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徒然のブログ

つれづれの思いなどを

岸田秀はもっと書きつづけてください。搾り出しものぐさ精神分析

 昨年末に偶然図書館で見つけて借りて、昨日読んで、私にとって大事なところを書き写した。俺が勝手に俺の先生だと思っている人の文章の引用として載せさせてもらいます。

 岸田秀『搾り出し ものぐさ精神分析』
 青土社2014年5月20日第一刷発行

『唯幻論始末記』
p126  父親を憎んでいるが、それを無意識へと抑圧し、意識的には父親を心から深く愛しているつもりの患者がいるとする(●表面上は俺と逆だ)。
 フロイトが言うように、「抑圧されたものは必ず回帰する」から、体内の毒素が体の表面に噴き出てきてデキモノになるように、抑圧された父親への無意識的憎しみが、回り道を通って歪んだ形で意識の表面に噴き出てきて、いろいろな症状を惹き起こし、彼は神経症に苦しんでいる。
 彼の神経症を治すためには、
 ◆父親への無意識的憎しみを意識化し、引き受けて自我に組み込むか(●思春期から五十を過ぎた今まで俺がやってきたことだが俺にとっては効果はなかった)、
 あるいは、 ◆◆父親への憎しみを「抑圧するのではなく」心の底から明確に認識し、克服し、全人格的に(意識的にも無意識的にも一貫して)父親と和解するかする必要がある(●このあいだ『父という病』という本を読んで、今それをやっている最中だ。父親が死んだからか、俺が年を取ったからか、今のところ効果があるように思う)。

 父親への無意識的憎しみを意識化するとは、たとえば、幼いときに父親に虐待されたとかのことがあって、父親を憎んで当然であると理論的に理解すればいいというわけではなく、心の底から沸き起こる父親への憎しみに押し流れそうになり、心が乱れて壊れそうで恐ろしい思いをするといった体験があり、父親を憎んでいる自分を実感として知るということであって、それではじめて、父親への憎しみに直面することができ、それを克服できるのである(●俺は今まで、膨大な心理学の本を、哲学書を、純文学を、宗教学の本を、仏教の経典の現代語訳を、社会学の本を、科学の本を、他にもいろいろな分野の本を読みあさってきた。だけどまるで心の奥底の肝心なところには届かなかったらしい。それに自分や周りのことを、いつもいつも考えて考えて考え抜いたつもりだったが、それは徒労だった)。


『あとがき』
 世の中には頭の中にいろいろなことが次から次へと浮かんできて一気呵成に一日に何十枚もの原稿を書く人もいるらしいが、わたしにはそういうことはない。なぜかなかなかわからなかったが、あるとき、母との関係に原因があるのではないかと気づいた。
 ●書くことに内的な禁止があるらしいのである。それに気がつくと、昔のいろいろなことが思い出された。

 そして、この「あとがき」のはじめに記したように、わたしには「全体として一貫した」テーマで書いた本がなく、「その折その折にその場で思いついた雑感を気紛れに書い」た雑文を「適当に集めた」本しかないのも、同じ原因であろう。かつて「教養を高めるのに役立つ難しそうな有益な本」を読むことを禁止した強迫観念が、その後もいくらか残っていて、
 ●一貫したテーマを追求した本を書く根気をもつことが妨げられているらしい。
 わたしはあまり頭が悪いほうではないと思うが、「自分は頭が悪い」という観念が根強くあって、論文を書いたり、講演をしたりするときの妨げになる。自分が考えることに心のどこかで自信がもてず、とんでもない的外れのことを考えているのではないかとの疑念に付きまとわれる。したがって、何か考えるためには、そういう疑念の妨害のスキを突かなければならず、「こう考えていいのだ」と自分に言い聞かせていなければならない。そういう言葉ではっきり言われた記憶はないが、この観念はわたしが逃げるのを防ごうとした母から植えつけられたのではないかと思われる。幼いときに植えつけられた観念は、その後いくら現実に反証されても、消えないらしい。

 忘恩の振る舞いだけでなく、自分が加害者だった場合のほうが気になってくる。かつて自分の「脆弱な」自我を「強い」自我にしようとして結果的に傷つけてしまった男の友人、女の友人、わたしがいじめた人や意地悪した人、わたしを頼ってきたのに冷たく拒否された人、そのほかいろいろな人たちに謝りたいような気になる。しかし、謝って済むものではなく、所詮、過去のことは取り返しがつかない。若い頃は、人が馬鹿なことをしているのが自ずと見えて、人を馬鹿にしていたが、今は、自分がいかに馬鹿であったか、あるかがよくわかってきた。いや、まだよくわかっていないであろう。

 ここで、昔のことをくどくど書いたのは、これが最後のチャンスだと思うからである。
 この雑文集もあちこちの新聞や雑誌に書いた雑文を集めたものであるが、もとの文章に適当に訂正、削除、加筆してあり、タイトルを変更したのもある。
 二〇一四年 四月八日  岸田秀

 このごろ図書館でも本屋でも岸田秀の本を見ないから、岸田はもう年でぼけてしまって書いてないのだと思っていたが、どうしてどうして、あちこちにいろいろな文を書いていた。
 それをまとめた本を見つけて、読んで、嬉しかった。でも岸田秀ももう八十歳というのだから俺も年を取っているのだということをわからせてくれた。

『父という病』

 2016年1月11日成人の日に読み終わった。読み終えるのに時間がかかった。
 読み終わった夜は、暗闇が怖くなくなっていた。枕元のラジオをつけなくても暗い部屋が怖くなくて、眠れた。
 その夜中に、戦争中で中国人が結婚したという夢をみた。どうしてかそれは自分を受け入れたことなのだなと思った。だから暗闇が怖くなくなって、ラジオも聴かなくてもすんだのだと思う。
 本を実家に持っていって、またすこしずつ読みかえした。

 2016年1月12日に思ったこと。
 乗り越えるという言葉。
 この本で言っている乗り越えるという言葉は意味がわからなかった。でも今わかった。乗りこえるということは、山を越えて、新しい地点に到達することだ。

 受け入れるという言葉。
 受け入れるという言葉は、今まで生きてきて、何度聞いてもわからなかった。でも今わかった。
 受け入れるということは、そのことを消化して、自分の血肉にして、いらない物は排泄することだ。

 俺は今まで、できないことばかりをめざしてやってきて、わざと挫折をくり返してきたというのも、今わかった。


 2016年1月14日に思ったこと。
 自分が変わるためには、変わった後の自分を許すしかない。同時に今までの自分も許すしかない。
 自分を許すには、自分をつくった父親、母親、そして父親と母親をつくった祖父、祖母を許すしかない。
 祖父、祖母を許すには、その親や、そのまた親、そのまた親、そしてそのまわりの人たちを許すしかない。
 そうすると、世の中の人たちを許すしかない。
 ということは、世の中の人たちと仲良くならなければ、自分を許すことができない。
 世の中の人たちを許すことができて、仲良くなれれば、自分と仲良くなれる。
 自分と仲良くなれれば、世の中の人と仲良くなれる。
 そうすると、自分を許すことができるだろう。
 そうすると、自分が変わることができるだろう。

 この本を読んでから、人を怒鳴っていない。喧嘩もしていない。喧嘩する気力がなくなっている。自分の精神を治療するために、どこかの病院に入院しているような感じなのだ。薬を飲むようにこの本を読んで、時間があれば暖かいベッドで眠る。おどろいたことに嫌な夢を見なくなった。今までは夢というのは嫌なことを思い出すものだと思っていたのに。
 だけどそうしたら昨日と今日、とても怒った夢を見た。夢の中でこんなに怒ったことはなかったのに初めてのことだ。ゆれているのだろう。

 暗いところも、おばけも、高いところも怖くなくなるかもしれない。それらは幻想なのだから。自分がつくっていた悪いものであり、良すぎるものなのだから。
 五十四歳で生まれ変われるようだ。遅いと思うけれど、仕方がない。

行っていたスーパーがなくなった

 よく行っていた安売りの食品スーパーが閉店した。東区ののぐちだ。安いだけじゃなくて、肉がうまかったから買いに行っていた。他のスーパーは豚肉が臭かったのだけれど、のぐちの豚肉はおいしかった。子供のころに食べていた肉の味がしたのだ。
 野菜もうまかった。人参やジャガイモや玉ねぎは安くて新鮮だった。だけどヨーグルトは買ったばかりなのにシールをめくると表面の上澄みに透明な汁がにじみ出ていた。それはもしかしたら冷蔵庫の温度が高かったのだろうかと思ったから、汁が出ていたのを見てからは買わなかった。
 だけども商品がうまくて安いだけじゃなくて、ネットチラシを見て、今日はのぐちは何が安いかを調べるのが楽しかった。のぐちは思いもしない食べ物を安くしていた。鴨肉の燻製とか、知らないラーメンとか、他にもいろいろあった。だけどもそういう知らなかった食べ物は、食べたらたいていおいしくはなかったのだけれど、一度は食べてもいいかなと思わせたものだった。だからおもしろくて買いに行きたくなったのだった。
 レジのおばちゃんもおにいちゃんも、一生懸命に仕事をする人ばかりだった。社長が厳しかったからだろう。店員さんは一生懸命さとともに気さくさも感じられた。そのことが買いに行きたくなる一番の理由だった。そしてそういう人を雇ったということは社長が頭が良かったのだろう。頭が良かったけれど商売を倒産させたのは、仕方がなかったのだろう。
 のぐちは去年父親が死んだ後ころにネットスーパーで見つけて行きだしたのだが、ブログで書いたら客が増えすぎるかもしれないなどと思って今まで書かなかったのだが、昨日から新潟市のネットをよく見たら2009年ごろから安くて混んでいるスーパーだと知れわたっていたようだった。このブログなどで書いても書かなくても客が増えるわけでもないだろうが、どうしてか他の人間に知らせたくなかったのだ。
 のぐちは、会社の整理をしてから、また東区でスーパーをしてほしい。頑張ってほしい。のぐちに買い物に行きたい客は大勢いると思う。

清潔になったのは年をとったからか

 正月のすぎた八日に書くが、今年の元旦にシーツを洗濯した。月の初めの日の頃の、天気がいい日にシーツを洗濯することにしている。一か月に一回ベッドマットを裏返したり足と頭を変えたりするときに、シーツを洗うのだ。今年の元旦の新潟市は天気が良かったから、洗濯をしたのである。元日に洗濯をしたのは初めてだった。
 シーツを一か月に一回しか洗わないのは不潔なのかもしれないが、今のベッドを買う前は、シーツなど三ヶ月も四ヶ月も洗わないで寝ていたのだから、今はよっぽど清潔になった。それに誰も一緒に寝ないし、ベッドで誰かと汗をかくこともないから、シーツは汚れないのだ。だから昔より、いや大昔より眠るときはシーツは汚れない。
 シーツといっても本当は薄めのベッドマットみたいなすこし厚めのシーツを使っている。綿だから吸湿性もいい。それを二枚重ねにして寝ている。だから一か月洗わないでももつのだと思う。
 だけど夏場は一か月に二回洗濯する。枕カバーに使っているタオルも、夏になると朝起きたら外に干す。昔よりとても清潔になっている。それは年をとって自分が加齢臭を発しているのをわかるからだと思う。年をとったらどうしてか何にでも敏感になっているのだと思う。

年末年始の食べ物

 大晦日と正月の食べるものは、足りなくなることもなくあまらせることもなく、ちょうどいいぐあいだった。大晦日はスーパーの閉店まぎわの刺身の半額セールをねらったが、早い時間に行ってしまったので半額の刺身はなかった。しかもぶりの刺身は脂がのっていなかった。今年は暖かい冬だからだろうか、それとも安い刺身を買ったからだろうか。そういえばおととしの半額のぶりの刺身も脂はのっていなかった。
 初めてのっぺを自作したが、まあまあ、うまかった。里芋がぬるぬるしているからのっぺは嫌いだったのだけれど、去年から里芋もうまいと思ってきだしたから作ってみたのだ。でも世間でいうのっぺではなくて、里芋と人参と鶏むね肉の煮物のようなものだが、そういうほうがうまいと思うからそうした。
 かぼちゃの煮物を三十日に作ってタッパに入れて冷蔵庫の奥にしまいこんだ。それを少しずつ食べた。醤油味だから甘くはないが、かぼちゃきんとんのつもりだった。
 鮭の切り身を買っておいて、一日の夜に電子レンジで焼いて食べた。電子レンジで焼き魚をできる紙パックみたいなものがあって、それは実家にあったのを持ってきたのだが、まあまあまずくはないから時々それを使っていて、元日もそれで焼いて食べた。まあまあおいしかった。
 大晦日の夜から毎日日本酒を飲んでいるが、飲むのは一日一回にして、それも夜だけ飲むようにした。日本酒を飲むあいまに水を飲むようにした。体にアルコールをためないようにして痛風にならないようにするためだ。去年までは朝か昼に酒を飲んで、夕方ちょっと眠って、夜にまた飲んでをくり返していたのだから、だから尿酸も足首の下にたまっただろう。
 今日の四日は正月気分を吹き払うためにも麻婆豆腐を食べている。酒は日本酒ではなくて焼酎だ。
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