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徒然のブログ

つれづれの思いなどを

頃の良い時に死ぬべきだが、殺す権利はない

 このあいだツクイという神奈川県の奥の障害者施設で大量殺人事件があったが、犯人の動機は、教師になりたいという自分の自己実現に失敗したから、やけになって、自分を殺したい、親も殺したいという思いを、自分より弱い存在を殺したいという思いに無意識にすり替えて、施設の障碍者を殺したというだけだ。犯人の親の育て方が悪いのだ。だが犯人もいい年をしているのだから、自分のやったことの責任を取らなければならない。
 ましてや犯人は大麻を吸っていたというのだから、依存心が強い無責任な人間でしかない。ネットで犯人の画像を見たが、頭の悪い我がまま人間でしかない。本人が他人にやったことと同じことを、犯人に味あわせなければならない。体も心も死ぬほど苦しませて死刑にしなければならない。

 俺は昔このブログで、人間は頃のよいところで死ぬべきだと何回も書いたし、他人のブログのコメントでもそれを書いた。今でもその考えは変わっていない。
 だが、自分を殺したい代償として人を殺してまで、誰かを頃の良いときに死なせる権利は俺にはない。誰にもない。

2016年、新発田から三河を通って取上トンネルを通らないで山道をまた走ったこと

 なんとか今日七月二十三日土曜日は一日体が空いた。それでバイクに乗った。
 笹川流れに行こうかと思っていたが、7号線のスピードにも113号線のスピードにも290号線のスピードにもついていけないから、別のところに行くことにした。
 今読んでいる昔の新潟の食事という本で、福島潟のことがのっていたから行こうと思った。そうしたら新発田でどこをどう道を間違えたのか、赤谷に行く道を走っていた。
 今日はバイクに乗ろうと気がせいていたのか朝早く起きて、すぐ朝飯を食べて出てきたから、九時過ぎには腹が減っていた。赤谷に行く道を走っていたとわかったときは十時になろうとするころだった。そこからは赤谷を過ぎて三河の49号線まで出ないとコンビニはない。我慢して走ることにした。
 二年前に休憩した戊辰戦争の碑のところで、バイクをとめて休んだ。持ってきたジュースの酢水割りを飲んだら、腹が減ったのは少しおさまった。
 赤谷を過ぎて、峠を超えて下りになった。それまでにレーサータイプのバイクと何台かすれ違った。飛ばしていた。路面の灰色のアスファルトしか見ていない人間だ。形而下のことしか興味がない人間だ。かかわりたくない。かかわったら喧嘩になるだろう。殺し合いになるかもしれない。だからかかわらないようにしなければ。でも形而下にしか興味がない人間は、世の中のほとんどの人間なのだ。一万人のうちの九千九百九十九人なのだ。溜息が出る。かかわったら殺し合いになるかもしれない。かかわったらいけない。また溜息が出る。

 競輪選手の格好をした自転車乗りともすれ違った。自転車乗りもアスファルトしか見ていない人間が多いだろうが、速度が遅いから景色も見るかもしれないと思っている。人々の暮らしも見ているかもしれない。その地域の歴史も考えているかもしれない。でも願望であり妄想だろう。
 五、六台の自転車のグループが前を走っていた。こちらはエンジンの力で追い越すのが何だか申し訳ないような気がして、いつも生意気な俺でも追い越すときに頭を下げてしまった。

 二年前にも走った三河温泉から細い山道を通って、取上トンネルを通らないで49号に出る道を探しながら走った。
 途中で左に曲がって小さい橋を渡ったところにある部落で、中年の男が家の前で何かの仕事をしていたから声をかけた。
「トンネルを通るのが怖いので、取上トンネルを通らないで済むように、山道を通って取上トンネルの新潟市側の49号に出る道は、これでいいでしょうか」と聞いたら、伝わらなかったから、何度か会話してやっとわかってもらって、「それだったら、この道を道なりに行けば49号に出るよ」と言われた。安心して出発した。
 そうしたらさっき追い越した自転車のグループが、ちょうど橋を渡って、その山道を行こうとしていた。俺と同じ考えなのだろう。
 急な登り道だから自転車は歩くよりも遅い速度で必死でこいでいる。グループが道に広がっている。こちらにとっては邪魔なのだが、自転車乗りたちは自分だけの力で必死で頑張っている。
「すいません、追い越してもいいでしょうか?」と後ろから大声で言ったら、「どうぞ!」と一番後ろの黒いヘルメットの男が答えた。
 また少し頭を下げぎみにして、遠慮しながら道の右端をそろそろと通って追い越した。
 それからはくねくね道を走って、二年前にもあったゴルフ場の前を通ったら下り道になった。
 ゆっくり走りながら15分くらいで49号に出た。すぐにあったセブンイレブンでカップラーメンを買ったのがちょうど昼の12時だった。
 それから新潟市に帰って、さらに海ぞいの道をすこし走ってから午後3時ころに帰った。
 久しぶりにバイクに乗った。満足だ。
 夕方からビールを飲んで書いている。

新潟県は今年は災害がないこと

 週刊天気予報を見たら、し明後日の20日から天気が続くから、そこで梅雨明けなのだろう。今年の梅雨は、毎日だらだらと降り続いて一日晴れた日がほとんどなかったけれど、大雨は降らなかった。今年の冬も大雪は降らなかった。
 梅雨の終わりころには毎年大雨で洪水があったり山崩れがあったりするものだと思っているが、本当はそういう災害は十年か二十年に一回くらいのものだ。大雪もそうだ。ということは十年か二十年に一回のものすごく困ったことを、いつまでも憶えていて、それが毎年のことのように、毎年くることのように、思っているのだろう。
 でもそれほど困ったことは毎年はおこらない。すごく困ったことがおこるのは十年か二十年に一回なのだ。安心しながら暮らしていてもいいのだろう。でも困ったことがおこるかもしれないと用心しながら暮らせばいいのだろう。

公約というのは問題を提起すること


 都知事に立候補した小池が公約で満員電車をなくすと言ったが、できないと思うけれど、問題提起の力はあると思った。
 小池の言いざまで、公約というのは問題提起なのだなと思った。
 問いを立てることなのだろう。
 それは哲学ということだが、政治家ごときが哲学をしているわけもないだろうが、案外まぐれで政治家が哲学したのかもしれない。
 他の候補はまぐれさえおこさないただの政治屋だ。

窓を閉めたか、火を消したか、このごろ強迫神経症になっている

 この二ヶ月くらい、お客さんの家から帰って、窓を閉めないで雨が吹き込んだのじゃないかとか、水道の蛇口を閉めないで水を出しっぱなしにしているのじゃないかとか、ガスレンジの火を消さないでお客さんの家を火事にしたのじゃないかとか、夜も眠られないで過ごしていた。
 リフォーム現場や空き家管理での窓の閉め忘れや蛇口の閉め忘れ、家事代行の家のガスレンジの火の消し忘れ、そういうことを心配しながら毎日、夜をもんもんと過ごしていた。
 それは、自分を信じられなくなっているのだろう。今まで若くて頭も切れて、弁も達って、運動神経も鋭くて、細かいことに気を配れていたのが、年を取った自分を自覚して、喋ろうとしてもいつもどもってしまって言葉が出なくなり、忘れっぽくなって今まで何をしていたのかわからなくなることがあって唖然としてしまうことがあり、いつも腰やひじや腕や足の付け根が痛くて、瞬発力もなくなっているし、長い時間体を動かすのがいやになっているし、もともとのド近眼にくわえて近くのものが見えなくなっているし、動体視力も弱くなっている、そういう自分を自分でわかっていて、自分を信じられなくなっているのだろう。それは強迫神経症というものだろう。おれは高所恐怖症だし、暗いところが怖い症候群だし、病的な完ぺき主義者だし、病的に喧嘩好きだし、絶対に争いには負けないと自分に誓っているし、そういう意味で何かの神経症だろうと自分を自分で思っているし、だからおれは自分は神経症のデパートだと思っているから、いまさら驚かないのだが、強迫神経症だけは格好悪いと思っていて、なおさら自信喪失になっていた。
 遠くの町の空き家管理の家にたびたび行って窓を閉めていたか見に行ったり、家事代行の家に、炊飯器に残っていたご飯を冷蔵庫に入れたのを奥さんに言わないで帰ったのを報告に行くことを口実に、報告しなかったお詫びのしるしだとスーパーで98円の桃ゼリーを買って持って行って謝って、そのついでにガスレンジを見ようと思うのだが、何故だかお宅に入るのが失礼だと思って入れずに玄関で桃ゼリーを奥さんに渡して、結局ガスレンジの火を確認することはしないで帰って、また夜を眠れないでもんもんと過ごして朝をむかえることになっていた。
 二日たってインターネットの新潟市の消防情報を見てもその家の住所の火災情報がないからガスレンジは消して帰ったのだと思う。火を消さないで帰ったとしたら苦情というか文句の電話が来ているだろうけれどそういう連絡もない。だから根拠のない心配をしていただけだったのだ。
 遠い町の空き家管理の家にも、窓を閉めないで雨が吹き込んだのじゃないかと心配で、このあいだ車をとばして行って、中に入って家中の窓を調べたが、閉まっていた。
 リフォーム中のマンションの窓を閉めないで帰って雨が吹き込んでいるのじゃないかと心配で見に行ったが、ちゃんと窓は閉まっていた。
 おれはやるべきことはやっていた。きちんとした仕事をしていた。ということは自分を信じてもいいのだと思った。
 それで安心して今ブログを書いている。四月から休みらしい休みを取っていないから、体も頭も心も、自分の全部が疲れているのかもしれない。といって旅行をしてもおもしろくないし、二日酔いするほど酒を飲んでも次の日が苦しいだけだから深酒はしたくないし、セクシャルな遊びをしたいとも思わないし、ギャンブルは嫌いだし、マージャンだけは好きだったが十年以上していないから勝てないだろうし、ということはやってもおもしろくないだろうし、歌をうたうのも何だかおもしろくなくなっているし、オートバイに乗るのも飽きているところがあるし、山に登るのは毎日体を使っているのだから、いまさら疲れることはしたくなくて、山登りというのは仕事で体を使わないデスクワークの会社員が、週末に体を疲れさせるという目的で坂道を歩くのだろうと思っているところがあるから、毎日体を使っているおれは今さら山登りをしなくてもいいと思ってしまうし、むしろ休みの日は体を休めたい。
 ということは今のおれには、気晴らしというか気分転換というものが、なにもない。
 今思ったが、部屋を片付けて掃除したら気分転換になるだろうか。それとも実家の畑で何か作物をつくったらおもしろいだろうか。
 でも昨夜、真夜中に目を覚ましたとき、何ヶ月ぶりに本を読んだ。すこし気分転換になった。
 いつもなら書いたあと何回も推敲するのだが、これは思ったことを吐き出すように書いた。そして書きっぱなしにする。

ゴミ出しを少しできた

 このあいだ燃えないゴミを捨てた。すごく溜まっていたと思ったけれどスーパーの袋二つ分だけだった。
 燃えるゴミの大きいのも捨てた。久しぶりに新潟市指定の45リットルの袋を使った。二つも使った。それなのに、燃えるゴミに出そうと思っていたゴミを袋に入れ忘れて、残っていた。それまでまた部屋の隅にゴミが残ることになる。また今度45リットル袋を使うときに入れよう。
 それでも溜まっていたゴミを捨てられたということが大事なことだ。
 だけれど一度、四、五日かけて要らない物をまとめたい。いや、それをする気分になることが困難なのだ。だが、やりたい。実家も、そういうふうにやりたい。

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