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徒然のブログ

つれづれの思いなどを

会計ソフトの掲示板を見る楽しみ

 確定申告はこのあいだすませたが、いつも使っている経理のソフトで簡単に青色申告ができている。
 その会計ソフトには使い方の掲示板があるのだが、その掲示板は使用方法の質問だけに限定しているのだけれど、そこにはいつも頭が悪くて自分勝手な書き込みがある。簿記の質問をしてくるのが大勢いるのだ。
 その会計ソフトを作って、掲示板の質問に答えているのは税理士なのだが、税理士の商品である、簿記の知識と技術をタダで聞こうとする根性が、ゲスだ。掲示板の案内文には、「この掲示板はソフトの操作方法の質問に限定させていただいております。簿記に関することはうけつけていません」と書いてあるにもかかわらずだ。

 青色申告の会計ソフトを使うのは個人事業主がほとんどだが、馬鹿で泥棒根性の人間は、頭が悪いのだから商売は立ちゆかずに廃業することになるだろう。そういう馬鹿で自分勝手な人間を相手にすると、自分の商売上でもマイナスになるから、掲示板でも相手にしたらいけない。
 だけどその掲示板をときどき見にいくと、ああこんなに馬鹿な人間がいるんだなあ、こいつらは来年あたり自己破産でもするんだろうなあと、おもしろく見られて、気分転換になる。

雪国の冬場の野菜は白菜と大根

 太平洋側に大雪が降ってざまみろ、たまにはいいぞと思っていたが、山梨県の道路で立ち往生していた車の運転手が、車から降りて歩いて帰っていたら凍死したそうで、笑い話ではなくなった。関東地方では百年に一度の大雪だそうだから、自己責任論者のダガシでも、この雪で凍死した人には車で外出しなければよかったじゃないかとは言えない。それに、昨日今日の雪では、関東でもたまには大雪も降れとはいえない量だ。

 新潟市では今日もほとんど雪は降らなかった。むしろときどき陽がさしてあたたかいくらいだった。雪はぜんぜん積もっていない。スーパーに買い物にいったが、野菜がいつもどうり売られているのだった。白菜やキャベツ、にんじん、ほうれん草があふれんばかりに並べられていた。それは99パーセントは群馬県や茨城県の関東地方で生って、そこから運ばれてきたものだ。雪が降らない地方で栽培されて、雪が降って野菜がとれない場所に運ばれてきたものだ。冬場に野菜がとれない場所に住んでいる私たちは、それで野菜を食べることができる。野菜をつくってくれる人と、それを運んでくれる人がいるから、いろんな野菜を食べることができる。ビタミンや食物繊維を摂取することができる。

 子供のころは冬に食べる野菜は白菜と大根だけだった。毎日白菜の漬物と煮た白菜と、たくわんと、たくわんの油炒めと、大根の煮物だけだった。他には、じゃがいもや里芋の煮物が食卓に出るのだった。毎日毎日またかと思ってたべていた。でもそれしか野菜がないのだから仕方がないのだと今ではわかる。
 野菜の保存方法は、雪の中にむしろでおおった白菜と大根をうめておき、一冬越すのだ。母親といっしょに雪を掘る。むしろが見える。むしろをはぐと白い茎に土がついた白菜や大根が顔をあらわした。それで野菜を摂取するのだ。それが雪の降る場所はあたりまえのことだったのだ。それともっと小さいころは、押入れくらい大きいたるに、家で味噌を作っていた。それが調味料だったのだ。
 今はスーパーに行けば、赤い野菜、白い野菜、緑の葉ものが山になっている。夏の野菜のピーマンやなすやトマトでさえも売られている。これはほんとうは異常なことなのだろう。
 明日は、白菜の味噌味の煮菜をつくってみようと思う。

アーティストとアルチザンとゴーストライター

 このあいだ、今ベートーベンということで世間をだましていた男がいるのを知った。テレビを見ないからそんな人間がいたのをまるで知らなかった。
 耳が聞こえないのにオーケストラを作曲しているとして売り出して金儲けをしていたそうだが、その本当の作曲は有名音楽大学の教師が代わりに作ったものだったそうだ。その耳の聞こえない男をあつかったテレビ番組をYouTubeで見てみた。死刑にしたいくらい汚らしい詐欺だけれど、だけどものすごいプロデューサー能力じゃないかと感心したのだけれど、番組の映像を見たら嘘っぱちだとすぐわかるものだった。もう、その男の全体が胡散臭い嘘の固まりだった。そして嘘のところどころの細部の詰めが甘いのだ。頭が悪いのだろう。インターネットで、男は商業高校出だとあった。学校の勉強でさえできないんだから、自分の仕事の細部の詰めが甘いのだろう。そしてそのころからいつも嘘を言う人間だったと同級生から言われていたそうだから、頭が悪くて性格も下劣なのだ。だからこういう詐欺をしたのだろう。警察はちゃんと働けよ。

 ベートーベンを真似ていた嘘だらけの男に使われていた本当の作曲者の記者会見もYouTubeで見てみた。正直に話しているように感じたのだが、この男も好きになれない。
 大学を辞めさせるなという、インターネットを使った学生からの署名運動のサイトも見てみて、先生を守れという何千人もの署名が集まっていた。その文章を読んで、うかつにも涙が出た。でも、作曲者の記者会見の物言いで、この男の無神経さが鼻についた。その根本的なわがままさと自分勝手さが透けて見えたのだ。それは音楽家がもつ、ものごとに心底悩もうとしない自分勝手さと、客観性をもてない頭の悪さなのだろうと思う。
 この作曲者の本来名義である曲をYouTubeで聴いてみたが、武満徹をはじめて聴いたときのわからなさがよみがえって、なんだか腹が立った。現代のクラシックはまだこういうわけのわからなさを売り物にしているのかと思った。
 だけれどそれが芸術なのだというのは共感する。誰も知らない世界を突き進むということが芸術の一つの価値だと思うし、そういうことを突き詰めると無調とかいう騒音みたいな、発作みたいな音を出すものになるのかもしれない。
 作曲者は、普段の彼は音楽の芸術性を追い求めていて、今ベートーベンの詐欺師名義で書く雰囲気の商業的な曲など小馬鹿にしていたか、お遊びの息抜きのつもりで作っていたのだろう。だからその曲での金儲けは求めなかったのだろうし、著作権もいらなかったのだろう。
 芸術家がときたま生き抜きに職人的な仕事をするのは、彼にとって必要なことだろう。それがゴーストライターであったとしても、誰かを損させなければ許されるだろう。

 ゴーストライターの作曲者は、記者会見で正直にありのままをしゃべったことと、そのことで世間に真実を伝えたことは価値があるから、罪一等を減ずるということで、これ以上責任を追い詰めなくてもいいと思う。だけれど、詐欺の片棒をかついでいたのだから、けじめとして大学の教師はいったん辞めさせなければならないと思う。一、二年食うや食わずの貧乏生活をさせてから、また大学で雇えばいい。
 偽せベートーベンのほうは、障害者をよそおったのだし、そのやり口が汚らしいし、その演技も下手で頭の悪いところが共感できないから、それに何しろ学校の勉強さえできなくてうまく立ち回ろうとするだけの人間は嫌いだから、きっちり牢屋に入れろ。

持ったものを落とすようになった

 今年に入ってから、持ったものをよく落とすようになった。新しく買った中古のノートパソコンを持ち上げたときに、机に落とした。
 それからスーパーでつり銭を受け取るときに二度小銭を落とした。百円玉を落としたのだ。いつものように新潟市の馬鹿女が投げやりにおれに渡したのだが、今まではそういうときでも落とさなかったのに。そのほかにも、なにかを持ったときに落としそうになったことが何度もあった。
 年をとって指先の感覚がにぶったのだろう。正月をとおして重いものを持つことがなかったからもあるだろう。だからこのごろは、ものを持つときには指先に力をいれることと、指の関節をしっかり曲げることを意識してしっかりつかむようにしている。
 きのう、百円玉を落としたところと別のスーパーで、おれがつり銭を取り忘れたといって百円玉を後で渡された。探していた物を見つけたようにうれしかった。その女店員が美人に見えた。

ひさしぶりに風呂屋に行ったこと

 おとといの朝、蛇口のお湯が出なくなった。あまりに寒くて給湯器の中の水が凍ったのだろう。水のほうはいつもどおり出たから、口をゆすいで水をのんだ。
 おとといもきのうも、そして今日も、最高気温でさえもマイナスがつづいて、水はとけなかった。だからお湯は出ない。だからシャワーは浴びられなかった。
 体が洗えないから、ガスコンロでお湯をわかして、それでタオルでからだを拭こうかと思ったけれど、ふと、銭湯にいけばいいんだ、と思った。
 ネットで探して、近くにあるのがわかったから、よろこんで行った。
 午後三時ころに行った。おじいさんだらけだった。顔にしわがある色の白いおじいさんがいっぱいいた。新潟市によくいる、目が細くて、女にしたら日本美人になるような顔のおじいさんたちが、白いかぶがいくつもお湯に浮いているみたいに広い風呂に顔を出していた。
 銭湯の料金は390円だった。高いような気もしたけれど、大学のときにかよっていた東京の銭湯が200円から240円だったのを思い出して、あれから三十年たっているんだから240円が390円になったのは自然なことだろうと思った。
 お湯からあがってバスタオルで体をふきながら、脱衣所の向こうの女湯のほうから聞こえる声を聞いていたら、おばあさんの声ばかりだった。

 追記というのをかく。今夜九時すぎにお湯の蛇口を開けてみたら水が出た。とけたようだ。
 今朝から風呂場のお湯の蛇口のほうを開けておいたのが水が出ていたのだ。だから大丈夫だろうと思って給湯器のスイッチをいれたらお湯になった。明日はシャワーをあびる。

またおばけが怖くなったこと

 引っ越して別のアパートで寝るようになったら、昔みたいにおばけが怖くなってしまった。五十をすぎているのに。
 暗い場所が怖いのは子供の頃からなのだが、それでも自分が寝起きしている部屋だけはおばけは出ないと思って怖くはなかったのだ。それが今、夜中におしっこに起きるとき、部屋のふすまを開けて暗い台所を見るのが怖い。窓からの薄明かりが怖いように思う。窓から誰かが見ているような気がするのだ。
 誰も覗いているわけもないのは頭ではわかっているのに、窓を見るのが怖い。それは自分が何か悪いことをしているような後ろめたさがあるのかもしれない。
 だからキッチンの窓にブルーシートでおおいをした。だけれどブルーシートは明かりをとおして窓が変に光るから、また怖くなっている。小さい窓だから遮光カーテンをかけるほどでもないから、窓をダンボールでふさぐことにするかもしれない。でもそれだと窓が開けられなくなるからしないかもしれない。

 どうして自分が寝起きしている場所が怖いのだろう。おかしいじゃないか。
 前のアパートに十三年も住んでいたからかもしれない。一つの場所にそんなに長く住んだことはなかったのだ。ずうっと転勤づとめだったから、それまで二、三年おきに引っ越していたのに、勤めを辞めて、その後そこに長く住みすぎたから、そこになれすぎてしまったのかもしれない。
 今の新しい場所が、自分の住みかだと思えなくなっているのだろう。それとも他になにか自分の知らない原因があるのかもしれない。

 三十五のとき、やっとおばけを怖くなくなったのは、岸田秀の『ものぐさ精神分析』を読んだからだ。おばけというのは自分の妄想が作り出した幻想なのだということが書いてあって、それを知って、怖くなくなった。だからもういちど読んでみようと思っている。
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