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徒然のブログ

つれづれの思いなどを

石川九揚の書のラジオ番組と本

 NHKラジオ第二放送の夜8時半からのカルチャーラジオを毎晩聞いているが、この何ヶ月かの水曜日の番組がおもしろかった。
 石川九揚という人の、書のことを教える番組だった。書道ではなく、書だ。書道と書は何が違うのかというのは、石川九揚の本を読めばわかる。石川九揚もラジオでも本の中でも、書道と言わずに、書と言っている。そして昨日の第十三回目が最終回だった。
 第一回目を聞いて驚いたのは、書とは音楽だということだった。目からウロコが落ちた。私は書というか書道というものは絵画の仲間であり美術だと思っていたが、石川九揚が言うには、書は音楽の仲間で時間芸術なのだそうだ。なぜなら書という芸術は、何という文字を書いているかが重要ではなく、うまいかヘタかということもそれほど重要ではなく、文字を筆でどういうふうに書いているかを見るべきところ、感じるべきことで、書きぶりこそが大切なのだそうだ。
 その書の文字を、筆でなぞってみることで、その書を書いた人の気持がわかるのだそうだ。それこそが書を楽しむ、その書の文字の一点一画の書きぶりを、自分でなぞって、感じて、味わうことで、書とはそういう味わいかたの芸術なのだそうだ。
 書きぶりとは小説でいえば文体で、純文学も、何を書いているかより、ストーリーより、どういうふうに書いているか、どういう文体であるかが重要だが、そういうことだ。石川九揚も文学や小説で言えばそういうことだと言っていた。
 私は第一回目から五回目くらいまでの石川九揚の喋り方が、尊大でわがままな感じで反感を持ったが、あとで思えばそれは、聞き役の男のアナウンサーと呼吸が合わないからだと思った。第六、七回目くらいから、石川九揚も謙虚な物言いをしだしたし、ユーモアも交えるようになった。アナウンサーも、第三回目くらいまでは石川さんと呼んでいたが、第四回目くらいから石川先生と呼ぶようになった。それで石川九揚の機嫌がよくなったのかもしれない。
 ラジオを聞いていると石川九揚は日本人としてはトップクラスに頭がいいとわかる。言う言葉がすべて理屈に合っている。理屈っぽいのがわかる。第十二回目で、自分の書の理論は法学部的だと言われると言っていたが、たしかに法律のように理屈と根拠を積み重ねて、良い意味でハイレベルな理論武装をしている喋り方だ。そして使う語彙がものすごく豊富だ。
 でも石川九揚は、感覚が鋭敏ですぐれてもいる。書を書く時の筆の持ち方や筆の運びの表現を聞くと、石川九揚は芸術家でもあるのがわかる。書という芸術表現をしているのだから当然だろう。
 第五回くらいのとき、図書館で石川九揚の本を何冊か借りて読んだ。やっぱりラジオでの喋り方と同じで、理屈っぽくて、その理屈と根拠を積み重ねていく文体だった。理屈っぽい私には心地よい読書だった。でも本のタイトルは忘れたが、花と和歌とひらがなのことを書いた一冊だけ文体が少し軽薄で理屈が合わない箇所がいくつかあった。そのあとがきを読んだら、その本は講演だったか大学での講義を文字に書きおこしたものだった。だから文体が違ったのだ。他の本は、きっちり、かっきりとした文体で、内容が分かりやすかったし、読んでいて気持ちが良かった。だが、本の中で石川九揚の書の写真があって、見たが、あまりに何の文字を書いているかがわからない書で、私には前衛的すぎる美術品にしか見えず、感動できなかった。それが芸術表現だとは思えなかった。だけれど、本に載っている小さい写真ではなく、実物の書を間近で見たら、もしかしたら感動するかもしれないが。
 それから石川九揚が本に書いている、書や漢字の文字を通して、日本と中国と東アジアの歴史を解き明かすその理論は、私にとって発見だった。そのことも目からウロコが落ちた気分だった。
 石川九揚は、芸術家であり、批評家であり、評論家でもある、すごく頭のいい人だ。いま七十代半ばだが、ラジオの喋りを聞いていると、その頭脳明晰さは衰えないようだ。いつか講演や講義を聞いてみたいと思う。

ひざの痛風になった2019年9月

 9月8日に、五年ぶりに痛風になった。もうならないと思っていたが油断していた。
 前日の7日の夜に豚肉を400g、長ネギと炒めて一気に食べて、濃い焼酎のレモンジュース割りを5杯飲んだのが引き金だった。そして夜中じゅう扇風機の風がひざに当たっていたのが悪かった。
 だから痛風が初めてひざに来た。右ひざの周りがふくらんだ。立てないし、あるけないから、食事と排泄以外は寝たきりになった。前は四、五日もしたら痛みはなくなったのだが、今回は痛みが引くのに十一日間かかった。
 痛風発作の前兆の、鼻の両脇や耳の後ろ、金玉、おしっこが酸っぱ臭くなることはなかった。だから肉をたくさん食べて酒もたくさん飲んでいた。

 米と野菜がなくなったが、外に出られないから部屋にある缶詰やレトルトおかゆやうどんの乾麺で食いつないだ。
 やっと19日に買い物に出て、米と野菜をたくさん買ってリュックサックと肩かけバッグに入れて、杖をついて運んだ。
 まだ右ひさは少し傷むが、杖を使えば歩けるようになった。
 酒は十五日間飲んでいない。二十代真ん中で酒を飲み始めてから初めての長期禁酒だ。
 痛風はもうこりごりだ。だから今までのたくさん食べて、たくさん飲む生活をやめる。休肝日も作る。肉は少なめにする。

夏は米を冷蔵庫で保存

 九月になって涼しくなっていたのが、昨日から暑くなって真夏に逆戻りした。昨日も今日も最高気温34度だ。その気温が明日か明後日まで続くらしい。八月初旬の頃の、空気が熱せられて、熱した空気を吸い込んでいたのと同じ熱い空気が、鼻を通って肺に入ってくるのがわかる。暑い。
 先月に米が急に古米の臭いになったのを思い出し、この間買った新米も暑さで傷むだろうと思い、おととい冷蔵庫に入れた。あまり冷やしすぎるのはよくないのかもしれないが、30度以上のところに置いておくよりいいだろう。昨日も今日も冷蔵庫から出した米を炊いたご飯は美味しかったし、昼に食べた冷めたのもうまかった。ということは暑い時は冷蔵庫で保存したほうがよいのだ。
 だけれど5キロ袋では私のダンボール箱くらいの大きさの冷蔵庫には入らない。葉月みのりが大粒すぎないか心配で、米の粒が大きかったら誰かにあげることになるから2キロ袋を買ったのがよかった。その袋も三分の一は食べたから冷蔵庫に入れてもかさばらない。新米で美味しいからたくさん食べてしまい、米の減りが早いのだ。
 来年からは、梅雨が開けて夏になったら、米は2キロ袋を買うことにして、タッパに小分けして冷蔵庫に入れておくことにしよう。

葉月みのりを初めて食べた2019年8月末

 葉月みのりを食べた。美味しかった。
 粒が大きいと聞いていたから心配していたが、それほどでもなかった。粒の大きさは。言われなければわからないほど他の米と同じだった。
 味はネットでの説明どおり、ほんのり甘みがあって、粘り気は少なめだ。炊きたても美味しかったし、さっき食べた冷えたのもうまい。電子レンジで温めたのは、それほど美味しいとは思わなかったが、不味くはなかった。

 葉月みのりは、8月24日の土日の売り出しのウオロクと原信のネットチラシで初めて見つけて、5キロで税抜き1880円だった。そのとき買おうかと思ったが、まだ古米の臭いがする米が残っていたから買わなかった。
 その古米を一昨日食べきったから、昨日買ったのだ。
 粒が大きかったら、三年前に買ったあきたこまちのように噛むと口の中で邪魔になって食べられなくなると思って、2キロ袋を買った。
 最初ウオロクに行って探したら5キロ袋だけしかなくて、その後原信に行ったら2キロ袋もあったから買った。税抜き900円だった。ウオロクと原新の葉月みのりは袋のデザインが違うから、違う米の会社のなのだろう。
 美味しかったから5キロ袋を買えばよかったと思った。
 コシイブキより甘みがある。コシヒカリよりは、さっぱりしている味だ。値段も今のところコシヒカリとコシイブキの中間だ。
 葉月みのりは、また買うかというとわからない。値段次第だ。だけどこんなに早く新米を食べられるのだから、毎年8月の下旬には必ず買うだろう。今度は5キロ袋を買う。
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