FC2ブログ

徒然のブログ

つれづれの思いなどを

100円ショップのブラシのサイズが小さくなった

 久しぶりに百円ショップに行って清掃用のブラシを買ったら小さくなっていた。
 買ってきて車の中で手持ちのブラシと比べたら、やっぱり新しい方は一回り小さかった。
 たぶん中国で作っているのだろう、円安とか中国と不仲とかで原価が上がったのだろう。だから同じ値段で売るためにサイズを小さくしたのだろう。
 売ってもらえるだけ、作ってもらえるだけ、ありがたい。このブラシは百円ショップしか売っていないのだ。毛の先がとがっていて、毛が適度に硬くて、素材はすべてプラスティックでできているから強いアルカリ洗剤でも酸性洗剤でも平気で使える。こういう形のブラシが百円ショップでしか売っていないのは不思議だ。いろんなところで売られていれば、買うのに便利なのに。でも百円で安く手に入るのだからありがたい。
 タイとかラオスとか東南アジアの国で作るようにすればいいと思う。そうしてなるべく安く、そしていつでも買えるようにしておいてもらいたいと思う。そのためには東南アジアの国と仲良くしておかなければならないだろう。東南アジアの人と接したことはないが、もし個人的に会うことがあれば、嫌われないようにしたいと思う。
 そうして今日スーパーで買った袋入りのおでんも、去年のよりもネタの数が減っているし、一つひとつが小さくなっていた。消費税が上がって、何でも原価が上がってしまったから仕方ないのだろう。一人で食べるから、去年まで食べ切れなかったから、量が減ったのは、かえっていい。
 でもブラシもおでんも、小さくしてもいいけれど、質だけは落とさないでほしい。

三浦由紀江という人のビジネス書を読んだこと

 三浦由紀江という人の書いたビジネス書を読んだら共感した。
 内容に共感しただけじゃなく、三浦という人の書く文体が気持ちよかった。素直なのだ。正直な子供が飾りけなく自分の気持ちをあらわしているような文章なのだ。
 そのすぐ前に純文学の本を読んだのだが、感覚がするどいという方向だけにむかった言葉の羅列で、中身が何もなくて、ただ当たり前のことを得意げに書いている小説を読んで、そいつにうんざりしていたところに三浦由紀江の本を読んだから、よく眠って起きた、晴れた朝のような気持ちになれたんだ。
 世の中の純文学もビジネス書も、そのほとんどが馬鹿でつまらない中身の本ばかりなのだけれど、何年かにいっぺんぐらい感動するものを見つけて、自分が生まれ変わったような気持ちになれることがあるから、読んでいる。

 三浦由紀江という人の『1年で売上を5000万アップさせたパート主婦が明かす奇跡のサービス』本の中でメモすべきところを写しておく。

「お客様に声をかけるときは、作業をしながらかけてください。かしこまった感じでお客様に近づき、どのようなものをお探しですかと声をかけたら、お客様は身構えてしまいます。」

「店長にとっては発注業務もノートをつけるのも、普段のパート業務以外の仕事になりますが、その分、店長手当てとして毎月決まった額を支給することにしました。超過勤務にすると、家で仕事をする人は損をするし、仕事の遅い人のほうが稼ぐことになってしまうので不公平です。そこで一律に店長手当てをつけることにしたのです。
 この仕組みをつくることで、スタッフのモチベーションは上がりました。自分たちが好きなものを売って、なおかつ店長手当てをもらえるのですから当然です。」

「報告はできるだけ早いほうがいいと思ったのです。会った人や見たことの感想はその場で書いておかないと、会社に帰ってきたら忘れてしまいます。訪問直後にメモした文章にはわれながらものすごく臨場感がありました。そういう文章は後で書こうと思っても絶対書けません。」

 三浦由紀江という名前でググッたら、何年も前からメディアに取り上げられていたようだ。そして最近病気になったようだ。良くなってほしい。
 三浦由紀江は俺の好きな気持ちの人だし、俺の好きな顔の美人だ。

俺が駄目だと思った店はつぶれている

 ウオロクは駄目なスーパーだ。レジで待っていると、レジ係が次の客に意味なく「しばらくお待ちください」と言って形式的な会釈をする。その会釈には心はこもっていないカタチだけの格好の頭の下げかただから、腹が立つ。店員はその会釈をした後に、次の客の買い物カゴをレジの方に引き寄せる。これも無駄な動作だ。安売りをしなければならない食品スーパーで、無駄な行為、動作を増やして喜んでいる頭の悪さに反吐が出る。しかもレジが混んでいるときも無神経にそれをやりやがるから無駄に時間がかかって、なおさらレジが混むのだ。まったく始末におえない。
 そのことをレジのオバサンに何回も注意したが変わらない。上から指示されているらしい。だから店長にも二回根拠を教えてそういうことはやめろと言ったが、変わっていない。
 デパートじゃないんだよ。ウオロクは安売りを目指すスーパーでしかないんだよ。安売りをするためには経費を抑えなければならないじゃないか。経費を抑えるためには無駄なことはしていられないじゃないか。それに反していることをやって喜んでいるから腹が立つんだよ。カタチだけの丁寧さインギンな仕事をしたかったらデパートに勤めればいいじゃないか。と言ったが理解できなかったようだ。
 ということはウオロクは馬鹿ばかりだ。なぜ馬鹿ばかりだとわかるかは、今年の三月十一日に行ったとき、ちょうど三年前に大震災があった時刻で、そのときの店内放送で、「黙祷をさせていただきます」と、自分勝手な物言いの「させていただきます」を連呼していた。
 誰からも強制されていない自分の意思でする行為を、「させていただく」などと言う馬鹿者は、頭が悪いから客観性をもてない。客観性を持てないから自分勝手だ。自分勝手だから自分さえよければいいと思っていて、自分さえよければいいと思っているから泥棒根性で、泥棒根性の奴に近づくと、そいつにいいようにやられる。
 それに、店内放送で黙祷することを大仰に言いまわっているいい子ぶりっ子に虫唾が走るのだ。あざといのだ。殴りたくなるのだ。そしてそういう馬鹿で泥棒根性は新潟市民の特徴だ。いや日本国民の特徴だ。
 だから、スーパーで一番距離が近いのにウオロクにはもう何ヶ月も買い物に行ってない。これからも行かないだろう。
 チャレンジャーにはよく行くようになった。
 昔はチャレンジャーの店員は不良っぽくて嫌いだった。態度の悪い店員には何度か怒鳴りつけたこともあった。でも引っ越してきて行きだした近くのチャレンジャーは違った。店員は頭が良さそうだ。気持ちのいい笑顔で接する店員が多い。それは不思議なことに若い店員に多い。まったく不思議だ。店長がとっても頭がいいのか。店員たちの給料がいいのか。どっちもなのだろう。もしそれが本当にそうなら、新潟市でも一番の安売り店なのに従業員の給料が高いというのは素晴らしいことだ。
 チャレンジャーの自然な笑顔の店員たちの顔つきは、演技をしてるようには見えない。演技なのだろうがそれを感じさせないだけの演技力がある。ということは頭がいいということだ。それに育ちが良く見える。世の中のほとんどの人間が大嫌いな俺も、友達になりたいと思ってしまう。不思議だ。
 そういう店員は品出しの手もテキパキと動いている。それを見るのは気持ちがいい。一人だけ鮮魚売り場の中年の男がいわゆるDQNでときどき殴りたくなる。だが店の中で態度が悪いのはその一人だけだから我慢している。そいつはいずれ辞めさせられるだろうと期待している。
 今まで俺が駄目だと思った店、会社は、すべて廃業、閉鎖している。イトーヨーカドーのあの店、清水フードセンターのあの店、スーパーフジミ、その他たくさん。ウオロクのあの店もそうなるだろう。

オートバイに乗るのは一日四時間くらいがちょうどいい

 十月十一日土曜日と、十二日日曜日に、つづけてバイクに乗った。
 乗ったのは十一日は三時間、十二日は六時間だったけれど、二日間たっぷり乗ったと満足した。
 二時間も乗っていると右ひじと両ひざが痛くなるから、休み休み乗らなければならない。昼をまたいで乗るならアンパンを食べるために小一時間休む。それ以外にも一時間おきに止まって、痛風予防のために水で薄めたジュースを飲む。景色がいいところを見つけたらすぐに止まって、山や空や雲を見る。おしっこをしたくなったら田んぼや畑のわきに止めて、する。そうやって体をやすめながら乗るのだ。
 一日に乗る時間は、たくさん休憩しながら、六時間くらいがちょうどいい。そうすると午前十時に出発して、午後四時に戻ることになる。この季節は五時ころには陽が沈むから、帰ってバイクを拭いてカバーをかけたりすると暗くなっていてちょうどいい頃だ。いや本当は、四時間くらいがいい。昼頃に出て四時前に戻ってくるのが、体に負担をかけないからちょういどいい。
 大昔は十二時間以上もぶっつづけで乗っていた。それは今では嘘のように感じる。公道では白バイ以外は自分より速く動けてすぐに止まれる乗り物はいないと思って王様気分で走っていたから、精神的に疲れなかったのだろう。だから長い時間乗れたのだろう。今はスピードを出すのが怖いし、高い場所やトンネルが怖いから、車の流れに乗れない。だから後ろが何台もつかえてきたら、わきに寄ってたまった車を先に行かせる。いつも前方よりも後ろに気をつかって走っているから、体より精神が疲れる。だけどもう大きなバイクをあやつって乗りこなす体力も反射神経もない。だからニーハンがちょうどいい。それに大きなバイクにただ漫然と乗っかって走っているのはおもしろくないし。
 オートバイのほうは、九月に水抜き剤を入れてエンジンの吹けが戻ったのが、そのまま好調がつづいている。それでも機械のほうにも、無理はさせないほうがいいと思っている。

10/6(月)左足の土踏まずに軽い通風発作

 初めて左足に痛風がきた。十月六日月曜の朝、ベッドから降りて足を着いたら、左足の土踏まずが少し痛かった。
 また痛風かと思ったけれど、いつもだったら右の土踏まずが痛くなるのに、今回は左足が痛いのだ。痛風でなくて、仕事で脚立を上り下りしたから、筋肉痛なのかなと思った。
 でも一週間前からおしっこが臭かったし、鼻の両脇と耳の後ろも臭くなっていたから、尿酸がたまっていたのだろう。それに日曜日の夜は、金玉がとても臭かった。トイレにおしっこに行ってパンツを下げたら、酸っぱいような変な臭いがしたから、ちんちんと金玉のどっちが臭いのかと思って、それぞれを指でさわって、指を鼻に持っていって確かめたら、ちんちんは臭わないのに金玉が異様に臭かった。
 尿酸がたまるとおしっこが臭くなったり、鼻のわきや耳の後ろや、金玉が臭くなるのかは知らないが、今までの痛風発作のときもそうだったからそうなのだろう。
 そして発作が出たキッカケは、前の日の日曜日に、スーパーで買ってきた惣菜をつまみに、昼から焼酎を飲んだのが悪かったのだと思う。それもその日は昼ちょっと前まで寝ていて、起きてからスーパーに買い物に行き、帰ってきてそのままご飯も食べずに焼酎を飲みだしたのだから、体にいいわけがない。
 五月の痛風発作が長引いたから、あれから酒は少なめに飲んでいたし、日曜日も自分ではそれほど飲まなかったと思っていたけれど、昼から夜までちびちび飲みつづけたわけだから、けっこう大量に飲んだかもしれない。たぶん飲んだのだろう。それが発作のキッカケになったのだろう。怠惰な生活をしてバチがあたったのだ。だけどときどき怠けた生活をするのは本当に気持ちがいいから困る。
 それに最近は涼しくなって汗もかかなくなったから、水を飲む量も減っていた。だからおしっこを出す回数も減っていた。尿酸値を下げるのにいいというジャガイモもワカメも、油断していてあまり食べなくなっていた。それでおしっこが臭くなっていたのだろう。そして昼間から酒を飲んでうまいものを沢山食べすぎたのが引き金になったのだろう。
 だから月曜の朝、あわててジャガイモを切って電子レンジでチンして食べた。ワカメも水で戻していっぱい食べた。朝と夜に大量に食べた。バナナを買ってきて食べた。水も大量に飲んだ。痛風のホームページには一日二リットルを飲めと書いてあるが、暇さえあれば水を飲んだから、三リットルは飲んだと思う。おしっこも何回も行ったし、いっぱい出た。このおしっこの中に憎い尿酸が体から溶けて流れて出て行くのだと思いながら、何回も何回もおしっこを出した。
 そうしたら月曜、火曜と痛かったのが、水曜の朝には土踏まずの痛みはうすれていて、その夜には痛くなくなっていた。だから昨日の木曜日にはオートバイに乗った。月曜と火曜の痛みも、五月の発作のときよりは軽かった。部屋の中で杖を使うほどでもなかったし、階段も上り下りできた。痛くなったらすぐに、ジャガイモとワカメをたくさん食べて水をいっぱい飲んだのがよかったのだろう。
 おしっこの臭いも、ジャガイモとワカメと大量の水がきいたのか、火曜日には臭みはなくなっていた。鼻のわきと耳の後ろの臭いもしなくなった。金玉も臭くなくなっていた。何を食べるべきかというのは、体にとってだいじなことなのだとあらためてわかった。
 酒のことだが、今回は発作中でも禁酒はしなかった。薄い焼酎割りを二、三杯飲んでいた。アルコールは少しぐらいは飲んでもいいのか、それとも軽い発作だったからなのか、禁酒しなくても治ったのが助かった。

 痛風のサイトでぐうぜん見たのだが、納豆というものはプリン体が多くて尿酸値を上げるものらしい。
 この十五年、毎朝納豆を食べていた。さぞかし体の中に尿酸がたまっていたことだろう。それで水曜、木曜、金曜と納豆は食べていない。それも痛みをとるのには良かったのかもしれない。
 しかし豆類は栄養があるし、納豆は体にいい食品だという。だから食べたいのだ。豆腐はどうだろうか。同じ豆を使っているから悪いのだろうか。他の豆はどうだろうか。お菓子の甘納豆はどうだろうか。そんなことを悩む。
 その後他のサイトを見たら、納豆は一日一パックを食べるくらいなら尿酸値を上げることはないと書いてあった。冷蔵庫の中には納豆のパックが三個残っている。賞味期限は十月十五日だから、もうちょっと足の痛みの様子を見てから食べるつもりだ。
 しかし今回どうして痛風の痛みが左足の方に来たのかはわからない。

バイクのギアが入らなくなったこと

 やく一か月ぶりにオートバイに乗ったら、ギアが固着していた。今年の九月は雨がつづいたし、このあいだ台風で大雨が降ったし、さいきんの一週間で急に寒くなったから、バイクのオイルが固まったのかもしれない。
 クラッチをつないで走りはじめて、一速から二速に上げるのは何とかなるのだが、三速に入れられない。
 近くの駐車場で十五分くらい低回転で走ってみたけれど、三速には入ったが四速には入らない。
 エンジンオイルを替えてみようかと思ったけれど、替えてから1000キロも走ってないからもったいないし、オイルが固まっているのなら外に流れ出てくれないだろうと思って、このまま様子を見ながら走ることにした。
 駐車場から公道に出た。街中でスピードを出さないから三速だけですむ。ゆっくり走りながら、いつもより頻繁にギアを入れ替えながら走ってみる。
 一時間、30キロくらいを走ったら、五速にも入るようになった。おしっこをするためにエンジンを切ったり、昼食を取るために休んだりしながら、二時間、50キロくらい走ったら、ときどきギア抜けしたり、四速から五速のシフトアップは渋い感じがするけれど、全体的なギアチェンジはスムーズな感触に戻った。三時間、70キロを走ったら、前みたいにギアはスコンスコンと入るようになった。
 たしか一昨年も、こういうことがあったと思う。その時と同じだ。
 今、ふだん駐車しているときにギアは一速に入れているのだが、それは地震があっても動かないようにと、もし盗まれるようなことがあったら、ギアが入っていれば、少しでも持っていかれるのが遅くなると思うからだ。
 前にギアが固着した時は、それから駐車のときはギアは入れないようにしていた。ギアを入れっぱなしがギアのために良くないのかはわからない。だがギアを入れないで駐車していたときは、長くエンジンをかけなくても一回もギアが固まったことはなかった。今の場所に引っ越してからは、またギアを入れて停めるようにしたのだ。
 これからは、バイクが動かないようにするためにはタイヤに車止めをはさむことにして、ギアはニュートラルで駐車することにする。

テニスが一番体が疲れるスポーツ

 前から思っていたのだが、一番疲れるスポーツはテニスだと思う。
 試合中の動きはジョギングや小走りというのはなく、すべてダッシュだ。
 そのダッシュを二時間から三時間も続けるのだ。サッカーよりスタミナを使う。
 ラケットを持っている手は、振るときは全力で振る。
 振るのは手だけじゃなくて、腕も、肩も、全身を使ってラケットを大きく振る。これは野球のピッチャーより重労働だ。
 テニス選手は、俊敏さも、持久力も、頭脳も、体を全部使って長い時間を強く動かす。

壊れたと思った機械るいが直ったこと

 このあいだお客さんの家でエアコンクリーニングをしていて、熱交換器や送風ファンに洗剤を塗ってこすり洗いをした後に、水をかけてすすごうとして高圧洗浄機のスイッチを入れたら、水が出なかった。すすぎができないから、そのままだとエアコンの熱交換器に付けた洗剤を洗い流せない。洗剤を洗い流さないと、付けた洗剤はとてもアルカリ性が強いものだから熱交換器のアルミニウムが溶けて壊れてしまう。
 困って、どうしようかと考えて、知り合いの掃除屋さんに電話をかけた。今、手があいたら来てもらえないか、高圧ポンプを貸してもらえないかと、頼んだ。
 掃除屋さんは、その時お客さんの前でする仕事ではなかったらしく、していた作業を切り上げて、自分の家に高圧ポンプを取りに行って、持って来てくれた。掃除屋さんが来るまで、私は今自分ができることをしようと思って、熱交換器のアルミに手動のスプレーで地道に水をかけつづけた。
 一時間後に掃除屋さんが高圧ポンプを持ってきてくれて、それですすぎをしてエアコンクリーニングは無事終わった。お客さんには大幅に時間をかけてしまったことを謝った。掃除屋さんにはお礼を言って、お金を払った。そうして帰った。
 すぐに新しい高圧洗浄機を買わなければならない。

 帰ってラジオを聴こうとしたら、選局を記憶しているスイッチが動かなくなっていた。記憶している周波数を出せないだけで、手動で選局すれば聞きたい放送局は変えられるけれど、面倒だ。
 新しいラジカセも買わなければならない。

 次の日の朝、固定電話をかけようとしてボタンを押したら、途中でダイヤルが止まった。何度やってもかけられない。電話機も壊れたようだ。調べようと思って、自分の携帯電話から固定電話にかけてみたら、かかる。固定電話からは、かけることはできないが、受けることはできるようだ。でも電話機は仕事で使っているから、これでは困る。
 すぐに新しい電話機も買わなければならない。

 その夜ヤフオクを見て、高圧洗浄機と、ラジカセと、ファックス電話機の、安くて良さそうなものを物色した。これとこれとこれを落札しようと、目星をつけておいた。
 でも次の日、エアコンクリーニングの洗浄機がもし直るなら自分で直してみようと思って、やってみた。説明書のすみっこに小さい字で、「吸入弁が固着して給水しない時は給水口の中に棒を突っ込んで弁を軽く突つく」と書いてあった。やってみてスイッチを入れたら、水が勢いよく出た。あっさりと直ったから、買う必要がなくなった。
 電話機もよく見てみたら、本体のわきに小さなボタンがあって、トーンともう一つ何かの切り替えのボタンで、それをトーンの方に動かしてみたら、今までどおりにかけることも受けることもできるようになった。何かのひょうしに手か物があたって、ボタンが動いたのだろう。これもあっけなく直った。
 ラジカセは直らないようだが、自動で選局するのをあきらめて、手動で放送局を選べば普通にラジオは聴ける。それでいいじゃないかと思った。
 ということは高圧洗浄機も、電話機も、ラジカセも、新しいのを買わなくていい。これは気分がいい。まだ使えるものを捨てるのは、自分がとても悪いことをするようで嫌な気持ちになるんだから。

山登りもオートバイも死を覚悟して行く

 御嶽山が噴火して死んだ人がいっぱい出たそうだが、御嶽山はロープウェイがあって簡単に登れるというイメージがあった。ハイキングの山だと思っていた。御嶽山が火山だとは知らなかった。火山といっても本当に噴火する山が日本にあるとは、ふだん思っていなかった。山が噴火して人が死ぬなんて思いもしなかった。山で死ぬのは、足を滑らせて谷底に落ちたときだけだと思っていた。

 私は山に行くときは、鎖をつかんでいる手がすべって、足を滑らせて、もしかして谷に落ちて死ぬかもしれないと覚悟して行く。オートバイに乗るときも、カーブを曲がりきれずにガードレールにぶつかって死ぬかもしれないと、そのときだけ生きるのをあきらめる。いや死なないように万全のことをやって、やって、やってから、それでも駄目だったら仕方ないとあきらめる。
 だからいつも窓を閉めてから外に出る。私が帰ってこなかったら部屋に雨が吹きこむから。そうして何かをあきらめることで、いつもの日常から自分の体と心がふわりと離れて、気持ちよくなれる。
 私が山に登って死んだとしても、覚悟して登っているから、死んでからも誰もうらまないだろう。私の父も私が山で死んでも誰もうらまないだろう。母親が生きていたとしてもそうだろう。それが人生だと思うだけだろう。
 私は今は体を動かす仕事をしているから、山登りをしてまた体を疲れさせる必要がないから、山には行かなくなった。
 山に登ったときの景色や、苦しかった気持ち、怖かった気持ち、山頂での達成感、降りてきたときの充実感を、ときどき思い出して楽しむのが気持ちいい。
<<