このあいだ、犬を安楽死させに、動物病院に連れていってほしいという仕事を受けた。
ある事情で、空家になっている家で、一匹で暮らしている十五歳の犬だった。
指定された時刻にその家に行き、事前に受け取った鍵で、誰もいない玄関を開けた。
突然、ムウッとするくらいの獣の臭いがおおいかぶさってきて、その臭いに圧倒され、息ができなくなった。
あわてて自動車に戻り、厳重にマスクをしてから、体に臭いが移らないようにジャンパーを着こみ、頭から手ぬぐいをかぶって、もう一度玄関ドアを開け、おそるおそる廊下を奥に歩いていった
薄暗い廊下を曲がったところに、体長一メートルぐらいの白と黒の模様の、目の大きな犬がいた。
やっと来てくれたね、というように人懐こい瞳で私を見上げていた。
病気だと聞かされていたから、寝たきりで動けないくらい弱っているのだろうと思っていたが、ひょこ、ひょこ、といびつな足どりで、遊んでほしいというように、私のほうに歩いてくるのだった。
廊下の奥を見ると、そこにはペット用のトイレシートが敷いてあり、何日分か分からない糞と尿がしてあった。新しい尿は、フローリングにも染み出ているようだった。まだ若々しい硬そうな固まりの糞も、床にいくつか転がっていた。玄関を開けたときの臭いは、そのせいでもあるようだった。
もうすぐ死にそうな命ならば、苦しませずに死なせてやるのも意味があると思っていたが、遊ぼうよというように私を見つめている、まだまだ健康そうな犬にたいして、急にさっきまでの仕事への……
※これを書くのは、私の中で、まだ消化しきれていないようだ。
だから、メモとして書いて、このままブログでは中途半端にしておく。
その夜は、普段の倍の酒を飲んでしまった。鼻の奥の粘膜に、あの犬の臭いが残っていて、いつまでも消えないのだ。息をすると、あの犬の顔が浮かんできて、すぐに焼酎のコップを空にしてしまうのだった。
私はただ、命を動物病院に運んだという作業をしただけだが、実際に手をくだしてその命を終わらせた人は、私以上に酒を飲まずにいられなかったと思う。
それと、私は、臭く、病気で血が出ていた犬の体を素手で触りたくなかったから、ゴム手袋をして、ボックスに犬を入れた。
ボックスに入れるために犬を抱えようとしたが、犬はそうされるのを嫌がったから、何度も失敗した。しまいに敷いていた毛布ごと、犬を包んで、ボックスに押し込むように入れた。
だが、動物病院に行くと、まだ若い動物の看護婦さんは、その臭い血が出ている犬をいたわるようにしながら、素手で抱きかかえ、優しい笑顔でボックスから出し、診察台の上に乗せたのだった。
それを見て私は、俺は何という……
言葉が出てこないから、途中で終える。
その日の前夜、この仕事の意味とは何だろう、と考えながら寝た。なかなか寝付けなかったが、寝付けない私を救ったのは、裕次郎の「夜霧よ今夜もありがとう」だった。