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徒然のブログ

つれづれの思いなどを

音楽もバイクも麻雀も人間と接するのも、何かの手段

 ギターを弾いて歌うのは声が出るようになったから、毎日歌わなくなっている。自分で言うのも何だが、まあまあ聴かせられる歌がうたえるようになった気がしている。だから目的を果たしたという達成感とそして脱力感みたいな気持ちだから歌わなくなったのだろう。

 去年の秋から健康麻雀というのに行っていた。月に二、三回行った。それもおもしろくなくなったから、今年になって行かなくなった。そこの雀荘の雰囲気は勝ち負けだけを問題にしているから、つまらないのだ。それはどこの健康麻雀やフリー雀荘も同じだろうが。
 高校生から二十代真ん中くらいまでは麻雀に狂っていた。大学生のときはフリー雀荘に通って何万円も負けていた。それも何かの勉強だと思っていた。たしかに狂っていた。
 いま私が麻雀をしたいのは、麻雀をしながら世間話をすることだ。それもできれば芸術とか人間心理とかを、その場が単に麻雀であり、麻雀をしながら、お互いに攻撃にならないように節度を持って、意見を言い合うことが私の麻雀をする目的なのだが、麻雀が上手な人は頭がいいと思っていたのだが、違った。
 麻雀が強い人は、単に麻雀が上手なだけで、世知辛く計算高い人間なのだとわかったということなのだが、先に書いた私の好きな世間話ができる雰囲気は健康麻雀にはあるだろうと勝手に思っていたのだが、それは私の思い違いだった。金をかけるフリー雀荘と同じ雰囲気だった。あるいは競技麻雀の雰囲気だった。勝つことだけを目指すだけの、底の浅い、おもしろみのない場だった。

 バイクに乗るのは、今は、いや、昔も、バイクに乗ることだけが目的で乗っているのではない。
 バイクに乗りながら、風景を見たり、この峠の道のわきに立っている太くて背の高い樹は、もしかして江戸時代から生えている木だろうかとか、大昔の人が何十万人この峠を越えて歩いていたのだろう、農業の人はそれほど移動しないだろうから、この峠を越える人は商人だろうか、武士だろうか、乞食だろうか、歩いて疲れたときは、あそこの大きな樹の下で持ってきた水を飲みながら休んだのだろうか、とか考えながらバイクで走るのが楽しいのだ。
 四、五年くらい前からは、大昔の戦国時代ころからあると思う部落の中の細い道を、ゆっくりバイクで走るのが楽しくなっている。地形や、川の流れや、田んぼと家が建っている配置の関係や、集落とその墓場の位置関係や、墓場に寄って墓を一つひとつ見るのも楽しい。だからバイクに乗るのは、そういうところに行くことと、そこの場所をゆっくりめぐるための手段になっている。

 ギターを弾いて歌うのも、麻雀をするのも、バイクに乗るのも、何かのための手段なのだと思う。
 それらが単に目的になっているのは、視野が狭いと思うし、そういう狭い世界で視線が沈んで、高くて広いところを見ようとしないのはおもしろくない。
 それはもしかして、人間と関係するのも、何かのための手段なのだろうかもしれない。

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