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徒然のブログ

つれづれの思いなどを

字がへたになったわけ

 バイクに乗るのに聴くために、夏だからか、暑いからか、大滝詠一のカセットテープを探した。いっしょに初期の山下達郎のテープがあった。どちらのケースの文字も、上手だった。自分で書いたのに。
 その頃の私の書く文字は、美しかったのだった。なのに今の字は、どこか知らない国の人が書いた線みたいに、自分で読み取ることもできない。
 なぜそうなったか。ワープロとパソコンを使うようになって、自分の手で文字を書かないようになったからだろう。
 いや本当は違う。
 読む人がよく読めるように書こうという優しさが私になくなったのだ。
 自分でもよく読めるように書こうと思うことがなくなったのだ。
 上手に書こうという向上心みたいなものがなくなったのだ。
 面倒臭がりになったのだ。
 それは年をとったからだろうと思っている。

高気密高断熱も無垢のフローリングも蜜蝋ワックスも、エコもロハスも駄目なこと

 最近の中小のハウスメーカーやりフォーム会社は、売らんかなの精神だけで調子のいいことばかり言っている。とくに高気密高断熱と言っているが、それはエコだと言っているが、それは駄目なことだ。
 家などというものはすきま風が入るくらいが丁度いいのに、それが換気になるのに、結露も防ぐのに、機密性が高いことが良いことだとうたっている。逆なんだよ!
 高断熱は良いことだけれど、これも換気を犠牲にしている。
 冬の老人ホームでは、空気を入れ替えようと窓を開けると、痴呆症の年寄りたちは、窓を開けるな、風が入る、熱が逃げると騒ぐのだ。
 おれは窓を開けたいんだよ。なぜならお前ら年寄りのニオイがこもって臭いのだよ。換気をしないとオシメのにおいやウンコのにおいが残るんだよ。消臭剤だけじゃ消えないんだよ。
 そして換気をしないとインフルエンザのウィルスもたまって、弱い年寄りは感染して死ぬ。他にも伝染病が蔓延して死ぬ。ぼけた年寄りたちは自業自得なのだが、世話をしている方は責任があるから困るんだよ。
 それと同じで、高気密高断熱と騒いでいる工務店や住宅メーカーは、頭が悪くてぼけているし、泥棒根性で目先の利益だけを追求しているだけなのである。

 高気密高断熱と対になって宣伝しているのは、おれの嫌いなロハスとエコの、ロハスの方で、無垢のフローリングを宣伝している。これもダメなものだ。
 理由は、無垢の板は傷がつきやすい。むくのフローリングは汚れが染みこみやすい。無垢の材木は、そりやすい。
 それから無垢フローリングにつきものとして宣伝しているのは蜜蝋ワックスだ。
 ワックスというものは、塗る前に、床を洗って汚れを完璧に取り除いておかなければならないのである。拭いたぐらいじゃ汚れは落ちないんだよ。拭いたということは、汚れを塗りのばしているだけなんだよ。
 汚れを落とさないでワックスを塗ってしまうとなぜ駄目なのか? それは床に汚れが残っていると、その汚れの上にワックスを塗ってしまうことになって、ワックスの下になった汚れは、もう半永久的に取れなくなるのである。そうすると、ワックスは透明だから、汚れが見えて、その見える汚れはもう半永久的に取れないのである。
 普通のフローリングならワックスを溶かして剥ぎ取って、そうして汚れを落として、それからワックスを塗ればいいのだが、無垢の板材はワックスを溶かすための強いアルカリ洗剤は使えない。強い洗剤を使ったら、洗剤と汚れと古いワックスが、塗装をしていない材木に染み込んで、板材を駄目にしてしまう(いや本当は普通のフローリングのワックス溶かし、ワックス剥がしだっても、その仕事はとても難しくてそこらへんの掃除屋には出来ない芸当なのだよ。嘘だと思ったら、あんたはフローリングのワックス剥離ができるかと、そこらへんの掃除屋に聞いてみろ。いや、フローリングにたっぷりと洗剤水をつけてスポンジでこすり洗いする洗浄だって難しいんだぞ。これもそこら辺の掃除屋に、できるかどうか聞いてみろ。新潟県で出来る掃除屋は、ほとんどいないぞ)。
 ではどうすればいいかというと、無垢の板材の汚れている表面を何ミリが削って、その上からまたワックスを塗るのだが、この作業は大きなコストがかかる。
 ということは、こういう業者どもは、依頼者の先々の暮らしのことは、何も考えていないということなのである。

 住宅メーカーやリフォーム屋の人間どもは、ワックスとは何ぞや、汚れとは何ぞや、汚れを落とすとはどうするのか、そういうことは何もわかっていないし、もともと感心もない。
 なぜなら、お客に引き渡す瞬間だけの、上っつらの見栄えさえ良ければ、後は知らないという考えだからだ。
 アフターサービスなどと言っているが、あいつらの仕事を施工する作業員たちは、絶対にその場だけが良ければいいと思っている。それは元受けの会社の人間たちが、客の暮らしの後後まで考えてはいないからだ。泥棒根性の人間どもが、そういうふうに考えるわけがないのだ。

 それにあいつらは、住むとは何ぞや、暮らすとは何ぞや、家とは何ぞや、衣食住とは何ぞや、人間が、自分が、生きるとはどういうことなのか、死ぬとはどういうことなのか……。生まれてからそういうことを、寝られなくなるぐらいに、自分が怖くなるぐらいに考えたこともないくせに、いっちょまえなことを言っているから笑うし、いや笑えなくて腹が立つのだ。
 だが依頼する方の人間も、何も考えていないのだから、おあいこなのだろう。

女子サッカーはチームだからよい

 夜中の二時にふと目が覚めて、ラジオをつけたら女子サッカーの中継をしていた。そういえばこの夜中にオリンピックの初試合だったと思い出した。オリンピックなどもともと興味がないから、ラジオを消すわけではないけれど、音を小さくつけたまま眠りに入ろうとした。
 眠いけれど眠れないような感覚で、それはいつも感じるいらいらする感覚ではなくて、頭の中で澤や他の選手が走ってボールを蹴っている姿が見えるような、それを見ながら目を閉じて気持ちよく横になっているような気分だった。
 そうしているうちに、日本チームが勝って、また眠りに入った。

 昔からオリンピックは興味がない。だからオリンピックのためにテレビをみたりすることはなかった。けれど女子サッカーは、日本が勝てばいいなと思う。それは他国と戦争をしてそうして日本が勝ったみたいに思って嬉しくなるのと同じなのだろう。とくにチームの競技はそう思うのだろう。そして前評判で勝てそうな確率が高いといわれている女子サッカーだから、そう思うのだろう。勝手に期待するのだろう。

 勝手に期待しているから、日本の女子サッカーは頑張っていると思ってしまう。選手の画像を見ると、化粧っ気もなしにまだらに日焼けして真っ黒い顔でにこにこしているのは、かえって美人に見えるから不思議だ。好きになりそうに思うから自分でも不思議なのだ。
 でも一人一人はオンナだから、ずるくて嘘吐きで卑怯者で怠け者なのだろう。オンナギライのダガシは嫌いになるのだろう。
 サッカーチームとしてまとまっているのを見るだけなら、腹が立たなくていい。

2012年のオイル交換

 オートバイのオイル交換をした。40710km
 去年の8月に替えてから、一年ぶりにオイルを替えた。
 それでも前にオイルを替えてから、3000キロくらいしか走っていないのだった。
 出てきたオイルは真っ黒だが、黒いのは当たり前だし、作業でとくに変わったこともなかったから写真は撮らない。
 驚いたのは一年間で3千キロしか走らなかったことだ。ひっきりなしに下越地方のあちこちを走ったつもりなのに。
 川を越える大きな橋を走るのが怖いのと、長いトンネルをくぐるのが怖いのと、高い場所のバイパスを走るのが怖いし、それにそもそも70キロ以上のスピードを出すのが怖くなっているのが、遠出するのをさまたげていて、それで距離がのびない。仕方ない。

女のはな歌

 オンナギライのダガシでも、女が鼻歌を歌っているのを聞くのは気持ちいい。
 機嫌よく、そして無意識に、甘いような匂いのするメロディが聞こえると、その女が美人だと思ってしまうのだ。その女のために何かしてやりたいと思ってしまうのだ。
 どうしてだろう。

岸田秀「哀しみという感情」

 岸田秀の本を六、七年ぶりに読んだ。図書館で偶然見つけたのだ。岸田は年をとってもう文は書いてないと思っていたけれど、知らないうちに書いていて本も出していたようだった。

 どうして白人というのは、ずるくて、そして体が大きくて闘いに強いのだろうと、昔から思っていたのだが、その答えが書いてあった。
 それは、アフリカ大陸で突然変異で生まれた白人種は、地球の初めの人間である黒人種から差別されていじめられて、ヨーロッパ地方に追いやられた。
 ヨーロッパは痩せた土地で作物もとれないから、白人はいつもイライラしてお互いに殺しあって、それで闘いの技術と道具が発達した。
 白人たちは闘いに強いことが良いことだという価値観になっていたから、体は大きくなるように、体格のいいものどうしで結婚した。それでますます体が大きくなり、闘いに強くなっていった。
 闘いに勝つためには、ズルく立ち回らなければならないから、だからずるいことが当たり前になっていった。
 それは日本の戦国時代までの侍のようだと思った。

 それから別のことでおもしろいと思ったところを書き写す。
「プライドの置きどころ」p176
 上は国会議員から下は村会議員まで、上級国家公務員から地方公務員まで、視察とかの名目だが実はお遊びの物見遊山に公費を使って外国などに出掛けたり、職務権限などに絡んで賄賂を受け取ったりする者がいて、それでそのまま見過ごされることもあるが、ときにはそれがバレて非難され、使った公費を返却させられたり、悪くすると、辞職または辞任、懲戒免職に追い込まれたりするが、それぐらいのハシタ金のことなら自費で行けばいいのに、少々のお金をケチって公費を使ったり、どのぐらいの金額かよく知らないが、業者などから余計なお金をもらったりするのは、何ともプライドのない、さもしくも意地汚い振る舞いだろう、人間として恥ずかしくないのであろうかなどと思っていたが、彼らは、プライドがないのではなく、プライドの置きどころが違うだけらしい
 すなわち、彼らは、議員や官僚になったことを何か偉い人になったかのように思い込んでいて、遊びに公費を使ったり、賄賂をもらったりすることをさもしい意地汚い行為だとは思わず、逆に、普通の人には許されないが、偉い人になった自分だから享受できる特権のように思うらしい。要するに、それは、彼らのプライドに反するどころか、プライドを満足させ、「おれは公費で旅行できる偉い人なんだ」「おれは人々がご機嫌伺いに金品を持ってくる偉い人なんだ」と思っていい気分になれるらしい

 この部分を読んで、税金泥棒の人間どもの考え方を少し理解できた。もちろん、理解するだけで、共感するわけではない。
 ほとんどの新潟市民の感覚である、いや、ほとんどの日本人の感覚の、世俗的幸福だけを志向している人間たちの感覚を、想像してみようかなと思った。

 岸田は、自分と違う他者の自我の違いを受け容れることを、少なくとも理解することを、怠けないでやめないことが大事だと書いている。
 それで思ったのは、オンナギライのダガシでも、卑怯者の女の自我や、税金公金で飯を喰いたがる泥棒根性の人間どもの自我は、自分の自我と違うのだということを、まずは理解することから始めるのが大事かな、と思ってみたりした。
 そうしたら、新しい発見があるかもしれないな、と思った。
 できるかどうかはわからないけれど。

デモをしている人間の胡散臭さ

 原発反対でデモがあったそうだが、もっともっといろんなことでデモをやればいい。
 原発反対でデモはするのに、公務員の特権をやめさせようとデモはしないのだな。
 嘘吐き政府のやり方を批判するためのデモが起きないのは不思議だ。
 ということは、デモをやっている人間は、公金をもらっている人間も多いのだろう。
 デモで並んでいる人間は、差別を肯定している者も多いのだろう。
 もしかして、原発がなくなったら金銭的に得をする人間が、扇動しているのかもしれない。

エアコンつけはじめ

 2012年7月16日月曜日、海の日。
 今夜、今年初めてエアコンをつけた。
 今日の昼間は暑かった。35度を越えたそうだ。
 毎年セミが鳴くのは7月20日頃だ。もうすぐだ。
 明日の予報は雨降りだそうだ。梅雨だ。

であるという末尾

 である、という文章の末尾を、いつも書かないでいる。
 である、という言葉遣いは堅苦しい感じがするのだ。
 だから代わりに、のだ、という末尾にしている。
 堅苦しい感じがするのである。と書いてもいいのであるが、いや、いいのだけれど、書かないでおいている。
 意識してであると書けば書き慣れて、であるを書くことの抵抗がなくなるかもしれない。
 嫌いなことをするのにも慣れてから、それをしないようにするのがいいのかもしれない。
 である、である、であるのである、と。

方言の武士

 江戸時代の地方の武士は、それぞれのお国ことばを喋っていたのだろう。
 でも、名古屋弁、大阪弁、京都弁の武士は、刀を二本さしていても、なんだか軽薄な感じの武士に見える。
 東北弁や九州弁の武士は、質実剛健な感じがする。

バッテリーがあがったこと

 夜の九時前まで、お客さんのところで掃除していた。汚れがひどくて手こずったのと、キッチンのシンクの掃除とかを追加でやってくれと言われたのが何箇所かあって時間がかかったのだ。追加の作業は追加料金で受けるから売上げが上がるからありがたい。だからお客にとって無駄な作業でなければ断らない。それに、いつも無料サービスの作業もいくつかしてあげるから、こういうときに追加で売上げをあげさせてもらうのは、罪悪感みたいなものは感じない。

 その日車を停めていたコインパーキングは、朝九時から夜九時まで停めるなら1500円のところだった。そのパーキングには、ときどき仕事でそのやりかたで停めるのだ。お客さんからもらう駐車場代は実費分の1500円だから、それ以上払うのは無駄だと思って、だから九時ちょっと前までには作業を終わらせようと思っていた。
 トイレと窓を掃除して、それから風呂掃除が終わったのが夜八時四十五分。道具を片付けて、お客さんからお金をもらって、急ぐから領収書はポストに入れておきますねと言ってマンションの玄関を出た。

 車に道具を積み込んでエンジンを掛けようとしたら、かからない。
 何度もセルを回したけれど、エンジンは、グッ、グッ、とくぐもった声をだすだけだ。
 昼休みに車の中でパンを食べながら、エンジンをかけずにラジオをかけていた。まちがって後ろのウィンドウの熱線のスイッチを入れていた。そして意味のない空調ファンを回していた。パンを食べた後、本を読みながら一時間くらい、エンジンを掛けずに車の電気を使ってた。それでバッテリーを疲れさせていたのだろう。

 しかたがないから、バスで帰ろうと思った。明日の朝バイクで来て、バイクのバッテリーから車のバッテリーにつないで、車のエンジンをかけようと思った。ナナハンに乗っていた藤沢に住んでいたときは、そういうことはよくあったのだ。新潟県に住んでいるときは、春先にバイクのバッテリーがあがったときは、車のバッテリーにつないでバイクのエンジンをかけたこともあった。

 古町のバス停まで歩いた。途中でバス停があったから、帰りの路線があるかと思って時刻表を見た。ふだんバスに乗らないから見方がわからない。
 若い女がいた。顔を見たら化粧が濃くて、とくにまつ毛を長くしていて、そしてどこかで見た覚えがあるような顔のつくりで、知り合いの女だったかなと思って、二秒くらいじっと見つめてしまった。でも違った。まるっきり知らない女だった。そのとき女は、おれに見つめられたのが困ると思ったような顔つきに見えた。でもどうしてか嬉しそうな顔つきにも見えた。
 京王方面に行くバスはここで乗れますかと聞いた。
 女は、どの女の受け答えもそうであるように、その女もとんちんかんな受け答えだった。女は、勉強ができる女でも、受け答えはとんちんかんな女が多い。
 結果が出ないからあきらめて、近くで開いていた小さな一杯飲み屋に入って、この停留所で京王方面行きのバスがあるかということと、この時間にその方面行きのバスがあるのかを聞いた。飲み屋のおやじはどうしてか嫌がらないで聞いていたけれど、わからないとすまなそうに言った。

 直通のバスに乗るのはあきらめて、新潟駅行きのバスに乗って、それから駅南に歩いて、駅南のバス停で弁天線の南行きのバスに乗って、近くまでの停留所で降りて、そこから歩いた。その夜道を歩いたのは五キロくらいだ。朝から夜まで作業で歩いたり、脚立に登り降りしたり、中腰でしゃがんで作業したりを続けて、腰とアキレス腱が痛くて、歩きながら下半身の感覚がなくなっているほどだった。だけれど、歩かなければ着かないのだから、しかたがないから歩いた。歩いて歩いて、やっとアパートに帰った。

 次の日に行くお客さんには、バスに乗る前に、車のバッテリーが上がって行けません、すみません、別の日にしてくださいとメールをしておいた。翌々日のお客さんにはメールするかどうか迷ったが、次の日で解決するだろうと思ってメールしなかった。

 翌日の朝目が覚めたら、ふくらはぎが痛いなあと思いながら、そうだ、JAFに頼めばいいんだとひらめいた。
 なんだ、それなら昨日の夜に頼めばよかったんだと、ちょっと悔やんだ。会員になっているのに、ふだんはJAFの存在を忘れている。忘れているから電話することもないのだ。
 顔を洗って古町行きのバスに乗った。その前にJAFに電話して予約をしておいた。

 JAFのニイチャンはテキパキと作業してくれて、無事エンジンはかかった。
 ニイチャンに、あなたは新潟市の生まれですかと聞いたら、そうですと言った。新潟市民でもテキパキしている人は少ないけれどいるのだなと思った。
 駐車場の代金は、一昼夜と一時間くらい停めて、昼間のセット代金が1500円、夜中のセット代金が1000円、プラス一時間200円で、2700円だった。

 それからバッテリーを充電しようと思って、小間切れだけど昼過ぎまで、二時間くらい車を走らせた。バッテリーを充電するための一番効率のいい回転数の四千回転になるようにギアを選んで走った。そうしたらバッテリーは少しは調子は戻ったようだ。
 まだ使えるバッテリーを交換するのはもったいないからこのまま乗って、冬になる頃に換えることにしようと思う。

宇宙と心は似ている

 あした七夕だが、宇宙の画像を見たら、フラクタルを思い出して、それならば、世の中で一番小さいものを見たくなって、それは何だろうと思ったら、物質じゃなくて心かなと思って、そうしたら、心と宇宙は、相似の形になっているのかなと思った。
 いちじき、フラクタルに凝ったことがあって、そう思ったのだろう。

 心を、見える形にしようと思うけれど、できない。
 宇宙の形だって、見える形に、できない。
 心と宇宙は相似形だ。
 真っ暗のなかで、自分の知らない光が見えるのは同じだ。
 2012.7.6 これ、丸Cダガシ。

 ということは、心理学と宇宙の学問は似ているのかもしれない。
 学問など、嘘を本当らしく作っているのだから、そうなのかもしれない。
 2012.7.6 これも丸Cダガシ。

自転車の後輪タイヤの交換

 このあいだ自転車をこいでいたら、突然後ろでパンッと何かの破裂音が響いた。尻に当たるサドルの感触が急にゴリゴリと変わって、ああ後ろのタイヤがパンクしたのだなと思った。
 降りてタイヤを見たらぺしゃんこになっていて、もっと近づいてよく見たら、表面がささくれ立っていて、タイヤのゴム全体から何かの糸みたいなものが何十本も飛び出ていた。タイヤがすり減って、チューブがじかに地面にさわってバーストしたらしい。

 ホームセンターでタイヤを買ってきた。980円だった。チューブは捨てるのはもったいないから、パッチを当てて修理することにした。
 まず最初にやったのは、おととい、全体を丸ごと洗剤をつけてブラシで洗った。自転車を修理するにしても、汚れがひどくて触りたくなかったのだ。買ってから、初めて自転車を洗ったと思った。いや、子どもの頃から今まで、自転車を洗った記憶がないから、これが生まれて初めて自転車を洗ったのだとわかった。

 後ろのタイヤを外したことがないから、ネットでやり方を調べた。サドルを下にして逆さまに立てて作業するのだそうだ。あるいは自転車を支える台があれば、後ろを持ち上げたまま立てておけるのだが、そういうのは持っていない。だから逆さまにして作業するしかないか。
 逆さにすると頭がこんがらがって上手にできないと思って、何とかうまい方法はないかと何日か考えていた。
 脚立を立てて紐でぶら下げるか、自転車小屋のはりから紐でぶら下げるか、そう考えていたら、アパートの廊下の窓枠に物干し竿をかけて、それに紐でぶら下げれば丁度いい高さになるとひらめいた。
物干し竿で自転車をつるして後輪を交換
 窓と反対側にはプラスティックの押入れ用物入れボックスを四つ重ねると同じぐらいの高さになったから、そこに物干し竿の片方を置いた。そうして真ん中にビニール紐でサドルのあたりをしばった。窓枠を傷つけないように、物干し竿の下にタオルをたたんで敷いた。

 オートバイの整備はやる気が出るけれど、自転車をいじるのは苦痛でしかない。
 ネットで探したサイトを思い出しながら後輪を外した。
自転車から外した後輪のリムと古いタイヤ
 そのサイトで説明してある自転車より私の自転車は単純な構造のようで、思ったより簡単だった。

 チューブのパンク修理をしたあと、リムに入れるために空気を抜こうとしてムシを外したら、ムシゴムが中でとれてしまった。
 仕方がないからまた車でホームセンターに行って、虫ゴムだけ買ってきた。75円だった。
 中にある古い虫ゴムを竹串の先でほじくって出してから、新しいゴムをつけたムシを入れた。それからホイールにチューブとタイヤを組み込んだ。あたりまえだがオートバイのタイヤに比べれば力はいらない。するすると指だけで入っていく。
左が新しいタイヤで右が古いタイヤ
 左側が新しいタイヤで、右が古いタイヤ。古いほうは溝がぜんぜんない。タイヤの真ん中が白い筋になっているのは、ゴムが減って、地肌が出ているのだ。これで走っていたのだから危険だった。

 古いタイヤを燃えるゴミで捨てるために、ハサミで切ろうとしたら、端っこが切れなかった。ビートに細い金属が入っているようだ。真ん中だけ切りはなして、端っこは燃えないゴミで出そう。

 車体に後輪を組んで、スプロケにチェーンをかけて、リアブレーキのワイヤーのネジを締めて、最後にリアシャフトのボルトを思いきり締めた。オートバイでもそうなのだが、調べたサイトでは後輪が前輪に対して斜めにならないように調整が必要だと書いてあったが、何も調整しなくても、後輪は車体と真っ直ぐになった。偶然なのかもしれない。
 チェーンとスプロケットに、買ったとき以来、五年ぶりに油をくれた。茶色く錆びているから、気休めだろうけれど。
 ムシゴムを買いに行った時間を入れて二時間半もかかった。
 いきなり道路に出るのは怖いから、駐車場で8の字走行を十周くらい走ってから、大丈夫だと思って、道に出てスーパーに買い物に行った。

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