漬けには合わないようだ。水っぽくなるだけで味が染みこまない。
 ピーマンを漬けてみたら、三五八の味に合った。

盆は出歩かない

 盆と正月は日本国民大移動になるが、高度成長期以前はそんなことはなかっただろう。
 一年でいちばん暑いときや寒いときに長い距離を出歩くなどは、生き物として間違っている。
 国民が大移動ができるのは、舗装道路や鉄道が整備されたからと、庶民に自動車を買うことができるお金が流れ渡ったということだ。

 そしてなぜ国民大移動が起こるのかといえば、生まれ育った場所でずうっと生きずに、都会に流れていく人間が大勢になったということだ。
 一年に一回か二回は生まれ在所に帰って過したいというか、江戸時代に商売の家に丁稚に入ったら、やぶいりというものがあったそうだが、それも関係しているのかもしれない。
 でもその頃の丁稚さんでも、盆でも正月でも、遠い生まれ故郷に帰ることはしなかっただろう。個人個人に、それだけのコストはかけられなかっただろう。

 旅行というのも高度成長期まではなかっただろう。
 江戸時代の富士山に登るということや、伊勢参りに行くことも、一握りの人のものだっただろう。
 百姓は移動することは禁止されていただろうし、お盆というのは、秋の稲刈りの前の休養を取る時期だっただろう。

 ということは、本来は、お盆というのは家で体を休めることが目的だっただろう。
 それが、日本のお寺仏教に毒されて、寺行事に組み入れられたのだろう。

 だが墓参りも、お盆の雰囲気も、線香のにおいも、年をとってきた私は、なぜか嫌いではなくなっているのだ。

軍隊と税金とアメリカ

 税金や公金が高いのは日本に自衛隊があるからかなとふと思ったが、自衛隊は災害のときの活躍を見ればあってもよいかと思うし、本当の軍隊があればもっと税金は高くなるだろうと思ったけれど、でもアメリカさまに軍隊分の金を払うのを勘定に入れれば、軍隊分のお金は日本に軍隊があってもなくても今と変わらないだろうかと思った。

 だが正式な軍隊があったら、その組織はもっと大きくなろうとするだろうし、金を使いたがるだろうから、今のままでいいのかなと思った。

 アメリカさまに従属して生きているのも、そういう生き方もありかなと思った。
 ちょっと自分の誇りにトゲが刺さっているような感じがするけれど。

夏は夜も暑いほうがよい

 寝る前に水風呂に入ったら、朝起きたときに体が熱をもってだるかった。
 夜中にうまく汗が出なかったのが原因だと思う。
 ためしにもう一回水の風呂に入ってから寝てみたら、やっぱり同じく目覚めたとき頭が熱っぽかった。
 ということは寝る前にはあまり体を冷やすものではないとわかった。

 その後の日エアコンも眠る前につけてみたけれど、寒くて十分もしたら消した。
 暑い季節は体を冷やしながら寝ると、体が季節を間違えて、それが調子を悪くするのだろう。
 やっぱり大きく窓を開けて、自然の風を通しながら眠るのが、夏の睡眠方法なのだろう。

医者ブログへの喧嘩

 このあいだ久しぶりに、ある医者ブログに喧嘩コメントをした。
 私が書いた内容は、税金と公金をむさぼって世間並み以上の暮らしをしているくせに愚痴と生意気を書くな、ということと、自分の仕事(自分の商品)の値段を自分で決めない怠け心と、自分の仕事のユーザー(患者)を自分で見つけようとしない怠け心のくせに、自分本位の勝手なことを言うな、ということだ。

 そのコメントをする前に、仕事でまたある医者の客から理不尽なことをされたから、医者という人間への仕返しをしたかったという気持ちもある。
 そうしたらタイミングよく、卑怯で自分の側からの視点でしか書かないブログの内容だったから、喧嘩をふっかけたのだ。
 だがいつものように返答はなかった。

 クズな医者どもも医者どもだが、日本人は医者にかかりすぎるのだ。
 公的保険料を払っているのだから、かからなければ損だというセコイ根性なのだろうが、ちっとぐらいの風邪ですぐ医者がかりする。
 それはまんまと医者たちのワナにはまっているのが分からないのだから始末が悪い。
 医者も患者もどっちもどっちで、同じ泥棒根性なのだから救いようがない。

 解決策を書く。
 まず、患者の保険負担分は、3割にする。7割分は自分の財布から出せ。
 初診料を、どんな場合でも現金で10000円払う。この10000円は、健康保険の財政の中に入れる。
 そうやって、安易な受診を抑制させ、健康保険の財源を助ける。

 救急車は一回10000円を、患者から徴収する。
 これは自治体の財源に入れる。
 そうやって無駄に救急車が呼ばれることを減らし、少しでも公的医療費と自治体財源の助けにする。
 医者に自分勝手な愚痴を言わせないように、医者の無駄な医療作業を減らす効用もある。

 生活保護の人間は医者代がタダだそうだが、全部を税金から出すそうだが、だから金に糸目をつけずに濃厚な治療が横行しているそうだが、何を言っているんだ!
 そういう人間に対する治療行為は最低限にしろ。
 そういう人間は葬式代を税金で払ってもらえるだけ有難いと思え。
 言っておくが私は、金のあるなしで人の価値を測るような人間じゃない。それはこのブログを読めばわかることだ。
 何でもかんでもタダにしろ、安くしろ、自分がラクをして相手より儲かればいいという、そういう泥棒根性に腹が立つのだ。

 それから、医者は何か不祥事をしたら、すぐに医師免許を取り上げる。欠格期間は五年だ。
 自動車の運転免許だって、飲酒運転とかをすれば一発取り消しなのだ。
 医師免許を取り消されても、医者をしたかったらまた国家試験を受ければいいだけのことだ。
 また受からないということは、医者の仕事への意欲がないという簡単なことだ。

 医師免許を取り消されることまでいかないことをしても、すぐに公的保険医療の世界から出てもらう。
 そういう医者は、自分で自分の商品の値段を決めて、自分で集患して、自費の患者を診ればいいのだから。
 自分の仕事の腕が良ければ、患者は集まるだろうさ、ハハ。
 それこそが真っ当な職業人といえるのだから。
 そしてそれこそが、人体をメンテナンスする作業員という単なる医療作業員ではなく、トータルな仕事人としてのお医者さんといえるのだから。

 それからいつも言っていることだが、私が喧嘩コメントをするときは、必ずこのブログにリンクさせている。
 そうすれば私が誰かは分かるのだから。
 人様に批判がましいことを言うときは、自分の身元を明らかにするのが最低限のエチケットだからだ。
 乱暴で凶暴なダガシでも、自分の言動に責任を持つということが、喧嘩をふっかけるときの最低限の矜持だ。
 それが、卑怯な医者どもと俺が、違うところだ。

※追記
 2011.9.4.日曜、上で書いた医者ブログへ、二回目の喧嘩コメントをした。

水恐怖症

 3.11の津波で、水を見たら恐くなってしまうようになった。
 このあいだ泊りがけでツーリングに行こうとして阿賀野川の新しい広くて長い橋を渡ったのだが、大雨の後で川が湖みたいになっていて、そして橋の横幅が広いと思っていたのに橋は片側一車線しかなくて、橋の端っこがすぐそばに見えて、そのすぐ外側にたっぷりの水が見えて、その水は橋が高いから崖下みたいにはるか下に流れていて、それが見えたら心臓が音を立てて波打って、小さな子供がこぐ自転車ぐらいの速さでしか走れなかった。

 橋の真ん中で止まりたくなって、でも止まったら、恐くて後ろに下がることも前に進むこともできなくなると思って、そのときちょうど車はいなかったから、そろーりそろーりと30キロぐらいでオートバイを走らせた。いくら走っても橋の向こうに届かないのだった。

 そういう走り方しかできないから、そしてトンネルを走るのも恐いから、もう新潟市から出られなかった。
 8号線を長岡まで走って、そこから17号線の昔の道を走りながら三国トンネルまでなら、長くて細い橋もないし、暗くて長いトンネルもない。

 上越方面に行くなら、米山大橋は何年も渡っていないが、大橋を渡らなくても崖下の集落の道を通ればいい。
 でも長岡から柏崎に抜ける8号線の峠を降りる道は、柏崎の平野に転がり落ちるような道だから、恐くて走れない。
 もう西にも東にも南にも行けない。

 水というものを信じられれば恐くなくなるのだろうが、どうすればいいのか、まだわからない。

今年はエアコンをつけないかもしれない

 今年の夏は、まだエアコンを使っていない。
 別に節電のためではない。
 去年とおととしの狂ったような暑さではないから。
 極端にいえばピークカットをすればいいのだから、昼過ぎにエアコンをつけなければいいのだ。遠慮しないで夜にはエアコンをつければいいのだ。

 毎年、夜中に寝苦しいのはお盆までだ。
 ということは今日八月十日になってまだエアコンをつけていないのだから、今年はもうエアコンのスイッチを入れないのだろうか。
 そう思うと、なんだかスイッチを入れたくなる。

 追記になるが、どうしてかそれほど暑くもないのに、さっき夜十時に窓用エアコンのスイッチを入れてみた。
 たしかに涼しい風が吹いてくる。
 四、五日くらい、夜中にエアコンをつけてみようかと思う。

仕事をしない政府のほうが良い

 今、管を辞めさせたいと言っている人間は、原発利権をすすっている人間と、テレビと新聞に毒されやすいミーハーな人間だろう。
 個人としての管は、日本の大勢の人間と同じようにろくでもない人間だろうが、民主党のほかの人間がまた総理大臣になるのは我慢できない。

 管は衆議院を解散することなどできないだろう。選挙をしたら民主党は必ず負けるのだから。
 そして今総選挙をやったら、原発利権でうまい汁をすすっている人間と、ミーハー人間たちが、考えなしに自民党に票を入れるかもしれない。
 また自民党時代に戻してはならない。
 次の総選挙まで、長くてもあと二年なのだ。

 私は政府は限界まで小さくあるべきと思っているから、今の政府のように、無駄はあるが何もできない政府でも、意味のない無駄なことをやって取り返しのつかないことをやるよりも、今の方がよっぽどいいと思っている。
 そして国民は、政府は働かない仕事をしないものだということに慣れればいいと思う。
 そうやって慣れたら、公的な組織と政府を、どんどん小さくしていけばいいと思う。

オートバイ自分でオイル交換

 オイルフィルターを手配してから一月たって、昨日、やっとオイル交換をした。
 洗面器で作った自作オイルパックンに出した、3000キロ走ったオイルの色。37400kr。
オイル交換で排出したオイル
 あるサイトに書いてあったのだが、オイルの色が黒くなることと、その性能が使い物にならないほど悪くなることとは、直接の関係はないのだと。
 日本のオートバイも自動車も、オイル交換やオイルフィルターの交換に神経質になりすぎるのだと。
 その証拠に、発展途上国に使い込んだ中古の日本車を輸出して、その車たちがきちんとオイル交換をされているわけがない。でもそれなりに壊れずに元気良く走っている。そういうことだそうだ。
 私の場合は、オイル交換の作業自体をたのしむということでやる。

 新しいオイルフィルタと、エンジンの中に入っていたフィルタ。
オイルフィルター新旧
 フィルターをセットしてフタをしようとしたら、フタが閉まらない。
 フタの隙間が2ミリくらいあくのだ。
 新しいフィルターは純正品でないせいか、比べたら縦のサイズが2ミリほど長かった。
 オイル交換は、オイルを抜きっぱなしのまま中断することにした。
 ヤフオクで買った店に、サイズが違うようです、交換するか返金をしてくださいと、乱暴な口調にならないように気をつけながら書いて、メールした。

 今日の昼に返信が来ていた。
 フィルターの先端はゴムだから、そのままセットして、フタを閉めてネジを締めこめば大丈夫だという。
 今日夕方、そのとおりにしたらフタは閉まった。
オイルフィルタを出したところ
 規定量の新しいオイルを入れて、エンジンをかけてみた。
 何となくタペット音が大きくなったように感じる。エンジン内部からコツコツ、コツコツと、小人が木槌でエンジンの内側を叩いているような音がする。
 オイルを抜いて一日放っておいたからか。そんなわけもないだろうから気のせいか。

 オイルを換えてから、そのあと少し走ってみた。いつもよりエンジン音が静かになっていた。
 ということはさっきのタペット音は、一時的にエンジンの音が静かになったぶん、バルブの上下音だけが目立って聞こえたのだろう。

 昨日の、オイルフィルターを送ってくれた店に出したメールは、敬語を使って書いて送信しておいてよかった。
 そうしてさっき、おかげさまでフィルター交換できましたと、メールした。

今新潟花火をやっている

 私は花火が嫌いだから新潟市の花火も見たくないのだが、さっきアパートの廊下から少しだけ見てみた。
 おぼんにビールと三五八漬けを乗せたのを窓枠に置いて、立って、ビールを飲みながら見た。
 動きのある火花というのを久しぶりに見た気がしたが、ただそれだけのことだった。
 十五分くらい見て、ワンパターンだなと思って、部屋に帰った。

 部屋に帰ってみたら、シャツがビッショリだった。今年はそれほど暑くもないのに。
 立って飲んだからか、つまらないものを我慢して見たからか、アパートの廊下の窓から一人でビールを飲みながら花火を見ていて、そんなところを誰かに見られたらどうしようと思っていた緊張のせいか、そのどれもだろう。
 花火がつまらなくてよかった。

 近くにある小さな公園で、夜に一人でベンチにすわってビールを飲んでみたいのだが、それはつまらないかおもしろいかわからない。が今年はやってみようと思っている。

夕方のバイクダガシ


海沿いの道で撮った。
影が伸びている。
走っていると、一緒に走っている。

四十年かけた悟りひらき

 昨夜、寝る前に汗を引かせるためと体の芯の温度を下げるために水風呂に入ったときに、悟りを得た。

 人を許せない病にかかって四十年の私は、今では私的死刑におよぼうとするぐらいになっている。私に迷惑をかけられたら、すぐ死刑にしたくなっている。
 その担保は、私は人に迷惑をかけないように細心の注意を払って生きているということと、もし人に迷惑をかけたら、迷惑分の賠償をしようと決心しているということと、もし迷惑分の賠償ができないときは、人生をかけて謝る覚悟をしている、ということだ。

 だがそれは、ひじょうに疲れるのだ。生活の中の一秒一秒に気を払って生きているから、気が休まることがない。
 これじゃあ、人に八つ当たりしたくなるのだ。そして自分にも八つ当たりしたくなるのだ。

 それで私的死刑を執行してしまう前に、自分の考え方を変えようと思って、ついでに登場する人物を憎んでしまう病を治したいと思って、水風呂に浸かりながら、水の中で考え考えした。

 以下は私にしかわからないものだ。思ったことを書いておく。

 迷惑かけるのは
 蚊やハエ
 雷と地震
 自然

 保坂
 肯定する哲学
 自然
 地球も自然
 人も自然
 迷惑かける奴も自然

 雷や地震に仕返しはしない

 今日八月五日の朝、体操をしているとき、昨日悟ったと思ったけれど、やっぱり人を許せない。
 体をそらせながらふいに、自分を許したら、人を許せるのではないかと思った。そうしながら体操をした。

 自分のすぐ人を怒って怒鳴るのを許せばいい。
 人の卑怯なズルイ行為を自然だと思うのなら、俺の怒鳴って死ねと怒鳴るのも自分を自分で許せばいい。そうすれば人のズルさも許せる。自然だと思う。ズルさも肯定できる。

 昨日につづいて今朝も二段目の悟りをひらけた
 今日の仕事は墓掃除だった。
 依頼してくれたお客さんに会わない作業だから、悟りを得たまま体を動かすことができた。

 自分の怒りも肯定できて、怒鳴ることの自己嫌悪も肯定できたら、人のズルさに寛容になっていた。
 それは寛容になっているのか、他の心理なのかはわからない。
 でも、怒るのも、ズルく卑怯に立ち回るのも、卑怯な人間に怒鳴るのも、自分が怒鳴るのも、それは自分の考えに偏っているだけで、それは自分が大事だと思っているだけなのだ。

 私の前に姑息にズルく割り込む車にクラクションを鳴らさなかった。あおることもしなかった。
 これはもしかして平常心というものなのだろうか。
 だが平常心など要らない。
 怒るときは怒りたいし、許すときには許したいだけだ。

 人が卑怯なことをしたら、遠慮なく怒鳴りつけようと、そういう自分に自己嫌悪にならずに、遠慮しないで怒鳴ろうと思えたら、人のズルさに少しだけ寛容になっていた。

 これで、自分の登場人物を憎んで、嫌いになって、先に進めなくなるのは回避できると思いたい。
 引きこもりを解除して、登場人物から離れて、二、三日ぐらいオートバイに乗って、遠出してこようかと思う。

夏は精神的に引きこもる時期

 年とっていくごとに高所恐怖症がひどくなっていくし、十年ぶりに乗るオートバイで60キロ以上出すのが恐いし、人が嘘をついていたり卑怯なことをしていると殴りたくなっているし、これは俺はいわゆるオカシクなっているのだろうと、この何年か思っている。
 これは頭の悪い人間どもが自分がかかっているといっているパニック症候群というものなのだろうと思っていた。

 だがパニック症候群などという、新しく病気を作って、自分を甘やかして、病気だから我侭になるのは仕方ないんだ、病気だから医者にかかれよと、自分本人をますます病的にし、そして医者どもを儲けさせる風潮に怒りを覚えて、そう言わなかった。

 だが俺は今普通ではない。世間の風潮に反しすぎている。これだけは自覚している。
 小さい頃から高所恐怖症で、暗いところが恐くて、お化けが恐くて、卑怯なことが病的に嫌いで、これは普通ではないことは自分でわかっていたが、治そうとしても治るものでもないし、もし治って、自分というものが変わってしまったら、俺の日本でも何番目かと自分では思っている鋭い感受性もなくなってしまうと思って、今まで普通ではない俺で、そのままの俺で、行こうと思って生きてきた。
 そして普通ではない俺に俺は自負を持っていたのだ。

 だが限界に近づいている。
 橋を渡るのにも恐いと思いながら走っているし、あることで業者が返事をしないことに腹を立てて怒鳴りつけて、それを自己嫌悪し、その後の自分の作業に支障をきたし、新しいものを作る気持ちをなくす。こういうことを何度もくり返している。

 ああ、せめて高い場所での恐怖心を減らして、オートバイでのスピードはせめて70キロを出したい。
 なぜそれが恐いのかは、自分でもうすうすわかっているのだが、これはブログで書くのは商売に差し支えるから書かない。だが卑怯な原因でこうなっているのではない。俺の生い立ちでこうなっているだけだ。
 だからパニック症候群などという甘えた生き方ではないぞと、あぶら汗を出しながら、自分なりの行動療法で乗り切ろうと思っている。
 てはじめは、俺の人生の中で、あえて忘れていたように手をつけなかったことを、この夏に集中して、少なくとも階段を一つ登る作業をして、けりをつけるつもりだ。
 それをある段階まで形をつけたら、バイクで80キロなど、すんなり出せるのだと思うのだ。

グーグルの要らない機能

 グーグルのインスタント検索というのは要らない。だからインスタント検索にならないように設定しているのに、何かのひょうしにまたインスタント検索になってしまう。切り替わる法則があるのだろうが、まったく邪魔だ。
 インスタント検索は、とにかく重いのだ。こっちは早く調べものの結果を知りたいと思って検索をしているのに、ページが切り替わるのが遅くなる。
 それからキーワードを入力していると、グーグルが勝手に関連の言葉を出してくる。余計なお世話なのだ。
 せめて一回インスタント検索を解除したら、そのままにしておいてほしい。
 あんまりこれが続くようなら、調べものの検索はヤフーにする。

 ヤフーの検索結果がグーグルと同じになった今、私みたいに商売のホームページが検索される側は、グーグルに嫌われたら商売上あがったりになるから、グーグルの悪口は言わないようにするのだが、それでもこの頃のやり方はグーグルらしくない。下品だ。

 検索する側にしてみれば、検索の選択肢が狭まるのだから、ヤフーとグーグルの検索は、別のものであるべきだ。その中から自分に合ったほうを使えばいいのだから。
 そのためにはヤフーにまた独自の検索エンジンを開発してもらわなければならないが、でもヤフーは目先の儲かることに金をつぎ込む会社のようだから、検索エンジンのような、ユーザーに中身がわからないことに金を使うことはしないのだろう。グーグルを検索の下請けとして使って、見た目のチャラチャラしたデザインで集客をするのだろう。

 検索結果の精度は、たしかにグーグルが良いし、デザインも嫌味がないから、ついグーグルを使ってしまうのだが。

 ああそうだ、検索のグーグルプレイスというのも要らない。検索精度に合ってないのに、合ってないホームページが先頭の方に来てしまう。

 グーグルは今、ユーザーの気持ちと乖離しているようだ。
 ユーザーに不必要な機能を過剰に詰め込んで嬉しがっている。グーグルの人間たちはヒマなのだろうか。それとも何かにあせっているのだろうか。

澤を嫁にほしい気持ち

 なでしこジャパンが国民栄誉賞になったというが、それは俺にとってどうでもいいことだが、キャプテンの澤の受け答えを聞いていると、この人は頭の良い人なのだなあと思う。
 汚らしくはしゃぐことをせず、抑制のきいた喜び方で嬉しさをあらわしている。言葉遣いもまともな社会人の喋りをしている。
 たしか小さい頃からサッカーだけをしてきたというが、勤めに出たこともないと思うが、どこでああいうきちんとした物言いを身につけたのだろう。親御さんの躾がよかったのだろう。

 学校の勉強ができたのかどうか知らないが、たとえ学校での成績が良くなかったとしても、澤には生まれ持っての頭の良さが感じられる。自分の立ち居振る舞いと言動を、適所に的確に発する能力がある。そしてフェアプレイの精神というか、卑怯なことを憎み、ものごとを誠実におこなおうとする心を感じられる。それこそが、とくに女にとっては、頭が良いというのだと思う。そういう心を持った女性は珍しいのだが。

 澤を好きになった。
 澤が美人に見えるのだ。綺麗なのだ。美しいのだ。
 ということは美醜の感覚というものは、DNAに組み込まれているものではないし、他人がどうこう言うことで美醜を感じるものでもないし、それは自分にとって好きになったかどうかが、自分の無意識から湧き出る感覚が、結果的にブスに見えるか美人に見えるかを決めるのだろう。

 和風美人といわれるような顔でも、新潟市民のほとんどのコズルイ女どもを見ていると、卑怯で視野の狭いイナカモノの新潟市のオンナの醜さに辟易していて、ほとんどの新潟市の女がブスに見えるのだが、爽やかで頭の良い澤を見て、俺はこういう人を、いや澤さんを、嫁さんに欲しいと思ってしまうのだった。澤には幸せになってほしいと思う。
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