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徒然のブログ

つれづれの思いなどを

2018、初めてのブリ大根

 この冬初めてブリ大根をつくった。大根が高くて、毎日食べる浅漬けにするのに精一杯で、たくさん使うブリ大根には回せなかったのだ。それに今年はブリのあらも高い。それにスーパーで売っているブリあらのパックには、頭がほとんど入っていないのだ。ブリあらは頭が美味しいのに。
 ブリだけではないが、魚の顔の肉はやわらかくて甘くて、うまい。目玉をほじくり出して口に入れたときの、コリコリした食感は何ともいえない。そして目玉の甘いような苦いような、少し甘じょっぱい味も、舌の上にとろけて美味しく残る。もしかして魚売り場の店員が、自分が買うために頭は売り場に出さないのかと思うほどだ。
 そうしたら、今日日替わりセールで大根が一本198円で安かったし(今年の冬の大根の普段の値段は298円だ)、ブリあらの398円のパックが売れ残って150円で売っていたから、買ったのだ。しかもそのブリあらのパックには頭が一つ半入っていた(半分に割ったのが三個だ)。目玉も見えた。買い得だった。ちなみに原信だ。
 作って食べたら、やはり美味しかった。あらの背骨の太さは親指ほどだった。大きいブリだ。でも大根は高くてもったいないから五センチくらいしか使わなかった。去年までなら大根の三分の一はブリ大根に入れたのに。だが一回で食べきれるから、大根も五センチで丁度でいいのだと思った。
 大根が高いから、おでんも作っていない。だがおでんの具は、よく考えたら揚げ物だらけだから油のとりすぎだと思って、食べない方がいいと思うようになっている。その油も、新鮮な油ではないだろうし。
 この冬は大根もブリあらも高いままだろうから、春になるまで、もう一回くらいブリ大根がつくれればいいなと思っている。

ギターCS40Jを買った

 またヤフオクで中古のギターを買った。ヤマハのCS40Jというミニギターだ。全長92センチ、全巾34センチ、厚み9センチ、ナット巾4.8センチ、弦長58センチの、小ぶりなクラシックギターだ。
 CS40Jをとても欲しかったのだ。去年の秋から、良い出物をずっとヤフオクで探していたのだ。それが二日前、安くて良さそうなものをやっと落札できた。品物が3600円、配送料が1815円、合計5415円だ。CS40Jの中古品の相場は配送料を入れて9000円くらいだから、お買い得だった。
 ヤフオクの出品ページの写真では何箇所かの傷を強調して撮影してあったが、届いた実物は傷も目立たないもので、まあまあキレイなギターだった。正直な、というか気が小さい出品者なのだろう。
 しかし、夜に落札して、二日後の昼過ぎに関東から届くのだから、早い。それも今年の冬は大雪だから道路も渋滞していただろうに。
 ちなみにCS40Jの定価は薄いソフトーケース付きで16,000円。ネット通販での実売価格はソフトケース付きで配送料込みで13000円くらい。ソフトケースが2000円として、新品ギター本体だけでは11000円。だから中古の本体のみなら配送料込みで6000円くらいで買いたいと思っていたのだ。中古で9000円なら、11000円の新品を買おうかなと思うから。

 YAMAHA CS40Jは、無名メーカーのミニギターと違って高いフレットでの音程は狂わないようだ。音叉があれば、あるいはチューニングが合っているギターの一音を聞けば、電子チューナーがなくても自分で5フレットで弦の音を合わせられる。
 音も大きすぎないところがいい。ボディが小さめだから楽にかかえられる。ナット巾がフォークギターより広めだからローコードでも指が窮屈にならない。買ってよかった。
 弾きにくいところもある。弦長が58センチでもブリッジがボディの下の方に付いているから、同じ58センチのフォークギターよりネックが3センチくらい短い。左腕が縮こまる。慣れればいいのだろう。それから私はいつもピックで弾くのだが、クラシックギターだからピックガードがなくて、ボディを傷つけてしまいそうだ。前に買った皮製ピックで弾くことにする。
 インドネシアで作られたせいか、塗装が弱いようだ。ヘッドにヤマハの音叉マークが付いているから、作られてから五年くらいしかたっていないだろうと思うが(それとも十年くらい経っているのかもしれない)、ところどころ塗装が白くなっている。年月がたったギターはおうおうにそうなるのだから仕方がないと思おう。
 それから、くさい。塗装の臭いではなく、木の臭いだと思う。東南アジアの質の悪い木を使っているからだろうか。風通しのいいところに置いておいて、臭いを飛ばそう。

 CS40Jはフォークギター用のカポタストが使えた。クラシックギターの指板は平らだから、クラシックギター用のカポタストでないと真ん中あたりの弦がカポで押さえられずに、弦を弾くとビビるのだが、CS40Jはどうしてなのか今まで使っていたフォークギター用のカポタストが正常に使えた。前に買った弦長53センチのクラシックギターはフォークギター用カポを付けると、3、4弦がビビッたのに。
 そういえばその弦長53センチのミニクラシックギターも高いほうのフレットの音程は正確だった。さすがスペイン製のミニクラシックギターだ。だから、今は弾いていないのだがもったいなくて売りたくない。買ったときからボディにたくさん傷がついていたから、売ったとしても二束三文だろうし。
 CS40Jを買うことができたから、これでもうヤフオクでギター探しはしない。しかし今、六畳間にギターが5本ある。これは異常なことかもしれない。

 ※
 翌日に追記
 弾いてみたら、音が悪い。
 とくにストロークすると音がこもる。音がこもるから一音一音が聞き分けられない。ストロークで一音一音が聞き分けられないというのもおかしい言い方かもしれないが、他のギターならコードでストロークしてもコードの弦の一音一音が聞き取れるが、CS40Jは音がこもるからストロークすると弦のコード全体の音がぐちゃぐちゃに混ざって、いま何のコードを弾いているかさえわからなくなるほどだ。
 これは初心者がCS40Jを弾いたら、よくない。音楽とは、楽器の一音一音の粒がよく聞こえることが良いことになっているし(ボーカルの声も楽器だとしたら、音程の一つ一つを歌い分けることが歌が上手ということになる)、そのほうが聴いていて気持ちがいい。初心者のうちにその経験ができないのはよくないことだし、音楽の耳が育たない。
 でもCS40Jというギターは、小さくて、軽くて、フレットの音程はしっかりしているし、なにより安いから、普段は壁に立てかけておいて、思い立ったらすぐに弾こうと気軽に手に取ることができるから、いい。
 音がこもるということで、弾いても音が大きすぎないから現代の日本の都会の家屋状況に合っている。そういうところが良い。

音楽もバイクも麻雀も人間と接するのも、何かの手段

 ギターを弾いて歌うのは声が出るようになったから、毎日歌わなくなっている。自分で言うのも何だが、まあまあ聴かせられる歌がうたえるようになった気がしている。だから目的を果たしたという達成感とそして脱力感みたいな気持ちだから歌わなくなったのだろう。

 去年の秋から健康麻雀というのに行っていた。月に二、三回行った。それもおもしろくなくなったから、今年になって行かなくなった。そこの雀荘の雰囲気は勝ち負けだけを問題にしているから、つまらないのだ。それはどこの健康麻雀やフリー雀荘も同じだろうが。
 高校生から二十代真ん中くらいまでは麻雀に狂っていた。大学生のときはフリー雀荘に通って何万円も負けていた。それも何かの勉強だと思っていた。たしかに狂っていた。
 いま私が麻雀をしたいのは、麻雀をしながら世間話をすることだ。それもできれば芸術とか人間心理とかを、その場が単に麻雀であり、麻雀をしながら、お互いに攻撃にならないように節度を持って、意見を言い合うことが私の麻雀をする目的なのだが、麻雀が上手な人は頭がいいと思っていたのだが、違った。
 麻雀が強い人は、単に麻雀が上手なだけで、世知辛く計算高い人間なのだとわかったということなのだが、先に書いた私の好きな世間話ができる雰囲気は健康麻雀にはあるだろうと勝手に思っていたのだが、それは私の思い違いだった。金をかけるフリー雀荘と同じ雰囲気だった。あるいは競技麻雀の雰囲気だった。勝つことだけを目指すだけの、底の浅い、おもしろみのない場だった。

 バイクに乗るのは、今は、いや、昔も、バイクに乗ることだけが目的で乗っているのではない。
 バイクに乗りながら、風景を見たり、この峠の道のわきに立っている太くて背の高い樹は、もしかして江戸時代から生えている木だろうかとか、大昔の人が何十万人この峠を越えて歩いていたのだろう、農業の人はそれほど移動しないだろうから、この峠を越える人は商人だろうか、武士だろうか、乞食だろうか、歩いて疲れたときは、あそこの大きな樹の下で持ってきた水を飲みながら休んだのだろうか、とか考えながらバイクで走るのが楽しいのだ。
 四、五年くらい前からは、大昔の戦国時代ころからあると思う部落の中の細い道を、ゆっくりバイクで走るのが楽しくなっている。地形や、川の流れや、田んぼと家が建っている配置の関係や、集落とその墓場の位置関係や、墓場に寄って墓を一つひとつ見るのも楽しい。だからバイクに乗るのは、そういうところに行くことと、そこの場所をゆっくりめぐるための手段になっている。

 ギターを弾いて歌うのも、麻雀をするのも、バイクに乗るのも、何かのための手段なのだと思う。
 それらが単に目的になっているのは、視野が狭いと思うし、そういう狭い世界で視線が沈んで、高くて広いところを見ようとしないのはおもしろくない。
 それはもしかして、人間と関係するのも、何かのための手段なのだろうかもしれない。

無料サイトは更新しなければ削除してほしい

 無料で出している商売のホームページに載せている住所氏名顔写真を消して、身元の案内は、有料のドメインとサーバーで出しているホームページにリンクするようにした。
 有料ドメインとサーバーはお金を払わなければネットから消える。料金は一年に一回払う。だから私がころっと死んでも、一年後にはインターネット上には住所氏名と写真は残らない。という仕組みにした(仕組みというほど大げさなものでもないが)。

 無料ホームページの中の事業所案内が、別サイトにリンクしなければわからないのは見にくいし、クリックという一手間が増えるから、ホームページを見る人に親切ではないが、勘弁してもらう。
 私の無料ホームページはハウスクリーニングの広告だから、今はもうハウスクリーニングよりリフォームの方が売上は大きくなっているから、それでいいということにした。

 ちょっと検索すると、もう商売をやめていて何年も更新していないブログや広告のホームページが、世の中には大量にある。自分の連絡先や顔写真を載せているのも多いが、死んだのか、ログインパスワードがわからなくなって更新も退会もできなくなっているのか、自分で削除するのが面倒くさいのか、サイトを作ったのを忘れているのか、そういうのは格好悪いし、インターネットのゴミになっている。地球上のエネルギーの無駄でもある。

 できれば無料ホームページや無料ブログは、2年更新しなければ削除して自動退会になるということにしてほしい。せめて、一年間ログインしなければ削除することにしてほしい。たしかフリーメールはそうなっている。そうなれば、安心してころっと孤独死できる。
 今度fc2にその提案をしようと思う。

混ぜごはんの素の使いかた

 混ぜご飯の素を初めて買って食べてみたら、塩っぱすぎた。
 ふりかけは三年くらい前からよく買って食べているが、おいしい。それで混ぜご飯の素をふりかけみたいにご飯にかけて食べたらおいしいのじゃないかと思ったのだ。ふりかけは菜っ葉だけのふりかけは売ってないから、それで若菜の混ぜご飯の素で代用しようと思ったのもある。
 だけれど混ぜごはんの素は塩気が強すぎて、ふりかけの代わりにはならなかった。そしてそれはご飯が温かいことが使う条件のようだ。混ぜご飯の素の具が、温かいご飯に混ぜられて、ご飯の温かみと湿度で具がしっとり柔らかくなり、そして塩気がご飯に溶けることで、おむすびの美味さになる仕組みだ。
 だから冷や飯には合わないし、ご飯が温かくても、ご飯の表面にふりかけるだけでは具が柔らかくならないから、口に入れると細かい硬いゴミを噛んでいるような心地がする。温かいご飯、それも湿気が多いご飯に混ぜこまなければならない。そしておむすびのために作られているから塩気が強すぎるから、ふりかけみたいに沢山ふりかけると塩っぱくなりすぎる。ふりかけの半分くらいで塩味はちょうどいい。

 このごろ野菜が高くなってもやしを買って食べるようになったのだが、電子レンジでもやしを蒸し煮にしたときの味付けに若菜の混ぜご飯の素を混ぜ込んでみたら、おいしかった。
 そうめんの味付けで、醤油の代わりにふりかけてみたら、うまかった。
 もやしもそうめんも温かくて水気があるから若菜の具がやわらかくなって、そして塩気がちょうどよかった。
 やってみてないが、お湯にふりかけてスープ代わりにするのもいいかもしれない。ようは調味料、味塩の代わりにするということだ。
 だけれど塩のとりすぎは体によくないから、ひかえめにふりかけようと思う。
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