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徒然のブログ

つれづれの思いなどを

公務員が減らないわけ

 前から思っていたことを書く。
 昔、三公社五現業というのがあったが、国鉄が民営化になって、たばこと塩をつくるのも民営化して、そして電話局がNTTになって、郵便局も民営化した。ならばそれらに使っていた税金はもう要らなくなって、そうならば必要な税金は少なくなっているはずなのに、そうなっていないのはどうしてなんだろう。国の借金も膨らんでいるのは、どうしてなんだろう。

 それは、税金が、要らない道路や橋や建物に使われているのだろう。
 公務員一人あたりの給料を高くしたんだろう。公務員の数も増やしたんだろう。
 公務員が要らない仕事を作って、それに税金を使っているんだろう。借金してまでも、無駄な作業を作っているんだろう。

 こういう無駄遣いを止めるためには、今のやり方を変えればいい。
 そのためには、今の政治の体制を変えればいい。
 そして政治の体制を変えるためには、政治家を変えなければならない。
 政治家を変えるためには、今の無駄遣いのやり方を変えたいと思う人が大勢いなければならない。
 理論上は51パーセント以上の人が今のやり方を変えたいと思えば、選挙のときに、今の体制を変えたいと思う政治家が立候補して、そして今のやり方を変えたい人たちがその候補者に投票すれば、無駄遣いしたくないと思う政治家が当選する。そうすれば今の世の中のやり方は変わる。

 でも今のままの方がいいと思う人間たちは、今の体制を維持したいのだから、今の政党の政治家を当選させ続けたいわけだ。
 だから今の政治家を選挙で勝たせ続けるために、今の政治家と今の政党に投票したい人を過半数にしておかなければならない。
 今の政治家と今の政党に投票したい人とは、今の税金の無駄遣いのやり方を続けたい人だ。すなわち税金で食べている人間だ。
 そういう人間の数を全人口の51パーセント以上にしておけば、その人間たちは今の政治家と今の政党に投票するわけだから、今のままがいいと思う政治家が当選し続けることになる。
 そうすると、今のままの税金の無駄遣いの体制が続く。

 いま日本では、税金と公共料金の支払い分は、給料の4割以上になっているらしい。
 ということは大ざっぱに計算すると、日本人の4割以上が税金や税金に準ずるお金で暮らしていることになる。
 たぶん、もっと多くの人間が、税金と公金で生活しているだろう。そのおこぼれで、いい目を見ている人間も多いだろう。補助金だとか、公的な貸付金だとかを受けている人間も多いだろう。役所や公的機関から仕事を受注して、その売上げで喰っている人間も多いだろう。
 もしかしたら、そういう人間たちの割合は、人口の51パーセント以上になっているかもしれない。なっているのだろう。
 そうして、今のやりかたが嫌だという人は、選挙や政治には興味がなくて、投票に行かない人も多いだろう。
 ということは、選挙に行く人の数は、今の体制を続けたい人間が過半数ということになる。
 ということは、今のままの税金を喰いつぶす無駄遣いのやりかたをしたがる今の政党の政治家が当選し続けることになる。
 ということは、今の税金の無駄遣いの世の中の体制が続くことになる。

 政府の人間たちは、それを狙っているのだろう。
 税金で生活する人間の割合を51パーセントぐらいにしておいて、その中でも特に自分たちは貴族階級、公金のおこぼれで暮らす人間にも階級を作って、段階的にいい目を見させておいて裏切らないようにさせておき、49パーセントの人間は搾取される奴隷階級、という体制を維持しているのだろう。
 こうしておけば、51パーセントの数を持っているのだから、選挙で必ず勝つ。
 合法的な泥棒だ。

 公務員たちが、自分たちの数を減らしたくないと思う一番の理由はここなのだ。
 だから税金を減らしたくないし、もっともっと増やしたい、という理由もこれなのだ。
 税金が増えれば、税金で飯を喰う人間の数が増える。ということは自分たちの味方が増えるということだ。
 ということは、選挙で勝ち続けるから、今までのラクして儲かるという既得権益が、特権が、維持できるぞ、ばんざい、ばんざい、ということなのだ。

猫がかくしている

 猫はいつも寝ている。
 猫が昼間眠っているのは夜行性だからだ。
 猫は夜に活動するDNAを持っている。
 猫は夜に人間の見えないものを見ている。人間に知られてはいけないことをしている。
 猫も人間も、それを忘れるために、夢を見る。

選挙は民主主義の根拠

 政治家が選挙のときに「私が当選したらこういうふうにやります」という公約をやぶったり、公約と逆のことをしたり、選挙のときに言わなかった重大なことを選挙後にやったら、選挙をして政治家を選んでも、選挙後に何をされるかわかったものじゃない。
 ということは何を根拠にして政治家を選べばいいかわからなくなる。
 ということは、選挙をする意味がなくなる。

 選挙をする意味がなくなれば、それは民主主義ではなくなる。
 ということは、民主主義の政治というものを否定することになる。
 民主主義の政治とは、世の中のものごとを動かす決まりを作るということだ。
 世の中の決まりごとを否定して、それでいいのかよ。

 おれは決まりきった決まりごとなど大嫌いな人間だが、おれは卑怯な奴を見るとすぐ怒鳴りつける短気で凶暴でわがままな人間だが、おれは何か嫌がらせをされたら仕返しは三倍返しをモットーにしている人間だが、嘘は大嫌いだ。誰が見ていなくとも、いつもお天道様が見ていると思って生きている人間だ。それが世の中のスジミチだと思っている人間だ。
 世の中の決まりごとを否定するということは、世の中のスジミチを否定するということは、世の中のものごとを決める根拠は、嘘や、詐欺や、泥棒や、暴力になるぞ。
 本当にそれでいいのかよ。

 野田は、消費税を上げるという、総選挙の時の公約の逆をしている。消費税を上げるという、党の代表選挙の時に言わなかったことを、後でこそ泥みたいにやっている。ということは、民主主義の根拠である選挙を否定した。
 それは野田だけじゃないがな。政治家どもすべてだがな。税金で暮らしている奴らすべてだがな。
 いや、日本人すべてが嘘吐きの泥棒根性で、こそ泥だから、民主主義を否定しているから、自分と同じ泥棒根性の人間を政治家に選んでいるから、こうなっているのだろう。

 しかし政治家どもの言葉を聞いていると、すぐ一任という単語が出る。あいつらは、一任が好きなのだなあ。
 それは独裁主義者のおれよりももっと独裁が好きなのだろう。

原発のあるべき場所

 私は自分は原発反対と思っているが、それは私が住む場所の近くに原発があることが嫌だからだ。爆発したり放射能が漏れたりしたときに、私に影響があるから反対ということだ。

 だから日本海側には原発は作ってはならない。何かあったときは日本海を汚すし、西風に乗って新潟県に放射性物質が流れてくるから。
 前にも書いたが、大阪湾や東京湾に原発があっても反対しないぞ。そこで爆発しても、通常の風向きでは新潟県には放射能は来ないだろうし、日本海にも影響がないから。
 ようは、私に迷惑がかかる場所には原発を作るなということだ。
 そうでない場所に原発があるのは、どっちでもいい。
 私は、私に迷惑がかからない場所で原発が稼動して、そのおかげで私が電気を使えるなら、とても嬉しいぞ。
 日本人は、たいがいの人間がそう考えていると思う。

 それから、日本は、原子力発電所を始末するための知識と技術を得るために、原発は二つくらい動かしておいたほうがいいと思う。
 その場所は、鹿児島湾と、四国と、大阪湾から紀伊半島、愛知県、静岡県から関東にかけての、太平洋側が良い場所だ。東京湾は奥まっていて、原発にはとくに適している所だ、ハハ。西風が吹いても、関東の東側には海が広がっているだけだからな。
 青森県と北海道は、こっちには風は吹かないし、遠いから、原発立地としては絶好の場所だ。だから六ヶ所村に原発の燃料カスの捨て場を作ったのだろう。

 だけどあたりまえだが、私がさっき書いたそれらの場所に、原発を作れとか、そこで動かせとかと、私が言う権利はない。
 その地方の人たちが、自分の住む近くに原発があってもいいと思ってはじめて、原発を作ることができる。いや、原発事故になったときに、影響がある場所すべての地域の人たちが、OKを出してはじめて、作ることが、稼動することができるだろう。
 そして私がそういう場所に住んでいたら、おれの住むところに影響があるのだから、そこに原発を作るな! 原発を動かすな! と叫ぶだろう。

 まじめに言えば、北海道の北の先っぽのあたりに作って、そこで原子力発電の研究をしていればいいのじゃないかと思う。
 設備が凍って動かないというのなら、小笠原諸島のいちばん東の島に作って、そこで勉強すればいいのではないか。

新潟市に公営の動物園はいらない。

 新潟市に動物園を作ろうと署名を集めている奴らがいるらしいが、それは新潟市営か新潟県営でやろうというらしい。
 新潟市民の泥棒がまた始まった。
 オオヤケの金で自分の趣味をするという泥棒。
 自分のやりたいことは自分の金でやれ。それがスジミチだ!

 発起人は元県庁職員だそうだが、やっぱり公務員どもは泥棒根性だ。
 他人の金を吸おうとする吸血鬼で寄生虫の公務員である泥棒どもは片っぱしから死刑にしたい。

 自分で必要な金を調達して、自分で仕事を作って、自分で運営して、うまくいかなかったら自分が責任を取る。これがスジミチだぞ。
 その責任を取るということは、うまくいなかなったときの負債を抱え、自分でその借金を返していくということだ。
 せめて発起人たちが金を出し合って作ればいいじゃないか。
 あるいは、株を発行して、署名した人たちから買ってもらって、それで会社を作って運営すればいいじゃないか。
 すぐ世の中の公金にたかることを考える公務員どもの精神は、汚らしい。

 新潟市の、サッカー場も野球場も、他にもいろんな数え切れない施設や組織や仕組みで、他人の金を力をこそ泥して、自分はのうのうと、ぬくぬくと他人の成果を盗むのだから、公務員と新潟市民は泥棒ばかりだ。泥棒は死刑に処さなければならない。

コップを持つときの小指を立てる1

 酒を飲むコップを持つときや、カラオケでマイクを持つときに、小指を立てるというのがあって、それは女っぽくて気持ち悪いというのがあるが、私の場合も小指を立てる。でももともと小指の関節が曲がっていて、立てているように見えないから、まあいいやと思って今まで深く考えなかった。
 でも、さっきわかった。
 小指を立てたほうがコップやマイクを持ちやすいのだ。
 小指を立てると、人差し指と中指と薬指に、力が入りやすくなる。
 ためしに小指を立てないでコップを持ったら、力が入らない。あきらかに小指を立てたほうが他の指に力が入る。コップを持つのが安定する。
 これは、人間の自然な体の仕組みだから仕方がないのだ。そしてこのことは自分の体のことだから誰でもわかる。
 でもこの指の形を見るとなぜ気持ちが悪いのか、これを考えて今度は明らかにしたい。

キーボードでピアノ鍵盤ソフト

 ふと、パソコンのキーボードを鍵盤みたいにして音を出せないかと思って、「キーボードでピアノ鍵盤のように音を出す」と入れてググってみた。
 もう何年も前から、いくつもそういうソフトがあったことに驚いた。その中で一番手軽そうな「midikeyB」というソフトをダウンロードして、キーを押してみた。
 ポロン、と音が出た。おもちゃのピアノの音を思い出す。キーボードの「I」がドの音らしい。黒鍵は「I」の右上の「9」がD♭で、その順番で並んでいる。高い方の鍵盤はキーボードの下二列が白鍵黒鍵の並びになっていた。鍵盤をマウスでクリックしても音が出る。
 和音は、白鍵も黒鍵も二音だけは一緒に音が出るが、三音は出ない。簡単なソフトのようだから仕方がない、と思ったら、別の少し性能のいいパソコンにダウンロードして弾いてみたら、三音でも四音でも和音が出た。
 ひととおり鍵盤の並びと音の出方がわかってから、でたらめにキーを押していると、そのとおりに音が出る。単純素朴に面白い。

midkeyBピアノ鍵盤ソフト

 窓の杜の中の、『MIDI KEY B』のページでダウンロードできる。

金の力が弱まった政治

 角栄の頃の昔の政治は政局は、与党の金の力で動いていたからわかりやすかっただろう。
 自民党が札束を紙袋や風呂敷なんかに入れたのを、形だけ頭を下げて社会党に持っていって、そうするとシナリオどおりに法案が通ったり、選挙が決まるということだったのだろう。

 今は金は動いていないように見える。民主党の連中は、金の力を毛嫌いしているように見える。
 では何の力で動いているか。
 とくに何も考えていないだろう。

 考えているとすれば、人が信じられなくなっていることだろう。
 それは人付き合いの仁義がなくなったということでもある。
 良い悪いは別として、昔は金をもらえば言うことをきいた。ギブアンドテイクが生きていた。それが人付き合いの基本だった。
 だけれど今は泥棒根性の人間ばかりになっているから、相手にメリットを与えても、ギブだけになって、盗られっぱなしになる。
 だから人を信用できない。だから人にメリットを与えられない。だから何をしたらいいかわからない。

 政治家どもは今、パニックになっているだろう。
 大学受験だけが上手な人間の官僚どもも、今までどおりということを維持するために思考停止になっているだろう。
 そういう奴らは人を信用できなくなっていて、もともと生きるとは何かの思想もないのだから、目先の儲けだけを生きる指針にして自分の行動を決めている。
 だから交渉ごとでの金の力が弱まったら、何を頼りにすればいいかわからなくなる。
 そしてそれは政治家や役人どもだけではない。
 政治家を選んでいる世の中の人間どもが、もともと泥棒根性なのだから。

放送で犯人の名前で呼び捨てにされる気持ち

 オウムの高橋が捕まったそうだが、やっとこれで「タカハシ、タカハシ」と放送で連呼されなくなる。
 自分の苗字をアナウンサーに呼び捨てにされるのは、いい気持ちがしなかった。
 これからは高橋容疑者と言われるのだろう。しかしこの逮捕劇では、高橋という姓の人間が多くかかわっているようだ。それもあってまぎらわしくて、タカハシが連呼されて不愉快なのだ。
 でもそして、世の中は次々と他の事件が起こって、高橋容疑者の名前もすぐ忘れるのだろう。

 オウムの手配犯はぜんぶ捕まったから、高橋容疑者とこのあいだ捕まった二人の刑が決まれば、これで順番にサリンの犯人の死刑が始まる。
 死刑が執行されたら、ニュースで知らされるだろう。
 そのニュースを、どういう気持ちで聞くだろう。

仕返しは二倍、三倍と思っていても等分になってしまう

 このあいだまた通り魔事件があったが、犯人をただ死刑にするだけではたりない。
 生まれてきたことを後悔するぐらいの拷問をあたえながら殺すぐらいのことはしなければならない。
 なぜならその犯人は、関係ない二人を刃物でめった刺しにしたそうじゃないか。
 同じ目にあわせなければならない。いや、殺された人の苦しみの何倍も苦しませなければならない。仕返しは、人間としての基本的な自然な行為だ。
 生まれたことを後悔させると書いたが、犯人は、自分が生まれたことを嬉しいとおもっていないからああいうことをしたのだろう。後悔どころか、もっと苦しませなければならない。

 私が何かの嫌がらせをされたら、私はいつも二倍、いや三倍の仕返しすることにしている。
 でもそう思っていても、いつも、された分の分量しか仕返しできないのだ。
 それは私が優しい人間だからではない。私は優しくないし、怒りっぽいし、すぐ人を怒鳴りつける人間だ。自分勝手で、そして仕返しは三倍返し以上をモットーにしている人間だ。
 そういう私でも実際の仕返しは、私が苦しんだ分だけを相手が苦しめばいいと思って、ついそうなってしまう。どうしてか途中で仕返しの手が止まってしまうのだ。
 自分勝手で優しくない私でもそうなのだから、世間のノーマルの人たちは、二倍返し、三倍返しは求めないだろう。殺された人の遺族も、殺された人も、そうだろう。等分の報復でいいと思うだろう。
 しかし通り魔事件の犯人のようなものは、拷問で殺さなければならない。心身に、そうとうの苦しみを与えながら殺さなければならない。それを公開して、見せしめにして、犯罪の抑止力にしなければならない。

カエルと祖父と粘液のこと

 自分の商売のキャラクターで蛙を使っているけれど、現実の蛙は見るのも嫌だ。蛇ほどではないが、亀よりは嫌いだ。
 蛙のあのヌメヌメとした表面が、痰を想像して汚らしいと思うのだと思う。
 ものごころつく頃、祖父が食事中でも新聞紙を折りたたんだ専用のものに痰を吐いていたのを、そばで見ていて、ぬるぬるしたものが嫌になっていたのだ。
 なぜ痰を気持ち悪いと思ったのかは、祖父を嫌いで憎んでいたからだと思う。
 私の父親と祖父は仲が悪かった。そして祖父は私の母親をいつもいじめていると思っていた。祖父は家族のなかでいつも自分勝手に横暴にふるまっていた。
 それで、祖父の吐き出す痰を連想させる、蛙が嫌いになったのだと思う。ヌメヌメとしたものは、たいがい嫌いだ。生卵も嫌だ。粘液も、気持ちが悪い。
 どろりとした、液体なのか固体なのか判別できないどっちつかずのものが、嫌いなのだ。プリンもそれほどは好きではない。納豆も好きではないが、栄養のために食べているだけだ。野菜のオクラも本当は好きではない。
 そして人間の体の中の、どろりとした、とろりとした粘液は、不潔で、不浄なものに思っている。

 でも、私が憎んで嫌っていた祖父は、家族の中で、いや、この世の中で、一番私を愛していたのだった。
「この家のもんは、かまどの灰までおまえにやるっけな。おまえのもんだっけな」といつも聞かされた。そして祖父は、自分に似ている私の我侭を、いつも笑いながら許していた。
 それなのに私は、私を一番愛した人間を、一番憎んでいた。

 朝と夕方、小学校の行き帰りの道の真ん中で、大きな蛙が死んでいるのをよく見た。
 食用蛙といっていたが、小型のメロンくらいの大きさの蛙が、鼻先が尖っている形で、ぺしゃんこにつぶれていた。
 車にひかれたのだ。平べったいのが何匹も集まって、道路のアスファルトにへばりついていたこともあった。死んでいるのに、動かないのに、怖かった。夕方に見る死んだ蛙は、近づくと臭いにおいがした。
 今は、あのぐらいの大きさの蛙は見ない。小さい雨蛙さえ見ない。蛙の鳴き声さえ何年も聞かない。
 蛙がいないのは私にとってよいことだが、今日、梅雨に入ったそうだが、田んぼの中では生きていてほしい。あの大きな、食用蛙というのか牛蛙というのか、私にとっては不自然に不必要に大きな蛙も、田んぼのわきの用水路に生息していてほしい。
 そしていつのまにか私は、我侭な性格が知らないうちに尖っていて、横暴な祖父に似てしまっていると思っている。

宗教のセックスと金

 おれにとっての宗教とは、檀家寺の住職さんと、とういんさんと、その嫁さんの今の女住職さんの人柄だ。
 前の住職さんは死んだ。婿のとういんさんも若死にした。おれより五つ六つ年上の女住職は今、後家の頑張りで貧乏寺を切り盛りしている。

 うちの檀家寺の暮らし向きは、裕福とはとてもいえない。
 それがいいのだ。
 それが信用できるのだ。
 だから親しみをおぼえるのだ。

 犯罪をおかす新興宗教たちは、信じた人間の財産を全部吸い取る。
 そうして教祖は、金儲けとセックスを仕事にしている。
 新興宗教だけではない。世の中の寺は、ヤクザと同じで、本部への上納金のタカで、寺の位が決められる。
 それは、泥棒根性が信仰と入れ替わったということだ。

 初期の仏教も、釈迦は、出家信者の財産を吸い取っただろうか。女の信者とセックス三昧をしたのだろうか。
 今となってはわからない。出家したら仏教教団に財産を入れさせたかもしれない。出家とは、行きながら死ぬことなのだから、金目のものは要らないのだから。
 でも仏教の、女は不浄のものだという教えをみると、釈迦は女信者とのセックス三昧はしなかったと思う。いや、教団内でセックスが氾濫して、だから女を汚いものと教えたのかもしれない。

 仏教において宗教とセックスは、男だけが悪いわけではない。女も宗教上でもセックスしたがっているのだから。
 それは、いろんな宗教を見ればわかるし、そこらへんの世の中の女を見ればわかる。

 うちの檀家寺の女住職さんは、美人で、未亡人で、頭がよくて、自分のセクシャルさを、じょうずに自分の体から離れた場所に置いている。
 それだから、自分の檀家寺の仏教を信じたくなる。

今年初めての扇風機をつけたこと

 きのう六月五日の夜寝るときに、今年はじめて扇風機をつけた。
 どうしてか暑くて眠れなかったのだ。
 窓を開けても風は入ってこないから、扇風機をつけてみようと思ったのだ。
 ベッドのわきに置いて、タイマーを一時間にセットして、スイッチを押した。
 そうしたら五分で寒くなって、消した。
 体の温度が冷えたとおもったら、うまく眠りにはいれた。
 でも夜中に夢を見て、何度も目が覚めた。
 何の夢だったか、まだ憶えているけれど、書かない。
 書かないと忘れるけれど、忘れてもいい。

大阪は信用できない

 福井県のおおい原発の場所をネットで調べたら、湾の奥まったところにあって、周囲は山にかこまれていて、ここなら爆発しても大丈夫かもしれないなんて思ったが、そうなったら放射能は西風に乗って新潟県に来るだろう。
 そして嫌なのは、日本海に放射能がばらまかれることだ。日本海の魚が汚染される。安心して魚が食べられなくなる。

 大阪の奴らは電気が欲しかったら、大阪湾に原発を作れよ。それがスジミチだぜ。
 大阪湾に作った原発が爆発しても、大阪湾が汚染されるだけで、日本海には影響はないだろう。それにこっちまでは遠くて、途中で高い山脈もたくさんあるから、新潟方面には放射能はほとんど来ないだろう。だから、大阪の海で原発をやれ。それはもちろん自分の金で作れよ。税金公金にたかるなよ。
 それから東電も原発をやりたかったら、東京湾でやれよ。

 大阪の人間は、ワガママで、泥棒根性で、恥知らずの田舎者で、大嫌いだ。福岡県民が似ている。新潟市民も大阪の人間に似ている。それは江戸時代の日本海交流で、大阪から、福岡県、福井県、新潟市に、泥棒根性が感染していったのだ。
 ヤフオクで買いたい物を見つけても、その販売者の住所が大阪だと、信用できないからすぐ戻るボタンをクリックする。

Amazonには共感できないから買わない

 アマゾンで買い物をしたことはないが、品物を探しているうちに、たまたまアマゾンのサイトを見たことはある。そうすると他のサイトの広告欄で、Amazonで見た商品が出るのだ。浴室用換気扇とか、便座とか、壁紙クロスとか。
 うっとうしい。
 お前の嗜好を知っているぞといわんばかりの小ざかしさ。
 Amazonの、その売らんかなの姿勢と小ざかしさを見やぶられている頭の悪さと、見やぶられていることをわかられてもいいという無神経さと、見やぶられていることを何とかしようとしない怠け者根性が、どうにも腹が立つし、疲れるし、どうしてか見ているこちらの方が恥ずかしくなる。本当に嫌な気持ちになるのだ。
 だからアマゾンのその広告を出させないようにするのを検索で調べて、消した。

 そういう無神経さは、政治家どもも、公務員どもも、マスコミどもも、会社員どもも、ほとんどの日本人がそういう頭の悪さを自覚していない。いや日本人だけではなくて、世界中の人間たちが頭の悪さを露呈している。Amazonは欧米の会社だ。
 そしてそういうことは、今に始まったことじゃなくて、一般の人間が頭が悪くて無神経で泥棒根性なのは大昔からなのだろう。生き物の大部分は、そういうことなのだろう。

 買わせるということは、感動させるということなのだと思う。
 感動させるということは、その人が意識していなかったことを思いがけず知らせて、その人の潜在意識の中の欲求を欲望を気持ちよく自覚させて、そうしたら感動してもらえるのだと思う。だから、買ってもらえるのだと思う。これはダガシのオリジナルだからな。
 コンサルタントなどという泥棒根性のやからが、すぐ人の言葉を盗むから書いておく。

 アマゾンの広告のやり方は頭が悪くて共感できないから、軽蔑する。
 軽蔑する人間に、仕事を依頼したくないし、金を払おうとは思わない。

カタカナ言葉が嫌い

 もともと記憶力は少ないのだが、もう記憶する力はほとんど蒸発している。
 とくにカタカナ言葉を覚えられなくなっている。
 いちばん最後に覚えたカタカナ言葉は何だったかと思い出そうとしたら、わからない。
 哲学用語だったような気もするが、睡眠に関する言葉だったかもしれない。
 根源的という言葉のカタカナ言葉が出てこない。
 でもそういう言葉がスラスラ出てくるのは、むしろカッコワルイだろうと思う。

原発再稼動をしないために簡単なことはテレビとパチンコをしないこと

 原発がなかったら夏を乗り切れるのかどうかを実験をすればいいのに。
 でも原発を回さないでも夏を乗り切ったら、日本では原発は要らないとなってしまうから、原発で喰っている奴らは、実験さえもやりたがらない。泥棒根性だ。

 泥棒根性の人間たちは、電気がないと熱中症で死ぬ人がいる、停電になると病院が困る、工場が困る、そんなことを言い訳にしている。
 暑いさなかに部屋に閉じこもっていて暑さで死ぬのは自己責任だ。窓を開けて扇風機を使えよ。それでも暑くて死ぬような人は、その時点で生きるのに向いていない生き物なのだから、死んでも仕方ない存在なのである。
 電気が止まっても病院は自家発電ができるぞ。それ以上の電気が要るなら節約しろ。
 在宅医療でも、電気が止まって呼吸装置が止まって死ぬ人は、電気がなければ生きない人で、これはもう生きているとはいえない状態の人だ。そういう生き物である人が死ぬのは、自然なことだ。
 工場は、計画して生産しろ。そんなことさえできないのなら仕事をやっているとはいえない。遊びじゃないんだぞ!
 原発がなければ生きていけないなどと文句を言っている人間は、甘えすぎている。世俗の幸福に浸りすぎている。泥棒になりすぎている。
 計画停電をやればいいじゃないか。突然に停電になるよりよっぽどいいだろ。

 二年前、労働基準監督署だったかに何かの問い合わせで行ったとき、部屋に入ったとたんに寒気がしたことがある。エアコンががんがんきいていたのだ。大勢の職員たちは背広を着てネクタイをしめていた。何も考えなしに椅子にすわってぼうっとしていた。
「寒い! エアコンを切れ! 温度によってスイッチを入れたり切ったりしろよ! ものを考えろ!」と怒鳴りつけたことがあった。そういえばその前にも、図書館でも新潟市役所の出張所でもそういうことがあった。とうぜん怒鳴りつけた。
 税金という他人の金を使っているから、当事者意識というものがなくなる。それは泥棒根性になる。

 夏に本当に電気が足りない時間帯は、昼頃から夕方までだ。ワガママな人間どもがエアコンを使いたがる時間だ。
 その時間帯は、世の中に生産をしていない組織は電気を使わないことにすればいい。
 テレビ局とパチンコ屋だ。
 テレビは見なければいい。ラジオで充分だ。だからテレビ局はその時間は建物のブレーカーを下ろして、窓を開けて上着を脱いで昼寝をしていろ。
 パチンコ屋は昼間は営業禁止にする。日本国で昼間から賭博をしているのは死刑にしてもいいぐらいだ。パチンコなどやりたかったら、暗くなってからやれ。
 パチンコ台を回したり光らせたりする電気と、店内の照明の電気と、広い空間を冷やすためのエアコンの電気と、巨大な看板を動かしたり光らせたりする電気と、パチンコ屋は膨大な電気を浪費している。
 日本の人々が精一杯の節電をして、テレビ局とパチンコ屋が昼間電気を使わなければ、余裕で原発は要らないぞ。

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