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徒然のブログ

つれづれの思いなどを

日本酒でのチェイサーを飲んでいる

 冬になって日本酒をもっぱら飲んでいる。日本酒はアルコール濃度が高いから痛風になりやすくなっている。左足のくるぶしの下がチクチクしている。だから水をたくさん飲んで、おしっこをいっぱい出すようにしている。
 ウィスキーを飲むときにチェイサーというものがある。ウィスキーを一口か二口か飲んだすぐ後に、水を飲むものだ。チェイサーという意味はチェイスという追いかけるという意味だ。アルコールを追いかける水ということなのだろう。悪酔いしないためにアルコールを飲みくだしたすぐ後にアルコール濃度を薄めるために飲む水なのだろう。
 それをこのごろは日本酒を電子レンジでお燗するたびに、コーヒーカップ一杯の水を飲んでいる。それがチェイサーだと思っている。
 お燗をする二分間で水を飲んで体をととのえる。水に酢をすこしたらして酢の作用でさらに内臓をととのえる。酢は尿酸を溶かして減らすためにも良いらしい。
 酒に酔うためには水を飲むなどということなど酒を薄めることで、酔うことの反対作用になって、アルコール作用には無駄でもったいないと思っていたが、体のためには仕方がないことだと最近はあきらめている。自分の体がアルコールを分解する力が弱くなっているのだから仕方がないのだ。おしっこを作る力も少なくなっているのだろうし。冬になって寒くなっているから、体の細胞が活動する力も弱くなっているだろうから、おしっこを作るのも、アルコールを分解するのも、その力が弱くなっているだろう、だからその反作用が出るだろう、それが痛風とか他の病気の原因になるのだろう。
 それなら酒を飲まなければいいじゃないかと言われるだろうが、一日一回は酒を飲むのが生きているあかしだと思ってるから、飲むのである。これも生きていることの仕方がないことなのである。
 大晦日の今夜も日本酒を飲んでいる。来年になったら、酒など軽蔑しているようになっているかもしれないが。

父あてのダイレクトメール

 新潟市のアパートに父親宛のダイレクトメールがjときどき届く。実家への郵便物を転送するようにしているからだ。
 送り主は、服屋、自動車屋の車検の案内、会津の旅館から旅行に来てくれというもの、健康食品の会社、他にもいろいろある。
 届くたびに送ってくる会社に電話して、「もうダイレクトメールは送らないでもらえますか。その人間は死にましたので。ちなみにわたしは息子です。」と言う。そうすると相手は恐縮して、しどろもどろになるのが少しおもしろい。
 一回電話したらもう送ってこないのだが、そういう会社ばかりではない。自動車屋は電話して父親は死にましたと言ったとき、電話に出た女は、お父さんからはとてもよくしてもらったのです、それでは手続きして、もう送りませんねと愛想よく言っていた。だがその後、二ヶ月おきくらいに何回も送ってくる。
 いい加減な人間には、いつも激しく怒鳴りつける勤勉な私だけれど、このことだけはどうしてか面倒くさくて、怒鳴らない。怒鳴るどころか、また送ってきても電話していない。送られてくるのをあきらめている。勝手にしろと思っている。また送ってくるのだろう。

小説を読んで高所恐怖症の発作が出る

 いま山川方夫を集中的に読んでいるが、あまりおもしろいと思わない。都会的という評判なのだが、文の中にカタカナ英語があふれていて そのカタカナを使う意味が不確かで軽々しい。中身も底が浅い気がする。他にも比喩のセンスがいいという評判だ。でもそういう評判のわりにはつまらない。
 だけれども『煙突』は身につまされた。安岡章太郎のタッチに似ていた。だけれど文中に「労務者ふう」などという言葉が出てきて、馬鹿にする人格を労務者ふうといっている。他の小説にも何回も出てくる。上から目線で威張っているように感じる。頭にくる。安岡章太郎はそんな表現はしなかった。
 煙突は山川の私小説になるのだろう。死にたいという無意識があらわれていると思う。その無意識と、それがどうして私小説なのかは、山川の個人的な病気に触れることになるから、ここでは書かない。

 煙突をのぼるところを読んでいたら、高所恐怖症の私は、高いところに本当に上ったときのように、膝が冷たいような熱をもつような、そして金玉が熱くなって上にあがってくるような、腰のあたりも熱をもって震えてしまって、今ここでどうしていいのかわからなくなる、暗い下に落ちる、どこまでも得体の知れないところに落ちる、ああ死ぬ、自分がどこか下の下の暗い知らない場所におちいって、なくなってしまう、そういう怖い感覚におちいった。
 文章を読んだだけでそうなるのだから、それは梅干やレモンを想像すると、舌につばが出るような反射神経なのかもしれないと思ったが、つばが出るのは普段生きるのに困るわけではないのに、私の高所恐怖症は生活するのに困るレベルになっている。
 高所恐怖症と、そして暗いところが怖いことで、私は、高い橋を渡れない、長いトンネルを通れない、飛行機も乗れない。ということは隣の県にも行けない。今のところはそれで困っていないから、よしとしている。

 追記
 『煙突』は二十歳くらいに書いたのを、晩年に(山川は三十半ばで交通事故で死んだからまだ三十過ぎだろうが)書き直したのを全集でまた読んだ。
 後で書いたほうは、小説の中で、解説というか、考察というか、心理描写というのかがしつこくて、まだるっこしくて読んでいられないほどだった。その考察というのも小ざかしい解説も、あたりまえのことを得意げに書き散らしているようで、まるで底が浅いものだった。前に書いたほうは描写に省略がきいて、文体にスピード感もあって、底が浅いなりにも、読んでいて気持ちはよかった。共感する部分もあったし、新しいものの考え方感じ方の発見もあった。中身を書きすぎないから、読みながら想像する楽しみもあった。山川方夫の小説のなかでは『煙突』だけが良いものだと思う。
 その小説では、戦後の食糧不足での空腹の描写が切羽つまって感じられた。山川は私の父母より十歳くらい上の人だ。終戦の時に十五歳くらいだったようだ。いつも何かを食べたい年頃だ。
 そういえば私の母は、私が腹が減っているのをいつも気にしていたように思う。父母のの姉、私にとっての伯母さんたちは、「ご飯は食べたか」というのが口癖だったと思い出した。

 また追記する。
 2015年1月5日で全集を全部読んだ。筑摩書房の2000年8月20日発行のものだ。最後に読んだのは第5巻だ。全部で7巻あるのだが、5巻を最後に読んだ。
 5巻のショートショートのうちの二作品はまあまあ良かった。『千鶴』と『ゲバチの花』だ。誰かを助けて自分が死ぬという題材が気持ちいいのだろう。それは私の自己満足だろうけれど、それが気持ちいいのだから仕方がない。それにその二作品は教訓臭くなかったし、いらぬ解説や心理描写もなかったから、読んでいて気持ちがよかったのだろう。
 ショートショートといえば星新一だが、私は星新一が書いたものをたぶん全部読んでいる。それがすべておもしろかったと思っている。星の、ショートショートも、エッセイも、長い小説も。高校生のころから読みはじめて、二十代でも読んで、三十二歳まで読んで、その年に、何十冊もたまっていた星新一の文庫本を、そのとき付き合っていた女に全部あげた。
 星新一のショートショートはユーモアが勝ちすぎている。読んでいたころはそれが好きだったけれど、たぶん今読んだとしたらそのユーモアはわざとらしいと思うだろう。山川の良いショートショートはことさらユーモアを出そうとしない。それは潔い。上にあげた『千鶴』と『ゲバチの花』は純文学として読める。他の作品も作品の中で自己満足の解説の文章がなければおもしろい純文学になったと思う。山川が長生きしたら、日本のO.H.ヘンリーになっていたかもしれない。短い純文学というジャンルを作って、世界の大作家になっていたかもしれない。
 しかしそれらの作品を書いたのは三十を過ぎたばかりの頃だ。その年代でああいう沢山のアイディアを出せたのだから、頭が良かったのだろう。自分の人生を小説に打ち込んでいたのだろう。だけれど山川は頭が良すぎたから、小説の中で、鼻に付く、いらぬ解説を入れてしまったのかもしれない。

さかずきで燗酒を飲んでいる今年の冬

 日本酒を飲むようになったのは三年前からで、それまでは日本酒は嫌いだった。日本酒は悪酔いすると思っていたのだ。
 燗をした日本酒は二年前から少しずつ飲んでいる。燗をすると甘ったるくなって気持ち悪く酔っ払うと思っていた。だから、はじめの一年は冷やだけを飲んでいた。父親が母親に毎日燗をさせて飲んでいたが、お燗をするときの母親の、眠いのに夜遅く酒の燗をつけさせられている疲れた顔を見ていて、それで父親をますます憎み、父親と一緒に燗酒を憎んだ。だから温かい酒は嫌いだった。
 それでもいつのまにか燗酒を飲むようになったが、お燗をするのは酒をコーヒーカップに入れて、小皿で蓋をして、電子レンジで温めていた。さかずきでチビチビ飲むのが面倒だったのだ。いや父親がさかずきで飲んでいたから、違う飲み方をしたかったのだ。でもコーヒーカップの燗酒は、飲んでいるうちにすぐ冷めた。
 このあいだ実家で、父親のつかっていた何と呼ぶのか知らないが、よくある底の広がった酒の入れ物でレンジでチンして飲んだら、その瀬戸物の入れ物は肉厚だからだろうが酒は冷めにくかった。そうしてさかずきで飲んだのだが、さかずきで飲むと温かいまま飲めた。さかずきで飲むのは酒が冷めにくいもので、さかずきで燗酒を飲むのは意味があったのだと思った。
 日本酒は温めて飲むと旨みが出るとネットで見た。それもあって、実家からその酒の入れ物を持ってきて電子レンジで温めて、さかずきで飲んでいる。今はおいしく燗酒を飲んでいる。

実家の賞味期限切れのビールを飲みおえた

 やっと今日、実家に残っていた消費期限が切れたビールを飲みおえた。一年九ヶ月前に飲む期限が切れていたものだった。アルミ缶の裏に、賞味期限2014.04 製造2013.8月上旬 と書いてあった。文字をよく見たら賞味期限だから、飲んでも大丈夫なのだろう。実際飲んでも、今までとくに体のどこかが悪くなったことはなかった。味も、まずくはなかった。
 まだ瓶ビールの賞味期限切れのが何十本もあるのだ。それは期限がもっと昔のだから飲む勇気がない。捨てることになるだろう。中身を捨てるのが時間がかかって面倒だ。だから飲んでしまえば、捨てる作業をしないで腹に入れるのだから一石二鳥なのだ。ビールは父親が中元にもらったものなのだろう。父親はビールは飲まなかったのだろうか、わからない。日本酒の小瓶の期限が切れているのもある。それは飲んでみようかと思うが、そのときの気分にする。
 他にウィスキーや梅酒もあるが、フタの封が開いているから、そういうのは危ないから飲まないで捨てる。

冬初めてのぶり大根をつくって食べたこと、2015年の初冬

 昨日、この冬のはじめてのぶり大根をつくって食べた。うまかった。
 何年か前に寒くなる前につくったとき、ぶりにあぶらが乗っていなくてうまくなかったから、今年も寒くなるのを待っていたのだ。それで夜の木枯らしが吹きつづいている今、スーパーでぶりと大根を買ってきて、つくった。
 だけれどぶりあらは、少ない量で140円で、思ったよりも高かった。この量なら去年までの二倍の値段だ。今、ぶりの水揚げが少ないせいなのか、ぶりあらを買う人が多いのか、それともスーパーの何かの戦略なのか、どういう具合で高いのかはわからないけれど、でも美味しかったから、その値段は高いと思わなかった。
 買ったぶりあらは新鮮すぎるものだった。ついさっき、刺身や切り身をつくるときに切り落としたあらをパックにつめて店に出したたようだった。食べたときに、新鮮なぶりの刺身の味がしたからそう思った。あらはすこし臭いものだと思っていたから、口に入れたときのぶり刺しの味を感じて、おどろいて、うれしいような、でも何かしら物足りないような気持ちがした。
 熱燗を飲みながら食べた。新鮮なものでも、そうでないものでも、冬のぶり大根をまた食べられて、また一年を過ごしてきたんだということを、すこし感じた。

痛風に一年ならなかった

 今年一年間、足がもげるほどの痛風にならなかった。びくびくしながら一年すごしたけれど、なんとか去年の十一月から、ひどい痛風発作は来なかった。
 ときどきは左足のくるぶしの下がチクチクしたが、そういうときはいつもよりもっと水を飲んで、おしっこを出すようにした。それで尿酸を溶かして体の外に出した。
 一年間何が一番よかったかというと、三月の父親の葬式とその後の十日間酒を飲まなかったことだろう。それで体の中のアルコール毒素と尿酸をほとんど外に出せたのだろう。
 それからこの一年は、毎日酒をひかえながら飲んだのがよかっただろう。目覚めて朝から飲む日は三日ぐらしかなかった。昼から飲むのは十日間ぐらいだった。夕方早くから飲むのは二十日間くらいだった。そのどれも酒を飲むのは一日一回だけにした。朝飲んで寝て、夕方起きてまた飲むということはしなかった。いや二、三回ぐらいはしたかもしれないが、よくおぼえていない。おぼえていないくらいしか飲まなかったのが良かったのだろう。
 一年間、水も意識してたくさん飲んだ。おしっこを我慢することはしなかった。お客さんのところに行っても、遠慮しないでトイレを借りた。
 だけれど先月十一月は、くるぶしの下のチクチクが何回もあった。寒くなって日本酒を飲みだしたからだろう。そして寒くなって汗をかかなくなって、水を飲む量が減ったからだろう。それでも寒くても我慢して、できるだけ水を飲むようにした。意識しておしっこも出した。一年間痛風にならない自分の記録をつくろうとして、先月下旬に二日間酒を飲まなかった。そうしたら、その後てきめんにくるぶしのチクチクは消えた。
 痛風にならないという自信が、少しだけついた。でもこれからはもっと、アルコールはほどほどにするとか、水をたくさん飲むとか、いもや海草をいっぱい食べるとか、気にしないですむ悩みは気にしないようにしてストレスをためないとか、そういう養生をすることをつづけていくようにするつもりだ。

ドリップコーヒーの粉の使い道

 知り合いからドリップ式のコーヒーを沢山もらった。豆をひいてあって、ドリップの形の厚紙の中に網があって、その中に豆の粉が入っている仕組みのものだ。コーヒーカップの上にセットして、お湯をそそげばコーヒーが飲めるという簡単なものだ。それを100個くらいもらった。
 味は、うまくない。焦げくさい。賞味期限はまだ先のものだから悪くなっているのではない。ローストが強いタイプのものらしいから焦げた味がするのかもしれない。インスタントの方がうまいと思う。インスタントコーヒーの味に慣れてしまったせいかもしれない。
 そしてドリップ式はコーヒーを飲むまでの時間がかかりすぎる。お湯を沸かす時間はインスタントと同じだが、袋を破って、ドリップの型紙を出して、袋をゴミ箱に捨てて、ドリップの厚紙を広げて、カップの上に乗せて、やかんからお湯を少しだけたらして、二、三十秒蒸らす。この待つ時間がもったいない。やることがないから、その間に数をかぞえながら腰を回して体操をする。二十かぞえたらお湯をそそぐ。一気にそそぐとお湯が豆を通らないから少しずつそそぐ。それにも時間がかかってしまう。やっとカップのふちまで黒色の液体がとどく。
 最初のころはカップ一杯でドリップの豆を捨てていたが、このごろはもったいないから一つのドリップで二杯つくる。二杯目の色は薄くなるが、それでも飲む。二杯目はとくに不味い。焦げた木を放り込んだお湯を飲んでいるようだ。
 二杯つくったらドリップの厚紙を、流しの中の納豆の空いたパックをひっくり返して、その上に置いて水を切っておく。パックをひっくり返すのは、パックの水たまりの中に入れても水が切れないからだ。納豆のパックは、よいぐあいに溝があって、ひっくり返すとその溝の凹みから下に水が切れるのだ。
 ここまでが計ってないが三分はかかっているだろう。インスタントなら五秒で終わることなのに。
 今までドリップした後の豆をそのまま捨てていたのだが、四、五日前から納豆のパックの入れ物に入れたまま玄関の土間で二日乾かして、部屋の隅に置いておいている。消臭剤にしているのだ。きくようだ。沢山たまったら実家にも持っていって置いておこうと思っている。

 翌日に追記するが、二杯目のドリップしたコーヒーは、コーヒーの味がしないで、ただ焦げ臭いだけであまりにも不味いから、大きめのカップ一杯だけにドリップしたら、まあまあ美味かった。このドリップの味に慣れたのかもしれない。

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