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徒然のブログ

つれづれの思いなどを

網戸の張替えで腕と親指の痛み

 このあいだ網戸の張り替えの注文が偶然15枚かさなった。いつもはお客さんのところで張り替えるのだけれど、数が多くて、そして陽が短くなっているから作業時間も足りなくて、車でアパートに運んで張り替えることにした。大きな網戸は車の室内ぎりぎりの大きさで、何とか工夫して車の中に入れて、頭でささえながら運転して帰った。
 お客さんたちには出来上がりを5、6日みてもらって、あいた時間をつくって張り替えた。だけれど15枚を三日間かけて張り替えたら、右肩から右ひじと親指の付け根と親指の先が、張り終えてから三日間しびれていた。今も親指の先端に痺れと痛みが残っている。張り替えゴムを押し込む道具を、親指の先で思いきり押さえつけるからだ。それにゴムの太さが5.5ミリで、なかなか溝に入っていかないから、さらにまた力を入れなければならなかったのだ。でももう二、三日すれば、痛みもきえるだろうと思う。
 1枚だけサッシから外せない網戸があったから、その網戸だけはいつものようにお客さんの目の前で、外さないで網を張り替えた。

2012年冬の初めての日本酒

 今シーズン初めて日本酒を飲んだ。今シーズンとは、今年の冬になってからということだ。
 また飲み始めの一口を、焼酎のレモン水割りと同じように、がぶりと口いっぱいに入れてしまった。そのまま飲み込むと胃に悪いと思って、あわてて口の中に溜めながら、少しずつのどの奥に流しこんでいった。そのあとはさかずき一杯ぐらいの量を口に入れながら、半年ぶりの日本酒の味を思い出すように、飲んだ。
 この三、四日は急に気温が下がった。寒さがつづいたから、このあいだから日本酒を飲もう飲もうと思っていたのだ。今日はとくに寒かったから、今日だ、と思ってスーパーに行って、いつものcgcの酒を買った。
 一緒にぶりの刺身を買って、父親からもらった茄子のからし漬けと、ほうれんそうの胡麻和えを食べ、飲んでいる。ご馳走だと思う。こんなにご馳走を食べていていいのかと思う。そう思うけれど、それほどこのご馳走の値段は高くないのである。cgcの紙パック入りの日本酒は、2リットルのが880円。ぶりの刺身の20センチくらいのさくは、400円くらいのパックに100円引きシールが貼ってあったものだ。
 この値段でも、充分にご馳走を食べ、飲んでいると思っている。しあわせに食べ、飲んでいると思っている。

 日本酒は一回で400ccくらいを飲む。いつも冷やだ。飲む量をはかるのは、合ではなくて、ccではかる。紙パック入りのだから、ccではかるのだろう。

食べることがおいしいと思った初めての秋

 今年の秋は食べ物がうまいのだ。十月に入ってからの食事が本当に美味しいと感じる。食べたものを口の中で噛んでいると、食べたものの味が口の中で何倍にも広がって、私の舌が喜んでいるのがわかるのだ。
 何回も噛んでのどの奥に飲みこむと、のどの粘膜でも味がわかるような気がして、舌とのどでまた食べ物の味覚を感じるような気がするほどだ。
 こんなことは生まれて初めてのことだ。五十歳になって、初めて食欲の秋というのを実感している。それまでは衣食住などに頓着しないことが格好良いおれの人生だと思ってきたが、食べることが、そして食べ物の味がうまいということが、これほどうれしいということを感じたのが初めてなのだ。
 今の私なら、ご飯に塩をかけただけのものを食べても、うまいと感じるだろう。それは子供のころの遊び疲れて腹が減って腹が減ってそのとき母親がにぎってくれた塩むすびのうまいこと、味噌をつけてにぎってくれたおにぎりのうまいこと、あの味を思い出したみたいなのだ。
 人間とは年をとると味覚が発達するのだろうか。それとも年をとったら食べることに執着してしまうように、人間はメカニズムされているのだろうか。そしてそうならば私も、食べることごときに、人生の価値を見出してしまうのだろうか。それはおそろしいと思っている。

自分の名前で検索してみると

 自分の戸籍名で検索すると、一年前までは私の商売のホームページが一番上に出てきたのに、今は同姓同名の知らない誰かのフェイスブックが先頭に出る。
 それでいいというか、それがいいと思う。自分の名前を検索されて、すぐ私が発見されるのはどうしてか嫌だ。

 自分の名前で見つけたそのフェイスブックを見てみると、いつものフェイスブックを見たときのげんなり感より、さらにもっとげんなりする。
 それは自分と同じ名前の人間が、浅はかで、世俗的な欲望丸出しの人間だらけだからだ。
 だからこれからは、自分の名前で検索しても、そこに出てくるホームページやフェイスブックを開かないことに決めた。

部屋の片付けは三割がやっと

 今日、暑くもなく寒くもないちょうどいい気候だから、やる気が出てすこしだけ部屋を片付けた。
 畳の上に散らかった紙類を袋につめて、置きっぱなしの物を部屋の隅に縦に積んだだけなのだけれど。そしてその下のホコリを箒で掃いただけなのだけれど。
 でもそれだけでも畳が見える面積が増えて、畳の目がすっきり見えて、ああ、片付いた、掃除をした、キレイになった、と自己満足した。
 でも今日した片付けと掃除は、やらなければならないうちのやっと三割くらいなのだ。便器以外の水まわりの汚れがたまっているのだ。便器は、キレイなのだ。二週間に一回ユニットバスで髪の毛を自分で切るときに、ついでに石鹸を付けたトイレットペーパーで便器の内側も外側も、ぜんたいをぬぐって丸洗いしているからキレイなのだ。
 だけれど他の場所を掃除する気がおきない。物も置きっぱなしにしてしまう。たぶん仕事で掃除をしているから、仕事でないときに掃除をしたくないのだ。

維新の会の間違い

 維新の会の支持率が下がっているというが、他の党の国会議員など入れるからそうなる。
 政党の格好をつけたいなどと、政党交付金が欲しいなどと、目先の儲けに走ったからだ。
 目先の欲と既得権益を否定する集まりだと思っていたのに、小ずるさを拒否する正々堂々とした清廉潔白さを信じていたのに、裏切られたと思ったのだ。

 今までなかった新しいことを始めるには、まったくのゼロから始めなければ、自分だけの力で始めなければ、小さく小さく一番小さいところから始めなければ、そして誰も知らないところでゲリラで突破しなければ、すぐに破綻してしまうということの見本だ。
 橋下は頭が悪かった。見損なった。
 今すぐによその政党から来た国会議員と別れろ。

 世の中の人々はストーリーを楽しみたいのだ。
 それは維新の会がゼロから頑張って苦労して苦労して大きくなっていくという物語をだ。
 人々は、頑張って頑張って貧乏でも泥を舐めながら頑張って支持を増やしていく維新の会、というストーリーを楽しみたいのに。
 安易な近道をしたとたんに、見放されてしまうぞ。
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