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徒然のブログ

つれづれの思いなどを

レトルトのおかゆは長持ち

 非常食のつもりで買い置きしているレトルトのおかゆの消費期限が今日だったと思い、朝食に食べた。
 電子レンジで温めるためにどんぶりに移すとき、袋に書いてある日付けをふと見たら、2020.4.30と書いてある。2020は来年だ。今日食べなくてもよかったのだ。
 今年の正月に買ったから、製造してから一年半くらいは持つのだ。でも長く置いておくと袋のアルミの匂いがおかゆに移るだろうから、作って一年以内に食べた方がいいだろう。
 買い置きが二つになったから、来月にもう三つ買う。

令和のアクセントは、れだと思う

 令和の、れ、い、わ、という発声の仕方は、はじめのれが高く、次にいが高く、わが低いのが、聞いていて心地よい。明治と同じイントネーションだ。
 それなのにBSNは、れいわの音の高さを同じにしている。それは、のっぺりと聞こえる。
 ミュージシャンが言う、ギターとかピアノの喋り方だ。ギターなら、ギターの音の高さは同じで、ターに音の強さをもってくる。ピアノも同じくピアノの音の高さは同じで、ノの音を強く発声する。テレビやラジオで、ミュージシャンはそういうイントネーションで言っていた。
 私はミュージシャンを気取り始めた十代後半から、ギターとピアノの言い方も、ミュージシャンの真似をした発声の仕方で喋ってきた。中学生までは一般の人が喋るように、ギターのギ、ピアノのピにアクセントを置いて発声していたのに、その逆になったのは、自分はミュージシャンなのだという格好つけのためだ。
 でも、格好をつけることは格好悪いという意識もあるから、ミュージシャンの真似をしてギターとピアノの言葉を発声するのは、何かの罪悪感みたいなものを感じながら、してきた。
 その罪悪感みたいなものが、令和の発声の仕方で思い出してしまって、れいわは、一般の人のギターとピアノのアクセントで発声したいと思うのだと思う。
 BSNの男アナウンサーは、系列放送局のTBSにならって、そう発音していると言っていた。忘れたが、たしか、令和を発表したときの官房長官の発声は、れにアクセントを置いていたように思う。NHKも今のところ、れにアクセントがある喋り方にしている。TBSはNHKと差別化するためにそうしているのかもしれない。それは各局の自由だけれど。
 しかしこれを書くために初めて令和とキーボードを打っているが、れいわと打ったら一発で令和と出た。おどろいた。

2019年、今年の花粉症は軽い

 今年は花粉症は軽い。
 外に出るときの服を家の中に、というか居間に持ち込まないようにしているし(玄関にハンガーにかけている)、外に出る時はマスクをしているし、髪の毛に花粉がつかないように帽子をかぶっているし、花粉が飛ぶ三月中旬から今まで、小雨の日以外は窓を開けないし、それから前にも書いたが、花粉症には発酵食品かがいいとネットで読んで、朝晩納豆を食べているし、甘酒もよく飲んでいるし、普段飲まない味噌汁もインスタントだけれど五日に一回くらい飲んでいるし、鼻や喉や目の粘膜を強くするためにビタミンAを摂取するために人参を毎日食べている。
 それでくしゃみや目のかゆみがほとんどなくなったのかもしれないが、本当は自分の体の免疫力が少なくなって、花粉に対する免疫の症状であるくしゃみや目のかゆみが減ったのかもしれない。そうなのだったら寂しいけれど、それも年をとるという自然なことだ。
 来年は先に書いたような対策をしなかったら、また花粉症の症状が出るのなら、今年にやったことは効いたということだけれど、あのくしゃみや目のかゆみをまたなるというのは嫌だから、来年も今年と同じくらいにする。

 それから、BSNのラジオ放送で関東生まれの女アナウンサーが、三月の下旬で花粉症はピークを過ぎたと言っていたが、それは違う。それは関東のことだ。新潟県は三月の下旬はまだ雨が多いし、気温も低いから花粉が飛ぶ量は少ない。新潟県の花粉が飛ぶピークは四月の初旬から中旬だろう。もちろん新潟県の三月の花粉の量も、そこそこ多い。私の高校三年生のときの、東京に行く前の花粉症もひどかったから。四月に東京に行ったら、ピタッとくしゃみと目のかゆみがなくなった。
 私の花粉症がなくなるのは毎年五月の十日頃だ。あと二十日間くらいだ。それまでしっかり対策をしながら辛抱だ。

一日桜を見ながらバイクに乗った

 昨日四月十七日、実家に用があってバイクで行ってきたが、行くときも帰るときも道から見える桜が満開だった。初めて満開の桜を見ながらバイクに乗った。
 帰りに旧下田村の290号線を通ったのだが、いつものように部落の細い脇道に入りながらゆっくり走った。そうしたら五十嵐神社の入り口に出た。名前だけは知っていたが、来たのは初めてだ。五十嵐という名字の発祥の地ということを何かで読んだことがある。
 急な階段を登って本殿まで行った。神様にかかわりたくないから手を合わせないし頭も下げない。もちろん賽銭も払わない。
 本殿は中に入れるようになっていて、パンフレットみたいなものを持っていけと書いてあるが、入らなかった。でもフレンドリーな精神の神社だと思った。

 鳥居をくぐるときから、カエルがうるさいほど鳴いているのが聞こえた。小山の頂上の本殿まで登ったら、カエルの鳴き声は聞こえなかった。本殿の脇から崖下をみたら、田んぼのこちら側に、水が張ってある池みたいなものがいくつかあって、大きな植物がいくつも生えていた。あとで駐車場にいた老人から聞いたら、水芭蕉だということだった。その老人が仲間で植えたらしい。
 六月か七月になるとホタルも出るそうだ。水芭蕉が植えてある池の周りの田んぼは耕作放棄地だったそうで、それで農薬がまかれなかったから、カエルもホタルも水ばしょうも、他の草花も生きていられるらしい。
 他にもいろいろな話を聞いたが、個人情報になるのでここでは書かない。

 本殿の周りは太い杉の木が何本も生えていた。背の高い杉に囲まれて、本当に神様がいるような雰囲気だった。
 花粉症の私には良くない場所だが、どうしてかそれほどくしゃみは出なかった。自分が花粉症だったと思いだしたら、一回くしゃみが出た。一日たった今日もくしゃみはそれほど出ない。

 今年の桜の開花は四月五日だった。たぶん一昨日あたりに満開になったのだろうが、花が咲いてから十日間くらいで満開になるのだろうか。遅いような気もする。今年は春が寒かったから花が開ききるのに時間がかかったのかもしれない。
 しかし今日は満開の桜を一日中見続けて、ちょっと飽きた。

 心配だったバッテリーはまだまだ使えそうだ。ブレーキフルードをチェックしたら、色はそれほど濃くなっていなかった。盃いっぱいくらい足して、ブレーキレバーを握ぎ握ぎしておいた。バイクの調子はいい。だけれど去年の秋から久しぶりに乗ったから、昼ころには腰が痛くなった。今年も走行距離は伸びないかもしれない。

漫画やテレビドラマの初回を思い出すこと

 思いおこせば漫画とテレビドラマの初回を見たことを思い出す。
 子供の頃に母の実家でいとこが買ってもらったマンガ本で見たドラえもん。
 同じころだったと思うが、母の実家で偶然見たテレビの太陽にほえろ。
 それがどうしたと思われるだろうし、自分でもそんなことは自分の人生に何の影響も受けていない。
 ただときどきそのときの頭の中での思い出の映像を思い出すのだが、それは漫画やテレビドラマが大事なのじゃなく、自分の生きている中のひとコマを思い出す、とくに小さい頃のことを思い出せるきっかけになることが大事なのだと思う。

オートバイのバッテリーの不安

 昨日オートバイを実家から新潟市に乗ってきた。
 この間行って、バッテリーを充電してから何回か押しがけしてエンジンをかけた。
 それで日にちをおかないうちにまた行ってエンジンをかけた。昨日は一発でセルでかけられた。
 2011年にこのバイクを買ってから8年だ。バッテリーは買ったときのままだ。買ったときのバッテリーは新品ではないだろう。それでも8年もっている。不思議だと思うけれど、今までのバイクのも10年以上もっていたから、そういうものだろう。
 だけれど車のバッテリーは3年くらいでだめになる。どうしてこのオートバイのバッテリーが長持ちしているのかはわからない。
 でも遠出したときに何かのバッテリーのトラブルになって帰ってこられなくなると困る。
 といってバッテリーのトラブルになって一番困ることはセルが回らないことだが、押しがけすればいい。
 他にはウィンカーが点かないことだ、次はブレーキランプだ。次はヘッドライトだ。でもどれも点かなくてもまあまあ走れる。

 レギュレーターという電圧を調整する部品が、年月がたつと壊れるのだそうだ。とくにYAMAHAは壊れやすいそうだ。ネットで調べたら、部品代は2、3千円で高いものではないが、SRVのレギュレーターの交換はガソリンタンクをはずさなければならなくて、狭い場所にあって、交換するのは面倒くさいらしい。そろそろ交換しなければならなくなるのではないかと覚悟すべきときだろう。
 バッテリーを充電するためのジェネレーターという部品は、ちっとやそっとじゃ壊れないらしい。コイルと磁石を回して充電するのだが、構造が単純だからだろうし、回転するだけのものだからだろう。クラッチの外側あたりにあるらしい。エンジンの左下だそうだ。

 四月下旬に遠出したいのだが、その前に新潟市の内側で乗ってみる。それで何ともなければ、遠出する。

皇太子頑張れ

 今日、令和という新しい元号が発表されたが、いい元号だ。
 映像を見たら、文字の形が、一番上が尖っていて、下が大きくて、絵としての安定感がある。
 れいわ、という音の響きが気持ちいい。Rの音は日本語では珍しいし、そして柔らかい響きだし、気持ちがいい聞こえ方だ。
 文字の形と音の聞こえ方で、女性的な音と文字の元号だと思った。それもこれからの時代にはいいのだろうと思った。
 いわれを聞いたら、万葉集から取ったと言っていたから、日本の古来のものからとったのは良かった。漢字だからといって中国からではないのが良い。
 こまかいことをいえば、漢字の画数が少なくて書きやすいのがいいし、頭文字のアルファベットが明治からの別のアルファベットのRで、生年月日を入力するときに間違わなくて良い。元号の漢字が明治からのものとひと目で違いがわかるのも良い。

 天皇制反対論者の私でも、元号はあって良いと思うし、去年、人間は皆バカでクズなのだと悟ったから、それで自分の理想も捨てたから、天皇制があってもなくても人間は、そして日本人は、バカでクズなのだから、天皇制があってもなくてもどっちでもいいのかな、ということは天皇制はあってもいいのかな、と思うようになった。
 だから天皇制をいろんな意味で利用すればいいのだと思うようになった。それは人間とは高いものを追求する存在なのだという理想を捨てたからだろう。
 それに皇太子の頭のよくなさそうな顔つきや仕草をみていると、あの皇太子を日本国のために利用すればいいじゃないかと思うようになった。ただ、だからこそなのか、あの皇太子は憎めないように思える。平成天皇のように、愛される、いい天皇になる人にも思える。ということは本当は頭の良い人なのだろう。
 今の皇太子は六十歳から本格的な仕事をする特別な人生だ。頑張っていただきたいと思う。そのことを私も新天皇にあやかりたいと思っている。
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