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徒然のブログ

つれづれの思いなどを

オートバイの冬ごもり2014

 今日、オートバイを知り合いの車庫に置かせてもらった。50488km
 だから、この冬の時期は乗らない。エンジンもかけない。建物の中で冬越しすれば、バッテリーは持つようだ。今年の春はそうだったから。
 今年はほとんど乗らなかった。遠出はしなかった。七月、八月は雨がつづいたし、九月、十月も、乗ろうと思ったら雨の日が多かった。十一月は急に寒くなって、それに痛風になったから。
 去年までは、夕方ちょっと時間があれば海まで走りに行ったのに、今年は足が重かった。海沿いの同じ道ばかり走っているから、バイクに飽きてきたのかもしれない。
 だけれど今日は、ひさしぶりに80キロを出したのだ。信号で隣にならんだ大型バイクにつられてアクセルを開けたら、いつのまにかスピードが出ていて、今何キロなんだろうと思ってチラッとメーターを見たら80の数字を越えていた。その時は怖くなかった。
 今までスピードを出すのが怖かったけれど、それを克服することと、トンネルを走るのを怖がらないようになることを趣味にすれば、オートバイに乗る新しい楽しみになるかなと思った。それと橋を渡る怖さも。

他人様の土地で原発を動かしたがる自民党の田舎物と闘う

 自民党の選挙公約に原発再稼動がある。
 前にも書いたが、原発を東京以外で動かすということは、自分のために自分以外の人間は死んでもいいと公言していることだ。自分の嫌なことを人にしているということだ。自分さえよければいいという自分勝手のきわみで、泥棒だ。許すわけにはいかない。
 自分さえよければいい、自分の身内だけがよければいいというのは田舎物の定義だが、これも前に書いたが、私は天皇制はやめるべきだと思っているが、今の天皇だけは、テレビに映るその顔つき目つきを見ると、自分さえよければいいとは思っていないように思えて、だから今上天皇は田舎者ではないと思っているのだけれど、もし今上天皇も東京以外で原発を動かしてもいいと思っているのなら、自分さえよければいいと思っているのだから田舎物だ。軽蔑する。

 このあいだ消費税のことで安倍首相の批判を書いたが、自民党が原発を東京以外で動かせというのは、他人の人間の尊厳を踏みにじるということなのだから、死ぬか生きるかでたたかう。
 そんなに原発を動かしたかったら、東京湾か関東の海岸に原子力発電所を作って動かせばいい。もしそれが爆発したとしても、風向きで新潟県には放射能は来ないだろうから、反対はしない。どんどん造って動かせ。

 原発が嫌なら電気を使うなと言う馬鹿がいるが、私は原発が必要なほど電気は使っていない。
 自分が使う電気は自分でリスクを負って作れ。他人様に生死のリスクをかぶせるな。
 しかしこの原発再稼動が自民党の公約になっていることを、テレビやラジオや新聞やネットで声高く言わないのはどういうわけだ。

また激しい痛風発作になったこと

 昨日11月21日の昼過ぎから、左の土踏まずがちくちくと痛くなった。
 それが今日22日の朝起きたら歩けないほど痛かった。部屋の中で杖をつきながらトイレに行った。
 一週間くらい前、急に寒くなったときに風邪を引いた。風邪はすぐ治ったが、治りかけのころ、右肩と首の後ろが痛くなった。それが三日くらいつづいて、少し良くなった。
 そのあいだ四五日、焼酎を4、5杯ずつ飲んでいた。寒くなったから水もあまり飲まなかった。そういうことが原因だろう。油断した。

 今日は天気がよくて暖かくなる予報だからオートバイに乗ろうと思っていたのだが、この足の痛さじゃ乗れないから部屋で本を読んでいた。
 夕方ちょっとお客さんのところに打ち合わせに行った。お客さんの前では精神力で痛いのを我慢して部屋の中を歩いた。少しびっこを引いたが、お客さんは気づかなかったと思う。
 今夜は酒を飲まない。

 ※
 11/27に追記。
 23日の朝から左足の土踏まずは激痛になって、歩けなくなった。ご飯とトイレと水を飲むだけに起き上がって、それ以外はベッドに横になっていた。
 その痛みが25日までつづいた。26日は痛みは少しだけやわらいだ。

 23日から毎日、水を3リットル以上飲んだ。そうしたら三十分おきにおしっこが出た。夜中は、12時、2時、4時に、尿意で目が覚めて、起きておしっこをして、そうして水を飲んだ。それを毎日つづけた。

 ジャガイモと玉ねぎの買いおきがあったから、そればかり食べた。ワカメも食べた。ご飯は少なめにした。とうぜん酒類は飲まなかった。
 アルコールを飲まないで水をがぶ飲みして大量におしっこ出しながら寝ていたら、25日に肩の痛みは取れていた。そのときはまだ土踏まずはとても痛かったが。

 26日の夕方になると、痛みは減ってきて、足を引きずりながら杖なしでもトイレに行けるようになった。それでも一分も立っていると左足の裏に悪い血がたまったように、足裏ぜんたいが針で刺されるように痛んだ。立っていられないから、ベッドに戻って横になった。それを一日中くり返した。
 23日から、横になりながらパソコンでネットを見るか、本を読んでいた。図書館から石川達三を借りていたのを読んだ。

 五日間も体を洗わないから自分でも自分の体が臭かった。またの間から酸っぱ臭いにおいが上がってくる。わきの下に顔を近づけると苦臭いにおいが鼻をつく。どっちも自分のそこの肉が腐ったようなにおいだった。

 今日27日の夕方、だいぶ傷みが引いたから、お客さんのところで少し作業をした。今日だけは日にちを延ばせない仕事だったのだ。
 五日ぶりにシャワーを浴びてお客さんの家に行った。 「痛風になって寝てました」と笑って、足を出すたびに「いてて、いてて」と言いながら、びっこを引きながら動いた。脚立に上れるぐらいには傷みは減っていた。でも帰ったらまた土踏まずが痛くなったから、いっぱい水を飲んで、動かないようにしていた。

 今回通風発作が出たのは、寒くなって汗もかかないから水を飲まなくなったのと、風邪ぎみだったのと、普段より飲む焼酎の量が倍になったのがかさなったからだと思う。
 鼻のわきと耳の後ろと、金玉が臭くなっていたし、おしっこも酸っぱい臭いがしていた。いつもの痛風発作の前触れだった。それをしらばっくれていたから発作が出たのだ。
 土踏まずが痛くなる三四日前に、右肩と首の後ろが痛くなっていたのは、それも尿酸がたまっていたからだろう。

 今回の正確な傷んだ場所は、左足の内側のくるぶしの下だ。くるぶしから土踏まずにかけて、その場所の血管が、心臓の鼓動にあわせて膨らんだりしぼんだりしているようだった。膨らんだときは血管が爆発するのじゃないかと思うほど血が早く強く大量に流れるのがわかった。血が流れるたびにその場所が脈打ち、足首から下がちぎれるほど痛みが走った。

 インターネットでは痛風は痛いときは冷やせ、温ためると痛みがひどくなる、四五日で痛みが引くから、痛みが引いたら温めて血流を増やせと書いてあった。
 でも、いいのか悪いのかわからないが、患部を温めて早く痛みの元の尿酸の結晶を溶かそうと思って、布団の中で寝ながら土踏まずを電気あんかに押しつけていた。じんじん痛んだが我慢した。我慢しきれなくなったら布団の冷えたところに足を動かして、冷やした。それをくり返した。
 とうぶんアルコールは飲まない。そして水はたくさん飲むようにする。

嘘を言う奴と卑怯なことをする奴を殺す人間

 今回の衆議院解散は、消費税を絶対に何があっても上げたいという魂胆の解散だ。
 消費税を10%にする時は景気が悪いときは上げないという約束がある。何とかミクスとかいうお遊びみたいなのをやっていたが、去年までも今年も景気は悪いままで、来年も良くなる見通しはないから、このままでは消費税は上げられないのだ。景気が悪いときは上げないという約束をやぶって無理やり10%に上げてしまって、さらに景気が悪くなったら、国民は怒って次はまた自民党は政権から落とされるだろう。
 だから今回の自民党の選挙公約で、今度消費税を10%に上げるときは、景気が悪いときは上げないという決まりをなくするというのだ。何がなんでも絶対に10%にすると言っているのだ。
 今回の選挙で自民党と公明党とで過半数になったら、消費税を10%にして、それでもっと景気が悪くなっても、それは選挙で国民が了解したのだから、お前ら国民の責任だよと言っているのだ。それが自民党の公約なのだ。
 このことを日本の誰も言わない。どうなっているんだ!

 消費税を8%に上げるときは公務員の人件費を下げるという約束はどうなったんだ? 国家公務員だけをちょろっと期間を区切って下げたようだが、また上げやがった。公務員と政治家は、国民から金を巻き上げる泥棒だ。

 今夜のラジオで安倍の演説というか会見が流れたが、喋り方は小泉の真似をしていた。その見え透いた猿真似をする恥ずかしげのなさ、無神経さ、その頭の悪さに反吐が出た。
 消費税を10%に上げるという重要な約束を破ったから解散をしたと言っていたが、景気が悪い時は10%に上げないという決まりがあるのだから、その決まりに従って上げないだけなのだから、消費税を上げないのは約束違反をしているわけじゃない。それをあたかも、消費税を上げる約束をしたことの約束を破ったと言っていた。嘘を言っている。話をすりかえている。卑怯だ。嘘を言う人間と卑怯な人間は殺すことにしている。
 殺されたくなかったら嘘を言わなければいいだけだし、卑怯なことをしなければいいだけだ。俺は嘘を言わないし卑怯なことはしない。一介の市民である俺がそうしているのだからお前も嘘を言うなよ。話をすりかえるなよ。しかも世間の人たちが出しあっているお金、公金で飯を食わせてもらっている分際だぞ!
 世の中の人たちが税金としてお金を出しあうのは、世間のためになる人間を食わせるために出しあっているのだ。世の中の人々が暮らしやすくなるという仕事の成果を出さない人間を食わせるためにお金を出しあっているわけじゃない。
 政治家の馬鹿どものことなど金輪際書かないと思っていたが、あんまり腹が立ったから今夜は書いた。
 だが嘘を言う、話をはぐらかす、卑怯なことをする、そういう殺したい奴らは世間の人間のほとんどなのだ。いったいどうすればいいんだ? 世間の奴らのほとんどを殺すのか? もしかしたら嘘と卑怯を憎みすぎる俺は世の中で生きる資格がないのか? 嘘つきどもを殺すよりも俺のほうが死ねばこんなことを考えずにラクになれるのか?

戊辰戦争と江戸時代の経済のことを考えたこと

 今年の夏にふと戊辰戦争のことに興味がわいて、それも武士ではなくて百姓の視点から見た戊辰戦争を知りたくなって、そういうことが書いてあるホームページや本を捜した。探し方がわるかったのか知りたいことが書いてあるサイトも本なかった。
 少し関係がありそうな本を図書館で見つけたから読んでみた。一人の大学教授が書いた6冊の本だった。6冊は、題名はそれぞれぜんぜん違うのに、内容はほとんど同じだった。文体は幼稚で、中身も浅いものだった。
 これは編集者が目を通してないのだろう、だから小学生が書いたような文章なのだろう、ということは自費出版なのだろうか、そう思ったから、その本を出している一つの出版社をネットで調べたら、自費出版の商売をしている会社の子会社が発行元だった。でも6冊は全部違う出版社で、他の本は自費出版をしている会社だけでもなかった。
 その6冊の本を読んでいると、文体は幼稚なくせに上から目線で腹が立つのだが、あとがきに、大学で自分が教えていることをそのまましるしたと書いていた。だから生意気な口調なのだなと思った。そしてたぶんその本は、自分が教えている学生たちに買わせて、授業の教科書がわりにしているのだろう。大学には毎年新しい学生が入学してくるから、ひとりよがりの内容の本でも、毎年一定数が売れるわけだ。いい商売だ。
 こういう本を臆面もなく何冊も出すというのは、自分が書いたものの中身のなさや底の浅さを、その大学教授は自覚していない。今までうすうす思っていたけれど、大学教授などというのは頭が悪いものだなあと、あらためてはっきりわからせてくれたのが、この大学教授が役に立ったことだった。

 百姓から見た戊辰戦争というものを知ることはあきらめて、江戸時代の農民のことが書いてある本を他に何冊か読んでみた。そうしたら今まで漠然と思っていた百姓と、実際の百姓というのは違うものなのだと知った。江戸時代の百姓は、それほど社会でしいたげられていた階級ではなかったし、生活も食うや食わずで生きていたわけではなかったらしい。住んでいる家も、掘っ立て小屋みたいなものでなく、贅沢ではないがちゃんとした一軒家に住んでいたらしい。一揆も少なくない回数をおこしたり、訴訟もよくやっていたそうだ。訴訟の書類に五六人の百姓たちの印鑑が押してあるものの写真が本にあって、その頃には百姓だって印鑑というものを使っていたのには驚いた。
 現代の集落というのが、江戸時代で村といっていたものらしい。それでオートバイで下越と中越の、いくつかの昔ながらの集落の中の道を走ってみた。注意してよく見ると、その一軒一軒の家の敷地はたぶん江戸時代のそのままの敷地だと思うが、どれも広いものだし、その家の建坪も江戸時代の頃と同じくらいだと思うが、けっこう立派なつくりだった。
 百姓というのは自分が作った米のほとんどを武士に取られて、年中アワやヒエを食べるしかなくて、一間か二間の小さい小屋みたいなものにさむざむと暮らしていたのだと思っていたけれど、本当は衣食住もしっかりしたもので、季節季節の祭りもあって、あんがいと生きることを楽しんでいたのだろう。
 そうして百姓というのは、その村の中で、領主からと寺からと村のほかの百姓から、その村に住んでいてもいいよと存在を認められたもので、その家の戸主だけを百姓といっていたらしい。だから百姓という呼び名は、本人にとってはプライドがある呼称だったのだろう。

 江戸時代の年貢のことを読んで思ったのだが、江戸時代というのは、大名の参勤交代や江戸勤めによって、地方の各地で生産された資産が江戸に集められて、江戸文化が発展したのだと思う。大名の年間予算の20%が参勤交代の費用で、40%が江戸屋敷の経費だったらしい。地方の村々でとれた米や商品作物の半分くらいを、百姓から年貢として大名が取り、その中の6割の資産、価値が江戸に集められる。ということは日本中の農民たちが汗水たらして作り出した価値の30%が江戸に集中して運ばれて使われたのだから、江戸の町が栄えたのは当然だろう。そのほかに幕府の直轄地の年貢も江戸に来る。江戸は人口世界一の都市だった。

 武士は農民から取り上げた年貢の米を売って現金を得なければならない。ということは米のエンドユーザーは町民だ。だから米を買ってくれるお客様である町民の人口は、ある程度必要だっただろう。地方の米という資産が江戸に集まったから江戸に町民が増えたのだろうし、その人たちが米を食べるために米を買ってくれるから、武士も米を売ることができて生活できたのだろう。
 武士たちが生活するには、家の修繕、食料を買う、外食をする、衣類を買う、芝居を見る、酒を飲む、女を買う、金を借りる、貨幣の両替を依頼する、そういうサービス産業が必要だから、町民は町民からも武士からも小売や手間賃仕事のたくさんの需要があって、そうしてその仕事をして生活して、そして町人も米の最終消費者として武士のお客にもなって、そうやって経済がまわっていたのだろう。
 江戸時代のことが書いてある本を読んで、そういうことを考えさせてくれた。

火の用心の声

 さっき窓の外で、カンカン、カンカン、と音がこっちに向かって来て、向こうに行った。消防車の火の用心の音だ。公務員嫌いで公務員たちを軽蔑しているダガシは、役所や警察の人間たちに怒鳴りまくっていても、消防の人に怒鳴ったことはない。
 料理で火を使っている時間帯に、カンカン、カンカン、というこの音が聞こえれば、火はおろそかに扱えないぞと思う。消防署は大事な仕事をしていると思う。

 小さいころ、拍子木をたたきながら、「ヒのヨージン!」と声を張りあげながら近所を回ったことがある。、小学校の決めごとだったのか、自主的に面白半分でやったのか、どういうことでそういうことをしたのか忘れたが、自分の気持ちの中では悪くない思い出だ。
 子供の甲高い声と、夜空に突き抜けていくような拍子木の音は、それを大人が聞けば、ああ火の用心をしなくては、と思わせるだろう。それに子供は、慣れないことをするときの声は真剣みをおびているから、なおさら大人の心をうつだろう。
 声や拍子木の音が迷惑にならないあまり遅くない時刻に、子供たちはそういうことをしてみてもいいと思う。ときどきは「火の用ー心」という子供の真剣な声を聞きたいと思う。

政治家をなくする方法を探す

 昨日の新潟市長選挙には行かなかった。投票したいと思う人間が一人もいなかったからだ。そういえば先回も票を入れたい人間がいなかったから選挙に行かなかった。
 選挙に行かないならば政治に口出しするなという人もいるし、おれもそう思っていたが、このごろではそうではないと思うようになった。
 おれは税金を払っているのだし、それが微々たるものであっても、おれが払った税金を使って行政をしているのだから、その税金の使い道を決める人間を批判する権利はおれにはある。
 いや税金のことだけじゃない。日本国民として、新潟市民として、ここに生きているのだから、ここの政治をする人間に注文をつける権利はある。
 だから選挙に行かずとも、政治家のことをあれこれ言う権利はある。
 しかし市に市長というのは必要なものなのか。そして政治家をいなくすることはできないものか、政治家がいなくても政治がまわっていくことができないものか、といつも考える。

飲みたいけれど飲めない飲まないように

 寒くなってきたから日本酒を飲みたいのだが、また痛風になるのがこわいから飲んでいない。
 スーパーに買い物に行くたびに、酒のコーナーで日本酒の棚を見て、200mlくらいの紙パックなら体に影響はないだろうと見つめるのだが、一合くらい飲んでも酔わないだろうし、飲んだらもっと続けて飲みたくなるだろうし、やっぱりやめとこうと手を出してない。それでいつもの安い焼酎を買い物カゴに入れる。
 今年は焼酎ももう、レモンジュースで割ったのを2杯か3杯でやめている。前みたいに5杯も6杯も飲まないでいる。それは痛風にならないようにセーブしているのだけれど、本当は年取って飲めなくなっているからかもしれない。体がもうこれ以上飲めなくなっていて、それが痛風というサインを出して飲ませないようにしているのかもしれない。そうやって内臓や頭を守っているのかもしれない。そう思えば、酒が弱くなったとか、飲めなくなったとかと思わないほうがいいのだろう。自然なことなのだろう。
 だけど父親や親戚のおじさんたちや実家の近所のおとうさんたちは、年始や法事や葬式やらで、七十を過ぎても平気な顔をして日本酒を飲んでいた。いくらでも飲んでいた。
「若いころは稲刈りが終わってその年の田んぼ仕事がなくなると、冬になれば朝から飲んでいたもんだ。一日一升も二升も飲んだもんだ」とあたりまえの顔で言っていた。体のつくりが違うのだろう。真似はしないほうがいいと思う。

足を伸ばして入る風呂は、いけない

 よくリフォーム会社のチラシやホームページなどで、「足を伸ばして入る浴槽は気持ちいい。そういうユニットバスにリフォームしませんか?」と書いてあるが、あぶない入浴の仕方だ。
 私は一般家庭の風呂で足を伸ばして入ったことは数えるほどしかないが、仰向けに寝そべるかたちになって、腰が浮いて、頭が下がって、お湯を飲みそうになったことがあった。それに足を伸ばしてお湯につかっても、それほど気持ちいいものではない。だいたい長時間お湯につかっているのは退屈だし時間の無駄だと思っているから、足が伸びていようが折れ曲がっていようが、どうでもいい。むしろ膝が折れて座っているほうが体の形としては安定している。そのほうが、こころも安心しながらお湯につかっていられる。
 私もときどきは長く風呂に入っていることもある。それは本を読むからで、何もしないでぼうっとお湯につかっているのは頭が悪くなると思う。頭が悪い人間ほど足を伸ばして入りたがって、無駄に長湯しているのだと思う。
 読書しながらお湯につかるには、足を伸ばして入る浴槽では、寝そべるかっこうになって、腰が浮いて足の位置が固定しないから、体が安定しない。だから本を持ちづらい。浴槽の中で本を読むためには、浴槽の向こう側の壁に足をつっかえさせ、体を安定させなければならない。それに背中は直立に近いほうが顔も正面を向くから本を読むのにはそのほうがいい。畳やじゅうたんの上でその格好をしてみればわかる。本を読むためには適度に狭い浴槽のほうが良いのだ。それに狭い浴槽ならお湯も少なくてすむ。長湯するなら、のぼせないようになおさら少なめのお湯にする。
 年をとったときのことを考えたら、足を伸ばして入る浴槽は、いけない。腰が浮いて足がさだまらないから頭が沈む。そうすれば風呂で溺れることになる。

 足を伸ばして入る浴槽から話がそれるが、介護の仕事で、浴槽と風呂道具とボイラーを車に積んで客のところに行き、風呂に入らせる入浴介助の出張サービスがある。私も勤めていたことがあるが、その浴槽はすこし縦長の、足を伸ばして入るタイプのものだった。
 利用者が部屋で寝ているベッドのわきに、持っていった浴槽を置いて、それに車の中に積んであるボイラーで沸かしたお湯を、丈夫な太くて長いホースを引っ張ってきて浴槽にためる。そうして、ベッドに寝ている人を裸にして、二人がかりで持ち上げ、寝ている形のまま浴槽に入れるから、仰臥位でお湯につかれる浴槽の形が便利なのだ。
 だが浴槽の中では利用者の膝は伸びきっていないし、顔が沈まないように常時二人が体と頭ををささえながら利用者をお湯につからせている。体を洗うのもふくめて、お湯に使っている時間は15分だ。長湯は体に毒だからだ。出張入浴介助サービスは三人体勢で巡回する。三人の中には看護師がいて、利用者の体温や血圧などを調べてから入浴させる。体調によっては10分に短くなることもある。利用者はもっと長く入っていたいと言う人が多いが、何かあったら困るから、15分以上は入らせない。それに一回のサービスの時間は45分と決まっている。次の利用者への移動時間が15分で、一日五軒の家を回って仕事をする。介護サービス会社に入る金額(売上)は、一回分15000円くらいだった。今はどうだか知らないが、だいたい似たような仕事のやりかただろう。

 そういうことで、足を伸ばして入る浴槽は危険がいっぱいなのだ。それに足を伸ばして、何もせず長時間ぼうっと湯につかっているのは頭が悪い証拠だ。いつも言っているように、頭が悪いということは泥棒根性につながるということだ。
 だから足を伸ばして入るお風呂がいいなどと言っているのは、売れれば何でもいいのだという金儲け主義のリフォーム業者や建築会社と、無知な客たちなのである。どちらもものを考えないで、ぼうっと風呂につかって生きている人間だ。

風呂場椅子はバケツをひっくり返したの

 寒くなってきて、去年ここに引っ越してきたアパートは風呂場が前より広いから、シャワーを浴びるときに立って浴びていると背中のあたりがスースーして寒いのだ。
 シャワーの頭を壁の低い方につけて、しゃがむか椅子にすわって浴びれば、シャワーから出たお湯の粒が冷めないから暖かいまま浴びることができるだろうと思って、インターネットで風呂場用の椅子の値段を調べたら高い。1000円くらいする。ヤフオクで介護用の椅子も売っていて、そういうのもいいなと思ったが、2、300円はする。配送料をいれると4、5000円になる。新品で買うと1万円くらいするのだから仕方ない。このあいだ百円ショップで600円で売っているのを見つけたけれど、それでも高いと思って買わなかった。
 何日かそうしていたら、掃除で使っていたバケツをひっくり返してすわればいいじゃないかとひらめいた。外壁工事をしていて昼ごはんのときに、お客さんの庭でよくそうしてパンを食べていたのを思い出したのだ。
 プラスティックのバケツに小さな釘抜きやドライバーを入れていて車に乗せて運んでいたら、尖った先でバケツの底にひびが入ってしまって、バケツの用をなさなくなったのがある。それを捨てずにいたのを、風呂場で使う椅子にすればいい。
 ひっくり返すと底の出っ張りが尻に当たると痛いだろうから、百円ショップで流し台のシンクに敷く薄いスポンジを買ってきて、バケツの底に置いて、その上に尻を乗せてみた。痛くなかった。高さもぴったりだった。
 今夜じっさいにすわって使ってみたら、寒くなくシャワーが浴びれた。かかったお金は百円だ。
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