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徒然のブログ

つれづれの思いなどを

久しぶりのぎっくり腰で本を読んだこと

 昨日部屋の片付けをして鴨居の上の小さい押入れの中の物を捨てたり入れ替えたりして、椅子に登ったり降りたりしたら、今朝起きたらぎっくり腰みたいに痛くて動けなかった。
 今日も時間をつくって片付けようと思っていたのだが、痛くて痛くて、朝食を食べた後もベッドで横になっていた。昼過ぎになっても痛みがひく気配がないから、去年の夏に右腕が痛くなって整形外科に行ってもらった湿布薬の残りがあったのを思い出して、腰に貼った。そして食事と排泄以外は一日ベッドにいた。
 十年以上前のぎっくり腰のときはエアコンクリーニングで脚立を何回も上り下りして、さらに背中を反って力を入れて動いたのが原因だが、昨日も同じ動作をしていたと気づいた。背中を反って重いものを持ち上げるのをくり返すのが腰にいけないのだろう。
 今朝起きたときにベッドから降りて歩こうとしたら、膝の上も痛かった、それは何回も椅子に上り下りした筋肉痛だろう。今朝から腰が痛いのも本当は筋肉痛だろう。前にエアコンクリーニングで腰を傷めたのも筋肉を使いすぎた痛みだ。
 背中を後ろ側に反るというのは、思ったより腰の筋肉を疲労させるのだろう。といって掃除や片付けではやらなければならない動作だから、年をとって腰を使いすぎたら、その後暖かい風呂に入って筋肉を暖めて血のめぐりを良くするとか、もんでマッサージするとかをしなければならないのだろう。面倒くさがるのがよくなかった。

 だけれどそのおかげでベッドで本を読めた。
 昔の外国人が書いた日本のことがおもしろかった。その外国人は女だ。大阪のドヤ街で福祉の仕事をしたことや、京都の芸者になったことや、パチンコ屋を開いたことなどの奮闘記だ。文章は下手なのだが、熱気がある。そして文をつづる視点が珍しい。視点が珍しいのに共感できるのだ。
 今までなかったものの見方と、そう言われればたしかにそうだという気持ちは、芸術の一番大事なことだ。そのことを再認識させてくれた。
 女の外国人が昔の日本で生きていくのは辛かったろう。でも自分さえよければいいとならずに、筋道を通す生き方をして、自分の弱さもズルさも自覚して、ときどきはユーモアを持って、正直に生きていた生き方を書いた文を読むと気持ちがいいものだなと改めて思った。
 何年か一回はぎっくり腰になってベッドで本を読むのもいいかもしれないと思ったが、別にぎっくり腰にならなくても本は読めるし、もっと年をとってぎっくり腰になったら治るのに日にちがかかるだろうから、これからは腰のことは気をつけようと思う。

あんかをしまった春

 今日の最高気温は20度だったそうだが、たしかに午後から夕方までは半そでで過ごした。
 今日から、あんかを片付けた。昨日まで使っていたエアコンの暖房も明日から付けないから、リモコンの電池を抜いた。二三日うちにフィルターを洗おう。しかし天気予報では明後日の最低気温は1度だそうだから、その時はまたリモコンに電池を入れるかもしれない。
 窓の障子も外して部屋の隅に立てかけた。障子は冬場の断熱材の役目でしかない。断熱材と、ギターと歌の防音材でもある。
 でも陽が差し込むほうが断然良い。だから冬じゃない季節は、窓全体を透明にするために障子は外す。換気をするために窓を開けるとき、障子があると引き戸を引く手間が増えるのも面倒だから。
 春の季節に合わせる片付けをしているが、これで花粉が飛ばなければいいのだが、こればかりは仕方がない。自然と自分の折り合いが合わないこともある。

 ※
 3月31日の朝の気温の予報が2度だったから30日の夜にまたあんかを出した。
 そして28日と29日に部屋の片づけをして、30日の朝起きたら腰が傷んでいたから、31日にあんかを出して、そのまま寝るときは足を暖めようして、4月中旬まであんかを使った。

クラシックギターCS40Jにスマホ用ピックガードをつけて、弦を替えた

 ヤフオクで買ったヤマハのCS40Jに、ピックガードの代わりにスマホの画面の保護シールを貼った。
 買ったばかりの時に爪でストロークをしたら、フォークギターであればピックガードがあるところに何本か引っかき傷がついた。だからピックガードを買って貼ろうと思ったのだが、クラシックギターにピックガードがあるのはヘンだと思って、それなら透明のを貼ろうかと思ったが、もしピックガードが嫌になったら剥がそうとしても接着剤がくっついてキレイに剥がせないだろうと思って、それとCS40Jはミニギターだから普通のピックガードはギターにたいして大きくて、見た目も剥がしたときもおかしくなるだろうと思って迷っていた。
 ふとスマホの画面の保護シートなら、貼ってもキレイに剥がせるだろうし、小さくて良いとひらめいた。ネットでそういうことをしている人がいるだろうかと思って調べたら、ブログにそういうことをしていると書いている人がいた。だから100円ショップで買ってきた。
 タブレット用の方が大きくていいかと思ったが、サランラップみたいに薄くてピックガードの役目をはたさないだろうと思い、厚めのを探したらスマホ用のものしかなかった。しかもガラスでできているらしい。
 貼ってみたら、大きさもちょうどいい。
クラシックギターにスマホの画面保護シールを貼った1

クラシックギターにスマホの画面保護シールを貼った2

 サウンドホールに出っぱっているところをカッターで切ろうとしたら、刃がたたなかった。ガラスでできているというのは本当らしい。でもガラス繊維ということなのだろうが。そしてマジックペンで文字を書こうとしたらインクが乗らない。ボールペンでも書けない。ガラスなのだなあと思った。
 ブログの人は、スマホ画面保護シールは、貼りっぱなしだとギターの表面の塗装を傷めるかもしれないと書いていた。このギターにそれを貼ったのは一ヶ月くらい前で、今日剥がしてみたが、何ともなかった。これから二ヶ月くらいおきに剥がして、ボディ表面を拭くことにする。

 今までこのギターを弾くと左指が臭くなった。たぶん前の持ち主の手の脂がしみこんでいたのだろう。それで弾くのが嫌になっていたが、今日弦を張り替えた。この間ヤフオクで安い弦を買っていたのだ。
 クラシックギターの弦を張り替えるのは二回目だから、すんなり張り替えられた。でもネットの張替え方のサイトを見ながらやった。あいかわらずクラシックギターの弦は、すぐに音程が下がる。前に交換した弦は、伸びきって音が下がらなくなるまで一ヶ月かかった。伸びきった弦は良い音はしないということだが(弦が伸びる期間がサスティーンがきいて良い音になるのだそうだ)、良い音がするよりもチューニングが安定するほうがいい。
 張り替えてから手を洗って、少し弾いてみたが、左手の指は臭くならなかった。
 これでまたギターを弾く気になるだろう。でも暖かくなって窓を開けるようになるから、大きな音で弾けないし、大きな声で歌えなくなる。とくに夜は近所迷惑だろう。昼間家にいるときだけにしたほうがいいかもしれない。

酒パック他を捨てた

 今日は三月なのに、じっとしてると体のしんがほてるほどの気温だった。動いたほうが暑さは気がまぎれた。最高気温は17度だった。明日は18度だそうだ。
 たまっていた日本酒の紙パックを全部つぶしてゴミ袋に入れた。30パックはあったろう。ほかにもヤフオクで買って配達されたギターに巻かれていた厚手の紙とかを捨てた。
 駐車場で使っていた赤いコーンが今年の大雪でつぶれて、玄関の土間に置いておいたも捨てた。どこかからか中に水が入るようになった長靴も捨てた。去年底が剥がれたサンダルも二足捨てた。
 生ゴミを米の袋に入れて二週間たまったのも、大きなゴミ袋に入れた。
 だけれどたくさんゴミを出したのに、ぜんぜん部屋の中の見た目は変わらない。今までゴミのまとめ方が上手だったのか、まだまだ捨てなければならないゴミが多いのか、両方だろう。
 急に暖かくなって体のしんがおかしい感じがするから、春の暖かさに慣れたころに、また部屋を片付ける。

2018年3月23日、日本酒のシーズンを終わる

 今日で今冬の日本酒を飲み終わることにする。
 酒パックの中身がなくなるから、ちょうどいい。
 パックが何十個もたまっている。この次の燃えるゴミの日にまとめて出す。
 そうすればゴミ屋敷も少しは改善するだろう。
 人の家の掃除はするのに、自分の住む中の掃除はできないのだから精神的におかしいのかもしれない。
 父親が死んだ後ころから、部屋の中の物が増えた。あれから三年経つから、そろそろ物を捨てて、心が身軽になれる気がする。
 だから今夜、日本酒をぜんぶ飲み終わったら、その後は日本酒に合わない牛肉ステーキを焼いて、焼酎を飲む。

コンビニでカップラーメンを立ち食い

 昨日、実家からオートバイを持ってきた。乗ってきた。先週は暖かかったのに、今週になったら雨が降って寒くなった。その晴れ間をねらって乗ったのだ。でも寒かった。黒崎の道路わきの温度計は5度だった。
 あんまり寒かったからセブンイレブンでカップラーメンを食べようと思って、店に入って聞いた。
「買ったものを店の中で食べられますか」
「いえ、できません」とレジの若い女はどうしてか笑いながら答えた。このごろの新潟市のセブンイレブンは店内に小さなイートインコーナーがあって、カウンターに椅子がある店がある。白根のセブンイレブンもそうかなと思ったが、まだそういうのはなかった。
 でもカップラーメン(黒胡麻坦坦麺)を買って、お湯を入れて、立ちながら食べた。最近はレジのわきに豆いりコーヒーの機械がそびえ立っていて、レジからはこっちが見えないから、店の中の、店の隅っこで、立ち食いで食べた。俺はできるだけ行儀良い立ち食いの所作をしようと心がけて、顔つきも自分なりに可愛らしさを強調しながら食べた。だからなのか他の店員が品出しをしているのだけれど、俺の方は見ないようにしてくれているようだった。店に入ってくる客も俺のことは見ないようにしているみたいだった。
 無事に食べ終わった。おかげであたたまった。
 食べ終わって文藝春秋を十分間立ち読みしてカップラーメンを少し消化させてからバイクに乗った。その後は寒さはあまり感じなくなった。セブンイレブンよ、ありがとう。

ユーザー車検を受けた。2018年

 今日、軽自動車のユーザー車検に行った。問題なく終わった。
 車検場の職員たちは、年々親切になっている。まともな社会人の言動もできるようになっている。新潟市の人間には珍しく敬語も喋れる。初めて行ったときは対応が上から目線で横柄で怒鳴りつけたが、ユーザー車検を受ける人の中で俺みたいな人間が大勢いたのかもしれない。だが職員たちはあいかわらず車屋たちには少し横柄だった。
 話はずれるが、車屋の人間は、建築職人と同じくらいガラが悪い。今日は暑いくらいなのにズボンのポケットに手を入れているし、煙草を吸う人間も多い。変な咳をしている男が多かった。いつも疲れた顔つきをしている。ふてくされた顔つきの奴らも多い。何かのひょうしにチェッと言う奴もいた。車業界の人間とは付き合いたくない。心身の健康のためにも近づきたくない。暴言を書くが、車業界の奴らは工業高校に行った人間がほとんどだろうが、勉強ができない人間とは付き合いたくない。勉強ができればいいということではないが、せめて学校の勉強くらいはできる人間でないと、ふてくされた顔つきになって、お客の前でもチェッとつぶやく男になるのだろう。

 先回、車の中の荷物を出させられたから、今朝行く前に駐車場に9割がた出して行った。職員に聞いたら、車内の荷物は、大きさではなく重さが問題で、目安として50キロ以内なら車内に物を置いたまま車検を受けることができるそうだ。このあいだタイヤを積んでいた人がいて、車からおろして車検場の駐車場の隅に置いて車検を受けたそうだ。
 驚いたことに、ライトの検査は、今回からロービームで計るようになった。俺が検査で車に乗っているときにハイビームにしたら、職員が横に来てロービームにしてくださいと言った。その後の排気ガスの検査では、職員が俺の車のマフラーに検査の棒を入れてくれた。そのときにお礼を言ってから、「ライトの検査はロービームになったんですか」と聞いたら、そうですと答えた。ハイビームはほとんど使わないから現実的なやり方だろう。そういえば検査場に入る前の事前のチェックで、ハイビームになるかどうかを見られた。
 荷台においている荷物を降ろすために、実家に行って、おろして、実家のほうの車検場で受けようと思っていたが、向こうに行く日にちがなくて行けなかったけれど、新潟市で受けてよかった。
 それと自賠責保険は車検場で入ることができた。先回より少し安くなっている。そういえばオートバイの自賠責も安くなっている。世の中の交通事故が少なくなっているからだろう。

今日は本当の春の暖かさだった

 今日は暖かかった。朝は肌寒かったが、昼前ころから気温がぐんぐん上がって、最高気温は17度だった。本当の春が来た。明日はもっと暖かくなるそうだ。
 Yahooの天気予報をよく見るのだが、今日は花粉は少ないとあったから安心していたが、ラジオは新潟県は花粉が沢山飛んでいたと言っていた。どっちなのかわからないが、四五日前からくしゃみは出ているし、鼻はむずむずしている。花粉は飛んでいるのだろう。
 冬場はインフルエンザが怖いから、外に出るときはマスクをする。春は花粉が怖いからマスクをする。11月下旬から5月上旬までマスクをする。ほとんど半年はマスクをして外に出る。おかげでか何年もインフルエンザにはかかっていない。
 でも春は暖かくなったり寒くなったりするから、マスクも上着も、ももひきもまだ仕舞えない。そしてそろそろ今シーズンの冬場の日本酒の飲みおさめだろう。
 あと、もう道路に消雪剤はまかないだろうから、車の下回りと洗車をした。

ブリ大根の残り汁

 この冬二回目のブリ大根を作って食べた。先回は2月23日だった。
 今日はスーパーの日替わりで大根が一本158円で売っていたから、買った。だからついでに魚売り場でブリのあらを買って、ブリ大根を作ったのだ。
 今日つくったもので今シーズンのブリ大根は最後だろう。昔よりブリのあらは高くなっているし、大根は相変わらず高いままだから。いまだ大根の相場は一本298円だ。それに春になればブリの脂は減って、ブリはおいしくなくなっていくし。

 ブリ大根の残り汁は一晩たつと固まる。それをシンクの排水口に流すのは良くないように思う。固まらないうちに排水口に流すのも良くないことだと思う。時間がたって排水管にこびりついたり、下水管の中で固まってしまうように思うのだ。そんなことはないのだろうし、神経質すぎるかもしれない。でもそう思うのだから仕方がない。だから先回は、残り汁を豆腐の空き入れ物に入れておいて、固めて、それを燃えるゴミで出した。今夜もそうする。
 だけれど、固まっ汁を少しだけ残しておいて、暖かいご飯にかけて食べるのもうまい。明日の朝はそうする。

セルフレジでカードを忘れたこと

 今日原信でセルフレジにクレジットカードを差しっぱなしで帰ってしまった。
 ふと何か考え事をしていたのだ。それでカードを取るのを忘れてしまった。
 店から出るところで後ろから声をかけられて、美人の店員が(そう見えたのだろうが)追いかけてきて、お客様、カードを忘れられました、と言って手渡してくれた。
 ありがとう、助かりましたと俺は格好つけて答えた。頭も下げた。店員は美人だった(と見えた)。
 いつも慎重な俺でもこういう忘れ物をするのかと自分を疑ったが、人間だから仕方がないのだろう。
 人間だから仕方がないということは、俺以外の人間にも当てはまると思って、他人にたいしてもっと優しく、寛容にしようかなと、一瞬だけ思った。がすぐにまた人に厳しくなってしまう俺は孤独死で世の中に迷惑をかける存在なのかもしれない。これからどうしたらいいか考えながら生きる。

雪がなくて暖かいところに住みたいと思うのだろう

 今年の冬は新潟市でも大雪が降って寒かったが、長岡市はもっと雪が降って、長岡はやっぱり住みにくいと思ったし、それよりも十日町市や湯沢はもっと雪は降るし寒いから住みたくない。そしてこの冬のオリンピックの女子カーリングのチームは北海道の北のほうの場所にあって、動画を見たら雪はあるし北海道だから寒いだろうし、そこには住みたくないと思った。
 新潟市に住んでいる私が長岡も湯沢も北海道も住みたくないのだから、東京の人はもっと住みたくないだろうし、九州の人はもっと住みたくないだろう。
 でも北海道に生まれた人は、いや十日町でも湯沢でも、そこに生まれた人は、雪があっても住みたいとこれからも思うのかもしれない。いや私みたいにそうでないかもしれない。やっぱり、そうでないだろうなと思う。
 聞いてみたいと思うが、聞くのは失礼だとも思う。

2018年の三月、雪がなくなった

 今日は天気が良くて、気温が19度になった。四月下旬から五月上旬の気温だそうだ。
 新潟県で三月初めで19度になったのは初めての記憶だ。
 今日は一日中窓を開けて風を入れた。
 今年は大雪だったのに、新潟市の今は雪がたまっていた細い道にも雪はない。
 2011年の大震災の年の三月は雪があった。父親が死んだ2015年の三月も雪はあった。
 明日は少し気温が下がるらしいが、これから下がったり、上がったりして、春になる。
 朝と夕方に、日が伸びているのがわかる。これから虫や草の芽が土から出る。
 そういえばおととい、スーパーでふきのとうの天麩羅を買ってきて食べた。

平昌オリンピックで初めて五輪で感動した

 もともとオリンピックなど興味がないのだが、今回の冬のオリンピックはおもしろいと思った。
 大会が始まったころはいつものようにネットのニュースも見なかったが、男子フィギアで連続の金メダルを取ったのはすごいと思って、ネットで動画を見た。その選手の言動は男として気持ち悪いと思っているのだが、結果を出したのだから運動選手としてはものすごい。それからネットのオリンピックのニュースをチェックしだした。
 その次は女子スピードスケートの500メートルの金メダルだ。長野県の女の人だそうだが、控えめな言動で、目がはなれている童顔で可愛らしく、私が嫌いな韓国の国の自分に負けた選手に人として手を差し伸べたことをしたかっこよさを見て、好きになった。
 大会の初めころにあったスノーボードの銀メダルの新潟県出身の選手のストイックさも尊敬できるものを見た。写真で髪がたを見たらチャラチャラしているように思ったが、精神は武道を追求するサムライのように思った。
 そしてカーリングだ。カーリングなど嫌いだった。いやまるで興味がなかった。競技時間が長ったらしくて、メリハリがなくて、ルールも知らないから何をやっているかがわからなくて、あんなものが運動なのかと思っていた。それは今でも思ってるが。
 だけれど、運動としてではなく、今回の日本代表チームの結成のドラマをネットニュースで知って、いくつか動画を見た。頑張っているんだなあと思って、涙が出た。それから、いつも屈託なくニコニコして頑張っている、そしてムチムチした体の女子を見るのも気持ちがいい。

 私は基本的に、自分がやることに興味はあるが、自分以外がやっている運動や趣味に興味を持たないし感動などしない。だからオリンピックにも興味がない。だけれど今回の韓国の冬のオリンピックは、ドラマがあった。人間としてのドラマに感動したのだと思う。
 自分以外がやっている運動に興味はないのだが、駅伝やマラソンをじかに見るときは、応援してしまう。あの苦しそうな顔で一生懸命走っているのを真近かで見たら、そしてその顔つきの人間が何人も目の前を走っていたら、頑張れ、と大きな声が出てしまう。
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