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徒然のブログ

つれづれの思いなどを

秋でも早く目覚める装置

 朝飯前という言葉があるが、今年は一週間に一回、実家に帰って朝ご飯の前に草取りを四時間くらいやって、大汗をかいてからご飯を食べた。
 暑いのと家に一人で寝ているのが怖いのとで、夜中に目覚めたらそれから眠られずにずっと起きていて、四時過ぎころに明るくなる。そうして五時ごろから外に出て草を取る。クワをもって土の表面といっしょに草を削るのを三時間も四時間も、長いときは十一時頃までやって、汗みどろになって、やっと終わってシャワーを浴びて、そうして昼ま近かになってようやくご飯を食べる。それが私の朝飯前の草取り仕事だった。
 でも夏が終わって秋になったら、寝起きが悪くなった。明るくなっても起きられないのだ。気温が下がって体が活動的でなくなったのだろう。実家だけでなくてアパートでもそうだ。寒くなったからカーテンを閉めて寝ていて、朝になっても陽がささない。暑くもないから、体が朝になったかどうかがわからないのだろう。

 朝になったら部屋の中で、タイマーで太陽の光が出るようなものがあれば、目が覚めると思う。朝の五時頃にタイマーで温度が上がる布団があれば、なおいい。

秋の彼岸のバイクで気分転換

 昨日と今日、一か月ぶりぐらいにオートバイに乗って、泊りがけツーリングごっこをした。
 昨日は笹川流れを走って、勝木のコメリで皮の手袋を買ってきて、アパートに帰って、なじみの民宿に泊まった気持ちになって自分をだまして寝た。
 今朝は民宿の部屋で目覚めた気持ちで起きて、今日は田上町から細い峠道を通って五泉のほうに出て、五泉には行かないで山の麓の集落ぞいの道をくねくねとゆっくりと走った。
 五泉に行く峠に入る手前の広い墓場の前でバイクを停めて、持ってきたレモン水を飲んだ。今日は秋の彼岸だから墓場の道には何十台も路上駐車していた。
 ほとんどの墓には赤いのや白いのや黄色い花が差してあって、墓の前に大勢いる家族は年寄りがいて、母親がいて、子供がいて、妊娠して腹が前に突き出している若い女がいて、そのどの人も笑っていて、賑やかで、墓場の祭のようだった。
 村松に入るところのコンビニでカップラーメンを買って、店でお湯を入れて、近くのバス停のコンクリート台に座って食べた。ラーメンをすすっていると、道を走ってきた小さなバスみたいな車の中から老年の男たちが俺を見て、珍しいものを見たみたいに皆でうれしそうに笑った。俺も怒る気にはならずに、笑い返した。
 村松に入って、城下町によくある鍵型の道を通って、また五泉に行く昔の細い道を、昔の百姓家を見ながら、ゆっくり走って、そうして五泉から新津をとおって、新潟市に帰った。
 仕事でも、プライベートでも、やることがたまっていて気持ちが何かに追いかけられていたのだけれど、なるようになるさ、そうすればいいようになるさと、オートバイで自分を追い越した気持ちになった。

安保も九条も地球も無常

 安保の法律のことで新潟市でもデモをしているそうだが、何も考えてないのだろう。だいたい人間のほとんどが何も考えてない泥棒根性の奴らばかりなのだから、たぶんそうだろう。
 デモをしている奴らのスローガンは「戦争をさせない」、「九条を守れ「というらしいが、それも何も考えないで、人が言っているから乗っかろうということでやっているのだろう。
 前にも書いたが精神的な健常者なら戦争をしたいとは思わないだろう。日本の安部首相だって、アメリカのオバマ大統領だって、ヨーロッパの各国の首脳だって、ロシアのプーチンだって、中国のトップだって、戦争をしたいと思ってはいないだろう。
 だからその安保法案だって、戦争をしないために作ったのだと思う。
 武器商人だって、世界が戦争になればいいとは思っていないだろう。戦争になりそうになるかならないかのところで、武器がたくさん売れればいいと思っているだけだろう。

 憲法九条をいつまでもそのまま持っているのは、頭が固い。世の中は無常なのだから。デモをする人間たちは、デモをすることが商売になっている人間なのかもしれない。
 すべてのものごとは変わるしかないし、変わることは楽しいことだし、変わることを止められない。だって、いつまでも日本国家があるわけでもないし、天皇制が未来永劫つづくわけでもないし、太陽は必ず爆発するのだから、地球は必ずなくなるのだ。爆発してなくなって、爆発したちりがまた集まって、新しい星が生まれるだろう。

タブレットにキーボードとマウスをつけた

 実家に帰っていて、タブレットでインターネットを見ている。
 スマホやタブレットは画面を触ってでしかクリックできないから、キーボードとマウスを使えないかと思って、少し前にヤフオクでマイクロUSBから普通のUSBに変換する二股のケーブルを落札した。
 そのすこし前にBluetoothのキーボードを買って接続してみたのだが、文字は打てなかった。無線の接続がうまくつながらなかった。だから有線のものを買ったのだ。
 そうして今夜タブレットにつないでみたら、思ったとおりに使えた。それでブログに書いている。
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 ヤフオクで落札した中古のタブレットは8インチで、老眼と乱視と近視が混ざった私の目にはスマホよりよっぽどよく見える。酒のコップや肴や箸を持った指は酒や脂で汚れるから、タブレットの画面を触わりたくないのだ。でもこれで普段のパソコンを使うみたいにキーボードとマウスが使える。

今シーズン初めての日本酒と他人の不幸

 今シーズン初めて日本酒を飲んでいる。
 仕事の帰りにスーパーで美酒爛漫のパックを買ってきた。肴に鯛と平目の刺身も買った。贅沢だと思うが、シーズンはじめの日本酒の魚なのだからいいのである。だが白身魚の刺身は一年ぶりに食べたが、味がうすくて食べた気がしない。でも日本酒には合うような気がするが、気のせいかもしれない。でもまずくはない。かえっておいしい。
 昨日はアルコールを断って体調をととのえた。左足の土踏まずが少しチクチクしたからだ。
 それで体にも心にも日本酒を飲む言い訳をととのえた。それで心おきなく飲んでいる。あまりのみ過ぎないようにする。
 昨日から日本に来た台風で、茨城や栃木の川が氾濫して家が流されているのをお客さんの家のテレビで見た。四年前の東日本大震災のテレビ中継を思い出した。テレビ画面の中で津波で流されていく家の瓦屋根と同じように流れていった。屋根に人が乗っていたのも同じだった。あの人は死ぬのかな、生きるのかな、どうなるのかなと思いながらテレビの画面の中の小さい人を見ていた。
 他人の不幸を思い出しながら酒を飲んでいる。そうするとかえっておいしいとは思わないが、まずくはない。ああいう不幸が自分に来なかったのがありがたいと思う。そうすると酒はもっとうまい。申し訳ないけれど。

ブログの顔写真の削除と突然死のブログ閉鎖サービス

 自分が突然死することをいつも考えて生きているから、前にも書いたが自分が死んだら自分のブログやホームページを世の中からなくすことを準備しておかなくてはならないと思っている。思っているけれど、実際はやってない。
 今日どうしてか思いたって、このブログの自分の顔写真を削除した。
 ここに顔写真をアップロードしたのは、商売用のホームページに顔写真を載せるために一時保存することで置いておいたのだが、商売用ホームページを作った後でも、いらなくなっていたのにそのままにしていた。このブログの顔写真をなくしたから、他に自分の顔を出しているのは商売用のホームページだが、それは独自ドメインかサーバーに金を払わなければ自動的にインターネットからなくなるから心配ない。
 これも前に書いたけれど、心臓発作などで私が突然死んだときに私のブログを削除してくれるサービスが欲しい。そういうサービスを商売でやろうかなと思ったこともあったが、結局やらないままでいる。自分がいつ突然死するかわからないから、人様の突然死の面倒まで見れないと思っているのかもしれない。

あと二ヶ月で痛風のない一年

 今年は今のところ痛風になっていない。夏は毎日ビールをたくさん飲んだ。本当のビールも、第三のビールも、いっぱい飲んだ。それなのに痛風にならないのだ。
 ひと月に一回くらい左の土踏まずがチクチクして、痛風の前触れがきたと思うと、一日アルコールを飲むのを休んだ。それから、毎日水を多めに飲んで、おしっこを出しているのが痛風の予防になっているのだろう。いや、三月に父が死んで葬式のときの十日間、ぜんぜん酒類を飲まなかったのが一番効果があったかもしれない。あの十日間でほとんどの尿酸結晶を体の外に出したのかもしれない。十日間酒を飲まないでそうなるのかはわからないが。
 去年十一月に痛風発作があって、あと二ヶ月で一年だ。だけどときどきどうしてか、あの足がもげるような痛みもなつかしいと思ってしまうのだ。女の人が子供を産むときの痛みもそういうものかもしれないと思っている。
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