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徒然のブログ

つれづれの思いなどを

2013年の蝉の鳴きはじめ

 今朝四時に目が覚めたら、蝉の声が聞こえていた。耳鳴りではなかった。
 今年初めての蝉の声だった。薄暗い中で蝉が鳴いている。
 昨日まで雨つづきで、昨夜は晴れたから、土の中から出てきて羽化したのだろう。
 今年は一週間くらい遅い鳴きはじめだ。

吉行淳之介の声

 今夜の『カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス』は、吉行淳之介をとりあげていた。
 番組の中で吉行が『鞄の中身』を朗読しているのがあった。その録音のとき年寄りでもないのに、年寄りみたいな声で、標準語とはほどとおい田舎臭いイントネーションで、自分の作品を読んでいた。活舌は悪く、声は低く、鼻声で、そしてガラガラ声だった。病人のような声だった。タバコの吸いすぎや酒の飲みすぎのような声質だった。タバコも酒もいっぱい飲んでいたからだろう。そう思っていたら、放送でタバコは一日四十本ぐらい吸うと言っていた。ああ、やっぱりと思った。
 だけれどもしかしたら、自分の小説を朗読するのなどこっ恥ずかしいと思って、そしてテレビやラジオに出ることなど馬鹿にしていて、自分はこのことにやる気がないことを、わかる人間だけにはわからせようと思って、そういう喋り方をしたのかもしれないと思った。
 それから吉行淳之介の書いたものは全部読んだはずだけど、そういえば吉行淳之介の声を初めて聞いた。

斉藤凡太『磯見漁師』買った

 今日、注文していた本が届いた。斉藤凡太の『磯見漁師』だ。

磯見漁師・斉藤凡太

 句集だから、あっというまに読んだ。
 俳句より凡太の書いた散文がおもしろかった。八十代の体を張って毎日漁師をしている人に言うのもなんだけれど、可愛げがあるのだ。正直さがあるのだ。凡太だけが持っているオリジナルの感覚が光っているから、引っぱられるんだ。ふとしたあっというまの瞬間に、自分の体が凡太のにぶく光った太いかぎ針に引っかけられたと思ったら、そのまま気持ちよく引っぱりあげられているんだ。

 何年か前のNHKの朝の番組で観て、初めて凡太を知った。すぐファンになった。そのときも、このブログに書いた。
 そうしてこの間の七月十四日と十五日のラジオ深夜便の朝四時からのコーナーに出ていたのを偶然聴いたのだ。凡太の喋る声を聞いたとき、そのとき部屋の中は真っ暗だったけど、枕元に置いた小さいラジオがはしゃいで鳴っていた。その放送で句集を出していたのを知って、買おうと思ったのだ。
 インターネットで調べたら、新潟市立の図書館でも新潟県立の図書館でも置いていたけれど、お金を払って自分のものにしたいと思ったのだ。
 本の購入先をネットで調べた。
 電話をかけたら、ほとんどの新潟市の田舎者どもとは正反対の気持ちいい喋り声を聞いた。
 句集『磯見漁師』の注文先のホームページはここだ。
 届いてすぐ、本の包みに入っていた振込み用紙を郵便局に持っていって、払った。2800円はぜんぜん惜しくなかった。俺が振り込んだお金の一部が凡太さんの財布に入って、晩酌に飲むビールを買う一部分になると思ったら嬉しかった(家では飲まないとラジオで言っていたけれど)。
 本というものを買ったのは、十年ぶりだ。

熱中症で騒ぎすぎ

 ラジオのニュースで、今年はとくに熱中症で死ぬ年寄りが多いと言っている。
 それはその年寄りは死ぬ頃合いだっただけで、たまたま死ぬきっかけが熱中症だっただけのことだ。
 それをエアコンがなかったからだとか、水を飲まなかったからだとか、一人で暮らしていたからだとかというのが、笑える。
 エアコンのスイッチを入れなかったのも、エアコンを設置しなかったのも、エアコンを設置するお金を用意できなかったのも、扇風機を買わなかったのも、買ってもスイッチを入れなかったのも、窓を開けて風を入れなかったのも、雨で窓を開けられなかったとしても玄関ドアは開けられたはずなのに開けなかったのも、水を飲まなかったのも、塩をなめなかったのも、一人で暮らしていたのも、その年寄りがみずから選んで行動した結果のことだ。誰からも強制されたことではない。
 その年寄りの姿は、私の行く末でもある。
 私の人生の姿は私が選んで行動している結果の姿だから、誰の責いにもできないし、したくない。

夏は電子レンジで調理

 火を使わない料理というホームページがあって、それを見て、この五日間電子レンジだけでおかずを作っている。
 鮭の切り身、豚肉の小間切れ、鶏肉、そういう肉に、ピーマンやニンジンやたまねぎの細そ切りを乗せる。塩こうじやソースや醤油をたらしてから、ラップをかけて五分くらい電子レンジで暖めると、できあがりだ。
 まずくもないから、何度もやっている。味になれる。

 電子レンジばかりを使うのは、原発をやめろというのと矛盾するのではないかと恐れるのだけれど、何十分も使うわけではないし、エアコンも使っていないし、テレビも見てないし、元から他にも電気を使わない生活なのだから、電子レンジを少しばかり多めに使っても、原発反対と言ってもいい。
 それにガスを使っていないのだから、地球にも、人間にも、それほど負担はかけていないだろう。

 来月払う電気代はどのくらいなのか、使った電気はどのくらいなのか、頭に記録しておく。

原発を再稼動させないためと、東京憎しの思い

 原発をまた動かせと東京の人間たちが言ってきているが、イヤだ!
 事故になったらどうしてくれるんだ?
 そして関東で使う電気をなぜ新潟県で作らなければならないんだ? それも危険をおかして。
 これは、俺はエアコンをつけて涼しく過ごしたいから、そのために原発がいるけれど、そのために原発の事故がおこってお前たちが死んでも仕方ないよと言っていることだ。自分がラクをしたいために自分以外を殺すという心だ。
 お前は俺のために死ねと言われて気持ちいいか?

 これは東京の人間が横暴に東京以外の人たちの生活をおびやかしていることだ。断固東京と喧嘩したい。
 関東で使う電気は関東で作れ。それがスジミチだ!
 原発が安全なら東京湾に作って稼動しろ。

 しかし東京と喧嘩すると、最悪のケースは新潟県が日本国から独立しなければならないが、それは世界の他の国々から賛同は得られないだろうから、独立はできないだろう。
 とすれば東京をやっつけて、東京を新潟県の支配下に置かなければならない。でもそうするとアメリカが黙っていないだろう。武力でアメリカにはかなわないから、これもできない。

 となれば、のらりくらりと東京が言ってくることに反対することしか今はできない。
 沖縄県もたぶんそういう思いなのだろう。
 しかし沖縄の基地問題は原発の問題より直接命にはかかわらない。アメリカ軍の基地があっても、アメリカの飛行機が頭の上を何機も飛んでいても、大地震や大津波がおこっても放射能がじくじくと漏れることはない。
 大阪都構想というのも、これに似た思いから出たのかもしれない。東京の横暴さが憎いという。

 新潟県を独立させることができないまでも、東京の力をそぐためには、代議士を新潟県からいっぱい出して、その中でも総理大臣になるような人物を送り出して、国会を牛耳って、そうして新潟県を首都にするぐらいのことをやらなければならない。
 もしかして田中角栄はそう考えていたのかな。だからアメリカにやっつけられたのかな。
 だけど田中角栄は世俗の欲望が強すぎた。あの目白の邸宅の広さを見ろ。長岡市の信濃川の河川敷の広さを見ろ。金の亡者だ。角栄には共感できない。アメリカと東京と同じ穴のムジナだ。だから同類のアメリカにやっつけられたのだろう。

 アメリカと東京に勝つためには、アメリカと東京とは違う価値観で生きることだ。今自分にできることは、世俗的な欲望など捨てて、もちろん電気など最低限しか使わずに、地べたを這いつくばって、泥を舐めながら、その場所からものを考えながら、何かを始めることだ。

方向指示器をおざなりにするのは自閉症

 この三十年くらい前から自動車もオートバイも方向指示器がすごく小さくなっている。点滅しているのかどうかがわからない。
 レース車は方向指示器が付いていない。その真似をしてウィンカーを小さくしているのだろう。
 ヘッドライトやブレーキランプのすぐ近くにウィンカーを付けている車も多い。それは見た目だけのデザインを考えているのだろう。ヘッドライトやブレーキランプの光力に負けてウィンカーが見えないのだ。
 だけれど本当は、他人様に配慮するという考えがなくなっているからウィンカーを小さくしているのだ。自分の行く先を周りに知らせなくてもいいという自分勝手さが浮き出ているのである。
 それと、周りとコミュニケーションを取ろうという考えもなくなっているから、方向指示器をおざなりにしているのだ。
 そうしてそもそもウィンカーを出さない人間も多くなった。
 危なくてしょうがない。
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