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徒然のブログ

つれづれの思いなどを

二十年ぶりくらいに食べた二十世紀梨は美味しかったのと、大型台風が来ること

 今日、梨を食べた。二十年ぶりくらいに食べた。二十世紀梨だ。子供のころ初めて二十世紀梨を食べた味を思い出した。それまで長十郎梨しか食べたことがなかったときに、二十世紀という梨を食べて、その柔らかさに感動したのを思い出した。
 梨は品種改良されて、二十世紀梨よりもっと甘くて柔らかいのが世の中に出ている。でも二十世紀梨を初めて食べた感動を思い出すと、おいしいと言われている最近の梨を食べても、それほどでもない。梨を食べるのなら、やっぱり二十世紀梨を食べたいと思ってしまう。
 でも秋になっても、ちょくちょく梨を食べたいとは思わない。そもそもどうしてなのか、果物を食べたいと思わないのだ。果物はたいが酸っぱい。たぶん酸っぱい野菜が嫌いなのだと思う。ぶどうなどは子供のころ以来食べていない。
 どうして酸っぱい野菜が嫌いなのかはわからない。だが嫌いなのだから、食べない。甘すぎるのも嫌だ。甘いブドウは腐っているようで食べたくない。メロンも甘すぎるから嫌いだ。程よい甘さの果物が好きだ。それは柿なのだが、毎年秋になると、スーパーでときどき買って、季節のうちに十個くらい買って食べている。一個100円しないくらいで、安いものだから、つい買い物カゴにいれてしまう。柿は柿でも、干し柿は甘くなりすぎるから食べたくない。酸っぱくなく甘すぎない果物じゃなければ食べたくないのだ。
 梨のことから柿のことになったが、久しぶりに二十世紀梨を食べて、やっぱり二十世紀梨はおいしいなあと思った。今日買ったのは一個98円だった。

 今夜の夜中にまた大きな台風が来る。米を三合炊いておいた。携帯電話の充電をしておいた。焼酎の4リットルボトルに水を入れておいた。車のガソリンはいつも満タンにしておいている。台風の備えはそのくらいだ。
 梨農家さんの台風の備えは、風で梨が落ちる前に収穫することらしい。それで今日、二十世紀梨が安かったのか、それともいつもそのくらいの値段なのかは、梨というか果物を買わないからわからない。

※次の日の夜に追記
 強い台風のことだが、たいしたことはなかった。
 台風は夜中に新潟県を通るということで、水を用意したり、ご飯をよけいに炊いたりしたが、朝起きて窓を開けてみたら、外は昨日と同じ風景だった。
 だけど、夜中に夢はよく見た。緊張して眠りが浅かったのだろう。いろいろなストーリーの夢を見た。夢の中で藤田という人間を唐突に呼んだことを憶えている。
 新潟市の台風は夜中に来ることが多いのだろうか。九州と中国地方が朝から午前中を通り、昼すぎに近畿を通り、信州、関東を夕方に通り過ぎ、夜中に新潟県を通っていく。今回の台風は最初はゆっくりとした動きだったそうだが、日本列島に入ったら時速60キロで進んだそうだ。そして新潟県には夜中の3時ころに台風の目が通過したらしい。だからネットの天気予報の結果は、3時の風速が1メートルだった。台風の目の中に入ると風が止むそうだから。
 そして台風が去った朝から、今の夜も、風は強いままだ。早いスピードで去っていったのに、台風の吹き返しというが、今回の吹き返しは長い間吹いている。明日の天気予報も風は強い。さすが強い台風だった。
 だけれど今年の台風では、気圧が下がっての右ひじは痛まない。それほど腕を使わないからだろう。台風が来ると知ったら、とくに体を休めるようにしているから。

56歳でまた生まれ変わって悟ったことは自分ができることしかやらないということ

 昨日2018年9月24日(月)秋分の日の次の日、私は生まれ変わった。
 人と争って、また人間の醜さを思い知った。
 そうして人を変わらせることはできないのだと思い知った。人は変わらないのだ。なぜなら人は頭が悪いから、そのまま変わらずに生きていくしかないのだ。変われる人は、一千万人に一人くらいなのだ。変わらせようとしても無駄なのだ。無駄なことをしていたら、自分がつぶれてしまう。
 人を変わらせようと思っていた私が、変わらなければ私がつぶれてしまうのだ。
 だから私が変わろうと思った。
 変わるためには、自分の考えを変えなければならない。
 自分の考えを変えるためには、自分が生まれ変わらなければならない。
 生まれ変わるためには、いったん死んで、新しい人間にならなければならない。
 だからいったん死のうと思った。
 死んだことがないから、死ぬことを稽古しながら精神的に死ぬことをくり返した。
 苦しかった。心が苦しかった。何もかもいやだった。
 自分の周りなどなくなってしまえばいいと思った。でもそれも自分の自分勝手な思いだと思って、さらに何もかもいやになった。
 いやになって、いやになって、何が何だかわからなくなって、目をつぶって震えていた。
 そうしていたら、運よく死ねたようだった。
 その後は産まれることだ。
 産まれることも時間がかかって、苦しいだろう。

 産みの苦しみというが、心の苦しみが体に回って、頭の後ろ側の両脇が痛くて痛くて、四時間も七転八倒した。
 本を読んでも、インターネットをしてもおもしろくなくて、一分ももたずに本を閉じて、ブラウザーを閉じた。そしてそれをくり返した。
 苦しんでいるあいだに、自分は新しい自分になるために、いったん死んで、生まれるんだ、と思いながら苦しんだ。

 そのときラジオで聞いていたテレフォン人生相談で、いいアドバイスがあった。
 無責任な人間のズルイ人間のために何かをすると、自分がつぶされてしまう。ズルイ人間は一番弱い人に責任をかぶせるから、あなたがつぶされてしまう。あなたがつぶされてしまうと、仲間のためにもよくないから、あなたは自分ができることだけやればいい、というか自分ができることだけやらなければ自分がつぶされてしまうから、自分ができることだけやらなければならない。

 社会のために自分を投げ出すことをしていたら、自分がつぶされてしまう。昨日、自分がつぶされてしまいそうなことになったから、そういう生き方をやめたいと思ったのだ。
 社会は、無責任でズルイ人間ばかりだと思い知った。長いものに巻かれる人間ばかりだ。それは権力側の人間も、その腰ぎんちゃくも、ズルイ人間ばかりだった。いや、ふつうにそこらへんに生きている人たちもそうだった。それを思い知った。
 私の見方はいなかった。私は一ぼっちで責任を負わせられた。

 もう私は私ができることしかやらない。
 そう決めたら、気が楽になったのだ。今朝、気持ちよく目覚められた。いつも死にたいと思っていたけれど、そう思うことがすくなくなった。自分が勝手に背負っていた責任が減ったからだろう。

 そうして今日、外で初めて会った人との会話は気持ちよくできた。
 今日、一人で、自分の葬式と、自分の誕生祝いをした。
 これから一週間くらいで、私に新しい名前をつけようと思う。

彼岸の頃は衣替えとちょっと大掃除にちょうどいい時期

 今日、自分の衣替えをした。夏物を夏物用の衣類ケースにしまって、押入れの下の奥の冬物用の衣類ケースと場所を入れ替えた。一週間前から涼しくなって、短パンを穿かなくなって、ジーパンを穿くようになっていたが、暑くなることもあるかもしれない、短パンを穿くこともあるかもしれないと思っていたのだが、体がもう完全に秋になったことがわかって、夏物をしまったのだ。
 今年の夏は短パンを二枚しか使わなかった。二枚を洗濯して使いまわした。夏物のシャツは一枚も使わなかった。ふだん着ているTシャツを洗濯して着まわした。ことしは異常な暑さだったから、なるべく外に出ないようにしていたから、着るものも少なくて済んだのだ。
 それが今月九月の中旬に、急に涼しくなった。夜などは布団を出して寝ていた。窓も閉めて寝た。一昨日からはステテコを穿いている。今夜は長袖のTシャツを着て寝ようと思う。
 季節のことには関係ないが、今日は部屋の掃除をしていたら掃除機の排気が臭かったから、紙パックを交換した。パンパンにふくらんでいた。パックからたくさんゴミがはみ出していた。掃除機のフィルターにもゴミとホコリがたくさん着いていた。フィルターを洗って干して、元に戻した。
 あと二日で秋分の日だ。そうしたら昼間の時間が短くなっていく。季節がだんだん冬に変わっていく。彼岸の頃は、衣替えや大掃除には、ちょうどいい時期だ。

あごヒゲと下の毛に白いものが出た年頃は五十六歳

 二週間くらい前にあごヒゲに白い毛を見つけた。二日間剃らなかったら、五ミリくらいの白いものが十本くらい生えていた。
 そして昨日見たのは、下の毛に一本、白く細い糸みたいなのがあった。糸くずかと思って引っ張ってみたら皮膚が持ち上がったから自分の毛なんだとわかった。
 髪の毛は中学生のときに何本か白くなって、次は鼻毛が四十代の初め頃に何本か白くなって、それから耳の上のびんのところが白くなったのは四十代の終わり頃で、五十代半ばになったらあごヒゲに白いものが出てきて、とうとう五十六歳になって下の毛に一本白いのが出た。
 毛というのはこういう年の取り方で白くなるのだと、自分の体で知った。
 毛が白くなるのは別に痛くもかゆくもないのだが、一ヶ月くらい前から左の足の付け根の外側がチクチク痛みだした。
 バイクに乗るから筋肉や筋が疲れて傷むのだろうと思ったが、自分のいろいろなところの毛が白くなったのを見たら、自分の年のせいだろうと思った。父親も年を取ったときの日記に、股関節が痛いと書いていたから、遺伝の痛みなのだろう。
 運動神経が良くて、足腰が丈夫なことが取り得な自分でも、そういう関節の異常の遺伝があるのだなと覚悟した。

北方領土など要らないと決めろ

 ロシアのプーチンが、北方領土問題を棚上げして年末までに無条件での平和条約締結を求めると、今ロシアに行っている安部首相に言ったらしい。
 日本は北方領土を取り返したいと色気を出しているから舐められるのだ。
 北方領土など要らないと腹を決めれば、そういう屈辱など舐めなくてもすむ。
 いろいろな理由を考えればロシアが北方領土を返すことなどないことはわかっているはずだし、北方領土が返ってきたとしてもそのメリットは僅かなものだ。北方領土を返させる運動をすることで、その運動に税金を使うことで、うまみを得る人間がいるから、返還運動が続いているのだろう。
 北方領土が日本のものでないのは、もうすぐ八十年になるのだ。そろそろ百年だぞ。それで何か大きな問題があったか。ない。だから北方領土は要らないと、決めればいいのだ。
 だが、ロシアには北方領土を返せと言いつづけて、金をかけずに日本の中だけで静かに言い続ければいい。北方領土など本当は要らないのだけれど、と自覚しながら、言い続ければいい。そのためにロシアには未来永劫、何も援助はしなければいい。つかず離れずに付き合えばいいのだ。
 そして日本の領土に戦闘機を飛ばしてきたら、遠慮なく打ち落とせばいい。向こうだってそうしているのだし、発端は向こうにあるのだから。
 ロシアは信用するな。中国もだ。朝鮮半島の国もだ。いや、世界のほとんどの外国は信用できない。自分の国である日本の中の日本人だって信用できないのだから。自分勝手な人間なのだから。泥棒根性の人間ばかりなのだから。

現金は持たなくてもいいと改めて思った

 この間の北海道の大地震で、北海道のほとんどが停電したが、二日間で電気が通った。ラジオで経済産業大臣が早く復旧させると言っていたが、本当だった。無理をしたのだろう。人件費をかけたのだろう。
 停電ではクレジットカードや電子マネーが使えない。政府は今、キャッシュレスを進めている。それもあって電気を通すことに必死になったのかもしれない。
 私も買い物では現金を使わない。クレジットカードがほとんどで、たまにセブンイレブンでnanacoカードを使う。財布の中には三千円と少しの小銭しか入れてない。部屋には千円札が6枚と小銭が1000円分くらい置いてある。北海道の停電のニュースを聞いて、これでは震災で停電になったときに現金が足りないのではないかと思った。
 でも考えたら、現金をたくさん持っていても、震災になったらスーパーには客が殺到して、売り物などすぐになくなってしまうだろう。私が食料を買いに行ったときには、売り場の棚は空っぽだろう。その時はガソリンを入れるにも現金しか使えなくなるだろうが、ガソリンだって売り切れになっているだろう。物流は麻痺して、売り切れが続くだろう。
 ということは現金をたくさん持っていても、買うものがなくなっているのだから、結局震災のときは、カードだろうが現金だろうが使い道がないということだ。
 非常食と水を三日分くらい部屋に置いておく(酒も)、ガソリンは常に満タンにしておく、というのが正解なのだろう。
 だから部屋に置く現金を増やそうと思ったが、今のままでいいと思い直した。

電気は神様だろうか

 今日の真夜中の北海道の大地震で火力発電所がパンクして北海道の大部分が停電しているらしい。
 火力発電所というのは、一箇所あたりの電力需要がありすぎると、その一箇所の火力発電所が故障して、発電できなくなるらしい。そして火力発電所は、井戸の呼び水みたいに、エンジンをかけるときには他の発電所の電力が必要で、他の発電所が故障して動かなくなっていると、止まっている発電所はエンジンをかけることができないらしい。だから今日の北海道の大地震で大停電が起きているそうだ。
 そのせいで牛乳が生産できないらしい。そういえば牛から乳を絞るのも電気でやるのだし、絞った乳を消毒殺菌するのも電気で温めるのだろうし、他にも牛乳に関する機械を動かすのも電気だろうし、今や酪農というのは電気に支えられているのだと思った。
 いや、酪農だけではない。米作りだって電気に依存している。刈り取った米を乾燥させる機械は電気で動く。乾燥させた後の精米も電気でやる。袋につめる機械も電気で動かす。ということは稲作は電気でやっている産業なのだ。
 精米された米が手元に来ても、炊くのは炊飯器という電気製品だ。ガスで炊けるじゃないかと思うかもしれないが、家にガスを送るのも、たぶん電気が必要だろう。庭で石炭や木の枝で七輪で炊けばいいかと思っても、今、石炭を売っている店などないし、木の枝などあるものでもない。キャンプ用のガスコンロなど何回分でしかない。
 米がダメならジャガイモを食えばいいじゃないかと思っても、ジャガイモは生では食べられない。煮るやり焼くなりするためには、米と同じように燃料がいる。それも電気に頼るしかない。
 ということは、人間が生きていくためのエネルギー源であるでんぷんを摂取するためには電気が必要なのだ(今、でんぷんという名前しか思い浮かばない)。
 人間にとって電気というものが神様になっている。
 でも原発は悪魔になる神様だ。
 神様に頼り過ぎないことが大切だと思う。

強い台風が来ている

 25年ぶりの強い台風で、平成時代の中でも三番目以上の台風が来ている。
 ご飯を炊いた。水を焼酎の4リットルボトルにつめた。ベッドわきに置いている懐中電灯二つが点くかチェックした。ポータブルラジオの電池を確認したら弱くなっていたから、電池を交換して、よく鳴るようにした。バイクカバーの洗濯ばさみをはさみ直して、スタンドのぐらつきをチェックした。
 だが実家の方は何も台風の準備をしていない。植木の枝を切ったのを畑に置いておいているのが風で飛ばされて、道路に飛んでいって走っている車にぶつかったり、隣の家にぶつかったりしないか心配だ。でも今はどうしようもない。何ごともないことを祈るだけだ。
 植木キチガイだった父親をまた恨む。
 風が強くなってきた。雨も降ってきた。窓を閉めて鍵をかけた。だが暑い。部屋の温度計は30度だ。エアコンをつけるほどでもない。裸になって扇風機でしのげそうだ。
 風で窓が鳴る。焼酎を飲んでもなぜか酔わない。

※二日後に追記
 実家に行って切った木の枝を見たが、動いていなかった。海岸沿いの新潟市と違って、新潟県の内陸地方は風はそれほど吹かなかったようだ。その地方の天気予報を見ても最大風速は5メートルくらいだった。その時の新潟市の予想最大風速は15メートルだったから、内陸地方は風は弱いのだと実感した。
 だけど中学生の時の台風は、学校から帰るときの自転車小屋で、体が持っていかれそうな風だったのを憶えている。そういう強い台風は50年に一回くらいのものだったのだろう。今回の台風は25年に一回くらいの規模だから、まだ弱かったのかもしれない。
 いや、今回の台風の大阪での動画を見たが、トラックが横に倒れて流されたり、バイクが横倒しになったり、屋根が吹き飛ばされたりしていたから、場所場所で風の吹きかたが違うのだろう。油断はできない。

今年の生まれて初めての暑い夏も終わって、地球も自分も回って変わって

 2018年八月三十一日のおとといの夜中は寒くて、午前三時頃に目が覚めて大きなビニール袋二つを体と足にかけて眠った。それは八月15日頃だったかの急に寒くなったときと同じだった。でもそれ以降はまた暑くなって裸で寝ていた。
 それがやっと季節が変わったのだろう、八月から九月になったときに夜が寒くなって、昨日の九月一日は薄い布団をかけて寝た。寝始めはすこし暑くて扇風機をかけていたが、扇風機のリモコンが切れたころは薄布団をかけているのが丁度よかった。
 これからの九月の彼岸までは暑くなったり寒くなったりするのだろうが、裸で寝ることはなくなるだろう。
 エアコンをかけて眠るのは、盆すぎからなくなった。薄布団をかけて寝るときは窓は閉めて寝る。
 今年の生まれて初めての暑さの夏でも、今日このごろは、かくじつに秋になっている。秋の虫も鳴いているから、季節は変わっている。地球は回っている。自分も変わっている。

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